新小岩・小岩旅行記(ブログ) 一覧に戻る
知ってるつもりの東京、しかしほとんど知らない東京、最近、東京歴史散歩なる本を手に入れた。旅行記はこの本に沿って回ってみた。<br />手始めにわが町から川を挟んだ小岩から見てみよう。<br />近いこともあって今回は自転車で行くことにした。市川橋を渡るとすぐに小岩だ。交番の横をはいると細い道があり、京成江戸川の駅が見えて来る。<br /><br />最初に所帯をもったのがこの江戸川駅近くの木造アパートだった。21歳になったばかりの妻と世間知らずの頼りない夫、周りにまだ畑が残っていたのどかな土地だった。<br /><br />江戸川駅の周りには何軒かの個人商店があり、日用品や食品を売っている田舎の店というものだった。<br /><br />ある時妻は、料理の本を見てフランス料理を作ろうとした。早速商店に行って、おばちゃんに言った「ペシャメルソースをください」、おばちゃんはぽかんとして、「そんなものはありません」と断られたという。<br />切り干し大根を売っているような店である、そんなものあるわけがない、しかも、後で調べたらペシャメルソースは作るものである、一流店でも売ってはいない。<br /><br />10年くらい前に夫婦でサイクリングの帰り、偶然にも元いたアパートの跡の前を通りかかり、奇跡的残っていた門の柱に「鐘岡荘」の表札を見たことがあった。今回訪れてみたいと思って周辺を回ってみたが、全く様変わりして、場所も特定できなかった。

見所の少ない旅行記  東京の歴史散歩 ① 小岩

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2019/01/20 - 2019/01/20

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旅行記グループ 東京小さな旅

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pedaru

pedaruさん

知ってるつもりの東京、しかしほとんど知らない東京、最近、東京歴史散歩なる本を手に入れた。旅行記はこの本に沿って回ってみた。
手始めにわが町から川を挟んだ小岩から見てみよう。
近いこともあって今回は自転車で行くことにした。市川橋を渡るとすぐに小岩だ。交番の横をはいると細い道があり、京成江戸川の駅が見えて来る。

最初に所帯をもったのがこの江戸川駅近くの木造アパートだった。21歳になったばかりの妻と世間知らずの頼りない夫、周りにまだ畑が残っていたのどかな土地だった。

江戸川駅の周りには何軒かの個人商店があり、日用品や食品を売っている田舎の店というものだった。

ある時妻は、料理の本を見てフランス料理を作ろうとした。早速商店に行って、おばちゃんに言った「ペシャメルソースをください」、おばちゃんはぽかんとして、「そんなものはありません」と断られたという。
切り干し大根を売っているような店である、そんなものあるわけがない、しかも、後で調べたらペシャメルソースは作るものである、一流店でも売ってはいない。

10年くらい前に夫婦でサイクリングの帰り、偶然にも元いたアパートの跡の前を通りかかり、奇跡的残っていた門の柱に「鐘岡荘」の表札を見たことがあった。今回訪れてみたいと思って周辺を回ってみたが、全く様変わりして、場所も特定できなかった。

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  • 京成江戸川駅<br />この駅から南側、千葉街道までの地域は、、江戸時代には「御番所町」と称していました。佐倉道と元佐倉みち(千葉街道)が合流し、岩槻街道にも接する交通の要衝で、小岩市川の渡し、小岩市川関所(御番所)が設置されたのでこの名がついたと言います。

    京成江戸川駅
    この駅から南側、千葉街道までの地域は、、江戸時代には「御番所町」と称していました。佐倉道と元佐倉みち(千葉街道)が合流し、岩槻街道にも接する交通の要衝で、小岩市川の渡し、小岩市川関所(御番所)が設置されたのでこの名がついたと言います。

  • 江戸川駅前商店街<br />ここでペシャメルソースを買おうとしました。

    江戸川駅前商店街
    ここでペシャメルソースを買おうとしました。

  • このお宅は新築の一般住宅ですが、最近まで」「角屋旅館」という江戸時代からの旅籠でした。最初は茅葺屋根だったと言われています。

    このお宅は新築の一般住宅ですが、最近まで」「角屋旅館」という江戸時代からの旅籠でした。最初は茅葺屋根だったと言われています。

  • 「角屋旅館」の横を通って江戸川の堤に出ます。

    「角屋旅館」の横を通って江戸川の堤に出ます。

  • 京成線鉄橋の約50m南の付近の河川敷の辺りが小岩市川関所跡です。そのさきが小岩市川渡しの跡です。<br />徳川幕府は江戸を守るため橋を架けることはありませんでした。渡しは1616年(元和2)に定船場となり、往来の人や物資を監視する番所が設置され,万治年間に関所になりました。

    京成線鉄橋の約50m南の付近の河川敷の辺りが小岩市川関所跡です。そのさきが小岩市川渡しの跡です。
    徳川幕府は江戸を守るため橋を架けることはありませんでした。渡しは1616年(元和2)に定船場となり、往来の人や物資を監視する番所が設置され,万治年間に関所になりました。

  • 1869(明治2年)に関所は廃止され、1904年に江戸川橋(現、市川橋)の完成で渡しは廃止されました。

    1869(明治2年)に関所は廃止され、1904年に江戸川橋(現、市川橋)の完成で渡しは廃止されました。

  • 十念寺<br />真言宗豊山派のお寺、元和7年(1621)の創建<br /><br />十念寺の文化財<br />銅造観音菩薩立像(江戸川区指定文化財)<br />板碑元応元年12月日銘(江戸川区指定文化財)<br />法印範盛筆子塚(江戸川区登録文化財)<br />中小岩の庚申塔河原道石造道標(江戸川区登録文化財)<br />中小岩の庚申塔市川道石造道標(江戸川区登録文化財)<br />

    十念寺
    真言宗豊山派のお寺、元和7年(1621)の創建

    十念寺の文化財
    銅造観音菩薩立像(江戸川区指定文化財)
    板碑元応元年12月日銘(江戸川区指定文化財)
    法印範盛筆子塚(江戸川区登録文化財)
    中小岩の庚申塔河原道石造道標(江戸川区登録文化財)
    中小岩の庚申塔市川道石造道標(江戸川区登録文化財)

  • 庚申塔があります。

    庚申塔があります。

  • これも同じく庚申塔です。その他本堂建て替えのとき発見された板碑が展示されていましたが、ガラスに景色が映りこんで撮影できませんでした。

    これも同じく庚申塔です。その他本堂建て替えのとき発見された板碑が展示されていましたが、ガラスに景色が映りこんで撮影できませんでした。

  • 駅のすぐ南にある北野神社は、旧伊豫田村の鎮守です。北小岩3,4丁目は伊豫田村と呼ばれていました。<br />夏越の祓(なごしのはらい)として、直径2m以上の輪をカヤで作り、氏子が潜り抜けることによって、無病息災を願う茅の輪くぐりが行われます。

    駅のすぐ南にある北野神社は、旧伊豫田村の鎮守です。北小岩3,4丁目は伊豫田村と呼ばれていました。
    夏越の祓(なごしのはらい)として、直径2m以上の輪をカヤで作り、氏子が潜り抜けることによって、無病息災を願う茅の輪くぐりが行われます。

  • 神社の前の右手に丸い石が2つ置いてあります。<br />これは力石といって、若者がこの石を持ち上げて、力を競ったものだそうです。

    神社の前の右手に丸い石が2つ置いてあります。
    これは力石といって、若者がこの石を持ち上げて、力を競ったものだそうです。

  • 力石<br />日本一と言われた力持ち卯之助が持ち上げたと言われています。<br />38貫目、(132.5kg) 卯之助の名前が刻まれています。

    力石
    日本一と言われた力持ち卯之助が持ち上げたと言われています。
    38貫目、(132.5kg) 卯之助の名前が刻まれています。

  • 格子の間から本殿を映しました。

    格子の間から本殿を映しました。

  • 見つけました、見つけました。茅の輪くぐりの正体を。電線を守るプラスチックの筒を使用していました。これにカヤを巻き付けていたのですねー。

    見つけました、見つけました。茅の輪くぐりの正体を。電線を守るプラスチックの筒を使用していました。これにカヤを巻き付けていたのですねー。

  • 神社から南に行くと「慈恩寺道石造道標」がたっています。埼玉の岩槻にある慈恩寺へ参詣のため、1775(安永4)年に建立され、正面に「右せんじゅ岩附志おんじ道<br /> 左り江戸本所ミち」と刻まれています。

    神社から南に行くと「慈恩寺道石造道標」がたっています。埼玉の岩槻にある慈恩寺へ参詣のため、1775(安永4)年に建立され、正面に「右せんじゅ岩附志おんじ道
     左り江戸本所ミち」と刻まれています。

  • この道標は佐倉道と元佐倉道との合流点にあって、対岸の市川から川を渡って小岩市川の関所を通ると、道筋のほぼ正面に見えたと思われます。<br /><br />道標の左側には「右 市川みち」 安永四乙未年八月吉日<br />            北八丁堀 石工 かつさや加右衛門 と刻まれてます。

    この道標は佐倉道と元佐倉道との合流点にあって、対岸の市川から川を渡って小岩市川の関所を通ると、道筋のほぼ正面に見えたと思われます。

    道標の左側には「右 市川みち」 安永四乙未年八月吉日
                北八丁堀 石工 かつさや加右衛門 と刻まれてます。

  • 日蓮宗 本蔵寺<br />元は浅草にありましたが,弘法寺の末寺、晴立寺と合併したためこの地に移転しました。ここの墓地には小岩市川関所の役人中根平左衛門代々の墓があるそうですが、寺の人に訊くまでもないと思い、見つけられませんでした。

    日蓮宗 本蔵寺
    元は浅草にありましたが,弘法寺の末寺、晴立寺と合併したためこの地に移転しました。ここの墓地には小岩市川関所の役人中根平左衛門代々の墓があるそうですが、寺の人に訊くまでもないと思い、見つけられませんでした。

  • 次に真言宗 宝林寺を訪ねました。<br />ところがこのように建て替えのため更地になり工事中でした。

    次に真言宗 宝林寺を訪ねました。
    ところがこのように建て替えのため更地になり工事中でした。

  • 入って左側には庚申塔や六地蔵がありました。

    入って左側には庚申塔や六地蔵がありました。

  • 大きな地蔵菩薩を中心に、石仏が集められています。

    大きな地蔵菩薩を中心に、石仏が集められています。

  • 墓地南側の宝篋印塔は1610年(慶長15)にこの一帯を開拓した篠原伊豫の墓です。<br /><br />この一帯を伊豫田村といったのは彼の名から取ったものです。里見氏の家臣であったが、北条氏康との戦いに敗れ、上総にのがれたが、主家を離れ、この地に住み、開拓をしました。

    墓地南側の宝篋印塔は1610年(慶長15)にこの一帯を開拓した篠原伊豫の墓です。

    この一帯を伊豫田村といったのは彼の名から取ったものです。里見氏の家臣であったが、北条氏康との戦いに敗れ、上総にのがれたが、主家を離れ、この地に住み、開拓をしました。

  • JR総武線のガードをくぐり、千葉街道との合流点には一里塚がありましたが跡形もなく整地され、いまは駐車場になっています。<br /><br />私が疑問に思うのは、歴史的に重要な所でも、整地をしたり家を建ててしまえば、その人の財産になってしまうのですね。<br />我が家の近くにも曽谷城というお城があったそうですが、今そこは農家の人がすんでいて、風光明媚な高台にある広い一画です。<br /><br />法的に言うと、時効取得にあたるのでしょう。<br />所有の意思をもって、平穏かつ公然と他人の物を占有し続けた者に、その所有権を取得させる制度。取得時効は20年だが、占有の開始時に善意・無過失であれば、10年とされる(162条)。

    JR総武線のガードをくぐり、千葉街道との合流点には一里塚がありましたが跡形もなく整地され、いまは駐車場になっています。

    私が疑問に思うのは、歴史的に重要な所でも、整地をしたり家を建ててしまえば、その人の財産になってしまうのですね。
    我が家の近くにも曽谷城というお城があったそうですが、今そこは農家の人がすんでいて、風光明媚な高台にある広い一画です。

    法的に言うと、時効取得にあたるのでしょう。
    所有の意思をもって、平穏かつ公然と他人の物を占有し続けた者に、その所有権を取得させる制度。取得時効は20年だが、占有の開始時に善意・無過失であれば、10年とされる(162条)。

  • 小岩一里塚は千住宿(足立宿)から2里目を示しましたが、今はバス停、交差点にのみその名を残しております。<br /><br />小高い丘になっていて、須賀神社の小祠があり、榎が植えられていたそうです。

    小岩一里塚は千住宿(足立宿)から2里目を示しましたが、今はバス停、交差点にのみその名を残しております。

    小高い丘になっていて、須賀神社の小祠があり、榎が植えられていたそうです。

  • 「花火屋酒店」<br />私がこの辺に住んでいたころですから、50年くらいになると思いますが、この店は既にレトロな佇まいで存在していました。

    「花火屋酒店」
    私がこの辺に住んでいたころですから、50年くらいになると思いますが、この店は既にレトロな佇まいで存在していました。

  • 中の様子がお伝え出来ないのが残念です。「花火屋」と言う名もインパクトがありますね。

    中の様子がお伝え出来ないのが残念です。「花火屋」と言う名もインパクトがありますね。

  • ここは東小岩ですが、向こうに送電線の鉄塔が見えました。<br />実はあの鉄塔の元の場所は、2度めに住んだアパートがありました。<br /><br />送電線の下は建築が許可されていなかったので、畑になっておりましたが、所有者のじいさんの大家さんが、畑に肥料として、汲み取ったうんこをばらまいていました。しばらくは強烈な匂いでしたね。<br />

    ここは東小岩ですが、向こうに送電線の鉄塔が見えました。
    実はあの鉄塔の元の場所は、2度めに住んだアパートがありました。

    送電線の下は建築が許可されていなかったので、畑になっておりましたが、所有者のじいさんの大家さんが、畑に肥料として、汲み取ったうんこをばらまいていました。しばらくは強烈な匂いでしたね。

  • 行ってみると新しい家が建ち、送電線の下のうんこ畑にも家が建っていました。<br />規制が緩和されたのですね。

    行ってみると新しい家が建ち、送電線の下のうんこ畑にも家が建っていました。
    規制が緩和されたのですね。

  • さて、次に訪れたのは、江戸川病院のとなりにある善養寺というお寺です。<br />西側の門です。<br />

    さて、次に訪れたのは、江戸川病院のとなりにある善養寺というお寺です。
    西側の門です。

  • 参道の横には石碑が建っています。

    参道の横には石碑が建っています。

  • 傘の碑<br />小岩は井戸時代から傘づくりが盛んで、その販路は全国におよんでいました。<br />この碑は業界に功績のあった、川野竹松氏を称える碑です。<br />昭和5年に建立されました。

    傘の碑
    小岩は井戸時代から傘づくりが盛んで、その販路は全国におよんでいました。
    この碑は業界に功績のあった、川野竹松氏を称える碑です。
    昭和5年に建立されました。

  • 天明3年浅間山噴火横死者供養碑<br /><br />天明3年(1783)浅間山の大噴火があり、関東一円に火山灰が降りました。<br />山麓では山津波が起こり、多くの人家が押し流されて、多数の遺体が、利根川や江戸川に流され、この付近の中州にも流れ着いたということです。<br />地元の下小岩村の人々は、遺体を収容し手厚く寺内の無縁墓地に埋葬しました。<br />寛政7年(1795)7月に13回忌の法要を営み、この供養碑を建て、その霊を弔いました。

    天明3年浅間山噴火横死者供養碑

    天明3年(1783)浅間山の大噴火があり、関東一円に火山灰が降りました。
    山麓では山津波が起こり、多くの人家が押し流されて、多数の遺体が、利根川や江戸川に流され、この付近の中州にも流れ着いたということです。
    地元の下小岩村の人々は、遺体を収容し手厚く寺内の無縁墓地に埋葬しました。
    寛政7年(1795)7月に13回忌の法要を営み、この供養碑を建て、その霊を弔いました。

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 善養寺 真言宗<br />小岩不動とも呼ばれ、16世紀初頭の開基とされています。江戸時代には朱印寺となり、末寺130余を有する中本寺でした。

    善養寺 真言宗
    小岩不動とも呼ばれ、16世紀初頭の開基とされています。江戸時代には朱印寺となり、末寺130余を有する中本寺でした。

  • 特に善養寺が有名なのはこの影向の松と呼ばれる松の木です。<br /><br />樹齢600年余と言われ、高さ約8m、幹回り役4,5m東西約30m、南北28mの枝を広げています。<br />その面積はわが国有数と言われています。

    特に善養寺が有名なのはこの影向の松と呼ばれる松の木です。

    樹齢600年余と言われ、高さ約8m、幹回り役4,5m東西約30m、南北28mの枝を広げています。
    その面積はわが国有数と言われています。

  • 南側の門には阿吽の像が安置されています。

    南側の門には阿吽の像が安置されています。

  • なかなか迫力があります。

    なかなか迫力があります。

  • こちらも立派な像です。目が特に目立ち、メジロのようです。

    こちらも立派な像です。目が特に目立ち、メジロのようです。

  • 日露戦争の戦没者慰霊碑

    日露戦争の戦没者慰霊碑

  • この周りを歩きます。

    この周りを歩きます。

  • この庭で行われた子供相撲大会には栃錦が弟子を連れて毎回参加しました。<br />一段高い横綱山はこの土俵の土で作りました。

    この庭で行われた子供相撲大会には栃錦が弟子を連れて毎回参加しました。
    一段高い横綱山はこの土俵の土で作りました。

  • 東小岩天祖神社<br />どこにも名前の表示のない素朴な神社がありました。<br />名前はグーグルマップで調べました。

    東小岩天祖神社
    どこにも名前の表示のない素朴な神社がありました。
    名前はグーグルマップで調べました。

  • 庭には楠?の大木がありました。

    庭には楠?の大木がありました。

  • 一般住宅ですが、やけに大きな木が植わっています。手入れされているので管理は大変ですね。前庭もたくさんの植木があります。

    一般住宅ですが、やけに大きな木が植わっています。手入れされているので管理は大変ですね。前庭もたくさんの植木があります。

  • やがて自転車は公園に到達しました。<br />都立篠崎公園です。<br /><br />この近くにも住んだことがあります。<br />次男が生まれたのもこの土地でした。<br />長男は近所の人に言いふらしました。<br />「今度ねぇ、ぼくの家に赤ちゃんが生まれたんだよー。ぼくに似て、とってもかわいいんだよ。」近所の人は笑いました。

    やがて自転車は公園に到達しました。
    都立篠崎公園です。

    この近くにも住んだことがあります。
    次男が生まれたのもこの土地でした。
    長男は近所の人に言いふらしました。
    「今度ねぇ、ぼくの家に赤ちゃんが生まれたんだよー。ぼくに似て、とってもかわいいんだよ。」近所の人は笑いました。

  • 広い敷地にたくさんの木が植えられて、人々の憩いの場所となっています。<br />楠,樫など土地本来の木やイチョウ、カラマツ、桜などが植えられています。

    広い敷地にたくさんの木が植えられて、人々の憩いの場所となっています。
    楠,樫など土地本来の木やイチョウ、カラマツ、桜などが植えられています。

  • テニスコートや野球場もあります。<br />ベンチで日向ぼっこをしている老人に言いました。<br />「昔この辺に住んでいましたが、ずいぶん木が大きくなりましたねぇ」<br />「おらも50年は住んでいるが、毎日見ていると、そうも思えねな」<br />と言っていました。

    テニスコートや野球場もあります。
    ベンチで日向ぼっこをしている老人に言いました。
    「昔この辺に住んでいましたが、ずいぶん木が大きくなりましたねぇ」
    「おらも50年は住んでいるが、毎日見ていると、そうも思えねな」
    と言っていました。

  • 篠崎公園の南側には「浅間神社」(せんげんじんじゃ)があります。祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)です。<br />創建は938(天慶元年)と言われ、区内最古の神社です。<br />7月1日の例大祭は幟祭り(のぼりまつり)と呼ばれ、長さ12間(21.8m)以上もある幟が10本立てられます。

    篠崎公園の南側には「浅間神社」(せんげんじんじゃ)があります。祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)です。
    創建は938(天慶元年)と言われ、区内最古の神社です。
    7月1日の例大祭は幟祭り(のぼりまつり)と呼ばれ、長さ12間(21.8m)以上もある幟が10本立てられます。

  • 4000坪の境内は緑豊かな木々が茂り、大木も多くあります。<br />参道は長く、本殿に続きます。

    4000坪の境内は緑豊かな木々が茂り、大木も多くあります。
    参道は長く、本殿に続きます。

  • 須賀神社 須佐之男命(すさのおのみこと)<br />天照坐大神 (あまてらしますおおみかみ)の弟で八岐大蛇を退治し、<br />日本で始めて和歌を詠んだ神様です。厄除けの神様です。<br /><br />天祖神社 天照坐大神 (あまてらしますおおみかみ)<br />皇室の祖先です。イザナギから高天が原の統治を委託されました。<br />太陽の神、家運繁栄の神とされています。<br /><br />ご注意 祈願しても、叶えられるという保証はありません。

    須賀神社 須佐之男命(すさのおのみこと)
    天照坐大神 (あまてらしますおおみかみ)の弟で八岐大蛇を退治し、
    日本で始めて和歌を詠んだ神様です。厄除けの神様です。

    天祖神社 天照坐大神 (あまてらしますおおみかみ)
    皇室の祖先です。イザナギから高天が原の統治を委託されました。
    太陽の神、家運繁栄の神とされています。

    ご注意 祈願しても、叶えられるという保証はありません。

  • 格子の間からなかを除きました。

    格子の間からなかを除きました。

  • 白髭神社 猿田彦命 (さるたひこのみこと)<br /><br />天孫降臨のとき道案内をしたとされる神様です。<br />みちびきの神と言われ、グーグルマップの神ともいわれています。

    白髭神社 猿田彦命 (さるたひこのみこと)

    天孫降臨のとき道案内をしたとされる神様です。
    みちびきの神と言われ、グーグルマップの神ともいわれています。

  • 八幡神社 譽田別命 (ほんだわけのみこと)<br /><br />第15代応神天皇の神霊<br />家運繁栄の神、勝ち運の神、出世の神とされています。<br /><br />(拝んだからといって、成就を約束するものではありません。)

    八幡神社 譽田別命 (ほんだわけのみこと)

    第15代応神天皇の神霊
    家運繁栄の神、勝ち運の神、出世の神とされています。

    (拝んだからといって、成就を約束するものではありません。)

  • 神楽殿です。

    神楽殿です。

  • 浅間神社本殿です。

    浅間神社本殿です。

  • 神社に沿った道を通って帰途に着きます。<br />お腹がすいたので蕎麦屋に寄ったのですが、2軒とも準備中でした。<br /><br />公園で水を飲み、ポケットのクルミを食べました。 リスかっ

    神社に沿った道を通って帰途に着きます。
    お腹がすいたので蕎麦屋に寄ったのですが、2軒とも準備中でした。

    公園で水を飲み、ポケットのクルミを食べました。 リスかっ

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この旅行記へのコメント (19)

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  • しにあの旅人さん 2020/02/22 05:46:07
    おはようございます
    ペシャメルソース 。60年くらい前、小田急線百合ヶ丘近くの雑貨屋で、父がフレンチドレッシングを注文しました。取り寄せてもらったのです。3本入荷して、1本づつ、我が家が買い切るまで棚にありました。賞味期限はどうなっていたのでしょうか。
    チンタオ(青島)で若い頃を過ごした、英語のできる、いわゆる「モダーン」な父でした。母はフレンチドレッシングなど、作り方を知らなかったのでしょう。2人とも他界しました。
    でもフレンチドレッシングがかかったサラダを食べた記憶がありません。

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/22 16:50:19
    RE: おはようございます
    シニアの旅人さん こんにちは

    いまだにペシャメルソースとはいかなるものかは知りません。
    お父様はいわばモボだったのでしょうね。知り合いが昔青島に住んでいたということで、
    私たちが今度行くというと、○○路○○号などと住所を書いてくれて、チャンスがあったら見てきて、と懐かしがっていました。もう何年も前の話ですけどね。

    青島は洋風の家が並ぶモダンな感じの街ですね。娘夫婦が何年か住んでいたというので、
    訪れたことがありました。
    フレンチドレッシングなんて、大人になってから知りました。それまでは、よくて醤油、
    普段は塩水でした。(これは嘘です)

    昔は賞味期限なんてなかったですね、おなかが痛くなったら、期限でした(笑)。


    pedaru
  • ふわっくまさん 2020/02/10 12:27:52
    グーグルマップの神・・
    pedaruさん、こんにちは。
    自転車に乗って、東京の歴史散策に出かけられたご様子で・・
    花火屋酒店はレトロな佇まいでしたが、お酒が売られているのか少し迷いそうですねー

    小岩不動さんの樹齢600年「影向の松」は、有名だそうで・・
    とても立派で、一度見てみたいなぁと思いました^^

    そして白髭神社の猿田彦命は、みちびきの神と言われているのですね。
    以前、グーグルマップのことを「グルグルマップ」と言った人を思い出しました。
    ・・そう言ってしまうと、迷いの神になってしまいますが・・(笑)
                ふわっくま

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/13 06:10:19
    RE: グーグルマップの神・・

    ふわっくまさん おはようございます。

    ふわっくまさんを見習わなければと思いながら、返信が遅くなり申し訳ありません。
    自宅から自転車で、・・・が乗り慣れた自転車ですから、一番いいのですが、最近ちょっと自信がなくなっています。小岩程度ならいいのですが・・・。
    もっと体力をつけて遠くへも行けるようにしたいと思っているのですが、この歳ではねぇ・・

    影向の松は、昔近くに住んでいたこともあって、なじみが深いのです。小さな長男を連れてよく遊びに行きました。昔と比べて木の勢いがなくなって心配です。

    白髭神社も各所に支店?があり、道に迷ったときはお参りをします。(嘘ですが)
    次の旅行記も気が向いたらご覧ください。

    pedaru
  • 前日光さん 2020/02/05 12:29:54
    見所が多すぎて。。。
    師匠、こんにちは。
    小岩ですか。
    駅名などではよく耳にしますが(「新小岩」って)、実際にはどうなのか、現実感がありませんでした。
    でも寺社がたくさんありますね。
    寺社巡りには自転車が一番!
    ところが最近私は、自転車ですらおぼつかなくなってきて、随筆仲間に前日光さんは自転車は止めた方がいいですよ、転んだら大変ですから、と言われる始末。

    確かに奈良で、レンタサイクルを利用したときに限界を感じました。
    歴史散歩は私も大好きですが、徒歩もツライです。
    数年前の腰椎骨折で、すぐに腰が痛くなってしまうのです。
    寺社巡りが好きなのに、そして寺社に階段は付きものなのに、自転車は危ないからダメと言われ、歩こうとすれば腰が痛くなり。。。
    趣味の幅がどんどん狭まりつつありますので、師匠のように身軽に自転車で寺社巡りのできる人が羨ましいです。

    お賽銭をはずんだりお祈りをしても、実際には効果はさほどないという注意書きに笑ってしまいました。
    それを分かっていても神頼みしてしまうのが人間というものです。
    おそらくN氏なども吹き出されたのではないでしょうか?

    見所満載の町歩き&寺社巡り、次回も楽しみにしております(^^)/


    前日光

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/06 06:24:50
    RE: 見所が多すぎて。。。
    前日光さん おはようございます。

    なんということでしょう、せっかく書いたコメントが送信の失敗で消えてしまいました。
    落ち込みますねぇ、も一度書き直しです。もう、あの素敵なコメントは書けないでしょう(笑)。
    見所のない旅行記をご覧くださってありがとうございます。普段目にしている場所でも、意外に歴史がつまっているのですね。
    小岩は庶民的な街で、バラエティー番組などで、面白半分で紹介されたりします。私も小岩に店があるので、「アド街ック天国」とかいう番組に出たことがあります。セリフを何回も練習させられて、放送ではセリフはカットされていました。それからある時などは、高田純次の街歩き番組で取材させてくれというので、心の準備をしていたのですが、何の連絡なしに取りやめになっていました。

    小岩旅行記の費用は0円でした。と言うことは、あれほど寺社を巡りながら、お賽銭を一度も出してなかったということになりますね。これではnorisaさんに叱られるーっ。

    pedaru
  • keiさん 2020/02/04 22:44:14
    思い出巡り
     リスさん、こんばんは(^▽^)
    ポケットをたたくとビスケットじゃなくて
    クルミが出てくるのですねー!
    まさか殻ごと?!
    片手でバリッと割ってボリボリ食べてたらワイルドだぜぃ!

    東京って大都会というイメージがありますが、
    このような新旧入り混じったのどかな地域もあるのですね。
    江戸川の堤防はよくドラマなどに出てくる場所ですか?
    運動部の部員たちがファイト!ファイト!って言って
    走っている所があんな堤防だよね。

    写真からはとてもお天気も良くて、暖かな感じだけど
    実際は寒かったでしょ。
    鼻水垂らしながら自転車こいでいたのでは?(笑)

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/05 07:47:24
    RE: 思い出巡り
    keiさん おはようございます。

    > 鼻水垂らしながら自転車こいでいたのでは?(笑)

    おい、おい、見ていたのかい?その通りじゃ。スピード出すと、鼻水がスーッと糸を引いて、冬空を上がって行くのです、凧揚げかっ


    クルミは上海で買ったもの、ウィルスをパッパッと払って、ボりっとね。ワイルドだぜ。

    東京歴史散歩 第2弾 ただいま製作中です。ギリシャは飽きてしまった。

    pedaru
  • 白い華さん 2020/02/03 21:49:50
    「『小岩』へ・・行く」なら、 やっぱり・・自転車!でしょう。
    我が家!の ご近所さん・・の pedaruさん。 今晩は~。
    そう~、江戸川に 掛かる 『市川橋』を 渡れば・・ソコ!は 小岩界隈。
    JR総武線も 『市川駅』の 隣駅!は 『小岩駅』ですからねぇ~。

    若き!pedaru夫妻・・思い出の 地。「江戸川駅」から「小岩界隈」は
    私も、自転車で ポタリングして、どのシーン!も 「見たコト あったりして、楽しめマシタ」。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーー
    私は、東京・台東区(浅草辺り)が 実家。で 
    「小学校時代は、地下鉄 都営浅草線。更に、京成線・・利用。で 遠足」が いつものコースで 『中山 競馬場』の 観客席で 遊ぶ。も 3回位・・は 来た。

    そして「江戸川駅」から「金町駅」まで、江戸川・川堤・・で お弁当タイム。ボール遊び!などを しながら 「歩け!歩け・・の 遠足」でした。 (2回以上は あったぞ)
    ーーーーーーーーーーーーーーーーー
    我が家の 建て替え・新居に、2ヶ月前から 住んでいる! 息子夫婦。
    ほんと 『小岩』に 住んでいて、 コチラ!に 引っ越してきた。ので
    息子の マンション訪問時は 『花火屋 酒店』も いつも・・・車で通過してた 私。
    此処・・・。 中も 「レトロ!な 酒屋(内部)」が 見えて、私も、気にナル!お店でした。 (笑)

    たまたま、お嫁さんは 「小岩」が 実家!なんですよ~。
    お嫁さん。 引っ越してきた・・ばかり。なので
    今は 「市川」に 慣れよう。と 「臨月の お腹!で 体重増加を 防ぐべく。散歩・・で いろいろ、探索していますよ」。
       これからもよろしくお願いします。

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/04 07:19:05
    RE: 「『小岩』へ・・行く」なら、 やっぱり・・自転車!でしょう。
    白い華さん おはようございます。

    ご近所同士ですので、私の知っていることはほとんどわかってしまう、だから旅行記にも嘘は書けません(笑)。

    東京の子でも、市川まで遠足に来ていたのですねー、川を渡れば途端に田舎ですから、都会っ子には珍しかったのでしょうね。

    白い華さんが「花火屋酒店」を知っていたなんて、思わず笑ってしまいました。あのレトロな佇まい、華さんの大好物ですものね。

    小岩は縁が深くて、自分の街のような気がします。それに娘が小岩に店を持っているので、私もときどき手伝いに行っています。

    お嫁さんは小岩の人でしたか?それじゃあ、気さくでいい方なんですね、知っている小岩の方は皆、江戸っ子で気さくな方が多いですね。(小岩は江戸ではありません、小岩村ですが)江戸っ子は華さんですね。鳥越神社の神輿を担いだとか、いう噂が・・・・

    pedaru

    白い華

    白い華さん からの返信 2020/02/04 09:41:56
    東京の実家!は 『鳥越神社』の お祭り・・デス。
    お早う御座います。
    そうなんですか〜。 「小岩」は、お嬢様の経営する・・お店。が あるんデスネ。
    お父様は、「市川」で・・・。 と、親子揃って 
    「一国一城の主。 経営者」とは、大したもんデス。。。

    JR総武線『小岩&新小岩 駅』って、「乗降者数が すご〜く多い」って思いませんか?
    江戸川を渡って 『市川駅』に なる。と、す〜〜っと、車内の空間が 増えている・・・って 感じ。
    または『小岩駅』で、電車内は ギューギュー詰め!に なって、東京へ・・。と 向かう。
    「人口密度が 多い・・小岩界隈」なんでしょうね。
    ーーーーーーーーーーーーーー
    ところで、私の実家は『鳥越神社』の お祭り・・。
    昔。子供時代は 「神輿担ぎ」も 大好き!でした。が 最近は、両親と同年代(90歳近く)が ほとんど・・亡くなってしまい、
    「両親揃って、生きているコト・・が 奇跡」って 感じ。 (苦笑)

    今週は、そんな・・実家から 「我が家!の 新居を 初めて・・見に来てくれる 両親。(アンド 同居の 姉夫婦)。
    ベビー誕生!も 合わせ技・・で 「たいした家!では ありません。が お披露目しよう」と 思ってた。ので、
    最近、父親が 救急車で運ばれて、入院。したり・・。が あって、また、元気になり
    「今のうちに 見せておかないと。と 急いだ」ワケ!です。 (笑)

    日本国内も 「コロナ肺炎」で、 これから・・・が 大騒ぎ」と なりましょう。
    今 「市川市からの、無料検診券を 使って・・の 診断」。
    「コロナ」の 来ない・・うち。が チャンス!と 思っていますヨ。
       これからもよろしくお願いします。
  • 備前屋ねこさん 2020/02/02 17:33:10
    ペシャメルソース
    ペシャメルソースってどんなソースなんだろう
    トロリとして甘そうなキャラメルソースみたいな…?
    pedaru家ではそんなハイカラ(死語?)なお料理を作ってるんですね~
    色んなお料理にチャレンジする素敵な奥様ですね

    それにしても切り干し大根を売ってるようなお店には確実に売ってそうになくてププっと笑っちゃいましたw
    商店街の写真を見ただけでも見つからない気配が濃厚に漂ってますねぇ
    ( ^∀^)ぷはは
    ペシャメルソースなるものは本場フランスでも売ってなくて自作するものなのですか。
    一体どんな味がするものなのか備前屋も味わってみたいです。

    それはそうと前回の上海旅行記、無料で行ってきたなんて羨ましい~
    タダ…なんという甘美な響きでしょう(*´Д`)
    新型コロナの心配もある中、pedaruさんが無事で良かったです。
    日本国内でも安心はできませんねぇ。
    どうぞお体に気をつけて下さい


       備前屋ねこ




    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/04 06:27:56
    RE: ペシャメルソース
    備前屋ねこさん おはようございます。

    我が家ではハイカラな料理など皆無です。横文字なのはフレンチトーストとカレーライスくらいなものです。
    このころは、新婚で張り切っていたのでしょうね、なんでも挑戦して、ワラジのような大きなコロッケを作ったり、怪しいものを作ったりしてました。結婚してすぐに5キロ体重が増えてしまいました。結婚前はよほど貧しい食事をしていた証拠です。(いまでも貧しいですが)

    上海旅行は、おそらくコロナウイルスの蔓延を予想して、捨てるくらいなら、タダで提供してあげようという会社の陰謀だったと推察しています(笑)。

    幸いpedaruはコロナウィルスに感染してないと思いますが、備前屋さんに迷惑が掛からないようにマスクをして返信を書いています。フーッ 苦しいーっ

    pedaru
  • norisaさん 2020/02/02 13:33:38
    自転車で行く東京!
    pedaruさん

    こんにちは。
    久しぶりの自転車登場ですね!
    もともとHNのpedaruも自転車から名付けたような記憶があります。

    さて、東京といっても新宿、渋谷ではなく小岩など落語でしか名前を知らない地名の自転車散策ですね。
    あまり神社仏閣巡りをされないpedaru師匠もこの古い江戸情緒を残す街ではご訪問されるのですね(笑)
    時効取得!
    なるほど、そういう法律があるとはハッキリとは知りませんでした。
    我が家の近所に獲物がないか物色散歩してみます!(笑)

    久しぶりのomake、美しいですね!

    norisa

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/04 06:06:58
    RE: 自転車で行く東京!
    norisaさん おはようございます。

    自転車にしようか、駅から歩こうか、バスにしようか迷いましたが、近場は自転車が最適です。最近は歩くのが億劫で、久しぶりに自転車旅行記になりました。

    歴史というと、神社仏閣は外せませんので、こうなりました。信仰心の全くないpedaruですので、お賽銭もあげずに写真だけを撮る侵入者はさぞ迷惑だろうと、反省しております。

    沢山ある別荘のなかで、一つくらい忘れているのがありませんか?いつの間にか他人が勝手に住んでいて、何にも言わないで、放置すると、取得時効になってしまいますよ。
    不動産は確か20年だったと思います。財産家は油断してられませんね。

    pedaru
  • 紅映さん 2020/02/02 10:43:26
    小岩って歴史のある町なのですね♪
    pedaruさん、おはようございます。
    日本の旅行記なので安心☆^▽^☆  ちょっとだけコメントさせて頂きます。
    江戸川駅は河川敷の菖蒲を見に行った時に2,3回降りただけ、反対側へは行ったことがありませんでしたが、なかなか歴史のある町なのですね。
    こうしてみると、どこの町にも脈々とした歴史があるということがよく分かります。
    とはいえ、難しいことは苦手ですので、それはさて置いて、善養寺の影向の松の立派なこと!!いつか折を見て訪ねてみたくなりました。
    かつて習志野市の谷津に10年ほど住んでいましたので、市川真間とか里見公園とかへはよく行きました。その辺へも再訪したいと思う此の頃です。
    いずれにしても、すべり症がもう少し良くなってからの話ですが(-_-;)
    なかなか見応えのある旅行記を拝見させて頂き、ありがとうございました。

               ・・・☆紅映☆・・・

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/04 05:46:44
    RE: 小岩って歴史のある町なのですね♪
    紅映さん おはようございます。

    お陰様で、今までになかったような活気が出てきました。そう、旅先でスケッチです。

    ところでこの旅行記は近場で半日の旅行です。この中で、善養寺の松だけは立派ですね。
    境内にある石碑に、流れ着いた浅間山噴火の犠牲者を下小岩村の人たちが、手厚く葬り供養をしたことが書いてありますが、これには感動しました。
      この善養寺の山門のところで、お釈迦様に甘酒をかけている私たちのこども二人の写真がありますが、まだ小さくてかわいかったですよ(笑)。

    見ごたえはすくないですが、次も予定していますのでそのときはご覧ください。

    pedaru
  • アンペルマンさん 2020/02/02 10:26:53
    小岩の風景が懐かしいです。
    pedaru さん こんにちは

    私は小岩生まれなので、とても懐かしく読ませていただきました。
    市川橋を越えて左の南方向に行かれているようですが、私の当時の家は右の北の方でした。数年に一度ですが、小岩に出かけるときには江戸川の土手に登り江戸川の風景を眺めるのが今でも好きです。
    また出かける機会がありましたら、ぜひ北小岩周辺のレポートをお願いしたいです。

             アンペルマン

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2020/02/04 05:28:35
    RE: 小岩の風景が懐かしいです。
    アンペルマンさん おはようございます。

    昨日は平井を回ってみました。見所が少ないですが・・・・

    北小岩は最初に住んだところでしたので、とくに懐かしく思います。生まれて間もない赤ちゃんを連れて、親子3人で江戸川の土手に行き、そこで昼食を食べ、毎日ピクニック気分でした。

    アパートの近くにビリヤードの店があったことを覚えています。今は新しい小さな家が沢山建っています。東京歴史散歩、今後続けて書くつもりですので、ご覧いただけたら幸いです。

    pedaru

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