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その日は私の人生で大きな転換を迎える日だった。浅草橋駅西口を降りて、ちいさな問屋や事務所ふうの建物が居並ぶ下町の道を歩くと、何の特徴もない木造モルタルの窓に鉄格子のはまったのだけが印象にのこる家に着いた。<br /><br />「どうぞ、たいらにしてください」緊張する私に膝を崩すようにすすめた。<br />落語に出てくるような江戸弁で、この家の主人は仕事の内容を簡単に話した。話が世間話に及ぶと、「この家からもニコライ堂が見えたんですがね、<br />今じゃ大きなビルが建っちまいましてねぇ」などと話した。<br /><br />アトリエに案内されて、仕事道具などを見せてもらって愕然とした、タイムスリップしたかのような江戸時代の飾り職の使う工具ばかりだった。<br />私のいた田舎の工房ではコンプレッサー、穴をあけるボール盤、地金を延ばすローラー、型をつかうためのプレス機など、一通りは使っていたが、<br /><br />ここでは、畳敷きの上に、胡坐をかいて座り、分厚いケヤキの10cmはあろうかという板でつくられた座り机の前で、職人が作業をしていた。<br />ロウ付けという溶接にはガスの炎にゴム管の端をくわえて、自らの息を調節しながら非常に繊細な仕事をしていた。地金に穴をあけるのを見ると、トンボとよばれるろくろを手で回していた。歴史の教科書で見た、縄文時代の人が火をおこすのに用いた、くるくる手で回す十文字の形の道具と同じものなのだ。しかも穴をあけるドリル刃は超硬のツイストドリルは使わず、縫い針をなまして潰し、矢じりの形にヤスリで削って作ったものである。<br />金やプラチナの地金を適正な形や厚みにするために、金床の上に乗せた地金を、熱で赤くしながら金づちでたたいて整形していた。刀鍛冶かっ。<br />私が一人前になって独立したら、最新の工具でアトリエを埋め尽くしてやる、と決心した。<br /><br />しかし、出来上がった作品は素晴らしいものだった。今まで見たことのない繊細で優美なそして高価な宝石が使われていた。<br /><br />この日から修行の毎日が始まった。厳しい師匠、意地悪な兄弟子、こんな修行の世界を覚悟して入門した。しかし、それらは杞憂にすぎなかった、親切になんでも指導してくれる兄弟子、新米の弟子を尊重する丁寧な言葉遣い、<br />さすが都会の人たちは違うなぁ、などと感心したりした。<br /><br /><br />参考図書 東京都の歴史散歩 山川出版社

修行時代に住んだ町はどうなったかな? 東京歴史散歩 ⑯ 浅草橋

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2022/06/25 - 2022/06/25

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pedaru

pedaruさん

その日は私の人生で大きな転換を迎える日だった。浅草橋駅西口を降りて、ちいさな問屋や事務所ふうの建物が居並ぶ下町の道を歩くと、何の特徴もない木造モルタルの窓に鉄格子のはまったのだけが印象にのこる家に着いた。

「どうぞ、たいらにしてください」緊張する私に膝を崩すようにすすめた。
落語に出てくるような江戸弁で、この家の主人は仕事の内容を簡単に話した。話が世間話に及ぶと、「この家からもニコライ堂が見えたんですがね、
今じゃ大きなビルが建っちまいましてねぇ」などと話した。

アトリエに案内されて、仕事道具などを見せてもらって愕然とした、タイムスリップしたかのような江戸時代の飾り職の使う工具ばかりだった。
私のいた田舎の工房ではコンプレッサー、穴をあけるボール盤、地金を延ばすローラー、型をつかうためのプレス機など、一通りは使っていたが、

ここでは、畳敷きの上に、胡坐をかいて座り、分厚いケヤキの10cmはあろうかという板でつくられた座り机の前で、職人が作業をしていた。
ロウ付けという溶接にはガスの炎にゴム管の端をくわえて、自らの息を調節しながら非常に繊細な仕事をしていた。地金に穴をあけるのを見ると、トンボとよばれるろくろを手で回していた。歴史の教科書で見た、縄文時代の人が火をおこすのに用いた、くるくる手で回す十文字の形の道具と同じものなのだ。しかも穴をあけるドリル刃は超硬のツイストドリルは使わず、縫い針をなまして潰し、矢じりの形にヤスリで削って作ったものである。
金やプラチナの地金を適正な形や厚みにするために、金床の上に乗せた地金を、熱で赤くしながら金づちでたたいて整形していた。刀鍛冶かっ。
私が一人前になって独立したら、最新の工具でアトリエを埋め尽くしてやる、と決心した。

しかし、出来上がった作品は素晴らしいものだった。今まで見たことのない繊細で優美なそして高価な宝石が使われていた。

この日から修行の毎日が始まった。厳しい師匠、意地悪な兄弟子、こんな修行の世界を覚悟して入門した。しかし、それらは杞憂にすぎなかった、親切になんでも指導してくれる兄弟子、新米の弟子を尊重する丁寧な言葉遣い、
さすが都会の人たちは違うなぁ、などと感心したりした。


参考図書 東京都の歴史散歩 山川出版社

同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 蔵前橋から厩橋が見えます。

    蔵前橋から厩橋が見えます。

  • 河川敷と呼んでいいのか分かりませんが綺麗に整備されて公園となっております。

    河川敷と呼んでいいのか分かりませんが綺麗に整備されて公園となっております。

  • 蔵前橋の説明のある石碑がありました。<br /><br />江戸幕府の米蔵があったことから蔵前といい、現在の橋は昭和2年に竣工されました。<br />

    蔵前橋の説明のある石碑がありました。

    江戸幕府の米蔵があったことから蔵前といい、現在の橋は昭和2年に竣工されました。

  • 首尾の松の碑<br />蔵前橋のたもとに形の良い松の木があり、吉原通いの船の目印になったといいます。<br />側面を見ると、この碑は明治45年に設置されたようです。<br />

    首尾の松の碑
    蔵前橋のたもとに形の良い松の木があり、吉原通いの船の目印になったといいます。
    側面を見ると、この碑は明治45年に設置されたようです。

  • 「浅草御蔵跡」の碑があります。<br />この一帯2万7900坪が江戸幕府の米蔵でした。<br />寛永年間には蔵の数は54棟、御蔵米は常時120万俵にのぼったといわれます。

    「浅草御蔵跡」の碑があります。
    この一帯2万7900坪が江戸幕府の米蔵でした。
    寛永年間には蔵の数は54棟、御蔵米は常時120万俵にのぼったといわれます。

  • 蔵前警察署を曲がると「榊神社」があります。

    蔵前警察署を曲がると「榊神社」があります。

  • 都会の真ん中ながら人影は見えません。

    都会の真ん中ながら人影は見えません。

  • 懐かしい井戸がありました。

    懐かしい井戸がありました。

  • 「浅草文庫」の碑が立っています。<br />1874年(明治7)湯島書籍館の図書14万冊を移し公開しました。<br />1882年、施設は上野公園に移され、上野図書館となりました。<br />現在は国際こども図書館となっております。<br />明治時代の石碑は漢文で書かれているのが多いですね。読める人が何人いたでしょうか?このpedaruでさえも読めません(笑)訂正、pedaruだから当然読めません。

    「浅草文庫」の碑が立っています。
    1874年(明治7)湯島書籍館の図書14万冊を移し公開しました。
    1882年、施設は上野公園に移され、上野図書館となりました。
    現在は国際こども図書館となっております。
    明治時代の石碑は漢文で書かれているのが多いですね。読める人が何人いたでしょうか?このpedaruでさえも読めません(笑)訂正、pedaruだから当然読めません。

  • 神社の名前にちなんで、絵馬は榊の絵になっております。

    神社の名前にちなんで、絵馬は榊の絵になっております。

  • 浅草橋駅に向かっていくと人形で有名な「久月総本店」がありました。

    浅草橋駅に向かっていくと人形で有名な「久月総本店」がありました。

  • 美しい人形が飾られたショーウィンドウです。<br /><br />「お父さん、人形は顔がいのちなの?」真剣な顔をして息子が訊いてきた頃を<br />思い出しました。CMで良く聞きましたね、「人形は顔が命」子供にとっては<br />聞き捨てならぬ言葉だったのでしょう。

    美しい人形が飾られたショーウィンドウです。

    「お父さん、人形は顔がいのちなの?」真剣な顔をして息子が訊いてきた頃を
    思い出しました。CMで良く聞きましたね、「人形は顔が命」子供にとっては
    聞き捨てならぬ言葉だったのでしょう。

  • 「石塚稲荷神社」火伏の神社です。<br />ここは柳橋、柳橋藝妓組合 柳橋料亭組合 の名前が柱に掘られています。

    「石塚稲荷神社」火伏の神社です。
    ここは柳橋、柳橋藝妓組合 柳橋料亭組合 の名前が柱に掘られています。

  • 「柳橋」神田川に懸かる鉄橋、昭和4年に竣工されました。<br /><br />柳橋は江戸中期から人に知られて、花街として賑わいを見せていました。<br />橋のほとりに柳が植えられていたことから、柳橋と呼ばれたようです。

    「柳橋」神田川に懸かる鉄橋、昭和4年に竣工されました。

    柳橋は江戸中期から人に知られて、花街として賑わいを見せていました。
    橋のほとりに柳が植えられていたことから、柳橋と呼ばれたようです。

  • 付近に小さな神社がありました。

    付近に小さな神社がありました。

  • その隣は廃屋があり、建物は粋な作りになっております。<br />かっては繁盛した料亭だったかもしれません。栄枯盛衰です。

    その隣は廃屋があり、建物は粋な作りになっております。
    かっては繁盛した料亭だったかもしれません。栄枯盛衰です。

  • 主に隅田川を遊覧する観光船ですが、和風の雰囲気で中で宴会をしながら遊覧するのでしょうか?釣り船もあります。

    主に隅田川を遊覧する観光船ですが、和風の雰囲気で中で宴会をしながら遊覧するのでしょうか?釣り船もあります。

  • 柳橋のたもとには橋の由来などが書かれた碑がありました。

    柳橋のたもとには橋の由来などが書かれた碑がありました。

  • すこし川を遡ると浅草橋がありました。

    すこし川を遡ると浅草橋がありました。

  • 隅田川の遊覧船てこんなところに溜まっているのですね。船溜まりというくらいですから。

    隅田川の遊覧船てこんなところに溜まっているのですね。船溜まりというくらいですから。

  • 車道と歩道の狭い間になにやら表示板があります。

    車道と歩道の狭い間になにやら表示板があります。

  • 両国広小路の案内です。江戸の華といわれた火事と喧嘩、喧嘩はともかくとして<br />火事では多くの人が死んだり、また家が焼けました。<br />橋の西詰は火除け地となり両国広小路と呼ばれました。上野広小路などもおなじみの名前ですね。

    両国広小路の案内です。江戸の華といわれた火事と喧嘩、喧嘩はともかくとして
    火事では多くの人が死んだり、また家が焼けました。
    橋の西詰は火除け地となり両国広小路と呼ばれました。上野広小路などもおなじみの名前ですね。

  • 浅草橋南詰め西側一帯には江戸時代初期より、関東天領の行政、訴訟を担当した<br />関東郡代の郡代屋敷があったとさ。<br />その標識がこれです。

    浅草橋南詰め西側一帯には江戸時代初期より、関東天領の行政、訴訟を担当した
    関東郡代の郡代屋敷があったとさ。
    その標識がこれです。

  • 1636年(寛永13年)江戸城外曲輪門の1つとして、浅草橋の南詰に枡形門(<br />浅草御門)が設けられ、浅草見附が置かれました。<br />3000石以上の旗本が勤番を命せられたとさ。<br />浅草見附跡碑は橋の北詰西側に建っています。

    1636年(寛永13年)江戸城外曲輪門の1つとして、浅草橋の南詰に枡形門(
    浅草御門)が設けられ、浅草見附が置かれました。
    3000石以上の旗本が勤番を命せられたとさ。
    浅草見附跡碑は橋の北詰西側に建っています。

  • すぐそばに天然石のアクセサリーを売る店がありました。<br />派手なテントです。

    すぐそばに天然石のアクセサリーを売る店がありました。
    派手なテントです。

  • 店頭には、インドやスリランカなどから輸入したブレスレット、ネックレスなど<br />安価なものが売られてます。信じられない安さです。いったい加工賃はいくらなの?

    店頭には、インドやスリランカなどから輸入したブレスレット、ネックレスなど
    安価なものが売られてます。信じられない安さです。いったい加工賃はいくらなの?

  • 懐かしい浅草橋駅西口はこの先です。ガード下は食べ物屋や文房具の問屋などになっています。

    懐かしい浅草橋駅西口はこの先です。ガード下は食べ物屋や文房具の問屋などになっています。

  • ああ、ここ、よく利用した駅です。

    ああ、ここ、よく利用した駅です。

  • 線路沿いは狭い道にびっしりと商店が並んでいます。<br />もう、知っている店なんてないなぁ。

    線路沿いは狭い道にびっしりと商店が並んでいます。
    もう、知っている店なんてないなぁ。

  • もしかしたら昔の家がそのままの形であるかもしれません。<br />無計画にこの辺をぐるぐる回ってみましょう。

    もしかしたら昔の家がそのままの形であるかもしれません。
    無計画にこの辺をぐるぐる回ってみましょう。

  • 懐かしい感じはするけど、知らない家ばかりですね。<br />私が居たのはこんな感じの家なんだけど・・・・道はもっと狭かったかな?

    懐かしい感じはするけど、知らない家ばかりですね。
    私が居たのはこんな感じの家なんだけど・・・・道はもっと狭かったかな?

  • あの窓から外を見ると、道を挟んだ家が見えて、毎朝、クラッシク音楽が<br />いつも聞こえていたなぁ。<br />

    あの窓から外を見ると、道を挟んだ家が見えて、毎朝、クラッシク音楽が
    いつも聞こえていたなぁ。

  • うーん、木造モルタル造りで、二階はこんな風な窓があって、鉄の手すりがあった。<br />よく似てるけど、違うなあ、<br />住所を覚えていないなんて、探せないのは当然だよ。

    うーん、木造モルタル造りで、二階はこんな風な窓があって、鉄の手すりがあった。
    よく似てるけど、違うなあ、
    住所を覚えていないなんて、探せないのは当然だよ。

  • えーっ?こんなレトロな建物が近所にあったなんて、いったい何を見ていたんだろう?<br />ガイドブックによればこの近くに旧躋寿館の跡(せいじゅかん)があるという。行ったり来たり、<br />探しても分かりません。

    えーっ?こんなレトロな建物が近所にあったなんて、いったい何を見ていたんだろう?
    ガイドブックによればこの近くに旧躋寿館の跡(せいじゅかん)があるという。行ったり来たり、
    探しても分かりません。

  • もう一度基準になる美倉橋のところまで戻って探しましたが、とうとう見つかりませんでした。<br />躋寿館は明和2年に建てられた医学校で東京大学の前身となりました。当時の医学は師弟関係の中で伝授されていましたが、学校の創設により誰にでも医学を志す人に門戸を開放したのです。その立役者は幕府の奥医師、多紀元孝でした。

    もう一度基準になる美倉橋のところまで戻って探しましたが、とうとう見つかりませんでした。
    躋寿館は明和2年に建てられた医学校で東京大学の前身となりました。当時の医学は師弟関係の中で伝授されていましたが、学校の創設により誰にでも医学を志す人に門戸を開放したのです。その立役者は幕府の奥医師、多紀元孝でした。

  • 「蓬莱園跡」の石碑があります。今は柳北公園と 忍ヶ丘 高校となっています。<br />この一帯は長崎平戸藩の松浦氏の藩邸跡で庭園蓬莱園は江戸時代後期築造の名園として知られていましたとさ。<br /><br />

    「蓬莱園跡」の石碑があります。今は柳北公園と 忍ヶ丘 高校となっています。
    この一帯は長崎平戸藩の松浦氏の藩邸跡で庭園蓬莱園は江戸時代後期築造の名園として知られていましたとさ。

  • 高校の庭には蓬莱園を想像させるような巨木がありました。

    高校の庭には蓬莱園を想像させるような巨木がありました。

  • お洒落な建物があると思ったら、キリスト教のたてものでした。<br />「カトリック浅草教会」です。

    お洒落な建物があると思ったら、キリスト教のたてものでした。
    「カトリック浅草教会」です。

  • 鳥越神社に寄ります。<br />息子がまだ小さいとき、よくこの神社に来て、鳩と遊んだものです。<br />この近くに、貴金属の会社があって、用事で行くのですが、子供が喜ぶ<br />のが嬉しくて良く連れてきたものです。

    鳥越神社に寄ります。
    息子がまだ小さいとき、よくこの神社に来て、鳩と遊んだものです。
    この近くに、貴金属の会社があって、用事で行くのですが、子供が喜ぶ
    のが嬉しくて良く連れてきたものです。

  • 鳥越神社は千貫神輿で知られた祭礼や茅の輪くぐり、正月のどんど焼きの行事で有名です。<br />平安時代、源頼義の奥州下向の際、鳥が飛び立って入り江を教え、渡河を成功させたことから鳥越の名が生まれたそうです。

    鳥越神社は千貫神輿で知られた祭礼や茅の輪くぐり、正月のどんど焼きの行事で有名です。
    平安時代、源頼義の奥州下向の際、鳥が飛び立って入り江を教え、渡河を成功させたことから鳥越の名が生まれたそうです。

  • 江戸道りと蔵前橋道りの交わる一画にしょぼい場所があり、貧弱な植木と、さえない植え込みがあり、ベンチひとつもない公園もどきの場所があります。<br />ここが、1782年(天明2)に創設された天文台「頒暦調所」(ばんれきしらべしょ)があったところです。<br />天文方高橋至時の門弟である伊能忠敬は深川黒江町から歩測しながら通ったといいます。

    江戸道りと蔵前橋道りの交わる一画にしょぼい場所があり、貧弱な植木と、さえない植え込みがあり、ベンチひとつもない公園もどきの場所があります。
    ここが、1782年(天明2)に創設された天文台「頒暦調所」(ばんれきしらべしょ)があったところです。
    天文方高橋至時の門弟である伊能忠敬は深川黒江町から歩測しながら通ったといいます。

  • 蔵前橋通りに面したビルの一階のショーウィンドウにはこの会社の<br />製品が、誇らしげに展示してありました。

    蔵前橋通りに面したビルの一階のショーウィンドウにはこの会社の
    製品が、誇らしげに展示してありました。

  • 前回の小さな博物館でも紹介した美錠が展示してあります。

    前回の小さな博物館でも紹介した美錠が展示してあります。

  • 30年位前に訪れたことがある「おかず横丁」が近くにあるので寄ってみました。<br />商店街の入り口には看板が出ています。<br />30年前でもかなりレトロな商店街でしたが、今はどうでしょうか?

    30年位前に訪れたことがある「おかず横丁」が近くにあるので寄ってみました。
    商店街の入り口には看板が出ています。
    30年前でもかなりレトロな商店街でしたが、今はどうでしょうか?

  • 日差しが強い上に、買い物の時間帯ではないので、買い物客は買い無です、いや皆無です。

    日差しが強い上に、買い物の時間帯ではないので、買い物客は買い無です、いや皆無です。

  • https://www.youtube.com/watch?v=iVfB7W-tbh0

    https://www.youtube.com/watch?v=iVfB7W-tbh0

  • おかずよこちょう くらまえ と おかちまち の中間にあるそうです。<br />商店街として努力の跡がみえますね。

    おかずよこちょう くらまえ と おかちまち の中間にあるそうです。
    商店街として努力の跡がみえますね。

  • 超ふるい家もありますが、その隣では、手すりに布団など干しているという<br />のどかな雰囲気です。

    超ふるい家もありますが、その隣では、手すりに布団など干しているという
    のどかな雰囲気です。

  • 老舗の貫禄のある店は健在でした。

    老舗の貫禄のある店は健在でした。

  • 八百花という金文字の立派な看板文字だけが、繁栄の過去を物語っている気がしました。

    八百花という金文字の立派な看板文字だけが、繁栄の過去を物語っている気がしました。

  • 西福寺 江戸浄土宗四カ寺の随一で松平西福寺とも呼ばれました。もとは三河の国にありましたが、徳川家康とともに江戸の移りました。家康の側室お竹の方(武田信玄の娘竹姫)の菩提寺となった名刹です。

    西福寺 江戸浄土宗四カ寺の随一で松平西福寺とも呼ばれました。もとは三河の国にありましたが、徳川家康とともに江戸の移りました。家康の側室お竹の方(武田信玄の娘竹姫)の菩提寺となった名刹です。

  • 寺の一角に浮世絵師勝川春章の墓があります。<br />役者絵に写実的な新傾向を打ち出して人気を得ました。<br />葛飾北斎は若いころ春章の門人となり勝川春朗を名乗っていましたとさ。

    寺の一角に浮世絵師勝川春章の墓があります。
    役者絵に写実的な新傾向を打ち出して人気を得ました。
    葛飾北斎は若いころ春章の門人となり勝川春朗を名乗っていましたとさ。

  • これも誰かの墓かとおもったら、記念碑でした。<br />育英小学校発祥の地 明治2年最初の小学校です。通うのは旧大名、旗本とその家臣の子弟だったそうな。

    これも誰かの墓かとおもったら、記念碑でした。
    育英小学校発祥の地 明治2年最初の小学校です。通うのは旧大名、旗本とその家臣の子弟だったそうな。

  • 浄念寺には「新編武蔵風土記稿」などを編纂した三島政行の墓があるというので探しましたが、表示板もなく探せませんでした。<br />しかし、墓地を入ってすぐ、横綱の千代乃山の墓がありました。<br />子供の頃、相撲をやると、私は背が高かったので、千代乃山と呼ばれたりしました。

    浄念寺には「新編武蔵風土記稿」などを編纂した三島政行の墓があるというので探しましたが、表示板もなく探せませんでした。
    しかし、墓地を入ってすぐ、横綱の千代乃山の墓がありました。
    子供の頃、相撲をやると、私は背が高かったので、千代乃山と呼ばれたりしました。

  • 気になる墓石もありました。それは「に組」と彫られた墓石です。<br />江戸火消しの棟梁だった人かもしれませんね。

    気になる墓石もありました。それは「に組」と彫られた墓石です。
    江戸火消しの棟梁だった人かもしれませんね。

  • 龍宝寺には初代柄井川柳(からいせんりゅう)の墓がありました。<br />川柳を独立した文芸のあらたなジャンルとして確立させた人物です。<br />石碑には柄井川柳辞世「木枯や 跡で芽をふけ 川柳(かわやなぎ)」とあります。<br />

    龍宝寺には初代柄井川柳(からいせんりゅう)の墓がありました。
    川柳を独立した文芸のあらたなジャンルとして確立させた人物です。
    石碑には柄井川柳辞世「木枯や 跡で芽をふけ 川柳(かわやなぎ)」とあります。

  • この辺の寺はことごとく戦災で焼失したので、コンクリート造りのものが多いですね。風情は全く感じられません。

    この辺の寺はことごとく戦災で焼失したので、コンクリート造りのものが多いですね。風情は全く感じられません。

  • この「榧寺(かやでら)」は葛飾北斎も描いているような有名な寺です。<br />昔寺の境内は榧木が鬱蒼と茂っておりましたが、火事の際、この榧木が寺宝を<br />守ったということからこう呼ばれるようになったとさ。

    この「榧寺(かやでら)」は葛飾北斎も描いているような有名な寺です。
    昔寺の境内は榧木が鬱蒼と茂っておりましたが、火事の際、この榧木が寺宝を
    守ったということからこう呼ばれるようになったとさ。

  • 境内の石碑を守るため立派な囲いが作られております。<br />寺には国学者であり狂歌師の石川雅望の墓があります。狂歌師としての号は<br />「宿屋飯盛」やどやのめしもりです。<br />このほか浮世絵師石川豊信、洋画家安井曽太郎、ジャーナリストの長谷川如是閑、横綱安芸ノ海ら著名人が多く葬られています。

    境内の石碑を守るため立派な囲いが作られております。
    寺には国学者であり狂歌師の石川雅望の墓があります。狂歌師としての号は
    「宿屋飯盛」やどやのめしもりです。
    このほか浮世絵師石川豊信、洋画家安井曽太郎、ジャーナリストの長谷川如是閑、横綱安芸ノ海ら著名人が多く葬られています。

  • から浜のある日本庭園がありました。

    から浜のある日本庭園がありました。

  • 厩橋(うまやばし)を渡って家路につきます。

    厩橋(うまやばし)を渡って家路につきます。

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この旅行記へのコメント (19)

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  • わんぱく大将さん 2022/09/27 18:47:03
    結局修行時代の場所は?
    pedaruさん

    で、修行場所はわからなかったんですね。 なかなか昔を残してる所は少ないですよ。きれいにすればいいってもんじゃないのですがね。

    おかず横丁、動画の進むスピードが速かったので、どうも自転車の進み具合だなと思ったら、老舗の貫禄のあるお店のガラスにどうもpedaruさんらしい方が写ってた?エリザベス女王の国葬の時は1分間に75拍のビートで歩かなければいけなかったらしいですが、106頭の馬もよく調教されてましたね。馬にはゆっくり過ぎるビート。

    おかず横丁、店先のカエルの置物は何屋さん。 思わず薬屋さんかと思いましたが、どうもコルゲンコーワではないような??

    ”人形は顔が命” スペイン人に言うてきかせてやってください。 毎年買ってたうんこ人形の顔の目が、どうも手抜きで。 ひょこいがんでる顔も多しです。

    浅草文庫の碑。読めないんじゃなくて、見えないんですが。。。ほほほ

     大将

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/09/28 05:27:20
    Re: 結局修行時代の場所は?
    大将さん おはようございます

    おかず横丁は以前にも来ましたが、あのうらぶれた感じがいいですね。
    下町の人はフレンドリーですから、おしゃべりしながら買い物を楽しんでいるようです。コンビニとは正反対の形態ですね。
    店のガラスに映った人影、確かにあれは私の影です、新しい白の自転車ででかけましたから、しかし、よく見つけましたねー。油断しておりました。

    いつも思うのですよ、映ったわが姿をみるたび、こんな男ではないはずだ、
    もっと若くて、ハンサムなはずだと・・・花の色は移りにけりな・・・と
    思うのは女性ばかりではありません。

    あの緑色の蛙は、ケロちゃんではありませんね。動画を見直して存在に気づきました。大将さん、目のつけどころが普通の人とは違いますね。

    pedaru

    わんぱく大将

    わんぱく大将さん からの返信 2022/09/30 22:07:20
    Re: 結局修行時代の場所は?
    pedaruさん

    はい、目の付け所? 目は普通に顔についてるのですが、ちょっと白内障。

     大将
  • 前日光さん 2022/08/23 23:44:52
    修業時代の師匠って。。。(@_@)
    こんばんは、師匠!
    師匠にも修業時代があったのですね?
    しかも昔ながらの修行のように厳しいものではなくて、下町の厚い人情に支えられた指導だったようで。。
    木造モルタル、鉄の手摺りのついた二階の部屋、こんな感じの所にお住まいだったのですね?
    今ではすっかりベテランの技術者?なのでしょうか?( ・∀・)
    私は自慢じゃございませんが、手先がものすごく不器用、モノを作り出すことはまずできません。
    運動神経の発達した人と毛先が器用な人には、羨望と共に尊敬の念を抱いております。
    引退してから陶芸にハマるという人がよくいらっしゃいますが、私は間違ってもそういう道には進めないと思っています(^^;)

    さて柳橋や浅草見附跡の碑などが登場していますが、私もこの界隈、特に柳橋などには、2008年に訪れております。
    所々同じような場所の写真があって、懐かしいです。
    その時の旅行記は↓です。
    https://4travel.jp/travelogue/10293242

    ずいぶん大昔になりますが、あの辺りは江戸情緒がありますよね!
    東京町歩きをするなら、こういう所を歩いてみたいという場所です。
    大都会東京のビル群を眺めていると疎外感を感じますが、東京の下町は、昔は東京も田舎だったんだという思いを呼び起こされ、ホッとします。
    師匠の東京歴史散歩は、昔ながらの江戸の風情が残る場所が多いので、東京への親近感さえ湧いてきます。
    このシリーズ、楽しみにしております(^_^)v


    前日光

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/08/27 12:17:32
    Re: 修業時代の師匠って。。。(@_@)
    前日光さん こんにちは

    このところパソコンの調子が悪くて、お返事が遅くなりました。電波の状況が悪くて、ネットができないのです。例によって、貧乏性ですから、パソコンの電波はテザリングといって、スマホから電波を飛ばして、パソコンは無料でつかっておりましたが、安い分だけ、調子が悪くなったのです。

    私が4トラベルに入る前に、すでに浅草橋周辺を歩かれていたのですね。
    ほとんど同じ写真を拝見しました。
    掲示板にコメントを入れる人たちは、今でも健在で、皆さんそれぞれ独自の党を率いていらっしゃいます(笑)。
    長い付き合いですね。少しずつ脱落していくのが世の習い、でもいまでも
    私が知っている方が活躍してますね。

    自分は不器用だと決め付けてますが、逆になまじ器用なのは、貧乏をしているのは器用貧乏というように、ほんとのことだと思います。家の修理など素人ながら、なんでもやります。ですから、傍からみると、いかにも器量貧乏の主人が居るのだろう、と思われちゃいます。先日、ユニディで網戸の車を買い、取り付けたところ、いままで何十年もガタピシしてたものが、スムースに動き、その度に幸せをかみ締めています(笑)。

    私の修行時代は、仕事場とトイレを掃除するくらいで、つらいことはありませんでした。私がいた家はどこかわからなくなりましたが、古い家などみると、いろいろ思い出すこともあります。
    当時、今と同じ感覚でしたら、色々見ておくんだったなどと思いますが、関心のあるのは、仕事と、女性だけでした(笑)。

    コロナ禍で仕方なく東京を歩いておりますが、奈良や出雲もほんとは、行きたいのです。前日光さんの掲示板には猫旅さんがコメントしていますね。猫旅さんは、街歩きの達人ですから、同じようなところを歩くと、身の縮む思いです。お互い、マイペースで続けるのが、長続きのコツでしょうね。

    pedaru


  • 万歩計さん 2022/08/17 18:34:19
    下町情緒
     pedaruさん、こんばんわ。

     冒頭の書き出し、pedaruさんのことかと思いました。そうかpedaruさんの本業は職人さんだったのか、と。何時もこの調子で肩透かしを食います(笑)。

     それは別として下町はいいですね。下町には職人が似合います。それと鳥越神社とおかず横丁。私が愛してやまない浅田次郎さんの「天切り松 闇かたり」シリーズの舞台です。ここに住むのは「目細の安吉」を親分とする義賊たち。美しい江戸弁を使う彼らは、自分たちのことを盗人ではなく「職人」と思っています。

     東京から久しぶりに孫たちが帰省ました。

     「孫帰り 疲労回復 要三日」

      万歩計

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/08/18 06:03:18
    Re: 下町情緒
    万歩計さん おはようございます

    見事な川柳を読ませていただきました。くしくも当旅行記で初代柄井川柳の墓を紹介しました。万歩計さんは川柳さんのお弟子さんですか?
    歳とともに疲労の回復は遅くなりますね(笑)。

    かの義賊たちは自分たちを職人と思っているのですか?それは、私たち職人が自分を義賊だと思っているのと同じです(笑)。訳の分からぬことを言っています。浅田次郎の作品は、読後余韻の残るものが多いですね。(少ししか読んでいませんが)

    pedaru
  • cheriko330さん 2022/08/14 19:04:22
    懐かしい思い出☆・゚:*
    pedaruさん、こんばんは☆

    昨日の台風は、風雨強くて大変でしたね。福岡は相変わずに水不足です。
    先日は当方の掲示板で思わず、いつものpedaru画伯って書きましたが
    pedaruカメラマンの間違いでした。すみません。奥様の写真の旅行記は
    本当に傑作でした。そういえば、最近絵は描かれていないのでしょうか?

    pedaruさんが、歴史散歩をしてくださるので、知らない東京を色々と
    拝見できます。今回は懐かしい修業時代の場所を探す目的もおあり
    でしたが、周りが変わり過ぎて残念でした。私も以前に住んでいた
    ところが、どうなっているか?懐かしくて訪れたことがあります。
    pedaruさん、どのくらいの間こちらで修業されていたのですか?
    浅草橋は以前、ビーズなどを買い求めに行っていました。
    東京は、どんどん変わりますね。また次回の歴史散歩を楽しみに
    しています。そうそう、この旅行記がアップの朝、そろそろ新作が
    できているのでは?と朝、おじゃましたらまだでしたが、その直後に
    投稿されたようです。また勘をきかせておじゃましますね。
    残暑厳しき折、ご自愛くださいね。

     cheriko330

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/08/16 05:48:53
    Re: 懐かしい思い出☆・゚:*
    cheriko330さん おはようございます

    お盆なので何日間か連休しています。あっという間に今日で休暇はおわりです。休み中にやりたいことがあり、やりかけの観音様の木彫りを完成させようと思っていましたが、手にすることもなくまた放置になりそうです。

    庭の松の手入れは一本だけ完了間近ですが、暑くて連続では熱中症になりそうです。

    さて、美人の湯にたっぷり浸かったcherikoさん、まぶしいですよー。

    歴史散歩を楽しみにしているとのお言葉、たいへん励みになります。
    時間があれば毎週いきたいところですが、この暑さでは敵いません。
    気候のご機嫌をうかがいながら、出かけたいと思います。

    私の東京での修行時代はたった3年間でしたが、10年分くらいの密度で励みました、なんちゃって、自慢しすぎです。
    田舎の友達が上京してきて、今日会いたいというので、師匠に伺いをたてたところ、例え2時間でも、みんなが働いているとき、自分だけ早退していいものか、自分で判断しなさい。と冷たく言われ、暗に許可はしない、という態度でしたが、無視して出かけたことを思い出しました。

    歴史散歩は今のところあと一遍だけありますので、勘を働かせて一番でご覧ください(笑)。

    pedaru
  • 白い華さん 2022/08/13 04:24:57
    『実家!の 周辺』なのに、私の 知らないコト・・いっぱい。
    お早う御座います。
    pedaruさんが、私の 実家!周辺(蔵前。浅草橋 周辺)を 散策してきた。
    との お話!を 
    とても、楽しく・・拝見しました。

    旅行記に 登場する・・それぞれ!の 場所。は
    ここも。あそこ・・も「通過するだけ・・で 見てる。知って」は いました。が、

    pedaruさんの 解説付き!で
    「いろいろな お寺!には、歴史ある・・人物が 眠っていたり」と 聞く。と
    「へぇ~。けっこう、スゴいんだ」とか
    (『西福寺』が、武田信玄の 娘!竹姫とか・・)
    とても、興味深く、勉強に なりました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    この周辺は『浅草』の 隣町・・で「寺社仏閣」も 多かったりしますよね。

    今は「(都会!で コンクリート寺造り・・しか、認可されないとか)の お寺ばかり」です。が
    大昔から「栄えた! 浅草近く」なので、
    改めて『歴史のある! 街歩き』が 楽しめたこと。と 思います。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    でも、私・・なんか。は
    あまりにも・・身近過ぎる。ので 「通過する・・だけ」に 陥りがち。(笑)
    滅多に 行かれない。と 物珍しさ!に 有り難み・・も あったりして
    「いろいろ、勉強して・・お出掛けしよう」と なります。が

    当たり前!に「すぐ・・側!に ある」と
    「有り難み」って 解らない。って ありますヨネ。(苦笑)
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    「隅田川!沿い・・の 遊歩道」は『隅田川 テラス』って いうんだそう。
    先日、テレビ『新 美の巨人』で『隅田川 テラス』を 30分間、紹介してくれて
    勉強に なりました。

    『柳橋』の 辺り!も
    元 料亭・・の 古民家が 残っていたり。また、屋形船!の 集積地だったり。で
    風情が ありますヨネ。

    今も、実家には
    「90代!の 両親。姉一家が 同じ・・ビルに、住んでいる」ので
    こんな・・素敵な 身近・旅。
    「再発見!の お散歩」を (訪問)ついで・・に、してみたくなりました。(笑)
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    『群馬』から 出てきたばかり・・の pedaruさんが、若かりし・・時代。
    「浅草橋駅! 西口」周辺が 思い出!の 修行地・・とのこと。

    今回は「思い出!の 痕跡」は 発見出来ませんデシタ。が
    「近辺!の 当時・・の 様子」を 考えながら・・歩く。って
    「ワクワク & ドキドキの 答え合わせ!・・の (昔の)イマジネーション旅」って 感じ。で
    「行って・・良かったのでは?」と 思ったりしました。

    そして、師匠。兄貴・・など。
    「若かった! 修行時代・・が 一瞬で 思い浮かんだ」のが、伝わりました。
    皆さん、いい~ 人ばかり・・で 良かったデスネ。

    『東京 下町・・の この辺り』って
    「私の 故郷!なんだなぁ~」と 改めて・・思わせてくれる「旅行記」でした。
    有難う御座います。
       これからもよろしくお願いします。 

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/08/14 07:30:51
    Re: 『実家!の 周辺』なのに、私の 知らないコト・・いっぱい。
    白い華さん おはようございます

    この旅行記はまず、華さんを思い浮かべながら書きました。なのででたらめは書けません。地元をよく知る人だからです。

    ご両親が健在なら、昔の土地柄のことも聞くことができますね。今では浅草橋〇丁目などと呼んでますが、昔は向柳原町などと呼んだり、鳥越神社の前の道には都電が走っていましたよね。銭湯もたくさんあって、帝国湯とかいうのもありました。

    浅草橋は仕事でときどき行きますが、シモジマなどで買い物をします。
    だいぶ前のことですが、鳥越神社の向かい辺りに紙の問屋があり、兄にたのまれ、拓本につかう大きな紙を買いに行ったこともあります。

    ご実家に帰られたとき、散歩代わりに歩いてみるのも、新しい発見があるかもしれませんよ。

    pedaru
  • Decoさん 2022/08/12 20:09:28
    下町散策
    pedaruさん、こんばんは。

    冒頭の若かりし頃の思い出がとても印象深く、その雰囲気を思い浮かべながら旅行記を拝見しました。
    今はビルばかりになった東京ですが、船溜まりがあったり、昔からの商店があったり、廃屋になった料亭があったり…よく探せば昔の生活の痕跡を感じさせるものがあるのですね。
    昔住まわれた場所を探すくだりは、ひときわ感動しました。風景も昔ながらのものが残っていますが、pedaruさんの修業時代を思い起こすような感覚が伝わってくるようでした。お住まいだった場所が見つからなくて残念だったかも知れないし、もしかしたら見つからなかったことで、昔の思い出がそのまま心の中で生き続けるのかも知れませんね(勝手なことを書いてすいません)。

    職人の世界、私は身を置いたことはありませんが、比較的近くで見る職場にいたこともありました。職種によって様々に思えますが、職場の先輩を「兄さん、姉さん」と呼んでるところもあって、独特の文化があって、やっぱりその世界に入って仕事をして生きていくのは大変かも知れない、と思いました。
    修業時代の師匠や先輩に恵まれたそうで、本当に良かったと思います。でも、人間関係は互いがあってのものだから、pedaruさんの人柄もあっての良い関係だったのだろうと思います。
    私も振り返って、親切で丁寧に教えていただいた先生や先輩もいれば、そうでない人たちもいました。でも、後の時代になるにつれて、後輩がちゃんと仕事ができるように丁寧に指導することも、上司に求められるように変化していったと思います(一概には言えませんが)。pedaruさんの修業時代のお話をうかがって、立場が違っても人間同士、互いの人格を尊重することが大切なのかなと、感じました。
                                 Deco

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/08/14 07:11:22
    Re: 下町散策
    Decoさん おはようございます

    Decoさんがフォローしてくださっているのに気づかず、失礼しました。
    お返しと言っては何ですが、私もフォローさせていただきました。

    新人の弟子の私は今思えば、鼻持ちならぬ増長した男でした。兄弟子より腕がいいとかいい気になっていた気がします。そんな私でも良くしてくれた兄弟子には今では感謝しきれません。

    住所もうろ覚えで家を探すのは無謀です。近所の佇まいはしっかり覚えていたつもりでしたが、すっかり変わっていました。
    家の近くにはリヤカーに段ボールを積んで集めに来る浮浪者のおじさんがいました。ときどき挨拶をしてお話をしました。若さゆえ偏見もなかったのでしょう、彼は喜んでいろんな話をしてくれました。「タタキをしちゃったから、まともな仕事にはつけないからね」などと言っていました。若い私には意味が分かりませんでしたが、タタキとは隠語で強盗や窃盗をいみする語であると知りました。彼は自戒の気持ちと、少しの自慢を含めて言ったのだと思います。

    あまり思い出すこともなかった、青春時代、旅行記をきっかけに懐かしく思い出すことができました。

    pedaru
  • fuzzさん 2022/08/12 18:57:49
    ノスタルジック・メモリー
    pedaruさん、こんばんは☆

    お盆で明日明後日の二日間、墓参りなのに雨降りです。
    そちら方面は台風が来るとか・・・
    いやですねー

    今回の旅行記は、pedaruさんの思い出の地を巡る旅でしたね。
    若かりしpedaruさんの姿が浮かんできそう。若い時って、何かを頑張る修行の時代が各々に内容は違ってもありますね。
    その時代があっての今ですから。

    若いって人生の宝だなーって柄にもなくノスタルジックな気持ちになりました。

    fuzz

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/08/14 05:43:30
    Re: ノスタルジック・メモリー
    fuzzさん おはようございます

    浅草橋にいたころ、日曜日というとほとんどの店がシャッターを下ろし、
    ゴーストタウンのような町でした。これって、ほとんど問屋さんだったから
    かもしれません。
    ですから、何一つ目を引くものはなくて、つまらない町でした。思い出すのは毎晩行った銭湯ですが、ここにはかわいい娘さんが働いておりました。中学を出たての女の子でしたので、湯上りにコーヒー牛乳を彼女から直接買うのが楽しみでしたね(笑)。
    この地で修業した3年間は人生で一番充実した時期でした。

    >若いって人生の宝だなーって柄にもなくノスタルジックな気持ちになりました。
    fuzzさんの若い時って、あれだけの美貌ですから、あこがれた男性の数は
    想像がつきません。・・・若いって人生の宝だなーっ

    pedaru
  • チーママ散歩さん 2022/08/12 12:48:18
    今は昔。
    師匠こんにちは。
    浅草橋で修行されたのですか。
    たまにお相撲さんもそぞろ歩きする
    風情ある街並みですね。

    師匠や兄弟子たちの厳しいいじめがあった
    時代なんですね。
    今は昔 匠の技と伝統を守る職人がありけり。
    昔は技は盗むもの。
    寡黙な職人の一挙手一投足を見過ごすな。
    なんだか厳しいドラマの世界。
    機会化が進みそんな風景も少なくなりましたね。
    そんな中、師匠の修行時代は優しい人に
    恵まれてよかったですね。
    今の新人さんは平気で言います。
    「聞いてませんけどお」

    大分当時とは街並みも変わったと思います。
    おかず横丁。いいですね。
    人が買い無ですが、夕方にはおかみさんとか
    でてくるのでしょうね。
    顔を合わせて会話のある商店街っていいですね。
    変わって欲しくないですね。










    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/08/13 06:29:22
    RE: 今は昔。

    チーママ散歩さん おはようございます

    昔の職人の世界は、あまり褒められたものではありません。合理的な
    考えに基づいていないのです。教えず、技を盗め?けちけちするなっ
    教わったほうが早く上達します。
    しかし、道理なこともあります、教えてもらえないと、なんとしても
    覚えたい、という気持ちが強くなります。教えすぎると、満腹なのにこれ以上
    食べられない、というのに似ているところもあります。教えるのもほどほどが
    正しいところもあります。

    一生のうちで希望に燃えて、毎日が生き生きとしていた時代、それが修行時代
    でもあります。物を作るのが子供のころから大好きでしたから、つらいと思ったことは
    ありませんね。歳を取った今でも、毎日作業机に向かっております。

    おかず横丁、前に訪れたときは、電気屋さんのショーウィンドウにきれいな猫ちゃんが
    すまして外を見ていました。スーパーマーケットも便利でいいですが、店の人とおしゃべりをしながらお買い物も、いいところありますね。

    pedaru
  • norisaさん 2022/08/12 09:38:05
    親切な方々ー-
    pedaruさん

    おはようございます。
    ふわっくまさんその他伏兵いぬまに息せき切って書きます(苦笑)

    なるほど、昔だったら兄弟子とかはイジメの権化。
    今のpedaru師匠は存在しなかったかもしれませんね。
    が、さすが首都東京、そんな旧弊もなく親切だったわけですか。

    さて、浅草橋とか浅草見附、このあたりほとんど未踏です。
    しかし、街並みを拝見していると期待通りレトロな雰囲気にあふれています。
    この付近は戦災、東京大空襲などでは無傷だったようですね。
    もうじき終戦記念日ですが、戦争を知らない世代の指導者たちが戦争を画策する、そんな日本になってほしくないですね。
    確かに周囲は台湾以外は反日、領土拡大主義国ばかりですがー--。

    norisa

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2022/08/13 06:08:09
    RE: 親切な方々ー?

    norisaさん おはようございます

    伏兵はほとんど女性が多いかと思われます。女性の方々は、皆さん筆達者で、名文家がおおいですから、なかなか彼女らを抑えて一番乗りは困難ですね。

    振り返ってみれば、いい人たちに恵まれたと思う反面、新人なのに、生意気なところがあって、不愉快な思いをさせたのではないかと、反省することも多いこの頃です。
    師匠の奥さんはとても心のきれいな人でしたが、体が弱くて、兄弟子や女中さんが肩をもんでいたりしました。私にも揉んでもらいたかった様子でしたが、
    「あんまをしに来たのではない、技術を習いに来たのだ、」という気持ちが強いので、気づかないふりをして無視しておりました。
    弟子が奥さんの肩をもむなんて、当たり前の時代でしたからね。それから見ると、可愛くない弟子だったのです。

    本所も蔵前も、浅草橋あたりもみな焼夷弾で焼け野原だったようです。墨田区の京島ふきんは奇跡的に免れたそうです。まちがあって、そこには人が住み、それぞれドラマがあって、仲良く暮らしていた。それを承知で、なんということを・・・・日本も立場が逆なら同じことをやったでしょうがね。

    終戦記念日を前にして、ウクライナ問題もあり、日本人も真剣に国防を考える時が来たと思います。

    pedaru

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