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東京そぞろの18回目は、墨東の東向島から向島へと歩く。梅が見頃を迎えている向島百花園での寒梅が目的だが、そのまま南へと向かい、下町情緒の残る向島界隈を歩き、浅草駅へと抜けることにした。<br /><br />(2026.03.03 投稿)

東京そぞろ 其の18 墨東向島界隈

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2026/02/23 - 2026/02/23

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旅行記グループ 東京そぞろ

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東京そぞろの18回目は、墨東の東向島から向島へと歩く。梅が見頃を迎えている向島百花園での寒梅が目的だが、そのまま南へと向かい、下町情緒の残る向島界隈を歩き、浅草駅へと抜けることにした。

(2026.03.03 投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
  • 地元の駅から乗った列車は、上野駅の地平ホームへと入った。子供の頃から親しんだ地平ホームは、終着駅らしい風情が漂い好きである。かつて、この季節には、東北や北陸各地から、雪まみれの列車が次々と到着し、旅情を掻き立てられたものである。

    地元の駅から乗った列車は、上野駅の地平ホームへと入った。子供の頃から親しんだ地平ホームは、終着駅らしい風情が漂い好きである。かつて、この季節には、東北や北陸各地から、雪まみれの列車が次々と到着し、旅情を掻き立てられたものである。

  • 改修中の中央改札を通り、銀座線の改札へと向かう。昭和六十年に平山郁夫画伯により制作されたステンドグラス『ふる里 日本の華』も修復中であった。銀座線の改札へと向かう通路は、かつての面影を残しながら改装されていて、なかなか趣がある。

    改修中の中央改札を通り、銀座線の改札へと向かう。昭和六十年に平山郁夫画伯により制作されたステンドグラス『ふる里 日本の華』も修復中であった。銀座線の改札へと向かう通路は、かつての面影を残しながら改装されていて、なかなか趣がある。

  • 銀座線の上野駅も、薄暗さが無くなり、綺麗になっている。いつも混み合っているホームだが、ふと人気が無くなる一瞬もある。

    銀座線の上野駅も、薄暗さが無くなり、綺麗になっている。いつも混み合っているホームだが、ふと人気が無くなる一瞬もある。

  • 外国人観光客の多い銀座線に乗り、終点の浅草駅で下車。東武線の浅草駅への連絡通路を進むと、渋い立ち食い蕎麦屋がある。『文殊』である。人気の店で、客が絶えることは無い。

    外国人観光客の多い銀座線に乗り、終点の浅草駅で下車。東武線の浅草駅への連絡通路を進むと、渋い立ち食い蕎麦屋がある。『文殊』である。人気の店で、客が絶えることは無い。

    文殊 浅草店 グルメ・レストラン

  • 東武浅草駅は、昭和6年(1931)に開業した百貨店併設の駅である。松屋の入る駅ビルは、平成24年(2012)に、開業当時の姿に復元されている。ホームには、先日乗ったスペーシアXとスペーシアが仲良く並んでいた。

    東武浅草駅は、昭和6年(1931)に開業した百貨店併設の駅である。松屋の入る駅ビルは、平成24年(2012)に、開業当時の姿に復元されている。ホームには、先日乗ったスペーシアXとスペーシアが仲良く並んでいた。

  • 9時3分発の区間準急に乗り、東向島駅へと向かう。浅草駅を出た列車は、すぐに大きく曲がり、隅田川をゆっくりと渡って行く。そこから見える景色は、なかなか良いものである。下流側には、昭和6年(1931)に架け変えられた吾妻橋と、その奥に、駒形橋と、修繕工事中の厩橋も見える。

    9時3分発の区間準急に乗り、東向島駅へと向かう。浅草駅を出た列車は、すぐに大きく曲がり、隅田川をゆっくりと渡って行く。そこから見える景色は、なかなか良いものである。下流側には、昭和6年(1931)に架け変えられた吾妻橋と、その奥に、駒形橋と、修繕工事中の厩橋も見える。

  • 隅田川を渡ると、とうきょうスカイツリー駅に着く。この駅は、かつて業平橋と呼ばれていた。業平橋は、江戸時代に大横川に架けられた橋で、駅名は近くにあるその橋に由来していた。かつての駅名の方が歴史的な風情があったので、今の駅名は非常に残念である。なお、地名としての業平橋は、在原業平の墓と云われた業平塚に因んでいる。曳舟駅を過ぎ、10分足らずで東向島駅に着いた。

    隅田川を渡ると、とうきょうスカイツリー駅に着く。この駅は、かつて業平橋と呼ばれていた。業平橋は、江戸時代に大横川に架けられた橋で、駅名は近くにあるその橋に由来していた。かつての駅名の方が歴史的な風情があったので、今の駅名は非常に残念である。なお、地名としての業平橋は、在原業平の墓と云われた業平塚に因んでいる。曳舟駅を過ぎ、10分足らずで東向島駅に着いた。

  • 東向島駅に降り立つのは初めてである。改札を出て、向島百花園の方へと歩いて行くと、懐かしい列車が置かれていた。かつての東武特急である。1990年に日光霧降高原を訪れた際、この列車に乗ったことを思い出す。

    東向島駅に降り立つのは初めてである。改札を出て、向島百花園の方へと歩いて行くと、懐かしい列車が置かれていた。かつての東武特急である。1990年に日光霧降高原を訪れた際、この列車に乗ったことを思い出す。

  • その奥に、先日東武日光駅前で観たものと同じ色をした電車が置かれていた。説明版を読むと、やはり日光軌道線の車両であった。この駅には、東武鉄道の歴史を展示する東武博物館があったが、開館は10時であった。機会があれば、次回訪れてみたい。

    その奥に、先日東武日光駅前で観たものと同じ色をした電車が置かれていた。説明版を読むと、やはり日光軌道線の車両であった。この駅には、東武鉄道の歴史を展示する東武博物館があったが、開館は10時であった。機会があれば、次回訪れてみたい。

  • 10分ほどで、向島百花園に着いた。開園直後だったので、比較的空いている。向島百花園は、江戸時代に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢により造られた庭園である。

    10分ほどで、向島百花園に着いた。開園直後だったので、比較的空いている。向島百花園は、江戸時代に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢により造られた庭園である。

    向島百花園 公園・植物園

  • 入ってすぐの所に、春の七草が展示されていた。

    入ってすぐの所に、春の七草が展示されていた。

  • 四季を通して花が咲くことで知られるが、中でも秋の萩が有名で、竹で組まれた萩のトンネルも設けられている。

    四季を通して花が咲くことで知られるが、中でも秋の萩が有名で、竹で組まれた萩のトンネルも設けられている。

  • この季節は、梅が主役となっている。江戸時代には、360本もあり、新梅屋敷とも呼ばれるほどであったが、現在は、約20種60本ほどだそうだ。

    この季節は、梅が主役となっている。江戸時代には、360本もあり、新梅屋敷とも呼ばれるほどであったが、現在は、約20種60本ほどだそうだ。

  • 園内では、福寿草も咲いていた。今年は観ることが出来ないだろうと思っていたので、これは嬉しい。

    園内では、福寿草も咲いていた。今年は観ることが出来ないだろうと思っていたので、これは嬉しい。

  • 水仙も、まだ咲いていた。

    水仙も、まだ咲いていた。

  • ほんのり桃色がかった梅は、ちょうど見頃で綺麗である。香りも良く、春らしさを感じる。

    ほんのり桃色がかった梅は、ちょうど見頃で綺麗である。香りも良く、春らしさを感じる。

  • 置かれていた手水鉢に花弁が浮かび、風情がある。

    置かれていた手水鉢に花弁が浮かび、風情がある。

  • 良く見ると、木瓜の花も咲いていた。

    良く見ると、木瓜の花も咲いていた。

  • 白梅は、盛りを過ぎていたが、品種によっては綺麗である。

    白梅は、盛りを過ぎていたが、品種によっては綺麗である。

  • この庭園は、文人墨客の協力で造られたことから、園内には、29もの句碑などが置かれている。

    この庭園は、文人墨客の協力で造られたことから、園内には、29もの句碑などが置かれている。

  • 池の畔では、菜の花も満開である。

    池の畔では、菜の花も満開である。

  • その池に架かる石橋からは、スカイツリーが見えた。江戸の風情が残る庭園から望むそれは、まさに悪目立ちである。

    その池に架かる石橋からは、スカイツリーが見えた。江戸の風情が残る庭園から望むそれは、まさに悪目立ちである。

  • 雪吊りのある松もあった。かつて、江戸の街では雪が多く降ったので、往時の冬の伝統を再現しているのだろう。

    雪吊りのある松もあった。かつて、江戸の街では雪が多く降ったので、往時の冬の伝統を再現しているのだろう。

  • 山茱萸は、花が綻びかけていた。

    山茱萸は、花が綻びかけていた。

  • 満作は見頃のようだ。入口近くに戻って来ると、いつの間にか多くの人で賑わっていた。空いている内に回ることが出来て良かった。

    満作は見頃のようだ。入口近くに戻って来ると、いつの間にか多くの人で賑わっていた。空いている内に回ることが出来て良かった。

  • 百花園を出て、とりあえず、西の方へと歩いて行く。すると、大通りに突き当たり、その交差点脇に小さな御堂があった。子育地蔵堂とある。歴史は古く、江戸時代の文化年間(1804~1818)に祀られたものだそうだ。十一代将軍徳川家斉が参詣したこともあるそうだ。眼病などにご利益があるそうなので、参拝した。

    百花園を出て、とりあえず、西の方へと歩いて行く。すると、大通りに突き当たり、その交差点脇に小さな御堂があった。子育地蔵堂とある。歴史は古く、江戸時代の文化年間(1804~1818)に祀られたものだそうだ。十一代将軍徳川家斉が参詣したこともあるそうだ。眼病などにご利益があるそうなので、参拝した。

  • 大通りを渡った地蔵堂の向かいに、向島艇庫村跡と言うものがあるようなので、行ってみる。そこは、かつて、隅田川で行われていたレガッタ用の船を格納する艇庫が立ち並んでいたそうだ。高度経済成長期、水質の悪化によりその風景は失われたそうだ。そのすぐ近くに、人が二、三人並んでいる店があった。『志満ん草餅』と言う和菓子屋であった。名前の通り草餅が名物のようなので、並んでみる。

    大通りを渡った地蔵堂の向かいに、向島艇庫村跡と言うものがあるようなので、行ってみる。そこは、かつて、隅田川で行われていたレガッタ用の船を格納する艇庫が立ち並んでいたそうだ。高度経済成長期、水質の悪化によりその風景は失われたそうだ。そのすぐ近くに、人が二、三人並んでいる店があった。『志満ん草餅』と言う和菓子屋であった。名前の通り草餅が名物のようなので、並んでみる。

    志満ん草餅 専門店

  • 桜餅や鶯餅なども売っていたが、やはり草餅を購入。餡無しと餡入りがあったので、両方いただいた。先ほど立ち寄った向島艇庫村跡に設けられた小さな公園の椅子に座り、早速食べてみる。濃厚な蓬の香りがする。餅は柔らかく、とても美味しい。小さな紙の袋に入ったきな粉も好印象であった。久しぶりに、美味しい草餅にありつけて嬉しい。

    桜餅や鶯餅なども売っていたが、やはり草餅を購入。餡無しと餡入りがあったので、両方いただいた。先ほど立ち寄った向島艇庫村跡に設けられた小さな公園の椅子に座り、早速食べてみる。濃厚な蓬の香りがする。餅は柔らかく、とても美味しい。小さな紙の袋に入ったきな粉も好印象であった。久しぶりに、美味しい草餅にありつけて嬉しい。

  • 大通り沿いに南へと歩いて行くと、左手に、風情のある細い道が分かれていた。入ってみると、昭和の下町の趣が色濃く残っている。『鳩の街通り商店街』と言うようだ。少し歩くと、『こぐま』と言う古民家カフェがあった。まだお昼には早いが、気になったので、そこでお昼を食べることにする。開店まで、まだ二十分ほどあるので、近くを散策することにする。

    大通り沿いに南へと歩いて行くと、左手に、風情のある細い道が分かれていた。入ってみると、昭和の下町の趣が色濃く残っている。『鳩の街通り商店街』と言うようだ。少し歩くと、『こぐま』と言う古民家カフェがあった。まだお昼には早いが、気になったので、そこでお昼を食べることにする。開店まで、まだ二十分ほどあるので、近くを散策することにする。

    鳩の街通り商店街 市場・商店街

  • 地図を見ると、近くに幸田露伴の住居跡があるので行ってみる。そこは、『露伴児童公園』と言う小さな公園となっていた。片隅に、文学碑が置かれていた。露伴は、この住居を『蝸牛庵』と名付け、多くの作品を生み出したそうである。

    地図を見ると、近くに幸田露伴の住居跡があるので行ってみる。そこは、『露伴児童公園』と言う小さな公園となっていた。片隅に、文学碑が置かれていた。露伴は、この住居を『蝸牛庵』と名付け、多くの作品を生み出したそうである。

    露伴児童遊園 公園・植物園

  • 『こぐま』に戻ると、三組並んでいた。どうみても観光とは縁遠い商店街の店に、開店前から客が並んでいるとは驚きである。

    『こぐま』に戻ると、三組並んでいた。どうみても観光とは縁遠い商店街の店に、開店前から客が並んでいるとは驚きである。

    こぐま グルメ・レストラン

  • 十一時半に開店となり、中へ入る。かつては、化粧品店だったようだ。小学校で使われていた机と椅子が客席代わりである。

    十一時半に開店となり、中へ入る。かつては、化粧品店だったようだ。小学校で使われていた机と椅子が客席代わりである。

  • 古びた柱時計が、現役で時を刻んでいる。十二時に、かなり大きな音で時を告げた。

    古びた柱時計が、現役で時を刻んでいる。十二時に、かなり大きな音で時を告げた。

  • 料理は五種類あり、その中から『ポークジンジャー丼』を注文する。要するに、生姜焼き丼である。しばらく待って出てきたそれは、食欲をそそる姿である。食べてみると、なかなか美味しい。肉は四枚載っていたが、ご飯は少なめで、上品な味わいであった。

    料理は五種類あり、その中から『ポークジンジャー丼』を注文する。要するに、生姜焼き丼である。しばらく待って出てきたそれは、食欲をそそる姿である。食べてみると、なかなか美味しい。肉は四枚載っていたが、ご飯は少なめで、上品な味わいであった。

  • 食後、珈琲とケーキを頂く。コーヒーカップは、飯能の工房で作られた店独自のものだそうだ。店名のこぐまが描かれている。ケーキは、ショコラと珈琲のタルト。苦みが程よく、大人の洋菓子であった。軽くて味わいのあるカップが気に入ったので、自宅用に購入した。今月から、家で珈琲を飲み始めたので、ちょうど良い。

    食後、珈琲とケーキを頂く。コーヒーカップは、飯能の工房で作られた店独自のものだそうだ。店名のこぐまが描かれている。ケーキは、ショコラと珈琲のタルト。苦みが程よく、大人の洋菓子であった。軽くて味わいのあるカップが気に入ったので、自宅用に購入した。今月から、家で珈琲を飲み始めたので、ちょうど良い。

  • 寛いだ後、再び商店街を散策する。祝日と言うこともあり、店の多くは閉まっていたが、とても風情のある商店街である。

    寛いだ後、再び商店街を散策する。祝日と言うこともあり、店の多くは閉まっていたが、とても風情のある商店街である。

  • 巨大な駐車場のある大規模複合商業施設が幅を利かせる今、個人商店が軒を連ねる昔ながらの商店街は寂れる一方である。個人商店での買い物は面白いと思うのだが、最近は、大手企業が展開する変わり映えの無い店の方が好かれるようだ。

    巨大な駐車場のある大規模複合商業施設が幅を利かせる今、個人商店が軒を連ねる昔ながらの商店街は寂れる一方である。個人商店での買い物は面白いと思うのだが、最近は、大手企業が展開する変わり映えの無い店の方が好かれるようだ。

  • 商店街の途中に、幼稚園があった。地図を見ると、そこはかつて、かの吉川英治が、作家となる前に住んでいた場所であった。

    商店街の途中に、幼稚園があった。地図を見ると、そこはかつて、かの吉川英治が、作家となる前に住んでいた場所であった。

  • 鳩の街商店街と言うだけあり、鳩がいる。二羽いたが、その一羽は足が片方無かった。歩くのが不自由なので、すぐにうずくまってしまう。もう一羽が、心配そうに近くに佇んでいる。近寄ると警戒されたので、つがいのようだ。心配させると悪いので、すぐに立ち去ることにした。

    鳩の街商店街と言うだけあり、鳩がいる。二羽いたが、その一羽は足が片方無かった。歩くのが不自由なので、すぐにうずくまってしまう。もう一羽が、心配そうに近くに佇んでいる。近寄ると警戒されたので、つがいのようだ。心配させると悪いので、すぐに立ち去ることにした。

  • 商店街の隣の道沿いには、平屋の民家もあった。かつての東京の下町を感じさせる佇まいである。

    商店街の隣の道沿いには、平屋の民家もあった。かつての東京の下町を感じさせる佇まいである。

  • そのすぐ近くに、榎本武揚の旧居跡もあった。箱館戦争で西軍と戦い、後に外務大臣など新政府の要職を歴任した彼が、死去するまでの最晩年を過ごした邸宅があったそうである。今は、マンションとなり、何も残っていない。

    そのすぐ近くに、榎本武揚の旧居跡もあった。箱館戦争で西軍と戦い、後に外務大臣など新政府の要職を歴任した彼が、死去するまでの最晩年を過ごした邸宅があったそうである。今は、マンションとなり、何も残っていない。

    榎本武揚旧居跡 名所・史跡

  • そこから少し南へ歩くと、墨田区立言問小学校がある。この学校の校舎と講堂は、昭和11年(1936)に建てられたもので、国の登録文化財にも指定されている。学校が立つ辺りは、佐倉藩江戸留守居役を務め、後に、森鴎外の師となり、幸田露伴を世に送り出した依田学海が居を構えていた場所だそうだ。また、十三代将軍徳川家定、十四代家茂に仕えた奥儒者成島柳北の屋敷跡でもある。

    そこから少し南へ歩くと、墨田区立言問小学校がある。この学校の校舎と講堂は、昭和11年(1936)に建てられたもので、国の登録文化財にも指定されている。学校が立つ辺りは、佐倉藩江戸留守居役を務め、後に、森鴎外の師となり、幸田露伴を世に送り出した依田学海が居を構えていた場所だそうだ。また、十三代将軍徳川家定、十四代家茂に仕えた奥儒者成島柳北の屋敷跡でもある。

  • その先には、再開発の波に呑まれていない町並みがあった。その奥には、場違いのようにスカイツリーが聳えている。

    その先には、再開発の波に呑まれていない町並みがあった。その奥には、場違いのようにスカイツリーが聳えている。

  • そこから隅田川の方へ歩くと、長命寺の北側に出る。そこでは、河津桜が満開となっていた。

    そこから隅田川の方へ歩くと、長命寺の北側に出る。そこでは、河津桜が満開となっていた。

  • 長命寺と言えば、『山本や』の桜餅である。ところが、残念ながら臨時休業であった。かつて、俳人正岡子規が三ヵ月ほど二階を借り、『月香楼』と名付けて滞在していたことがあるそうだ。

    長命寺と言えば、『山本や』の桜餅である。ところが、残念ながら臨時休業であった。かつて、俳人正岡子規が三ヵ月ほど二階を借り、『月香楼』と名付けて滞在していたことがあるそうだ。

    長命寺桜もち 専門店

  • ここまで来たので、長命寺に参詣する。江戸の頃から同じ場所に建つ寺だが、その本堂は風情が無い。

    ここまで来たので、長命寺に参詣する。江戸の頃から同じ場所に建つ寺だが、その本堂は風情が無い。

    長命寺 寺・神社・教会

  • 境内の一角に、小さな墓石が二つ残されていた。江戸時代を代表する国学者橘守部と、その養子橘冬照の墓である。旧江戸市中の寺には、江戸時代に活躍した先人たちの墓が、今でも多く残されている。

    境内の一角に、小さな墓石が二つ残されていた。江戸時代を代表する国学者橘守部と、その養子橘冬照の墓である。旧江戸市中の寺には、江戸時代に活躍した先人たちの墓が、今でも多く残されている。

  • 本堂の近くに、巨大な句碑があった。松尾芭蕉の雪見の句が刻まれている。安政五年(1858)に建てられたもので、『いさゝらハ雪見にころふ所まて』とある。

    本堂の近くに、巨大な句碑があった。松尾芭蕉の雪見の句が刻まれている。安政五年(1858)に建てられたもので、『いさゝらハ雪見にころふ所まて』とある。

    松尾芭蕉「いざさらば」の句碑 (雪見の句碑) 名所・史跡

  • 境内には、他にも多くの石碑がある。その中に、成島柳北に関するものもあった。『柳北仙史之像碑』(右)である。新政府による招聘を断り、新聞社を創設し、政府による言論弾圧を批判するなど、その事績を讃えたものである。

    境内には、他にも多くの石碑がある。その中に、成島柳北に関するものもあった。『柳北仙史之像碑』(右)である。新政府による招聘を断り、新聞社を創設し、政府による言論弾圧を批判するなど、その事績を讃えたものである。

  • 長命寺を参詣した後、すぐ隣にある言問団子で休むことにした。その手前に、隅田公園少年野球場がある。昭和24年に整備された少年たちのための野球場で、王貞治氏も、ここで練習した一人だそうだ。

    長命寺を参詣した後、すぐ隣にある言問団子で休むことにした。その手前に、隅田公園少年野球場がある。昭和24年に整備された少年たちのための野球場で、王貞治氏も、ここで練習した一人だそうだ。

    隅田公園少年野球場 名所・史跡

  • 江戸の頃から団子を提供し続けている『言問団子』で休憩。席に座ると、頼まなくても、名物の三色団子が出てくる。小豆餡、白餡、味噌餡の三種類が、串に刺さずに出てくるのが特徴である。素朴な味わいは、江戸の頃から変わらないそうだ。

    江戸の頃から団子を提供し続けている『言問団子』で休憩。席に座ると、頼まなくても、名物の三色団子が出てくる。小豆餡、白餡、味噌餡の三種類が、串に刺さずに出てくるのが特徴である。素朴な味わいは、江戸の頃から変わらないそうだ。

    言問団子 グルメ・レストラン

  • 言問団子から、隅田川沿いの道を歩いて行くと、桜が咲いていた。大寒桜のようだ。桜の名所であった墨堤は失われたが、この辺りには、墨田区によって色々な桜が植えられているのだ。

    言問団子から、隅田川沿いの道を歩いて行くと、桜が咲いていた。大寒桜のようだ。桜の名所であった墨堤は失われたが、この辺りには、墨田区によって色々な桜が植えられているのだ。

  • その近くに、石柱が立っていた。『牛嶋神社舊趾』と刻まれている。文字は、榎本武揚の筆によるものだそうだ。関東大震災の前までは、ここに牛嶋神社が鎮座していたが、震災後、隅田公園内に遷座したそうである。

    その近くに、石柱が立っていた。『牛嶋神社舊趾』と刻まれている。文字は、榎本武揚の筆によるものだそうだ。関東大震災の前までは、ここに牛嶋神社が鎮座していたが、震災後、隅田公園内に遷座したそうである。

  • その先に、浮世絵らしきものがタイルで飾られていた。何も説明が無いので、どこの風景かは分からないが、かつての墨東の風景なのだろう。今は隅田川も護岸が整備され、高速道路が走り、江戸の頃の風情はまったく感じられない。

    その先に、浮世絵らしきものがタイルで飾られていた。何も説明が無いので、どこの風景かは分からないが、かつての墨東の風景なのだろう。今は隅田川も護岸が整備され、高速道路が走り、江戸の頃の風情はまったく感じられない。

  • 川沿いを離れ、長命寺に隣接する弘福寺に立ち寄る。山門の脇に史跡案内板があったので見てみると、『淡島寒月旧居跡』とある。明治時代の趣味人で、父親が弘福寺地内に建てた隠居所を、『梵雲庵』と名付けて隠居していたそうだ。父親が実業家で大地主であったため、悠々自適な生活を送ったらしい。

    川沿いを離れ、長命寺に隣接する弘福寺に立ち寄る。山門の脇に史跡案内板があったので見てみると、『淡島寒月旧居跡』とある。明治時代の趣味人で、父親が弘福寺地内に建てた隠居所を、『梵雲庵』と名付けて隠居していたそうだ。父親が実業家で大地主であったため、悠々自適な生活を送ったらしい。

    淡島寒月旧居跡 名所・史跡

  • 山門を潜ると、思いのほか広い境内であった。どっしりとした本堂が正面にあり、大寺院のような印象を感じる。この寺も、江戸の頃からここにあるそうだ。

    山門を潜ると、思いのほか広い境内であった。どっしりとした本堂が正面にあり、大寺院のような印象を感じる。この寺も、江戸の頃からここにあるそうだ。

    弘福寺 寺・神社・教会

  • 寺の前を走る道は、見番通りと呼ばれる。弘福寺の前から少し歩くと、名前の由来となった見番がある。向島界隈は、江戸時代まで、多くの料亭や置屋などがあり、花街であった。明治以降の近代化で衰退したが、今でも都内随一の規模を誇るそうだ。その花街を管理しているのが、向嶋墨堤組合。それが、この通り沿いにある。

    寺の前を走る道は、見番通りと呼ばれる。弘福寺の前から少し歩くと、名前の由来となった見番がある。向島界隈は、江戸時代まで、多くの料亭や置屋などがあり、花街であった。明治以降の近代化で衰退したが、今でも都内随一の規模を誇るそうだ。その花街を管理しているのが、向嶋墨堤組合。それが、この通り沿いにある。

  • さらに歩くと、いかにも昭和と言った感じの建物があった。良く見ると、商店のようである。

    さらに歩くと、いかにも昭和と言った感じの建物があった。良く見ると、商店のようである。

  • 覗いてみると、煎餅屋であった。

    覗いてみると、煎餅屋であった。

  • 色々な種類の煎餅が売られている。訊けば、手焼きだそうだ。どれも美味しそうだが、磯羽衣と揚もちの海苔を購入。帰ってから食べてみたが、とても軽く、病み付きになりそうな美味しさであった。こんな店がまだ残っているとは、嬉しい限りである。

    色々な種類の煎餅が売られている。訊けば、手焼きだそうだ。どれも美味しそうだが、磯羽衣と揚もちの海苔を購入。帰ってから食べてみたが、とても軽く、病み付きになりそうな美味しさであった。こんな店がまだ残っているとは、嬉しい限りである。

  • 三囲神社が見えて来た。鬼平犯科帳の舞台にもなった社なので、迷わずに立ち寄る。この社は、弘法大師が祀った田中稲荷が起源と云われる。『三囲』の名は、白狐が三度回って消えたという縁起に因むそうだ。

    三囲神社が見えて来た。鬼平犯科帳の舞台にもなった社なので、迷わずに立ち寄る。この社は、弘法大師が祀った田中稲荷が起源と云われる。『三囲』の名は、白狐が三度回って消えたという縁起に因むそうだ。

    三囲神社 寺・神社・教会

  • 拝殿前には、稲荷が前身と言うことで、御狐様がいる。良く見ると、目尻が下がった熊のような顔をしている。この辺りでは、目尻の下がった柔和な顔の事を、『みめぐりのコンコンさんみてぇだ』と言ったそうである。

    拝殿前には、稲荷が前身と言うことで、御狐様がいる。良く見ると、目尻が下がった熊のような顔をしている。この辺りでは、目尻の下がった柔和な顔の事を、『みめぐりのコンコンさんみてぇだ』と言ったそうである。

  • 拝殿の脇に、大きな句碑が立っていた。江戸時代の著名な連歌師西山宗因の『白露や無分別なる置きどころ』が刻まれている。宗因が俳諧を始めたのは、晩年だったと言うから驚きだ。

    拝殿の脇に、大きな句碑が立っていた。江戸時代の著名な連歌師西山宗因の『白露や無分別なる置きどころ』が刻まれている。宗因が俳諧を始めたのは、晩年だったと言うから驚きだ。

  • 本殿の裏手には、大正期に活躍した俳人富田木歩の句碑もあった。『夢に見れば死もなつかしや冬木風』と刻まれている。歩行が出来なかった富田木歩は、関東大震災の際に逃げ遅れて亡くなっている。この句碑は、一周忌に、友人らが建立したものだそうだ。『大正俳壇の啄木』と言われたそうだが、彼の句に、今回初めて出会った。

    本殿の裏手には、大正期に活躍した俳人富田木歩の句碑もあった。『夢に見れば死もなつかしや冬木風』と刻まれている。歩行が出来なかった富田木歩は、関東大震災の際に逃げ遅れて亡くなっている。この句碑は、一周忌に、友人らが建立したものだそうだ。『大正俳壇の啄木』と言われたそうだが、彼の句に、今回初めて出会った。

  • 境内は結構広く、木立の中にいくつもの摂社が佇んでいる。

    境内は結構広く、木立の中にいくつもの摂社が佇んでいる。

  • その中に、『老翁老嫗像』と言う石像があった。江戸時代、白狐祠を守っていた老夫婦の像だそうだ。願い事がある人がその老婆に頼むと、狐を呼び出し、願い事を聞いた狐は、どこへともなく消えて行ったそうだ。

    その中に、『老翁老嫗像』と言う石像があった。江戸時代、白狐祠を守っていた老夫婦の像だそうだ。願い事がある人がその老婆に頼むと、狐を呼び出し、願い事を聞いた狐は、どこへともなく消えて行ったそうだ。

  • 境内に、神社に似つかわしくないライオンの像が置かれている。これは、三越池袋店にあったものである。何故ここにあるかと言うと、三井越後屋が、江戸進出の際に守護神とした縁で、移されたそうだ。

    境内に、神社に似つかわしくないライオンの像が置かれている。これは、三越池袋店にあったものである。何故ここにあるかと言うと、三井越後屋が、江戸進出の際に守護神とした縁で、移されたそうだ。

  • 梅田小学校を過ぎると、すみだ郷土文化資料館がある。この辺りに、明治から平成までを生き抜いた小説家佐多稲子が暮らしていた家があったそうだ。『私の東京地図』と言う作品には、向島界隈の事が書かれているそうなので、機会があれば読んでみたい。

    梅田小学校を過ぎると、すみだ郷土文化資料館がある。この辺りに、明治から平成までを生き抜いた小説家佐多稲子が暮らしていた家があったそうだ。『私の東京地図』と言う作品には、向島界隈の事が書かれているそうなので、機会があれば読んでみたい。

    佐多稲子旧居跡 名所・史跡

  • 資料館に入ると、三階の企画展示室は閉鎖されているとのこと。それでもせっかくなので、他の展示を観る。二階では、『すみだの昔のくらしと道具』と言う展示があり、興味深いものがあった。

    資料館に入ると、三階の企画展示室は閉鎖されているとのこと。それでもせっかくなので、他の展示を観る。二階では、『すみだの昔のくらしと道具』と言う展示があり、興味深いものがあった。

    すみだ郷土文化資料館 美術館・博物館

  • 続いて、隅田公園内に鎮座する牛嶋神社に参拝。これまで、ずっと人が少なかったのだが、公園に入った途端、別の世界に来たかのように、大勢の人で溢れ返っていた。それでも、神社の境内は静かであった。

    続いて、隅田公園内に鎮座する牛嶋神社に参拝。これまで、ずっと人が少なかったのだが、公園に入った途端、別の世界に来たかのように、大勢の人で溢れ返っていた。それでも、神社の境内は静かであった。

    牛嶋神社 寺・神社・教会

  • 隅田公園は、江戸時代、水戸徳川家の下屋敷である小梅邸があった場所。園内の池は、小梅邸の遺構である。

    隅田公園は、江戸時代、水戸徳川家の下屋敷である小梅邸があった場所。園内の池は、小梅邸の遺構である。

    隅田公園 公園・植物園

  • 大混雑する隅田公園を通り抜け、東武鉄道の鉄橋脇に設けられた『すみだリバーウォーク』を渡る。ちょうど列車がやって来た。

    大混雑する隅田公園を通り抜け、東武鉄道の鉄橋脇に設けられた『すみだリバーウォーク』を渡る。ちょうど列車がやって来た。

    すみだリバーウォーク 名所・史跡

  • 通路の上からは、隅田川が見渡せる。大川と呼ばれていた頃の面影はまったく無く、大都会の中の水路と言った感じである。

    通路の上からは、隅田川が見渡せる。大川と呼ばれていた頃の面影はまったく無く、大都会の中の水路と言った感じである。

  • 対岸に渡り振り返ると、スカイツリーが見えている。いつしか、風景に馴染み始めているようだ。とは言え、興味は無いので、一度も訪れたことは無い。今後も近寄らないだろう。

    対岸に渡り振り返ると、スカイツリーが見えている。いつしか、風景に馴染み始めているようだ。とは言え、興味は無いので、一度も訪れたことは無い。今後も近寄らないだろう。

  • 銀座線の駅に行く途中で、地下商店街を覗いてみる。そこに、地上の喧騒は無い。観光客で溢れる浅草の中で、取り残されたような地下街である。

    銀座線の駅に行く途中で、地下商店街を覗いてみる。そこに、地上の喧騒は無い。観光客で溢れる浅草の中で、取り残されたような地下街である。

    浅草地下商店街 名所・史跡

  • この地下街は、昭和三十年(1955)に開業した、最も古い地下街である。現役であり、独特な雰囲気が漂っている。

    この地下街は、昭和三十年(1955)に開業した、最も古い地下街である。現役であり、独特な雰囲気が漂っている。

  • 呑み屋も多く、早い時間からやっている。

    呑み屋も多く、早い時間からやっている。

  • 今日は、かなり歩いたので、後ろ髪を引かれながら帰ることにする。焼き鳥で一杯やりたかった。

    今日は、かなり歩いたので、後ろ髪を引かれながら帰ることにする。焼き鳥で一杯やりたかった。

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