2022/10/12 - 2022/10/12
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kummingさん
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この旅行記スケジュールを元に
ボルゲーゼ美術館のあと、平和を祈願し建てられた(建国以前にまで遡るユリウス一族の血統を讃えるモニュメント)記念碑、「Ara Pacis アラ・パチス(平和の祭壇)」といわゆるアウグストウス墓廟Mausoleo di Augusto を訪れます。
Ara Pacis
元の場所は、アウグストウスの誕生日、秋分の日の日没にオベリスクの影が、ちょうどその中心に差し込む! という壮大な趣旨のもと建設されました。
その後時代の変遷に煽られ、現在の場所に移転、一部を除き、ほぼ真新しく建て替えられています。18世紀に発掘され、ムッッソリーニの時代にテレヴェ河畔のアウグストウス墓廟の傍らに移設された。
アウグストウスの業績、一番に挙げられるのは共和制→帝政、安全保障の確立。政治改革、行政改革、貨幣改革、社会改革、軍政改革、と多岐にわたる
彼の責務はカエサルが描いた青写真を現実化させること、そのための深謀遠慮、33歳で戦場に出なくなってから77歳で死を迎えるまで、アウグストウスが挑み続けた闘いは「天才の跡を継いだ天才でない人物が、いかにして天才が到達できなかった目標に達したか」 by 塩野七生
ですが、そこへの途上、バスの中で
ばあばは見た~(°_°)
「今明かされるATAC社の衝撃の真実」ちょっと煽りすぎ?週刊誌みたい
蘊蓄が多いのでthroughして下さいねm(._.)m
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
離れたところから撮
-
4人も一緒に乗り込むって、どゆこと?
相当リキ入ってる? -
ズーム撮
バスが停まる
バス停で待っていた人たちが乗り込む
その中の
一度乗りかけたおにいさん、彼女たちに気が付いて、
慌てて降りる(°_°)
うわー
こ~いうの捕まえないでどうする???
明らかな無賃乗車じゃん!
何やってんだか(ーー;)無賃乗車分の損失を観光客罰金徴収で補うってか(怒) -
なんか、検札のおばちゃんはみなさん、ちょいキツめなお顔だち、に見えるのだが
元々の性格なのか、仕事が人を造る?のか
私の気のせい? -
この時点で、ローマに来て以来、バスに乗った回数は5回目
その内2回、も、検札が乗り込んで来た、という事
ちょ、多過ぎるんじゃ?
かなり力入ってます
取り締まり厳しいようです、が、その罰金で無賃乗車で生じた損失を補填するのは到底ムリな話。いっそ、このシステム自体を改革すべきだと、誰か提案してたもれ~
この後も
バスは15回くらい利用しましたが、検察に遭遇する事はありませんでした。ローマパスとフツ~の乗車券の時は必ず刻印、
検札の活動は、観光客が多い定番の観光地や駅付近、昼間に集中しているのでは? -
今回、教会はことごとくthrough
-
てくてく♪
-
♪
-
“マスクしてない人混み”に違和感なくなり ♪
それでもマスク着用し続けるのは
一に無事帰国!するため
ただし、マスク着用は他人にうつさないため、で
自分が感染しない?という予防の効果はないらしい(-。-; -
いつも気になるレンタルチャリンコ
-
ちょっと寄り道
-
かわいいミニバスめ~っけ
の先に目的地♪ -
Ara Pacia 平和の祭壇
ギリシア人は、人間の住む俗界から離れた場所に聖所を建て、ローマ人は人々が始終行き来する場所こそふさわしいた考えた。B.C.13年内乱に勝利し帰国したアウグストウスを迎え、建設した祭壇も、幹線道路フラミニア街道がテレヴェ河に向かう直線上に建てられる。アウグストウスの努力による平和の到来を祝い、その平和が長く続くようにと願うローマ人の想いの象徴でもあった。 -
ココが後ほど問題になる!
トイレの入口。
当日、ココはイベント開催中のため?
結局、中の階段は使用禁止で、トイレに行くのに、外に出てぐる~っと遠回り(*_*) -
Portrait of Augustus (アウグストウス)
17歳でカエサルによって後継者に指名され、18歳で突然表舞台は引き出されてから、いわばローマの統治権をめぐる内部抗争、14年にもわたる権力闘争を勝ち抜いた自信が、生来の美貌を補強したのか、30代になってからより「男の美」を感じさせる。
古代ローマの彫像の中で、時代を経ることでの風化や破損、キリスト教徒たちによる破壊を経てもなお最も多く遺っているのは、初代皇帝アウグストウスの像。数多く作られ帝国全域に配られた故、帝国全域に渡って出土している。
その彫像の全てが30代のアウグストウスを模したもの。
彼は、ローマ人が壮年期と考える40~50代ではなく、青年期の30代に公的な自分のイメージを限定したらしい。
彼の美しさは形の美しさにとどまらず、話すときも聞くときも、無限の静けさと晴れやかさに包まれ、それが容貌の美、以上の美しさを印象づけた、という。
アウグストウスの凄さは、未だ帝政へのアレルギーの残るローマ市民と元老院には、共和制が続く(カエサルが目指した帝政ではなく)と見せかけ、そう思わせる事に成功したところではないでしょうか?その実、ちゃっかり帝政への道を着実に進め、生涯かけてローマ帝国の基礎、土台を作り上げた人。そのたゆみない努力の足跡をたどると、涙が出てきますT_T アラ・パチスを前に(涙)病弱だったのに長生きしました。 -
Portrait of Octavia Minor(小オクタヴィア)
アウグストウスの同母姉
最初の夫は大叔父カエサルと敵対関係にあったマルッケルス。夫の死後、マルクス・アントニウスと政略結婚(オクタヴィアヌスとアントニウスの緊張関係緩和策)、アントニウスに忠実な妻であり続け、夫がクレオパトラと愛人関係になった後、離縁されるまで支え続けた。アントニウスがアクテイウムの海戦で果てた後、アントニウスが残した孤児も引き取り育て、静かな生活を送った。息子マルッケルスはアウグストウスにより皇位継承者に選ばれるも、19歳の若さで病死。 -
Portrait of Marcellus(マルケルス)
マルッケルス劇場でこの方の名前は有名ですね
アウグストウスの姉オクタヴィアの息子、異父妹(オクタヴィアとアントニウスの子)に大アントニア、小アントニアがいる。
叔父オクタヴィアヌスがカエサルの死後の内乱で頭角をあらわし、アクテイウムの海戦(対アントニウス)勝利後の凱旋式で凱旋車を牽く右側の馬に騎乗(左側にはテイベリウスが騎乗)して参加。
権力を掌握したアウグストウスにとって唯一の男性親族であり、第一後継者候補であったマルケルスはアウグストウスの娘ユリア(この方が後々アウグストウスを悩ませ続けた)と結婚、婿となり、前途を有望視される中、急病に倒れ19歳で没した。
アウグストウスはマルッケルスを悼み、A.D.13年完成した劇場を「マルケルス劇場」と名付けた。
振り返れば、アウグストウスの自身の血への執着、血統への固執が招く悲劇の幕開け?と思える出来事 -
Portrait of Agrippa(アグリッパ)
ローマ帝国の確立を目指すアウグストウスにとって、最も重要で最も信頼できる協力者。カエサルが秘かに後継者と定めていたオクタヴィアヌス時代のアウグストウスに、欠けているとみた軍事面での能力に秀で、アウグストスの軍事面での勝利は全てアグリッパの戦略と指揮のおかげだった。
出自は軍団に志願するしかない育ちでも、劣等感を抱かない健全な精神ゆえ、ローマ的な実践面での才能を発揮、前線の補助部隊基地と主力の軍団基地、街道からなるローマの防衛ネットワークは彼の戦略眼と指揮下の軍団なしには実現しえなかっただろう。
カエサルに始まりアウグストウスによって確立する「パスク・ロマーナ(ローマによる平和)」は、他民族、他宗教、多文化、多言語の集合体である、とした2人の考えをアグリッパは完全に理解していた。その一生はことごとく、アウグストウスの考えの実現に捧げられ、2人の協力関係は軍事面にとどまらず、建設面でも完ぺきに機能した。アグリッパの建てさせた公共建造物は、首都ローマや本国イタリア、帝国全域に及ぶ。
そして、血の継続に執着するアウグストウスに(甥で婿のマルケルスが子も残さず死んだ後)未亡人になった1人娘ユリアとの再婚を求められ、離婚してまで協力を惜しまず、アグリッパとユリアの結婚はアウグストウスに5人の孫(3人の男子、2人の女子)を恵んだ。その内男の孫2人を、ガイウス・カエサルとルキウス・カエサルと名付け、早々に自分の養子にし、後継者と表明する。アグリッパとユリアの結婚は順風満帆に思われたが、アグリッパ40歳、その死は突然訪れた。アウグストウスは、17歳から30年以上もの歳月を傍らに居続けてくれた盟友を失った。レリーフには、アグリッパを死者だからと排除せず、今生きている人として彫られている。
ユリアの不幸はこれ以降も父アウグストウスの血への執着のための「駒」にされた事に端を発するともいえる。
病弱で軍事には不向きなアウグストウスを補佐すべく、カエサルが抜擢したアグリッパ。カエサルの後継者選びの慧眼には驚きしかないけど、このアグリッパを盟友として選んでんいたのも、さらにあっぱれ!人を見る目、トップに立つ人の必須条件ですね。 -
Portrait of Gaius Caesar(ガイウス)
アウグストウスの盟友であり側近だったアグリッパと娘ユリアの子、アウグストウスの初孫。弟ルキウスと共にアウグストウスの養子となり、後継者として育てられる。
B.C.4年、ユダヤ王ヘロデが死に、ユダヤ王国は内紛状態へ。オリエントでのローマの外交政策は友好国のネットワークを確立する事で成る諸勢力の均衡政策だった。ユダヤはシリア、パレスチナ両地方の安定の鍵であり、同じ時期パルティア牽制のもう1つの鍵、アルメリア王国も不穏な状況に突入。大国パルティアに対する抑止力となるアルメリアがローマの同盟国でなければ、ローマの東方政策は危機に瀕する。
アウグストウスはこの東方問題を、ようやく19歳になっていた孫で養子のガイウスに担当させる。ガイウスはパルティアとの相互不干渉協定の調印に成功するも、アルメリア遠征でつまずく。遠方ローマの覇権下より隣国パルティアとの関係改善に傾いていたアルメリアとの交渉22歳には荷が重すぎた。アルメリアから逃げ出し小アジアを回っていたガイウスは滞在先で死亡、刀傷が元の病死だった。 -
Portrait of Lucius Caesar(ルクルス)
アグリッパとユリアの子、アウグストウスの孫で兄ガイウスと共に養子となり、後継者第二候補と目されていた。A.D.1年、軍務経験を積ませるためスペインに派遣された途上のマルセーユで病気になり、18歳の短い生涯を終えた。
ルキウスの死の訃報に続くガイウスの死、実の孫であり後継者と思い定めた2人に死なれたアウグストウスの絶望感、この時64歳? -
Portrait of Livia
リビア
言わずと知れた、皇帝アウグストゥスの妻
2人が出会った時、リビアは妊娠中だったとか(*_*;
アウグストゥスも2度の政略結婚の後の3度目の結婚
お腹の子は2番目のドルースス、と長男のてべりうすを連れて再婚
リビアはただ旦那に連れ添う従順な妻、だったわけではないらしい~
長くなるので、以下略 -
Portrait of Tiberius
テイベリウス
第二代ローマ帝国皇帝
テイベリウスはアウグストウスの妻(再婚、2人の連れ子がテイベリウスと弟ドウルースス)の連れ子でアウグストウスとの血縁関係はない。その為、能力はあっても、常に「中継ぎ」としての不当な待遇に甘んじ続けた。クラウデイアス家の血統で教養もあり、軍務経験も豊富、アウグストウスの自分の血統への執着がなければ、とっくに継承者No.1になって然るべき人。やがて義父アウグストウスとの確執を乗り越えて、第二代ローマ帝国皇帝に就く。
生涯を血縁の後継者確保に執着したアウグストウスが、最後に自分と血の繋がりがないテイベリウス(妻リヴィアの連れ子)を後継者に指名したのは、私情より公益を優先する決断の様に見えるが、同時にアウグストスはもう1人、テイベリウスの後に地位を継ぐ者まで決めている。テイベリウスはアウグストウスの養子になると同時に、アウグストウスに求められ、弟ドウルーススの遺子ゲルマニクスを養子に迎えた。
この人についてはここには書ききれない(;o;) -
Portrait of Drusus Maior(ドウルースス)
アグリッパ亡き後のアウグストウスの「右腕」を務めたのは、妻リヴィアの連れ子のテイベリウスとドウルースス兄弟だった。義理の父子の関係は良かったが、血縁に執着するアウグストウスは後継者選びに通ずる「養子」にはしていない。
血の継承には執着しても、公的目的達成のために私的感情を介入させず、ゆえに、配下のものはアウグストスの下す評価の客観性を信じた。
アグリッパ存命中から頭角を表していた2人は、亡きアグリッパに代わってアウグストウスの右腕となりそれぞれの担当任務に専念する。
平和の祭壇完成を祝う祭典の中、平和の祭壇の南側壁面を埋めるレリーフに描かれた皇帝とその家族たちの中で、そこにいなかった2人、アグリッパとドウルースス。
3年前に世を去ったアグリッパにとってここは墓碑となった。もう1人の欠席者は、遠くゲルマニアの戦地で転戦中だった。
皇帝の「家族の肖像」が完成を祝って1年もしない内に、ここがもう1人の欠席者にとっての墓碑になるとは、54歳を迎えるアウグストウスにも想像もつかなかったろう。ドウルースス29歳、雪をついての行軍の最中の落馬、不慮の事故の後の病状悪化、若き武将は兄弟仲良かった、4歳年上の兄テイベリウスの腕の中で息をひきとった。 -
Portrait of Antonia Minor(小アントニア)
↓後でもう一度登場します -
Portrait of Gaius Caesar (成人したガイウス)
-
Portrait of deified Antonia Minor (神格化された小アントニア)
アウグストウスの姉オクタヴィアとアントニウスの間に生まれ、リヴィアの連れ子の次男ドウルーススと結婚。
皇帝テイベリウスの弟である夫ドウルーススの間に生まれた子の内3人だけが成人を迎えるが、夫の死後も独身を貫き子供たちをローマで育てた。残った息子クラデイウスが生育不全である事から忌み嫌う。テイベリウスが没し、カリグラが帝位に就き、色々あってアントニアはカリグラに自殺を命じられる。カリグラによる毒殺説もある。そのがカリグラが暗殺され、息子クラデイウスが帝位に就き「アウグスタ」の称号が贈られた。
アントニアが公然と蔑んですんでいた息子のクラデイウスは、皇帝として見事な実績を遺した。
アウグストウスにとって姪のアントニアと結婚していたドウルーススではなく、アグリッパの娘とはいえアウグストスとの血縁関係ない妻を持つテイベリウスを、アウグストウスはアグリッパの死で再度未亡人になった1人娘のユリアの3度目の結婚相手に選ぶ。 -
Portrait of Germanicus(ゲルマニクス)
ドウルーススと小アントニアの息子。父ドウルースス現在ゲルマニア転戦中、落馬が原因で死亡。ゲルマニクスはアウグストウスにより、テイベリウスの養子となり、テイベリウスの後継者と目された。ゲルマニクス本人も中東アンテイキオアで(おそらくマラリアによる)死を迎える。 -
↑
ここまで、何年も前に読んで忘れていたアウグストウスの家系について、自分のために復習しました。
何度読んでも、わけ分からなくなる(;o;) -
アラ・パチス と アウグストウス墓廟 の位置がわかる、ミニチュア
-
これは入口付近にある
説明用の写真
祭壇の正面はアウグストウスが造らせた(現代では国会議事堂前の広場に立っている)オベリスクを使っての大日時計に向かって開いていた。規模は12m×11mのほぼ四角形。古代ローマの建造物としては小さな部類に属す。裏正面側になるフラミニア街道側には、もう一つの入口が開いており、祭壇自体は天井なしの野天造り。高所から睥睨するような構造でもない。石段を上れば、まず祭壇の四辺をめぐる列柱廻廊に達し、その内部に5m足らずの高さの四角形の祭壇があるという開放的な造りになっている。旅人が一休みする場所としても好適だっただろう。そばを通れば列柱越しに、列柱廻廊に腰を下ろせば目の前に、ローマ帝国の平和を祈願する、アウグストウスとその家族や元老院議員たちの姿を写した浮彫を見ることができた。 -
↑
正面入口
↓
背面入口 -
念には念を入れ
写真で予習して本番に臨む -
元老院議員
-
アウグストウスの家族のみなさん
アウグストウスは血の継承に異常なまでに固執した。その思いとは裏腹に、家庭運には恵まれなかった。
カエサルによって、17歳で継承者に選ばれた(カエサルの妹の娘の息子)。カエサルも自分の血の継承にこだわったか?と考えると、カエサルは出自や人種を問わず能力で人材登用するタイプだった。カエサルは娘を政略結婚のカードには使ったが、父の血を引く子を産む任務を課しはしなかった、このような事には執着していなかった。
一方で、アウグストウスの娘、ユリウス一門に生まれた女人ゆえ名も同じユリアの方は、父アウグストウスの血を引く子を産む事だけのために、(マルケルス、アグリッパ、テイベリウスとの結婚)言ってみれば「たらい回し」にされたのだ。
テイベリウスとの結婚生活が破綻し皇帝の1人娘の行状が人々の話題になり、ユリア37歳の頃には父親アウグストウスがこの問題を処理せざるを得ない状態になっていた。
アウグストウスはローマ社会の指導者層を健全な家庭人にする目的で「ユリウス正式婚姻法」を成立させていた。正式な結婚を奨励し、離婚を非合法ではないせよ、良風に反する社会的行為と断じ、アウグストウスが提出し、成立を期した法だった。当人が娘の離婚を認めるわけにはいかない。もしユリアが離婚できていたなら、上流階級の奔放な女との悪評を浴びれば済んだ事も、ユリアは法律上はまだテイベリウスの妻だった。加えて、「ユリウス姦通罪、婚外交渉罪法」姦通を罰する法律も提案し成立させていた。
他の事では平等より公正を重んじても、法の実施だけは万人に平等であるのが法治国家であり、ローマ人こそこの意味出の法治国家の創始者であった。法治国家の最高責任者であるアウグストスは、何らかの手を打つ必要があった。
父は娘を裁きの場に引き出しはしなかったが、法律によって定められていた罰は全て厳格に実施された。国法に順じたのではなく、ローマ法で認められている「家父長権」を行使、法の平等な施行を実践する。 -
ユリウスクラデイウス朝の家系図
娘ユリアの後もアウグストウスは家族の不祥事に悩まされる。
テイベリウスを養子にした時に同時に養子にしていた、1人娘ユリアから生まれた直系男子の孫、アグリッパ・ポストウムス、が残っていた。
テイベリウス 45歳
アグリッパ・ポストウムス 15歳
ゲルマニクス 18歳
アグリッパ・ポストウムスはアウグストスの養子、後継者であり、ゲルマニクスはテイベリウスの養子、後継者とされる。
ポストウムスの凶暴な振る舞いが誰の手にも追えなくなり、祖父であり養父であるアウグストウスは、孫を島流しにする。
さらに、女孫ユリアを島流しの刑に処する、罪状は母ユリアと同じく奔放過ぎる男女関係だった。娘ユリア、孫ポストウムス、孫ユリアは全て、アウグストスが実現に力を尽くした「国法」ではなく、私人アウグストウスが父として祖父として、ローマ古来の「家父長権」によって、娘と孫を処罰した。
生涯を通して血の継承に執着し、肉親を大切にしてきた人が誰よりも肉親から裏切られ、70歳を超えた老皇帝の怒りと恥の深刻さがしのばれる。
が、それでもアウグストウスは諦めることを知らず、姪の息子でテイベリウスの養子にしていたゲルマニクスに直系の孫アグリッピーナを嫁がせ、はとこ同士のこの結婚からは三男三女が生まれた。その中の1人がカリグラであり、カリグラの妹からは、5代目皇帝ネロが生まれる。
時代や国は違えど、近親婚の結果は同じ?
血の継続もここまで来ると、執着→執念→妄執にみえる。妄執は悲劇しか生まない。古代人の考えでは、あくまでも運命を自分の思い通りにしようとする態度は、謙虚さを忘れ、神々から復讐されるのだという。 -
ココから本物♪ 全体像が認識しづらい写真でm(._.)m
これ見た瞬間、ばあばの目から汗、いえ、感激のあまりの(涙)この旅3度め?
本番前に閑話休題♪
お楽しみとっておき、とりあえず、用足しておこう、と思ったのが運のつき(;o;)
トイレの場所をめぐって一悶着、あの人、この人、その人で言う事違う!あの人は奥へ行け、この人もその先の階段、でもその人はココは今日は通れませんので、外からぐるっと回って、階段降りて下の入口からお入り下さい、と(*_*)
それで、同じところを2往復した挙句、埒があかないので、ちょっと偉そなおじさんに「みんな違う事言って、私はさっきからトイレにたどり着けないのだが、あの人とこの人、その人のどれが正しいのか、そして案内するなら全員同じ事を言うように統一すべきではないのか?」みたいな事を、かなり激しながら、言いました。
結局、本日はイベントのため、奥の階段使用不可、よって外に出て階段降りて、下の入口から入る、あの、階段で通せんぼしてた「その人」が正解だったらしい。
あ~、ー疲れた、たかがトイレ行くだけで、これかよ!
こういう事は、この後も博物館などでイタリアあるある、現象の1つと認識。 -
正面左手
牝狼の乳を飲む双子と軍神マルス -
正面右手
トロイアからイタリアのラツィオの浜に漂着したアイネイアスが息子ユルス(アスカニオス)とともに国家鎮守家内安全の神ペナテスに犠牲の牝豚を奉納する場面
ユルスはユリウス一族の始祖 -
↑
正面入口左右2つのレリーフ -
左から10人目 アグリッパ
アグリッパのトーガの端を掴む子供 ガイウス・カエサル(ユリアとの間の子)
2人おいて リヴィア
1人おいて テイベリウス(リヴィアの連れ子 兄、後のアウグストウスの後継者)
1人おいて ユリア(アウグストウスの1人娘、問題多かった)
その足元の子供 ルキウス・カエサル(ユリアに手を引かれて)アグリッパとの間の子
その隣には ドウルースス(リヴィアの連れ子、弟)
足元に子供 ゲルマニクス(ドウルーススに手を引かれて) -
こっちの方が、見分けやすい?
-
↑
とは違う見解もあるようで
左から10人目 アグリッパ (背が高く頭からトーガを被っている)
アグリッパのトーガの端を掴む子供 ガイウス・カエサル(ユリアとの間の子
2人おいて リヴィア(アウグストウスの妻、テイベリウス、ドウルーススの母)
またはユリア説も
1人おいて テイベリウス(リヴィアの連れ子の兄、後のアウグストスの後継者)
1人おいて ユリア(アウグストウスの1人娘、問題多かった)
または、小アントニア(アントニウスとオクタヴィアの娘アウグストスの姪)
その足元の子供 ルキウス・カエサル(ユリアに手を引かれて)アグリッパとの間の子
またはゲルマニクス(アントニアの息子でカリグラの父、ネロの祖父)
その隣にはドウルースス(リヴィアの連れ子、テイベリウスの弟、小アントニアの夫)
足元に子供 ゲルマニクス(ドウルーススに手を引かれて) -
↑の右側
リビア(ユリア)
テイベリウス
ユリア(アントニア)
ルキウス・カエサル(ゲルマニクス)←子ども
ドルースス
ゲルマニクス←子ども -
↑の左側
右端がアグリッパ -
そのまた左側
アウグストウス(頭部のみ) 若い時の姿
神祇官たち(元老院議員)
下
鳥や虫が散りばめられたアカンサスの葉模様 -
平和の祭壇 北面
神祇官たち(元老院議員) -
子ども連れの元老院議員も
-
これは着色された図柄
こっちの方が人物、見分け易い -
平和の祭壇 復元図
-
アラパチスの2つの正面の外部、外側の高さが等しくないのは、フラミニア街道(現在のコルソ通り)と、(アラパチスが向いていたアウグステイ時計台のある)キャンパスマルテイウスのオープンスペースとの間の時代による(古代の)階の違いに対応している。
-
正面階段
-
背面入口
-
右
ギリシア神話のアマゾネスを模した女神ローマ -
左
幼児2人を両腕にかかえた大地の女神テルス
両脇に風と水の女神 -
レリーフ拡大
↑背面右手の浮き彫り
女神ローマ(ギリシア神話のアマゾネスを模して)
↓背面左手の浮き彫り
家畜や植物、海と空の平和の寓意像に囲まれ、双子を抱く大地の女神テッルス -
↑
実際の配置 -
正面入口
と
背面入口
の4つのレリーフ -
着色されたもの
-
祭壇内部
-
背面階段
-
壁面の装飾
-
正面入口
-
↑
元首アウグストウス家の人々
↓
子ども連れの元老院議員
あ、写真、なんか重複してるかも(-。-; -
元老院議員たちも
画一的でなく、思い思いの立ち位置 -
こんな破片を見つけては
組み合わせて
遺構を再現しているという
修復、復元に携わっておられる方々には頭が下がるばかりです -
こちらも彩色された物
-
祭壇の正面はアウグストウスが造らせた(現代では国会議事堂前の広場に立っている)オベリスクを使っての大日時計に向かって開いていた。規模は12m×11mのほぼ四角形。古代ローマの建造物としては小さな部類に属す。裏正面側になるフラミニア街道側には、もう一つの入口が開いており、祭壇自体は天井なしの野天造り。高所から睥睨するような構造でもない。石段を上れば、まず祭壇の四辺をめぐる列柱廻廊に達し、その内部に5m足らずの高さの四角形の祭壇があるという開放的な造りになっている。旅人が一休みする場所としても好適だっただろう。そばを通れば列柱越しに、列柱廻廊に腰を下ろせば目の前に、ローマ帝国の平和を祈願する、アウグストウスとその家族や元老院議員たちの姿を写した浮彫を見ることができた。
-
思いが強かった分
浮き彫りに刻まれた人々が
今見直しても懐かしい♪ -
↑建物の横、道沿いにずら~っと掲示された写真
まだまだ発掘途上らしい
古代ローマの遺跡の上にあるのが中世~現代に至る都市ローマ、発掘して取り出しても、そこに建物が建っていたら、しかも使用中であれば、壊すわけにはいかず、同じ場所に復元するのも不可能。
1936年、ときの独裁者ムッソリーニの考えでアウグストウスの「霊廟 Mausoleo」の周辺を再開発した際に、「霊廟」とテヴェレ河に挟まれた地に、発掘したものをはめ込んで復元されたのが、現代見る事ができる「平和の祭壇Ara Pacis 」である
その年以降「霊廟」と「平和の祭壇」を中心とした広場は「アウグストウス皇帝広場」と呼ばれている。 -
近くには
-
教会も(以前は探しまわって訪ねていたのに?)
時間と体力の関係でカット(-。-;
ちょっとくらい、覗けばよかった! -
次は
-
♪
-
Mausoleo di Augusto アウグストス墓廟(マウソレウム)
アウグストウス本人によって生前、B.C.28年に一族の末長い繁栄を祈念して建設された。
小アジアのカリアの王マウソロスの墓に倣いマウソレウムと称した。
建築はアウグストウスがエジプトで見学したアレクサンドロス大王の墓を模したと考えられている。 -
Mausoleo di Augusto アウグストス墓廟(マウソレウム)
ムッソリーニの時代に発掘された。幅約87m、同心円状の壁で仕切られた通廊をもち、12の支壁が塚の部分を支え、初代元首と皇妃リヴィアの遺骨は中心部に置かれていた。入口の両側にはオベリスクと「神君アウグストウスの業績録」を刻んだ青銅板を貼った柱が各一対立っていた。
この墓の平面図がアウグストウスのホロスコープになっているという説もある。現に彼は占星術によって己の強運に自信を持ち、生まれた時(秋分の日の明け方)に月が位置していた山羊座を自らの星座として貨幣に刻んでいた。
そればかりか、ローマの都市区画もカペーナ門から反時計回りに12区、折り返して2区の計14区と、山羊座のマークに準じて行ったものと思われる。
それによれば、Vlll区のフォロ・ロマーノは太陽、元首宅のあるX区のパラテイーノは木星、かつてレムスの拠ったアヴェンテイーノ、エトルリア人の陣取ったトラステヴェレの2区は黄道12宮から外れる。 -
2021年春先から一時期中に入れるツアーが開催されていましたが、私が渡伊を決めた頃は、closed (;o;) 修復後再開なのか、コロナ禍で一旦お休みになり、そのまま休業状態なのか、残念無念!
なので
アウグストウスさまとのコラボ撮♪ -
コルソ通りに向かう
-
振り向けば
おお~
ポポロ広場のオベリスク
ぢやあ、ありませんか!
アウグストス側ヘリオポリスから運ばせて大競技場に飾ったオベリスク
16世紀末に発掘され、カトリックの首都の北玄関を飾るために再利用された。 -
ズーム撮
歩いて行く気力がない(-。-; -
ここも
改修中 -
コルソ通りをてくてく♪
-
Basilica del Santi Ambrogio e Carlo al Corso
入っても良かったけど
体力、時間制限でthrough -
この近くに
Plazzo Montecitorio モンテチトーリオ宮殿
現在、下院議事堂として使用されているベリーニの建築物があったはず
そこには「アウグストスの日時計」として知られるオベリスクがあります。
B.C.31年、エジプトを征服したオクタヴィアヌス(アウグストス)はB.C.10年2本のオベリスクをローマは運び出し、その内1本がポポロ広場(フラミニオ・オベリスク)で、もう1本がここに。
アウグストスの生まれた秋分の日の日没に、このオベリスクの影がちょうど指す地点に、「アラパチス(平和の祭壇)」があった。
Obelisco di P.za Montecitorio 日時計のオベリスク
このオベリスクによって作られた巨大な日時計は、モンテチトーリオ宮殿の北側オリンピア劇場付近にあった「アウグストスの平和の祭壇」と、カンプス・マルテイウスにあった「アントニウス・ピウスの記念柱」の間にあったらしい。オベリスクは200mほど北の地点にマエケナスとアレクサンドリアの天文学者によって作られた日時計の指針として使われた。
8世紀以降、倒れて埋もれ、1512年に地中から発見され、18世紀になりようやくローマ法皇ピウス6世によりここに再建された。
頂上の球体に穴が空いており、その穴を通った太陽光が広場の舗装上の目盛に達する仕組み。(現在は機能していない) -
そんな大事な案件を
きれいに忘れて
こんなお店に寄っていた(-。-; -
道端で竹細工のパフォーマンス♪
注)細工しているのはパンダ、ではございません -
まわりに囲いがあって、近づけない!
マルクス・アウレリウスの不肖の息子コモンドウスが献じた。北方領を侵すゲルマン諸族との苦闘が彫られている。 -
Colonna di Marco Aurelio マルクスアウレリウスの記念柱
マルクス・アウレリウスといえば、まず思い出すのはカピトリーノの丘に立つ騎馬像
元々この騎馬像は千年もの長い歳月、ローマ都心部の南、ラテラノ教会前の広場に放置されていた。4世紀末キリスト教徒たちによるギリシア・ローマ関連の作品破壊の中、生き延びる事ができたのは、ただ単に、キリスト教を公認した最初のローマ皇帝コンスタンテイヌスと間違われたから。豊かなあごひげをたくわえたマルクスと、常に髭を剃っていたコンスタンテイヌスがなぜ間違われたのか?この誤解のおかげで、あの時代まだ22体存在していた皇帝たちの騎馬像の中で、マルクス・アウレリウスの像だけが唯一遺る事になった。
五賢帝時代の最後を飾り、哲人皇帝の呼び名でも有名なマルクスアウレリウスほど、評判の良いローマ皇帝はいない。同時代人からも、現代に至るまでの2000年もの長い歳月、高い評価を享受し続けた。 -
統治者としての力量なら、帝政のは事実上の創始者カエサル、その後を継いでローマ帝国を構築した初代皇帝アウグストウス、属州出身でありながら故郷スペイン優遇など考えもせず、帝国全体の統治者に徹したトライアヌス、自らの命を縮める結果になろうとも広大な帝国全域を視察し、よって帝国の再構築を成し遂げたハドリアヌス、など、マルクスを凌ぐリーダーはローマ史上何人もいる。
マルクス・アウレリウスは、後世の人が『自省録』と名づける事になる一書を遺し、これを遺した事で哲人皇帝と呼ばれることになった。表題から分かるように、学問的に哲学を論じた著作ではなく、ローマ皇帝である彼にとっては公務の1つであった蛮族撃破の戦場で、戦いの合間に、または夜中に自らの想いを綴ったにすぎない。ただし、少年の頃から哲学に親しんできた人らしく、内省と思索に満ちた一書として知られている。 -
マルクス・アウレリウスにも「トライアヌスの円柱」と同じ形で、ゲルマニア戦役を刻んだ円柱がある。
カエサルの「ガリア戦記」のような戦記がない、という点ではトライアヌスの「ダキア戦役」と同じ条件だが、ダキア戦役は「トライアヌスの円柱」に彫られた浮彫を、下から上に向かって螺旋状に追って行けば、その進展を追う事ができる。 -
マルクス・アウレリウスの円柱については著作もほとんどない。その理由はトライアヌスの円柱に比べて、芸術的価値と史的価値が劣っているから、といわれる。浮彫の各場面には、あらゆる事が詰め込まれすぎていて、下から一時期に螺旋状に追っても、戦役の全貌がいっこうに明らかにならない。
なぜなら、どう関連するのかよくわからない戦場の様相、戦役中のエピソードを並べただけだから。 -
マルクス・アウレリウスの円柱に彫られた「ゲルマニア戦記」が、トライアヌスの円柱と違ってエピソードの集大成になってしまったのは、ゲルマニア戦役自体がエピソードの集成だったからである。
有機的に構築された基本戦略に沿って展開される戦争ではなく、戦線のあちこちで個別に闘われた戦争、戦略はなく、戦術だけで闘われた戦争ということになる。
マルクス・アウレリウスには軍務経験がなかった。個人の誠実さや責任感の強さとは別の、戦場での能力、軍事経験が欠けていた。
マルクス自身の苦悩の所産でもある『自省録』も、この時期から描き始められた。 -
トライアヌスの円柱とマルクス・アウレリウスの円柱を一語で表すと
トライアヌスの円柱 realistic
マルクス・アウレリウスの円柱 pathetic
pathos 情念 の過剰は、政治や軍事に於いてのみならず、芸術においても欠点になりうる。
by 塩野七生 -
という厳しい評価(*_*)
ですが
ぐるっと一周してみました -
3人乗りスクーター、いいな♪
-
少し歩いて
ハドリアヌス神殿
アントニヌス・ピウス帝って、ハドリアヌス帝がほんとはマルクス・アウレリウスに継がせたかったけど、まだ若すぎる、てんで、中継ぎとして指名した皇帝。10年くらいなら、ハドリアヌスが大体の事はやり終えていたので、彼でももつだろう、とふんで、マルクスを後継者にする事を条件に任せてみた。
ところが、中継ぎが23年もの長きに渡り、しかも自分の娘をマルクスに嫁がせて、皇帝位はまるで娘の持参金?みたいな扱い(-。-;
マルクスアウレリウスって、ものすごく、真面目、従順、素直、家庭人だったらしい。
たまたまトライアヌスとハドリアヌスがパスク・ロマーナを守りながら帝国の再構築をやり遂げて、帝国の基盤固め、がっつりやってくれてた後で、しかもこの時期なぜか蛮族も大人しく、東方も静か、という幸運に恵まれた、アントニヌス・ピウス -
Templum di us Hadoriani 神君ハドリアヌス神殿
145年、ピウス(慈悲深き)という添え名をもつアントニウス帝が養父ハドリアヌスに献じたハドリアヌス神殿
高さ15mの柱が11本(もとは13本)並び高さ4mの基壇も発掘されている。この遺構は北側部分に相当し、神室はかまぼこ型であった。
神君ハドリアヌス神殿が他の神君たちに捧げられた神殿と違うところは、壁面を飾っていたローマ帝国を構成していた38の人物像の浮彫、現在ローマやナポリの美術館にその内16が残っている。各属州がローマに屈服した形ではなく、対等に自らの存在を主張する姿で表現され、もはや属州民は征服された民ではなく、征服者ローマ人と同化融合した存在になっていた事を表している。
カラカラ帝によりローマ帝国全土の自由民全てがローマ市民権を獲得するのは212年、このハドリアヌス神殿が完成してからわずか67年後の事であった。 -
触ってみれば良かった~
-
サビーナ・アドリアーノ
ハドリアヌスの妻
残念ながら、この方についてはほとんど知らず
ただ、「ハドリアヌスの回想」という著作の中に、ハドリアヌスの恋愛(不倫?)を手助けした、とか?
妻がいるのに子息も残さず(皇帝なのに?よくいえば、自分の血の継続にこだわっていなかった)、同性愛者だということを周知させた、夫は、旅先で出会った美少年アンテイノウスを愛人として寵愛し、旅のお供に。
チヴォリの別荘では、お互い「顔を合わせることもない」ほど、遠いところに住んでいた(-。-; 確かに、それが可能なくらい、広かった!(←後日、訪れました♪) -
内部は
-
こんな感じですが
今、写真で見ると -
なんだかあやしい?雰囲気
-
これは
ココ、ハドリアヌス神殿の模型?
ハドリアヌス帝について、ヤマザキ・マリさんの面白いコメント、ネットで見つけました。私が抱くハドリアヌス帝のイメージととっても近かった♪ -
そろそろ、バスに乗りたい♪
-
-
この混雑の中、馬車で観光すると?
-
ローマ2つ目の宿泊施設
建物は古いし、館内も特段リノベされていないけど、
特に不自由な事もなく、
シャワーのお湯が熱い!
これはかなり高評価できる要因♪
イタリア滞在中、唯一の熱いシャワー^o^ -
とにかく朝晩は冷える(朝イチはダウン着ても良いほど)
日中は日差しが強く、暑い(半袖でも大丈夫)
部屋の暖房は効かない(エネルギー代高騰の折で温度設定されている?)ので、必須アイテムのブランケットもございました。 -
何より、スタッフさんが素晴らしい
レセプションの対応のみならず、お掃除されてる方々に至るまで、気持ち良い対応♪
滞在先はハードよりソフトが大事、と改めて思い知る
老若男女、人種も様々なスタッフさんたち
もちろんレヴューは高い評価^o^ -
イタリア初カードキー
に、歓喜^o^
古いものとの共存、も大事だけど、やっぱ便利さは捨てがたい -
最寄りのスーパーで
今、日本で売り切れ続出中の
話題のヤクルトゲット♪
まさか、イタリアでも流行っている?
しつこすぎる内容、ここまで辿り着いていただき感謝m(._.)m
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この旅行記へのコメント (7)
-
- しにあの旅人さん 2023/02/08 16:15:54
- ひたすら感心
- 怒涛の解説。よく資料を読みこなしましたね。塩野本を読んでいれば、もう少しついていけるのでしょうか。
バスは入り口と出口が一緒なんですか。パリのバスは、出口と入り口から検札が乗ってきて、袋のねずみにしていた。
確かに検札は人相が悪いから、見ればわかりますね。
ローマでもバスは数えるほどしか乗っていない。地下鉄でもコントロールには合わなかったですね。
kummingさんはよっぽどついているみたいです。宝くじ買ったらどうでしょう。
朝夕と日中が秋と夏くらい違うみたいです。それをものともせず、ローマの歴史を駆け抜けた熱意、ファイト、ひたすらすごいと思います。
できれば小見出しをつけてください。
4トラのブログは文字派トラベラーには冷たいので、文字の大きさを変えられません。そこをなんとか、お願いします。
あと、これなんか、三つくらいに分けていただけたら、ありがたいのですが。
- kummingさん からの返信 2023/02/08 19:30:37
- Re: ひたすら感心
- 笑×5、笑笑笑笑w
本来、おそらくバスの乗り口は前、ドライバーさん側で、降り口は中間のドアではないかと?ですが、あってないようなイタリアンルール?マジで厳しい取り締まり、かたや、ゆるゆる、ってありますね。乗り降りに関しては、ゆるゆるでみなさん随意、好き勝手に乗り降り。時々、検札機が中間のドア近くにしかない!?バスがございました、気がつくのがちと、遅すぎました(-。-;
文字数多くて申し訳なく思っていますm(._.)m今回は人の迷惑顧みず、猪突猛進、勝手気ままに書き連ねています。読まずにスルーされる方が殆ど、だろうとの予想にあぐらをかいての、勝手放題。とにかく、自分が思い出しながら、寄り道(原本読み出して止まらない)しては先へ進めず、を繰り返して、長丁場になっています。
4~5年前から温めていた「ローマ皇帝をめぐる旅」、どうぞその思いのたけに免じてお許しください。
あと3個ローマ編、3個テイヴォリ編、+??→3月いっぱいかかるかも(*_*)3つに分けたら4月にズレ込むので却下(;o;)小見出しってどうやって書くのですか?しにあさんみたく、起承転結あるわけじゃなく、写真の横にダラダラ書きでm(._.)m
このシリーズ閲覧の正しい方法→律儀さはかなぐり捨てて、写真だけスクロールされる事を推奨させて頂きます♪
-
- 3104ねえねえさん 2023/02/02 00:03:23
- 羨ましいです。
- kumming様
Ara Pacia 平和の祭壇、見応えありましたね。自分のテーマに沿って次々と目的の地を訪ねられた旅行記を拝読しながら行動力と知識の広さ・奥深さが羨ましいです。
それにしてもバスの検札は厳しいですね!ペアで働くならばわかりますが何人も乗り込んで来るのは変ですよね。旅行者は国にお金を落として行くのだから大切に扱って欲しいですよね。慌てて降りて行く方を捕まえて欲しいです。
- kummingさん からの返信 2023/02/02 18:49:35
- Re: 羨ましいです。
- 3104ねえねえさん、カキコありがとうございます♪
歳をとると、どんどん自分勝手、自己中、我が道を行く!傾向に拍車がかかるようです。 読んでくださる(かもしれない)方の迷惑は一切考えず、全て自分の為に、記憶を確かめる為に、省略とか手短に、とか一顧だにしない我が儘ペースで邁進しておりますm(._.)m
行動力は穴だらけ、知識なんてこれまた偏執狂ばりの好き♪で固めた自己満足の内容です。
検札、早く廃止にして欲しいですね。この後ローマで出会う観光客に事あるごとに助言(警告とも?)してしまいました(笑)
また、こりずに(蘊蓄はthroughして大丈夫!)遊びに来て下さいね♪
-
- 3104ねえねえさん 2023/02/02 00:03:22
- 羨ましいです。
- kumming様
Ara Pacia 平和の祭壇、見応えありましたね。自分のテーマに沿って次々と目的の地を訪ねられた旅行記を拝読しながら行動力と知識の広さ・奥深さが羨ましいです。
それにしてもバスの検札は厳しいですね!ペアで働くならばわかりますが何人も乗り込んで来るのは変ですよね。旅行者は国にお金を落として行くのだから大切に扱って欲しいですよね。慌てて降りて行く方を捕まえて欲しいです。
-
- クサポンさん 2023/02/01 18:17:30
- ローマは遠い
- kumming さん
クサポンです
ふかーい歴史の話よりキセル取り締まりの記憶が深くてごめんなさい。
私の4度目のイタリア航空券は変更の連続。
トランジットが24時間はいいけど、1時間でヘルシンキから乗り継げるの!
?
仕方ないけど、1日平気でずれ込んでる。
それも、行きも帰りも(-。-;
そろそろ予約したいけど、またまたポシャるかも。
あーローマは遠いわ~
- kummingさん からの返信 2023/02/02 18:35:05
- Re: ローマは遠い
- クサポンさん、ぽち&カキコ1番乗り、おめでとうございます♪ 博多豚骨ラーメン、または、博多ゆるふわうどん、一杯無料券を進呈させて頂きます⁈
年寄りの手前勝手な長~い蘊蓄を飛ばし、大事なツボだけ抑える! これぞ、正しいアプローチです♪ キセル、の話ではなくて、刻印忘れて罰金チケット切られた話、の続きでございますよ! 実は、1つ前のブログ、諸般の事情で3日ほど留置所に拘束されておりました(笑) 晴れてシャバに出るために、ローマ市内にはクマさんウサギさんお花などなどが出没する事態に(-。-;
ヘルシンキで行きは24時間ステイ?それと帰りは1時間で乗り継ぎですか?どっちもどっち、困った事態に変わりはない(;o;)
フィンエアー、フライト数増やしてるのでは?何度も変更されると、予定がたてられませんね~この時期、欧州系より中東系の航空会社の方が、手堅いのかも?ロスバゲや遅延、欠航の話、欧州系の方がよく聞く気がする(-。-;
大丈夫、イタリアは逃げも隠れもせずに、クサポンさんのお越しをお待ちしておりますよ^o^ 私にはできない食倒れ、いえ飲み倒れ旅行記、期待して待ってます♪
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