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 第18区は、倉賀野から深谷までのコースとなります。<br /> 高崎線倉賀野駅を出て、倉賀野河岸跡に寄り道した後、日光例幣使街道との追分を経て、岩鼻一里塚、柳瀬渡船場、お伊勢の森を通過して新町宿に到着。<br /> 行在所(あんざいしょ)公園で給水し体操した後、玉村一里塚入口、勝場、万年寺の両一里塚、別名「姫街道」と呼ばれる下仁田道との追分を経て、本庄宿、傍示堂一里塚、滝岡橋、岡一里塚を通過し、本日のゴール深谷宿に到着。<br /> 深谷宿の街道沿いにある「菊泉醸造元」の看板がかかる滝澤酒造さんで「菊泉(きくいずみ)生吟醸」を購入した後、瀧之宮公園まで行って着替え、赤い欄干の柱の上に擬宝珠(ぎぼし)が飾られている「やすくに橋」を渡り、踏切を越えて裏路地をしばらく歩いて「串焼き亭ねぎ 深谷店」に到着。ちなみに、擬宝珠はねぎの花に似ていることから、惣台という別名もあるそうです。<br /> 伺ったのは午後5時過ぎでしたが、すでに何人かお客がおり、席の所々に予約席のサインプレートが置かれています。それなりに繁盛しているようです。さっそく、生ビールを飲みながら「ごぼうチップス」「ねぎ天」「とりかわぎょうざ」をいただきますがいずれも美味!他のお料理もなかなか美味しく、最後に深谷の地酒「君山」を冷やでいただき、ご機嫌で帰路に着いたのでした。

中山道駅伝単独走【第18区】27.9Km 倉賀野→深谷

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2023/11/19 - 2023/11/19

73位(同エリア76件中)

旅行記グループ 中山道駅伝単独走

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21

かくちゃんさん

 第18区は、倉賀野から深谷までのコースとなります。
 高崎線倉賀野駅を出て、倉賀野河岸跡に寄り道した後、日光例幣使街道との追分を経て、岩鼻一里塚、柳瀬渡船場、お伊勢の森を通過して新町宿に到着。
 行在所(あんざいしょ)公園で給水し体操した後、玉村一里塚入口、勝場、万年寺の両一里塚、別名「姫街道」と呼ばれる下仁田道との追分を経て、本庄宿、傍示堂一里塚、滝岡橋、岡一里塚を通過し、本日のゴール深谷宿に到着。
 深谷宿の街道沿いにある「菊泉醸造元」の看板がかかる滝澤酒造さんで「菊泉(きくいずみ)生吟醸」を購入した後、瀧之宮公園まで行って着替え、赤い欄干の柱の上に擬宝珠(ぎぼし)が飾られている「やすくに橋」を渡り、踏切を越えて裏路地をしばらく歩いて「串焼き亭ねぎ 深谷店」に到着。ちなみに、擬宝珠はねぎの花に似ていることから、惣台という別名もあるそうです。
 伺ったのは午後5時過ぎでしたが、すでに何人かお客がおり、席の所々に予約席のサインプレートが置かれています。それなりに繁盛しているようです。さっそく、生ビールを飲みながら「ごぼうチップス」「ねぎ天」「とりかわぎょうざ」をいただきますがいずれも美味!他のお料理もなかなか美味しく、最後に深谷の地酒「君山」を冷やでいただき、ご機嫌で帰路に着いたのでした。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 倉賀野河岸跡。<br />明治時代の鉄道開通まで、利根川の最上流河岸として栄えた場所。昭和40年代の護岸工事により河岸の面影は少なくなっています。

    倉賀野河岸跡。
    明治時代の鉄道開通まで、利根川の最上流河岸として栄えた場所。昭和40年代の護岸工事により河岸の面影は少なくなっています。

  • 日光例幣使街道との追分。<br />左が日光例幣使街道、右が中山道となります。<br />江戸以前の東山道は、左の日光例幣使街道だったのではないか、また、中山道開通当時の追分は、この先、日光例幣使街道の玉村宿辺りにあったのではないかと考えられています。

    日光例幣使街道との追分。
    左が日光例幣使街道、右が中山道となります。
    江戸以前の東山道は、左の日光例幣使街道だったのではないか、また、中山道開通当時の追分は、この先、日光例幣使街道の玉村宿辺りにあったのではないかと考えられています。

  • 中山道 25番目の一里塚 岩鼻一里塚があった地点に最も近いと思われる場所。<br />ウィキペディアでは25番目が倉賀野、24番目が中島と記載されています。しかし、倉賀野の一里塚は現地の案内板によると26番目の一里塚とされています。江戸初期開通当時の中山道は倉賀野から玉村を経由していたと言われていますので、一里塚、25番目は岩鼻付近に、24番目は玉村付近にあったのではないかと妄想し、勝手に「岩鼻一里塚」「玉村一里塚」と命名させていただきました。<br />写真の交差点、直進すると烏川の舟渡しがあった柳瀬渡船場に、左折すると日光例幣使街道につながります。なので、この辺りを17世紀後半以降の中山道で岩鼻一里塚に最も近い場所とさせていただきました。

    中山道 25番目の一里塚 岩鼻一里塚があった地点に最も近いと思われる場所。
    ウィキペディアでは25番目が倉賀野、24番目が中島と記載されています。しかし、倉賀野の一里塚は現地の案内板によると26番目の一里塚とされています。江戸初期開通当時の中山道は倉賀野から玉村を経由していたと言われていますので、一里塚、25番目は岩鼻付近に、24番目は玉村付近にあったのではないかと妄想し、勝手に「岩鼻一里塚」「玉村一里塚」と命名させていただきました。
    写真の交差点、直進すると烏川の舟渡しがあった柳瀬渡船場に、左折すると日光例幣使街道につながります。なので、この辺りを17世紀後半以降の中山道で岩鼻一里塚に最も近い場所とさせていただきました。

  • 柳瀬渡船場跡。<br />ご丁寧にもこの堤防の下の道路には「旧中山道」の標識があります。かつては、重要な渡し場だったんでしょうね。ただ、烏川の渡しは最初からここではなかったようです。木曽川も何度か渡しの場所を変えて最終的に太田の渡しとなったようですから(https://4travel.jp/travelogue/11813248)、大きな川を渡るというのは往時は難しかったのでしょうね。

    柳瀬渡船場跡。
    ご丁寧にもこの堤防の下の道路には「旧中山道」の標識があります。かつては、重要な渡し場だったんでしょうね。ただ、烏川の渡しは最初からここではなかったようです。木曽川も何度か渡しの場所を変えて最終的に太田の渡しとなったようですから(https://4travel.jp/travelogue/11813248)、大きな川を渡るというのは往時は難しかったのでしょうね。

  • お伊勢の森(神明宮元宮)。<br />旧中山道は、この森の南側を通っていますが、当初は北側を通っていたとのこと。神明宮元宮の社殿が河川敷堤防の内側にあるというのは珍しいのだそうです。<br />

    お伊勢の森(神明宮元宮)。
    旧中山道は、この森の南側を通っていますが、当初は北側を通っていたとのこと。神明宮元宮の社殿が河川敷堤防の内側にあるというのは珍しいのだそうです。

  • 中山道 11番目の宿場町 新町宿。<br />街道沿いにあまり古い建物は残っていませんが、寂れた感じがない不思議な街並みとなっています。写真は本陣跡。

    中山道 11番目の宿場町 新町宿。
    街道沿いにあまり古い建物は残っていませんが、寂れた感じがない不思議な街並みとなっています。写真は本陣跡。

  • 新町行在所。<br />明治天皇御巡幸の際、宿泊された建物だそうです。

    新町行在所。
    明治天皇御巡幸の際、宿泊された建物だそうです。

  • 中山道 24番目の一里塚 玉村一里塚があったと思われる場所の入口。<br />写真の交差点を右折すると玉村につながります。一里塚は、古中山道と思われるこの右折した道の途中にあったのではないかと勝手に妄想しています。

    中山道 24番目の一里塚 玉村一里塚があったと思われる場所の入口。
    写真の交差点を右折すると玉村につながります。一里塚は、古中山道と思われるこの右折した道の途中にあったのではないかと勝手に妄想しています。

  • 中山道 23番目の一里塚 勝場一里塚址。<br />一里塚としての痕跡は何もありません。

    中山道 23番目の一里塚 勝場一里塚址。
    一里塚としての痕跡は何もありません。

  • 中山道 22番目の一里塚 万年寺一里塚があったと思われる場所周辺。<br />案内板や石碑はありませんが、この辺りにあったようです。<br />写真右手の建物は万年寺公会堂。

    中山道 22番目の一里塚 万年寺一里塚があったと思われる場所周辺。
    案内板や石碑はありませんが、この辺りにあったようです。
    写真右手の建物は万年寺公会堂。

  • 下仁田道との追分。<br />今は道路が拡張されているため脇道には見えませんが、下仁田道は別名姫街道と呼ばれ、庶民や商人が利用していました。この道に沿って藤岡、富岡を経ると沓掛宿辺りで再び中山道と合流します。

    下仁田道との追分。
    今は道路が拡張されているため脇道には見えませんが、下仁田道は別名姫街道と呼ばれ、庶民や商人が利用していました。この道に沿って藤岡、富岡を経ると沓掛宿辺りで再び中山道と合流します。

  • 中山道 10番目の宿場町 本庄宿。<br />明治以降も発達した街ということもあって、残っている古い建物は江戸ではなく明治期に建てられたものが多いようです。

    中山道 10番目の宿場町 本庄宿。
    明治以降も発達した街ということもあって、残っている古い建物は江戸ではなく明治期に建てられたものが多いようです。

  • 本庄宿、中ほどにある旧本庄商業銀行煉瓦倉庫。<br />耐震補強工事を加え、平成29年からは1階を交流・展示スペース、2階を多目的ホールとして使用しているそうです。

    本庄宿、中ほどにある旧本庄商業銀行煉瓦倉庫。
    耐震補強工事を加え、平成29年からは1階を交流・展示スペース、2階を多目的ホールとして使用しているそうです。

  • 中山道 21番目の一里塚 傍示堂一里塚があったと思われる場所周辺。<br />元小山川を渡った道の曲がったところにあったようですので、この辺りかと思われます。

    中山道 21番目の一里塚 傍示堂一里塚があったと思われる場所周辺。
    元小山川を渡った道の曲がったところにあったようですので、この辺りかと思われます。

  • 滝岡橋。<br />昭和3年建造の本庄市と深谷市の境にかかる道路橋。国の登録有形文化財に指定されています。

    滝岡橋。
    昭和3年建造の本庄市と深谷市の境にかかる道路橋。国の登録有形文化財に指定されています。

  • 百庚申。<br />万延元年の庚申の年(1860年)に幕末の世情不安を払拭すべく建立されたそうです。

    百庚申。
    万延元年の庚申の年(1860年)に幕末の世情不安を払拭すべく建立されたそうです。

  • 中山道 20番目の一里塚 岡一里塚があったと思われる場所周辺。<br />写真右手に見えるのは島護産泰神社。

    中山道 20番目の一里塚 岡一里塚があったと思われる場所周辺。
    写真右手に見えるのは島護産泰神社。

  • 中山道 9番目の宿場町 深谷宿。<br />夕暮れ時、宿場の西の入口にある写真右の常夜燈はすでに灯が燈されていました。<br />

    中山道 9番目の宿場町 深谷宿。
    夕暮れ時、宿場の西の入口にある写真右の常夜燈はすでに灯が燈されていました。

  • 深谷宿、中ほどにある滝澤酒造。<br />入口に掲げてある杉玉を片付け始めていましたので、閉店間際だったようです。<br />ここで購入した「菊泉(きくいずみ)生吟醸」、早速冷やして翌日の夕食時に飲んでみましたが、マイルドな口当たりのすっきりとした味わいでなかなか美味しかったです。

    深谷宿、中ほどにある滝澤酒造。
    入口に掲げてある杉玉を片付け始めていましたので、閉店間際だったようです。
    ここで購入した「菊泉(きくいずみ)生吟醸」、早速冷やして翌日の夕食時に飲んでみましたが、マイルドな口当たりのすっきりとした味わいでなかなか美味しかったです。

  • 串焼き亭ねぎ 深谷店。<br />埼玉地区のチェーン店のようです。

    串焼き亭ねぎ 深谷店。
    埼玉地区のチェーン店のようです。

  • お店お薦めの「ねぎ天」。<br />天ぷらのつゆでいただきますが、ねぎの甘味も感じられ、お代わりを頼もうか悩むくらいの美味しさでした。奥に写っているのは「とりかわぎょうざ」です。

    お店お薦めの「ねぎ天」。
    天ぷらのつゆでいただきますが、ねぎの甘味も感じられ、お代わりを頼もうか悩むくらいの美味しさでした。奥に写っているのは「とりかわぎょうざ」です。

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