上高地旅行記(ブログ) 一覧に戻る
生まれて初めての上高地です。今回は娘の誕生日のお祝いということで、かねてから娘が行きたい、そして泊まりたいと言っていた上高地帝国ホテルに宿泊しました。年金暮らしの私たち夫婦にとって決して安い金額ではありません。娘の喜ぶ顔と私たち夫婦の冥途の土産ということで、今後は二度と行くことはできないと思うので、清水の舞台から飛び降りるつもりで上高地旅行に行くことを決心しました。今まで見たことも経験したこともない上高地の大自然と数億個の満天の星空に感激しました。上高地では紅葉は終わっていましたが、上田から上高地に向かう途中に、周りの山々に紅葉が残っているのをバスの車窓から見ていい目の保養になりました。<br />【旅行第一目:11月10日(金)】<br />第一目は、上野駅を9時10分発の長野新幹線「あさま605号」に乗車し、上田駅へ向かいました。残念ながら上田駅に到着した時、小雨がパラついていました。上田駅からツアーのバスに乗り、昼食をとるために松本市内へ向かいました。昼食会場は、長野県松本市本庄にある「ホテルブエナビスタ」の五階の料亭「深志楼」の大広間「月見」です。お弁当なので料理は事前に用意するため冷めていましたが、お蕎麦は茹でたてを食べさせてくれました。食感としては、麺は柔らかめで、風味豊かな出汁もコクがあり、さすが信州蕎麦だと感じました。そして、大広間から眺めることのできるホテルの空中庭園は、きれいに手入れされ、料理の味を一層引き立ててくれました。「ホテルブエナビスタ」はJR中央線「松本駅」お城口から徒歩9分700mの所に位置しています。JR中央線「松本駅」から「ホテルブエナビスタ」へは、無料のシャトルバスがあります。正面エントランスを入ると左手にあるホテルショップ「パセオ」に大きなマントルピースがでんと構えていたのが印象的でした。ツアーコンダクターから上高地に行くと飲み物やお菓子類など高いので、ホテル周辺にあるセブンイレブンで買った方がよいとアドバイスがありました。ホテルショップ「パセオ」で驚いたことが一つありました。こ「パセオ」では、お土産ばかりでなくケーキ、パンなども販売していました。実は、このパンが美味しく、しかもリーズナブルな値段でした。なんと立派なパオンショコラが230円という値段でした。他のパンも同様にリーズナブルな値段で、私は大きなアンパン、家内と娘はパオンショコラを購入しました。ここのパンは美味しくお薦めですね。<br />「ホテルブエナビスタ」を後にして「上高地帝国ホテル」へ行く途中に、トイレ休憩で道の駅「風穴の里」に立ち寄りました。バスに乗ること40分ほどで道の駅「風穴の里」に到着しました。雨脚は上田駅についた時より少し強くなりました。しかし、近くの山が紅葉しているのを見て、雨で鬱憤としていた気分が少々晴れました。休憩のあと宿泊先である「上高地帝国ホテル」へ向かいました。<br />今回の旅行の宿泊先は、安曇上高地にある「上高地帝国ホテル」で二泊します。「上高地帝国ホテル」は、ひっそりとした木立の中に佇み、いすスイスやアルプスの山小屋を思い起こさせる赤い三角屋根がシンボルの山岳リゾートホテルです。「上高地帝国ホテル」の歴史を紐解いてみると日本初の本格的山岳リゾートホテルとして昭和8年(1933年)に開業しました。メーンエントランスを入ると正面には、ホテルのシンボルマントルピースがあります。フロントは、右手にあり、リゾートホテルなので部屋数も少ないせいかこじんまりとしていますが、昔懐かしいフロントと言う感じがします。今日は小雨が降っていて、残念ながら周囲の散策はできませんでした。また、客室は、穂高連峰の雄大な景色を楽しめるベランダ付きの部屋を期待していたのですが、正面エントランス側で眺めはよくありませんでした。15:00ころホテルに到着したので夕食まで時間があるので、ホテルの館内の探検の旅に出ました。小雨が降っていましたが、正面エントランス側とベランダ側からホテルの外観を撮影しました。ホテルの正面エントランスを入ると右手にあり、入口右手には、宿泊者専用の貸出用の傘、ポンチョ、クマよけ錫が配備してありました。もちろん無料で利用することができます。その左手には、路線バスやシャトルバスの時刻表と料金が載っている「お知らせ」ボードがありました。「お知らせ」ボードの裏側は、今日の天気、最高気温、最低気温、マントルピースの点火式の案内、タクシー予約などのお知らせ事項が掲出してありました。そこを左手に進むと古風で格式あるエレーベータ―があります。その前には、「帝国ホテル」と創始者の一人である「渋沢栄一」の歴史年表が掲出されています。さらに奥に進むと左手に8:00から20:00まで営業している「ギフトショップ」があります。「ギフトショップ」の前には、小暮真望作による上高地、穂高連峰、河童橋、上高地帝国ホテル開業90周年記念作品の「シルクスクリーン版画」が多数展示されています。さらにその奥には、フランス料理のレストランである「ダイニングルーム」があります。正面エントランス方面に戻るとマントルピースがあるロビーラウンジ「グリンデルワルト」の左側に現在の「上高地帝国ホテル」の模型が、右手には開業当時の「上高地帝国ホテル」の模型があります。階段を数段上りロビーラウンジ「グリンデルワルト」に入ると、目の前には「マントルピース」が、左奥には、バー「ホルン」がありました。「グリンデルワルト」の階段を降り左手に進むと、「水汲み場」があります。「水汲み場」では、六百山に降った雪や雨が地面にしみ込み、少しずつろ過され湧き水を引き込んでいます。ペットボトルに入れ翌日散策に持ち歩くことができます。もちろんその場でも飲めます。さらに進むと「読書室」があり、上高地等に関する蔵書や写真が展示されていました。新聞各紙も常備してありました。「読書室」の前には、今夜の夕食会場である日本料理「あずさ庵」がありました。<br />そこうするうちに17:00からの「マントルピースの点火式」が始まる時刻が近づいてきました。ツアーコンダクターの説明だと20分くらい前に会場であるロビーラウンジ「グリンデルワルト」に来るといい席が確保できると言うことなので、家内と娘の三人で会場に行きました。もちろん見学するのは無料です。一応、係員が飲み物のオーダーを取りに来ますが、注文しなくても大丈夫です。上高地の湧水で淹れたコーヒーが美味しいということなので、コーヒーを注文しました。コーヒーは滑らかな舌触りで、香りが口の中で広がりました。<br />「マントルピースの点火式」は、夏場以外の日中の気温が15℃以下となる寒い時期に、夕方5時からホテルのベルマンによる火入れ式が行われます。会場の照明が落とされ火入れ式が始まりました。ベルマンがマントルピースの槇に火をつけ、フイゴで空気を送ると瞬く間に火が燃え盛りました。一足早いクリスマスといった感じですが、周囲には木の香ばしい香りが漂い、ほんのり温かくなりました。<br />「マントルピースの点火式」のイベントが終了したところで、いよいよ夕食です。本日の夕食は、日本料理「あずさ庵」です。「前菜」は柿のクリームチーズ白和え、出汁巻き玉子いくらがけ丸十含め煮、松茸佃煮、モロッコインゲン、揚げ銀杏、小松菜お浸し、天子南蛮漬けです。柿とクリームチーズが合うのかと思いましたが、意外とクリーミーであっさりして美味しいと感じました。次は、「御椀」で、蓮根餅、松茸、紅葉人参、法蓮草、柚子が入った上品な味でした。次の「造り」は、鮪、間八、それと地元で捕れた信州サーモンで、どれも新鮮で、臭みはなく、刺身の苦手な私でも美味しく食べられました。メーンの「焼物」は飛騨牛グリル焼き信州茸味噌ソースです。飛騨牛は非常に柔らかく、口の中で溶けてなくなりました。信州茸味噌ソースとの相性も抜群です。次は、「煮物」です。お椀の中に、ひろうす、南京、法蓮草が入っていて、柚子が味を一層引き立てました。次が、「御飯又は蕎麦」で、私は「信州蕎麦」を、家内と娘は「松茸御飯」をチョイスしました。蕎麦は若干腰がありますが、喉越しは最高でした。「松茸御飯」には、贅沢にも松茸とウニが添えられていました。締めのデーザーとは、あんずプリン、シャインマスカット、長野パープル、栗のおやきで、あんずプリンにはあんずの果肉がたくさん入っていて、プリンの味を引き立ててくれました。アルコール類は、「おすすめ飲み比べセット」をオーダーしました。純米大吟醸山恵錦アルプス正宗、吉乃川みなも大吟醸、純米吟醸中取り原酒アルプス正宗の三種類を堪能できました。翌日は、ネイチャーガイドとホテルから明神池までの3時間の散策になりますので、早めに睡眠をとりました。<br /><br />【旅行第二日目:11月11日(土)】<br />第二日目の朝食は、昨夜に引き続き日本料理「あずさ庵」です。海鮮サラダ(真鯛、ホタテ、スモークサーモンを豆板醤ドレッシング、ミックスサラダをチーズディップドレッシング)、茶碗蒸し、焼物(鮭の塩焼き)、小鉢(ひじきの煮物)、ご飯又はお粥、信州味噌汁、香の物、果物と種類も豊富で地元の食材も沢山使っていました。私は、お粥を頼みました。お粥にかける餡がこれまた美味しかったです。食事を済ませいよいよ上高地の大自然の散策へ出発です。<br />上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」のガイドの案内による「上高地帝国」ホテルから「河童橋」を通り「明神池エリア」までの大自然の中を3時間ほど散策するコースです。前日の雨も上がり、天気予報は曇りでしたが晴れになりました。例年は、この時期には20cmくらい雪が積もっているそうですが、地球温暖化の現象により上高地も気温が上がり、ここ2~3年は積雪しないという説明がありました。「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」は、上高地唯一の民間常駐ガイドで、「この地を訪れたすべての方に上高地を大好きになってもらいたい」を合言葉に、上高地に生息する動植物や、ありのままの自然をゆったりと、より身近に感じることができるように、分り易くガイドしてくれます。「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」は、河童橋の袂にある「五千尺ホテル」内にあります。最少催行人数は1名からなので、一人旅でも安心して申し込むことができます。ちなみに、主な散策コースは、4コースあります。河童橋から明神地区までの片道2時間、約3.5kmの「明神池コース」、河童橋から大正池までの片道2時間、約3.5kmの「大正池コース」、河童橋から徳沢までの片道3時間30分の「徳沢コース」、河童橋周辺で朝の美しい風景とバードウォッチングを楽しめる約1時間の「早朝コース」、日本アルプスの上に輝く満天の星空を眺めることのできる「ナイトコース」、そして、個人や団体などのニーズに合わせて散策を楽しむ「プライベットコース」などがあります。<br />まず、「上高地帝国ホテル」の裏手にまわり「穂高橋・田代橋」方面に向かう林道に出ました。そこから「穂高連峰」と「上高地帝国ホテル」のベランダ側を見ることができました。木々の葉が散った今の時期でないと「上高地帝国ホテル」のベランダ側の建物を見ることができないそうです。そこから300mほど進むと「上高地散策マップ」の説明板や「河童橋」、「ウェストン碑」、「大正池・田代池」の案内矢印板があり、そこを右方面に進みました。しばらく進むと「梓川左岸」に到着しました。ここがまた絶景で、清く澄んだ「梓川」の流れと川原の美しい風景、そして、遠くに雄大な「明神岳」を眺めることができます。また、かすかですが遠くに「河童橋」が小さく見えました。「ネイチャーガイド」にこのポイントの名称を尋ねると、特に名前はないそうですが、地元の人々は、「大曲」と呼んでいるそうで、確かに「梓川」が大きく蛇行しています。また、そばには「穂高連峰」の説明板があり、日本第3位の高峰でもある奥穂高岳(3,190m)で、前穂高岳(3,090m)、北穂高岳(3,106m)、西穂高岳(2,909m)、日本百名山・新日本百名山である「奥穂高岳」、花の百名山の「西穂高岳」なども眺めることができます。<br />「大曲」から「河童橋」まで600mほどの散策です。まず、感激したのは「梓川」の河原のただの石ですがその白さには驚きました。「ネイチャーガイド」があれは雪化粧しているのだと冗談を言っていました。それほど河原の石が白く輝き、川の清流と調和しています。次に、驚いたのは、木々のところ何処に「トロロ昆布」のようなものが絡み付いているのを家内が発見しました。「ネイチャーガイド」に質問してみると、菌類の一種で成長するとこのようになるそうです。別の始点から見ると木がショールを羽織っているようにも見えます。少し進むと左手に「岳沢」が見えてきます。「岳沢」は、上高地から穂高連峰へ登る途中、標高2,230mにあり、「岳沢ヒュッテ」がある場所として登山家たちに知られています。前穂高岳や奥穂高岳への上級者向けの登山基地ですが、上高地から日帰りで登って来れ、穂高連峰を間近に見られるスポットとしても人気があります。夏は1000近くのテントが設営されるそうです。トイレに行くためにテントから離れると自分のテントがどれか分からなくなるそうです。さらに進むと「梓川」沿いに白樺の並木道がありました。そして、「梓川」に目を向けると水鳥が潜ってエサを採っている光景を目撃しました。上流には、「河童橋」が段々大きく見えてきました。<br />「河童橋」の袂に到着しました。「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」のある「五千尺ホテル」も「河童橋」のすぐそばにありました。また、河童橋の両岸には、宿泊設備や素敵なレストラン、美味しいアップルパイのお店などが沢山ありました。ただし、観光客で溢れかえっていました。近くには、バスやタクシーが入って来ることのできる最終地点の「上高地バスターミナル」もあり、そこにも結構レストランやお土産物のお店もありました。「河童橋」は、上高地のランドマークであり、橋の上からは雄大にそびえ立つ「穂高連峰」、「岳沢」や「明神岳」そして、「梓川」の流れが陽光に煌めいている景観を楽しめ、まさに、絶好の撮影スポットです。4月27日の開山祭から5月の連休にかけて、あるいは7月中旬からの夏休み期間、そして10月上旬あたりからの紅葉の時期など、最盛期ともなれば「河童橋」周辺は「上高地銀座」と呼ばれるほど多くの観光客で賑わうそうです。「ネイチャーガイド」の話によると、今日の30倍くらいの観光客が押し寄せてくるそうです。今日でも「河童橋」付近は観光客で混雑しているのに、その30倍とは想像がつきません。ちなみに、「河童橋」の建設年月日は不詳で、最初の橋はいつ頃架けられたのか定かではありません。当初は、現在の橋と違って、「梓川」の両岸から木材をせり出すように架けられた「跳ね橋」でしたが、明治43年(1910年)に「吊り橋」となったそうです。現在の橋は平成9年(1997年)に架け替えられた5代目の吊り橋です。そして、小梨平にある「上高地ビジターセンター」の入り口付近には、架け替えで取り外された2代前の「河童橋」の欄干が設置されています。また、「河童橋」の名前の由来は、「その昔、ここに河童が住んでいそうな深い淵があった。」とか、「橋のなかった時代、衣類を頭にのせて川を渡った人々の姿が、河童に似ていた。」など諸説があるそうです。「河童橋」がここまで有名になったのは、「芥川龍之介」が昭和2年(1927年)に発表した小説「河童」のなかで、「上高地」や「河童橋」が描写されていることで、その名が広く知られるようになったそうです。「河童橋」のところで一旦トイレ休憩です。一つ知っておいてほしいのですが、11月を過ぎると宿泊施設、食堂、トイレなどが閉鎖になるところが多いということです。特に、トイレはほとんど閉鎖されていて、「河童橋」を過ぎると「穂高神社奥宮」までありません。「小梨平公衆トイレ」、「明神公衆トイレ」などが閉鎖されていました。<br />トイレ休憩をすませ「河童橋」から「明神池」に向かいます。「河童橋」から「五千尺ホテル上高地」の脇を通るとすぐのところに上高地の「清水川」があります。何の変哲もない清らかな川に見えましたが、ネイチャーガイドがここで急に足を止め、川をよく見るように言われました。水は澄んでいてきれいだと思った次の瞬間、川の中に水草が、ゆらゆらゆらめいていていました。ネイチャーガイドの説明によると梅花藻といって、きれいな水にだけ育つ植物で、夏にはウメに似た白い花を咲かせるそうです。水の中に咲く花、まさに水中花ですね。残念ながら私は、今までに一度も見たことがありません。「清水川」は、雨が降った後でも濁ることがなく日照りにも枯れることがないため、上高地の貴重な飲料水源となっているそうです。また、ネイチャーガイドが「みなさんの宿泊している上高地帝国ホテルの飲料水はここから引き込んでいます。」という説明がありました。すぐ近くにある「小梨平」にはキャンプ場がありますが、キャンプをしている人達が夏にはこの川の水でスイカやビール、飲料水を冷やしている光景をよく見かけるそうです。<br />「清水橋」を渡ると右前方に「上高地ビジターセンター」がありました。「上高地ビジターセンター」に立ち寄れば、上高地の花や昆虫・鳥の資料、歴史などを学べます。残念ながら立ち寄るコースになっていないために、外観を眺めるだけでした。しかし、「上高地ビジターセンター」の入口付近に設置されている架け替えで取り外された2代前の「河童橋」の欄干の説明はキチンとしてくれました。<br />「清水橋」から「小梨平キャンプ場」そして「上高地キャンプセンタ―」の抜けると林道が続きます。まず、右側の斜面に苔が群生していました。苔好きな人にはたまらない光景が目の前に広がっています。そして、しばらく歩くと斜面の下の方をみるようにネイチャーガイドから指示がありました。そこには「清水川」の湧水の湧いている沢がありました。一応写真に収めましたが、見ていただくと分かるようにほんの小さな水たまりのようです。これがあんな大きな川の流れになるなんて想像もできませんでした。しばらく進むと右手に「カラマツ精英樹松本102号」と書かれた支柱があり、その脇には「101」と「102」と白いペンキで書かれたカラマツが2本ありました。ネイチャーガイドから説明によると、この二本のカラマツは、林野庁が指定した優秀な種をもつカラマツだそうです。しかし、上高地は国立公園に指定されているので、種を採取して他の場所に植えることもできないそうです。次に目にしたのが、途中から湾曲しているカラマツです。生命力が強いので、本来まっすぐ生えている木が腐ってもこのようにその部分が湾曲して成長するそうです。また、しばらく進むと枝が片方だけのカラマツが群生していました。ネイチャーガイドから説明によると、他の大木があるので日が当たらにために、太陽の光を求め、枝がこのような特異の成長をしたそうです。<br />林道を抜けると「梓川」沿いに戻ってきました。ここで素晴らしい光景を目にしました。「梓川」の川原で猿同士が毛づくろいしていました。他のツアーの参加者もこの光景を見て感激していいました。ところがこれは序の口で、多数の親猿や子猿に遭遇しました。私を含めツアーの全参加者は、もう自然の景観はそっちのけで猿に目と心を奪われ、写真撮影に夢中になっていました。ネイチャーガイドから説明によると、上高地には、三つの猿の群れがあり、それぞれテリトリーを構成しているそうです。大正池付近、明神池付近そして徳澤付近に200頭くらいの集団を形成しているそうです。たまに他の群れの猿がテリトリーに入ってくると戦争が勃発するそうです。また、上高地の猿は日本で一番寒い所に生息している猿だそうです。青森県の下北半島にいる猿が北限で、一番寒い所かと思ったらそうではありません。そして驚いたことに上高地の猿は獰猛でなく、人が近づいても驚きもしません。すぐそばで写真を撮っても気にする様子は全然ありませんでした。ネイチャーガイドから注意点があり、エサをやらないことと猿と目を合わせてはいけないそうです。マレーシアの観光客は、猿と共存しているので、エサを与えてしまうそうです。そうすると猿もエサほしさに獰猛になっていくとも言っていました。<br />猿たちに気を取られているうちにいつのまにか「穂高奥宮」、「明神池」、「参道」と書かれた木製の標柱がある場所に到着しました。この向こう側に「明神橋」、「穂高神社奥宮」、「明神池」があり、絶景が目の前に現れてくるはずです。この明神地区は、眼前にそびえる「明神岳」をご神体とした「穂?神社奥宮」の神域です。ネイチャーガイドからの説明によると、現在の「明神岳」は、「穂高岳」という大きな山体名が、昭和時代になって「明神岳」と「前穂高岳」とに分かれた名称です。「明神」からは「明神岳」のみが見えるそうです。左手にある「穂?奥宮・参道」の標柱を、明神岳の真下にまっすぐ進んでいくと「明神橋」があります。橋の手前は絶好の撮影ポイントの一つで、「明神岳最南峰」を見上げる景色はまさに圧巻です。「明神橋」を渡れば、「明神池」へと道は続きます。イワナ料理で有名な「嘉門次小屋」、「嘉門次碑」を過ぎた先には「穂?神社奥宮」があります。「穂?神社奥宮」の御祭神は「穂高見命」で、北アルプスの総鎮守、海陸交通の守り神、結びの神として鎮座しています。また、穂高連峰の最高点である奥穂高岳の頂上には「嶺宮」も造営されているそうです。毎年10月8日には、明神池お船祭りである「穂?神社奥宮例大祭」が行われます。神官による祝詞、巫女による舞が奉納された後、平安装束に身を包んだ神官らが「龍頭鷁首」の2艘の御船で「明神池」を周遊します。雅楽の調べの中、荘厳で神秘的な「明神池」で繰り広げられる光景は、さながら平安絵巻のようだそうです。ちなみに、「鷁」とは鵜に似た白い大型の水鳥のことで、中国の想像上の水鳥だそうです。「鷁」は、風波を恐れず逞しく飛ぶところから水難除けとされています。チケット売り場を入った所に「龍頭」と「鷁首」が置かれています。参拝を済ませ、チケット売場で500円の拝観料を支払い、その脇を進むと「明神池」になります。「明神池」は、「一之池」と「二之池」の大小2つからなる池で、遊歩道脇には「三之池」もあったそうですが、現在は土砂の堆積によりなくなってしまったそうです。「明神池」は、「梓川」の古い流路の低地に「明神岳」からの湧水がたまってできた池で、常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しないそうです。これで本日のネイチャーガイドとの散策は終了し、来た道を「河童橋」まで戻り昼食です。「嘉門次小屋」でイワナ定食を食べたかったのですが、混雑していたので「河童橋」付近で昼食を取ろうということになりました。ところが「河童橋」付近のレストランはどこも一杯でした。もし、これがシーズン中だったら大変なことだと思いました。「河童橋」の「五千尺キッチン」の長蛇の列に並び家族三人で「山賊焼き定食」を食べました。上野駅や東京駅の駅弁の「山賊焼き弁当」と違い、味付けはニンニクと塩味です。値段も良かったのですが、鶏肉の量も半端ではないくらいありました。「五千尺キッチン」を後にして、「梓川」右岸にあるツアーガイドが美味しいと薦めてくれた「トワサンク上高地」のアップルパイをホテルへ帰ってから食べようということでテイクアウトしました。<br />そして、本日の最終目的である「ウェストン碑」へ向かいました。「河童橋」から歩くこと15分ほどで、「ウェストン碑」へ着きました。「ウェストン」は、イギリス人の宣教師かつ登山家で、正式には「ウォルター・ウェストン」です。「ウェストン」は、登山家として日本各地の名峰を制覇し、明治24年(1891年)上高地にも訪れて山案内人「上條嘉門次」とともに北アルプスに挑みました。そして、明治29年(1896年)に著書「日本アルプスの登山と探検」のなかで上高地の魅力を世界に知らしめました功労者です。日本山岳会は、上高地を愛した異邦人は日本近代登山の父として、その栄誉を称えるとともに「ウェストン」の喜寿を祝って、昭和12年(1937年)梓川沿いの広場に額面型のレリーフを設置しました。ところが第二次世界大戦が勃発し、敵国となった英国人のレリーフはわずか5年余りで取り外されてしまいました。日本山岳会に保管されていたレリーフは空襲により一部が焼損してしまいましたが、修復され昭和22年(1947年)6月14日に現地に戻されました。「ウェストン碑」を後にして、「霞沢橋」、「穂高橋」そして「田代橋」を渡り、ホテルに戻りました。<br />第二日目の夕食は、フランス料理「ダイニングルーム」で頂きました。メニューの内容は、「前菜」がビーツでラッケした信州サーモンのミ・キュイ安曇野コシヒカリのクリームとキャビア、「スープ」が栗のスープ ニョッキと市田柿、「魚料理」が平目と海の幸の白ワイン蒸し木曽の御嶽白菜の優しいソース、「肉料理」が国産牛フィレ肉のパイ包み焼き信州産ポテトのグラタンとトリュフソース、「デザート」が信州産林檎入りクレープのフランベヴァニラアイスクリーム添えそして「飲み物」はコーヒー 小菓子添えでした。特に、何が始まるのかと思いきやデザートのクレープでは、レストランの照明を落とし、果物をフランベし青白い炎がレストランを彩るショーもあり、十分楽しむことができました。<br /><br />【旅行第三日目:11月12日(日)】<br />最終日の朝食は、昨夜に引き続きフランス料理「ダイニングルーム」で食べました。アメリカンブレックファストでした。残念ながら、昨夜食べすぎたのかお腹の調子が悪く食べることができませんでした。しかし、朝食を抜いたせいかお腹の調子も良くなり、大正池までの散策に出発しました。<br />第三日目は、昨日に引き続きチェックアウトの時間まで、「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」のガイドの案内による「上高地帝国ホテル」から「大正池」までの1時間30分の大自然の中を散策するコースです。<br />ホテルを8:30分出発し、昨日同様に「上高地帝国ホテル」の裏手にまわり、林道を歩き最初のチェックポイントである「穂高橋・田代橋」へ向かいました。ネイチャーガイドの説明によるとこの林道は、10時以降はタクシーなどの車の進入が規制されるので、今の時間帯はホテルの宿泊客を送迎するタクシーが頻繁に通るそうです。確かに次から次へとタクシーが来て、その度ごとに道の片側に参加者は寄らなければなりませんでした。林道に入ってすぐに、「上高地帝国ホテル」の従業員の寮が左手にありました。ちなみに、ネイチャーガイドの説明によるとこの従業員寮が上高地で一番広い建物だそうです。しばらく歩き向かう途中に、枯れた笹の茂みがありました。ネイチャーガイドの説明によると笹の寿命は約70年で、寿命が尽き枯れると葉が黄色くなるそうです。野鳥や植物の説明を聞きながら林道を歩くこと15分で「中の瀬園地公衆トイレ」に着きました。やはりこの先トイレは大正池に着くまでないので、念のために用を済ましてくださいという指示がありました。その先50mほどの所に「穂高橋・田代橋」が見えてきました。<br />「穂高橋・田代橋」は、「大正池」と「河童橋」のほぼ中間に位置しています。この自然の地形を利用した「穂高橋」と「田代橋」が架かっている地点は、「梓川」が、すぐ先でまた合流しますが、二又に分かれている場所です。橋の上に立つと「梓川」のせせらぎが心地く耳に入ってきます。そして「梓川」の清流に架かる橋の上からは、上流に「穂高連峰」、下流に「焼岳」が望め、インスタ映えのする場所でもあります。ちなみに、ネイチャーガイドの説明によると「穂高橋・田代橋」は、上高地の「梓川」に架かる橋で唯一の鉄筋コンクリート造りです。また、「穂高橋・田代橋」は、橋脚がそれぞれの橋の中間あたりにはありません。これは、台風や雪解けで「梓川」の流れが激しくなり、倒木などがひっかかり破損してしまうからだそうです。また、川が合流する地点は、水面がコバルトブルーになっていて深くなっているそうです。橋の欄干には、猿の糞があるので注意するようにとのアドバイスもありました。たしかに、緑色の糞らしきものがありました。上高地の猿は、笹を食べるので糞が緑色になるそうです。それと上高地の猿は、NHKの番組でも取り上げられたそうですが、川に入って魚を取り、食べるそうです。ネイチャーガイドの話を聞くといろいろ勉強になります。<br />次に、「穂高橋・田代橋」の手前の樹林帯の中の遊歩道を左に入り、「田代湿原」・「田代池」へ向かいました。「田代湿原」・「田代池」への途中には、「上高地のおいたち」の説明板や啄木鳥が木に開けた穴が沢山ありました。ここでネイチャーガイドの説明がありました。啄木鳥は他の鳥のように、メスへの求愛や縄張りをアピールするための特定のさえずりを持っていません。 その代わりに、枯れ木などを高速でつついて音を出すドラミングを行います。当然のことですが、エサを採るために木をつついて穴を開けるわけですが、奥にいる虫は舌を伸ばして食べるそうです。何と啄木鳥の舌は自分の体の長さ位あり、それを伸ばして木の中の虫を捕獲するそうです。また、啄木鳥の巣が何故高いところにあるかと言えば、雛が蛇に食べられないようにするためだそうです。「田代湿原」・「田代池」への途中の川で茶色をしているものもありました。他の川は、澄んでいましたが、鉄分を含んでいるので、茶色だそうです。<br />そうこうするうちに、樹林帯の中の遊歩道を抜けると突然視界が開け、目の前に「田代湿原」が広がり、右隣りには「田代池」が静かに佇んでいました。「田代湿原」をよく見ると所々に道のような筋が入っていました。ネイチャーガイドに質問したところ、動物が通った跡だそうです。恐らく猿ではないかとのことでした。この湿原を人間が通ると、足がとられ沈み込んでしまうそうです。「田代池」は、原生林のなかに、ぽっかりあいた湿原に広がる池で、「六百山」や「霞沢岳」の伏流水が湧き水となって溜まり、氷点下になる季節も全面結氷しないそうです。また、池の中をよく見てみると多数の魚が泳いでいました。イワナだそうです。ただし、純粋なイワナでなく、鮎や他の魚の遺伝子が混じっているものだそうです。<br />次は、上高地の散策の最終ポイントである「大正池」です。「田代湿原」・「田代池」からは1km、15分ほどで着きました。「大正池」は、大正4年(1915年)「焼岳」の噴火により、噴出した熔岩や泥流によって梓川が堰き止められて出現した池です。当時は広大な面積だったことから「梓湖」と言われていたようですが、いつしか「大正池」と呼ばれるようになりました。この池は、昭和の初期以来、発電用の貯水池として利用されていますが、「焼岳」の斜面や、「梓川」の上流から流れ込む土砂によって池は ずいぶん小さくなり、枯れ木も倒れて残りわずかになっています。ネイチャーガイドの説明によると枯れ木は4本しか残っておらず、あと何年かすると朽ち果ててしまい、水の中に埋もれてしまうので、貴重な立ち枯れの木を見ることができるということでした。また、「梓川」の上流から流れ来る砂礫や、雨が降るたび「焼岳」の沢から流れ込む土砂が毎年大量に堆積しています。自然のままにしておけば、いずれ大正池は埋まってしまうことが懸念されるので、シーズンも終わりに近づいた11月、大正池に流れ込む土砂を取り除く浚渫作業が行われているそうです。これで2日間にわたる上高地の散策は終了です。「大正池ホテル」の前のバス停からバスに乗り、「上高地帝国ホテル」に戻り、チェックアウト後に、「松本城」に向かいます。<br />「上高地帝国ホテル」を出て、最終目的地である「松本城」に向かいました。「上高地帝国ホテル」から「松本城」への所要時間は、バスでほぼ1時間でした。当日は、「松本マラソン2023」が行われているので、渋滞するかと思いましたが、すんなりと松本城近くの「松本城大手門駐車場(大型車専用)」に着きました。ここから「松本城」まで歩いて10分弱でした。「松本城」の「松本城観覧券発売所」付近に「松本城」へ上るには30分待ちと書いたボードがありました。この時点では、すぐ天守閣まで行けるだろうと楽観していましたが、「松本城」の入城口である「渡櫓」まで長蛇の列ができていました。ここからすんなりと行けるかと思いきや甘い考えでした。「松本城」の各階層とも通路が狭く、階段も急で大渋滞です。特に、「天守最上階」とその下の「御座所」は、さらに通路が狭く、階段も一つ一つの間隔が広く、ジェットコースターのような感じで、観光客がすし詰め状態でした。余りにも人が多すぎ、写真に人が写りこんでしまうので、写真を満足に撮ることができませんでした。「松本城」に関して、詳細にここでレポートしていきたいと思います。「松本城」の正面の入口を左手に進むと、「松本城」と「内堀」が見えてきます。「松本城」は起伏のない平らな場所に築かれた「平城」で、「山城」と比べて防御性が低いため、城の周囲にはお堀が造られたそうです。お堀は本丸を囲む「内堀」、「外掘り」と「総掘り」があります。「松本城高麗門」に架かる橋を渡り、「高麗門」をくぐると「松本城観覧券発売所」があります。「本丸庭園」と「天守の観覧」は有料ですので、こちらの「券売所」で入城券を購入します。観覧料は大人700円、小中学生300円です。入場券は松本市立博物館との共通券になっているのでお得です。次に、「本丸」に入る重要な役目を果たした「黒門」をくぐると目の前に「本丸庭園」と「松本城」が目の前に現れます。「黒門」をくぐったすぐ右手には「松本城保存の功労者」が建立されています。左手奥には、「水野忠直奉献灯籠」、さらにその先に進むと日本にある「全国城郭管理者協議会」に加盟している全国49城の写真が展示されています。お城の出口である「月見櫓」付近には、「おもてなし隊」がいて気軽に写真撮影に応じてもらえます。<br />「松本城」の歴史等を紐解いてみると、「松本城」は、標高約590mの松本盆地に築城され、築城当時のままの姿が残っている歴史的価値のあるお城で、「姫路城」、「彦根城」、「犬山城」、「松江城」とともに国宝に指定されています。松本藩の城主は年代によって変わり、その数は6家23人にものぼります。松本城の最大の特徴が、戦国時代に作られた大天守、乾小天守、渡櫓と泰平の戦のない江戸時代に作られた辰巳附櫓、月見櫓がひとつの天守群になっていることです。また、「松本城」は、天守の築造年代は文禄2年~3年(1593年~1594年)と考えられ、現存する五重六階の天守としては日本最古の城で、戦国時代の永正年間に造られた「深志城」が始まりです。なお、現存12天守の中でも、5層の天守を持つ城は、日本では松本城と姫路城しかありません。<br />「本丸庭園」を散策したあとは、いよいよ「松本城」の内部へ入ります。「松本城」の入城口は「渡櫓」にあります。靴を脱いで上がるので、入城口では警備員の方がビニール袋を渡してくれます。その警備員の方の話だと「松本城」は、フランスで人気があり沢山の観光客が来るそうです。もちろん他国の観光客もいましたが、そう言えば、「上高地」は台湾で人気があり、台湾人の比率が一番多いとネイチャーガイドが言っていたのを思い出しました。「松本城」の「天守」は、入ってみると驚くぐらいシンプルで飾り気がありませんでした。お城と言うと豪華絢爛なイメージがありますが、「松本城」は、戦のために建てられたものなのだからそうです。チェックポイントの一つ目として「松本城」は外から見た時にかなりの数の窓のようなものが確認できました。何かと思ったら、攻撃を受けた時に、敵兵に弓や鉄砲を発射したり、石を落したり反撃するための小窓だそうです。ちなみに、弓矢を放つ「矢狭間」は60カ所、鉄砲を撃つ「鉄砲狭間」は55カ所、城壁を上ってきた敵へ石を落とす「石落」は11カ所もあるそうです。ただし、「松本城」では実戦が行われたことは一度もなかったそうです。次のチェックポイントが刀剣、槍、刀、火縄銃そして合戦時の武士の格好を再現した甲冑です。この甲冑を身につけた武士は、腰に巾着のようなものをぶら下げていました。これは、火縄銃の弾薬を入れるためのものだそうです。甲冑、刀と銃で相当な重さだったそうです。次のチェックポイントは、「大天守最上階」です。約16畳の正方形の部屋になっています。東西南北に窓が配置されていて、それぞれ異なる景色が楽しめます。天気がよければ、北アルプスの山々も見えるそうです。天守の天井が明るかったので、顔をあげ見てみると「二十六夜神」という月の神様が祀られていまました。「松本城」がさまざまな危機を回避できたのは、この神様のおかげと言われているそうです。現在でも、警備員さんが毎朝必ずお祈りをしているそうですよ。次が、「天守」の下の4階の「御座所」です。「御座所」は、城主が「天守」の最上階ではなく、4階に座を構えたと考えられます。ただ、接待の場所ではなく、あくまでも戦闘で最終局面を迎える時に座る場所だったようです。次のチェックポイントは、「辰巳附櫓」です。「辰巳附櫓」は「天守」の2階と繋がっていて、太平の世に造られたものなので、豪華絢爛とはいかないまでも優美な造りになっています。ここで注目して欲しいのが、「花頭窓」という寺院建築で見られる窓が採用されています。最後のチェックポイントは、「月見櫓」です。「辰巳附櫓」から階段をくだった先には、「月見櫓」があります。こちらも「辰巳附櫓」と同じ時代に造られたもので、その名の通り「お月見をするための櫓」で、「本丸庭園」の眺めがすばらしい場所です。「月見櫓」から1階におりて、「松本城天守」の見学は終了です。<br />昼食は、風情溢れる蔵の街である中町商店街にある信州手打ちそば専門店「蔵の花」で食べました。「蔵の花」は、中町通りと裏小路通りに挟まれた新小路通りにある信州手打ちそばの専門店です。「松本城」が混雑していいたので、閉店時間ぎりぎりにお店に到着しました。蔵造りのお店で、ドアを開けると店の入口にある石臼が目を引きます。この石臼を目にしただけで美味しいのは間違いないと思いました。また、「蔵の花」では、挽きたての八ヶ岳産そば粉を使い、打ちたてのそばを食べてもらうことをモットーとしているそうです。私は「ザル蕎麦」と「舞茸の天ぷら」を家内と娘は「天ざる」を注文しました。注文すること10分くらいで三人の蕎麦がテーブルに運ばれてきました。お蕎麦は昨日、一昨日と食べたものとは違い色が若干濃かった気がしました。蕎麦の食感は少々固めで、太めですが、味も喉越しもよく、美味しかったというのが感想です。また、出汁は少々甘口で、蕎麦湯を注ぐと良い香りが漂いました。そして、蕎麦茶も美味しかったと思います。<br />昼食を済ませ、ツアーのバスに戻り、上田駅に向かい帰路につきました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

歴史と伝統ある上高地帝国ホテルに連泊して、ネイチャーガイドによる案内で上高地の自然と満点の星空を満喫

16いいね!

2023/11/10 - 2023/11/12

655位(同エリア2109件中)

0

378

Lily-junjunさん

この旅行記のスケジュール

2023/11/10

  • 北陸新幹線 あさま605号 上野駅 09時10分発⇒上田駅着 10時29分

  • ツアーバスにて移動:上田駅 10時40分⇒松本市内 11時50分着 ホテル ブエナビスタで昼食

  • ツアーバスにて移動:ホテル ブエナビスタ発 13時10分⇒道の駅「風穴の里」14時00分着トイレ休憩

  • ツアーバスにて移動:道の駅「風穴の里」14時00分発⇒上高地帝国ホテル 15時00分着

2023/11/11

2023/11/12

  • 北陸新幹線 あさま628号 上田駅 17時23分発⇒上田駅着 18時47分

この旅行記スケジュールを元に

生まれて初めての上高地です。今回は娘の誕生日のお祝いということで、かねてから娘が行きたい、そして泊まりたいと言っていた上高地帝国ホテルに宿泊しました。年金暮らしの私たち夫婦にとって決して安い金額ではありません。娘の喜ぶ顔と私たち夫婦の冥途の土産ということで、今後は二度と行くことはできないと思うので、清水の舞台から飛び降りるつもりで上高地旅行に行くことを決心しました。今まで見たことも経験したこともない上高地の大自然と数億個の満天の星空に感激しました。上高地では紅葉は終わっていましたが、上田から上高地に向かう途中に、周りの山々に紅葉が残っているのをバスの車窓から見ていい目の保養になりました。
【旅行第一目:11月10日(金)】
第一目は、上野駅を9時10分発の長野新幹線「あさま605号」に乗車し、上田駅へ向かいました。残念ながら上田駅に到着した時、小雨がパラついていました。上田駅からツアーのバスに乗り、昼食をとるために松本市内へ向かいました。昼食会場は、長野県松本市本庄にある「ホテルブエナビスタ」の五階の料亭「深志楼」の大広間「月見」です。お弁当なので料理は事前に用意するため冷めていましたが、お蕎麦は茹でたてを食べさせてくれました。食感としては、麺は柔らかめで、風味豊かな出汁もコクがあり、さすが信州蕎麦だと感じました。そして、大広間から眺めることのできるホテルの空中庭園は、きれいに手入れされ、料理の味を一層引き立ててくれました。「ホテルブエナビスタ」はJR中央線「松本駅」お城口から徒歩9分700mの所に位置しています。JR中央線「松本駅」から「ホテルブエナビスタ」へは、無料のシャトルバスがあります。正面エントランスを入ると左手にあるホテルショップ「パセオ」に大きなマントルピースがでんと構えていたのが印象的でした。ツアーコンダクターから上高地に行くと飲み物やお菓子類など高いので、ホテル周辺にあるセブンイレブンで買った方がよいとアドバイスがありました。ホテルショップ「パセオ」で驚いたことが一つありました。こ「パセオ」では、お土産ばかりでなくケーキ、パンなども販売していました。実は、このパンが美味しく、しかもリーズナブルな値段でした。なんと立派なパオンショコラが230円という値段でした。他のパンも同様にリーズナブルな値段で、私は大きなアンパン、家内と娘はパオンショコラを購入しました。ここのパンは美味しくお薦めですね。
「ホテルブエナビスタ」を後にして「上高地帝国ホテル」へ行く途中に、トイレ休憩で道の駅「風穴の里」に立ち寄りました。バスに乗ること40分ほどで道の駅「風穴の里」に到着しました。雨脚は上田駅についた時より少し強くなりました。しかし、近くの山が紅葉しているのを見て、雨で鬱憤としていた気分が少々晴れました。休憩のあと宿泊先である「上高地帝国ホテル」へ向かいました。
今回の旅行の宿泊先は、安曇上高地にある「上高地帝国ホテル」で二泊します。「上高地帝国ホテル」は、ひっそりとした木立の中に佇み、いすスイスやアルプスの山小屋を思い起こさせる赤い三角屋根がシンボルの山岳リゾートホテルです。「上高地帝国ホテル」の歴史を紐解いてみると日本初の本格的山岳リゾートホテルとして昭和8年(1933年)に開業しました。メーンエントランスを入ると正面には、ホテルのシンボルマントルピースがあります。フロントは、右手にあり、リゾートホテルなので部屋数も少ないせいかこじんまりとしていますが、昔懐かしいフロントと言う感じがします。今日は小雨が降っていて、残念ながら周囲の散策はできませんでした。また、客室は、穂高連峰の雄大な景色を楽しめるベランダ付きの部屋を期待していたのですが、正面エントランス側で眺めはよくありませんでした。15:00ころホテルに到着したので夕食まで時間があるので、ホテルの館内の探検の旅に出ました。小雨が降っていましたが、正面エントランス側とベランダ側からホテルの外観を撮影しました。ホテルの正面エントランスを入ると右手にあり、入口右手には、宿泊者専用の貸出用の傘、ポンチョ、クマよけ錫が配備してありました。もちろん無料で利用することができます。その左手には、路線バスやシャトルバスの時刻表と料金が載っている「お知らせ」ボードがありました。「お知らせ」ボードの裏側は、今日の天気、最高気温、最低気温、マントルピースの点火式の案内、タクシー予約などのお知らせ事項が掲出してありました。そこを左手に進むと古風で格式あるエレーベータ―があります。その前には、「帝国ホテル」と創始者の一人である「渋沢栄一」の歴史年表が掲出されています。さらに奥に進むと左手に8:00から20:00まで営業している「ギフトショップ」があります。「ギフトショップ」の前には、小暮真望作による上高地、穂高連峰、河童橋、上高地帝国ホテル開業90周年記念作品の「シルクスクリーン版画」が多数展示されています。さらにその奥には、フランス料理のレストランである「ダイニングルーム」があります。正面エントランス方面に戻るとマントルピースがあるロビーラウンジ「グリンデルワルト」の左側に現在の「上高地帝国ホテル」の模型が、右手には開業当時の「上高地帝国ホテル」の模型があります。階段を数段上りロビーラウンジ「グリンデルワルト」に入ると、目の前には「マントルピース」が、左奥には、バー「ホルン」がありました。「グリンデルワルト」の階段を降り左手に進むと、「水汲み場」があります。「水汲み場」では、六百山に降った雪や雨が地面にしみ込み、少しずつろ過され湧き水を引き込んでいます。ペットボトルに入れ翌日散策に持ち歩くことができます。もちろんその場でも飲めます。さらに進むと「読書室」があり、上高地等に関する蔵書や写真が展示されていました。新聞各紙も常備してありました。「読書室」の前には、今夜の夕食会場である日本料理「あずさ庵」がありました。
そこうするうちに17:00からの「マントルピースの点火式」が始まる時刻が近づいてきました。ツアーコンダクターの説明だと20分くらい前に会場であるロビーラウンジ「グリンデルワルト」に来るといい席が確保できると言うことなので、家内と娘の三人で会場に行きました。もちろん見学するのは無料です。一応、係員が飲み物のオーダーを取りに来ますが、注文しなくても大丈夫です。上高地の湧水で淹れたコーヒーが美味しいということなので、コーヒーを注文しました。コーヒーは滑らかな舌触りで、香りが口の中で広がりました。
「マントルピースの点火式」は、夏場以外の日中の気温が15℃以下となる寒い時期に、夕方5時からホテルのベルマンによる火入れ式が行われます。会場の照明が落とされ火入れ式が始まりました。ベルマンがマントルピースの槇に火をつけ、フイゴで空気を送ると瞬く間に火が燃え盛りました。一足早いクリスマスといった感じですが、周囲には木の香ばしい香りが漂い、ほんのり温かくなりました。
「マントルピースの点火式」のイベントが終了したところで、いよいよ夕食です。本日の夕食は、日本料理「あずさ庵」です。「前菜」は柿のクリームチーズ白和え、出汁巻き玉子いくらがけ丸十含め煮、松茸佃煮、モロッコインゲン、揚げ銀杏、小松菜お浸し、天子南蛮漬けです。柿とクリームチーズが合うのかと思いましたが、意外とクリーミーであっさりして美味しいと感じました。次は、「御椀」で、蓮根餅、松茸、紅葉人参、法蓮草、柚子が入った上品な味でした。次の「造り」は、鮪、間八、それと地元で捕れた信州サーモンで、どれも新鮮で、臭みはなく、刺身の苦手な私でも美味しく食べられました。メーンの「焼物」は飛騨牛グリル焼き信州茸味噌ソースです。飛騨牛は非常に柔らかく、口の中で溶けてなくなりました。信州茸味噌ソースとの相性も抜群です。次は、「煮物」です。お椀の中に、ひろうす、南京、法蓮草が入っていて、柚子が味を一層引き立てました。次が、「御飯又は蕎麦」で、私は「信州蕎麦」を、家内と娘は「松茸御飯」をチョイスしました。蕎麦は若干腰がありますが、喉越しは最高でした。「松茸御飯」には、贅沢にも松茸とウニが添えられていました。締めのデーザーとは、あんずプリン、シャインマスカット、長野パープル、栗のおやきで、あんずプリンにはあんずの果肉がたくさん入っていて、プリンの味を引き立ててくれました。アルコール類は、「おすすめ飲み比べセット」をオーダーしました。純米大吟醸山恵錦アルプス正宗、吉乃川みなも大吟醸、純米吟醸中取り原酒アルプス正宗の三種類を堪能できました。翌日は、ネイチャーガイドとホテルから明神池までの3時間の散策になりますので、早めに睡眠をとりました。

【旅行第二日目:11月11日(土)】
第二日目の朝食は、昨夜に引き続き日本料理「あずさ庵」です。海鮮サラダ(真鯛、ホタテ、スモークサーモンを豆板醤ドレッシング、ミックスサラダをチーズディップドレッシング)、茶碗蒸し、焼物(鮭の塩焼き)、小鉢(ひじきの煮物)、ご飯又はお粥、信州味噌汁、香の物、果物と種類も豊富で地元の食材も沢山使っていました。私は、お粥を頼みました。お粥にかける餡がこれまた美味しかったです。食事を済ませいよいよ上高地の大自然の散策へ出発です。
上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」のガイドの案内による「上高地帝国」ホテルから「河童橋」を通り「明神池エリア」までの大自然の中を3時間ほど散策するコースです。前日の雨も上がり、天気予報は曇りでしたが晴れになりました。例年は、この時期には20cmくらい雪が積もっているそうですが、地球温暖化の現象により上高地も気温が上がり、ここ2~3年は積雪しないという説明がありました。「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」は、上高地唯一の民間常駐ガイドで、「この地を訪れたすべての方に上高地を大好きになってもらいたい」を合言葉に、上高地に生息する動植物や、ありのままの自然をゆったりと、より身近に感じることができるように、分り易くガイドしてくれます。「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」は、河童橋の袂にある「五千尺ホテル」内にあります。最少催行人数は1名からなので、一人旅でも安心して申し込むことができます。ちなみに、主な散策コースは、4コースあります。河童橋から明神地区までの片道2時間、約3.5kmの「明神池コース」、河童橋から大正池までの片道2時間、約3.5kmの「大正池コース」、河童橋から徳沢までの片道3時間30分の「徳沢コース」、河童橋周辺で朝の美しい風景とバードウォッチングを楽しめる約1時間の「早朝コース」、日本アルプスの上に輝く満天の星空を眺めることのできる「ナイトコース」、そして、個人や団体などのニーズに合わせて散策を楽しむ「プライベットコース」などがあります。
まず、「上高地帝国ホテル」の裏手にまわり「穂高橋・田代橋」方面に向かう林道に出ました。そこから「穂高連峰」と「上高地帝国ホテル」のベランダ側を見ることができました。木々の葉が散った今の時期でないと「上高地帝国ホテル」のベランダ側の建物を見ることができないそうです。そこから300mほど進むと「上高地散策マップ」の説明板や「河童橋」、「ウェストン碑」、「大正池・田代池」の案内矢印板があり、そこを右方面に進みました。しばらく進むと「梓川左岸」に到着しました。ここがまた絶景で、清く澄んだ「梓川」の流れと川原の美しい風景、そして、遠くに雄大な「明神岳」を眺めることができます。また、かすかですが遠くに「河童橋」が小さく見えました。「ネイチャーガイド」にこのポイントの名称を尋ねると、特に名前はないそうですが、地元の人々は、「大曲」と呼んでいるそうで、確かに「梓川」が大きく蛇行しています。また、そばには「穂高連峰」の説明板があり、日本第3位の高峰でもある奥穂高岳(3,190m)で、前穂高岳(3,090m)、北穂高岳(3,106m)、西穂高岳(2,909m)、日本百名山・新日本百名山である「奥穂高岳」、花の百名山の「西穂高岳」なども眺めることができます。
「大曲」から「河童橋」まで600mほどの散策です。まず、感激したのは「梓川」の河原のただの石ですがその白さには驚きました。「ネイチャーガイド」があれは雪化粧しているのだと冗談を言っていました。それほど河原の石が白く輝き、川の清流と調和しています。次に、驚いたのは、木々のところ何処に「トロロ昆布」のようなものが絡み付いているのを家内が発見しました。「ネイチャーガイド」に質問してみると、菌類の一種で成長するとこのようになるそうです。別の始点から見ると木がショールを羽織っているようにも見えます。少し進むと左手に「岳沢」が見えてきます。「岳沢」は、上高地から穂高連峰へ登る途中、標高2,230mにあり、「岳沢ヒュッテ」がある場所として登山家たちに知られています。前穂高岳や奥穂高岳への上級者向けの登山基地ですが、上高地から日帰りで登って来れ、穂高連峰を間近に見られるスポットとしても人気があります。夏は1000近くのテントが設営されるそうです。トイレに行くためにテントから離れると自分のテントがどれか分からなくなるそうです。さらに進むと「梓川」沿いに白樺の並木道がありました。そして、「梓川」に目を向けると水鳥が潜ってエサを採っている光景を目撃しました。上流には、「河童橋」が段々大きく見えてきました。
「河童橋」の袂に到着しました。「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」のある「五千尺ホテル」も「河童橋」のすぐそばにありました。また、河童橋の両岸には、宿泊設備や素敵なレストラン、美味しいアップルパイのお店などが沢山ありました。ただし、観光客で溢れかえっていました。近くには、バスやタクシーが入って来ることのできる最終地点の「上高地バスターミナル」もあり、そこにも結構レストランやお土産物のお店もありました。「河童橋」は、上高地のランドマークであり、橋の上からは雄大にそびえ立つ「穂高連峰」、「岳沢」や「明神岳」そして、「梓川」の流れが陽光に煌めいている景観を楽しめ、まさに、絶好の撮影スポットです。4月27日の開山祭から5月の連休にかけて、あるいは7月中旬からの夏休み期間、そして10月上旬あたりからの紅葉の時期など、最盛期ともなれば「河童橋」周辺は「上高地銀座」と呼ばれるほど多くの観光客で賑わうそうです。「ネイチャーガイド」の話によると、今日の30倍くらいの観光客が押し寄せてくるそうです。今日でも「河童橋」付近は観光客で混雑しているのに、その30倍とは想像がつきません。ちなみに、「河童橋」の建設年月日は不詳で、最初の橋はいつ頃架けられたのか定かではありません。当初は、現在の橋と違って、「梓川」の両岸から木材をせり出すように架けられた「跳ね橋」でしたが、明治43年(1910年)に「吊り橋」となったそうです。現在の橋は平成9年(1997年)に架け替えられた5代目の吊り橋です。そして、小梨平にある「上高地ビジターセンター」の入り口付近には、架け替えで取り外された2代前の「河童橋」の欄干が設置されています。また、「河童橋」の名前の由来は、「その昔、ここに河童が住んでいそうな深い淵があった。」とか、「橋のなかった時代、衣類を頭にのせて川を渡った人々の姿が、河童に似ていた。」など諸説があるそうです。「河童橋」がここまで有名になったのは、「芥川龍之介」が昭和2年(1927年)に発表した小説「河童」のなかで、「上高地」や「河童橋」が描写されていることで、その名が広く知られるようになったそうです。「河童橋」のところで一旦トイレ休憩です。一つ知っておいてほしいのですが、11月を過ぎると宿泊施設、食堂、トイレなどが閉鎖になるところが多いということです。特に、トイレはほとんど閉鎖されていて、「河童橋」を過ぎると「穂高神社奥宮」までありません。「小梨平公衆トイレ」、「明神公衆トイレ」などが閉鎖されていました。
トイレ休憩をすませ「河童橋」から「明神池」に向かいます。「河童橋」から「五千尺ホテル上高地」の脇を通るとすぐのところに上高地の「清水川」があります。何の変哲もない清らかな川に見えましたが、ネイチャーガイドがここで急に足を止め、川をよく見るように言われました。水は澄んでいてきれいだと思った次の瞬間、川の中に水草が、ゆらゆらゆらめいていていました。ネイチャーガイドの説明によると梅花藻といって、きれいな水にだけ育つ植物で、夏にはウメに似た白い花を咲かせるそうです。水の中に咲く花、まさに水中花ですね。残念ながら私は、今までに一度も見たことがありません。「清水川」は、雨が降った後でも濁ることがなく日照りにも枯れることがないため、上高地の貴重な飲料水源となっているそうです。また、ネイチャーガイドが「みなさんの宿泊している上高地帝国ホテルの飲料水はここから引き込んでいます。」という説明がありました。すぐ近くにある「小梨平」にはキャンプ場がありますが、キャンプをしている人達が夏にはこの川の水でスイカやビール、飲料水を冷やしている光景をよく見かけるそうです。
「清水橋」を渡ると右前方に「上高地ビジターセンター」がありました。「上高地ビジターセンター」に立ち寄れば、上高地の花や昆虫・鳥の資料、歴史などを学べます。残念ながら立ち寄るコースになっていないために、外観を眺めるだけでした。しかし、「上高地ビジターセンター」の入口付近に設置されている架け替えで取り外された2代前の「河童橋」の欄干の説明はキチンとしてくれました。
「清水橋」から「小梨平キャンプ場」そして「上高地キャンプセンタ―」の抜けると林道が続きます。まず、右側の斜面に苔が群生していました。苔好きな人にはたまらない光景が目の前に広がっています。そして、しばらく歩くと斜面の下の方をみるようにネイチャーガイドから指示がありました。そこには「清水川」の湧水の湧いている沢がありました。一応写真に収めましたが、見ていただくと分かるようにほんの小さな水たまりのようです。これがあんな大きな川の流れになるなんて想像もできませんでした。しばらく進むと右手に「カラマツ精英樹松本102号」と書かれた支柱があり、その脇には「101」と「102」と白いペンキで書かれたカラマツが2本ありました。ネイチャーガイドから説明によると、この二本のカラマツは、林野庁が指定した優秀な種をもつカラマツだそうです。しかし、上高地は国立公園に指定されているので、種を採取して他の場所に植えることもできないそうです。次に目にしたのが、途中から湾曲しているカラマツです。生命力が強いので、本来まっすぐ生えている木が腐ってもこのようにその部分が湾曲して成長するそうです。また、しばらく進むと枝が片方だけのカラマツが群生していました。ネイチャーガイドから説明によると、他の大木があるので日が当たらにために、太陽の光を求め、枝がこのような特異の成長をしたそうです。
林道を抜けると「梓川」沿いに戻ってきました。ここで素晴らしい光景を目にしました。「梓川」の川原で猿同士が毛づくろいしていました。他のツアーの参加者もこの光景を見て感激していいました。ところがこれは序の口で、多数の親猿や子猿に遭遇しました。私を含めツアーの全参加者は、もう自然の景観はそっちのけで猿に目と心を奪われ、写真撮影に夢中になっていました。ネイチャーガイドから説明によると、上高地には、三つの猿の群れがあり、それぞれテリトリーを構成しているそうです。大正池付近、明神池付近そして徳澤付近に200頭くらいの集団を形成しているそうです。たまに他の群れの猿がテリトリーに入ってくると戦争が勃発するそうです。また、上高地の猿は日本で一番寒い所に生息している猿だそうです。青森県の下北半島にいる猿が北限で、一番寒い所かと思ったらそうではありません。そして驚いたことに上高地の猿は獰猛でなく、人が近づいても驚きもしません。すぐそばで写真を撮っても気にする様子は全然ありませんでした。ネイチャーガイドから注意点があり、エサをやらないことと猿と目を合わせてはいけないそうです。マレーシアの観光客は、猿と共存しているので、エサを与えてしまうそうです。そうすると猿もエサほしさに獰猛になっていくとも言っていました。
猿たちに気を取られているうちにいつのまにか「穂高奥宮」、「明神池」、「参道」と書かれた木製の標柱がある場所に到着しました。この向こう側に「明神橋」、「穂高神社奥宮」、「明神池」があり、絶景が目の前に現れてくるはずです。この明神地区は、眼前にそびえる「明神岳」をご神体とした「穂?神社奥宮」の神域です。ネイチャーガイドからの説明によると、現在の「明神岳」は、「穂高岳」という大きな山体名が、昭和時代になって「明神岳」と「前穂高岳」とに分かれた名称です。「明神」からは「明神岳」のみが見えるそうです。左手にある「穂?奥宮・参道」の標柱を、明神岳の真下にまっすぐ進んでいくと「明神橋」があります。橋の手前は絶好の撮影ポイントの一つで、「明神岳最南峰」を見上げる景色はまさに圧巻です。「明神橋」を渡れば、「明神池」へと道は続きます。イワナ料理で有名な「嘉門次小屋」、「嘉門次碑」を過ぎた先には「穂?神社奥宮」があります。「穂?神社奥宮」の御祭神は「穂高見命」で、北アルプスの総鎮守、海陸交通の守り神、結びの神として鎮座しています。また、穂高連峰の最高点である奥穂高岳の頂上には「嶺宮」も造営されているそうです。毎年10月8日には、明神池お船祭りである「穂?神社奥宮例大祭」が行われます。神官による祝詞、巫女による舞が奉納された後、平安装束に身を包んだ神官らが「龍頭鷁首」の2艘の御船で「明神池」を周遊します。雅楽の調べの中、荘厳で神秘的な「明神池」で繰り広げられる光景は、さながら平安絵巻のようだそうです。ちなみに、「鷁」とは鵜に似た白い大型の水鳥のことで、中国の想像上の水鳥だそうです。「鷁」は、風波を恐れず逞しく飛ぶところから水難除けとされています。チケット売り場を入った所に「龍頭」と「鷁首」が置かれています。参拝を済ませ、チケット売場で500円の拝観料を支払い、その脇を進むと「明神池」になります。「明神池」は、「一之池」と「二之池」の大小2つからなる池で、遊歩道脇には「三之池」もあったそうですが、現在は土砂の堆積によりなくなってしまったそうです。「明神池」は、「梓川」の古い流路の低地に「明神岳」からの湧水がたまってできた池で、常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しないそうです。これで本日のネイチャーガイドとの散策は終了し、来た道を「河童橋」まで戻り昼食です。「嘉門次小屋」でイワナ定食を食べたかったのですが、混雑していたので「河童橋」付近で昼食を取ろうということになりました。ところが「河童橋」付近のレストランはどこも一杯でした。もし、これがシーズン中だったら大変なことだと思いました。「河童橋」の「五千尺キッチン」の長蛇の列に並び家族三人で「山賊焼き定食」を食べました。上野駅や東京駅の駅弁の「山賊焼き弁当」と違い、味付けはニンニクと塩味です。値段も良かったのですが、鶏肉の量も半端ではないくらいありました。「五千尺キッチン」を後にして、「梓川」右岸にあるツアーガイドが美味しいと薦めてくれた「トワサンク上高地」のアップルパイをホテルへ帰ってから食べようということでテイクアウトしました。
そして、本日の最終目的である「ウェストン碑」へ向かいました。「河童橋」から歩くこと15分ほどで、「ウェストン碑」へ着きました。「ウェストン」は、イギリス人の宣教師かつ登山家で、正式には「ウォルター・ウェストン」です。「ウェストン」は、登山家として日本各地の名峰を制覇し、明治24年(1891年)上高地にも訪れて山案内人「上條嘉門次」とともに北アルプスに挑みました。そして、明治29年(1896年)に著書「日本アルプスの登山と探検」のなかで上高地の魅力を世界に知らしめました功労者です。日本山岳会は、上高地を愛した異邦人は日本近代登山の父として、その栄誉を称えるとともに「ウェストン」の喜寿を祝って、昭和12年(1937年)梓川沿いの広場に額面型のレリーフを設置しました。ところが第二次世界大戦が勃発し、敵国となった英国人のレリーフはわずか5年余りで取り外されてしまいました。日本山岳会に保管されていたレリーフは空襲により一部が焼損してしまいましたが、修復され昭和22年(1947年)6月14日に現地に戻されました。「ウェストン碑」を後にして、「霞沢橋」、「穂高橋」そして「田代橋」を渡り、ホテルに戻りました。
第二日目の夕食は、フランス料理「ダイニングルーム」で頂きました。メニューの内容は、「前菜」がビーツでラッケした信州サーモンのミ・キュイ安曇野コシヒカリのクリームとキャビア、「スープ」が栗のスープ ニョッキと市田柿、「魚料理」が平目と海の幸の白ワイン蒸し木曽の御嶽白菜の優しいソース、「肉料理」が国産牛フィレ肉のパイ包み焼き信州産ポテトのグラタンとトリュフソース、「デザート」が信州産林檎入りクレープのフランベヴァニラアイスクリーム添えそして「飲み物」はコーヒー 小菓子添えでした。特に、何が始まるのかと思いきやデザートのクレープでは、レストランの照明を落とし、果物をフランベし青白い炎がレストランを彩るショーもあり、十分楽しむことができました。

【旅行第三日目:11月12日(日)】
最終日の朝食は、昨夜に引き続きフランス料理「ダイニングルーム」で食べました。アメリカンブレックファストでした。残念ながら、昨夜食べすぎたのかお腹の調子が悪く食べることができませんでした。しかし、朝食を抜いたせいかお腹の調子も良くなり、大正池までの散策に出発しました。
第三日目は、昨日に引き続きチェックアウトの時間まで、「上高地ネイチャーガイドFIVESENSE」のガイドの案内による「上高地帝国ホテル」から「大正池」までの1時間30分の大自然の中を散策するコースです。
ホテルを8:30分出発し、昨日同様に「上高地帝国ホテル」の裏手にまわり、林道を歩き最初のチェックポイントである「穂高橋・田代橋」へ向かいました。ネイチャーガイドの説明によるとこの林道は、10時以降はタクシーなどの車の進入が規制されるので、今の時間帯はホテルの宿泊客を送迎するタクシーが頻繁に通るそうです。確かに次から次へとタクシーが来て、その度ごとに道の片側に参加者は寄らなければなりませんでした。林道に入ってすぐに、「上高地帝国ホテル」の従業員の寮が左手にありました。ちなみに、ネイチャーガイドの説明によるとこの従業員寮が上高地で一番広い建物だそうです。しばらく歩き向かう途中に、枯れた笹の茂みがありました。ネイチャーガイドの説明によると笹の寿命は約70年で、寿命が尽き枯れると葉が黄色くなるそうです。野鳥や植物の説明を聞きながら林道を歩くこと15分で「中の瀬園地公衆トイレ」に着きました。やはりこの先トイレは大正池に着くまでないので、念のために用を済ましてくださいという指示がありました。その先50mほどの所に「穂高橋・田代橋」が見えてきました。
「穂高橋・田代橋」は、「大正池」と「河童橋」のほぼ中間に位置しています。この自然の地形を利用した「穂高橋」と「田代橋」が架かっている地点は、「梓川」が、すぐ先でまた合流しますが、二又に分かれている場所です。橋の上に立つと「梓川」のせせらぎが心地く耳に入ってきます。そして「梓川」の清流に架かる橋の上からは、上流に「穂高連峰」、下流に「焼岳」が望め、インスタ映えのする場所でもあります。ちなみに、ネイチャーガイドの説明によると「穂高橋・田代橋」は、上高地の「梓川」に架かる橋で唯一の鉄筋コンクリート造りです。また、「穂高橋・田代橋」は、橋脚がそれぞれの橋の中間あたりにはありません。これは、台風や雪解けで「梓川」の流れが激しくなり、倒木などがひっかかり破損してしまうからだそうです。また、川が合流する地点は、水面がコバルトブルーになっていて深くなっているそうです。橋の欄干には、猿の糞があるので注意するようにとのアドバイスもありました。たしかに、緑色の糞らしきものがありました。上高地の猿は、笹を食べるので糞が緑色になるそうです。それと上高地の猿は、NHKの番組でも取り上げられたそうですが、川に入って魚を取り、食べるそうです。ネイチャーガイドの話を聞くといろいろ勉強になります。
次に、「穂高橋・田代橋」の手前の樹林帯の中の遊歩道を左に入り、「田代湿原」・「田代池」へ向かいました。「田代湿原」・「田代池」への途中には、「上高地のおいたち」の説明板や啄木鳥が木に開けた穴が沢山ありました。ここでネイチャーガイドの説明がありました。啄木鳥は他の鳥のように、メスへの求愛や縄張りをアピールするための特定のさえずりを持っていません。 その代わりに、枯れ木などを高速でつついて音を出すドラミングを行います。当然のことですが、エサを採るために木をつついて穴を開けるわけですが、奥にいる虫は舌を伸ばして食べるそうです。何と啄木鳥の舌は自分の体の長さ位あり、それを伸ばして木の中の虫を捕獲するそうです。また、啄木鳥の巣が何故高いところにあるかと言えば、雛が蛇に食べられないようにするためだそうです。「田代湿原」・「田代池」への途中の川で茶色をしているものもありました。他の川は、澄んでいましたが、鉄分を含んでいるので、茶色だそうです。
そうこうするうちに、樹林帯の中の遊歩道を抜けると突然視界が開け、目の前に「田代湿原」が広がり、右隣りには「田代池」が静かに佇んでいました。「田代湿原」をよく見ると所々に道のような筋が入っていました。ネイチャーガイドに質問したところ、動物が通った跡だそうです。恐らく猿ではないかとのことでした。この湿原を人間が通ると、足がとられ沈み込んでしまうそうです。「田代池」は、原生林のなかに、ぽっかりあいた湿原に広がる池で、「六百山」や「霞沢岳」の伏流水が湧き水となって溜まり、氷点下になる季節も全面結氷しないそうです。また、池の中をよく見てみると多数の魚が泳いでいました。イワナだそうです。ただし、純粋なイワナでなく、鮎や他の魚の遺伝子が混じっているものだそうです。
次は、上高地の散策の最終ポイントである「大正池」です。「田代湿原」・「田代池」からは1km、15分ほどで着きました。「大正池」は、大正4年(1915年)「焼岳」の噴火により、噴出した熔岩や泥流によって梓川が堰き止められて出現した池です。当時は広大な面積だったことから「梓湖」と言われていたようですが、いつしか「大正池」と呼ばれるようになりました。この池は、昭和の初期以来、発電用の貯水池として利用されていますが、「焼岳」の斜面や、「梓川」の上流から流れ込む土砂によって池は ずいぶん小さくなり、枯れ木も倒れて残りわずかになっています。ネイチャーガイドの説明によると枯れ木は4本しか残っておらず、あと何年かすると朽ち果ててしまい、水の中に埋もれてしまうので、貴重な立ち枯れの木を見ることができるということでした。また、「梓川」の上流から流れ来る砂礫や、雨が降るたび「焼岳」の沢から流れ込む土砂が毎年大量に堆積しています。自然のままにしておけば、いずれ大正池は埋まってしまうことが懸念されるので、シーズンも終わりに近づいた11月、大正池に流れ込む土砂を取り除く浚渫作業が行われているそうです。これで2日間にわたる上高地の散策は終了です。「大正池ホテル」の前のバス停からバスに乗り、「上高地帝国ホテル」に戻り、チェックアウト後に、「松本城」に向かいます。
「上高地帝国ホテル」を出て、最終目的地である「松本城」に向かいました。「上高地帝国ホテル」から「松本城」への所要時間は、バスでほぼ1時間でした。当日は、「松本マラソン2023」が行われているので、渋滞するかと思いましたが、すんなりと松本城近くの「松本城大手門駐車場(大型車専用)」に着きました。ここから「松本城」まで歩いて10分弱でした。「松本城」の「松本城観覧券発売所」付近に「松本城」へ上るには30分待ちと書いたボードがありました。この時点では、すぐ天守閣まで行けるだろうと楽観していましたが、「松本城」の入城口である「渡櫓」まで長蛇の列ができていました。ここからすんなりと行けるかと思いきや甘い考えでした。「松本城」の各階層とも通路が狭く、階段も急で大渋滞です。特に、「天守最上階」とその下の「御座所」は、さらに通路が狭く、階段も一つ一つの間隔が広く、ジェットコースターのような感じで、観光客がすし詰め状態でした。余りにも人が多すぎ、写真に人が写りこんでしまうので、写真を満足に撮ることができませんでした。「松本城」に関して、詳細にここでレポートしていきたいと思います。「松本城」の正面の入口を左手に進むと、「松本城」と「内堀」が見えてきます。「松本城」は起伏のない平らな場所に築かれた「平城」で、「山城」と比べて防御性が低いため、城の周囲にはお堀が造られたそうです。お堀は本丸を囲む「内堀」、「外掘り」と「総掘り」があります。「松本城高麗門」に架かる橋を渡り、「高麗門」をくぐると「松本城観覧券発売所」があります。「本丸庭園」と「天守の観覧」は有料ですので、こちらの「券売所」で入城券を購入します。観覧料は大人700円、小中学生300円です。入場券は松本市立博物館との共通券になっているのでお得です。次に、「本丸」に入る重要な役目を果たした「黒門」をくぐると目の前に「本丸庭園」と「松本城」が目の前に現れます。「黒門」をくぐったすぐ右手には「松本城保存の功労者」が建立されています。左手奥には、「水野忠直奉献灯籠」、さらにその先に進むと日本にある「全国城郭管理者協議会」に加盟している全国49城の写真が展示されています。お城の出口である「月見櫓」付近には、「おもてなし隊」がいて気軽に写真撮影に応じてもらえます。
「松本城」の歴史等を紐解いてみると、「松本城」は、標高約590mの松本盆地に築城され、築城当時のままの姿が残っている歴史的価値のあるお城で、「姫路城」、「彦根城」、「犬山城」、「松江城」とともに国宝に指定されています。松本藩の城主は年代によって変わり、その数は6家23人にものぼります。松本城の最大の特徴が、戦国時代に作られた大天守、乾小天守、渡櫓と泰平の戦のない江戸時代に作られた辰巳附櫓、月見櫓がひとつの天守群になっていることです。また、「松本城」は、天守の築造年代は文禄2年~3年(1593年~1594年)と考えられ、現存する五重六階の天守としては日本最古の城で、戦国時代の永正年間に造られた「深志城」が始まりです。なお、現存12天守の中でも、5層の天守を持つ城は、日本では松本城と姫路城しかありません。
「本丸庭園」を散策したあとは、いよいよ「松本城」の内部へ入ります。「松本城」の入城口は「渡櫓」にあります。靴を脱いで上がるので、入城口では警備員の方がビニール袋を渡してくれます。その警備員の方の話だと「松本城」は、フランスで人気があり沢山の観光客が来るそうです。もちろん他国の観光客もいましたが、そう言えば、「上高地」は台湾で人気があり、台湾人の比率が一番多いとネイチャーガイドが言っていたのを思い出しました。「松本城」の「天守」は、入ってみると驚くぐらいシンプルで飾り気がありませんでした。お城と言うと豪華絢爛なイメージがありますが、「松本城」は、戦のために建てられたものなのだからそうです。チェックポイントの一つ目として「松本城」は外から見た時にかなりの数の窓のようなものが確認できました。何かと思ったら、攻撃を受けた時に、敵兵に弓や鉄砲を発射したり、石を落したり反撃するための小窓だそうです。ちなみに、弓矢を放つ「矢狭間」は60カ所、鉄砲を撃つ「鉄砲狭間」は55カ所、城壁を上ってきた敵へ石を落とす「石落」は11カ所もあるそうです。ただし、「松本城」では実戦が行われたことは一度もなかったそうです。次のチェックポイントが刀剣、槍、刀、火縄銃そして合戦時の武士の格好を再現した甲冑です。この甲冑を身につけた武士は、腰に巾着のようなものをぶら下げていました。これは、火縄銃の弾薬を入れるためのものだそうです。甲冑、刀と銃で相当な重さだったそうです。次のチェックポイントは、「大天守最上階」です。約16畳の正方形の部屋になっています。東西南北に窓が配置されていて、それぞれ異なる景色が楽しめます。天気がよければ、北アルプスの山々も見えるそうです。天守の天井が明るかったので、顔をあげ見てみると「二十六夜神」という月の神様が祀られていまました。「松本城」がさまざまな危機を回避できたのは、この神様のおかげと言われているそうです。現在でも、警備員さんが毎朝必ずお祈りをしているそうですよ。次が、「天守」の下の4階の「御座所」です。「御座所」は、城主が「天守」の最上階ではなく、4階に座を構えたと考えられます。ただ、接待の場所ではなく、あくまでも戦闘で最終局面を迎える時に座る場所だったようです。次のチェックポイントは、「辰巳附櫓」です。「辰巳附櫓」は「天守」の2階と繋がっていて、太平の世に造られたものなので、豪華絢爛とはいかないまでも優美な造りになっています。ここで注目して欲しいのが、「花頭窓」という寺院建築で見られる窓が採用されています。最後のチェックポイントは、「月見櫓」です。「辰巳附櫓」から階段をくだった先には、「月見櫓」があります。こちらも「辰巳附櫓」と同じ時代に造られたもので、その名の通り「お月見をするための櫓」で、「本丸庭園」の眺めがすばらしい場所です。「月見櫓」から1階におりて、「松本城天守」の見学は終了です。
昼食は、風情溢れる蔵の街である中町商店街にある信州手打ちそば専門店「蔵の花」で食べました。「蔵の花」は、中町通りと裏小路通りに挟まれた新小路通りにある信州手打ちそばの専門店です。「松本城」が混雑していいたので、閉店時間ぎりぎりにお店に到着しました。蔵造りのお店で、ドアを開けると店の入口にある石臼が目を引きます。この石臼を目にしただけで美味しいのは間違いないと思いました。また、「蔵の花」では、挽きたての八ヶ岳産そば粉を使い、打ちたてのそばを食べてもらうことをモットーとしているそうです。私は「ザル蕎麦」と「舞茸の天ぷら」を家内と娘は「天ざる」を注文しました。注文すること10分くらいで三人の蕎麦がテーブルに運ばれてきました。お蕎麦は昨日、一昨日と食べたものとは違い色が若干濃かった気がしました。蕎麦の食感は少々固めで、太めですが、味も喉越しもよく、美味しかったというのが感想です。また、出汁は少々甘口で、蕎麦湯を注ぐと良い香りが漂いました。そして、蕎麦茶も美味しかったと思います。
昼食を済ませ、ツアーのバスに戻り、上田駅に向かい帰路につきました。






旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
4.5
ショッピング
3.0
交通
2.5
同行者
家族旅行
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス 新幹線 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

PR

16いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP