熊谷旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 第19区は、深谷から鴻巣までのコースとなります。<br /> 今回、深谷までは高崎線を利用せず、西武池袋線で西武秩父駅まで行き、最寄りの御花畑駅から秩父鉄道で武川まで行った後、コミュニティバスで深谷駅に入るという変わったルートで行ってみました。<br /> 深谷駅を出発して、深谷、東方の両一里塚、忍領石標、新島一里塚、熊谷宿、八丁一里塚、久下の渡し・冠水橋跡、久下一里塚、権八地蔵、吹上間の宿を通過して、吹上の高崎線中山道踏切を渡らずここで左折して寄り道します。<br /> 佐間一里塚、石田堤碑、石田堤松並木を経て再び吹上の高崎線中山道踏切に戻り、踏切を渡った後、前砂一里塚、箕田追分、箕田一里塚を通過して、本日のゴール鴻巣宿おおとり公園に到着。<br /> 着替えた後、まずは、「長木屋」さんで鴻巣名物川幅うどんをいただいた後、駅前の「たきのや」さんで電車の時間まで昼飲み。遠回りしながら35Kmも走った御褒美を堪能したのでした。<br />

中山道駅伝単独走【第19区】35.0Km 深谷→鴻巣

2いいね!

2023/11/26 - 2023/11/26

267位(同エリア306件中)

旅行記グループ 中山道駅伝単独走

0

25

かくちゃんさん

 第19区は、深谷から鴻巣までのコースとなります。
 今回、深谷までは高崎線を利用せず、西武池袋線で西武秩父駅まで行き、最寄りの御花畑駅から秩父鉄道で武川まで行った後、コミュニティバスで深谷駅に入るという変わったルートで行ってみました。
 深谷駅を出発して、深谷、東方の両一里塚、忍領石標、新島一里塚、熊谷宿、八丁一里塚、久下の渡し・冠水橋跡、久下一里塚、権八地蔵、吹上間の宿を通過して、吹上の高崎線中山道踏切を渡らずここで左折して寄り道します。
 佐間一里塚、石田堤碑、石田堤松並木を経て再び吹上の高崎線中山道踏切に戻り、踏切を渡った後、前砂一里塚、箕田追分、箕田一里塚を通過して、本日のゴール鴻巣宿おおとり公園に到着。
 着替えた後、まずは、「長木屋」さんで鴻巣名物川幅うどんをいただいた後、駅前の「たきのや」さんで電車の時間まで昼飲み。遠回りしながら35Kmも走った御褒美を堪能したのでした。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
グルメ
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • JR高崎線深谷駅。<br />深谷名産の煉瓦を使用して東京駅を模して建築されたそうです。<br />東京駅は100年以上前の設計ですが、古さを感じさせないところがすごいです。

    JR高崎線深谷駅。
    深谷名産の煉瓦を使用して東京駅を模して建築されたそうです。
    東京駅は100年以上前の設計ですが、古さを感じさせないところがすごいです。

  • 深谷駅北口にある渋沢栄一の銅像。<br />深谷と言えば、ねぎとこのお方なんでしょうね。

    深谷駅北口にある渋沢栄一の銅像。
    深谷と言えば、ねぎとこのお方なんでしょうね。

  • 中山道 19番目の一里塚 深谷一里塚があったと思われる場所近辺。<br />深谷城が健在であった17世紀中頃まで、深谷宿は枡形を形成しその途中に一里塚があったが、廃城後枡形の必要がなくなり深谷宿が直線通行となったため、街道から外れ一里塚が消滅してしまったのではないかと妄想しています。<br />写真は西運寺。深谷市史にはこの辺りにあったとの記述があるようです。

    中山道 19番目の一里塚 深谷一里塚があったと思われる場所近辺。
    深谷城が健在であった17世紀中頃まで、深谷宿は枡形を形成しその途中に一里塚があったが、廃城後枡形の必要がなくなり深谷宿が直線通行となったため、街道から外れ一里塚が消滅してしまったのではないかと妄想しています。
    写真は西運寺。深谷市史にはこの辺りにあったとの記述があるようです。

  • 旧大谷藤豊邸。<br />昭和初期の大恐慌の際、仕事がなく困窮する職人を連日100人以上1年半も雇い建てられた家だそうで、国の登録有形文化財に指定されています。

    旧大谷藤豊邸。
    昭和初期の大恐慌の際、仕事がなく困窮する職人を連日100人以上1年半も雇い建てられた家だそうで、国の登録有形文化財に指定されています。

  • みかえりの松。<br />平成18年に枯死により伐採され植え替えられたようですが、20年近くでこんなに大きくなっています。

    みかえりの松。
    平成18年に枯死により伐採され植え替えられたようですが、20年近くでこんなに大きくなっています。

  • 中山道 18番目の一里塚 東方一里塚跡。<br />写真は左塚。近年、再度整備されたものと思われます。

    中山道 18番目の一里塚 東方一里塚跡。
    写真は左塚。近年、再度整備されたものと思われます。

  • 忍領石標。<br />忍藩が他藩の土地との境界を明らかにするために建てた石標で、明治維新の際、撤去されたものを昭和に入って元の位置に戻したものなのだそうです。

    忍領石標。
    忍藩が他藩の土地との境界を明らかにするために建てた石標で、明治維新の際、撤去されたものを昭和に入って元の位置に戻したものなのだそうです。

  • 中山道 17番目の一里塚 新島一里塚跡。<br />ここには樹齢300年以上のけやきの大木がつい最近まで残っていましたが、平成22年と30年の度重なる豪雨により木が傷み、樹勢が回復しなかったため伐採されてしまいました。現在は新しい木が切り株の後ろに植えられています。<br />

    中山道 17番目の一里塚 新島一里塚跡。
    ここには樹齢300年以上のけやきの大木がつい最近まで残っていましたが、平成22年と30年の度重なる豪雨により木が傷み、樹勢が回復しなかったため伐採されてしまいました。現在は新しい木が切り株の後ろに植えられています。

  • 中山道 8番目の宿場町 熊谷宿。<br />国道17号線の道路が拡張され、道の両側にビルが立ち並ぶため、ここでどんな宿場が形成されていたか、想像もできない状況になっています。<br />写真は竹井本陣跡。竹井本陣は中山道中でも屈指の規模を誇っていたようですが、明治に入り焼失した後、縮小して再建されたものの、終戦当日の未明、太平洋戦争最後の空襲となった熊谷空襲で再び焼失してしまいました。

    中山道 8番目の宿場町 熊谷宿。
    国道17号線の道路が拡張され、道の両側にビルが立ち並ぶため、ここでどんな宿場が形成されていたか、想像もできない状況になっています。
    写真は竹井本陣跡。竹井本陣は中山道中でも屈指の規模を誇っていたようですが、明治に入り焼失した後、縮小して再建されたものの、終戦当日の未明、太平洋戦争最後の空襲となった熊谷空襲で再び焼失してしまいました。

  • 中山道 16蕃目の一里塚 八丁一里塚址。<br />絵付きの案内板が設置されています。

    中山道 16蕃目の一里塚 八丁一里塚址。
    絵付きの案内板が設置されています。

  • 久下の渡し・久下の冠水橋の跡に建つ記念碑。<br />冠水橋が熊谷のような大都市にあり、しかも21世紀に入っても使用されていたと言うのですから驚きです。<br />

    久下の渡し・久下の冠水橋の跡に建つ記念碑。
    冠水橋が熊谷のような大都市にあり、しかも21世紀に入っても使用されていたと言うのですから驚きです。

  • 案内板にあった在りし日の久下の冠水橋の写真。<br />対岸で車が列をなして待っています。車一台がやっと通れる橋をあうんの呼吸で渡っていたというのですから、すごい話ですよね。<br />写真を見る限りでは、四万十川の沈下橋とはちょっと異なっています。(https://4travel.jp/travelogue/11779190)<br />

    案内板にあった在りし日の久下の冠水橋の写真。
    対岸で車が列をなして待っています。車一台がやっと通れる橋をあうんの呼吸で渡っていたというのですから、すごい話ですよね。
    写真を見る限りでは、四万十川の沈下橋とはちょっと異なっています。(https://4travel.jp/travelogue/11779190

  • 中山道 15蕃目の一里塚 久下一里塚址。<br />この辺り、中山道は荒川の旧土手を通っているのですが、一里塚はその旧土手の下にあります。本当に土手の下にあったの?と疑いたくなりますが、案内板もあります。<br />ただ、この一里塚のある正一位稲荷に行くには、伸びた草をかき分けながら進まなければなりません。

    中山道 15蕃目の一里塚 久下一里塚址。
    この辺り、中山道は荒川の旧土手を通っているのですが、一里塚はその旧土手の下にあります。本当に土手の下にあったの?と疑いたくなりますが、案内板もあります。
    ただ、この一里塚のある正一位稲荷に行くには、伸びた草をかき分けながら進まなければなりません。

  • 権八地蔵。<br />金品欲しさに旅人を殺めた権八が「見たことを黙っていてくれ」と地蔵に頼むと地蔵は「我は言わぬが汝も言うな」と言い返したと伝えられ、別名「物言い地蔵」と呼ばれています。<br />左に見えるのは二宮金次郎像。最後は磔(はりつけ)となってしまう権八と関わりのあったお地蔵様と勤勉の象徴ともいえる二宮金次郎がコラボするという不思議な場所となっています。

    権八地蔵。
    金品欲しさに旅人を殺めた権八が「見たことを黙っていてくれ」と地蔵に頼むと地蔵は「我は言わぬが汝も言うな」と言い返したと伝えられ、別名「物言い地蔵」と呼ばれています。
    左に見えるのは二宮金次郎像。最後は磔(はりつけ)となってしまう権八と関わりのあったお地蔵様と勤勉の象徴ともいえる二宮金次郎がコラボするという不思議な場所となっています。

  • 吹上間の宿(あいのしゅく)。<br />熊谷宿と鴻巣宿の間は距離があったため、休憩のための「お休み本陣」や馬次の「立場」が吹上に設けられていたのだそうです。

    吹上間の宿(あいのしゅく)。
    熊谷宿と鴻巣宿の間は距離があったため、休憩のための「お休み本陣」や馬次の「立場」が吹上に設けられていたのだそうです。

  • 吹上の中山道踏切。<br />中山道はここを渡りますが、今回は左折、回り道をして佐間一里塚、石田堤を目指します。

    吹上の中山道踏切。
    中山道はここを渡りますが、今回は左折、回り道をして佐間一里塚、石田堤を目指します。

  • 中山道 14番目の一里塚と勝手に妄想している佐間一里塚。<br />案内板によると鴻巣から館林へ向かう日光裏街道の一里塚と説明されています。<br />しかし、私は中山道は当初、箕田追分から石田堤を経てここを通り、忍城手前を左折し熊谷に向っていたが、17世紀中期、荒川の西遷が行われると久下経由に変更し、元荒川の河道を締め切り築いた堤防を踏み固めるため、鴻巣、熊谷間の距離も短くなるという利点も生かして荒川土手を中山道としたのではないかと勝手に妄想しています。<br />裏街道の一里塚としては立派過ぎるんですよねぇ。

    中山道 14番目の一里塚と勝手に妄想している佐間一里塚。
    案内板によると鴻巣から館林へ向かう日光裏街道の一里塚と説明されています。
    しかし、私は中山道は当初、箕田追分から石田堤を経てここを通り、忍城手前を左折し熊谷に向っていたが、17世紀中期、荒川の西遷が行われると久下経由に変更し、元荒川の河道を締め切り築いた堤防を踏み固めるため、鴻巣、熊谷間の距離も短くなるという利点も生かして荒川土手を中山道としたのではないかと勝手に妄想しています。
    裏街道の一里塚としては立派過ぎるんですよねぇ。

  • 石田堤。<br />天正18年(1590年)忍城水攻めのため石田三成が築いた堤です。全長28Kmもあったそうですが、現在ではこの辺りの250mほどを残すのみとなっています。

    石田堤。
    天正18年(1590年)忍城水攻めのため石田三成が築いた堤です。全長28Kmもあったそうですが、現在ではこの辺りの250mほどを残すのみとなっています。

  • 石田堤の松並木。<br />当初の中山道は、石田堤を利用して松を植え松並木とし、街道を整備したのではないかと勝手に妄想しています。中山道には笠取峠のように保存状態良く現存している松並木もあります。(https://4travel.jp/travelogue/11835846)

    石田堤の松並木。
    当初の中山道は、石田堤を利用して松を植え松並木とし、街道を整備したのではないかと勝手に妄想しています。中山道には笠取峠のように保存状態良く現存している松並木もあります。(https://4travel.jp/travelogue/11835846

  • 中山道 13番目の一里塚 前砂一里塚址。<br />一里塚らしきものは何も残っていません、案内板には、日本橋から13里目の前砂一里塚の次は久下一里塚との旨の記載があります。この案内に従えば、14番目の一里塚は不明ということになります。

    中山道 13番目の一里塚 前砂一里塚址。
    一里塚らしきものは何も残っていません、案内板には、日本橋から13里目の前砂一里塚の次は久下一里塚との旨の記載があります。この案内に従えば、14番目の一里塚は不明ということになります。

  • 箕田追分。<br />当初の中山道はここから石田堤に向い、佐間一里塚に至っていたと勝手に妄想しています。

    箕田追分。
    当初の中山道はここから石田堤に向い、佐間一里塚に至っていたと勝手に妄想しています。

  • 中山道 12番目の一里塚 箕田一里塚があったと思われる場所周辺。<br />同じ箕田でも追分からは少し離れています。

    中山道 12番目の一里塚 箕田一里塚があったと思われる場所周辺。
    同じ箕田でも追分からは少し離れています。

  • 手打ちうどん長木屋。<br />創業は明治24年(1891年)と130年以上続く老舗です。<br />昼のラストオーダーギリギリに滑り込みました。

    手打ちうどん長木屋。
    創業は明治24年(1891年)と130年以上続く老舗です。
    昼のラストオーダーギリギリに滑り込みました。

  • 川幅御三家うどん。<br />幅の太いうどんは慣れていないので食べにくかったですが、味は私の好みでした。<br />川幅うどんのほか、生ビールと越生ゆずのクラフトチューハイをいただきました。

    川幅御三家うどん。
    幅の太いうどんは慣れていないので食べにくかったですが、味は私の好みでした。
    川幅うどんのほか、生ビールと越生ゆずのクラフトチューハイをいただきました。

  • たきのや。<br />創業は明治38年(1905年)のようで、ここもまた120年近く続く老舗です。<br />日曜日の昼下がり、他にも昼飲みをするお客が何人かいました。<br />カウンターで飲んでいると一見の客であったにも関わらず御主人も女将さんも気さくに声を掛けてきてくれ、居心地の良い店でした。電車の時間もあったので、1時間弱で退店しましたが、また訪れたいと思わせてくれた店でした。

    たきのや。
    創業は明治38年(1905年)のようで、ここもまた120年近く続く老舗です。
    日曜日の昼下がり、他にも昼飲みをするお客が何人かいました。
    カウンターで飲んでいると一見の客であったにも関わらず御主人も女将さんも気さくに声を掛けてきてくれ、居心地の良い店でした。電車の時間もあったので、1時間弱で退店しましたが、また訪れたいと思わせてくれた店でした。

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

中山道駅伝単独走

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP