2022/09/03 - 2022/09/03
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pedaruさん
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浅草といえば浅草寺というくらい浅草を代表する名所だが、昔行ったきりで、五重塔も見たことがなかった。見てみたいという気持ちは前からあったが、その機会に恵まれなかった。
浅草寺は外国人の姿もなく、若者で混雑していた。空襲で失われた五重塔も美しく再建されて今更だが、感動した。だが改めて境内を散策すると、意外にもたくさんの記念碑があることに気が付いた。
参考文献 「東京都歴史散歩」
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
さて浅草にやってきました。雰囲気がガラッと変わり、大勢の人たちでにぎわっております。写真は牛のオブジェが目立つ焼肉店です。
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浅草といえばこの雷門がおなじみです。外国人観光客はいませんでしたが、若者でにぎわっています。
金竜山浅草寺の歴史は古く、飛鳥時代628年、檜前(ひのくま)浜成・竹成兄弟が隅田川で網にかかった1寸8分の黄金の観音像を引き上げ、本尊としています。 -
安藤広重江戸百景 浅草寺雷門です。
現在左側にある五重塔が、絵では右側に見えますね。 -
この大きな提灯は松下幸之助の寄進だということが知られています。
亡くなった後でも、パナソニックが意思を受け継いで10年ごとに奉納しているそうです。
重さ700kg、竹は京都の丹波産 和紙は福井産の楮(こうぞ)を使っているそうです。 -
提灯の裏側は、風雷神門と書かれています。この門の本来の呼び名です。
雷門は浅草寺の総門で、平公雅の寺再建の時に創建されたもので、現在地より南の
駒形にあったと伝えられます。
江戸時代から度々の火災でなくなっていたが、昭和35年、松下幸之助らの寄進により、コンクリート造りで再建されました。コンクリートとは思わなかったなぁ。 -
仲見世です。宝蔵門まで続いています。花川戸の人々に、浅草寺境内の掃除の代償として、店の営業権が与えられたそうです。元禄の頃からだそうです。
菓子、小間物、皮革製品などを商う店が86軒あるということです。 -
人形焼の店
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ねこ専門店、主に招き猫が置かれています。
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着物姿のカップル
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雷おこしや人形焼を売っていました。三鳩堂 Thank you 堂♪
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宝蔵門 1649年(慶安2)3代将軍徳川家光の建立した仁王門が、他の堂塔とともに戦災で焼失したため、1964年(昭和39)に再建され、寺宝を収納したことから、宝蔵門と名付けました。
寺宝は法華経10巻(国宝)や元版大蔵経(国重文)などです。 -
提灯には小舟町の字が書かれています。こぶなちょう、と読み日本橋の人形町のとなりにあります。
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確かに仁王門です。
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宝蔵門のひさしと五重塔、これを建てた大工さんは誇り高いでしょうね、
うつくしい姿です。 -
宝蔵門の右側にある五重塔の跡地の碑です。
広重の絵には、右側に建っていますね。 -
本堂(観音堂)は戦災で焼失したのち1958年(昭和33)に再建されました。
内陣上段の間には秘仏本尊聖観世音菩薩、下段の間にはお前立本尊が安置されています。 -
本堂の前には線香の煙がたちこめ、善男善女が香を体にしみこませ、ご利益を
獲得するのに必死です。 -
浅草寺境内にはたくさんの石碑があり、それぞれ意味深いものが書かれてあります。
写真は松尾芭蕉の句碑です。「くわんをんの いらか見やりつ 花の雲」 はせを
碑は寛政8年に建てられましたが、風雨にさらされ判読が難しくなっております。 -
弁天堂 昭和58年に再建されました。弁天山とよばれる 小高い場所に建設されました。関東3弁天の一つに数えられています。江の島、柏市布施とならびます。
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境内にある鐘つき堂
「花の雲 鐘は上野か浅草か」という芭蕉の句で有名です。
元禄5年、5代将軍徳川綱吉の改鋳の江戸時代の「時の鐘」です。
今でも午前6時には時を告げているそうです。除夜の鐘にも活躍します。 -
若い時の弟に似ている気がしたので、思わず撮影しました。
これを知ったら弟は怒るかな、「あんなに丸い顔ではない、」とか
「あんな赤いよだれ掛けなんかいやだ」なんて言って。 -
この日はやや暑かったので、藤棚から吹き降ろすミストが気持ちよく、まばらながら
休んでいる人がいました。 -
浅草寺の神木 いちょう
このイチョウは源頼朝が戦争時参拝のおり挿し木したものだと伝わっています。
昭和5年に天然記念物に指定されましたが、戦災で大半を焼失しましたので、指定は取り消されましたが、あの戦災を潜り抜けた神木として慕われています。
幹の太さは驚くほどですし、背丈は低いけど、漂う神々しさに平伏しました。 -
石工の酒井亀泉が奉納した5メートルの石燈籠の一部です。
亀泉は代々ほ酒を断つことを誓、やがて石工として大成しました。
その報恩として明治29年、浅草寺に2基の石燈籠を奉納しましたが、経年劣化のため、倒壊の恐れがあり、惜しまれながら撤去されたということです。
ギリシャのエレクティオンの少女は紀元前407年に生まれました。これは明治時代に作られた石燈籠ですよ。この差は何でしょうね。
経年劣化というよりは東日本大震災の影響だと思います。
せっかくの名人石工の志を尊重するなら、中心に鉄骨を入れるとか、鉄柱でささえるとか方法はあると思います。 -
本来は1860年(安政7)安政の大地震の犠牲になった遊郭内の死者の霊を弔うために、新吉原の楼主松田家嘉兵衛が建てたものです。
-
しかし、これは「浅草迷子しらせ石標」で知られています。
左側に「たづぬる方」右側にに「しらす方」とあり、貼り紙によって知らせ会った
迷い子、尋ね人探しに利用されるようになりました。
これは戦後再建されたものです。 -
三匠句碑 文化6年建立
ながむとて花にもいたし頸の骨 宗因
花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉
ゆく水や何にとどまるのりの味 其角 -
観音で雨に逢ひけり花盛 子規
-
力石(ちからいし)
力自慢の若者が大きな石の持ち上げ比べをしたらしい、
浅草寺に限らず、力石の風習は他にもありますね。
これは「熊治郎持ち上げ」 新門辰五郎 とあります。
ちなみに新門辰五郎は江戸町火消の頭、侠客で知られていますが、娘の芳は
15代将軍徳川慶喜の側室だったそうです。知らなかったー! -
このおばあちゃんをご存じでしたか?撰文を読んで感銘をうけました。
瓜生岩子(うりゅういわこ)女史の銅像
明治元年会津戦争で孤児となった幼童の教育に尽力したほか、堕胎など、当時のさまざまな悪習を正し、明治22年貧民孤児救済のため福島救済所を設立するなど、社会事業の推進に努めました。
69歳で没するまで、生涯を慈善事業に捧げました。 -
半七塚碑
半七捕り物長の作家岡本綺堂をしのんで日本作家クラブの同人らにより建立されました。 -
青蛙神像
これは中国の霊獣「青蛙神」であり、福をもたらすとして道教で信仰されました。
綺堂は青蛙神に大きな関心を寄せていたということです。 -
戸田茂睡の墓
元禄期の歌人、浅草寺近くに居をかまえ、形骸化した伝統歌学の積極的批判者として文学的意義が認められているそうです。
自然石の土台、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の基壇、五輪塔の順に配されており、茂睡自身が生前に自らの後世を供養した塔です。 -
ユーモラスな絵が彫られています。
金子洋文というプロレタリア文学の作家、国会議員、の撰文です。
字が読みにくいので、よくわかりませんが、ある喜劇人のことを語っているようです。 -
喜劇人の碑 笹川良一の書です。胡散臭いなぁ、言っている人がいました。
森繁久彌の文と有名人の名前が書かれています。私が知っているだけでも
コロンビアトップ・ライト、黒沢年男、菅原文太、河津清三郎、小桜京子、由利徹
赤木春江、三崎千恵子、南敏明、たこはちろう、大泉滉、人見明、佐山俊二、関敬六、十勝花子、その他大勢。 -
映画弁士塚
私が古い人間でもさすが無声映画は知らない。この記念碑は無声映画で活躍した
弁士の名を記したものです。唯一知っている名前は徳川無声です。
この碑の建設者は大倉貢です。大倉は弁士として世に出たのちトーキーの出現により
実業家に転身し、新東宝の社長として有名です。 -
石井獏記念碑
大正時代、欧州や米国に渡り、現代舞踊を研究。「モダンダンス」の先覚者となる。黎明期の宝塚歌劇団等の指導も経て、作曲家・山田耕筰らと組んで1916年に舞踊詩運動を起こすなど日本人にとっての新しい舞踊という境地を大きく切り拓いた。
ウィキペディアより
門下生のなかには松島トモ子、黒柳徹子がいます。目黒区の自由が丘の名付け親でもあるそうです。 -
淡島堂
淡島堂は江戸時代から女性の守り神として信仰を集めているそうです。
しらなかったー。男の私がお参りしなくてよかったー。 -
針供養の碑
「折れ針」に感謝の気持ちを表す美風ですね。 -
写経供養塔
信者が写経をしたものを納めて、写経の功徳を後世に伝え讃嘆しています。
意味も解せず経をひたすら写すという行為にどんな意味があるのかわからない、
という人もいますが、その真相はいかに。 -
橋本薬師堂
橋の際にあったところから、三代将軍徳川家光が命名したということです。
戦災の焼失を免れた古建築です。 -
一言不動尊
一つに限って願い事をすると叶えてくださる仏様だそうです。
ひとつだけですよ、norisaさん! -
銅造観音菩薩坐像
享保5年(1710)に遊行僧孝義道が発願し、神田の鋳物師小沼播磨守藤原長政
が制作したものです。
無事に残ったのですねー、よかった、よかったー。 -
左 金龍権現 右 九頭権現
見事な美しいミニチュア建築です。お賽銭を用意しましょう。 -
六地蔵石燈籠
かって元花川戸町にあったものを23年ここに移築しました。
石燈籠と呼ばれていますが「火袋」(灯明部)はありません。
判読不明ですが、かなり古いものと思われます。 -
影向堂
御朱印はこちらでどうぞ。 -
仏頂尊勝陀羅尼碑(ぶっちょうそんしょうだらにひ)
これを唱える人には息災延命などのご利益が授けられると言われています。
ありがたや、ありがたや、「ぶっちょうそんしょうだらにー ぶっちょうそん庄だらにー」 -
西仏板碑 さいぶついたひ
西仏という人が妻子の後世安楽を願って奉納したと伝えられています。
製作年代はわかりませんが、鎌倉or室町時代かと思われる板碑です。
制作時には3mはあったと推定されます。 -
現存する都内最古の石橋です。
元和4年(1618)の造立です。
寄進者は徳川家康の娘振姫の夫紀伊和歌山藩主浅野長晟(ながあきら)です。 -
-
たくさんのきれいな錦鯉が泳いでいました。
-
都会とは思えぬ風情の庭です。
-
浅草神社
祭神は隅田川で観音様を拾い上げた檜前浜成、竹成、権現様こと徳川家康の3人です。それで三社様と言うんですね。
現在の社殿は徳川家光が慶安2年に再建したものですから古いのですね。
国の重要文化財に指定されています。 -
花柳流の祖 花柳寿輔の歌碑
-
初代 中村吉右衛門句碑
女房も 同じ氏子や 除夜詣 -
河竹黙阿弥顕彰碑
江戸末期から明治中期まで狂言を書いた作家です。 -
花塚
「濁流」歌道の師 笠翁斎乱鳥の死を悲しんだ弟子たちによって建てられた碑です。
弟子たちが瓶に花を挿し供えたが、衰える花を惜しんで地中に埋め、塚としました。
こぞの文月つごもり、齢八十余八にてみまかり給う。(中略)浅草寺の大ひさのみ堂のうしろ清らなる所を撰て其の花を埋めて花塚と名付けて後の世に残しなんとす。 -
「友情はいつも宝物」
こち亀、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」でおなじみの両津勘吉の物語。
週刊少年ジャンプに連載されました。
子供が買った本を奪い取るようにして読んだものです。鬼親かっ。 -
浅草寺前景
-
境内東側にある重要文化財「ニ天門」
もともとは1618(元和4)年に建てられた東照宮の随身門でした。 -
「手水鉢」安永6年(1777)
寺社の参拝の前に手を清めるために置かれました。 -
両脇の2体の神像は、上野寛永寺厳有院4代将軍家綱の霊廟の二天門の木造持国天、増長天像を移したものです。
写真は増長天 -
こちらは持国天、怖い顔をしていますね。
-
久保田万太郎句碑
「竹馬や いろはにほへと ちりぢりに」
本命の句碑は後ろにありますが、あまりにもダサいのでこちらだけにしました。 -
川口松太郎句碑
「生きるということ むずかしき 夜寒かな」
浅草生まれの小説家、昔は売れっ子の作家として文芸誌を賑わせていました。
女優の三益愛子は妻、川口浩は長男。 -
夫婦仲良しの狛犬
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粧 太夫(よそおいたゆう)献碑
1816年(文化13)建立
柿本人麻呂の歌を万葉仮名で記したもので、和歌、俳諧、茶道、囲碁、琴、三味線、などすべての芸事にすぐれた新吉原松葉屋の遊女粧太夫の筆になります。
ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれゆく船をしぞ思う -
石製の鳥居をくぐると「被官稲荷神社」があります。
鳥居には新門辰五郎と彫られています。
安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病になったとき、山城の国伏見稲荷神社に祈願したところ全快したので、お礼の意味で神社を勧請し社を創建しました。 -
小さな社は覆堂で守られています。
道理で風通しのいい神社だと思いました。 -
神社の裏手は駐車場になっていて、車に囲まれた狭い土地に、戯作者山東京伝が愛用した机を埋めた上に建てられた机塚の碑がありました。
碑に記された京伝の経歴は、太田南畝(蜀山人)の文、弟京山の筆になります。
偉大な人の碑なのに駐車場を優先させるなんていかがなものか! -
その右側にやはり車に挟まれて1796(寛政8)年に建てられた歌舞伎作家並木五瓶の句碑がありました。
-
お昼は相変わらず日本蕎麦 今回は待たされずもせず おいしくいただきました。
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この旅行記へのコメント (18)
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- ElliEさん 2023/06/09 16:03:04
- 隅から隅まで
- pedaru さん、こんにちは!
浅草寺の隅から隅まで見せていただきました~!
何度か行ったことあるお寺でも、こんなにいろいろな石碑等があるなんて知りませんでした。
細かくみていくと面白いものですね。
ところで浅草寺のおみくじは引きませんでしたか?
「凶」が多いことで知られているらしいですよ。
私も以前 大凶が出て え~~~!!ヤダっ!って思ってもう一度ひいたら それもまた大凶だったということがありました。
いくらなんでも2回とも大凶だなんて!と思ったので、よく覚えています。
仲見世通りには、長寿のねこちゃんがいました。25歳と聞いてびっくりでしたが、もうずいぶん前のことなので、とっくに天国に行っているでしょうね。
pedaru さんの旅行記でだいぶ前に訪れた浅草寺のことを思い出すことができました。
ぶっちょうそんしょうだらに と唱えて、無病息災でまた訪れることができますようにお祈りすることにします。
ElliE
- pedaruさん からの返信 2023/06/11 05:59:05
- RE: 隅から隅まで
ELLIEさん おはようございます。
マイナーな旅行記にご訪問ありがとうございました。
しょっちゅう東京には行っているのに、浅草寺はもう何年も行ってないことを思い、行ってきましたが、皆さんがあまり行かない隅を覗いてきました。
石碑はもっとありましたが、知られた出来事や、人物に絞りました。
若いころは人並みにおみくじなどひいていましたが、人生も晩期を迎えると、縁起とか運とか占いとかが全く興味がなくなって、神仏さえもアホらしくなってきています。
凶が多いおみくじとは、お寺はどんなコンセプトで行っているのでしょう。吉が多いほうが人を幸せにすること間違いなしなのにねー。人生はそう甘くはないぞ、という親切な教訓でしょうか?
25歳のネコちゃんとは驚きました。我が家では21歳まで生きたねこがいましたが、もっと長生きのネコもいるのですねー。
彼は最晩年までトイレは自力で這うようにして行き、最後を迎えました。この立派な生き方に教えられました。尊敬の念まで湧いてきました。私もこうありたいと思っております。
改めてELLIEさんの旅行記をさかのぼって覗いてみましたが、多彩な内容で魅力的な旅行記が満載でした。欧州を自転車旅行したり、中国を一人旅して、京劇のメイク、衣装でしたり、もっと見ないと損をする旅行記でした。
pedaru
-
- hot chocolateさん 2022/10/28 19:52:06
- 浅草
- pedaruさま
こんばんは。
まだ10月というのに、もう冬支度が必要な寒さですね。
浅草の旅行記にお邪魔しています。
浅草といえば、雷門、仲見世、本堂、隅田川川下り、ぐらいでしょうか。
私が知っているのは・・・
知らないことがいっぱいで驚きです。
境内にはたくさんの石碑もあり、一つ一つ見ていくと、新たな発見があって
楽しいでしょうね。
>祭神は隅田川で観音様を拾い上げた檜前浜成、竹成、権現様こと徳川家康の3人です。それで三社様と言うんですね。
だから「三社祭」というお祭りがあるのですね。
何も知らずに、三社祭の写真を撮りに行ったりしました。
hot choco
- pedaruさん からの返信 2022/10/29 06:38:33
- RE: 浅草
hot chocolateさん おはようございます
子供のころから東京といえば浅草というくらいでした。東京に行くと言えばまず浅草駅を出て、トロリーバスで上野に行く、こんなパターンでしたね。かといって、浅草もめったには行けるところではありませんでした。
とくに戦後まもなくは治安が悪くて、中学生になっても一人ではいけませんでした。
浅草寺にはたくさんの石碑などがあることは最近本で知りました。ほかの旅行記に比べて、面白いものがすくないのですが、案外、一生知らずに終えることを思うと、残念で
少しづつ回っております。しかし、全東京を見ることができるかどうか、時間との戦いです(笑)。
いつも疑問に思うのは、観音様のこと、金の仏像が隅田川のそこから引き揚げられたというのですが、仏像を見てみたいもの、一体誰が、何処でつくったものなのか、私の推理では、
朝鮮あたりの高貴な方の船が転覆して、発見されたとみるべきでしょう。金は重いので小さくても重量があるので、流されることはないと思いますので、川に落としたものを、拾い上げたとみるのが自然です。
実は朝鮮の貴人を襲った盗賊が、仏様の姿にびびり、犯行の発覚をおそれ、川に捨てたものだろうとも思えます。
支離滅裂な解釈で失礼しました。
pedaru
-
- yamayuri2001さん 2022/10/07 16:02:16
- 浅草寺はお馴染みなのに、知らない事ばかり・・・
- pedaruさん、こんにちは。
提灯の下、見たことありませんでした・・・
こんなに立派な竜が???
初めて見ました。
そう、コンクリートの門だったなんて・・・
木造だと決めてかかっていました。
こちらの弁天様は、江の島と並ぶ関東三弁天様・・・
柏市の弁天様も、並び称されると言う事は
格調高いのでしょうね。
浅草寺の神木の由来を知ると、
とても神々しい気がします。
昭和の時代、駅の黒板?に伝言を書いていましたが
こちらの石塔は、趣があり、
昔の人は、滅多に遠出をしなかったことが推察されます。
そうすると、やはり、今 私達が海外まで
気楽に出かけるのは、罪深い事?とまで思えてきます・・・
それにしても句碑と歌碑の多さには驚くばかり・・・
流石に浅草寺の歴史の深さの表れに、
ため息が出てしまいます。
あの狛犬さんは見た記憶があります。
それ以外は、何度か参拝しているのに
思い出せません。
pedaruさん、浅草寺でボランティアガイドとして
お仕事なさったら如何でしょう?
毎日、様々な人が興味を持って聞くことと思います。
私も、今日たくさんの新しい知識を得ました。
ありがとうございます。
yamayuri2001
- pedaruさん からの返信 2022/10/13 04:30:33
- RE: 浅草寺はお馴染みなのに、知らない事ばかり・・・
yamayuriさん おはようございます
私がボランティアガイド?それは無理かもしれません。
案内が楽しいのは確かですが、ダジャレが感染してしまって、困っています、という
お便りをいただくことになります。ほどほどでないと、だじゃれも困ったものになります。
浅草寺のボランティアは上品な人に限ります。
私の知識はすべて受け売りです、旅行記を書きながら自分も勉強しています。
ところどころ、自分の解釈も入れてますから、全部信用できません。
今の日本は世界的に見れば、経済的に恵まれていますね。ヨーロッパを旅行をして感じるのは、とても海外旅行に行けるような若者は、あまりいませんね。
昔私たちは、アメリカ人の若者が日本に旅行に来ているのを見ましたが、一生海外などには行けないだろうな、と思っていましたが、今は当たり前に行ける時代になりました。
私はもう海外には行けない気がしますので、ご近所を回るように、小さな旅を続けています。では
pedaru
-
- jijidarumaさん 2022/10/06 18:55:19
- 私も一つ石碑を建てたいのだが^^。
- pedaruさん、
今晩は。
御元気に歴史散歩を続けておられますね。
浅草寺も賑わいが戻って、上々なことです。
もう記憶に残る浅草寺参詣は何やら土産物横丁を往復して、浅草寺に
お詣りしたぐらいですね。今やもう若い人達の浅草寺の感がありますが。
こうして別の視点でじっくり歴史散歩をして頂くと、もう気分は
私も一巡りした思いです。
さて、≪浅草寺境内にはたくさんの石碑があり、それぞれ意味深いもの
が書かれてあります。≫と書かれています。
この十月で79歳になるdarumaは一つ大枚をつぎ込んで、微妙に古びた
石碑を作り、辞世の句とjijidarumaの名を刻み、夜陰に乗じて、浅草寺の
空き?地に建ててみようかと・・・。
石碑だらけの浅草寺、いけそうですね(笑)。
是非、数年後に再探訪され、見つけて下さい。
謝謝!
それではまた。
jijidaruma
- pedaruさん からの返信 2022/10/10 06:47:28
- RE: 私も一つ石碑を建てたいのだが^^。
jijidarumaさん おはようございます
浅草寺の石碑の多さには半ば呆れますが、人はどうしても残しておきたいものがあるということですね。芸術芸能関係の碑が多い気がしましたが、ふしぎと政治家の碑はなかったようです。死んでしまった政治家は利益になりませんからでしょうか?
やはり慕う気持ちが、碑を建てさせるのでしょうね。
「独逸にて活躍した日本人の碑」これは名案です。まだ空き地は残っています。
新門辰五郎の鳥居のあたりがめだっていいのではないかと。
裏側には推薦人としてpedaruの名前も彫らせてください。碑の格が落ちるかもしれませんが・・・・。
pedaru
-
- Decoさん 2022/10/04 21:18:26
- 浅草
- pedaruさん、こんばんは。
浅草寺、何度か訪れたことがありますが、いつも雷門から入って仲見世をのぞいて本堂でお参りして…というコースでした。私も浅草寺はほんの一部しか知らなかったようです。
お寺の中に、こんなに多くの建物や碑があったのですね。記念碑は、芸能関係が多めのようで、浅草という場所故でしょうか。
浅草寺、長い歴史を通じて江戸~東京の人々に親しまれてきたわけで、記念碑は、それだけ多くの人と関わりがあったことを表しているのでしょうね。
私が浅草を初めて訪れたのは1980年前後。当時は懐かしいけど時代から遅れてしまったような印象を持ちました。それから六区が再開発されて、新しい商業ビルやホテルができて…古さと新しさが同居して、(私としては)魅力的な街になったように思います。
テレビなどで見ていると、一時はコロナで人が減ったように思いましたが、こちらの旅行記で拝見すると随分人は戻ってきているようですね。これでインバウンドが戻ってきたら、また大変なことになりそうですが、地元で商売をされている方々は戻ってきて欲しいのでしょうね。
Deco
- pedaruさん からの返信 2022/10/10 06:26:48
- RE: 浅草
Decoさん おはようございます
Decoさんもだいぶ昔から浅草をご存じだったのですね。
私が知っている浅草は子供にとっては、怖いイメージでした。
ある時、東京に住んでいる兄を訪ねて行ったことがありますが、二人で歩いていると
怖いお兄さんが声をかけてきて、びっくり、後で兄が言うには、あんな時、ぜったい
返事などしないで無視して歩くのだよ、などと教えられました。
そのころ仁丹塔というのがありましたが、ご存じですか?ランドマークのようになっていました。いつのまにかなくなっていました。
浅草寺の石碑があんなにたくさんあったとは、私も驚きです。文学で知られた人、歌舞伎役者、芸能人、歴史上の人物、様々ですが、まったく知らない人の碑もあります。
浅草あたりは空襲でほとんど焼けてしまいましたが、浅草神社、二天門が焼けずに残って
うれしいです。マイナーな旅行記ですがまたよろしくお願いいたします。
pedaru
-
- fuzzさん 2022/10/04 16:50:03
- 久々に見る観光客
- pedaruさん、こんにちは。
ちょっと前の戦争時の風景って、シャッター街で観光客もいない・・・
それが、最近は観光客も戻って来てるんですね。
レンタル着物の方々とかー☆
鯉が密(笑)
あんなに密でもマスクもしねえで・・・
人間の世界だと考えられないですね。
fuzz
- pedaruさん からの返信 2022/10/10 06:01:57
- RE: 久々に見る観光客
fuzzさん おはようございます
スターからお手紙をいただいた気分です(笑)。
お忙しい中、書き込みをありがとうございました。
外国人はまだいませんが、若者で溢れていました。
若者の着物姿は、訪れた外国人観光客にとって喜びですね。
あれだけの密な鯉、マスクをしている鯉を想像して思わず笑ってしまいました。
pedaru
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- cheriko330さん 2022/10/04 16:23:57
- 知らないことだらけの浅草寺☆・゚:*
- pedaruさん、こんにちは♪
お変わりありませんでした?いつの間にか、もう10月ですね。
今回は浅草寺を回られたのですね。東京へ客人が来ると
浅草寺~墨田川下り~浜離宮へお連れしたことも多く何度も
行っているのに、知らないことだらけです。
pedaruさんに色々と教えていただきました。でももう20年位は
行っていません。天ぷらお寿司を何度か食べに行ったことも
あります。 9月初旬は、海外の方もいなかったのですね。
雷門の大きな提灯は、松下幸之助さんの寄進なのですね。
松尾芭蕉の句碑も浅草寺の御神木のいちょうも知らなくて、今流行り
頼朝さん関連ですね。幹の太さに驚きました。
この時点でも薄っすらと色付いていますね。今日発見したのですが
近所のいちょう大分色づいています。やはり秋ですね。
小桜 京子さん??小桜 葉子さんは加山雄三さんのお母さん
ですよね。全部廻ると一日がかり? 錦鯉がとってもきれいで
こちらも見た記憶がありません。
今回のお蕎麦は、適量のようですね(*'▽')b
一気に気温も下がるようで、ご自愛くださいね。
cheriko330
- pedaruさん からの返信 2022/10/05 16:08:47
- Re: 知らないことだらけの浅草寺☆・゚:*
- cheriko330さん こんにちは
母が息子の嫁になる女性を見るために浅草駅を降り立ったのは、半世紀前です。どぶのようなヘドロの隅田川を船で浜離宮まで行きました。
そのころはそんな隅田川でした、今の川を見ると嘘のようです。
田舎が東武線沿線の町でしたから、東京といえば浅草でした。浅草からトロリーバスに乗って上野の美術館に行ったりしました。そのころ浅草は治安が悪くて、中学生には怖いところでした。やくざみたいな人に声をかけられたりすると怖かったですよー。浅草には仁丹塔なんてのがありました。いつのまにか
なくなっていました。こんな話をすると地元の人に笑われるでしょうね。「あんたも古いねー」なんてね。
小桜 京子さんは喜劇の役者さんです。テレビによく出ていましたよ。
これを知っているのも古い人だけでしょうね(笑い)。
今回の蕎麦には話題がありません(笑い)、次の旅行記にはちょっと面白いものが、出てくるかも。
pedaru
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- rinnmamaさん 2022/10/04 12:47:54
- 「浅草寺迷子しらせ石標」
- pedaruさん、こんにちは
PCトラブルで暫く4トラも時々の投稿・訪問でしたが、夫が苦心して直してくれて、ようやく皆様の所へ伺えるようになりました。
さて「浅草寺」私は以前、東京の美術館巡りの時に、すぐそばのゲートホテルに宿泊して、人のいない夜の浅草寺の近くを見て参りましたので、懐かしいです^^
色々の句碑があったり見どころ満載なんですよね。。
一つだけ鮮明に覚えていたのは「手水鉢」です。
あと、「おゆるしかた」の石碑を探したけど、わからなかったので、今回edaruさんが載せて下って嬉しかったです。
と言いますの「桑名」に行った時に、同じような「おゆるしかた」心当たりの方は右面に見かけた場所など貼り「たづぬるかた」は訪ねる人の特徴を書いて貼る。
江戸時代は迷子など多かったみたいで、この様なシステムができたようですが、桑名でで「浅草寺」にも有る時されていたので、見たいと記したのに確認できなかったんです。有難うございます。
時代劇で時にこの再開シーンなど見た事がありますが、会える事の方が少なかったんでしょうね~。歴史散歩目線は凄いですね!
rinnmama
- pedaruさん からの返信 2022/10/05 15:35:59
- Re: 「浅草寺迷子しらせ石標」
- rinnmamaさん こんにちは
浅草寺は古い寺ですから石碑もたくさんあります。といってもほとんどは戦後のものです。句碑、和歌、記念碑少しでも残しておきたい、自分の名前を残したい、と言う気持ちなのでしょうね。
浅草迷子知らせ石標 「たずぬる方」反対側に「しらす方」とあり迷子、尋ね人探しに利用されたそうです。もっと大きな掲示板ならもっとよかったでしょうね。
だんな様がPCを直してくださったとか、すばらしいだんな様ですね。
私など、むすこ丸投げです。このところ私のPCも電波が弱くて、いつも中断していましたが、この度 ひかり回線を導入しました。
多少は投稿も書き込みも楽になりそうです。
pedaru
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- norisaさん 2022/10/04 10:59:39
- 浅草寺の神木
- pedaruさん
こんにちは。
確かに浅草寺は有名過ぎてなかなか気が付かないエリアがあるものですね。
わけてもこの浅草寺の神木は素晴らしいですね。
この幹の太さは確かに頼朝さん時代のようなーー。
イチョウは原始的な樹木に分類されていますが、それだけに生命力旺盛なのでしょうかーー。
その他にもこんなに多くの記念碑やら建物が点在しているのですね。
浅草寺探検マップを作成してほしいものです。
じゃないと見落としそうなスポットが多そうです。
(人生での見落とし名人のnorisaとしては切望します(苦笑))
norisa
- pedaruさん からの返信 2022/10/05 13:08:08
- RE: 浅草寺の神木
norisaさん こんにちは
浅草寺の神木といわれる木は、歴史が古いだけに、太いですね。
イチョウは和の風情に合いませんが、お寺には何百年も立っている木が多いですから、先入観に左右されているに違いありません。
東京や近辺のところには、いざ鎌倉のときの伝説が沢山残っておりますね。
千葉から東京をとおって、そして必ず神社に祈願をしていますね。
火薬の使用もない時代ですから、神仏にすがりたい気持ちは分かります。
今でも合格祈願で学生でにぎわう神社もあるようですから、人情は変わりません。
浅草寺の記念碑もぴんからきりまでです。わけの分からない理由で建立して、建設者の一人として、自分の名前を残したい人も沢山居るようです。
丹念に見て回りましたが、写真に撮りたくないものもけっこうありました。
見落としの心配はなさそうです。
自分の伴侶さえ見落とさなければ人生安泰です(笑い)。
pedaru
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