2022/10/15 - 2022/10/15
7位(同エリア20件中)
kummingさん
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この旅行記のスケジュール
2022/10/15
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Piazza Giuseppe Garivaldi
この旅行記スケジュールを元に
かなりしつこいです、もはや旅行記とは言えないレベルm(._.)m
Tivoli といえば、Villa Adriano
あのハドリアヌス皇帝の別荘
いや、Villa d’Este でしょ? と言われる方も多いでしょう
人の好みは十人十色、と申します。そこはソレ、各人の嗜好♪そして、 もう一つ加えるならVilla Gregoriana 時間不足で未訪問となりましたT_T
ヴィッラ・アドリアーノは、皇帝ハドリアヌスの想い出を集めた場所。想い出とは、「想い出したいこと」だから、ハドリアヌスが自らの目で見、自らの足で行った巡行先の全てではない。アテネのリュケイオン(アリストテレス創設の高等教育機関)、アテネ市議会プリタネイオン、異国情緒溢れるエジプトのカノプス、それらの建物や場所が彼に与えた印象を、象徴的な形にして移し換えた。当時のローマ式別邸とは異なる、「複雑な性格」のハドリアヌスに相応しい、複雑な構成のヴィッラ。
↓
もちろん迷子になったのはハドリアヌス帝の「複雑な性格」のせい?ではありません
「領土拡大路線」だった先代トライアヌスの治世、その領土はローマ帝国史上最大の版図を築き、その跡を継いだハドリアヌスは方向転換、遠征を止め、領土を守るに徹し、内政強化と広大な帝国の安定化、『パスク・ロマーナ』ローマの平和の確立に注力した。
写真が減らせないでm(._.)m
その上、蘊蓄も多すぎる(-。-;
強大な力を持っていたローマ帝国は国内の政治体制や属州との関係など多くの問題を抱えていた。ハドリアヌスは帝国内の官僚体制、統治機構、政治を司る機関、役職の整備、国境整備(ハドリアヌスの長城など)と共に内政の見直し、強化に取り組んだ。
法制度の整備にも着手、その法典は数世紀に渡り司法の礎となり、6世紀半ばの東ローマ帝国ユステイニアヌス時代「ローマ法大全」へ受け継がれる。
ローマの都市計画、生活の利便性を重視、機能的で住みやすい都市整備を行う。「パンテオン」「サンタンジェロ城」をはじめローマ市内及び属州に数々の公共事業、建造物を造った。ハドリアヌスの別荘、パンテオンは自ら設計したともいわれる。
「旅する皇帝」
中でも有名なのは、皇帝即位後~晩年まで、2度の帝国領地を巡る大紀行。広大な領地を隅々まで巡り、国境付近の防衛整備、各地の統治状況視察。特に他国の文化風習の影響を受けやすい遠方地域に目を光らせ、建築に精通した技術者を同行させ、土木工事や建築作業を行わせた。
皇帝は政治、経済、法律にとどまらず、芸術、建築の分野にも精通していた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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木漏れ日の中
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バギーを押して行く若夫婦♪
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と
仲良し老夫婦♪ -
スペイン南部の田舎で育ったハドリアヌスが10歳の時、父は後見人を指名した後亡くなる。指名された後見人は2人、当時33歳で軍団勤務大隊長に過ぎない、12年後に皇帝になるとは誰も思っていないトライアヌス、と同郷人アテイアヌス。息子の将来を首都ローマ在住の名士ではなく、若くて実力派の2人に託した。
代父となったトライアヌスとアテイアヌスによって、中等教育をイタリカとは比べようもない大都市ローマで受ける事になり、10~14歳のハドリアヌスは充分な基礎教育を受ける。
この時期、利発な少年はギリシア文化のは素晴らしさに目覚め、ギリシア語はエリート階級に不可欠な教養だったが、ハドリアヌスが熱中したのはギリシア語だけでなく、ギリシア文化全般だった。
質実剛健を絵に描いたような代父2人は、ハドリアヌスのギリシア文化への傾倒は心配のタネとなり、ハドリアヌスを故郷イタリカへ戻してしまう。
ところが、今度は、ハドリアヌスが狩に熱中、バランス感覚を重視するローマ人の伝統からすると、熱中、溺れる、は好ましくない。故郷での3年の生活の後、ローマへ呼び戻される。
後年のハドリアヌスの2大愉楽、ギリシア文明と狩猟への愛は、10代で形成されていた。 -
道案内の標識は随所にあれど、方向音痴(-。-;
ほんとうにトライアヌスは、ハドリアヌスを後継者に指名した後で死んだのか?
皇帝の死を看取った皇后プロテイナが、しばらくの間ふせ、急ぎアンテイキオアにいたハドリアヌスに急使を送って知らせ、指揮下軍団の忠誠宣誓を得て登位を既成事実化するのを待って、皇帝の死の公表に踏み切ったのか?
瀕死の皇帝に付き添っていたのは、妻のプロテイナ(ハドリアヌスを憎からず思っていた、たぶんプラトニックLoveな関係)、姪のマテデイア(プロテイナとは良好な関係)、近衛軍団長官アテイアヌス(ハドリアヌスの後見人、代父)と、もう1人は皇帝侍医、の4人。
皇帝侍医は、なぜかこの数日後に原因不明の死を遂げている。
当時のローマ人は、後世の研究者よりもこの謎の解明に執着しなかった。なぜなら
その1 41歳という年齢
その2 文句のつけようもないほど諸々の分野を網羅するハドリアヌスのキャリア、帝国統治の最高責任者になる資格充分
その3 元老院も周知の頭脳明晰さ
その4 軍団の将兵ともに人望厚いこと
117年8月9日、アンテイキオアで養子に迎えられた(ローマでは後継者は養子縁組という形をとる)との告知を受け取り、同日セリヌスの地でトライアヌス帝死去、11日、東方軍団の将兵たち、新皇帝ハドリアヌスを「インペラトール!」の歓声で忠誠を宣誓。
セリヌス→アンテイキオア、海上400km,高速船で2日の距離、皇帝の死を伏せることにしたとしても、公表を2日延ばせばよかった。
トライアヌスの生涯を彩った責任感の強さと、ハドリアヌスが適任であると多くが認めた事実からも、たとえ瀕死の皇帝によるぎりぎりの後継者指名であろうと、ハドリアヌスの皇位はトライアヌスの決定だった、と人々は納得した。 -
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坂を上った先には高い壁が聳える
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ハドリアヌス帝は即位後ほどなくテイヴォリ町の南西にこの別荘を着工、126ht(日本の皇居よりやや広い)に及ぶ敷地に、旅先での想い出を散りばめながら増築していったという。
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これは、広大な庭園を囲む四方のポルテイコだった。名前は、有名なギリシャの画家による絵画で有名なアテネのストア・ポイキレ(彩色されたコロネード)に由来する。
2つの柱廊ポルテイコから成る北側には、今日中央の壁(200m)だけが残っている。
ガラス張りの??屋根の梁を収納する大きな穴のシリーズの上部に沿って、見える
オリジナルのアーチ状の入口は壁の中央に位置していた。vialedei Cipressiに沿った長方形の開口部はCasinoFedeロッジからアクセスしやすいように、18世紀に開かれた。過去にハドリアヌスの別荘で発掘された碑文から推測できるように、北側セクションはローママイルに基づいたデイメニスロン(?)を備えた柱廊ポルテイコを表している。
城壁の長さに沿った散歩は約450mになり、これを7回繰り返すと、当時の医師が推奨する食後の散歩に相当した。
同様に、庭と柱廊が反対側を取り囲んでおり、その柱は現在円筒状にカットされた月桂樹の木に置き換えられている。間違いなく屋根(カバー)の下で歩くのにも、大きな中央プールの周りに見られる花壇の中を歩くのにも、適していた。
私たちにはハドリアヌスの時代にどんな種類の植物が使われていたは分からないが、今日目にする事ができる オリーブの木、ヒノキ、ザクロ、キョウチクトウ、ローズマリーはローマ時代に植えられた植物である。
ポシールが立っているテラスは部分的に人工的で、両側と東側に沿って強力な下部構造の上に構築されている。それはサービスルームとして再利用されhunndredRoomsとして知られている。この複合施設は建物のふもとにある舗装された道路に面した約100の部屋で構成され、1階から4階に分かれ、ギャラリーと木製の階段でアクセスできる。部屋は接続されておらず、主に奴隷の宿泊施設として使用されていた。 -
Police ポレイキ
池を中心とする回廊に囲まれた庭園だった。池の長辺は100m以上、ポレイキ全体では232×97m
ギリシアのアテナにあったストア・ポイキレ(彩色柱廊)を模したものだが、建物は残っていない。
あれ?写真がない?
でも、動画撮ってた♪ -
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植木で柱を表現
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Sala Filosofi 哲学者の部屋
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丸いドームが目立つ建物
哲学者の間、と呼ばれているが、皇帝の読書室だったのでは?と考えられている。
が、用途は諸説あります。 -
哲学者の部屋として知られるアプシダルホール
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ここからは、皇帝の私的空間、宮殿の建物が続きます。
Villa dell' Isola(島のヴィッラ) , Teatro Marittimo(島の劇場)
この建物の名前は、そこを飾っている海を主題とする優雅な大理石の浮き彫りに由来する。それはこの複合施設の中で最も有名な記念碑(はモニュメント)の1つであり、
構造の独創性と、混合曲線と直線的な要素を広範に使用する事で、ハドリアヌスの別荘のユニークな建築デザインの象徴となっている。
ヴィラの最も初期の建物の中で、その円形の海の劇場は、共和国のヴィッラヘリオカミナス浴場、Pecil の間のリンクから、全てが異なる軸に沿って配置され、異なるアクセスポイントを介して劇場に接続されているようだ。
広い運河に囲まれた人工島で構成され、樽の丸天井とチポリーノ大理石の滑らかな柱を備えたイオニア式のポルテイコに囲まれている。
島には実際にドムスがあり、皇帝の邸宅自体の中にある種のミニチュア邸宅がある。それは元々柱廊から2つの回転する木製の構造物で繋がっていた。現在では石造りの橋でアクセスできるが、古代はハドリアヌス帝自動以降に遡る。今日でも、人里離れた場所にいるという感覚であり、そこでハドリアヌスが元老院から離れて、静かに余暇活動を楽しんでいたことが容易に想像できる。
内部空間は、循環計画によって制限され調整されていたが、皇帝の快適さを保証する為に必要な、全ての部屋を提供するように、完壁に活用された。 -
Villa dell’ Isola
円形の建物の真ん中に円形の小さな建物があり、その周囲は池、池の縁に沿って丸く柱廊が配置されていた。アトリウム、噴水のある中庭、歩き廻るポリテイコ、応接室 (タブリナム)、ベッドルーム(キュービキュラ)、温泉、さらには3つの個別のトイレまである。温浴施設ではフリジダリウムルームが特徴で、階段は冷水プールから直接運河に繋がっていたので、スイミングプールとして使用できた。回転橋が存在する事で、障害物に遭遇することなく、運河を数周泳ぐことができた。 -
Villa dell’ Isola (島のヴィッラ)
または
Taeatro Marittimo(海の劇場)
皇帝が個人的に寛ぐための建物
丸い柱廊と中央の小島がリング状の水路で隔てられ、当時は木製の可動橋が架かっていた。 -
イチオシ
世の喧騒から逃れ、政治の軋轢からも遠ざかって、
1人沈思黙考、思いのまま思索に耽るハドリアヌスの姿が思い浮かび
胸に迫るモノがございます -
ローマ帝国全域をくまなく巡行し、軍備を整え、全てをやり終えた皇帝
晩年はその達成感より孤独感と、無理が祟ってかの身体の不調に悩まされていた
島へ渡る跳ね橋があったそう
1人になりたい時は、ここに来て跳ね橋を上げておこもりしてた? -
ハドリアヌスは若かりし頃からギリシア文明に魅了され、その熱中ぶりを後見人たちは心配しました
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円形の島を池が囲む
または
池の中央に円形の島
ここ、ハドリアヌス帝がお気に入り♪を伴ってシケこんだ場所、というまことけしからん?説もあり -
鯉が泳いでいた!
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口パクの一瞬
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図書館?
島のヴィッラの近くに太陽熱浴室(ヘリオカミヌス)あるらしい(←ブログ作成時に気がついた、という) -
写真があってもどこの?
なので
間違って紹介するのを避けて、
これ以降、写真と無関係な、皇帝ハドリアヌスについてのキャプション、折々に入れてみますm(._.)m
写真だけ見てスルーしてね? -
A Plazzo 建物
B Teatro Marittimo 海の劇場
Pianta (Da Verduch) 植物(野菜)
Uno dei prefurnia del vanilla circolare, schizzo ( Da Verduch)
円形コンパートメントのプレフルニアの1つ、スケッチ
プレフルニアは古代ローマ浴場のカリダリウム(高温浴室)の近くにある水を加熱するための部屋
カリダリウムは床暖房の一種で熱した高温多湿の部屋で、中にはお湯をはった湯船があり、時にはサウナのように汗を流すラコニウムもあった。
入浴者はその後テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウム(冷水プールがある部屋)と進む。 -
道案内の標識
あっても
今どこ?
ここまでにどこを見たのか、
これからどこに行けば良い?
Hospitalia ホスピタリア(客間)
Triclinio Imperiale 皇帝のトリクリニウム
Caserma dei Vigili 消防士宿舎(俗称)
Edifice con Pilastri Doric ドーリス式角柱のでは広間
Piazza D’oro 黄金宮殿 -
やはり私にはガイドが必要かも!
それよか、Google Navi が欲しい
遺跡でいつも迷子になる -
『ハドリアヌス帝の回想』
紀元1世紀、ローマ帝国は栄光の時代を迎え、病を自覚し、自らの治世と命の終焉が遠からぬことをわきまえた、名声を馳せた皇帝の言葉
セリフはなく、全て皇帝の独言、時系列も定かでない心象風景、後の皇帝マルクス・アウレリウス宛の書簡、日記、遺書でもある。
読みかけて挫折(-。-; 翻訳が文語調でついていけず、と責任転嫁 -
Triclinio Estivo 夏のトリクリニウム
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ドーリス式角柱の広間
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Sala dei Pilastri Dorici ドリス柱の間
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A Piazza d’oro 黄金の広場
B Caserma dei vigili 警察署 (消防士の兵舎)
C Palazzo 建物
Pianta 植物 (ウインフェルド)
PIATTABANDE ARMATE USATE COME FALSI ARCHITRAVI NEL PERISTILIO
ペリスタイルの偽まぐさとして使用される補強されたプラットフォーム?
ペリスタイルは、ギリシア、ローマ建築における柱のあるポーチ、または中庭を取り囲むコロネードで、中央に庭園などがある。列柱郭ともいう。 -
Triclinio estivo 夏のトリクリニウム(古代ローマの建物内正式なダイニングルーム)
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Triclinio Imperriale 皇帝のトリクリニウム
食堂
宮殿跡の夏のトリクリニウムと2つの食堂があった -
柱頭
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床
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記念のselfie
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ローマ皇帝に課された責務は、1に安全保障、2に属州統治、3に帝国全域のインフラ整備、にあった為、これを果たすべく現地を知る必要があった。が、それは皇帝の出馬が必要になった時だけ出向く、だけで帝国全域を計画的に視察して回る、というものではなかった。
戦場に出向いた以上は周辺の統治を監視し、その地方のインフラ整備に努める。テイベリウスは帝位につく前に帝国の重要地域をほぼ踏破していた。2大戦役を遂行したトライアヌスでさえ、軍事目的以外の旅はしていない。
実務的な目的ない旅で本国を留守にしようものなら。元老院と市民の反撥は必至。そんなローマ人を向こうにまわして、視察と、それを基にした整備整頓だけを目的にした大旅行を敢行。その規模は、(実質上の初代皇帝)カエサル1人が比較対象足りえる、長期に渡る、広大な範囲に渡る旅。
ハドリアヌスの巡行先は、辺境や僻地、防衛施設の視察のため、軍団も従えず、ただ建設分野の専門家一団を従えていた。 -
Peris Tilio di Plazzo ぺリステイリオの建物
Peristilio del Plazzo 宮殿のペリスチュリウム(柱廊で囲まれた中庭) -
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ホスピタリア?
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1 Peristilli ペリスタイル
2 Ninfeo ニンフェウム
3 Triclinio estivo 夏のトリクリニウム
4 Biblioteca private 私立図書館
5 Sala a tre navate 3つの身廊のあるホール
6 Criptoportico クリプトポルテイコ(前部ポーチ)
B Heriocaminus ヘリオカミナス
C Coltile delle Biblioteche 図書館の中庭
Planimetria -
Planimetria dell’e dificio
1 Collocazione della firma di G.B.Piranesi
2 Vasca c.d. Peschiera
3 Cubiculum imperiale con alcove e lateine singole
Plan of the building
1. Location of the signature of G.B.Piranesi
2 Pool so-called Fishpound
3. Imperial cubiculum with alcoves and individual latrines
建物の平面図
1 G.B.Piranesiの署名の場所
2 プール、いわゆる養魚場、ペスキエーラ
3 アルコーブと個々のトイレを備えた帝国の立方体?
↓
G.B.Planesi の署名
ペスキエーラのある建物のクリプタポリテイコ内に保管されている1771年の署名
Villa Adoriana とVilla d’Este,2021 -
Quadriportico con Peschiera 養魚池のあるクアドリポルテイコ
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Peschiera (ペスキエラ) 養魚場
小浴場の裏手の東側、一段高いエリア
石に囲まれたプールのような所に食用の魚を養っていた -
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Edificio Sopra il Ninfeo ニンフェウムの上の建物(泉水堂)
競技場を模した泉水堂は大がかりな宴会が行われたトリクリニウム(古代ローマの建物内の正式なダイニングルーム)だった -
ツアーのみなさま
ガイドさんに「ココはどこですか?」と尋ねたけど、
いまいち、分からない(;o;) -
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これを翻訳して持ち歩いていたら、もちょっとまともに歩けてたかも?
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3つのエクセドラのある建物
贅沢な大理石象嵌細工の床や柱を持ち、宮殿への入口部分だったと考えられている -
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エクセドラとは建物の半円状になっている部分のことで、この建物には3方にエクセドラがある。
皇帝の私邸部分で、食事宴会の部屋だったと考えられる。
かつては噴水があり、床は豪華な大理石、周囲は円柱が並んでいた。 -
柱頭
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円柱の下部分
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円柱
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残っている円柱
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左
100室の航空写真
2021年にペシルの下部構造であるヴィッラアドリアーナとヴィッラデステを構成する部門で強調表示される
中
プラットフォームの上の玉座が描かれたブロック
ブロックはエジプト区域からのもの
右
プラエトリアンのが4分の1の目論見書
100室のイメージ。
ハドリアヌスの別荘の絵の旅へ、人生から引き出され、各文章の簡単な説明と共にアゴステイン・ペンナのよって刻まれた。 -
AIGYPITICA AND THE HUNDRED CHMBERS
Aigyptica
現在の調査によると、2000年から2005年にかけて明るみに出たこの建物は、建設に使用されたレンガに押されたスタンプに基づくと、ハドリアヌスによって最後に建てられたものだった。実際にこのパビリオンは、ハドリアヌス帝がエジプトから戻った134年以降の日付けに作成された可能性があり、それは存在する全ての要素によって想起される場所である。特にエジプト様式の彫刻、トキの表現、2つの寺院を囲む葉にヤシの木が存在する事、アレクサンドリアのエジプトのセラペナに典型的な豊富な噴水と水路が見られる。この為、おそらくこの構造は西暦130年にナイル川で悲劇的に溺死した若いアンテイノウスの記憶に捧げられたものであると推測されている。
確かな事は、この建物が現在ヴィッラで唯一知られている事であり、エジプトをテーマにした彫刻を多数生み出している東に加え、建築装飾にエジプトのモチーフを提示しており、最終的には帝国の”Travei Souvenir”トラヴェイのお土産?、に似ているとみなす事ができる。彫刻の装飾は、神格化されたアンテノウスに加え、エジプトのパンテオンの神々を含むように設計された。前庭とカノープスに直接接続された主要なアプローチ道路にあるその場所は、住宅環境における建物の位置を強調したいというハドリアヌスの願望を強調している。
Hundred Chambers
この見晴らしの良い場所から右を見ると、地形の不均一性を補い、ペシル庭園が占めるテラスを作るのに役立つサブストラクテイブなシステムを賞賛、鑑賞できる。この構造は、伝統的に100室として知られる約100の部屋で構成されており、最大4つの重ねられたレベルに積み上げられ、その底部には動力を与えられた道路が走っている。トラバーチンブラケットで支えられた木製の床と正面に1つの開口部を備えた上の部屋には、同じく木製の外部ギャラリーからアクセス出来た。このタイプの住宅構造は、カノープスの西側に沿って見られるものと似ている。部屋の性質と共同トイレの存在は、それらが主により多く別荘で仕えたスタッフのメンバー、を収容するために使用されたという仮定につながる。
ストリートレベルの空間は、物資の保管及び、または、奴隷地区に住んでいた人々の維持に関連する活動にも利用された可能性がある。 -
Hundred Rooms (チェントカメレッレ) 百の小部屋
2002年の発掘により、以前は場所が不明だっとハドリアヌスのお気に入りアンテイノウスのお墓が見つかったという。
ポイキレの土台となっている、「百の小部屋」に囲まれた低地が発掘され、大浴場の西側には別荘の正面玄関、そこから北端の門(側柱が残っている)まで、細長い環状の車廻しが出土、その西側にはアンテイノウスの墓苑、または神域が発見された。
ヴァチカン博物館のエジプト館には、オリシス神の姿をしたアンテイノウス像や黒大理石のイシス神官像など、ハドリアヌス別荘出土とされるエジプト彫像が20体以上ある。それらもまた、ポイキレ、大柱廊を支える土台構築物で、「百の小部屋」(奴隷や衛兵の宿所と考えられる)に面した低地で発見された。
発見されてアンテイノウスの墓苑は、古代ローマの掟どおり敷地の外であったが、門のすぐ外、皇帝宮殿から見渡せる一等地に位置していた。
そんな大事な場所とは知らず、写真はこれだけ(-。-;
手前に走っている溝は、建築資材の運搬車両や作業員、召使いが皇帝の目に入らないように作られた通路、地下道らしい。 -
Vestibolo 前庭
A Grandi Terme 大浴場
B Piccole Terme 小浴場
C Centocamerelle 100室
Planimetria 面積測定
Il compresso del vestibolo secondo il reichardt
ライハルトによる前庭複合体 -
Piccolo Terme 小浴場
皇帝ハドリアヌス個人のための浴場 -
その隣
Grandi Terme 大浴場? -
写真は大浴場
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ですが、こっちは??(撮影by わたくし)
大浴場かと思ったら
これも小浴場?
どうやら、大浴場には脚も踏み入れていない(笑笑) -
Terme スパ
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てくてく♪
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おそらくここが「ハドリアヌスの別荘」といえば?
一番有名、見どころかも -
男性像
横たわる人物、実は2体あるらしい(写真は一つ)
2つの像は、ナイル川とテヴェレ川を擬人化したもの。テヴェレ川はともかくも、ナイル川?それはここがエジプトをイメージして作られているから。
カノプスはエジプトのアレクサンドリア近郊のデルタ地帯にある街の名前で、ナイル川から引かれた運河があり、夜祭で有名な場所。皇帝はその街をここに再現しようとした。 -
Canopo カノープス
-
奥に見えるのは宴会場
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イチオシ
ギリシア風彫刻
今回、他の方のブログを拝見したら
同じような写真が散見され、
みなさん似たような構図で撮っていらっしゃる? -
エジプト視察の際、愛する美少年アンテイノウスがナイル川で溺死、彼を偲んで作られた、という説がありますが、
最近は別の見方があるようで、奥の建物は宴会場だったらしい -
左
テイヴォリのハドリアヌス別荘の神カノープス寺院内部
中
ワニ像
右
カノープスの谷
サラペウムとカノープスの眺め -
CANOPUS AND SERAPEUM
伝記作家アエリウス・スパルテイヌス(「ハドリアヌスの生涯」)によって言及されたカノープスを認識したのは、16世紀のピッロ・リゴリオであり、伝統的に識別されたパビリオンの建物に終わる細長い水たまりが横断した前庭の背後の空洞領域に、セラペウム(セラプス神殿)としてある、と認識した。カノープス市とナイル川デルタのアレクサンドリア市を結びつけたエジプトのカノープス運河とのつながりは、現在バチカン美術館に所蔵されている黒い石のエジプト彫刻のサイクルが元々ここにあったという仮説によって、後に支持された。パビリオンは長い間、アンテイオノスの死に関する神聖な場所とみなされていた。しかし最近の情報源の再調査により、有名な彫刻家がステイバデイトウムのセラペウムにあるアイジプテイカの地域に割り当てられた(lectus tricimaris)。ソファは、半円形の石積みの土台で構成されており、これは、これが装飾の為でなく、宴会のために確保されていたエリアであった事を証明している。
シポリーノ大理石で作られたワニ、ナイル川の擬人化、腰の周りに典型的な衣服を身につけているSlenus Canephore(バスケットベアラー)の2つの彫像などのエジプトの彫刻の発見は、運河を含む全体の複合体を思い起こさせ、エキゾチックな環境を呼び起こす、屋外の宴会用に設計され、水の特徴で装飾されたナオテイックガーデンとして解釈されるべきである。ミニチュアの滝、運河、セグメント化された丸天井を覆うガラスペーストモザイクの存在は、スタバデイウムとトリクチニアに半分横たわり、彼らを取り囲んでいた流れる水でさわやかに食事をする事ができる。スタジアムの後ろにある隆起したプラットフォームは、水が噴出する模造の洞窟に向かって伸びたプールの上にあり、皇帝のために予約されていた。水と光の効果を伴った吊り下げられたトリシナムは、彼らのゲストから離れて支配的な位置を確保し、王子の役割にふさわしいものだった。
パビリオンの前の長い水域は、東屋と花の生垣で両側を囲まれ、数多くの彫刻で装飾されており、そのうちのいくつかは水から出てきた。スキュラのグループは南の石積みの台の上に置かれ、北の台にはワニが噴水の役割を果たしていた。1950年代にプールが埋めたてられた土から解放された時に明らかになった全ての彫像は、19世紀初頭に農家に改築されたハドリアヌス様式の建物に属する部屋を占めるMoiseiaムーシアに保存されている。 -
ギリシア風彫刻 女性像
アテナのアクロポリスのエレクテイオンの女人柱像(復刻)
柱像は複製で、オリジナルは博物館に収蔵されているらしい -
ステイバデイウム (宴会場) 半円形の多人数用大宴会座
昔はエジプト神セラピスを祀る神殿と考えられていたが、その後調査が進み、セラピス像は「百の部屋」付近の出土と判明、さらにこの建物の一角からトイレが見つかり、神殿ではなく、宴会場だったと考えられるようになった。 -
イチオシ
こちら側から見ると
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階段があったので上っってみた
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展望台?
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上から見下ろす
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鏡カノープス♪
その1
細長い池はナイル川をイメージ? -
セラーぺの飲み物?
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宴会場の奥を撮ってたつもり、ですが、何なのか?
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カノープスでselfie
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イチオシ
鏡カノプス
その2 -
鏡カノープス
その3 -
カノープスに沿って
上りの脇道があったので
上ってみたけど、特に何も? -
脇道からの
ギリシア風女性像のみなさま、エレクテイオンの女人柱像 -
道脇にかわいいお花、め~っけ
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ベビーカー2台
と歩けるお子ちゃま連れの
ご一家 -
お父さん、お父さん(謎にお父さん2人?)お母さん、おばあちゃん?
と
子ども4人♪
お子ちゃま連れのお散歩には、ちと広すぎるのでは?とは余計なお世話 -
複合施設の計画、平面図
1. 共同トイレ付きの漆喰の部屋
2 ストレージとスタッフの活動を備えた分局、支所
左
著名な建物の1つの近くの兵士の宿舎
中
パエトリウム内部トイレ
右
解放奴隷と皇室のが住居
プレトリアム外観イメージ -
この部屋の複合体の名前は、皇帝の側近の一部として仕えたプラエトリアンガードの宿泊施設を形成したという、今では時代遅れの考えに由来している。
建物は、異なる機能を反映した、2つの異なるセクションから成る。上部は一連の高くて広々とした部屋で構成され、高い位置にあり、記念碑的な階段を介して到達し、住宅での使用を目的としていたが、下部は下部構造を表している。後者は、相互に接続されておらず、トラバーチンブラケットで支えられた木製の床で元々区切られていた3つのレベルの部屋で構成されている。それらは、西端に見える石造りの階段を経由して、外部の踊り場からアクセスされた。
百室とキャノプスの西にある建物の下部構造と同様の建設方法により、建物のこの部分が法廷職員の活動のために、及び/または保管庫として確保された、おそらく書類用の、という仮説を立てることができる。下部構造の前には、塗装された石膏で装飾された一連の小さな部屋からなる構造があり、共通のトイレが含まれる。これは明らかに住居用だった。これらの空間は、ヴィラの家具として様々に解釈されている。近くで見つかった大量の大理石の作業廃棄物、及び白い大理石のスタジオの縮尺プロトタイプモデルはヴィラに建設されたはずの建物である。 -
Pretoria プレトリオ
兵舎、または倉庫
最近では貯蔵庫、との説が有力 -
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この後ろ姿が頼もしい♪
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先ほどのご家族
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おばあちゃ~ん、疲れちゃった~
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スタジアムガーデン?
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エリアの計画
1 養魚池のある建物
2 冬の宮殿
3 トイレ付きの豪華な客室
4 ポーチガーデン
5 スタジアムガーデン
6 ニンフェウム
左
地域の航空写真
背後の養魚池とペシルの間のスタジアムガーデン複合施設
右
ニオビッド群の詳細写真?
彫像が包まれている写真? -
Stadium Garden
いわゆるウィンターパレスと3つのExediaeのある建物の間の区域は、その平面図の形状からスタジアムと呼ばれていた。それは建材の大規模な略奪に続いて、元の層が破壊された結果に過ぎない。
ペシル、ヘリオカミナス浴場、マリタイムシアター、ホール、または哲学の部屋とは、半地下通路を介して直接接続され、同様に、小さな浴場のある四面の柱廊玄関と同様に、スタジアムガーデンへの主なアクセスは、3つのエクセドラのある建物を通っていた。後者の大きな中央ホールは、2つのポルテイコが並ぶオープンスペースと同じ軸上にあり、そこを通って反対側に養魚場がある建物に到達できた。
スタジアムガーデンの北ウイングには大きな長方形の柱廊式庭園からなり、その上に3つの部屋があろ。高品質の貴重な大理石でタイル張りされ、皇帝が使用するための豪華なトイレが1つある。庭は、2つの花壇に囲まれた長い長方形のプールを中心に、その後ろに東屋で覆われたエリア、外側には四角い噴水があった。反対側の端には、中央のニッチと半円形の盆地に流れ込む滝を備えた、大きな半円形の段々になったエクセドラからなる、ニンファエウスを見下ろす長方形のパビリオンがたっていた。このように演劇的に配置されたオニビットのグループの場所で、おそらく黒と白の大理石で彫刻され、建築要素の交互の色を思い起こさせた。 -
小浴場、内部?
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左
熱の建物の外観
中
オプスセクタイルの大理石の床
装飾的なモチーフは、斑岩、パヴィオナゼット、アンテイークイェロー、アンテイークレッド、サーペタインを使って作られている
右
八角堂体育館エリアからの眺め -
Small Baths 小浴場
大浴場と区別するためにそう呼ばれている小浴場は、斑岩、パヴォナッツオ、蛇紋岩、アンテイークイエロー、アンテイークレッド、、アフリカ角礫岩などの貴重な大理石が広く使用されている事からも分かるように、ハドリアヌスの別荘で最も豪華なアクチュアリーで、限られた区域は今も見ることができる。
貴重な大理石に加えて、壁に色付きのガラスペーストを組み込み希望の色調を加え、平面図と高さの両方で、洗練されたデザインが明らかになった。これは特に八角形のホールに実証されている。それは円形の丸天井で終わる平らな壁と凹んだ壁が交互になった特徴ある部屋となっている。採用された建築上の解決策は、仕上げの豊かさ、3つのエクセドラのある建物、スタジアムガーデン、魚の池のある建物に近接している事から、この複合施設がハドリアヌス自身によって設計された事を示唆している。
ハドリアヌスの別荘の他の温泉施設と同様に、暑い部屋は西に面しており、大きな窓の開口部から差し込む日光の効果が利用できる。主な加熱源は、レンガの積み重ね(ハイポコースト)で支えられた2重システムによって提供され、その周りに炉(preafunlum)からの熱風が循環した。いくつかの部屋の内部温度をさらに上昇させるために、熱風はモルタルの後ろの壁に沿って固定された長方形のラコッタチューブを通しても、導かれた。
加熱された部屋の中で、注目に値するのは、ドライサウナ用の半球形のドームと、中央オクルス(2)を備えた円形の部屋と、蒸気用の凸状の短い壁とまだ部分的に白い大理石でタイル張りされている蒸気風呂(サウナ?)のための座席用ステップを備えた大きな長方形の部屋である。
複合施設の反対側にあるフリジダリウム(5)は、班岩のスラブでできたパロンビーノの大理石のストリップでできた床と、元々は白い大理石で覆われ階段を通ってアクセスできる2つの大きな向かい合った入浴プールが特徴である。その後ろには、運動用に使用される体育館が広がっている。 -
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昔は門があった、って事?
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脚が棒(*_*)
老体に鞭打って、最後の一踏ん張り -
ですが、ココはどこ?
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ギリシア劇場とヴィーナス神殿のあるニンフェウム
ニンフェウム
元来は細流沿いの木陰に塚を設けて水のニンフに献じた祭壇を置く、道端の神殿だった。街路の交差部に前柱式ファサードを持つ半円形の祭壇を造り、植物や噴水、ニンフの彫像で飾る。 -
力を振り絞って歩いた~
今振り返ると、色々見逃したみたい(分かっちゃいたけど)
通常、皇帝の死去に伴い、次期皇帝による前皇帝の神格化が要請される。ハドリアヌス帝の死後、跡を継いだアントニヌス・ピウス帝の依頼も待たずに元老院は神格化の拒否の決議をする。それを泣いてかき口説き、懇願した次期皇帝アントニヌス・ピウスは、よって「慈悲深き皇帝」と呼ばれる事になる。もしかしたら、あの元老院の懐刀「国家の敵、記憶抹消罪」に処せられたかもしれなかった(°_°)ハドリアヌスの統治が独断的で、視察の旅に出てばかりいたから。元老院って、自分たちの利益に反する人を断罪する為に「伝家の宝刀」悪用するの、やめて~
こんなに皇帝の職務「帝国の安全保障」に全精力を傾け、生涯を捧げた、仕事熱心な皇帝ハドリアヌスの功績が消されてたかも?なんて、考えるだにおそろし~
アントニヌス・ピウスさん、ありがとう♪ -
出口は近し^o^
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帰り道
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これ
はじめに見ときたかったわ~ -
このミニチュアを前もって写メっとけば、
もう少し、場所とか自分の位置確認、できたかも?
常に迷って、現在地、今どこにいるのかわからない(;o;)
遺跡であるある、どうにかしたい方向感覚 -
では、Tivoli の街に戻りましょ~
この脚でエステ家別荘に行くのは到底ムリ
日帰りで両方行く方おられますが(-。-;
一泊滞在にして良かった♪ -
次回 Episodo 31は, 翌朝の Villa d’Este 訪問から始まり、
この日の後半~は、1個飛んで Episodo 32 に続きますm(._.)m
いつの日か、もう少しまとまりのあるブログにしたい(;o;)
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この旅行記へのコメント (4)
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- pedaruさん 2023/03/04 16:04:37
- ハドリアヌス皇帝の別荘
- kummingさん こんにちは
読み終わって気力も体力も使い果たしましたので、コメントは致しません、とおもいましたが、旅行記を作成の努力を思うと、黙ってはいられませんので、ご褒美のつもりで
超簡単に。
私は今、博物館で写した写真を眺めて、考え込んでいます。真面目に解説すべきか?
それとも写真だけで、読者の想像力に任すか?悩ましいことですね。
一生懸命に書いても、全部見てくれる人は何人いるだろう?と思うと、これは自分のための備忘録だ、と自らを励ましたりします。でもkummingさんほどの情熱がないので
いつも簡単に済ませています。
チボリは訪れたことがありません、しかし、ここを見ないのはイタリアに行きました、と大きい顔をして言えないことが分かりました。
ハドリアヌスの夢の跡、こんな雰囲気が漂っていました。彫像が残っているのも素晴らしいですね。お疲れさまでした。
pedaru
- kummingさん からの返信 2023/03/05 00:02:37
- Re: ハドリアヌス皇帝の別荘
- ご褒美のカキコ、遠慮なく頂きます♪
師匠の体力気力を奪ってしまう⁈ とは、なんとふとどきな畏れ多い事をm(._.)m
私も持論は「写真も文字も少ない方が良い♪」なので出来るだけ写真は50枚以下、説明は短いに越したことはない!
今回、遺跡モノの説明やら、思い入れのあるローマ帝国皇帝の登場で、文字数激増(*_*)自分で読み返すのもうんざりして、最終チェックが中々進みませんでした。2度と試みたくはないです~
オステイア・アンテイカ、師匠は訪問されていますよね?テイヴォリからローマに戻り、最後の日に私も行きたい!と思っていたのですが、遺跡疲れ⁈ からか、結局ゆっくりランチしてお土産買ってのんびり過ごしました。1日に美術館や博物館を2件も行けないように、一度の旅で行ける遺跡にも限りがあるという事ですね、満腹状態(笑)
忘備録、と言われて、確かにそうだと腑に落ちました。自分が覚えておきたい事、気に入っている内容などを、所構わず書き散らしています。
まさか師匠を含め2人も↓読んで下さるとは予想外(°_°)少しは読んでもらう為に配慮すべきだった、手に胸を当て猛省中。
『ハドリアヌスの夢の跡』
素敵な題を頂きました♪
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- しにあの旅人さん 2023/03/04 06:25:02
- 4とら史上最重量級ブログ
- 超重量級旅行記、というより論文。薄い文庫本1冊くらいに分量ですね。
iPadでこれとkummingさんの旅行記を行ったり来たり、iPhoneでググりながら読みました。
残念ながら理解したとはいえず。しかしkummingさんの情熱、バドリアヌスさんへの敬意というか、愛情の熱意はひしひしと感じました。
ローマ史上でも偉な皇帝であることはわかりました。
私たち文字派4トラベラーにとって4トラの欠点は、中見出しが入れられないのですよね。文字の大きさを変えられないし、太字も使えません。
これがあると段落に簡単にメリハリがつけられるのですが。
私は
こんなふうに
▲▲▲▲▲▲▲
下に▲をつけて少しは目立つようにしています。欠点は読みにくいし、スマートフォンだと改行されちゃうので、長いのは作れない。
ここに以下の内容をズバッとまとめる見出しが入れられば好都合なのですが。
文字中心のブログには困ったものです。
円柱状に剪定した植木、柱の位置を示すそうですが、平城京あとの内裏で同じものが並んでいました。どっちが先か知りませんが、多分イタリアが原型でしょうね。
エイリアンの卵が並んでいるようで不気味ではありました。
さあ、次はどんなのが出てくるか、もう驚きませんよ。
- kummingさん からの返信 2023/03/04 23:40:30
- Re: 4とら史上最重量級ブログ
- 4tr史上最重量級との名誉の?称号、しにあさんにお返しします。
私も文字派?に分類されるのでせうか(-。-; 今回は、たまたま歴史物で遺跡モノやら説明書きやらで文字数増えました。それと、5年分の思い入れも相まって、まさか読んでくださる奇人変人(あら失礼なっ!)がいらっしゃるとは想定外(°_°)写真とは無関係な「書きたい事」を気まぐれに脈絡もなく書き散らかし⁈ なので、小見出しも中見出しも、もし入れる機能があっても、入れようがありません(笑)
思い起こせば、私がしにあさんby妻さんを見出したのは(勝手に見出した、と思い込む)、確かFDllシリーズではなかったでしょうか?5年前に伊旅から戻って、塩野七生さまに出会い、その著作のヴェネツィアもの、ローマ人の物語シリーズ、地中海もの、ギリシアもの、そしてFDllへとたどり着き、ちょうどのタイミングでしにあさんのブログに出会った♪ イエージでの誕生のシーン、宮殿内で襲われて我と我が身を掻きむしったり、メルフィでお城から朝鷹狩りに行く時の馬の蹄の音、パレルモのカテドラルの巻はしにあさんの「入念な調査研究」が発揮された真骨頂でした。最後プーリアの風に吹かれて、亡きFDllを偲び、涙したのが昨日の事のように思い出されます。
あれ?何を言うつもりだった? 大変な思いをさせてしまい、申し訳ないです。できれば、ムダに時間を費やされずに、また自己満足な忘備録を書いているな(ーー;) と笑って素通りして下さい。
読む方の事を考えていない、配慮のかけらもないものです、ここに立ち寄ってくださっただけで、充分、ありがとうございます♪
もう驚かせるようなネタもしかけもございませんよ~
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