2022/10/11 - 2022/10/11
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kummingさん
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この旅行記のスケジュール
2022/10/11
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インペリアル通り
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アウグストスのフォロ
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この旅行記スケジュールを元に
万が一にも、こんな失敗をされる方がいるとは思えませんが、少しでもお役に立てれば幸い!との思いを込めて?恥を晒すことに致します(←何回目?)
はじめに
本編、Troubleに関しては後ろ4~5枚写真まで出て来ません。そこだけ興味ある方は一気にスクロール→飛ばしてね
ローマのバスの刻印については周知の事実、まさか初心を忘れたわけでもあるまいに(;O;)
近年、ATAC社は無銭乗車の被害をカバーするのに、外国人観光客をターゲットにTRAP仕掛けてるらし~
↑とは、私見です。でも、そうとしか思えない?!
事件発生翌日「家政婦は見た~」に負けない「ばあばは見た~」
絶対、観光客をターゲットにしている!証拠現場(←次のブログにて)
だって、明らかに無賃乗車しよう、としていた客、は、不問、声かけも追いかけもせず(怒)
郷に入れば郷にに従う、に異論はないけど、このシステムはどうにも解せぬ
損失補填する為に外国人から罰金徴収(全然、補填には不足)、するんなら、切符持ってない乗客が乗れない様なシステムに変えたどうよ?
スマフォはかざすだけで乗り降り出来る昨今、時代錯誤的、旧態依然としたイタリアのバス、ATAC社
まんまと罠にかかった私、のその時~その後の奮闘記
事後処理は、次回に
↑実はこっちのが、ウケるかも?
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
アッピア街道から~の
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バスの中から
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見えたのは
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チルコ・マッシモ
-
-
ビットリオ・エマヌエーレ
前回上る予定だった -
ここからは
今後の予定のための下調べタイム♪
実際には、後で再訪した時下調べの効果はあまりなくて
何度来ても、道順違うし、ぐるぐるしました(-。-; -
この旅で、何度もこの地域に来るので
なんか見慣れた感
入る予定はございません
ココは時刻指定の予約必須のようです -
-
一度は試してみたい、ポップオンバス♪
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こっち側に来るのはお初
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ここ?
-
Domus Aires
ネロの黄金宮殿 -
では、約束の日、ココに参ります♪
ここは金~日のみ、ガイドツアーが1日数回開催されているらしく、
ネットで予約購入済み
人数制限あるし、当日だと入れないかも?だったので -
歩行者専用信号
-
う~
やたら写真撮っているのは、この歩行者用信号見て
「Good Job!」と思ったから。
でも何で?そう思ったか、思い出せず(;o;) -
歩く人々、めっちゃ多い
-
てくてく
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コンタンテイヌス帝の凱旋門Arco di Constantino(実はわたくし、コンスタンテイヌス帝は嫌い)
紀元312年に元老院が勝者コンタンテイヌスに贈ると決議し、315年コンタンテイヌス在位10年祝賀式典でローマに彼を迎えるまでに完成する必要があった。
実質2年の工事期間だが、当時ローマ人の工事は短期集中が特徴で(現代には受け継がれず?)、コロッセウムや水道橋でも5~6年で造っていた。
6年間ものマクセンテイウス支持の罪を許してもらう目的で捧げる以上、建設地点は最高の立地である必要があるのに、慎重に検討した末ではなく、ただそこに既に凱旋門があったから。
基本形に使われているのは4世紀初めではなく、2世紀前半のもので、この地にはハドリアヌス帝に捧げられた凱旋門があった。
既にあったハドリアヌス帝の門の装飾から目的を外れるものを取り除き、コンタンテイヌスへの献辞や皇帝のイタリアでの各戦闘場面のように目的に適う浮彫を彫らせ埋め込み、それでも足りない装飾はローマにある他の公共建造物からの流用。
トライアヌス帝時代 紀元98年~117年
ハドリアヌス帝時代 紀元117年~138年
マルクス・アウレリウス帝時代 紀元161年~180年
これらに、紀元313年~315年の工事期間に成されたものが加わわったのが「コンスタンテイヌスの凱旋門」の実態で、
ローマ帝国最後の建築の傑作として名高い「コンタンテイヌスの凱旋門」は、建造された4世紀初めではなく、本体装飾共に、それ以前の時代の集合体になってしまった。 -
上段)マルクス/アウレリウス帝時代の浮彫(北面)
右 降伏する敗者
左 寛大なる皇帝の図
下段) ハドリアヌス帝時代の浮彫(北面)
右 ヘラクレスの犠牲式
左 狩ったライオンを前にする皇帝 -
上段)マルクス・アウレリウス帝時代の浮彫(北面)
右 皇帝の出発
左 皇帝の到着
下段)ハドリアヌス時代の浮彫(北面)
右 アポロン神への犠牲式
左 いのしし狩の光景 -
単に「門」を意味する「アルクス」を「凱旋門」と訳すのは後世の意訳。
手っ取り早く安易に建てられた「コンタンテイヌスの凱旋門」ではあるが、現代に至るまで有名なのは、あの空間、あの位置に建てるならそれ以外の造形はないくらい完璧な、その美しさにある。 -
しかし、近づいてよく見ると、2世紀の五賢帝の時代の浮彫と4世紀のそれとでは、厳然たる造形する能力の差は明らか。五賢帝時代がギリシア彫刻に似ているのに対して、4世紀の浮彫は稚拙、帝国滅亡後に訪れる中世のものに似ている。
-
時代が進んで造形能力が退化したのは、この種の「力量」もまた、国力に影響されるからであろう。賢帝の世紀と名付けられた紀元2世紀は、帝国が最も平和で繁栄した時代だった。
-
この時代に創造されたものが、造形美術でも建築でも最高水準に達したのは国力も最高だったからである。
「ローマ人の物語 XIII 最後の努力」 より -
そんな事とはつゆ知らず、
前回まではただすごいな~、と眺めて通り過ぎていた。 -
この案内板に騙されて(TT)
(私が行きたいのはFori Imperiali) -
辿り着いたのは、フォロロマーノの出口(-。-;
みなさん、唖然、としております -
何とかマリア教会、と?
道案内の標識、嘘つき~ -
もと来た道を戻る
その途中で、観光客に水を売る人が(ーー;)
水飲みたくなるし、
確かに、絶好のセールスポイント -
うわー
コロッセオ駅へ向かう?
または -
この時刻でも
まだこれから?遺跡に向かう人々(°_°) -
ローマ、ただいま絶賛修復工事中^o^
観光客誘致策に力入れているのは良く分かる、
が、しか~し、
公共交通機関のIT化進めてくれた方が嬉しいかもね?
いちいち切符持ってなくても乗れるように、
かつ、持ってても刻印必須は撤廃! -
やっと、飲み物買えて、トイレに行ける!
かと思いきや -
で
誰もがこの時点で
喉が渇いて+トイレも行きたい=何処でも良いから早く
と思ってるので、
ここは
この先に、カフェやレストランがいっぱいある、って知らない観光客がみんな
どっと、入ってくる場所
なので、
トイレで並ぶ事30分(°_°)
なぜかというと、トイレは一個しかございません。1ユーロ取る商売するなら、トイレ増やしたらどうよ??
場所的に、誰もが「飲み物+トイレ」何が何でも欲しい所、って位置どりは正しいが、ちとあざとい商売かもね
お水は1ユーロだったかな?トイレは1ユーロ -
こういうマップ欲しい
実は、この休憩所の先に、たくさんレストランがあります(-。-;
なので
慌てて駆け込むことなかれ! -
今から歩いて廻りましょう
-
ネルヴァのフォロを囲んでいた列柱(コロンナッチェ)の内残っている2本
ウエスパシアヌスの次男ドミテイアヌスは、平和の神殿、アウグストスのフォロ。カエサルのフォロの間の通りを通過のフォロとして整備したが、竣工したのはドミテイアヌス帝暗殺後、ネルヴァの治世。
その北側にあったミネルヴァ神殿の東側に残っている2本の列柱
「人間の行動原則の正し手を、
宗教に求めたユダヤ人
哲学に求めたギリシア人
法律に求めたローマ人」 -
その上方
フリーズには機織りの名手アラクネの慢心がミネルヴァ(ギリシア名アテナ)の怒りをかった、という神話が彫られている。ドミテイアヌスはミネルヴァを自らの守護神として信奉していた。
「宗教は、それを信じない人々に対しては「行動の規範」たりえず、
哲学はそれを理解できる知力のない人々に対しては、影響をふるえず、
しかし、法律は、宗教を異にし哲学に無関心な人々にとっても、有効であり、人間社会で生きて行くのに必要なルールである。
ゆえに、多人種、多民族、多文化、多宗教の帝国を創立しつつあったカエサルにとって、ローマ街道、ローマ通貨、ローマ暦などと並んで、ローマ法は「ローマ世界」の共通項になるべきだった。」 -
紀元4世紀初頭、コンスタンテイヌス帝の時代の地図によると、首都ローマには400年も前に建てられた公共建築が、建造当時の形で残っていた。その最たる理由は、修理修復を常に心がけ、歴代皇帝たちが実行してきたからだろう。
また、「カプトウ・ムンデイ(世界の首都)」ローマにはあって当然の、大規模な教育と医療の施設がない。それは、ギリシア人家庭教師や医師を重用するという、実にローマらしい「民活」によって補われていた。
そして、ローマには終始一貫して存在しなかったものがもう一つ、広大な帝国運営には不可欠な行政官僚たちを一箇所に集める地域、官庁街。 -
官僚体制が未発達だった、にしても、ローマ帝国は人間の住める地としては後代のどの国家よりも広大な地域を統治していた。官庁街がなかった、という事は独立した官僚組織が存在しなかったという事。
なぜ独立した官僚組織なしで大帝国の運営が可能だったのか?
ローマ人は、未だイタリア半島しか領有していなかった時代から既に、中央集権と地方分権の並立に長じ、「中央」がやるべき事と「地方」に任せてもよいことを分離していた。この傾向は広大な地域を領有する様になった帝政時代にも、本国と属州の関係に受け継がれていく。
ローマ帝国とは、下手すれば二律背反になりかねない中央集権と地方分権を巧妙に並立させ、双方のプラスの面をより良く発揮できるシステムの構築に成功した。 -
ネルヴァ帝のフォロ
という名称で残っていますが、実は建設したのはドメテイアヌス帝
ドメテイアヌスは元老院によって死後「記録抹殺刑」に処された為、その業績が全て史上から消されてしまい、よって完成した時の皇帝ネルヴァの名前が冠された、というもの。同じ例には、オステイアからテヴェレ河を遡って来た船が着岸する港近くの「ネルヴァの倉庫」がある。
ドミテイアヌス帝については、賛否両論あるようですが、公共事業に関しては、父ヴェシバシアヌスが建設させ、兄テテイオス帝が落成式を挙げたが未だ未完だったたコロッセオを完成させ、中世以降ナヴォーナ広場に変身する「ドミテイアヌス競技場」の建設、他にも重要インフラの修復、建造など精力的に行った。
テイベリウス帝タイプの、仕事はできるけど孤独を愛する、一般受けしないタイプだったみたい。
記録抹殺刑に断罪された皇帝にはネロ、がいる。カリグラも事実上はこの処遇を受けたが、性格自体が支離滅裂で統治として何もなさず抹殺するに値する記憶を遺さなかった。ネロとドミテイアヌスに続いて「記録抹殺刑」に断罪されかかったのは、5賢帝の1人、ハドリアヌス帝。この事からも、元老院による「記録抹殺刑」は、元老院による報復措置ではなかったのか?報復はしばしば理性ではなく感情の所産である。 -
ローマ帝国皇帝ネルヴァ
ネルヴァ帝はドミテイアヌス帝が暗殺された後、一晩で元老院によって擁立された、当時70歳、軍務経験0、ただし血統は共和制時代に遡る貴族の出で、2代目皇帝テイベリウス帝がカプリ島の別邸に行く時に伴って行くほどの教養高い家系でした。
ドミテイアヌス帝暗殺の首謀者は、(暗殺が宮廷寝室でなされた事などから)妻である皇妃の奴隷、という説が残っていますが、真相は闇の中、実は元老院の画策であったのでは?とも言われています。ネルヴァは反ドミテイアヌス派の元老院を擁護する為、暗殺劇の究明には及び腰でした。
いずれにせよ、ネルヴァ擁立は、高齢でもあり、可もなく不可もなし、と言った消極的選択だったようで、在位僅か1年半で亡くなります。ネルヴァが行った最大の功績は、後継にトライアヌスを指名した事で、それが為に、このネルヴァに始まる5賢帝の1人に入れられた、とも。
あれほどの大量の公共工事や軍事に消費しながらもドミテイアヌスが健全財政を遺してくれたおかげで、ネロの後の内乱を経たヴェシバシアヌスの様に、帝国の財政再建に取り組む必要もなく、ネルヴァは幸運の人でもあった。
着工はドミテイアヌスでも完成したのがネルヴァ皇位就任直後
だった、というだけで、2つの建造物が彼の名で歴史に遺る事になった。 -
初代ローマ帝国皇帝
アウグストウス
自ら一皇帝と名のる事はなかった(名より実をとる!)
ちなみにその正式名称は
Imperator Julius Caesar Augustus
インペラトール・ユリウス・カエサル・アウグストウス
「パスクロマーナ(ローマによる平和)」を目標にかかげたアウグストウスによる共和制から帝政への移行は、目立たないよう、細心の注意を払いつつよほど巧みに、しかし着実に進み、それはまた同時に、高度成長期から安定成長への移行を現実化させる時代でもあった。
後世の私たちは古代ローマの歴史をひもとく時、深く考えずに「ローマ皇帝」と言うが、古代ローマ人は、帝政になってもなお、「皇帝(インペラトール)」ではなく、「第一人者(プリンチエプス)」と呼んでいた。インペラトールとは共和政時代から軍の司令官への呼び名、軍団兵や凱旋式での市民が呼びかける、そして絶対服従の義務を内包する。
だが「第一人者」プリンチェプスとなると、ローマ市民権所有者のNo.1で、ローマ市民は絶対服従の義務を負わない。
No1にすぎなかったこの呼称を君主の呼称にしたのは初代皇帝アウグストウス。
長くなるので、アウグストウスさまについては後日また詳しく♪ -
アウグストウスのフォロ Forum Augusti
「皇帝たちのフォールム」Forum Inperiori
と、現代では呼ばれているこの一帯が、フォロロマーノと共に帝国統治の中枢機能を担うようになったのは、共和制末期にユリウス・カエサルが行った拡張工事に始まる。共和制時代の国家中枢機関は、エミリウス会堂(バジリカエミーリア)と元老院を北辺とするフォロロマーノ(Forum Romanum)のみであった。
フォロロマーノには政治を行う元老院議場(クーリア)、裁判、商取引にも使用される会堂(バジリカ)、地下に国庫も置かれていた神殿(テンプルム)、集会のための演壇、飾りとしての役割も果たす凱旋門や戦勝記念碑が建っていた。
カエサル考案による、ゆえにローマ独自の建築様式となる「フォールム」は、フォロロマーノがもっていたこれらの機能を一箇所に集中させたもの。
基本形は長方形、その一辺には神殿、他の3片には屋根付きの二重列柱回廊がめぐり、回廊の奥には、商取引のオフィスや店舗が並び、私塾形式の学校として利用されることも。神殿と回廊に囲まれた内部は広場で、その中央にはこれを建てさせた人物の騎馬像が立つ。
この考えによって建設された「ユリウスのフォールム(Forum Iulium)」カエサルのフォールムは、他の多くのカエサルの考え同様に後継者たちに受け継がれて行く。
カエサルの次に「フォールム」を建設させたのはアウグストス帝で、「アウグストウスのフォールム(Forum Augusti)」の規模はカエサルの2倍、半円形のエセドラを左右に加え少し変化したが、基本形は同じ。 -
Foro di Augusto
半円空間と復讐神マルスの神殿
A.D.44年、カエサルが暗殺され、その遺言により継嗣となったオクタヴィアヌス(アウグストウス)の弔い合戦の心願成就として着工された復讐神マルスの神殿とフォロ。
神殿建設は長い年月を要しA.D.2年に奉献、破風は真っ白なカッラーラ産大理石、後陣にウエヌスとマルス、カエサルの像が置かれた。
フォロの柱や床にはオリエントやアフリカ、帝国各地由来の色大理石が用いられ、ローマの世界支配を寓意。エクセドラ(半円空間)には、ユリウス一族はロムルスの父たるマルスの血統である事を想起させる、アイネイアスに遡るローマ史英雄の彫像が並べられた。
後世にはアウグストウスの巨像(高さ十数m)が設置された事も知られている。 -
マルスの神殿
フォルム、とはローマ帝国の政治と経済の中心地という重要拠点。ローマ人が考える「フォルム化」とは、四辺の内の一辺には神殿を建て、残りの三片の全てを列柱回廊で囲むということ。この建築様式では、ローマ人が好む空間利用法として、列柱回廊の背後には店や事務所に使われるのが通例だった。 -
トライアーノのフォロ
在位98~117年、属州出身(現スペインのイタリカという小さな街)として初のローマ皇帝であり、元老院と協調し外征と多くの公共事業、建築物を残し、公共福祉を行い、いわゆる五賢帝の時代の流れを作った「最良の君主」と讃えられた皇帝。
トライアヌス帝は外征を積極的に行い(軍人としても優秀)、帝国の版図をローマ帝国史上最大に広げ、征服地ダキア(現ルーマニア辺り)の鉱脈からの金銀を元手に、多くの公共建築を実現した。
フォロの面積は九千平方m、中央に皇帝の青銅製巨大な騎馬像、両側列柱廊とバジリカ屋階にはダキア人捕虜の像が配された。多様な石材は広大な帝国領土を象徴していた。 -
トライアーノのフォロ
先任者の誰よりも大きく、先任者のフォールムが持っていない機能までも備えたフォールムを求めたトライアヌス帝
実現させた建築家へダマスクスのアポロドトス。首都ではカンピドーリオとクイリナーレの双丘をつなぐ尾根を切り崩し、既存の建物と城壁を撤去、平坦なフォロを造り、市中とマルスの野を直結させた。 -
アウグストウスのフォールムを通り抜けると前には列柱が立ちはだかり、その間を通り内部へ入ると、その三辺共が二重の列柱回廊で囲まれた、大理石を敷き詰めた広大な広場。列柱の奥はオフィスや店舗に供され、左右にくり抜かれたエセドラは子供たちの学校。
-
数段高い正面の「ウルビス会堂(Basilica Ulpia)」は屋根ある多色大理石ばり、日差しや雨を避けて商談や裁判に使われる。
会堂(バジリカ)の向こうには、壁に沿って巻物型の書物を収めた本棚が並ぶ公立図書館は左右に2箇所で、左右の一方にはギリシア語、他方にはラテン語の書物が収められる。
追記)記念柱の左右にあったという、トライアヌス帝の戦記等を収めた2棟の図書館は、その後の発掘調査により、館内に階段跡がある事から??という事になっています -
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-
螺旋状に上って行く浮き彫りでダキア戦役を描いた「トライアヌス円柱(コロンナトライアーノ)」はこの2つの図書館の間に建てられた。(現在、図書館説は異議あり状態)
円柱の更に奥には、三方を列柱回廊で囲んだ神殿が建設されるが、これは神君トライアヌスに捧げられるもので、後を継ぐ皇帝の仕事であり、後任者のための敷地を整備し、図面も残した。
追記)フォロの西側には神殿があったという説に代わり、記念柱の西側には玄関中廊があった説が有力 -
そして
削り取ったクイリナーレの丘の斜面に人工テラスを数段に渡って作り、一大商業センター、「トライアヌスの市場(メルカーテイトライアーニ)」を建設。
この「市場」という呼称へ後世の学者によるもので、建物の用途フォロ未だ明らかではない。各階の往復には階段のみ、路面に荷車の痕跡ない事から食料品市場ではないが、金融業や商社の店舗数の可能性は残る。
近年調査により、建物中心部から「神君トライアヌス帝のフォロ」という碑文が見つかり、むしろフォロの一部をなす役所、公文書庫、福利公営施設、という説が浮上している。 -
中世から今日までのインペリアルフォーラム(皇居)
この地域の歴史的変遷の説明でしょうか -
Via dei Foriri Impereari 皇帝たちのフォルムの通り
ムッッソリーニがヒットラーに、ドイツでは真似のできない舞台装置で軍隊のパレードを誇示したかったがために、カエサルが先鞭をつけたローマ都心部の再開発構想は、無情な一本の広い道路で分断されて現代に至る。最高権力者でも知性に欠けると、このような事をして恥じないという実例である。(←塩野七生さまのお言葉) -
この「皇帝たちのフォルムの通り」は、南側にはカエサルの立像、その反対側にはアウグストス、ネルヴァ、テイトウスと、カエサルの再開発構想を引き継いだ皇帝たちの銅像が立ち並ぶ。
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知性を欠いたファシズムは崩壊したが、それに代わり50年(今なら70年超?)も続いている民主主義政権も、知性を欠いているのか、それとも財政的問題なのか、皇帝たちのフォルムの半ば以上は、アスファルトの下に眠ったままである。
「ローマ人の物語V 」P390より 塩野七生著 -
分断されてしまった現代では、地図の助けを借り、よほどの想像力でも働かせない限り、頭の中にその全貌を再現することはできない。
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あちこちで修復作業中
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バジリカウルビアと記念柱
ちよっと蘊蓄が多すぎましてm(._.)m -
カエサル像、カエサルのフォロは、道路の反対側にあるので
後日改めて♪ -
バスで通り抜けるのと違って
結構歩いた感 -
基台を除いても40mの高さになる円柱の上には、軍装姿のトライアヌスの銅像が立っていたが、キリスト教時代になって以後、聖ペテロの銅像に替えられた。
彩色は失われたが、下から螺旋状には彫られた絵巻は、ローマ軍のドナウ川越えからダキア王デケバルスの自害まで、2度に渡るダキア戦役の様を、武具甲冑から攻城兵器に至るまで、ありありと今日に伝えている。 -
「切り崩した尾根の高さを柱のそれが記憶する」
という碑銘をもつ台座は、トライアヌス帝と皇妃プロテイナの墓でもあり、黄金の骨壷が収められていた。
尾根の高さ=柱の高さ、ダキア戦役がいかに苛酷を極めたか、ということを40mで表現したのね -
トライアヌスのダキア戦役
紀元14年に死んだ初代皇帝アウグストスが、遺言で「これ以上の覇権拡大」を禁じて90年が経ち、トライアヌスはダキア問題に向き合う。「これ以上」とは、ローマ帝国の覇権をライン河、ドナウ河、ユーフラテス河、を境界にする、と定めたもの。更に2代目皇帝テイベリウスがサハラ砂漠まで、と明確化、その後4代目皇帝クラデイウスがブリタニア征服するが、これはユリウス・カエサルが先鞭をつけていたので、アウグストスの遺言に反する軍事行動とは言えない。
このブリタニア征服以外のローマ帝国が行った軍事行動は全て、帝国の防衛戦維持か帝国内部の反乱鎮圧であった。
そういう意味でも、ローマ帝国史上特筆されて然るべき事件であった「ダキア戦役」であるにも関わらず、この戦役の詳細はほとんど知られていない。 -
歴史家を悲憤慷慨させなかった『賢帝ぶり』が“裏目”に出て伝記さえも書かれなかったトライアヌス帝、ですが、ダキア制覇行に関する史料も僅か3つが残るのみ(;o;)
1 『ダキア戦記』 トライアヌス自身が記したといわれる
(のちに引用された一行以外、全て消滅)
2 『ローマ史』カシウス・デイオ著 中のそれに関する部分
(五賢帝時代の部分で残るのは断片のみ)
3 「トライアヌス円柱」
(戦役の展開を描いた200mを越える長さの浮き彫りが刻まれた戦勝記念碑)
この三史料の実証を裏付ける考古学上の調査研究は、戦場が現在のルーマニア国内である事情もあり全く進んでいない。 -
1900年後の現代でも建設当時と同じ場所に立っている「トライアヌス円柱」は、筆ではなくノミで叙述した「ダキア戦記」
全長200m以上、場面数140超であっても、文章で伝える情報量、正確性には及ばないが、リアリズムを重視し、白大理石の浮き彫りに描かれた兵士たちが手に持つ槍と剣は全て銅製だった。それらは帝国滅亡後に抜き取られ溶解して何かに作り変えられたが、当初の位置にあった時代の迫真力はいかばかりであったか。 -
「トライアヌス円柱」は、歴史上の史料としてだけでなく、ローマの造形芸術の傑作でもある。
浮き彫りによるダキア戦記は、円柱の下から上に向かって、螺旋状には物語が進行し、各エピソードは細い樹木で区切られた構図で、物語はいきなりドナウ河の岸辺から始まっている。
詳細は、ローマ人の物語IX 賢帝の世紀 P60~76 に塩野七生さまによる場面を追っての解説、ございます。興味ある方はぜひ、ご覧下さい♪ -
皇帝と皇妃の黄金の骨壷、まさか今もココに?
その行方が気になる処 -
-
ちょっと、体力気力の限界っぽい(-。-;
トライアヌス市場は日和って行かず、
ヴェネツィア広場へ向かいます。 -
それでも
この日は日差しがきつく、暑い中、喉が渇いても飲み物制限しつつ、相当歩いていて(カラカラ浴場→セバステイアーノ門→インペリアル通り)、水分補給とトイレ事情でさらに疲れ、
そんな時に限って、帰りのバスチケットが手元にないT_T
バスの切符求めてさまよい、3軒目でようやくゲットして、↑ココで飲み物買ってトイレも貸してもらえてラッキー♪
勢いのまま、
そこへやって来たバスに飛び乗り、それがこの後の顛末になるとは?!?!
これって、ローマでバスに乗る3度目です、まだ3度目よ! -
なんとなく、入り口(ドライバー席側の)から乗り込み、
いつもソコにあるはずの『検札機』がない?
と思いつつ、気になりながらも、この時もう1つ懸案事項を抱えていたので、それへの対処にも迫られていた(-。-;
↑さっきスマフォの充電用ケーブルが切れかかってる? 事に気が付いて、
コレは移動の途中に充電しながら歩く私の命綱! とにかくどこかで手に入れなきゃ~、
と、バスの中で最寄りの電気屋さんを探し始める。
どうにかテルミニ駅にあるらし♪ と一安心した頃、バスはテルミニ駅到着。 -
バスが停車するのと同時に、乗客がどよめき、皆我れ先にとどーっと勢いよく飛び出していくじゃありませんか?
と、同時に、吊り目で厳しい目つきのおばちゃんが乗り込んで来て、脇目もふらず(と、今だから思う?)、私にむかって来た。なんか制服っぽいし?
で、切符を見せろと言われ、刻印していないのを確かめ、パスポート提示を要求し、徐に切符(違反用の)切り始める(°_°)
何の事やら、と思いつつも確かに刻印するつもりでそのまま目的地に着いてしまった事実は変えようもない、と、わかっちゃいたけど、抵抗を試みた。
「Are you serious? It doesn’t make sense.!
!You trapped me?(怒)」とか何とか騒いだ記憶(ーー;) 「いつもドライバー側から乗って刻印するのに、刻印機がなかった」と言ったら「あそこにある!」「人がいっぱい立っていて見つからなかった」と応酬するも、敵は粛々と業務を遂行、違反切符を手渡して「アルベデルチ~」
まじか~(°_°)(*_*)(ToT) -
納得できないモヤモヤ感と、やってもうた!という後悔を抱きつつ、
その後は
とりあえず気持ち切り替えて、スマフォ充電用ケーブルを求めてテルミニ駅地下へ、意外にもエスカレーター横にお店を見つけ、無事購入して一安心♪
あの時もし、切符じゃなくてローマパス(バッグ在中)を見せていたらどうなっていたか?後で気がつくも、時すでに遅し! でも、未使用(刻印機スキャンしていない)のがバレたら、この手も無効だったかも?
絶対、罰金は帰国後まで払わない!と固く決意、ぷんぷんしながら、この事件をどうネタにしたものか、なぞと思案巡らせつつ、その夜はすやすやと眠りにつきました。
この後の顛末、よろしかったら、続編にて♪
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この旅行記へのコメント (8)
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- ryujiさん 2023/02/02 13:25:40
- 「輝ける世紀?」を拝見で~す!
- こんにちは、kummingさん。 ご無沙汰しております。 今年もよろしくお願いします。
当旅行記を見せて頂きました。 まずはごめんなさい、小生の勝手な思いでタイトル「輝ける世紀」と命名したことを。 ローマ帝国の絶頂期を興味深く又楽しく、ホントにいい~ですねぇ~。
実は小生が二十歳代頃、「ローマ帝国の興亡」夢中になっておりました。 カエザルに始まり、初代の皇帝アウグストゥスと。 それと以後約200年、ローマ帝国は最も栄えて、地中海の周りすべて自国としたことを覚えています。
kummingさんの旅行記で述べられた皇帝名を小生も覚えていますよ。 その「輝ける世紀」(96年~180年)の5賢帝の名前を。「ネルウア」「トラヤヌス」「ハドリアヌス」「アントニヌス・ピウス」「マルクス・アウレリウス」と。 懐かしく思い起こした次第です。 甚だ自分本位の書き込みメールをなった事をお許しください。
ホント素敵な旅行記です、この出会いに感謝します。 ありがとうございます。 kummingさん。
ryuji
- kummingさん からの返信 2023/10/03 16:20:14
- Re: 「輝ける世紀?」を拝見で~す!
- ryuji さま、大変遅くなりましてm(._.)m
なぜコメント頂いた事に気が付かなかった?思い起こせば一年前、このブログの次のブログが、4trの検閲にかかってしまい、写真の人物を隠す作業に追われていました。そんな事は初めてだった(過去にも人物写真含むブログはいっぱい(笑)のですが、掲載許可を得ないと、消去される?みたいなお達しがありまして、やむを得ず、その指摘された対象ブログの手直しをして、無事UPとなった次第。
通常、頂いたコメントにお返事しない、なんて失礼な事はやらないので、この度、どうにか気がつけて不幸中の幸い♪ と思って頂けますか? 自分のブログを見直す、なんてことも一才やらない中、偶然ココに戻って来たのも何かのご縁かもしれません?!
ローマ帝国、良いですよね♪ 中でもお気に入りの皇帝数人について話し合える人がいたら、ず~っと話してみたいな~
本当に失礼致しましたm(._.)m 一年遅れの返信、どうかお許しくださいませm(_ _)m
- ryujiさん からの返信 2023/10/03 19:14:23
- お気遣いして頂き恐縮です♪
- こんばんは、kummingさん。ご無沙汰しております。
いいですよ、私もよ~く忘れてしまいます。 あまり気にしないでください。 これからもよろしくお願いします。 とは言え、私の方は旅行記投稿の無い昨今です。
返信コメントアリガトウ。
ryuji
- kummingさん からの返信 2023/10/03 19:24:18
- Re: 「輝ける世紀?」を拝見で~す!
- 寛大な対応、ありがとうございますm(._.)m
こちらこそ、今後ともよろしくです♪
これに懲りずに、またコメントの方もよろしく~←ちゃっかりお願い(笑)
ryuji さんの美しい写真いっぱいの旅行記も待ってますよっ^o^
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- しにあの旅人さん 2023/01/27 07:34:14
- ついていきます。
- 例によって、あとをついて参ります。
チルコ・マッシモ、確か映画ベン・ハーの撮影に使われたやつ。私たちも通っただけ。ただの広場だもんね。
歩行者用信号。手をかざすと何が起こるのですか。「思い出せず」とはつれないお言葉。
10月にしてはみなさん軽装です。パリだとこうは行かない。やはりローマは南欧です。
「コンタンテイヌス帝の凱旋門」あったのは覚えています。しかしこういう蘊蓄は思いもよらず。
「ローマ人の物語」は読んでいないのです。長い!
要するに、寄せ集めで作ったということですね。インスタント凱旋門か。そんな手抜きがあったとは。使い回しの凱旋門。
イタリアでトイレは困るんですよね。特にトイレ超先進国日本から来ると。逆に今でも、日本国内でトイレを見るととりあえず寄るというクセが抜けません。イタリア、フランスのトラウマです。
「Fori Imperiali」知らなかった! Foro Romanoより面白そう。
そういえば、このへんウロチョロした時、何やら遺跡があるなとは思いました。Foro Romanoに気を取られてパス。知らぬが仏とはこのことで。
やはり、ローマは塩野本を読まねばならぬのか。次に行くまでにはなんとかしなければと思いました。次がいつかは見当つかないのが、残念ではあります。
刻印機のお話は次回完結編を読んでからにいたします。
- kummingさん からの返信 2023/01/27 21:28:47
- Re: ついていきます。
- やっと3分の2?初めての長丁場、本人も早く終わらせたいのですが、もう少し我慢してお付き合い頂ければm(._.)m
歩行者信号、もう一度見ないと思い出せそうにないので、いつかその内再訪しなきゃ⁈ 国立博物館にも行きたい♪
朝晩はかなり冷え込み、昼間は暑い、かなり寒暖差が激しい10月の気候でした。着たり脱いだりできる服装必須です。
塩野七生さま、前回イタリア訪問の後出会ったので、その影響大で企画し始めてから3年以上の歳月が流れ、記憶が薄れる中でのイタリア再訪でした。「ローマ人の物語」2度通しでよみ、3度目は好きな時代、皇帝の巻だけ、今回ブログ書くために拾い読みしていたら、また読み始めたらとまらない(笑)ブログは誰かに読んでもらいたい、というより、ほとんど自己満足のために書いています。だからやた長い(-。-;
インペリアル通りって、無意識に何度も通り過ぎていた場所ですよね。地下鉄だと、通りもしないし、今回はバスと徒歩で回って地上の景色が見れて良かったです。
ヤマザキ薄皮パンシリーズ、5個→4個になっています(;o;)値上げがこんなところにまで波及する事態!
コロナ5類への移行は、たぶん5月のG7広島開催がトリガーになる!?と予想、やっぱりね♪って感じ、水際対策緩和はその後でしょうね。
ちょっと前に、逃げ回っていたマフィアのボスがパレルモで逮捕!の記事、ご存知ですか? シチリア行きも視野に入って来た^o^ とは、飛躍しすぎでしょうか。
今日、雪の中、5回目ワクチン接種、受けて参りました♪
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- 3104ねえねえさん 2023/01/24 10:27:35
- 刻印の件、災難でしたね。
- kumming様
おはようございます!ビットリオ・エマヌエーレやコロッセオ、コンタンテイヌス帝の凱旋門やフォロロマーノと懐かしい風景を拝見させていただきました。
今から38年前、初めての海外旅行の地がローマでした!周囲の環境は変わっていても遺跡そのものは、きちんと保存されているのですね。勿論ツアーでしたがビールよりも高い水に驚いた最初のカルチャーショックの場所です!笑
チケットの刻印の件は災難でしたね。私はシドニーのトラムで似たような経験があります。乗車前にオパールカードを刻印機にかざしました。2駅程過ぎた所で一緒に乗車していたオジさん2人が一人一人検札機でチェックを始めました。友人はクリアしたのですが私は✕印が・・・。
周囲の冷たい眼差しとドキッとしましたがオジさんがタッチしていたのを俺達は見ていたから大丈夫だよみたいな事を言って刻印済みに対処してくれました。たまたま刻印機のそばで見ていたからラッキーでした。あの時の周囲の冷たい眼差しは忘れられません!
kumming様の事後処理編アップお待ちしております。
- kummingさん からの返信 2023/01/24 22:34:28
- Re: 刻印の件、災難でしたね。
- 3104ねえねえさん、こんばんは~
似たような体験?というか、刻印機にかざしていたのに、スキャンされていなかった?って事でしょうか?でも、目撃者がいて助けられたのですね、それは良かった~。でも、ちゃんとかざしたのなら、良いけど、私の場合は刻印していない!逃れようない自分のミス(;o;)
一度、刻印したつもりでも駅員さんに確認したら、刻印されてなくてやり直した、って事もありました、ヴェネツィア→パドヴア行きのTrenitaliaだったかな?
時間が経ってしまうと、全然災難だった、とも思えなくて(笑)ブログ書く時、その時の臨場感が出せなくて、困りました。
続編と合わせ一個のネタなので、出来るだけ早くupしたいと思っています。
自分の思い入れが強いほど、反響がなくて、ガッカリ(-。-;する事が多い中、ねえねえさんのコメントに救われました^o^
カキコ、ありがとうございました♪
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