2024/01/31 - 2024/01/31
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kojikojiさん
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昨晩は午後8時を過ぎてフェズのホテル「ミンゼ・ザラー・シティ・センター(Menzeh Zalagh City Center)」に到着し、そのままホテルのレストランで食事をしてバタバタのまま夜が明けました。ホテルは新市街にあり、斗着する前に車窓から町並みを眺めていましたが、特に外出するほどの地域では無かったです。朝食を済ませてバスに荷物を積み込んで出発します。まずは市内を抜けて、旧市街の南側にある「ボルジュ・シュッド(Borj Sud)」という展望台に向かいます。ここには1582年頃にサアード朝によって建設された最初の砦があり、当時のポルトガルの砦をモデルにしているといわれます。展望台から眺める朝日の当たったフェズの旧市街の姿は美しく言葉もありません。なだらかな起伏の丘に8世紀末に開かれたイスラム王朝の都フェズの中心部は「フェズ・エル・バリ(Fès El Bali)」と呼ばれ、旧市街メディナの建物がひしめく迷宮を眺めると迷子にならないか心配になってきます。そんな旧市街に向かう前に「アール・ナジ(Art Naji)」という旧市街の東側にある陶器工場に立ち寄ります。日本語の上手な係員の方がついて粘土の精製からろくろによる成型、乾燥から素焼きしたものへの絵付けの工程を見ることができます。さらにここでしか見られないのが焼き上げられたタイルを割って組み上げるモザイクの工程はとても勉強になりました。親戚が京都で窯元を営んでいるので陶器や時期の製造過程は珍しくはありませんが、モザイクタイルの家庭は初めてだったのでとても面白かったです。その後はミュージアムコーナーに案内され、古い陶器を見させてもらいます。残念ながらここに並んでいる物は売ってはもらえません。最後にショップに案内されるのは常ですが、古くてよいものを先に見てしまっているのでピカピカで艶がありすぎる上に絵付けのクオリティの割に値段が高すぎます。何か1つくらいと思いましたがダメでした。今回フェズで陶器を買いたいと思っていたので残念でした。この後の旧市街の散策でもマラケシュのことを考えると同じように歩くだけだろうということは分かっていました。バスは「バブ・マルーク門(Bab Mahrouk)」という門に停車して、ここから旧市街の中に入り込みます。まずは屋外に並ぶ野菜や果物の屋台から始まり、だんだんと屋根の付いた迷路の中に入り込みます。ここで迷子にならないように現地のガイドさんがツアーの列の最後尾をカバーしてくれます。写真を撮っていると一番後ろを歩くことになり、この持参とはすぐに仲良しになり、個別にガイドしてもらいながら歩くことができました。次に「ブー・ジュルード門(Bab bou Jloud)」を見学します。門を出て西側にブー・ジュルード広場 (Place Bou Jeloud) があることからも、練兵場を意味する"Bou Jnoud"という言葉が方言で訛ったものだということです。フランス領時代の1913年に建設された美しい門の表と裏を見て、「ブー・イナニア・マドラサ ( Madrasa Bou Inania)」までの迷路のような通りを歩きます。モロッコのモスクは内部を異教徒が見学することは出来ないので、イナニア神学校は内部を見学できる稀な建物でした。その中庭の美しさには驚きましたが同じようなツアーがいくつも来ているので写真を撮るのは大変です。メディナの見学はまだまだ続きます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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「ミンゼ・ザラー・シティ・センター(Menzeh Zalagh City Center)」での夜が明けました。朝食のレストランは朝早いせいもあって料理の品数も少なく、クロワッサンにハムと野菜を挟んでサンドイッチにして食べました。
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荷物はここでもポーターサービスがあり、出発の30分ほど前に廊下に出しておく降ろしてくれます。くれます。
メンゼ ザラ シティ センター ホテル
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積み込む前の荷物の確認だけは忘れずに行います。基本的に1人1個なので、追加でバスのトランクに入れてもらう場合は超過料金が必要なようです。フェズに着いた時点でベルベル絨毯と「ジュラバ( Jellaba)」だけで小さなトランクは満杯になりました。これはバスの座席上の荷物置きに入ったので手持ち荷物にしていました。
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ホテルは新市街「ヴィル・ヌーヴェル(Ville Nouvelle)」の干菓子の外れにあるので、夜間に出掛ける気にはなりませんでした。もっとも午後8時過ぎに着いて、バンギ畔を食べ終えたら午後9時過ぎでした。
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バスはアッサン2世通りのロ-ターリーからアラル・エル・ハッシー通りに入り旧市街の南にある展望台に向かいます。位置的には新市街の北東の方角に旧市街がある感じです。
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西暦1267年にヤクブ アル マンスールによって再建された旧市街への入り口となるゲートの前を通過します。旧市街と新市街の境界に建っているように思えます。
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「ボルジュ・シュッド(Borj Sud)」という丘の上の砦まで登ってきました。駐車場でバスを降りて展望台に向かいます。分かりにくいですが、函館の五稜郭のような五角形のペンタゴンタイプの砦です。
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ここには1582年頃にサアード朝によって建設された最初の砦があり、当時のポルトガルの砦をモデルにしているといわれます。旧市街の「フェズ・エル・バリ(Fès El Bali)」を南から見下ろす丘の上にあり、街の北の丘にある姉妹砦の「ボルジュ・ノルド(Borj Nord)」は谷を挟んだ向かい側にあります。
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なだらかな起伏の丘に開かれたイスラム王朝の古い都フェズの全景を眺めることができました。8世紀末にイドリス朝の創始者が川沿いに町を建設で、そこを首都と制定し、そこからフェズの町は次第に拡大していきます。この初期に発展したエリアが現在「フェズ・エル・バリ(Fès El Bali)」と呼ばれています。
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時代が変わると勢力が入れ替わり、ファーティマ朝、ムラービト朝、ムワッヒド朝を経て首都はマラケシュへと遷都します。その後13世紀にマリーン朝を迎え、首都が再びフェズに定められたことで新しい区画が発展します。それが現在の「フェズ・エル・ジュディド」となります。
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この「フェズ・エル・バリ」と「フェズ・エル・ジュディド」を合わせた範囲が、「フェズの旧市街」として1981年世界遺産に登録されました。「フェズ・エル・バリ」地区を囲む市壁には8つの城門が設けられているそうですが、ここからではその位置は肉眼では分かりません。
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これからこの中をガイドさんお案内で歩くと思うと迷子にならないか心配になってきます。マラケシュのメディナでも写真を撮っている数秒の間にツアーに着いて歩いている妻の姿を何度も見失いました。
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カメラの望遠レンズを最大の200ミリにして、さらにデジタルズームで4倍の800ミリにすると建物の1つ1つが見えてきます。後で何かの役に立つかとモスクなどの塔の写真を撮ってみましたが、メディナの中を彷徨っていると上を見上げる余裕などありませんでした。
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朝日を浴びたフェズの旧市街の建物は薄赤く染まってとても美しい姿を見せてくれました。
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唯一確認できたのは旧市街の北側の丘の上に建つ「メリニデスの墓(Tombe dei Merenidi)」です。ここは元々13世紀から15世紀にかけてモロッコを支配したマリーン朝の王室の墓地でした。
メリニデスの墓 史跡・遺跡
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この砦は1582年にサード朝のスルタンのアフマド・アル・マンスールによって建設されました。マラケシュを首都とするサード朝はフェズでの支配に対する顕著な抵抗に直面しており、砦は彼らが街の周りに建設したいくつかの砦の1つです。サード朝はポルトガルの軍事建築を模倣するためにフェス・エル・ジドの南と東の壁に沿ってボルジュ・ノルド、ボルジュ・シュッド、および3つの要塞を建設しました。
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気持ちは早く美優市街を歩きたいところですが、砦からの眺めを堪能した後はバスに乗ってタイル工房へ移動します。砦を下ると右手には広大な墓地が続いています。ガイドさんによるとイスラム教では戒律上、土葬以外の埋葬方法は禁止されているということです。遺体はできるだけ早く聖水で清めた布で巻き、顔をメッカの方角に向けて土葬しなければならないということで、グーグルマップの航空写真で核にすると確かに1つ1つのお墓はほぼ北東の方向を向いているのが分かりました。
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10分ほどで「アール・ナジ(Art Naji)」というセラミックの工房に着きました。ここでフェズの陶器について学ぶことになります。持ちラン工房見学の後はショップに案内されることは織り込み済みです。
アート ナジ セラミックス 専門店
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壁にはモザイクタイルで作られたテーブルの天板が壁に飾られています。細かいモザイクを間近で見られるのが嬉しいです。
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1つ1つの模様の星の数により、8スターポイントや24スターポイントといった首里に分かれます。このテーブルトップは8スターポイントだと分かります。
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12月に行ったインドのアグラで見た大理石の象眼細工もものすごい細かい作業でしたが、モロッコのモザイクの細かさにも目を奪われます。
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こちらは緑色の釉薬の部分を掻き落として模様を表しています。これなら自分でもできそうな気がします。
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流ちょうな日本語を話す係員さんが陶器の製造過程を説明してくれます。モロッコで陶芸で使われる土には赤い土と、白い土の2つの種類があるそうです。赤い土は地面の表面に近い地層から採れるもので、テラコッタ製品などに使用されて陶器には使用されません。陶器用として使われるのはマグネシウムや鉄分を含み、フェズから20キロほど離れた山の中から採って来る白い土だそうです。掘り出してきた土は大きな塊になっていて、工房の端に白土が積み上げられていました。
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塊をハンマーで粉砕して2週間ほど水の中に漬けて粘土状にします。その後に濾して不純物を取り除きます。水から揚げた粘土は数日かけて脱水して、冷暗所で3ヶ月ほど寝かせます。 寝かせたあとは足で粘土を踏んで柔らかくして陶土が完成します。
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この工房では電動の轆轤ではなく足で回転させる蹴轆轤が使われていました。この工程はトルコのアナトリアの陶器工房でも見たことがあります。日本でも大分の日田の小鹿田(おんた)焼きなどでは伝統的に蹴轆轤を使っています。
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あっという間に小さなタジンとキャンドルスタンドを造って見せてくれました。母方の親せきは京都で窯業を営んでいるので特に珍しい光景ではありません。京都の場合瀬戸の流れを汲む轆轤と京都の流れを汲む轆轤の技法があり、母の従弟の轆轤は見事なもので、その指先の動きは驚異的です。
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生乾きの状態で成形を行っている工程です。同じサイズになるように余分な粘土を削り落とした後に表面を平らにならしています。
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その後は自然乾燥させています。同じサイズのボウルがいくつも並べられています。この間にも歪んだりひびが入ったりで、全部が使えるわけではありません。
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直射日光が当たらない場所に置いて自然乾燥を促します。完全に乾燥した後に最後の成形を行うのだと思いますが、元々が肉厚の陶器なのであまり削ったりはしないのかもしれません。
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出来上がったものは一度窯に入れられ素焼きの工程が行われます。ここでもいくつかのひび割れや歪みなどが発生します。出来上がったものは元々のサイズより小さくなります。
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素焼きされたものがテーブルの上に並んで、絵付けされるのを待っています。
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染付だけの場合はこれくらいの壺であれば2日くらいで描けるそうです。京都で親戚が第五歳威容業を営んでいるので素焼きの状態の皿を貰って、道具を借りて自宅で絵付けに凝ったことがありましたが、妻の方が上手いことが分かってから筆を折りました。京都の物故作家の清風与平という方の陶器のコレクターなので、その絵付けを真似るのですが、九寸ほどの皿でも両面描くと数日かかってしまいます。
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音楽を聴きながらの方が集中できるのでしょうね。現代の職人さんぽいです。素焼きした後はコバルトだけではなく色絵の部分もいっぺんに色を重ねてしまうのだと分かります。
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素焼きされた大鉢に鉛筆を使って当たりを付けて、それを基準に模様を描いているのが分かります。鉛筆の線は炭素なので焼成するときに消えてしまいます。先日葉山有樹さんという有田の作家さんとお話しする機会があったのですが、その方は頭の中にある文様を下書きもせずそのまま描いていくと聞いて驚きました。花の模様も130種類以上を描き分けられると仰っていました。
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小さなお土産用のタジンに絵付けをしているおばさんは気が散るのか我々がいる間は筆を持ちませんでした。
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大きな絵皿はとても美しい色合いなのですが、焼成中にできた大きなニュウがあります。絵付けの出来は良いのでサンプルとして工房の壁に掛けられているようです。
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マラケシュの「マジョレル庭園」のブックショップで購入した2冊の絵本の1冊はモロッコの手工芸が紹介されていました。
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陶芸は何千年も続く芸術で、古代の職人技は技術の宝庫であると同時に重要な年代測定のツールでもあります。過去の時代や失われた過去の重要な証拠を提供してくれます。陶器は古来より鉄分を含んだ有機物の土を原材料とする粘土を野焼きにして造られました。
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モロッコで最も古い陶器工房はザゴラ(Zagora)地方のダメグルート(Tamegroute)あり、1924年にサフィ(Safi)の丘は歴史的な記念物として指定されました。
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ゼリージュ(Zelliges)は表面に釉薬を焼き付けたタイルのことで、10世紀の装飾要素として初めて登場しました。当初は白と茶色の色調でしたが、12世紀のベルベル人のアルモハド王朝の期間に進化しました。
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14世紀のマリーン朝の時代になると青や緑や黄色といったいるが用いられるようになりますが、赤色が登場するには17世紀まで待たなければなりませんでした。ゼリージュを造るには木枠や鉄枠で型抜きされた正方形のタイルを素焼きし、釉薬を塗った後に900度の窯で焼成されます。その時はオリーブオイルを搾った残りカスが燃料として使われました。
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小生が終わった後のタイルはズライギ(Zlaygi)と呼ばれる熟練の職人が先端が鋭利なハンマーを使って希望する幾何学的な形状に加工します。様々な形を組み合わせることによって幾何学模様や花柄や唐草模様のモザイクパターンが生まれ、王宮や神学校やリヤド、噴水や伝統的家屋を飾りました。
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陶芸の職人さんの手仕事を見学した後は屋外でモザイクのパーツを制作している工程を見学します。ズライギ(Zlaygi)と呼ばれる職人さんがハンマーを巧みに使って小さなパーツを削っていきます。
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形によって1日に制作できるパーツの数は異なりますが、500個から2000個のパーツを造るそうです。
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どんなに細かい細工でもこのハンマー1本で作り上げる姿に驚きます。タイルの方さとハンマーのヘッドの大きさや重さは微妙なバランスがあるのだと感じます。
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出来上がったパーツは削られた素焼きのタイル面を上に組み立てられます。この字で点でこのおじさんは釉薬の掛かった表側の色が頭の中に描かれているそうです。
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モザイク噴水を造るには型があり、その表面に出るところにパーツを並べています。
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並べた後に一度モルタルを塗り固めます。
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その後にセメントを流し込んで躯体を形成させます。必要な場合はラス網や鉄筋を並べて強度を保ちます。
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円形の噴水の場合は型枠の内側にパーツを並べながら突き上げて、同じ工程で形を造っていきます。
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これは壁付けの暖炉です。本体が温まることにより、部屋の中を温めたのだと思います。
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こちらは蛇口の付いた壁面噴水(Wall Fountain)と呼ばれるものです。カラフルな唐草模様の中に二十四突星のデザインになっています。
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グリーンとベージュの2色だけのデザインも素晴らしいです。見ているうちに細くなってきますが、梱包とシッピングを考えたら買おうという気持ちにはなりません。
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頭の中にパーツの組み合わせが完成されていないと裏側だけ見ていてパーツを置くことは出来ないと思います。今までスペインのアンダルシアやアラブ世界でこのようなモザイクを見ることが多々あり舞いsたが、製造過程を着たのは初めてなのでとても勉強になりました。
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工房の見学の後はミュージアムの見学に移ります。
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床のタイルまで自家製造のタイルです。オランダの作家エッシャーの世界の中に迷い込んだような気になってきます。デン・ハーグのエッシャー美術館は妻の希望で行ったのですが、素晴らしかったことを思い出しました。
エッシャー美術館:https://4travel.jp/travelogue/11025521 -
壁のタイルや飾られた皿のデザインもみんなエッシャーのだまし絵のように思えてきます。
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置かれてあるのは古い時代に造られた陶器で、どれも販売はされていません。
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青色の釉薬を呉須(ごす)と呼び、焼成することにより釉(うわぐすり)と溶けて青い色を出します。呉須で下絵を書き釉をかけた磁器を日本では染付といい、中国では青花呼びます。天然には黒色で土状の呉須土(鉱物名アスボライトasbolite)として産出する酸化コバルトを主成分とする天然の鉱物で、不純物である鉄やマンガンなどの酸化物が多いと釉の色が青紫色からくすんだ色になります。日本では瀬戸地方に少量産出しましたが、ほとんどを中国から輸入したので唐(とう)呉須とか支那呉須と呼ばれていました。
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現在では呉須の代用として工業的に製出されたコバルトが使われています。ここでも人口のコバルトが使われ、同時に色の釉薬も塗りこむことにより焼成の回数を減らしています。
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幾何学模様と唐草模様の組み合わせがとても繊細で美しいです。
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今回のモロッコの旅ではバスの車窓から見る町並みや建物の意匠、扉の意匠にさえ幾何学模様が組み込まれていることに驚きました。その集大成がモロッコの陶器であり、モザイクへ昇華していくのだと感じます。
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暖炉の常備は段々を設けることによって表面積を増やし、部屋を暖めることに効果があったのだと思います。ラジエター効果が考えられたデザインに用の美を感じます。
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精緻にモザイクが施された応接コーナーに溜息が出ます。
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素朴なこんな蓋物なら欲しいなと思います。モロッコの陶芸で有名なのはメクネス(Meknès)とサフィ(Safi)とフェズ(Fes)の3都市で、この3都市だけでモロッコの全陶器生産量の8割を占めます。その中でも特に旅行者に人気なのがフェズです。
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壁に掛ける大皿よりもサイドボードとかにおける、これくらいのものが欲しくなってきます。
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一度博物館を出て、ショップのコーナーに行ってみましたがその違いにびっくりしました。現在造られている陶器は艶がありすぎていて、描いている絵のクオリティ、絵具の発色も古い物とは全く違います。
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それでも何か欲しいと思える物は無いか必死で探しましたがダメでした。価格とクオリティが釣り合っていません。係りの方がディスカウントしますよと言っても買いたい気持ちが湧いてきません。ワルザザードのアンティークの陶器屋で買っておけば良かったと思います。
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ということで残りの時間も博物館に戻って古き良きフェズブルーの陶器を目で楽しみました。
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モロッコの陶器やモザイクについて学ぶにはとても良い工房でしたが、フェズで陶器を買いたい思いが強かったので最後はちょっと残念でした。
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気を取り直してバスに戻り、いよいよフェズの旧市街の散策に移ります。
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旧市街に向かうと城壁が見えてきました。
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ロータリーにはI LOVE YOU FES」の文字が読み取れます。馬とロバが草を食んでいるというのどかな風景です。
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どこかへに運びに向かうロバがお墓の脇を歩いています。全ての墓石が同じ方向を向いています。これでメッカの方角が分かります。
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「バブ・マルーク門(Bab Mahrouk)」はフェズの古い城壁都市であるフェス・エル・バリの主要な西部の城門です。門の建設は1204年にさかのぼり、カスバ・アン・ヌアルの端に近いボウ・ジェルード広場の北西の角にあります。旧市街のメインストリートであるタラア・ケビラの出発点でもあります。
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現在の門は1204年にアルモハド朝の支配者ムハンマド・アル・ナシルによって建てられ、フェズの城壁や要塞全般が再建されました。元々は正義・法の門を意味するバブ・アッシュ・シャリーアとも呼ばれていましたが、1203-04年にアル・ウバイディと呼ばれるワザニの反逆者の遺体がここで焼かれた後は焼かれた門を意味するバブ・マルークとして知られるようになりました。
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処刑された反逆者の首がここに吊るされることは20世紀初頭まで時折続けられました。死刑囚は処刑の前の丸1日、手首を上に吊るされたこともあったそうです。今日にいたっても門はまだ建っていますが、壁の他のいくつかの開口部が近くに造られ、車両の通過と人々の通行をスムーズにしています。
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母が使っていた「ねんねこ」が同じような紫色だったのを思い出しました。自分が背負われていた時代は記憶はありませんが、弟たちが背負われている後を歩いたことはよく覚えています。
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いよいよフェズの旧市街の中に入り込みました。ここでフェズのガイドさんが合流して案内をしてくれます。実際にはガイドレシーバーで添乗員さんが説明するので、日本語を話さない現地のガイドさんはツアーの最後尾について迷子が出ないように見張っていることになります。
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まだ店開きしていない洋服屋の屋台の下には半身のマネキンが転がっています。店主が来るまでは猫が日向ぼっこする格好の場所になっています。
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皮をむいた杉の丸太を簡単に組んだ屋台がいくつも並んでいます。この辺りは野菜を商う人が多かったです。
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おいしそうな葉付きのオレンジが山積みになっています。
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ベトナムでは女性2人とアヒルが1羽いたら市場になるというような話を聞いたことがありますが、おじいさんが早朝刈り取ってきた野菜が積み上げられ、ミニマムな屋台1軒が出来上がりました。
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シナモンやハーブティーなどの乾物が大きな缶に入れられて売られています。閉店したら蓋をして保管されるのでしょう。
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古い城壁と見張り台の内側に屋台が並ぶ姿は絵になります。
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米やクスクスなど穀物やパスタは運ばれた袋のまま並べられています。そのセンスの良さを感じずにはいられません。クスクスは硬質小麦の一種であるデュラム小麦の粗挽粉に水を含ませ、調理後の大きさが約2mm前後の小さな粒になるように丸めたものです。調理方法としては蒸すのが基本ですが、少量のスープなどを含ませるようにして温める調理法もあります。
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店頭では乾燥させた豆を並べ、調味料から石鹸洗剤のような物まで並べた小さなよろず屋さんです。店自体の奥行きは1メートルもなさそうです。そうやって通路に並べた商品や代を仕舞い込まれるのかが気になります。
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屋台でバナナを吊るして売るのは世界共通のようです。昔は近所の八百屋さんもこんな感じでした。釣銭を入れた籠が吊る下げてありました。
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最近はやりのモロッコインゲンどころではない巨大な豆が売られています。
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八百屋街を抜けると「ブー・ジュルード門(Bab bou Jloud)」が見えてきました。「ブー・ジュルード」という名称は現在の門ができる前から使われていたようで、門を出て西側にブー・ジュルード広場 (Place Bou Jeloud) があることからもわかるとおり、練兵場を意味するBou Jnoudが由来になっています。旧市街の中側の方が朝の太陽光線が当たっていますが、門の反対側にも行ってみます。
ブー ジュルード門 建造物
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迷路のようなメディナを横断し、市の中心部である世界最古の教育機関といわれる「カラウィーイーン大学(Université Al Quaraouiyine)」へとつながるスークの目抜き通りである「タラア・ケビーラ (Tala'a Kebira) 」はこの門を起点としています。
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火薬や大型の大砲が到来した後のフェズのような要塞化した旧市街は、軍事防衛上の重要性が失われました。そのため門は装飾的な存在とななりましたが1912年にモロッコがフランスの植民地となると、市内に行政機関が置かれ旧市街へ入るより大型の門が必要とされました。
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門は3つのU字のアーチを有したムーア式の建築で、上からは銃撃が可能となっています。内側と外側の壁面はアラベスクを描いた多色のタイルで覆われ、外側は青がメインに使われ、内側は緑色を基調としています。
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門を抜けると店や飲食店に囲まれた小さな広場があり、ここからカラウィーイーンやメディナの中心部へ至る「タラア・ケビーラ」や「タラア・セギーラ」へ行くことができます。門の外側からは中央のアーチを通して「ブー・イナーニーヤ・マドラサ」や近くのモスクのミナレットが見えました。
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門の近くには水屋ジュースやタバコを売る小さな売店がありました。観光客が必要なものを集めているようで、フェズの地図なども並んでいます。立ち止まって買っている時間が無いのがつらいです。
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もう現在ではスマホの時代なので公衆電話など使われることも無いのでしょう。その前は絵葉書のスタンドで隠されています。モロッコの郵便料金はまだ安いので絵葉書を出すことができましたが、もうヨーロッパから絵葉書は出せません。絵葉書が1.5ユーロに切手代が2.2ユーロほどなので3.7ユーロで計算しても600円ほどになります。以前は2カ月の旅に100枚くらい絵ハガキを出していましたが心が折れました。
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テカテカに輝いた大きなデーツがいろいろな種類並んでいます。本当はこんな店で量り売りで買いたいものです。乾燥したイチジクには糸が通されていますが、かなり小ぶりのようです。イチジクはやっぱりトルコだと思います。
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新鮮な卵も並んでいますが、パッケージに入っていないのでどうやって持ち帰るのでしょう。子供の頃は近所のお店でも生卵はバラ売りしていたことを思い出します。ニワトリも足をくくられていて大人しくしています。このまま足をぶら下げて家に持ち帰り、自宅で潰すようです。
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メインストリートをガイドさんと添乗員さんを先頭に歩くだけですが、こういった横道に迷い込みたい衝動に駆られます。
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「ブー・イナニヤ・マドラサ(Madrasa Bou Inania)」に到着しました。1351年から1356年にかけてベルベル人の王アブー・イナーン・ファーリスによって建設されており、マリーン朝における代表的な建築物として知られています。
ブー イナニア マドラサ 史跡・遺跡
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マドラサ( Madrasa)とはイスラーム世界における学院のことで、元々は単純にアラビア語で学ぶ場所や学校を意味するだけでしたが、11世紀に制度を確立しイスラーム世界の高等教育機関として広く普及しました。
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フェズにある世界最古の大学として有名なカラウィーイーン・モスクの宗教学者がアブー・イナーン・ファーリスにマドラサを建築するよう進言したとされます。この「ブー・イナーニーヤ・マドラサ」はマリーン朝において最後に建築されたマドラサとなりました。
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「ブー・イナーニーヤ・マドラサ」はモロッコにおいてイスラム教信者以外の観光客が観光できる数少ない宗教施設となっています。トルコなどでは服装に注意すれば男性も女性もモスクの見学ができますが、モロッコでは一切見学できないことが分かりガッカリしました。
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我々の入ってきた「タラア・ケビラ」通り側の入り口には漆喰の装飾で囲まれた馬蹄形のアーチの出入り口がありました。階段は玄関に通じており、直接中庭に続いています。玄関はマドラサの他の部分と同じ豪華な装飾で覆われており、精巧なムカルナに彫られた杉の木の天井があります。
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入口の左右にある神学校の扉はとあされていますが、その大きさと精緻な彫刻に驚かされます。
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中庭の正面にはお祈りのためのスペースがあり、中央の壁面にはメッカの方角を示すミフラーブ(Mihrāb)が見えます。
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室内の「漆喰装飾」はイランとギリシャローマの地中海の地域で古代より使用されていました。 イスラム建築では漆喰装飾は7世紀後半から8世紀のウマイヤ朝時代に登場し、イラクのアッバース朝の下で9世紀にさらなる革新と一般化を受け、その時点でイスラム世界全体にさらに広がり、地域の建築様式に組み込まれました。
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「ブー・イナーニーヤ」はフェズにおいてミナレットを持つ唯一のマドラサでもあります。マドラサの正門から続く道の反対側には沐浴場があり、中庭の左右の建物が神学校の教室となっています。
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一見誰もいないようですが、実際はいくつかのツアーが見学に訪れています。中国系の方々は撮影の良いポイントに長々と占拠して写真を撮っているので困ったものです。
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ようやく空いたところで1枚記念写真を撮りました。
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一定時間が経つと係員の方が「香港、台湾の観光客は外に出てください。」と声を掛けています。それに続いて我々も表に出ます。
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世界一の迷宮といわれるフェズのメディナの散策はまだまだ続きます。
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2024/01/31~
フェズ
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JTB 異世界への誘いモロッコ9日間(12)迷宮都市フェズを現地ガイドの案内で彷徨い歩き、なめし皮工房のタン...
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JTB 異世界への誘いモロッコ9日間(13)迷宮の喧騒を逃れてパレス・マネビでモロッコ料理を堪能し、モロッコ...
2024/01/31~
フェズ
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JTB 異世界への誘いモロッコ9日間(14)フェズから緑豊かなモロッコ北部を走り抜けシャウエンに至り、早朝の...
2024/01/31~
シャウエン
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JTB 異世界への誘いモロッコ9日間(15)本当にあったモロッコの青い町を彷徨い歩き、ようやく買い物を楽しむ...
2024/02/01~
シャウエン
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JTB 異世界への誘いモロッコ9日間(16)シャウエンからロバとヒツジに見送られ、ラバトを経て最終地カサブラ...
2024/02/01~
ラバト
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JTB 異世界への誘いモロッコ9日間(17)霧のハッサン2世モスクを見上げて、中央郵便局から絵葉書を投函して...
2024/02/02~
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JTB 異世界への誘いモロッコ9日間(18)カサブランカからの帰路はドーハで成田便に間に合わず、羽田便に振り...
2024/02/03~
ドーハ
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3.42
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旅行記グループ 2024モロッコの旅
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