2022/10/13 - 2022/10/13
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kummingさん
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さて、雨も小降りになって来たし、そろそろ今日の本命に向かいましょ~
有名過ぎるパラティーノの丘、へ♪
前々回も前回も、コロッセオとフォロ・ロマーノだけでお茶を濁してしまいました。
今回は事前に、とんぼの本 "ローマ 古代散歩" までしこみまして、本気モードです、が、やはり途中で日和るのは毎度お馴染み(笑)
チケットはコロッセオ、フォアロマーノ、パラテイーノは込み込みしか売っていせん。なぜ、パラテイーノだけの入場券、または、フォロロマーノとパラテイーノだけ(コロッセオ除く)のチケット売っていない?
いやはや、広いんです、ココが(*_*)
何処をどう廻るか、ココは一度見たのかまだなのか、遺跡あるある症候群。
そもそも朝一で来ればエネルギーも満タンのはずでしたが、雨に祟られ午後からの訪問、とくれば、当然既にお疲れ気味、の処からはじまりました。
いつの間にか、フォロロマーノの中にいるやん?どこが入口だったん?
罰金の一部を取り返してもうた~(←バス刻印せず課金事件)
パラティーノの丘へは初めて上りました。
めちゃくちゃ、広いっ(*_*)同じ処行ったり来たりで、余計に広い?
3時間にわたるばぁばの放浪記でございます
迷っただけじゃなく、どうやら裏側から先に見て、表側にたどり着いた?っぽい、と後で気づく
何でいつも、そ~いう順番になるんだか?謎の、いえいつもの迷走
遺跡の写真を編集したり減らしていたら、ますますどこがどこ?何が何だか
わけワカメ(;o;)になるので、撮った順番=歩いた順番、減らしつつ、まんまupします(←ただの手抜き、ともいう)
早送りスクロールでの閲覧、推奨♪
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フォロ・ロマーノの外側を歩いて
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ローマ、至る所修復中
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カエサルさま~
頭が欠けててm(._.)m
カエサルについて私如きが説明するのは不可能ですが、
暗殺に関わった面々のその後の行動を追うと、何やってんだか(°_°)
元老院が政策化し市民集会が承認する事で成り立つ、寡頭制(オリガルキア)と呼ばれる少数指導制、「元老院体制」と言っても良い政体、それは、ユリウス・カエサルが軍団率いてルビコンを渡るという、国法を犯してまでも打倒を決意し成功した政体こそが共和政体であった。
カエサルは、全権を握った後も、反対派の全員を許し、公職への復帰も認めた。粛清の嵐は吹き荒れなかったが、「終身独裁官(デイクタトール・ペルペトウア)」に就任することで、元老院体制の復活を期待していたキケロやブルータスのような、共和政主義者たちの夢を打ち砕いてしまった。
実質的に権力を一手に掌握したカエサルの共和政→帝政へのあからさまな移行に対して、元老院議員の中の共和政支持派の一部が「暗殺」という強硬手段を決行する。
カエサル倒る!の報に悲憤やる方ない民衆の動向に、恐れ慄き怯んでしまった暗殺者たちは、当初の計画を放棄して、てんでんバラバラに隠れたり逃走したり。結局、カエサルが生きていたらこうしていた、通りの布陣(政府機関のトップ人事)が可決された。
ちなみに、「ブルータス、お前もか?」のブルータスは、よく言われている、母親がカエサルの愛人で反カエサルの急先鋒だったにも関わらず、カエサルによって命拾いしたあのブルータスではなく、カエサル子飼いの軍団で共に闘い、目をかけ、次の人事で重要な地位につけていたもう1人のブルータスだった、という話。しかも、カエサルの死後、自分を重用してくれるはずだったカエサルへの忘恩の念、に駆られたのは彼だけではなかった。
独裁官という役職名から受ける印象もよくない?カエサルともあろう人が、もっと慎重に事を荒立てないように、穏便な進め方出来なかったものか?
安全を期するためのボデイガードも連れずに歩きまわっていたという。敵を罰するより味方に入れて重用する、彼の「寛容の精神」の現れでしょうか。
未だ誰も戦果を挙げる事が出来なかったパルティア遠征が、カエサルの指揮の元実現していたら? その後の歴史はどうなっていたのでしょう。
スペイン遠征に同行させ、その時のオクタヴィアヌスの冷静沈着さが決め手になったのか(オクタヴィアヌスは軍務は苦手)、17歳のオクタヴィアヌスを後継者に指名した、その慧眼には驚きしかありません。彼はカエサルの失敗を糧に、深謀遠慮、より巧みに元老院議員を手玉に取り?共和政→帝政への道を切り開いて行きます。
「ガリア戦記」はラテン語の文学としての評価も高く、キケロもカエサルの文章力を絶賛。読んでも「文学」としての?は分からないけど、戦記としては面白い♪ -
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外から眺める、という手もある?
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その前にお腹が空いた!
呼び込みやってたおにいさん、
私の手のひらを見て笑う(笑笑)(手のひらには、イタ語のフレーズ、メモっています)
そんなご縁もあって、一度レストランに入ったけど
メニューを眺め、尋ねようと待っていたのに
ちっともオーダーとりに来ない? -
ので、隣のパニーノ屋さんへ(←旅の途中は気が短い)
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フォロ・ロマーノ前のベンチにて
いただきま~♪ -
その後
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何か知らないうちに
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中に入ってしまってた(笑笑笑)
確か、入口っぽいところらへんで、トイレを見つけ
入ろうとしたら、またいっぱい並んでたのでやめて
そのまま進んだだけなのに?
トイレはカフェっぽい所にあったような
ローマパスで割引料金、7~8ユーロ、取り戻す♪ -
昔はこんなの、なかったような?
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あそこ?
標高約50mの高台
元は西のゲルマルス、南のパラテイウム、北東のウエリアという3つの丘に分かれていた。 -
今日の目的地♪
パラテイーノの丘に上って、パラテイーノを散策します。 -
地図があっても絶対迷うわたくし
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テイトウスの凱旋門
ユダヤ戦争の勝利を記念して、テイトウス帝没後に献じられた。
アーチ内側の格間天井には、鷲に乗って昇天する皇帝 -
横のパネルには4頭立て戦車に乗った皇帝や戦利品ので七枝の燭台など、凱旋の様子が描かれて
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ヴェスパシアヌスの2人の息子テイトウスとドミテイアヌス、彼らの皇位継承権を明らかにするのは父親の情であり、世襲の誘惑に抗しきれないのは人の常。フラヴィウス朝(ヴェスパシアヌスと2人の息子)の後、史上「五賢帝の時代」を統治した5人の皇帝の善政たる所以は養子継承システムにあったともいわれ、内4人は実の息子に恵まれなかった。成人した息子がいたマルクス・アウレリウスは不肖の息子コモンドウスに皇位を継がせたが、結果は(;o;)
ネロの最期が世襲制確立の不充分さを証明したが、ヴェスパシアヌスは次期皇帝になるテイトウスに実績を積む機会を与えるため、ユダヤ戦役の総決算であるイエルサレム攻略の総指揮を、それまで進めてきた自分の代わりに息子テイトウスに任せる。 -
パラテイーノの地図を前に、自然と集まる観光客たち
「今どこ?」
「ココじゃない?」
のやり取り、指差した先は、皆が触ったので変色しています -
見晴らし良い♪ 遺跡公園
ここから~の
眺め
↓ -
パラテイーノの丘から見下ろす
フォロ・ロマーノ
その1 -
その2
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その3
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その4
パラテイーノ
おそらく、古代に崇められていた牧畜の守護神パレス、が地名の語源で、ローマ建国者ロムルスはここを本拠地とした。
共和政期は元老院議員階級の名門が住む高級住宅街だった。
そして、この丘の由緒に注目したアウグストウスは敷地を手に入れ、公邸を建てて移り住み、宗教と政治の新拠点とした。
以後、歴代皇帝が増改築を重ね、パラテイウムはいつしかパラッツオ(宮殿)の語源となった。 -
その5
このままだと、その10越える勢いなので
あとは
動画↓ -
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道中の写真なく
いきなりですが
ロムルスの小屋? -
なのかどうか?定かではありませんが、
↓ この説明板によると -
ロムルスの小屋(1)
この地域には、市の最初の王の古代の住居があった。そして、最も古い儀式が行われたパラテイーノの丘の上に建てられた村の痕跡は、小屋の支柱の穴と絡み合った枝でできた基礎にある。小屋は両方とも住居だった。王の場所、最高の司祭、勝利の母系女性dei?寺院の 崇拝の場所(2)
この場所の神聖さは、紀元前295年のセンテイーノの戦いでサムナイトに勝利した後、神殿が奉献されたことによって確認された。 -
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Hut Village 小屋の村
テヴェレ川に面したパラテイーノの頂上で、発掘調査により小さな小屋の村が明らかになった。通常はローマの基礎に関連している。
それらの存在は、土壌に掘られた塹壕と穴によって示される。考古学者は、その形状から、木製の柱のフレームワークと織り混ぜられた枝の屋根で支えられた、土壁が打ち砕かれた2つの小屋の存在を推測した。
小屋の位置は、古代の著者によって記述された位置と一致しており、これが創始者ロムルスが伝統的に住んでいた場所であったことを示唆している。 -
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アウグストスウスの家
確か、ツアーは時刻指定と思ってましたが
いつでも入れるっぽい!
有料なので、もし、万一、フォロの入場券確認されたら?
と、無銭入場がバレるのが怖くて
近づけず(TT)
痛恨の極み、とはこ~ゆ~事よ(シクしく(ToT)
ちなみにとんぼの本に内部の写真載っています。
見たかったな~ -
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この頃
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すでに
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自分がどこに向かっているのか?
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???
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どこ~?
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まんまじゃん!
↓ -
2000年の時を超え不変
普遍? -
1 ドムス・アウグスターナ 南ファサード
2 通称スタジアム、の前の部屋
3 マクセンテイウスの浴場(デイオクレテイアヌス帝と共に共同統治したマクシミアヌス帝の息子、テトラルキア時代の皇帝の1人A.D.278~312年)
4 セヴェランのアーケード(マルクス・アウレリウス→コモドウス後、セプテイミウス・セヴェルスに始まるセヴェラン王朝、2代目はカラカラ帝)
5 マクセンテイウスのアーケード(312年コンスタンテイヌス帝により完成)
6 チルコマッシモ -
マクセンテイウスの浴場、通称スタジオとアウグスターナ
東に目を向けると、マクセンテイウス(在位306~312A.D.)が拡張したセヴェランの下部構造の上に建設した浴場が見える。時代は建造物や書物に見られる煉瓦のスタンプ(碑文付き)に基づいており、皇帝が加熱された部屋を南西に正規に配置した方法を思い起こさせる。温水で入浴するための部屋の大きな窓ははっきりと認識できる。左に曲がると、いわゆるスタジアムの前で、かなりの高さに保たれたいくつかの部屋が見える。1つには後陣に格間天井があり、さらに西にはドムス・アウグスターナの曲線のファサードがある。 -
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崖崩れ防止
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セヴェランアーケードとマクセンテイウスの拡張 :建築技術
セヴェラン時代[1]に皇帝の邸宅を拡張するために建てられた印象的な下部構造(高さ約20m)は、ローマ建築の壮大さの明確な例である。それらを構築する際に、コンクリート(モルタルと石の瓦礫)の作品の壁の内側のコアに使用され[2]、レンガ造裏(レンガとモルタル)がカーテンウオールに使用された。屋根葺きのために、コンクリートは、以前は正方形のタイルで覆われていた湾曲した取り外し可能な木製の構造(センタリング)に注がれ、その一部はまだイントラドスに保存されている。下室のクロスヴォールトでは、レンガがコンクリートに埋め込まれており、ヴォールト自体の安定性を高めている。
私たちが自分自身を見つける1番外側の部屋の列[5]は、マクセンテイウスの時代(316~312A.D.)にまでさかのぼる。静的な理由と宮殿を拡張するために追加された新しい構造が、セヴェラン時代の構造に対して配置されているポイントを特定できる。
ヴォールト(vault)
自立アーチ形態で、通常は石かレンガ製、天井や屋根によって空間を張り出す役目をする。
アーチ(断面)を平行に押し出した形状(かまぼこ型)を特徴とする天井様式、及び建築構造。広い空間を柱の数を少なく支えることができる。
リブヴォールトは、横断アーチとその対角線のアーチをリブとして、その隙間をセルによって覆うヴォールト。 -
この辺が
セヴェランのアーケード
マクセンテイウスのアーケード
と言われる処? -
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チルコ・マッシモ?
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出口に向かうには、まだ見ていない処多い!
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競技場、または馬場
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閑話休題♪
ドミテイアヌスはいわゆる「官邸」の組織化、皇帝に集中する大量の実務を裁く秘書官システムを整備した。このシステムを最初に採用したクラデイウス帝の秘書官システムが機能していたにも関わらず、解放奴隷を登用した為評判悪かったのを、ドミテイアヌスは騎士階級から登用し、さらにこの官邸システムが機能する様に、または皇帝にふさわしい皇宮に変えたかったのか、パラテイーノの丘のほぼ半ばを使って、広大な宮殿を建設した。
それは私邸というよりも公邸で、市民たちを招いての競技も行える本格的「スタデイウム」も備えていた。この宮殿建設によって、それまでは他の人も住んでいたパラテイーノの丘は、皇帝の住まい専用になった。 -
145mの長さ、下は角柱、上は円柱による2層の列柱廊に囲まれ、東側中央のは皇帝用桟敷が設けられていた。
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オーディオガイダンス、借りれば良かったかも?
ドムスフラヴィア 通称 謁見の間
おそらく皇帝との謁見のために用意されている最大の部屋は、伝統的に謁見の間として知られている。それは例外的な大きさ(1280平方メートル)で、複雑な建築装飾が施されており、その多くの特徴が現存している。壁には巨大な像のために8つのニッチがうがたれ、1724年に2体が無傷で回収された。ヘラクレスとバッカスは緑色の玄武岩で、一方ジュピターは頭だけ発見された。ニッチは区画の内側にあり、数階建ての高さの列柱に囲まれ、精巧に彫られた土台と柱頭、そして軍事をモチーフにした浮き彫りを備えていた。 -
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ドムスフラヴィア 楕円ニンフェウム
トリクリニウムの側にあり、それとつながっていたのは、片側が曲がりくねった2つの対称的な柱廊のある中庭とつながっていた。2つのうちの1つは現在パラテイーノ博物館にあり、もう一つは保存状態が良い。列柱の土台、黄色の大理石の柱の一部の破片、彫像のためのニッチである扉と外壁の多くが生き残っている。中庭の中央にはエコロジカルな噴水があり、全体が白い大理石で覆われている。3つの異なる高さのいくつかの水盤が水のカスケードで満たされていた。
トリクリニウム(triclinium)
古代ローマの建物内の正式なダイニングルーム
ニンフェウム(nymphaeum)
古代ローマやギリシアで泉の神ニンフを祀る場所。街路の交差部に前柱式ファサードをもつ半円形の祭壇を造り、植物や噴水、ニンフの彫像で飾る定型をもつ。
カスケード(cascade)
連なった小さな滝、建築分野では人工的に作った滝、階段状に水が落ちる滝。庭園の傾斜地などで、階段状に流した水の流れ。 -
The Domus Transistoria
フラヴィウス宮殿のトリクリニウムの下にはネロ宮殿の重要な遺跡があり、古代の著述家によると、この宮殿はパラテイーノからオッペイアンの丘まで広がっていた。当初は「transitoria」と呼ばれていたネロの壮大なドムスは。西暦64年の火災後に再建され、「aurea (庭)」と改名された。ネロニアンの部屋は、ファルネーゼ家によって18世紀と、そして再び20世紀初頭に発掘された。2つの古代の階段は、一方の側にニッチで分割されたニンファエウムがある中庭に続いている。中央のニッチには、小さな色のついた大理石の柱で飾られたプラットフォームの前ウオータージェットを供給するカスケードがあった。反対側には、皇帝が夏の居間として使用した列柱のあるパビリオンがあり、皇帝は半円形のニッチに横たわっていた。中庭の両側には豪華な装飾が施された部屋があえい、床は色とりどりの像眼細工で飾られ、大理石の壁と壮大な景観を描いたフレスコ画が飾られていた。ガラスのインサートで装飾された絵画は、主にネロのお気に入りの主題であるトロイ戦争のサイクルを描いている(絵画はパラテイーノ博物館に展示されている)。壁に沿って間隔を置いて、水の力のカスケードのための階段状の構造があった。塗装された装飾の豊富な金メッキは、ネロが自身をイニシエーター(開始者)とみなした黄金時代との?即時のリンクを作成すること?を目的としていた。
トリクリニウム(triclinium)
古代ローマの建物内の正式なダイニングルーム
ニッチ(niche)
装飾のために厚い壁面をえぐって作られたくぼみ。
カスケード(cascade)
連なった小さな滝、建築分野では人工的に作った滝、階段状に水が落ちる滝。庭園の傾斜地などで、階段状に流した水の流れ。
ニンフェウム(nymphaeum)
古代ローマやギリシアで泉の神ニンフを祀る場所。街路の交差部に前柱式ファサードをもつ半円形の祭壇を造り、植物や噴水、ニンフの彫像で飾る定型をもつ。 -
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フラウイウス宮の食堂の床
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ドムス・アウグスターナ 下の回廊
ココ、すごかったです!
ず~っと、クラッシック音楽が聴こえてて -
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お掃除の方々が頑張っていらっしゃいました
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チルコマッシモを見下ろすドムスアウグスターナの部屋
この場所の区画には、10メートル下の地下階にある柱廊のある中庭を見下ろす部屋の一つがある。この中庭には、今日でも古代の階段でアクセス出来るプライベートアパートがあった。対称的に配置された一連の部屋の遺跡もあり、トリクリニア(ソファ)の典型的なくぼみがある。各部屋は、噴水で飾られた半円形の中庭に面し、門扉を介して閉まっている、チルコマッシモの谷に面した側の宮殿のファサード柱廊にあるパノラマテラスとつながっている。 -
チルコ・マッシモ
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Elliptical Room 楕円形の部屋
ホールの床はアフリカ大理石のスラブ、古代名でマーモア・ルクルスでできている。マーモアルクルスはローマでそれを最初に導入した執政官ルクルスとリンクしている。紀元前1世紀の前半から、採石場はトルコのテオスイズミールの古代領土の近くに位置していた。
Peristyle
ペリスタイルは大理石のスラブでできており、その起源はmarmot phrygium、またはsynndadicumによって示された。 -
パラテイーノスタジアムは長い庭園(160×48m)で、ドムス・アウグスターナとセヴェラン宮殿の浴場の間の低いレベルにある。皇帝の徘徊を意図したもので、元々は2つの半円形の噴水で飾られていた。後に追加されたのは、東側の大きなエクセドラである柱廊玄関と、北側の噴水で飾られたニンフェウムだった。
エクセドラ(exedra)とは?
エクセドラは建築物における半円形の部分で、その上部は半ドームになっている事が多く、一般に建物の正面にある。ギリシア語で「ドアの外の座席」を意味し、柱廊に面した部屋で湾曲した背もたれの高い石造りのベンチに囲まれ、哲学的会話に最適な場所だった。
列柱の途中の湾曲した部分もエクセドラといい、半円形の座席が置かれている事もある。 -
出口でチケット見せて!
とか言われはしまいか?
どきどきしながら、平静を装って
無事外へ♪ -
見逃した処はあれど、満足感に満たされての帰路
まだまだこれから入場されるみなさまの長蛇の列がございました。 -
もし次、の機会があるとしたら、
朝イチ訪問してオーディオガイダンス、借りましょう♪
アウグストウス、リヴィアの家は、ツアー予約して必見!
(アウグストウス、リヴィアの家のレプリカ、マッシモ宮にあるらしい?) -
相変わらずの人出
バス停はどこかな? -
新手の物売りさん
やたら話しかけてたけど、何をか売らんと欲す? -
インペリアル通りからバスに乗り
-
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バスの車窓より、久々の隠し撮り♪
長~いおみ足(°_°) -
そんなこんなで
-
歩き疲れた~
冗長なブログ、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました♪
次回はドムス・アウレア、ネロの「黄金宮殿」編
ですが、来週NHKで特集番組放送らしい(-。-;
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この旅行記へのコメント (4)
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- しにあの旅人さん 2023/02/18 20:29:57
- 負けないもんね、ついていく。
- ライブギター、実況録音ですか。音とギタリストの手が合ってないような感じもしますが。
手のひらにイタ語をメモっていたのですか。50年ほど前の紅白では有名な歌手がよくやっていたとか。大観衆で、歌詞を忘れちゃう。歌詞の頭だけ手のひらにメモるのです。
ビールとパニーニで晩御飯十分美味しかった記憶あり。
イタリアで飢えることは難しかった。
入り口無料通過、無我の境地の勝利です。伊達に禅の国から来てはいないのです。キョロキョロしていたら、挙動不審で捕まる。テキはそういうのを見張っているはず。
パランティーノの丘。
よく覚えていない。
人を人とも思わない、ずうずうしいカモメがいませんでしたか?
ロムレスの小屋、あったっけ、そんなの。とにかく走り回ったので、大事なものをいっぱい抜かしました。
ここから先は全く記憶になし。私はそもそも行ったのかな。kummingさんの解説もなくなり、かなり苦労している様子ありあり。
なが~~いあんよ。これで10月ですか。
- kummingさん からの返信 2023/02/19 17:15:20
- Re: 負けないもんね、ついていく。
- 今日だけで3つ目のカキコです(笑笑)
ギター演奏は路上ライブ、まんま録画です、編集なんて出来ません。
手のひらメモは常用してます、簡単なイタ語フレーズすら覚えられない(-。-; でも、なまじ使うとイタ語出来る?と誤解されて早口イタ語でまくしたてられる?という弊害もあり(;o;)
バスの検札で取られた罰金の一部、取り返したり~^o^と思いましたが、そのせいでアウグストウスの家に近寄れず(ToT)
記憶違いかもしれませんが、しにあさんの「かもめ」は、確かハドリアヌス霊廟での出来事ではなかったかと?しにあさんのブログにパラテイーノが出てきた事はないように思います。カモメなのでテヴェレ川付近にたむろしていたのでは?
私もどこをどう回ったのか、写真見てもワケわかめ(°_°)これって、遺跡で必ず陥るんです、カラカラ浴場、パラテイーノ、この後出てくるヴィッラハドリアヌス。
ガイダンスも嫌いなので、せめてもっと分かり易い道案内を置いて欲しい。矢印を一方向に決めて、あっちからもこっちからも行けますよ!ではなく、一方通行、この順路でしか廻れません!的な表示にしてくれないかな~そしたら全員同じ方向に進むし、迷わなくてすみませんか?
後3本は写真30~50文字少ないやつ、と一個だけ写真も文字数も多いやつ、残っていますm(._.)m
いつ白旗上げてもDon’t mind! でございます♪
-
- pedaruさん 2023/02/11 12:19:29
- ローマは一日にして見れず
- kummingさん こんにちは
頑張りましたねぇ、たくさんの写真を添えての旅行記、十分堪能いたしました。
建物の構造、建築方法から、歴史、カエサルの暗殺、詳しい解説に読むだけでも
大変なのに、作成は大変です。しかも動画まで添えての大作、お疲れさまでした。
カエサル像の写真、体のてっぺんだけ写したものとは真逆の写真でした。
ポートレートのテクニックもいろいろあるのだなぁと認識しました。
ローマでは道端の石をけ飛ばすと、それがカエサルが腰かけた石だったりします。
日本の弁慶の腰かけ石とはリアルさが異なります。
次を楽しみにしています。
pedaru
- kummingさん からの返信 2023/02/11 19:42:23
- Re: ローマは一日にして見れず
- ご迷惑は重々承知していながら、やたら文字数多くて申し訳ないですm(._.)m正しいアプローチは読まずに早送りでスクロール♪ もし今後も遊びに来て下さる覚悟⁈がおありでしたら、強くお勧めさせて頂きます。
カエサルのポートレート、期せずして頭隠さず尻隠すの逆バージョンになりました。今度行ったら石を蹴ってみよう♪
建築にも建物の構造にも無知なので、訳しても意味が通じていないのではないか?と思いつつ、自分ではこういう事かな~、など空想して楽しんでいます。
ローマ帝国の皇帝、色んな方がおられますが、実はお気に入りが数人います。本当は、訪れた順、ではなく、そういうお気に入りごとにまとめてブログにできたら良いのですが、そうすると多分もっと文字数増えて迷惑×10になりそうwww
この後は比較的文字数少ないのが3つ、4つ目は広~い遺跡(*_*)なので、本編に負けず劣らず、長いやつm(._.)m
残りも殆ど出来ていますが、最終チェックのために自分で読み直すのも、ちょっとね~読むだけでも大変(笑笑笑)
カキコの『師匠ギャグ』楽しみにしております^o^
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