2021/11/27 - 2021/11/27
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pedaruさん
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言論の自由を制限する国が今も存在しているようだが、日本でも幕末には政権の意にそぐわない人物は投獄された上に、首を切られた。今の南千住駅の近くは小塚原といい、刑場跡があり、斬首された遺骸は野ざらしか、埋められ,墓もない。
火つけ、強盗、人殺しは仕方ないとしても、立派な学者や思想家が首を切られたとは、大変な時代だった。
彼らを尊敬し、業績を評価する後の人たちは、供養の意味もあって、ささやかな墓を建てた。吉田松陰の墓があるとともに、鼠小僧治郎吉の墓もある。泥棒の鼠小僧が評価されたわけでもないだろうが、江戸の人気者だったことは確かだろう。
この小塚原回向院にある墓石の名前は知らないものばかりだが、ネットで調べて見ると226事件の青年将校だったり、坂下門外の変の水戸藩士だったりする。墓を作られた人はひとかどの人物だったようだ。
参考資料 東京都の歴史散歩 山川出版社
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pedaruは今明治通りを北上中です。先週と同じく電動アシスト自転車で快適に。
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かなり年季の入った建物がありました。新築の時はモダンな店舗併用住宅だったとおもいますが、これだけ古くなるとどこか物悲しく見えます。
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建物が切れたところに突然、東京スカイツリーが見えました。青空に白い塔、とっても近くに見えます。
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「向島百花園」と言う看板につられて寄り道をしてしまいました。こんな風情のある道を走って入り口に着くと、開園前でした。
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隅田川に架かる白髭橋が見えてきました。初めて渡る橋です。
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隅田川は満々と水をたたえて流れて行きます。
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道路沿いの路地を覗くと、典型的な古い民家がありました。二階の窓の手すりが
風情ある光景です。 -
南千住駅に着きましたが、南側から接近したので、首切り地蔵の姿は見えるのですが、線路が道を遮っています。ずーと、遠回りをして北口に向かいました。
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聞いたことのない駅がありました。「隅田川駅」ここは貨物専用の駅だそうです。
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フェンスから覗くと、懐かしい気になる駅舎が見えました。
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交番で訊いてやっと首切り地蔵さん(延命地蔵)にたどり着きました。
小塚原刑場で処刑された20万人の人の供養にと建てられたそうです。 -
駅の北側には小塚原回向院という、刑死した人の菩提を弔うため建てられたお寺があります。
入ってすぐ左側に「吉展地蔵尊」という銅像がありました。ご存じの方は少ないと思いますが、日本中を悲しみに包んだ吉展ちゃん事件を供養した銅像です。
進んで右側にずらっと並んだ石塔、これらはどんな人たちなのでしょう?
●住谷悌之介 水戸藩士 文久元年獄死 24歳 日本最後の仇討ちをしました。
坂下門外の変の実行者住谷寅之助は兄
●日下部裕之進 薩摩藩士 安政の大獄で捕らえられ獄死 享年25歳
●川邊佐治右衛門 老中安藤信正が襲われた坂下門外の変の首謀者の一人、
実行に遅れたため、長州藩邸に趣意書をとどけ切腹した。 -
●平山兵介 水戸藩士 坂下門外の変で安藤信正を襲撃。伊藤流の達人ながら闘死。
●信太仁十郎 幕末尊王攘夷運動家 アメリカ公使ハリス襲撃を計画するが、発覚、
幕府に自首、伝馬町の牢で病死した。
●蓮田東三 幕末の尊攘運動家 ハリス襲撃を企てたが果たせず自首、伝馬町の牢で獄死する。享年22歳。 -
磯部浅一 妻登美子
2・26事件の首謀者、皇道派の青年将校、徒党を組んで時の首相高橋是清等を殺害した。武力による政治改革だが、いまだ後進国では同じ事が行なわれています。
これにより軍部の力が強くなり、史上最大の愚行太平洋戦争への道を辿った。
彼を賛美する人たちがいて、かれの記念館が存在するという。 -
大きくてこの場にそぐわない供養碑がありました。相馬大作の供養碑です。
相馬大作事件 (そうまだいさくじけん)とは、 文政 4年 4月23日 ( 1821年 5月24日 )に、 南部藩 士・ 下斗米秀之進 (しもとまい ひでのしん)を首謀者とする数人が、 参勤交代 を終えて 江戸 から帰国の途についていた 津軽藩 主・ 津軽寧親 を襲った暗殺未遂事件。 秀之進の用いた別名である 相馬大作 が事件名の由来である。 杜撰な計画と、事件前に裏切った仲間の密告により、津軽寧親の 暗殺 に失敗したため、秀之進は南部藩を出奔した。 後に秀之進は 幕府 に捕らえられ、 獄門 の刑を受けた。 弘前藩 主・ 津軽氏 と 盛岡藩 主・ 南部氏 の確執は、 戦国時代 の末期から 安土桃山時代 、弘前藩初代藩主である 大浦為信(後に津軽為信) の時代に端を発する。
今でも冗談半分に津軽と南部は悪口を言い合っていますね。 -
●右側の腕の形をした墓石は「腕の喜三郎」と言う侠客の墓です。
大刀を差して闊歩するやくざ者の喜三郎はあるとき喧嘩で片腕に重傷を負った。
見苦しいからと子分にのこぎりで自分の腕を切り落とさせたという。この豪胆さが評判になり歌舞伎にまで演じられることになった。
●隣は「高橋お傳」の墓です。毒婦として巷間流布されていますが、実は健気な女性だった、優しい殺人犯だった(笑)と言う説もあります。
●一番左は「鼠小僧治郎吉」の墓です。富裕な武家屋敷から金を盗み、貧民にばらまいたという義賊。両国回向院にもあるそうです。歌舞伎の出し物にもなって江戸庶民の人気をさらったそうな。 -
政治犯「吉田松陰」の墓です。安政の大獄の犠牲者、多くの門人が近代日本の礎をつくりました。
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吉田松陰の墓の前にはたくさんの墓石がありますが、そのうちのいくつかを見てみます。
●斎藤監物 水戸藩の改革に尽力する、安政の大獄に憤り、桜田門外の変で井伊直弼を襲撃、本懐をとげる。細川邸にて死亡する。
●黒沢忠三郎 水戸藩士 桜田門外の変で井伊直弼を襲撃する。
●その他山口辰之助、鯉淵要人、金子孫三郎、高橋多一郎、なども井伊直弼襲撃に加わる。 -
次に来たのは、ある寺院。
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色づいたイチョウも美しい曹洞宗円通寺。正面に巨大な観音様があります。ビルの非常階段のような支えがあります。
この円通寺は坂上田村麻呂の創建と伝えられる古刹です。 -
上野戦争では年若き少年たちが彰義隊として官軍と戦ったが、大群の前に敢え無く討ち死、死骸は累々と横たわる。この寺の住職はこれを悼み、願い出て荼毘に付す、円通寺に手厚く埋葬した。
これが縁で寛永寺の黒門がこの寺に移築されたと言います。 -
戦争で使われた銃の弾痕の穴がたくさん見えます。
片や鉄砲、彰義隊の少年が刀で太刀打ちできない残酷な戦争でした。 -
この金ぴかの巨大観音様を見て、彰義隊の少年達の遺骸を引き取り供養をした住職はどう思うでしょうか?住職の嘆き声が聞こえてくるようです。
「あーっ お寺の恥だー、仏教の恥だー、檀家の恥だー、」 -
黒門の内側は彰義隊のお墓になってました。
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故人の墓としては松平定信の墓石にも負けない大きさです。
榎本武揚が建てた碑もあります。榎本武揚が子爵になっていたとは知らなかったー。 -
彰義隊後藤鉄次郎追弔碑
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千住間道の近くにある銅像。現在スポーツセンターになっているところが日本初の蒸気力を利用した官営の毛織物工場でした。この一帯は官営千住製絨(せいじゅう)所跡です。
銅像は初代所長井上省三を讃える像です。 -
僅かに残ったレンガ塀は製絨所の物です。
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製絨所の説明版がありました。
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素盞雄神社(すさのおじんじゃ)に来ました。
地元では天王様と呼ばれています。
時期的に七五三のお参りの親子が目立ちました。 -
こちらは神楽殿、今でもお神楽は催されるのでしょうか?
故郷の祭りでは、お神楽を見るのが楽しみでした、ひょっとこ踊りが面白くて子供にも受けていましたが、ちょっと卑猥な踊りでした。 -
庚申塔3基 中央の仏像は本格的な彫でした。
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この神社の始まりは岩から二筋の光を放って神が降臨した。795年のことでした。
なくよ うぐいす へいあんきょう 794年が平安遷都ですから、かなりの老舗ですね。
この岩は瑞光石といい、今でも神社の庭にあり、正直者にはこの光が見えるということです。pedaruには
この光は鮮明に見えました。歳をとるとそんな気になってくるから不思議です。 -
碁盤の儀といってこの碁盤の上に乗って、七五三を迎えた子供は飛び降りという儀式です。宮中の儀式が庶民に広がったと言います。
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隣には荒川ふるさと文化館があります。荒川区の文化、芸術、芸能、伝統技能等を展示紹介しています。
コロナの影響なのか、観客は私のほかに一組の男女だけでした。特別展は有料で
百円を払って入りました。 -
伝統工芸のコーナーは写真撮影OKでした。
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江戸文字、千社札や、相撲番付、寄席のめくり、など独特の字体で書かれています。
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荒川区の職人の技を紹介しています。
隠れたる名工がいるものですね。 -
鍛金 一枚の板からたたき出して形を作ります。想像以上の小ささで
難しい仕事だなぁと感じました。 -
提灯の文字書き 文字は一発勝負、 間違いは許されません、書き損じたときは
紙の貼り直しから始めます。 -
こちらは三味線 形だけじゃなく、いい音を出さなくてはならない難しさがあります。
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指物といいます。小机 引き出し 木目を生かした見事な作りです。
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金切り鋏(はさみ) 大小、用途に応じて使い分けます。
刀鍛冶のように鍛錬して完成させます。余談ですが私もひとつ持っています。
私の場合、金やプラチナを切ります。 -
ふるさと文化館の前には健康的な少女の姿のブロンズ像がありました。
私が一番印象に残って、素晴らしいと思ったのは、昭和の庶民の住宅が、全くそのままに、再現されていて、とっても懐かしく思いました。撮影禁止でしたから、皆さまにご紹介できなくて残念です。
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この旅行記へのコメント (21)
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- 琉球熱さん 2022/01/11 23:57:26
- 今だからこそ
- pedaruさん、こんにちは
私の旅行記に投票いただき、ありがとうございます
言論の自由、これこそが最も大切なもの
これが危機に晒され始めると、その先にはきっとかつての国家レベルの過ちが待っている・・・と私は思います
そして今のこの国に、その心配はないのか? 「ない」と断言、私はできません
「考え過ぎ」という人もいます、「言論の自由」を曲解(それも意図的に)する輩もいます
実に面倒臭い世の中です
同時に言えるのは、かつての志士たちのように国家を論じる為政者が皆無に近いということ
改めて色々考えるきっかけをいただきました
感謝です
---------琉球熱--------
- pedaruさん からの返信 2022/01/12 06:36:01
- Re: 今だからこそ
- 琉球熱さん お久しぶりです。
拙い旅行記においで下さりありがとうごさいます。
今だに発展途上の国では、暴力で政権を奪うなどと言うことがありますが、同じ暴挙でも、民間の広告専門会社を手先に使い、国民を洗脳するやり方には我慢がなりません。今の日本でもこの手法で世論を動かしていますね。
小泉内閣の時、お笑い芸人などを使って、高額所得者の所得税がいかに高いか、と言う話を盛り上げ、税率を下げるための宣伝に利用していました。
こんな様子ですから、日本のマスコミも保身のためなら、なんでもしそうです、戦争でさえも、為政者の思惑で、これは聖戦だと宣伝に努めれば、たちまちその波は一方に突き進んで行くと危惧しています。地球温暖化防止の錦の御旗のもと、原発を推進する力が大きくなっています。金儲けのためなら、そして今が良ければ、という考えが大きくなっている気がします。
旅行記から脱線してしまいました、お許しください。
pedaru
-
- 旅猫さん 2021/12/29 11:09:13
- 小塚原
- pedaruさん、こんにちは。
千住界隈を巡られたのですね。
下町らしい、風情のある木造の民家が今でも残り、良い感じですね。
首切り地蔵は、一度だけ観たことがあります。
夕暮れ時に訪れたので、とても不気味でした。
小塚原の刑場で処刑されたのは、殺人、強盗、贋金造り、放火、詐欺などの犯罪者でした。
ちなみに、幕末の4年間で処刑されたのは500人未満と結構少なかったみたいです。
そう言えば、円通寺も訪れたことがあります。
黒門を観るためでしたが、弾痕が多く、戦いの激しさが想像できたのを覚えています。
彰義隊も色々言われていますが、負けたため、悪く書かれることが多いですね。
歴史では、負けたものが悪く伝えられるのは常。
事実が捻じ曲げられてしまうので、そのまま鵜呑みにはできませんね。
街歩きは、歴史に思いを馳せるのが楽しいです。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2021/12/30 06:28:04
- RE: 小塚原
旅猫さん おはようございます。
やはり、旅猫さんは既に千住界隈を訪問済みでしたか、さすがです。
古地図で見ると、あの辺は家が一軒もなく、ほとんど原野のようですから、街道を歩く人はこわかったでしょうね。
いまでは、たとえ泥棒でも人殺しでも、有名なら墓など建てていますが、当時は罪人の墓など建てることは許されなかったことと思います。思想犯などが処刑されたのはやりきれませんね、いまでも某国では普通にまかり通っているようですが。
円通寺は由緒ある寺院ですが、金ぴかの観音様にはがっかりしました。一時代の決定で残ってしまうのは残念です。街歩きは地味な旅行の形態ですが、たのしいですね。
よいお年をお迎えください。
pedaru
-
- 前日光さん 2021/12/17 18:24:06
- 知りませんでした!
- 師匠の目の手術のことも、小塚原が南千住にあったことも。
こんばんは、師匠。
もう退院されましたか?
2泊3日の入院&手術ということは、今日退院のはずですよね?
いえいえ、返信はいりませんので、そのうちにお知らせ下さいね。
さて小塚原刑場跡、若い人の墓標が目立ちますね?
20万人もの人が処刑されたとは。。。
政治犯に思想犯、義賊も含まれて、墓標は彼らの声なき声を伝えているようですね。
円通寺の門の弾痕跡が生々しいですね。
彰義隊の少年たちは、後進国の若者が西洋の先進的な武器によって倒されたということになりますね。
戦とは、いつの時代にも痛ましさだけが残りますね。
素戔雄神社の神楽殿では、今でも「八岐大蛇」が舞われているのでしょうか?
気になります。
もしそうだったら見てみたいです。
ふるさと文化館の庶民の住宅、撮影禁止で残念でしたね。
写真で見るだけでなく、実際に見に来なさいということでしょうか?
前日光
- pedaruさん からの返信 2021/12/19 07:49:24
- RE: 知りませんでした!
前日光さん おはようございます。
加齢とともに白内障は避けて通れないと言われています。黄色く濁った水晶体が澄んだ透明な目に代わるのですから、眼帯を外した時の驚きは格別です。「この白い紙は本当の白なんだろうか?」と疑問が湧くほどです。
今まで漠然と東京を見てきましたが、どんな小さなところでも、必ず歴史があって、私たちの身近に知っていることと出会います.東武伊勢崎で田舎に帰るときは、必ず北千住を通りますが、途中下車をすれば、名倉堂や森医院(森鷗外)なども見られるとは知りませんでした。
円通寺の弾のあと、生々しいですね。自分の命が一番大切ということが、教えられず、純粋な若者が為政者のために犠牲になっていくというのは悲しいことです。たった80年前でさえも、美辞麗句でおだてられた若者が犠牲になったのですから。
ふるさと文化館の住宅の復元は、とてもよく出来ていました。監視員も見学者もいませんが、禁止の掟は破れません。皆さんに見てもらいたかっただけに撮影禁止は残念です。
各地で雪の便り、急に寒くなりました。お体大切に
pedaru
-
- ふわっくまさん 2021/12/16 07:28:33
- すさのお神社・・
- pedaruさん、おはようございます。
昨日白内障の手術をされたそうで、具合はいかがでしょうか・・
秋晴れの日に延命地蔵や煌びやかな(!)円通寺など、東京街歩き⇒充実されていましたね。
すさのお神社で瑞光石の光が見えたようで、目の調子が快復されることが予期されたように思いました。
返信は不要です、どうかお大事になさってくださいね。
ふわっくま
- pedaruさん からの返信 2021/12/19 07:13:09
- RE: すさのお神社・・
ふわっくまさん おはようございます。
手術で入院して印象的なのは、患者がわがままなのと、女性の看護師さんがとっても優しいことでした。
一番困ったことは毎回出てくる食事のご飯が、普段食べてる量の3倍くらいありました。
でも考えてみれば、旅館で食べるのと同じくらいですから、特殊ではありません。私が特殊で全く少量なのです。ご飯を半分に減らしてもらえますか?といったところ、はい、いいですよ。と気持ちよく承知してくださいましたが、相変わらず、たくさん来て、無理して全部たべました。習慣で米粒一つも残さないのが日常です。
ギリシャで現地ツアーに参加した時、魚料理が出ましたが、そのとき、小骨迄すっかり食べ分けて、きれいに食べ終わりました。隣の白人の女性が驚いて、「なんてきれいに食べるんだ!」と感嘆の声をあげていました。・・・・くだらない話をしました。
すさのお神社の瑞光石の光が見えたというのはフィクションです。すみません。
来年もよろしくお願いいたします。
pedaru
-
- フィーコさん 2021/12/15 23:32:47
- 鼠小僧の墓
- pedaru師匠 こんばんは。
白内障の手術、お疲れ様です。
目の手術は必ず次の日診察があるので日帰りだと次の日外来へ行かなければならないから
友人達はわざわざお泊り手術をされる人も多いですよ。
家近くの国立はお泊まりです。
国立だから???
鼠小僧のお墓 私も見に行ったな~ と。
でも千住あたりではなかったような?
両国回向院にもあったのですね。
私が行ったのはそっちでした。
小塚原のも行ってみようっと思います。
フィーコ
- pedaruさん からの返信 2021/12/19 06:48:18
- RE: 鼠小僧の墓
フィーコさん おはようございます。
白内障の手術は無事成功しました。思えば家族と水盃を交わして入院しましたが、天は我を見捨てなかった。命も無事で明るい光が戻ってきました。感動の涙で打ち震えております。
って、大げさすぎですね。
手術の前日は暇で、暇で、スマホを見過ぎて、目の調子が悪くなりそうでした(馬鹿だ)。
鼠小僧治郎吉の墓は両国回向院にもあるそうですね。墓石をおっ欠いて持っていくものが絶えない、そこで新たに墓石をそれ用に建てたそうですね。石のかけらは、博打などのツキを呼ぶといわれているそうです。
この両国回向院は行倒れ、罪人、震災などの無縁の人を受け入れて埋葬し、菩提を弔ったそうですね。そういえば回向院の分院が市川市にありますが、実は何年か前、我が家もここに墓を買いました。えっ?怪しい?違いますよー、私は打ち首になるようなことはやってませんよー(汗)。
pedaru
-
- 万歩計さん 2021/12/15 22:46:07
- 小塚っ原の墓巡り
- pedaruさん、こんばん。
小塚っ原の墓巡りとはまたユニーク。当時罪人は百把一絡げに扱われたんですね。裏の歴史探訪も面白いですね。次は鈴ヶ森を探検してきてください。
私も江戸の下町が好きで色々歩きましたが、残念ながら写真が殆ど残っていません。
万歩計
- pedaruさん からの返信 2021/12/19 06:24:43
- RE: 小塚っ原の墓巡り
万歩計さん おはようございます。
小塚原刑場跡がここにあります、と言うだけでなく、墓石の文字を辿ると、いろいろのことが分かってくるのは楽しいですね。
無名の青年かと思っていたら、ウィキペディアで調べると、水戸藩士で憂国の士であったりします。
小塚原刑場だけ見て鈴ヶ森を見ないのは片手落ちですね。いつか、死者の霊に呼ばれて行くことがあるやもしれません。
今年もたのしいやりとりをありがとうございました。
pedaru
-
- チーママ散歩さん 2021/12/15 08:05:07
- おはようございます
- 師匠おはようございます。
朝から思いお話ですみません。
言論の自由がないなんて。
この4トラで真っ先に打ち首になりそうな私です。
罪人ならともかく・・・理不尽な時代があったのですね
そんな血なまぐさい現場に師匠はお出かけになられたのですね
つくばエクスプレスもその下を通っておりますが。
そんなの聞くとちょっと怖くなりますね
工事の時はいろいろ出たんじゃないのかななんて。
いつもの面白動画ブログからガラリと変わった電動ペダルシリーズが始まりましたね。
都内も違った観点からズバリと斬るご意見番師匠の旅行記が楽しみです。
あ、言論の自由は今は大丈夫ですものね。(^_-)-☆
今年も残すところあとわずかになりましたね。
楽しい1年でございました。
お体に気を付けて楽しいクリスマスお正月をお過ごしくださいませ。
ありがとうございました。
- チーママ散歩さん からの返信 2021/12/15 20:44:16
- お大事になさって下さい。
- 今知りました。
入院なさっているようですね。
白内障の手術とはいえ心配しております。
退院後も画面の光などよろしくないと思うので、
コメント返しはお気になさらず安静になさって下さい。
今年も沢山お話しくださり楽しかったです。
ありがとうございました。
また、来年もよろしくお願いします。
- pedaruさん からの返信 2021/12/19 06:09:27
- RE: おはようございます
チーママ散歩さん おはようございます。
今日は娘の家でクリスマスパーティーをするから来てね、と言う誘いで老妻を連れて、というか連れられて(笑)行くことになっております。
小塚原刑場跡が南千住にあったとは知りませんでしたが、墓石の名前を見て、昔の人は命がけで国の在り方を考え、刑場の露と消えて行ったとは、勇気ある行為、あるいは潔いとも感じられます。死んだ人は20歳代の人が多いですね。
>ガラリと変わった電動ペダルシリーズが始まりましたね。
シリーズとして命名いただいて嬉しいです、あの世からお迎えが来るまで続きそうです(笑)。ずばり切りたくなるのは、神社仏閣、キリスト教も例外ではないですが、ここには言論の自由があるかどうか心配です。
良い年をお迎えください! ちょっと早いかな?
pedaru
-
- cheriko330さん 2021/12/15 02:47:24
- 正に歴史散歩・*:+.。.☆
- pedaruさん、こんばんは☆彡
再開後、第2弾ですね。お天気にも恵まれて今回も電動アシストでスイスイと
軽快で良いですね。墨田川にスカイツリー、絵になりますね。
このエリアに住んでいたこともありますが、知っていることもあれば
知らないことも多くて、勉強させていただきました。今の日本に生まれて
良かったけど、世界中が平和だと良いのですが……
イチョウに桜の落ち葉の演出は、もちろんお茶目なpedaruさんかしら?
最後に荒川ふるさと文化館で、伝統芸能や伝統の技もご覧になられて、
pedaruさんも、素晴らしい技をお持ちなんですよね。
お忙しいでしょうから、どうぞお返事はお気にせずに。どうぞお大事に
なさってくださいね。
cheriko330
- pedaruさん からの返信 2021/12/15 05:59:56
- RE: 正に歴史散歩・*:+.。.☆
cheriko330さん おはようございます。
今日は白内障の手術です。白内障の手術は近ごろでは、日帰りが多くて、入院することは少ないのですが、この病院は慎重なのか、遅れているのか、2泊3日で入院します。
しかも国立病院のせいか、入院時の書類が多くてやっと書き終わりました。
それまでの時間を4トラベルを見ています。cherikoさんへの返信も間に合いました。
東京の下町は土地が高いせいか、何処の家も狭い敷地にくっつくように建っていて、それでも草花が好きで、家の前の道路にはみ出して植木鉢などを置いて、楽しんでいます。
路地などは必ずこういう風景ですね。とっても平和な世界と言う感じです。80年前はこういう平和が無い時代でした。私も南方戦線で戦いました。って嘘です。
有名な名所ではなくても、歩いてみると(自転車ですが)新しい発見があって、どんな町でも面白い歴史があるものだなぁと思います。今後はしばらくは東京の歴史を紐解きながら、
回ってみようと思っております。
pedaru
-
- norisaさん 2021/12/14 06:31:25
- 立派な学者や思想家が首を切られーー
- pedaru師匠
おはようございます。
この日も良い天気でしたね。
電動アシスト自転車に乗る美の伝道者、pedaru師匠、絵になります!?(笑)
さて、江戸時代は時期にもよりますが、そこそこ言論の自由はあったような気がしますが、この幕末は真逆でしたね。
立派な学者や思想家が首を切られ、という一節に集約されます。
pedaruさんも危なかったですね、この時代に生まれたら(苦笑)
多くのお墓も印象的ですが、この弾痕は歴史を語っていますね。
無残に無くなった若い方々の無念さがうかがえます。
古い民家の二階の手すり、これもなつかしいですね。
最後の撮影禁止の庶民の住宅、これはさらに見たかったです。
どうして撮影禁止なのでしょう??
norisa
- pedaruさん からの返信 2021/12/14 07:16:54
- RE: 立派な学者や思想家が首を切られーー
norisaさん おはようございます。
美の伝道者、なんと返せばいいのか、しばらく考えてしまいました。自転車にのぼりをはためかせ、アイスキャンディーを売る姿は似合いますが、美の伝道やキャリスト教の伝道は
得意ではありません。もしかしたら、電動と伝道をかけましたか?
言論の自由のない時代、影響力のあるnorisa教授こそ、危なかったですよ、正しいことを言うだけで、獄門貼り付け、洒落になりません。
荒川区のふるさと文化館の昭和30年代の民家、良く再現されていました。箱形のテレビジョンなどが置かれていました。なぜ撮影禁止なのか、直接来てくれと言う趣旨か、細っ腹な荒川区でした。でも100円の入場料は安い、しかも消費税サービスですと。
pedaru
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- hot chocolateさん 2021/12/14 00:46:01
- 小塚原回向院
- pedaruさま
こんばんは。
「小塚原」の処刑場の名は知っていても、それがどこにあるか、知りませんでした。
20万人もの人が処刑されたとは。
犯罪人が処刑されるのは仕方ないにしても、学者や思想家も処刑されるとは、
少し前の日本は、どこぞの国と同じではありませんか。
それにしても、吉田松陰や鼠小僧次郎吉や高橋お傳などの著名人!のお墓もあるとは、「小塚原回向院」、おそるべし・・・
「向島百花園」は行ったことがあるし、隅田川散策もしたことはありますが、はて、南千住、北千住は、いつも通り過ぎるだけだったのかな?
hot choco
- pedaruさん からの返信 2021/12/14 06:38:01
- RE: 小塚原回向院
hot chocolateさん おはようございます。
故郷へ行くときは東武伊勢崎線で北千住は必ず通るのですが、あの小塚原刑場が南千住駅の近く、というか駅の場所がそうだとは知りませんでした。
江戸時代の地図を見ると、全くの原野ですね。小さく「仕置き場」とだけ書いてあります。
日光街道を歩く旅人はこの仕置き場のそばを通ると、怖かったでしょうね。
太平洋戦争中は思想犯が拷問されたり、殺されたりした歴史があります。戦争に反対を唱えるだけで、非国民などとして、獄門晒し首になりました。って、それはないかっ。
向島百花園は歴史ある庭園ですが、入ったことはありません、この時は時間が早すぎて閉門していました。いつかは行ってみたいと思っております。
東京は意外なところに有名な名所があります。電動アシスト自転車でお出かけしませんか?
pedaru
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