2026/02/03 - 2026/02/03
688位(同エリア4357件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2026/02/03
-
ランチ「むうや」(東京ミズマチ):12時20分頃から
-
隅田公園内散歩:13時頃
-
牛嶋神社:13時15分頃
-
小梅稲荷神社:13時25分頃
-
「黒の牛」鑑賞
-
スカイツリー鑑賞
-
すみだ郷土文化資料館:13時40分頃
-
企画展「隅田川を詠い、梅柳山木母寺に集う」鑑賞
-
学校連携展「すみだの昔のくらしと道具」鑑賞
-
常設展「東京空襲体験画展」鑑賞
-
徒歩での移動
すみだ郷土資料館→三囲神社
-
三囲神社
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
令和8年2月3日 節分の日です。
この日は、かねてから行きたかった『すみだ郷土文化資料館』に行きました。
この近くには隅田公園もあり、散歩にはうってつけです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
隅田公園です。
桜で有名ですが、公園内には梅も咲いています。
この公園は、かつて水戸徳川家の小梅邸でした。
会合や花宴などのもてなしの場となっていました。
かつては薄暗かった公園ですが、今はきちんと整備され、芝生もあるのでピクニックにも最適です。 -
こちらは牛嶋神社です。
歴史は古く、貞観年間(859年~879年)に創建されました。
元は桜橋の近くにありましたが、大正12年(1923年)の関東大震災で罹災してしまいました。
その後は墨田堤の拡張工事もあり、昭和7年(1932年)にこちらに移転しました。 -
普通の神社には狛犬がいますが、こちらは「狛牛」です。
牛鬼を、牛頭天王と習合した須佐之男命の化身とする説もあります。 -
本殿です。
この本殿の右横に社務所があり、御朱印などもいただけます。
本殿の左右に牛神が奉納されています。
建長3年(1251年)に、牛鬼が社中を走り回り、落として行った牛玉を神宝としたという伝説も残っているようです。
牛玉は、病気を除く霊物であるという信仰があります。
この牛嶋神社は5年に1度の大祭で、本物の黒牛(神牛)が鳳輦を曳いて町内を練り歩きます。
以前実際に練り歩いている姿を拝見しました。 -
神社の内側から撮ったものです。
逆光で見えにくいのですが、こちらにも狛牛が鎮座していて、神社を見守ってくれています。 -
すぐ横には「小梅稲荷神社」があります。
-
撫牛です。
以前は牛の型の自然の石だったようです。
今では立派な撫牛です。
自分の悪い部分と同じ個所をなでると、病が治るそうです。
また、この撫牛は、体の病だけでなく、心も治ると信じられていました。
ただ、心が治るとは、どう解釈すればいいのでしょうか。
メンタル的な事でしょうか。
それとも意地悪だとか性格の悪さなどでしょうか。
ただ、後者は自分で気付かないと祈ることもできませんね。(笑)
また、子どもが生まれた折によだれかけを奉納し、これを子どもにかけると健康に成長するそうです。
第105代天皇(在位1526年~1557年)である後奈良天皇より「牛御前社」との勅号を賜わったそうです。
貞観2年(860年)に慈覚大師が、御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀したと伝えられる本所の総鎮守です。 -
こちらでは『黒の牛』が上映されていました。(15分)
2026年1月23日より映画館で上映されてます。
香港国際映画祭でグランプリを受賞しています。
下記は公式サイトです。
↓
https://alfazbetmovie.com/kuronoushi/
十牛図から着想を得た作品で、変わりゆく時代の中で、牛との出会いによって自然と繋がり自身を探す旅に出る・・・というようなストーリーになっているようです。
そして今は亡き坂本龍一氏が音楽を担当しています。
ちょっと気になるので、できたら映画も見たいです。 -
この鳥居は珍しく、三輪鳥居(三ツ鳥居)と言うそうです。
1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたもので、鳥居の1つの様式です。 -
牛嶋神社の御朱印です。
-
北側には池があります。綺麗に整備されています。
-
「穂と香(ほうじ茶ファクトリー)」
牛嶋神社の撫牛の形の米粉のうし焼きもあるようです。
ちょっと気になります。 -
冬支度しています。
-
隅田公園からのスカーツリーです。
電線もなく晴れ渡った空にスカイツリーが映えています。 -
目的地のすみだ郷土文化資料館にやって来ました。
こちらが案内です。
ちなみに、この通りを『見番通り』と言います。
向島には花街があります。昔からの料亭もあります。 -
隅田郷土文化資料館の入口です。
-
こちらは「佐多稲子の旧居住跡」です。
佐多稲子は長崎生まれですが、父と祖母と共に叔父を頼って上京しました。
尋常小学校に入ったものの、キャラメル工場で働くために学校を中退してしまいました。
その後は料亭や工場や書店で働きながら小説などを書きました。
プロレタリア文学の作家として認められました。 -
こちらは、すみだ郷土文化資料館3階です。
企画展『隅田川を詠い、梅柳山木母寺に集う』が開催中でした。
ただ入館者は私だけでした。
なお入館料は100円です。
なお、こちらは写真撮影ができませんでした。 -
写真は撮れなかったのでパンフレットを撮りました。
都鳥手鏡です。
梅柳山木母寺所蔵
この中で現在は「隅田川」と表記していますが、「角田川」となっています。
近世初頭までは武蔵と下総の国境となっていました。
古くは住田川、角田川、墨田川、また須田(すだ)川、あすだ川、染田川、浅草川、宮戸(都)川とも呼ばれました。
10世紀の後半、伊勢物語が成立しました。
在原業平が隅田川を渡る際、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」、渡し守に鳥の名を聞き、都鳥との答えに、都に残してきた人を思い、無事でいるかどうか都どりに教えてくれ、とその切なさを詠いました。 -
こちらもパンフレットの絵です。
隅田川春遊絵巻(春のみふね、文化8年(1811年))
和鼎の孫の成島司直
冷泉為村は、元文5年(1740年)、隅田川で舟遊びを行い、木母寺を舟から眺めました。
随行した成島和鼎に為久は京都から礼をこめて一首送っています。
「聞きわたるめくみも広しすミた河まれのふなちの春のあそひ」 -
歌川国芳の「源頼朝隅田川旗上着到勢揃之図」のカレンダーをいただきました。
こちらは1~6月分です。
吾妻鏡によれば、1180年8月、伊豆で挙兵した頼朝は石橋山の戦いで敗北しました。そして安房国に逃れ鎌倉を目指します。
下総から武蔵へ入り、隅田宿に布陣しました。
行軍の難所とされた隅田川です。頼朝の軍勢が終結しています。 -
歌川芳虎の「文治五年源頼朝卿奥州征伐図」はカレンダーの裏面です。
こちらは7~12月分です。
平氏を滅ぼした源頼朝は、文治5年(1189年)、奥州の藤原氏を攻め滅ぼしました。
藤原秀衡の子の西木戸国衡は、奥州軍の総大将として阿津賀志山で頼朝を迎え撃ちました。 -
2階には昔の隅田川のジオラマがありました。
パノラマになっていて、当時の賑わっている様子が再現されています。 -
こちらも2階の様子です。
ちょっと懐かしい昔の生活の様子がわかります。 -
1階に展示されていた『梅若権現御縁起』の複製です。
こちらは梅柳山木母寺所蔵です。
このすみだ郷土文化資料館より北(明治通りを超える)の東白髭公園内の一角にあるお寺です。
その木母寺に伝わる梅若伝説を描いた絵巻です。
高崎城主の安藤重治が、延宝7年(1679年)に木母寺に寄進しました。
梅若伝説は、室町時代の能「隅田川」でも有名です。
人買いにさらわれた公家の子の梅若丸とその母の悲劇を表しています。
梅若丸は隅田川のほとりで亡くなりました。
それを母親が探し求め、最終的には亡霊と再会するという悲しい物語です。
また、梅若丸が亡くなった4月15日は梅若丸の涙雨のため雨が降るという伝説があります。 -
さて、続いてやってきたのが三囲神社です。
通りを挟んだ手前には、小梅小学校があります。 -
鬼平犯科帳にも登場します。
江戸名所図によると、この神社は大川(隅田川)の堤の道を一段下がった鳥居から田圃の中を松並木の参道が東に伸びた先にあったようです。
その往時の姿も見たかったです。 -
向島歴史散策案内図です。
-
三囲神社の鳥居です。
こちらでは下乗です。下馬と書かれた社寺の境内やお城などもあります。
いずれにしても、ここからは神聖な場所です。 -
2つ目の鳥居です。
-
そしてその先には、狛犬ならぬ狛ライオンです。
これは、池袋三越店頭に設置されていたライオン像です。
大正3年、当時の三越呉服店の日比翁助がライオンを好んで、三越本店に一対のライオン像を据えたのが始まりです。 -
戦後、他の店舗にも設置されました。
この原形は英国ロンドンのトラファルガー広場のネルソン提督を囲んだライオンだったようです。 -
宝井其角「ゆふたちや」の句碑です。
元禄元年(1693年)は大変な干ばつでした。秋の収穫を心配して困り切った小梅村の人々は三囲神社に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしました。
ちょうど三囲神社に詣でた俳人の其角が、このありさまを見て、能因法師などの雨乞いの故事にならって「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と詠みました。
この話は其角自選句集の「五元集」にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように効果があったようです。 -
こちらはお稲荷さんです。
ちなみに三井家では、享保年間に、三囲神社を江戸における守護社と定めました。
実はここは三井家から見て鬼門だったようです。
また、三囲の文字の中に「井」が入っていたため、三井を守ると考えられたためです。 -
たくさんの鳥居がありました。
-
冨田木歩の句碑です。
夢に見れば死ぬるもなつかしや冬木風 -
実はこの神社には三柱鳥居があります。撮り損ないましたが。(-_-;)
そして、御朱印をいただきに行ったのですが、呼び鈴を鳴らしても、誰もいなかったため諦めました。 -
越後屋(三越の前身)に祀られていたようです。
-
三囲のコンコンさん
可愛らしい狐です。
目尻の下がった温和な表情です。これをこの近隣の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてえだ」と言ったそうです。 -
本当に表情が柔らかくていいですね。
-
まだ少しですが、梅も咲いていました。
-
日比翁助「石垣の歌碑」
いしがきの小石大石持合ひて、御代はゆるがぬ松が枝の色 日比美勲 日比翁助は号を美勲と称し、三越呉服店の会長 わが国近代百貨店の創始者でした。 -
三囲神社についての解説です。
弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりのようです。
当時は北の田圃の中にあったようです。
近江の源慶が社を改築した折に土中から白狐にまたがる老翁の姿を発見。
その像の周りをどこからともなく現れた白狐が、3度回って消えたという縁起から「三囲」の名が付けられたようです。 -
さて、帰り道です。
お昼に寄ったカフェです。左端です。
「むうや」
季節のトーストとセットドリンクをカフェラテにしたところ、2330円でした。
写真は撮り忘れたのでありません。 -
最後に源森橋からのスカイツリーです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
浅草(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
45