2022/10/06 - 2022/10/06
14位(同エリア205件中)
kummingさん
- kummingさんTOP
- 旅行記221冊
- クチコミ60件
- Q&A回答38件
- 174,638アクセス
- フォロワー95人
この旅行記のスケジュール
2022/10/06
-
大司教附属博物館 Museo Arcivescovile
-
サンタンドレア礼拝堂 Cappela di S.Andorra
-
S. Giovannni Evangelista
-
サンフランチェスコ教会
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
イタリアの宿泊施設のドア、鍵、
開かない閉まらない、鍵が開いてもドアから鍵が抜けない、などなど慣れるまで大変(;o;)
毎度ジャラジャラした鍵束を渡され、早口でアバウトな説明に、メモメモ…
その入口だけでなく、バスルームやトイレでも閉じ込められそうに(-。-;
やっと慣れる頃には次の滞在先へ移動する、の繰り返し。
そして、右側通行なのでバス停が反対側、って事も忘れてはいけません。
でも、横断歩道で車が歩行者に譲る、素晴らしい♪(←都会ではこの限りではなかった!)
古いものを大事に使い続ける精神、郷に入れば郷に従いましょ~
3~5年前から興味があっっての温めていた案件の一部で、忘れかけている自分へ、思い出しながら確認の意味で書いています。
↓興味ない方はthroughして下さいね
ビザンツ帝国はローマ帝国であり、皇帝は初代皇帝アウグストスの正統な後継者である。彼らはローマ人、この国はローマ帝国である。それは皇帝の即位式をはじめ様々な儀式に現れ、伝統主義は自分たちこそが古典文化を受け継いでいる、という誇りとなり、学問は独創性よりも古典の継承とその注釈をこととした。ビザンツ人は過去に顔を向け、この後ろ向きの姿勢はひたすら伝統を墨守しつつ衰退していった、というイメージを与える。
あらゆる変化を頑ななまでに拒絶した伝統主義とは裏腹に、ビザンツ帝国は興隆と衰退、繁栄と混乱を繰り返す。
神の代理人として栄華を極めた皇帝たちも、半数近くが反乱、陰謀によって帝位を追われ、皇帝は全世界の支配者とされから、ビザンツ帝国は国境(私たちが考えるような)を持たず、その版図は時代ごとに大きくかわった。
それは何より、東洋と西洋にまたがる、諸民族の行き来する文明の十字路、という地理的条件による。コンスタンテイノープルの現在名イスタンブルの語源は「エステンポリン(あの町へ)」にある。「全ての道はローマに通じる」は、第二のローマ、コンスタンテイノープルにも当てはまる。
このような地政学的条件の下で幾多の動乱を乗り越え、定まりなき流転の中存続し続けたビザンツ帝国は、変わらざる過去、理想の過去に自らの存在根源を求め、重要視した手段の一つに宮廷儀式があった。
7世紀以降、ローマ帝国の伝統を受け継ぎつつ、ギリシア人が中心となり、キリスト教を国教とした国家、「キリスト教化されたギリシア人のローマ帝国」、ローマ帝国の国家制度や法、キリスト教信仰、ギリシア文化を礎として、東洋と西洋にまたがる世界を舞台に栄枯盛衰の歴史を刻んだ国、ビザンツ帝国。
文明の十字路に立つビザンツ帝国は孤立した存在ではあり得ず、その周辺世界と一つのシステムとして、その密接な関連の中で歴史を展開せざるを得ない。
極東の島国日本の蒙古襲来、黒船来航は幕府衰退や滅亡に影響し、それは局所的な事象であったのに比べ、7世紀のアラブ人侵入はコンスタンテイノープルを中心とする地中海周辺世界を結ぶ政治・経済システムを破壊した。この世界システムの大転換の中でビザンツ帝国は古代ローマ帝国の面影を失い、新しい国家として生まれ変わる。
13世紀の初めの第四回十字軍のコンスタンテイノープル占領も、単なる外敵の侵略ではなく、帝国を取り巻く世界構造の転換を告げる、西欧キリスト教世界に激震が走った事件であった。
ビザンツ帝国はシステムの核をなす大帝国から、一弱小国家へと転落してしまった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
Museo Arcivescovile 大司教博物館
中に
Cappela di S.Andorra サンタンドレア礼拝堂 モザイク画
マクシミアヌスの司教座(は全面に浮き彫りが施された象牙の椅子)
があります -
文字や色んな破片、断片がたくさん
-
レリーフも
-
マクシミアヌスの司教座
↑
こういう展示を写して
訳してみたけど、分かりにくいので、
through して下さいm(._.)m -
正面から見た背面
非常に豊富な植物のフリーズで飾られた2つのバンドの間に、中央に洗礼者ヨハネ、4人の伝道者たちを描いた5つのパネルがある。洗礼者は円の中で救い主の象徴である羊のイメージを持つ。伝導者たちはそれぞれ古代文字の基礎であるパピルスを持つ。
背面の両側
それぞれの側面に5つのパネルがあり、旧約聖書で語られたユダヤ人のヨセフの物語が描かれている。
左側面に沿って
画像は兄弟が両親にヨセフの死を伝えるエピソードを表している。ヨセフは井戸に落ち、一方で羊は殺されヨセフは商人に売られた。ヨセフはポテイファルに売られ、不当に告発され投獄された。
右側面に沿って
パネルに表されるのは、ヨセフは王位に就き兄弟たちを迎える。穀物の袋に杯を入れるトリックで兄弟と和解、ファラオの夢を解き明かし、ヤコブは彼の息子ヨセフとファラオの夢を擁護した。
背面の内側
8個のパネルのスペースの内、5つが残っている。伝道者としてのキリストの生涯を表している。受胎告知、主の試みの水によるマリア処女性の証明、ヨセフの夢とベツレヘムへの旅、キリスト降誕と手の萎えた助産婦の奇跡、そして最後に聖母子。
背面の外側
16のパネルの内7つが残っている。キリストの生涯から、伝道者としてのキリスト、エルサレム入城、マナの奇跡(パンと魚を増殖して5千人を餓えから救う)、カナの婚礼の奇跡、生まれつきの盲目を癒した奇跡、サマリアの女とキリストの井戸での出会い、が描かれている。 -
同じ場面のアップ
-
部屋の中央は、マクシミアヌス大司教の象牙の玉座、というユニークな作品で占められ、これは大司教博物館が世界中に知られている所以でもある。
この貴重な玉座は、2つの細かく彫刻された長方形の象牙パネルが適用された黒檀のフレームワークで構成されている。
刻印されたパネルの元の数は39だったが、今日欠落している(行方不明になっている)ものは、バンドで結合されアイボリー植物の台紙の装飾が施された羊皮紙に覆われた木製のパネルに置き換えられている。
バンドで結合されアイボリー植物の台紙の装飾が施された????
玉座は19世紀に行なわれた修復作業と改修作業の結果、大司教博物館にやって来た。以前は様々な場所に設置されていた。それは、18世紀終わりに、聖具室のためのスペースを作るため1773年に取り壊された古代の大聖堂聖歌隊の別館、カルテイオシオンに記録されている。情報源によると、大司教のアーカイブと後に図書館の文書が保管されていた。
玉座正面の中央には、批評家の殆どがマクシミアヌス大司教の名前の省略形として解釈するモノグラムがある(546~550)。
豪華な玉座を贈り物として受け取ったユステイニアヌス時代のラヴェンナの高位聖職者
それにも関わらず、玉座の場所と、本来の目的地に関しては多くの疑問がある、という事を指摘しなければならない。
代わりに、それがいつ作られたに関わらず、4人の芸術家による(うち1人は装飾バンドを制作した)ものである事が確認されている。
玉座の人物が描かれたパネルは、旧約聖書と新約聖書のエピソードに触発されたシーンを表している。 -
-
マクシミアヌスの司教座
側面
影が写って見にくいですが -
前面(正面から見た背面)
と
下部 -
正面下部
-
側面
-
背面
-
柱頭
-
Cappela di S.Andorra サンタンドレア礼拝堂
司教たち祈祷専用の礼拝堂だった
東ゴート王テオドリックの時代に建設され、礼拝堂の装飾は495年
大事な写真(半アーリア派のメッセージが強い戦士としてのキリストが肩に十字架を背負うモザイク画)がありませんが -
4人の大天使(ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル)がキリストのモノグラムを掲げている
天使の間には4人の福音記者のシンボル -
中には入れないので
身を乗り出して撮影 -
-
床
-
聖人と多様な動物さんたちのレリーフ
-
大司教の衣装、マントかな?
-
豪華絢爛金銀細工
-
サンフランチェスコ教会
この時間、閉まっていました
フィレンツェを追われたダンテの終焉の地となったラベンナ、のこの教会で葬儀が営まれたそう
ダンテの廟はここの敷地内?記憶が~(-。-;
確か通りの突き当たりにあったような気がするけど -
Tombo di Dante
ダンテの墓
人気のスポットのようで、
人がいなくなる(撮影画面から)のを待つ事しばし
順番待ちの状況でした -
ダンテについては「神曲」の作者として有名ですね
その文体が後のイタリア語の口語体に繋がったという画期的な作品
私には、この詩作→話し言葉の発達に寄与する、という構図が今一つ、わからない -
並んで待って撮影に、滞在10分弱
-
その近くに
ダンテ博物館、みたいな施設があったけど、
サンフランチェスコ教会かも?
こちらは無人
何が展示されているのか、
入れたのか、未確認 -
移動して
-
サンタ ポリナーレ ヌーヴォ聖堂
元々は493年以降、イタリアを支配しラヴェンナを宮廷所在地とした、東ゴート王テオドリクスによって彼の宮殿のすぐ北側に建てられ、救世主に捧げられた宮廷教会堂で、アリウス派の聖堂だった。
東ローマ帝国のユステイニアヌス帝によってラヴェンナが奪取されて以後、560年頃教会堂はいわゆる正統派の聖堂に改められ(アリウス派は異端)、当初の行列表現が部分的に修正され、異教徒と戦った聖マルテイヌスに捧げる聖堂となった。 -
身廊北壁
殉教聖女の行列
ラヴェンナ外港クラッシスを出立し、
聖母子のもとに向かう22人の聖女殉教者たちの参列 -
殉教聖女の左手にはクラッセ港が描かれている
-
本来サンタポッリナーレインクラッセ聖堂と同じ木造の小屋組が露出していたが、27世紀に取り付けられた格子天井
https://youtu.be/iTUT5_NgFtM -
最上段はキリストの奇跡と受難の26場面
その下、高窓部分には旧約聖書の預言者、と12使徒と思われる16人の聖人像
その下には殉教聖女を導く3人のマギ(東方三賢人) -
身廊南壁
殉教者の行進は王宮パラテイウムから出発、救世主イエスへ向かっている -
身廊南壁
殉教聖人の行列
ラヴェンナの王宮から天使に囲まれたキリストに至る26人の殉教者の参列
バジリカ式聖堂の身廊壁面の下段には左右両壁面ともに、宮殿、またはラヴェンナの外港クラッセを出発した、男性殉教聖人たち、殉教聖女たちが玉座のキリスト、マリアに向かって行進する姿が描かれている -
殉教者だけでなく、背景に描かれている建物も♪
-
祭壇
-
この日3件目に訪れたのは
S.Giovanni Evangelista
高さ42mの塔
皇帝ホノリウス亡き後、異母妹ガッラプラティーデイアが皇妃が、コンスタンテイノーポリの東ローマ帝国宮廷から息子と共にラヴェンナに帰還する旅の途中大嵐に見舞われ、プラティーデイアは聖ヨハネに航海の無事を祈り、難を逃れたのを感謝し、サンジョヴァンニエヴァンジェリスタ聖堂を寄進した、とされている。
この教会は当時の海岸に建てられ、すぐ裏は海だった(現在の海岸線は8km離れ) -
-
創建の由来が刻まれている13世紀の門
ガッラプラティーデイアが見た夢で、サンジョヴァンニエヴァンジェリスタ(福音者ヨハネ)が現れ、彼が履いていた部屋ばきを残して消えた、という伝説
ほんとの由来は違います↑ -
柱にも聖人たち
-
S.Giovannni Evangelista サンジョヴァンニエヴァンジェリスタ
5世紀にガッラプラティーデイアによって建造された、ラヴェンナで最も古いとされる教会。14世紀に現在の姿に立て替えられた。
その後、第二次世界大戦の空襲により、大きな被害を受け、殆どのモザイクが失われた。 -
簡素で素朴な雰囲気
絢爛豪華より、私は好き♪
残っている「ゆるい系ヘタうま?」モザイクがいっぱいあると知って、楽しみにしていました。 -
3廊式バジリカ様式
第二次大戦後に修復、再建時にそれまでのバロック風装飾を失くした
1763年の発掘調査により、床下から発見されたモザイクは、単純素朴な作品が多い。 -
壁には
切り出されたモザイク画が展示されている
単純素朴な作品のモチーフは、空想上の動物や、第4次十字軍の場面、「ザラ(サダル)の包囲」などの場面
注)第4次十字軍といえば、当初の目的(エルサレム奪還)から目的が大きく変質して、ヴェネツィアが主戦力となって同じキリスト教国コンスタンテイノープルを攻めた、あれ? -
右
ザラの包囲 第4次十字軍の場面(床モザイク部分)
幾何学模様、人物、動物、架空の生き物など様々なモチーフ -
モザイク断片は、オリジナルの5世紀、6~7世紀、12~13世紀の3つの時代のモザイク床が見つかったそう
-
♪
-
♪
-
♪
-
♪
-
あ~楽しかった♪
ゆる~いモザイク好き必見 -
Basilica di San Pietro Maggiorre in San Francescoサンフランチェスコ教会
さっきは閉まっていたので、再訪
ダンテは外交官としてヴェネツィアに派遣された帰路でマラリアに感染、1321年ラヴェンナでその生涯を終えた。ダンテが通っていたここ「サンフランチェスコ教会」で葬儀が行われた。 -
Simple is best ♪
5世紀後半古代ローマ時代末期に創設されたが、度重なる改修により、僅かに初期キリスト教建築の名残りが感じられる。
身廊と側廊はコリント様式の列柱で区切られたバジリカ様式 -
そして
-
ここにはもう一つの見どころが
-
祭壇下に、水に沈んだ10世紀の地下室が!
ラヴェンナは湿地帯で地盤が緩いので、最初の床は3mも沈んでしまった -
照明点けるには0.5EUR?
前の方に便乗してます♪ -
文字が見える!
お賽銭も? -
水没したモザイク床
見えます♪
金魚も泳いでいるという、おまけ付き -
大満足^o^
-
写真は人通り避けて撮っていますが
実際はこの辺り、結構な人出だったような? -
ラヴェンナでは
通りの壁の至る所にこういう標識が♪ -
ポポロ広場?(記憶が曖昧)
-
まわりにお客さんで賑合うカフェ、レストランがある広場
-
充実の1日♪
日暮れ前には家路に着く超優等生^ ^
疲れてるから、ですが… -
ここにも♪
-
あやしいお店に引き寄せられる~
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
日本脱出 後半
-
前の旅行記
日本脱出 Ravenna 1♪ Episode 14
2022/10/06~
ラベンナ
-
次の旅行記
日本脱出 後半 Ravenna 3♪ Episode 16
2022/10/07~
ラベンナ
-
日本脱出 Ravenna 1♪ Episode 14
2022/10/06~
ラベンナ
-
日本脱出 後半 Ravenna 2♪ Episode 15
2022/10/06~
ラベンナ
-
日本脱出 後半 Ravenna 3♪ Episode 16
2022/10/07~
ラベンナ
-
日本脱出 Bologna 1 Trouble 未遂?♪ Episode 17
2022/10/08~
ボローニャ
-
日本脱出 後半 Bologna 2♪ Episode 18
2022/10/09~
ボローニャ
-
日本脱出 後半 Roma in ♪ Episode 20
2022/10/10~
ローマ
-
日本脱出 後半 Bologna to Roma♪ Episode 19
2022/10/10~
ボローニャ
-
日本脱出 後半 Roma 2-1♪ Episode 21
2022/10/11~
ローマ
-
日本脱出 後半 Travel with trouble!?!Roma 2-2♪ Episode 22
2022/10/11~
ローマ
-
日本脱出 後半 How to troubleshoot? Roma 3-1♪ Episode 23
2022/10/12~
ローマ
-
日本脱出 後半 Roma 3-2♪ Episode 24
2022/10/12~
ローマ
-
日本脱出 後半 Roma 4-1♪ Episode 25
2022/10/13~
ローマ
-
日本脱出 後半 Roma 4-2♪ Episode 26
2022/10/13~
ローマ
-
日本脱出 後半 Roma 5-1♪ Episode 27
2022/10/14~
ローマ
-
日本脱出 後半 Roma 5-2♪ Episode 28
2022/10/14~
ローマ
-
日本脱出 後半 Tivoli 1 How to go 編♪ Episode 29
2022/10/15~
ティボリ
-
日本脱出 後半 Tivoli 2♪ Episode 30
2022/10/15~
ティボリ
-
日本脱出 後半 Tivoliの夜→も1回Roma 1♪ Episode 32
2022/10/15~
ローマ
-
日本脱出 Tivoli 3♪ Villa d’Este Episode 31
2022/10/16~
ティボリ
-
日本脱出 も1回Roma 2~帰国まで♪ Episode 33
2022/10/17~
ローマ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (4)
-
- mistralさん 2022/12/13 11:56:19
- ラベンナのモザイク
- kummingさん
こんにちは。
旅行記、目の保養させていただきました。
ビザンティンのキラキラ輝くモザイクも好きですが
ゆるふわ系キャラがおおく登場するロマネスクはいいですね~
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会の床モザイクの断片
無事だった部分を切り出されたのでしょうが、それでも
今こうして楽しませていただけるなんて、何よりなことですねぇ。
見てみたいなぁ!
第4次十字軍、そうです悪名高いとの評判だった十字軍です。
ヴェネツィアからはエンリコ・ダンドロさんが乗船されている。
コンスタンチノープルを実質的に陥落させ、略奪のかぎりをつくし、、、と
そんなことは別にして、
ここには柱頭彫刻はあまりなかったのでしょうか?
お写真からははっきりとは分からず、柱頭にはアーカンサス模様は
あるようでしたね。
サンフランチェスコ教会の地下クリプトも、良かったですね。
いまだに水没したままで保存というのもナイスアイディアと思いました。
イスタンブールにもあったけれど、こちらでは水が抜けることがないのかしら?
など思いました。
mistral
- kummingさん からの返信 2022/12/13 17:59:04
- Re: ラベンナのモザイク
- ですよね、きんきらラヴェンナモザイク画も良いけど、ゆるふわ系モザイク画^o^すごく良かったです♪
エヴァンジェリスタ教会の柱も水の中に立っているらしいのですが、ゆるふわモザイクに心奪われ、そこを探すの、写真撮るのを忘れてしまいました。確か、マンボウのお城さんのブログで紹介されていたように思います。
エンリコダンドロ、懐かしいお名前♪ さすがmistral さん、ヴェネツィアの歴史にお詳しい!ヴェネツィアも列強に揉まれ、生存競争、生き残りをかけていたのでしょうね。第4次に限らず、十字軍は仲間中の内輪揉めというか、誰が1番?トップ争いに明け暮れる様は、目も当てられない(-。-;
柱頭は大司教博物館にあったものしか写真に残っていません。エヴァンジェリスタ教会では側廊との間の列柱のみで、他は見逃したかも?
サンフランチェスコ教会は水源と繋がっていて、水は枯れない、という話を読んだ記憶がありますが、どうなんだろ?
mistral さんに行きたいな~、と言って頂き、嬉し~^o^
-
- pedaruさん 2022/12/13 05:46:30
- 鍵
- kummingさん おはようございます
イタリアでは鍵で苦労しました。他の国では経験がありません。
「ドアが開かない」とフロントに電話すると「モンダイデスカー?ミギヒダリ、ミギヒダリにマワシマース、モンダイデスカー?」右、左では問題は解決しないとおもいました。チビタでは人の手を借りて、夜中にやっと 宿に入れました、チビタ事件。
pedaru
- kummingさん からの返信 2022/12/13 17:41:41
- チビタ事件♪
- 覚えています、チビタ事件^ ^
鍵を持たないで出かけられた?のでしたっけ、それとも、鍵は持ってて開かなかった?とにかく、すったもんだの末、そこらに居合わせたジモテイに窮地を救われた!みたいなお話でした。
私は次のボローニャで、あわや宿無し(°_°)という危機一髪、脳裏を掠める瞬間が訪れます(笑)
最初から来ないよ、と知らされているのと、来るから心配しないでね、と言われて来ないのと、では雲泥の差があります。
鍵、右回しなのか左回しなのか?一回転だけならまだしも、ぐるぐる何回もまわった挙句、カチッと音がしたら開いている、みたいな(ーー;)「ほ~ら、簡単だよ!」って、オーナーは慣れていてコツも分かるんだろうけど、こっちは初めて!もちょっと万人に使いやすい鍵に変えて欲し~
朝イチのカキコ、嬉しゅうございます♪
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ラベンナ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 日本脱出 後半
4
68