諏訪旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 第13区は、下諏訪から和田までのコースとなります。<br /> 下諏訪駅を出て、下諏訪宿に入り、甲州街道との合流点を左折して、湯田坂を下りて下諏訪一里塚を通過し、諏訪大社下社春宮を左手に見ながら、続く坂を上り、発電所あたりで更に急になった坂を上り切ると御柱祭の木落しで有名な木落し坂上に到着。<br /> 少し下った後、住宅街を抜け、樋橋(とよはし)一里塚、樋橋茶屋跡を通過すると、元治元年(1864年)の水戸浪士武田耕雲斎と松本・諏訪連合軍の合戦、和田嶺合戦の戦没者を弔った浪人塚に到着。<br /> 再び徐々にきつくなる坂を上ると、「古峠」に続く山道に入り、西餅屋一里塚を通過すると、いよいよ道は街道ではなく登山道となり、30分ほど歩いて和田峠(古峠)に到着。<br /> ここからは下り坂となり、広原一里塚を経て、接待で給水するとともに小休止した後、唐沢、鍛冶足の両一里塚を通過して、本日のゴール和田宿休憩所(上和田バス停)に到着。<br /> 長和町巡回バスで長門温泉やすらぎの湯まで行き、汗を流し、生ビールと馬肉そばをいただき小休止した後、田舎道をJRバスの古町支所前バス停まで10分ほど歩いてバスに乗車後、大屋駅前で下車。和田方面に戻り千曲川を渡ってすぐのところにある「季節料理うめや」さんで一杯。美味しい日本酒とお料理を堪能し、ご機嫌で上田から長野新幹線で帰途に着いたのでした。

中山道駅伝単独走【第13区】22.1Km 下諏訪→和田

1いいね!

2023/06/05 - 2023/06/05

939位(同エリア1044件中)

旅行記グループ 中山道駅伝単独走

0

23

かくちゃんさん

 第13区は、下諏訪から和田までのコースとなります。
 下諏訪駅を出て、下諏訪宿に入り、甲州街道との合流点を左折して、湯田坂を下りて下諏訪一里塚を通過し、諏訪大社下社春宮を左手に見ながら、続く坂を上り、発電所あたりで更に急になった坂を上り切ると御柱祭の木落しで有名な木落し坂上に到着。
 少し下った後、住宅街を抜け、樋橋(とよはし)一里塚、樋橋茶屋跡を通過すると、元治元年(1864年)の水戸浪士武田耕雲斎と松本・諏訪連合軍の合戦、和田嶺合戦の戦没者を弔った浪人塚に到着。
 再び徐々にきつくなる坂を上ると、「古峠」に続く山道に入り、西餅屋一里塚を通過すると、いよいよ道は街道ではなく登山道となり、30分ほど歩いて和田峠(古峠)に到着。
 ここからは下り坂となり、広原一里塚を経て、接待で給水するとともに小休止した後、唐沢、鍛冶足の両一里塚を通過して、本日のゴール和田宿休憩所(上和田バス停)に到着。
 長和町巡回バスで長門温泉やすらぎの湯まで行き、汗を流し、生ビールと馬肉そばをいただき小休止した後、田舎道をJRバスの古町支所前バス停まで10分ほど歩いてバスに乗車後、大屋駅前で下車。和田方面に戻り千曲川を渡ってすぐのところにある「季節料理うめや」さんで一杯。美味しい日本酒とお料理を堪能し、ご機嫌で上田から長野新幹線で帰途に着いたのでした。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
グルメ
4.5
交通
2.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JR特急 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 本日のスタート地点、JR下諏訪駅。<br />立派な駅舎に客待ちタクシーも複数見られますが、あずさ号、あまり止まらないんですよね。。。

    本日のスタート地点、JR下諏訪駅。
    立派な駅舎に客待ちタクシーも複数見られますが、あずさ号、あまり止まらないんですよね。。。

  • 中山道 29番目の宿場町 下諏訪宿。<br />甲州街道との合流点で諏訪大社の下社もあり、交通の要衝ですが、繰り返しで恐縮ですが、あずさ号はあまり止まりません。

    中山道 29番目の宿場町 下諏訪宿。
    甲州街道との合流点で諏訪大社の下社もあり、交通の要衝ですが、繰り返しで恐縮ですが、あずさ号はあまり止まりません。

  • 下諏訪宿、甲州道中・中山道合流之地。<br />右奥には諏訪大社下社秋宮があります。

    下諏訪宿、甲州道中・中山道合流之地。
    右奥には諏訪大社下社秋宮があります。

  • 中山道 55番目の一里塚 下諏訪一里塚址。<br />面影はなく街中でもあるため、ここに一里塚があったと言われてもピンと来ません。

    中山道 55番目の一里塚 下諏訪一里塚址。
    面影はなく街中でもあるため、ここに一里塚があったと言われてもピンと来ません。

  • 木落し坂上にある御柱。<br />御柱祭は6年に一度寅年と申年に行われ、前回は昨年令和4年に行われているため、次回は令和10年になります。

    木落し坂上にある御柱。
    御柱祭は6年に一度寅年と申年に行われ、前回は昨年令和4年に行われているため、次回は令和10年になります。

  • 木落し坂上。<br />諏訪大社四宮の社殿の四隅に建てる直径1m、長さ17m、重さ10tのモミの巨木を氏子がまたがって傾斜35度、長さ100mのこの急坂を一気に曳き落される様は「男見るなら七年に一度諏訪の木落し、坂落とし」とうたわれる勇壮さで、これがなんと中山道の途中にあります。知らない方も多いのではないでしょうか。

    木落し坂上。
    諏訪大社四宮の社殿の四隅に建てる直径1m、長さ17m、重さ10tのモミの巨木を氏子がまたがって傾斜35度、長さ100mのこの急坂を一気に曳き落される様は「男見るなら七年に一度諏訪の木落し、坂落とし」とうたわれる勇壮さで、これがなんと中山道の途中にあります。知らない方も多いのではないでしょうか。

  • 樋橋一里塚址は、この工場手前を左折し、しばらく下った後、右折します。

    樋橋一里塚址は、この工場手前を左折し、しばらく下った後、右折します。

  • 中山道 54番目の一里塚 樋橋(とよはし)一里塚址。<br />街道からは外れた場所にあり、工場の敷地内にありますが、案内板があり一般人でも入れます。

    中山道 54番目の一里塚 樋橋(とよはし)一里塚址。
    街道からは外れた場所にあり、工場の敷地内にありますが、案内板があり一般人でも入れます。

  • 樋橋(とよはし)茶屋跡。<br />樋橋は和田峠登り口の立場茶屋として栄え、茶屋本陣もあり、皇女和宮がお休みになられた由緒ある茶屋ですが、その名残は全くありません。

    樋橋(とよはし)茶屋跡。
    樋橋は和田峠登り口の立場茶屋として栄え、茶屋本陣もあり、皇女和宮がお休みになられた由緒ある茶屋ですが、その名残は全くありません。

  • 浪人塚。<br />元治元年(1864年)の和田嶺合戦の戦死者を弔い、明治2年(1869年)に諏訪藩(高島藩)が建てた塚。その後、地元民は年々の祭りを絶やさず、今では水戸との交流もあるのだそうです。塚の奥には合戦が行われたと思われる野原が広がっています。

    浪人塚。
    元治元年(1864年)の和田嶺合戦の戦死者を弔い、明治2年(1869年)に諏訪藩(高島藩)が建てた塚。その後、地元民は年々の祭りを絶やさず、今では水戸との交流もあるのだそうです。塚の奥には合戦が行われたと思われる野原が広がっています。

  • 和田峠までの国道と山道の分岐点。<br />ここから「古峠」と呼ばれる和田峠までの急な上り坂の山道に入ります。

    和田峠までの国道と山道の分岐点。
    ここから「古峠」と呼ばれる和田峠までの急な上り坂の山道に入ります。

  • 中山道 53番目の一里塚 西餅屋一里塚址。<br />案内板によれば、近くに西餅屋茶屋が出来たため、あまり利用されず、明治時代に農地にとなり場所が特定されていないそうです。とはいえ、周りに農地は見当たりませんが。。。

    中山道 53番目の一里塚 西餅屋一里塚址。
    案内板によれば、近くに西餅屋茶屋が出来たため、あまり利用されず、明治時代に農地にとなり場所が特定されていないそうです。とはいえ、周りに農地は見当たりませんが。。。

  • 和田峠(古峠)頂上。<br />下諏訪からの道のりはまさに「登山道」。ここが本当に中山道?と思わなくもありませんが、道は確実につながっており、山頂に着くとこの景色が広がっていました。

    和田峠(古峠)頂上。
    下諏訪からの道のりはまさに「登山道」。ここが本当に中山道?と思わなくもありませんが、道は確実につながっており、山頂に着くとこの景色が広がっていました。

  • 中山道 52番目の一里塚 広原一里塚。<br />山中に左塚だけが残っています。塚に木は生えていません。枯れてしまったんですかね。

    中山道 52番目の一里塚 広原一里塚。
    山中に左塚だけが残っています。塚に木は生えていません。枯れてしまったんですかね。

  • 和田峠の施行所である接待。<br />江戸呉服町の豪商加瀬屋与兵衛が、中山道の旅の難儀を助けようと寄付した金子(きんす)で設置された施行所。山崩れにより流失した後、再建されるものの明治3年(1870年)には廃止されますが、地元の運送業者が茶屋を兼ねて明治以降も使用したため、現在まで残っているのだそうです。<br />碓氷峠にも同じような人馬施行所があったようです。(https://4travel.jp/travelogue/11861383)

    和田峠の施行所である接待。
    江戸呉服町の豪商加瀬屋与兵衛が、中山道の旅の難儀を助けようと寄付した金子(きんす)で設置された施行所。山崩れにより流失した後、再建されるものの明治3年(1870年)には廃止されますが、地元の運送業者が茶屋を兼ねて明治以降も使用したため、現在まで残っているのだそうです。
    碓氷峠にも同じような人馬施行所があったようです。(https://4travel.jp/travelogue/11861383

  • 接待の湧水。<br />ここで給水した後、500mlのペットボトルに満タンに入れて出発します。

    接待の湧水。
    ここで給水した後、500mlのペットボトルに満タンに入れて出発します。

  • 男女倉登り口。<br />ここまでは和田側からバスも通っています。

    男女倉登り口。
    ここまでは和田側からバスも通っています。

  • 中山道 51番目の一里塚 唐沢一里塚。<br />塚は森の中にあり、左右の両塚が現存しています。写真は左塚。

    中山道 51番目の一里塚 唐沢一里塚。
    塚は森の中にあり、左右の両塚が現存しています。写真は左塚。

  • 唐沢一里塚の右塚。<br />中山道は道の変更が多いため、天保年間(1830年代)の絵図面ではすでに街道から外れていたそうですが、ほぼ原形をとどめているとのこと。

    唐沢一里塚の右塚。
    中山道は道の変更が多いため、天保年間(1830年代)の絵図面ではすでに街道から外れていたそうですが、ほぼ原形をとどめているとのこと。

  • 長和町巡回バスの大出バス停。<br />渋すぎます。。。

    長和町巡回バスの大出バス停。
    渋すぎます。。。

  • 中山道 50番目の一里塚 鍛冶足一里塚址。<br />一里塚の名残は何もありません。一番左が一里塚の石碑ですが、他にもいろんな石碑が立っています。

    中山道 50番目の一里塚 鍛冶足一里塚址。
    一里塚の名残は何もありません。一番左が一里塚の石碑ですが、他にもいろんな石碑が立っています。

  • 本日のゴール、和田宿休憩所(上和田バス停)。<br />諏訪からはやはり遠いですよね。

    本日のゴール、和田宿休憩所(上和田バス停)。
    諏訪からはやはり遠いですよね。

  • 最後は、しなの鉄道大屋駅近くにある「季節料理うめや」さんで一杯。<br />大屋駅からは国道152号線を長久保方面に向かい、千曲川に架かる大屋橋を渡ってすぐのところにあります。滞在時間を言ってお任せでおつまみを頼んだら、酒の肴にぴったりな美味しい料理が出てきました。少しねっとりした舌ざわりの熟成カンパチの刺身が印象深かったです。是非再訪したいお店です。

    イチオシ

    地図を見る

    最後は、しなの鉄道大屋駅近くにある「季節料理うめや」さんで一杯。
    大屋駅からは国道152号線を長久保方面に向かい、千曲川に架かる大屋橋を渡ってすぐのところにあります。滞在時間を言ってお任せでおつまみを頼んだら、酒の肴にぴったりな美味しい料理が出てきました。少しねっとりした舌ざわりの熟成カンパチの刺身が印象深かったです。是非再訪したいお店です。

    うめや料理店 グルメ・レストラン

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

中山道駅伝単独走

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP