2024/01/28 - 2024/01/28
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kojikojiさん
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サンローランの「マジョレル庭園」を見学した後はバスに乗って、「クトゥビアの塔」に向かいます。ところが宿泊していたランナーも出ているマラケシュ・マラソンの選手が市内を走り回っているせいでどの道の大渋滞です。ちゃんとしたマラソンランナーから仮装ランナー、子供まで入り乱れ、道路の規制もちゃんとしていないので大渋滞です。かなり遠回りして到着して離れた場所から塔に向かいます。写真撮影のポイントには「ゲラブ(guerraba)」という伝統衣装を着た水売りのおじさんが数名います。彼らがヤギ革の水筒を斜め掛けにして、真鍮製のカップを幾つも持ち、伝統的な赤い衣装とタッセルの付いた笠を被っています。昔は実際に水を売って生計を立てていましたが、現在はこの姿で写真を撮るモデルとして生計を立てていると「マジョレル庭園」で買ったストリートの商売の絵本に書いてありました。「クトゥビアの塔」の周りでは偽物のブランド商品や、訳の分からない絵画やサングラスやキャップが売られています。昔は風呂敷のような布の上に商品を並べて、取り締まりがあると布ごと丸めて一目散に逃げていましたが、商売も変わってきているようです。続いてガイドさんの後ろについて「旧市街(Medina)」の中をそぞろ歩きます。先頭を添乗員さんとガイドさんが歩き、後方には一応旅行会社で用意したメディナのガイドさんがついてくれます。この日とは案内するというよりは間にいる人が迷子にならないように見張っているという感じです。30分くらいで一通り歩くだけなので買い物などは出来ないのがちょっと残念です。迷路のような通りを抜けると「ジャマ・エル・フナ広場」に出ます。昨晩は屋台で埋まっていた巨大な広場には飲食の屋台は1軒も無く、余計に広く感じます。24時間プラス3時間の移動の後による見学しなければならなかった理由が分かります。ミントティーを飲んだカフェに寄ってトイレを借りてバスに乗って「アイト・ベン・ハッドゥ(āyt bin ?addū)」を経由してワルザザードまで移動します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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この日は朝からマラケシュ・マラソンが開催されていて市内はどこもランナーだらけです。今年で34回を数える歴史ある大会で世界中から12000人のランナーが集まり、マラソンとハーフマラソンなどいくつかのコースがあるようです。
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交通規制はされていますが、交通整理はされていないので人が途切れるまで車は停まったままです。本格的なランナーから一般ランナー、仮装ランナー、子供たちが一緒に走っているので途切れる様子はありません。
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マラケシュの旧市街の外周の道路も交差点はフランスに倣ったのか多くがロータリーになっていました。その多くは噴水になっていました。
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イスラーム庭園の起源は中東で特にペルシアにあるとされます。乾燥した砂漠的風土においては自然は人を守るよりも敵対する要素としてみなされました。酷暑や熱風や砂嵐や炎天といった厳しい自然から身を守り、快適な環境を得るためには外界の自然から隔離された避難所(サンクチュアリー)を作らなければなりませんでした。こうして塀や建物で囲まれ涼しい木陰と水とを配した庭が求められ、これを「パイリダエーザ」と呼びました。
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イスラーム教を創始したムハンマド(マホメット )は「クルアン(コーラン)」の中で敬謙な信者に約束された来世の庭園、すなわち天上の楽園について 繰り返し語っていますが、それは こうした中東庭園をモデルにしたものでした。この「パイリダエーザ」がヨーロッパに伝わって、楽園を意味する英語の「パラダイス」の語源となります。
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現代は「クルアン」の中のパラダイスではなく、新しいパラダイスがヨーロッパの国々からやってきています。
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マラケシュは旧市街であるメディナと新市街に分けられます。旧市街はイスラム支配下時代から続くもので、新市街はフランス人によって造られたものです。その境界には東西2キロメートル、南北3キロメートルの城壁に囲まれており、かつては北アフリカ最大のイスラム交易都市として、学問・政治・経済の中心として繁栄を誇りました。
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マラケシュとはベルベル語で「神の国」を意味しています。ベルベル語とは古来より北アフリカを中心に住んでいたベルベル人の言葉で、マラケシュを支配したムラービト朝もベルベル人の流れを汲んでいます。
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12世紀のムラービト朝のユースフ・ブン・ターシュフィンによってマラケシュは整備され始め、モスクなども造営されました。1120年にクバ・アル・バディンの霊廟も建設されていましたが、次のムワッヒド朝によりムラービト朝時代の建物はかなり破壊されます。前王朝の建造物を破壊して新たなものを造り直すのが当時のイスラム王朝のやり方でした。
クトゥビーヤ モスクとミナレット 寺院・教会
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1147年にムワッヒド朝の初代アブド・アル・ムーミニーンによりクトゥビーヤ・モスクが建設され、第3代ヤアクーブ・マンスールがこのミナレットを建て、それは今も旧市街のシンボルとなっています。
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この「ララ・アナ公園」は観光地では無いようで、どちらかというと市民の憩いの場所といった感じがします。いくつかの噴水と水路が設けられていますが、過去のイスラム庭園やペルシャの庭園のチャールバーグ構造の影響も受けていないようです。
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「ゼリージュ(Zellige)」と呼ばれる細かく切ったタイルを組み合わせて幾何学デザインにしたモザイクタイルで覆われた噴水やその周辺の地面が覆われていてとても美しいです。この伝統的なタイルはアトラス山脈から採取された淡色の粘土から造られています。 天然の土素材を水で練り手で形を整えて天日乾燥させ、最初の素焼きでの焼成後にタイルごとにさまざまな色や色合いの釉薬が掛けられます。
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最終段階は釉薬をかけたベジマットと呼ばれる方形のタイルをさまざまな形やサイズのタイルに切断します。パーツの施釉面をして素焼き面に石膏を流し込んで、再びモザイクタイルの状態が出来上がります。「ゼリージュ(Zellige)」はフェズの町で工程を見学することができました。
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「マジョレル庭園(Jardin Majorelle)」のブックショップで買ったモロッコのストリート・トレードを紹介する絵本には「ゲラブ(guerraba)」という伝統衣装を着た水売りのおじさんについての紹介もありました。
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伝統的に「ゲラブ」は赤いジェラバという衣装とそれに合わせた大きな華やかな帽子をかぶっています。山羊皮の袋「ギリバ(girba」に入れた冷たい真水と水を提供するための真鍮のカップを持っています。
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彼らは通常鐘を持っていて、通行人の注意を引くために宗教的なテーマや水の良さを説明しながら呼び込みをしています。歴史的には半慈善活動として実践され、水を必要とする人には無料で与えていましたが寄付も受け付けていました。現在は水の販売よりは記念写真でのチップ収入を生業としているようです。
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マラケシュには2つのガラブのグループがあり、1つのグループは居住区に水を配り、ロバの肩や背中に皮を乗せて運びました。水は「ムアシン・モスク」にあるマラケシュのメディナで最大級のムアシン噴水のものが使われました。
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もう1つのグループはスークやジャマ・エル・フナなどの公共広場に焦点をあて、噴水ではなく「アイン・エル・アッバシヤ」などの湧き水から水を供給しました。これらのガラブは通常はトウドガ地方の出身者でした。
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エジプトの「ハン・ハリーリ」で見掛けた水売りのおじさんです。水を売るという職業はモロッコからエジプトまで、北アフリカ全土に存在していた商売のようです。6月にはチュニジアへ行く予定なので、水売りのおじさんを探してみようと思います。
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「フェズ( fes)」は頭頂部から房の垂れ下がったつばのない円筒形の帽子を差します。色は赤やえんじ色であることが多く、「フェズ」という名前はモロッコの都市フェズが由来です。日本ではトルコ帽と呼ばれることが多く、またエジプトなどではタルブーシュと呼ばれます。19世紀から20世紀初頭にかけてオスマン帝国とその周辺地域で流行しました。1925年のトルコ革命以降はフェズはトルコ人男性の衣服の一部ではなくなっています。
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絵本ではこういったコーヒーやお茶売りの紹介もしています。
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説明文は現代の風習にアレンジしてあるので「モバイル・コーヒー売り」なんてタイトルになっていて面白いです。マラケシュには1910年に創業した有名な「パシャ・コーヒー(Bacha Coffee)」があります。「ダル・エル・バシャ宮殿」は現在は博物館になっているようです。この時はコーヒーを買うことも出来ませんでしたが、4月に行った香港の空港にはショップがありました。
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「クトゥビヤ・モスク(Kutubiyya Mosque)」の最上段が工事中なのはビジュアル的には残念な姿ですが、修復工事の足場の組み方や作業がよく分かって面白いです。頭頂部の3つの黄金の玉はエルサレム・メディナ・メッカを意味しているそうです。
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公園にはヤシの木やオレンジが実り、エキゾチックな雰囲気です。ここのオレンジも美味しくないので誰も取ったりしません。スペインのアンダルシアを旅した時のことを思い出します。
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駐車禁止マークの中に門司が書かれてあるので、グーグルレンズで訳してみると「観光バス専用駐車場、バス1台当たり10分を越えないこと。」と書かれてありました。
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路上にはいろいろな商品を売る人たちがいます。ここであれば木陰に座って商品とお客を見ることができます。彼の持っているベットマットのようなものにはサングラスがたくさん差し込んであります。伝統的な職業以外にも時代に沿った商売も生まれています。
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旅行好きだった父がお土産に一番喜んでいたのが地名の入った帽子でした。それを被ってデイサービスに行って、息子夫婦がどこへ行ってきたかを話すのが楽しかったようです。
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現代の水売りはこんな姿に変わりました。暑き季節であればいい商売かもしれませんが、涼しい12月では買う人の姿もありません。「クトゥビヤ・モスク」のミナレットの影が移動するとこの屋台も移動するのでしょうね。
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表通りには見事なブーゲンビリアが咲いています。右に進めば「ジャマ・エル・フナ広場」ですが、旧市街(Medina)の「スーク(souq)」を散策するので左手に進みます。
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「スーク(Souk)」では旅行会社のスルーガイドさんとは別に現地のガイドさんがついてくれます。英語でもましてや日本語が話せるわけではなく、地元の雇用を確保するための法律もあるのだと思いますが、役目としては最後尾について迷子防止の意味合いが強そうです。
マラケシュ スーク 市場
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モロッコの国旗のデザインの円筒形の缶が可愛らしいです。下段中央の2缶はロックソルトで、現地では食用に販売されています。古生代の岩塩なので硬くて溶けにくいみたいです。その左のカラフルな円形の編み物は洗顔用のパフです。昔はボディ用のものだけでいsたが、25年も経ったらタジン鍋の蓋のような姿になっていました。
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「レ ジャルダン ドゥ ラ クトゥビヤ(Les Jardins de la Koutoubia)」という美しい外観のホテルがありました。こんなホテルに宿泊して夜遊びに繰り出したかったと思います。
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観光客向けでない商店は缶もいたって普通です。売っていたのは数種類のクルミとアーモンドです。ドライイチジクもありますがかなり小粒です。昨年のクルーズで行ったイスタンブールではエジプシャンバザールに行く時間が無くて大きなドライイチジクが買えなかったのが今でも残念です。
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店の右手では色も大きさも違うオリーブが売られています。こういうところで試食しながら買い物したかったです。
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カボチャの種にジャイアントコーン、ローストしたアーモンド、ピスタチオくらいは分かりますが店の人に尋ねるひまもありません。
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「バブーシュ(Babouch)」はモロッコの伝統的な履物で、ヤギ・ヒツジ・ウシ・ラクダの革や布を素材に用いて手作業で成型して縫合したものです。バブーシュの名はペルシャ語の「足を覆うもの」に由来とするといわれますが、アラビア語ではバルガと呼びます。形状は靴のようですが踵を踏んで履く履物です。
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モロッコは「デーツ(Date)」が有名です。乾燥したナツメヤシや柔らかい実のことですが、アラブ世界ではとても好まれ中東系の航空会社で本国を経由すると免税店でこれでもかというほど売っています。値段もピンキリで高いものが上品な甘さで美味しいです。
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タジン鍋の形をした小物入れはマルシェバックから派生したものでしょうか。モロッコ西部のエッサウィラなど大西洋岸に生息する「アブダ(Abda)」という丈夫でコシの強い椰子の葉か固い「ドーム」という水草が使われているようです。
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売っている人は何も考えていないと思いますが、首のない子供のマネキンが何十と吊り下げられています。80年代に定着したスプラッター・ムービーの一場面のようにも見えます。
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夏の陽射し除けのパーゴラはエジプトのルクソールの鉄道駅から延々と続くスークを思い出しました。現在は分かりませんが、5年ほど前のエジプトツアーは夜間外出禁止でした。唯一HISだけが「添乗員と現地ガイドに相談してください。」という回答だったので夜遊びが楽しめました。
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モロッコ初のロバです。この後嫌というほど見ることになるのですが、この時はこんな町中でと思いました。面白いのはちゃんとブレーキが掛けられているということです。ロバの前脚は15センチくらいの幅で紐で結ばれています。これはこの後無人のロバ車では必ずこうしてありました。ロバに負担はありませんが、こうしておくことで勝手に歩いて行けないようです。
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モロッコには「ラスエルハヌート(Ras el Hanout)」と呼ばれるミックススパイスがあります。これは「店主が提供しなければならない最高のスパイスミックス」を意味します。 少ない店で10数種類、多いお店では50種類ものスパイスをブレンドしているそうで、配合する種類によって価格も変わるようです。
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モロッコでは一体何十軒のレザーショップの前を通り過ぎたでしょうか。その1軒にも立ち寄ることは出来ませんでした。基本的に自由行動時間で立ち寄る時間は皆無です。旅行会社的にはトラブル回避と迷子防止なのだと思いますが。
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トルコを旅していると男性の多くはカフェでお茶を飲んでいるかお祈りに出掛けるかで働いている姿を見るのはなかなか難しいですが、モロッコでは男性が働き者なのだと感じました。
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モロッコの金工品は15世紀から17世紀にかけて発展しました。これはスペインのアンダルシアやヨーロッパ各地から技術が伝わったためです。銅は南アトラスで産出されますが、それ例外の材料はヨーロッパから輸入されています。
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ブリキ板にペイントされた素朴なプレートにも心惹かれます。
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立ち止まることは出来ませんが、それでも写真を撮っているとツアーの隊列からはかなり遅れてしまいます。前方に見えている間は良いのですが、路地に入られてしまうとあっという間に迷子になりそうです。
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「馬蹄形アーチ(ホースシュー・アーチ)」と命名したのはイギリス人で、フランス人はこれを「アルク・ウートゥルパセ」と呼びます。直訳すると「行き過ぎアーチ」で、コンパスで描いた円が半円以上の弧を描いているのでこう呼ばれます。
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個人的に一番入りたい店が絨毯店でした。元々トルコのアナトリアのキリムやジジムが好きなのですが、12月に行ったインドでも手織りの絨毯を担いで帰ってきました。自宅の廊下がフローリングで、今までは何も敷いていなかったのですが、最近は夫婦ともにヒートショック現象が心配になってきました。
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玄関にトルコのカッパドキアのギョレメでカーペット店を営んでいる友人の店で買った絨毯を敷き、インドの絨毯と続き、その先がまだ残っているのが気になっていました。今回の旅ではこの先で気に入ったものを素早く買うことができました。
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改めて写真を見ていると面白そうなものがたくさん並んでいるのに気が付きます。これはもう一度個人で行かなければならないなと感じます。
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前日に宿泊したホテルの土産店にも銅をパンチングした円形の照明カバーが売っていて素敵だったのですが、スークで見ることができると思っていました。ところが素通りするだけです。
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こういった店に数時間腰を据えて絨毯を見てみたかったです。ミントティーなんか飲みながら。やっぱり個人旅行でないと出会いが少なすぎます。
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妻もタッセルの店の前を素通りするだけで諦め気分です。
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この店にも一見して質の良さそうなキリムやベルベル絨毯が並んでいます。通り過ぎがてらにシャッターを1枚押すのが精一杯です。
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「ジャマ・エル・フナ広場」が近づいてくると食品を扱う店が増えてきます。花のマグレブと呼ばれるモロッコ、アルジェリア、チュニジアの地中海沿岸地方はオリーブの里です。オリーブの栽培は紀元前2世紀頃にいっせいにこの地方に普及し、特にフェニキア人の国カルタゴ(現チュニジア)は灌漑農業技術に秀で、オリーブの大農園を築きました。現在もチュニジアはアフリカ随一の生産量を誇るオリーブ産出国で、モロッコはオイルよりもオリーブの実の大輸出国として知られています。
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「メチョイ・アレイ(Mechoui Alley)」メチョイとは薪の残り火で子羊を調理した料理のことで、この店はおいしそうに思えたので写真に撮っておきます。30年ほど前にイスタンブールで羊料理専門店に入ったことがあります。メニューはスパイシーな羊肉のスープと羊の頭脳みそ添えと脳みそなしで同じ値段でした。調理場も見せてもらったのですが、ヒツジは頭蓋骨は外されて、そぎ落とした肉が積み上げられ、白い脳みそが添えられてありました。ローストした肉はシンプルに美味しくて食べ進んだのですが、頬肉を横にずらしたら下に目玉が2つ並んでいて、目が合ってしまいました。これでギブアップ、食べ進めることは出来なくなりました。
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ドライのハーブも魅力的です。フレッシュの葉もどんな料理に使うのか…。モロッコ料理の奥深さを感じさせます。
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「ジャマ・エル・フナ広場」を抜けて昨晩屋上のテラスでミントティーをいただいた「Le grand balcon du café glacier」に立ち寄り、トイレを借ります。この先はアトラス山脈の中でレストランに着くまで休憩はありません。
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ずっと歩き通しなので15分でもいいので休憩させてもらいたいところです。
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「ジャマ・エル・フナ広場」の雰囲気は昨晩と全く違うのに驚きます。スークは元来は街外れに、ある年、ある月、ある曜日にだけ立つ市でした。広場に商人が屋台を運び入れ、日中のみ商いをして夜には屋台を撤収し、先着順で誰も広場の決まった場所を占有する権利はなかったようです。
ジャマ エル フナ広場 広場・公園
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現在のマラケシュの広場のルールが胴か分かりませんが、たくさん並んでいた飲食の屋台が1軒残らず撤収されているのには驚きです。
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確かにテントとカウンターとテーブルくらいで、調理場といっても焼き台がいくつかあるだけなので設置も撤収も難しくは無さそうですが。なぜ長時間の移送の後に夜の広場に案内されたのかが分かります。
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日中には観光客も少ないので猿使いのおじさんも暇そうです。
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フレッシュジュースのスモールが10DH(160円)ビッグが20DHなのでそんなに高くはないです。
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ジューススタンドは一度撤収して、早朝に設営したのか謎が残りました。
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昨晩のおじさんもカフェの前で陶器を販売しています。どこまで帰るのか分かりませんが割れ物を積み上げての移動は大変そうです。
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絵本から抜け出してきたようなおじさんがタッセルのたくさんついたバックを持って歩いて行きます。昔だったら面白がって買ったと思いますが、妻の物欲も変化してきています。
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これでマラケシュの市内観光は終わりです。実質1週間で広大なモロッコを走破するので仕方ないとは言え、ちょっと物足りなさも感じます。
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客待ちの馬車もメンテナンスが必要なようで、馬の蹄鉄を取ありました。市内にいくつかある馬車乗り場を移動しているのでしょう。
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「クトゥビーヤの塔」もこれが見納めです。
クトゥビーヤ モスクとミナレット 寺院・教会
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旧市街の城壁に沿ってマラケシュを後にします。
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まだマラケシュ・マラソンは終わっていませんでした。バスはアトラス山脈方面へ向かい、「ティチカ峠」を越え、「アイト・ベン・ハッドゥ」に向かいます。
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