2024/01/31 - 2024/01/31
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/01/31
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フェズ旧市街の観光4時間を終えてバスに乗りシャウエンに向かいます。お昼とミントティーの休憩はありながら約4時間の散策だったのでかなり歩き疲れました。バスは北に向かって走りますが、アトラス山脈の荒涼とした風景とは全く違った気候帯に入ったのだと車窓の景色を見ていても感じます。緑豊かな丘陵地帯は果樹や畑が広がり目にも優しいです。午後遅い時間になるとは畑仕事を終えたトラクターが街道を走り、ロバに乗った人々の姿も多く見られます。また牧羊も多く見かけるようになります。2時間ほど走ったところで一度トイレ休憩があり、残り3時間ほどは停車することも無くシャウエンへ走り抜けます。シャウエンへの少し前に「ルッコス橋(Pont du Loukkos)」を渡りました。ここはモロッコ北東部のシャウエン近郊のタンジールへ向かう道中にあり、1912年から1955年までのフランスの保護領であった領土とスペインの保護領の間の税関として使われている場所です。現在は橋と過去の税関の建物だけが残されていました。「シャウエンに着きました。」というアナウンスがあり、手回りの荷物を持って降りるとそこはモロッコの普通の地方都市のような感じがします。バスを停車できる場所は1カ所に限られているようで、そこが空くまで町の中をぐるぐる走り回りました。トランクはホテルのバンが運んでくれますがシャウエンの旧市街へは15分ほど歩かなければなりません。午後8時過ぎた旧市街に入ると観光客向けのお土産物屋に人が賑わっていますが、そろそろ店じまいのようです。ホテルはカスバのある広場の先にある「ホテル・パラドール(Hôtel Parador)」でした。お腹も空いているのとホテルのレストランの営業時間もあり、部屋に荷物を置いた後はすぐにレストランに集合になります。これまでのホテルの料理と変わらないビュッフェスタイルだったので、表のレストランへ食べに行こうかとも思いましたが、旅も終盤になり疲れもあったのでそのまま食事を済ませました。翌朝になって部屋の窓から表を見るとシャウエンの旧市街の背後にある「ティソカ山(Jbel tissouka)」と「ラクラ山(Jbel Lakraa)」が見えます。「シャウエン(Chefchaouen)」の名前の由来は、その頂上が角を形成する2つの重要な山のふもとにある「2つの角」から来ています。朝食を食べた後はガイドさんの案内で旧市街を散策しますが、まだ店も開く前の観光客が歩きだす前の時間帯は空気すら青く染まったようで幻想的な風景を見ることができました。1時間ほど旧市街を散策した後は今回初めての街中での自由時間になりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
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フェズ旧市街の観光4時間を終えてバスに乗りシャウエンに向かいます。お昼とミントティーの休憩はありながら約4時間の散策だったのでかなり歩き疲れました。
フェズ旧市街 旧市街・古い町並み
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フェズからシャウエンへの道はさらに北へ向かうので車窓からは果樹園や緑濃い畑などが見えています。
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美しい丘陵地帯を走り抜けますが、バスは法定速度を守っているので日本の高速道路を走っているよりはゆっくりな感じがします。一般道ということもありますが、集落の入り口にはバンプがありますし、速度違反の取り締まりはかなり頻繁に行われているようです。
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整然と並んだ樹木はオリーブの若い木のようです。町中にはオレンジなどがあふれんばかりに打っていますが、果樹園はほとんど見ることがありませんでした。
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突然荒涼とした大地が現れますが、耕作のためのトラクターが入った筋があるので、これから何かを植えるところなのでしょう。
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トラクターのお出ましです。国道4号線N4を我が物顔で走っていますが、スピードは出ません。
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フェズから30キロほど進んだところに「バラージュ・シディ・シャウ(Barrage Sidi Chahed)」という人造湖がありました。
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荒涼とした荒地の中にスカイブルーの水をたたえた姿はこの世のものとは思えない美しさです。
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ジン族この水は蜃気楼のように消えてしまい、その先は不毛の大地が続きます。
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しばらく走ると再び北モロッコの美しい風景に戻ります。この辺りまでは地中海性の気候が入り込んでいるようです。
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おじさんが2人ロバに乗って畑の中を進んでいます。1人は横すわりで、1人は跨っています。何か理由があるのだろうかと思う間もなく通り過ぎてしまいます。
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この日はバスの最前列の席に座ったので前方の景色が良く見えました。羊たちは畑の作物を食べないで道草ばかり食べているのが不思議です。
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完全な耕作地になってしまうと牧羊は出来ないようで羊たちの姿を見ることはありません。
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唯一オレンジが生っている果樹園を通過しました。
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セガンティーニの絵画から抜け出してきたような羊飼いと羊たちです。この辺りの道路標識にはベルベル文字が無くなり、アラビア語とアルファベット表記だけになりました。
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父親の後をついている息子は羊飼いの仕事よりもスマホの方が気になるようで、手元ばかり見ています。
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2月だというのに台地は淡い緑色に覆われ、トラクターで耕された跡にも新たな芽吹きがあるのでしょう。
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荷車を牽いたバイクの後ろにはおばさんが乗っています。その後ろを走る乗用車の屋根にはたくさんの荷物か括り付けられています。
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その後ろの赤いバンの屋根にはスタッキングの椅子が積まれています。日本ではすれ違わないような車たちに興味は尽きません。
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テトゥアン以外聴いたことも無い地名ですが、この先で国道13号線N13と県道P4516の分岐点だということが分かります。
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たくさんの荷物を積んだ荷車をロバが牽いています。おじいさん2人が乗っているようで、デヴィッド・リンチ監督の「ストレイト・ストーリー(The Straight Story)」という映画の1シーンのように思えました。10年前からの不和が原因でずっと会っていなかった兄が倒れたという知らせが届き、兄が住む家までの350マイル(約560kmを芝刈り機に乗って1人で会いに行くという73歳の老人の物語です。アンジェロ・バダラメンティの音楽が頭に浮かんできます。https://www.youtube.com/watch?v=cZTpTFb7xE0
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久し振りに牛を見た気がします。その後ろには白馬に乗った牧童が後についています。ロバだけでなく馬も跨がないで乗るのだと知りました。横乗りスタイルはサイドサドルという専用の鞍が必要ですが、そんな様子もありません。牛は暑さに弱いのでこの辺りの気候が温暖であるということが分かります。
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元々はこのような荒地だったところをここまで開墾したのでしょうか。人の手の入った風景の美しさの裏には恐ろしいほどの人の苦労があるのだと思います。
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サンダル履きの小さい子もロバに乗ってお使いなのでしょうか。
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オリーブ畑の草地には牛が遊んで草を食んでいます。除草剤を使うことは出来ないだろうし、草刈の代わりに動物に草を食べさせ、糞は栄養になるという循環が完成されています。
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日本でもながらスマホは危険ですが、ロバに乗っている場合はどうなんでしょう?若者のほとんどはスマホを片手に持っています。
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こんな道路沿いの草を食べさせて車との接触事故など無いのか心配になります。牛も羊も我関せずといった感じで下を向いています。車も徐行する様子もありません。インドだと牛たちは我が物顔で道路を横断するので怖いです。
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仕事を終えて帰路につくトラクターは穏やかな雰囲気で話も弾んでいます。
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また小さい子がロバに乗っています。水汲みなのか大きなタンクを2つ積んでいます。
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バンの後ろのドアは閉め忘れたのか?それとも暑いから開けてあるのか?確かめることなくバスは右折してトイレ休憩になりました。「ブドルア・ブニ・コラ」の近くのホテル・リフ(Hotel rif)のレストラン「ラ・ペルゴラ(La Pergola)」というところでした。
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ロバに乗った若者のほぼ全員がスマホをいじりながら脇見運転です。きっとロバは毎日歩く道なので自動運転になっているのだと思います。
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予定の4時間30分は過ぎようとしていますが、まだシャウエンには着かなそうです。だいぶ太陽も傾いてきました。
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午後6時になって「ルッコス橋(Pont du Loukkos)」に差し掛かりました。ルッコス橋は1912年から1955年までフランスの保護領であった領土とスペインの保護領との間の税関として使われていました。現在は橋のたもとに大きな看板と誰もいない建物が残っているだけです。
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午後7時過ぎにシャウエンの新市街に着きました。バスを停める場所は1カ所しかないようで、先に来たツアーバスが荷物と人を降ろすのを待ちます。そのために同じような所を2周して時間を潰しました。
シャウエン旧市街 (メディナ) 旧市街・古い町並み
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トランクなどの大きな荷物はホテルのスタッフが晩で迎えに来て付き込んでいきます。手回りの荷物だけを持って旧市街へのゲートを潜ります。旧市街へのゲートは「バブ・エル・アイン門(Bab el-Ain)」という名前でした。プレートにはムーレー・アリ・ベン・ラシッド1471年から1511年の治世中にって建てられたとありました。
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旧市街に入った途端に青い世界が広がります。まだ店が開いている時間だったので、周りが気になってしまいます。
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ただ、多くの店は午後8時には閉まってしまうようで、遅い時間に到着した我々に夜の街歩きの時間は無さそうです。
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小さなお菓子屋さんは段ボール箱を上手に活用して商品の陳列に使っています。
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だらだらの坂道を上がった先の「ハマム広場(Place Outa el Hammam)」には「グラン・モスク」があり、ちょうど礼拝の時間のようでたくさんの人が集まっています。その横は現在は「カスバ博物館」になっている城塞の建物があります。
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そしてその奥にはこの日宿泊する「ホテル・パラドール(Hotel Parador )」があります。
ホテル パラドール ホテル
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まずはロビーに入り、鍵を受け取って部屋に向かいます。荷物を置いたらすぐにレストランに集合となります。
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部屋は地方都市にありがちなシンプルな部屋です。小さな新宮rベットが2床置かれているほかはテーブルとソファがあるだけです。
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若い頃にバックパッカーで旅していたイタリアで3000円くらいで泊まっていたホテルを思い出します。
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狭いバスルームですがシャワーブースもきちんとしてお湯も豊富に出たのでストレスはありません。
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シンプルな洗面台にはドライヤーもあり、昨日的には申し分ありませんが、トイレが狭いスペースに押し込まれています。
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遅い時間の夕食は料理のすりゅいも少なく、これまでずっと食べてきたのと同じような料理でした。ハリラスープとビュッフェからプレートに料理を盛りつけます。
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サラダとチキンと野菜は美味しかったのですが、表のレストランはまだ開いているので外へ食べに行っても良かったと思います。ただ旅も終盤に差し掛かり、部屋でゆっくりしたいという気持ちもありました。
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翌朝部屋の窓の外を見てみると旧市街の背後の山々が近くに迫っていました。
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シャウエンの旧市街の背後にある「ティソカ山(Jbel tissouka)」と「ラクラ山(Jbel Lakraa)」が見えます。「シャウエン(Chefchaouen)」の名前の由来は、その頂上が角を形成する2つの重要な山のふもとにある「2つの角」から来ています。「Bouzafer Mosque」という名のスパニッシュモスクはシャウエンの創設者であるアリベンラキッドによって15世紀に建てられました。
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ホテルには屋外プールがあり、きれいな水も張られていますが、さすがに山間部の2月では寒くて水を触る気にもなりません。
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レストランの朝食はまだ準備が終わってなく、オートミールのようなものとデニッシュくらいしかありませんでした。午前8時には荷物出しがあり、8時30分からガイドさんと一緒にシャウエンの旧市街の散策が始まります。
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表に出てみて初めてホテルの建物も鮮やかな青だったことに気が付きます。
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ホテルの奥の薄い水色の建物は「Ensemble d'artisanat complexe」という工芸品の展示場のようですが、まだ朝早いので扉は閉まったままです。
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ホテルの近くの売店の壁にポストがあったのでここまでの数日分の絵葉書を投函しました。シャウエンのタクシーは建物と同じような水色に染まっています。これは保護色の一種なのだろうかと思ってしまいます。
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シャウエンの町の起源は1471年にムーレー・アリ・ベン・ラシッドがモロッコ北部へのポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として建設されたことから始まります。この地域にもともと住んでいたゴーマラ族と多くのモリスコ(カトリックに改宗したイスラム教徒)とユダヤ人がスペインによるレコンキスタ(国土回復運動)の後にここに定住しました。
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建物が青く塗られたのはユダヤ教で青が天や神を示す神聖な色であることに由来するとの説もありますが、1950年代頃までは白い建物が多かったようです。真っ白な建物は熱を反射して建物が暑くならないのは良いですが、反射が目に強いためにわずかに青を淹れて目を保護し、それが定着してさらに青みが増したという説がもっともらしく思えます。
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イスタンブールのスルタンアフメットの公園でも見掛けたごみ箱がここにもありました。地上に見えるゴミ箱だけではなく地下まで巨大なゴミ箱になっているタイプで、クレーン車のような専用の車でないとゴミが回収できません。
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ッ後8時30分になってガイドさんとともに旧市街の散策に出ます。レストランはおろかお土産物屋さんも開いていない時間に歩いてと思いましたが、シャウエンの本当の姿を見るにはちょうど良い時間だと気が付きました。
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夜が明けてようやくシャウエンの青い建物をリアルに感じられ舞う。そしてその青の種類の多さにも驚かされます。統一された色ではなく個人の好きなブルーに建物を染め上げるようです。ギリシャのサントリーニ島では水色やブルーの色見本があって指定されていましたがここはおおらかです。
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「フォンダック・エル・フキ(Fondak El-Fuki)」という建物は10世紀に建てられたこの町唯一の旅館がありました。現在の建物は16世紀に建てられました。
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現在では芸術作品を作るために日々働いている商人や職人が使っているようです。内部は巨大な回廊で囲まれた2階建てで大きなアーチが掛けられています。建物の構造を見ると昔の旅館というよりは隊商宿のような機能があったのではないかと感じます。
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店も開いていなく誰も歩いていない路地を進むのは楽しいものです。商品や看板がない分シャウエンの町の美しさを直に感じられそうです。
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レストランの奥からは朝食の料理の準備が進んでいるようで、いい匂いが漂っています。
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1回は焦点になっていますが、上の階には人が住んでいるはずですが、そんな人の気配も感じられないシャウエンの朝です。
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ほとんどの店がまだ開店の準備すらしていませんが、中には準備が終わった店もありました。もっとも陳列しやすい商品だということもあるのでしょう。
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縦横のバランスが非常に美しい木製の扉です。黒い鋲が等間隔で打たれてありますが、色が塗られていないことに疑問が湧きます。扉を塗り替えするときに鋲は全部外さないとこのようなきれいな状態になりません。この家の家主の美学を感じた一瞬です。電気のメーターや電気のメーターボックスも全部塗り込められています。塗られるたびに電気会社は必要な番号をマジックで書きなおすのでしょう。
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この家の主は鋲を塗りこんでしまいました。一bペンキがはがれた鋲の頭は黒いのでそれが基本のようです。電気のバンを扉と同じにしたのはこの家の主の美学なのでしょう。
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この家の扉は鋲を打たずに扉前面にジオメトリックなデザインが彫刻されています。元々はカラフルに塗り分けられていたのかもしれません。そろそろ塗り替えを考えている頃だと思います。
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こちらは少しペパーミントが入ったブルーというよりはグリーンに近い扉の色です。四角い観音開きの扉は建物の中側に開きますが、内側の小さい扉は外に開くようになっています。扉を塗り替える時に黒い金具を外すのかが気になります。ドアノッカーの八芒星のデザインは開運を呼び込む幸せの形状とも言われています。魂や光を現す八芒星は能力をアップさせるという意味があるとされています。八芒星はベツレヘムの星でもあり、イエス・キリストの誕生の際に、東方の三博士をベツレヘムに導いた聖なる星として、キリスト教の多くの絵画や教会の中でも見られる形です。黒い金具の形も魚のモチーフのようで、魚だとするとキリスト教に由来するデザインだと思いますが、これ以上はこの家の人に尋ねないと分かりません。
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「アル・ケニトラ広場(Plaza Al-Kenitra)」はアンダルース地区の主要な広場だと書かれています。やはりシャウエンはスペインのアンダルシアからの移民に由来する町なのだと感じます。
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妻とはバルセロナをスタートしてコルドバとグラナダとセビリアとマドリードを3週間かけてゆっくり旅しましたが、モロッコに来る前にアンダルシアをじっくり見ておいて良かったと思います。
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シャウエンは安全な町なのか扉が開いたままの家を数多く見かけました。
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1920年にスペインはこの地をスペイン保護領モロッコとして占領しました。昨晩通過してきた「ルッコス橋(Pont du Loukkos)」がその名残です。1956年のモロッコ独立によりモロッコの都市となりました。先ほど見た扉もその頃に造られたのかもしれません。
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またシャウエンはタンジールやスペインの飛地であるセウタに近く、スペインからの観光客にもなじみがあるようです。もっともシャウエンの人気は世界レベルになっています。
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青く塗られた壁や扉には何色の商品を置いても絵になってしまいます。面白そうなものは目星をつけておいて、後程の自由時間で再び戻ってくるつもりです。
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この扉は塗り替えているうちにハンドルも鍵穴までもが青くなってしまいました。アクセントの菱形はモロッコでよく見かけるデザインです。ただの幾何学模様で会って意味は無いとガイドさんが行っていました。
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シャウエンの町で床まで青く塗られた通りは行き止まりだという意味があるようです。いったいどれくらいの頻度で塗り替えをするのでしょう。数日この町に滞在してペンキ塗りをしてみたい気もします。
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モロッコはイスラム教徒が大半を占める国のひとつで、イスラム教の開祖であるムハンマドが猫を愛したことから、猫は神聖な動物としてムスリムには大切にされています。これがインドだとヒンドゥー教が多いこともあり、犬は大切にされますが、猫は姿も見えません。
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この通りは1階だけではなく2階までもが青く塗り込められているのでそのまま空まで青く染まっています。行きをする空気までもが青く染まっている感じがします。
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ようやく人の気配がしてきました。
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一番青かったのがこの袋小路でした。間違いなく突き当りから先へは進めません。
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小学校は新市街にあるようで、子供たちが階段を下っていきます。
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小さい通りには名前が付いていますが、ここまで青で塗られていると名前の意味も霞んでしまいそうです。「Avenida」というスペイン語を見るとアンダルシアとの関係の強さを感じます。
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この先を下って行ったら先に薦めるのか躊躇してしまう路地です。
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突き当りの家は売り家の看板が出ています。これまでどんな歴史があって、どんな理由で売りに出されたのでしょう。
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ここまで青くするなら屋根瓦も塗り込めてもいいのではないかと思います。なぜここだけこだわって塗らなかった理由が知りたいです。
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通常はジェリージュノモザイクタイルで覆われている水飲み場もこの通り無理込められています。壁の上部にはクルアーン(コーラン)の一節の言葉が書かれています。八芒星の意味は分かりましたが、1/4の菊の御紋のようなデザインの意味は何なんでしょう。ドアの隅にもよく見かけるので意味はあるのだと思います。
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家によってはかなり濃いブルーを使っているようです。カサブランカら最初に訪れたマラケシュの「マジョレル庭園(Jardin Majorelle)」の青を思い出させます。今回はダイジェスト版みたいなツアーでしたが、走り抜けた車窓の光景は一生忘れないと思います。
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通りに面した小さい広場は世界中から訪れる観光客を意識したイラストが描かれています。伝統的な衣装を着た女性が出迎えてくれています。
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世界中と言いながら中近東周辺のイスラム教の国々が多いようです。
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残念ながらこんな風景を見ることはありませんでした。
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この家の扉は2色に塗り分けられています。ドアノッカーには幾何学模様が描かれています。幾何学模様を愛しながら扉や扉の枠が歪んでいても大丈夫なのはなぜでしょう。
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旧市街の路地の裏には必ずと言っていいほどゲストハウスがあるようです。こんなところに数日泊まってもいいなと思います。
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入口の軒は水平を保たれているだろうと思ってシャッターを押していますが、いろいろな部分で歪み生じてつじつまが合わなくなります。
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町に住みついている猫に見張られているような気になってきます。
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ハートのモチーフの元になったのは植物の種で、紀元前7世紀頃のギリシャ人の植民地で栽培されていたシルフィウムというハーブの種がハート型をしていたことから当時発行された銀貨に刻印され、モチーフが広まったといわれています。ハート=心臓として描写されるようになったのは中世からで、中世では心臓は感情を司る器官であるとされていたことから愛情表現として多くのハートモチーフが描かれました。
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美しい幾何学模様のアイアンワークです。防犯上の柵をここまで美しくする必要があるのだろうかと思ってしまいます。これらの鍛冶職人の技術は17世紀にアンダルシアからもたらされました。
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この扉は一度水色に塗った後に1つ1つの鋲を黒く塗っています。やはり住む人なりのジレンマがあるようです。この家には50と番地が振ってありますが、ほとんどの家に表札も番号もありません。
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アパートの扉には魔除けの五芒星が見えます。
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ガイドさんの説明を聞きながら記念写真も撮っておきます。人が少ない時間帯は貴重です。
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この家の入り口はこれまでに何度塗り替えられたのでしょうか。元々のデザインがどんなものだったのか分からなくなっています。
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「バブ・エル・スーク(Bab El Zoco)」はシャウエンを囲む城壁に設けられたメディナの門の1つで、ムハンマド・ベン・ラシッドの時代に造られました。門の名前は毎週月曜日に開かれた市に因んでいます。
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再び門を潜って旧市内を散策します。
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この家の家主が几帳面な性格なのはこのファサードを見ればわかるような気がします。
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この階段を降りて行ったら息が詰まりそうな気がします。全てが青く染まった世界は水中にいるような錯覚を起こさせるようです。
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微妙に歪んだ町の中を歩いていると平衡感覚まで狂ってきそうです。
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「バブ・エル・スーク・モスク(La Mezquita Bab El-Suk)」
このモスクは1908年に地域の住民によって建てられました。美しい6角形のミナレットが美しいです。 -
同じホテルで見掛けた女性2人が迷子になってしまったようで、ガイドさんに助けを求めてきました。それほど分かりにくい道ではないと思いますが、方向音痴の人はいるのだなと思います。
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1時間ほどのガイドツアーを終えた後は2時間弱の自由時間になり、シャウエンの町を散策することができます。ようやくモロッコで自由に買い物が出来るようになりました。
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