2021/12/19 - 2023/10/29
23位(同エリア216件中)
Decoさん
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三池をさるく…「さるく」とは歩き回るという方言です。
さて、拙旅行記でもたびたび出てくる「大牟田」と「三池」。
この二つの地名が南筑後では並立しています。
駅伝で有名なのは大牟田高校。夏の甲子園で優勝したのは三池工業高校。
市内を流れる川は大牟田川。山は三池山。
駅は大牟田。炭鉱や港は三池。
市は大牟田。旧郡名は三池。
三池とは筑後最南部(現在の大牟田市とみやま市高田町)を指す地名でした。
その中心は鎌倉時代(あるいはそれ以前)から発生していた三池宿場町(現地名では”三池”)と、江戸時代初期に陣屋町として宿場町の南側に拡張して造られた新町。その頃大牟田とは、小さな村の地名に過ぎませんでした。
しかし江戸時代後半、炭鉱の積出場やそれを管理する施設が大牟田川河口南側に集まったことから、大牟田の町が次第に形成されます。そして明治に入り鹿児島本線の駅が三池ではなく大牟田に作られたため、町の中心は大牟田に移り、炭鉱と共に発展しました。
三池炭鉱にその名をいただく三池地区は、皮肉にも発展から取り残された町となりましたが、そのために昔ながらの町並みが長く残存し、緑豊かな山の麓に位置していることから大気汚染からも逃れ、湧水の里でもありました。しかし、ここ20~30年ほどで大きく変貌し昔日の面影を失いつつあります。
そんな三池地区を歩いてみました。まずは、新町エリア(=旧三池藩陣屋町)周辺からです。
*この旅行記では三池地区の新町エリア(旧三池藩領)を歩きますが、一部旧柳河藩領のエリアを含みます(高田公園-高田行宮址、寿光寺その他)は歴木(くぬぎ)エリアで旧柳河藩領になります。
また、一部他の旅行記と重複した写真がありますが、ご了承ください。
*旧柳河藩領三池宿場町を取り上げた旅行記はこちら↓
https://4travel.jp/travelogue/11783286 三池をさるく! ~旧柳河藩領 宿場町とその周辺~
2023/11/4公開
2023/12/7「増田うなぎ 2023、そして山鹿温泉どんぐり村へ」へのリンク追加・三池藩大蛇山の記述修正
2024/1/16「三池をさるく! ~旧柳河藩領 宿場町とその周辺~」へのリンク追加
2024/6/28三池蔵=江頭酒造の写真と文章を宿場町編の旅行記へ移動、一縁追加
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通手段
- 徒歩
-
【高田公園(高田行宮址)】
旅の始まりは、高田公園です。
なぜここから始まるかというと… -
この高田行宮址の碑があるからです。
伝承によれば、ここは第十二代景行天皇が対熊襲政策のために九州を廻った際、高田行宮をおいたと言われています。行宮とは、しばらく滞在するための住まい。遠征先のお宿的なものだったと思います。 -
少し離れてみれば、大きな木々が見えます。
なんでも、景行天皇がいらした際、それは大きな木が倒れていて、朝日ではその影で杵島山を隠し、夕陽では阿蘇山に影が届くような大きな木があったそうです。
景行天皇が土地の老人になんの木かを聞いたところ、老人は「歴木(くぬぎ)」と答えたそうです(この場所も新町に隣接していますが、住所は「歴木」になります)。
景行天皇いわく「この地を御木(=ミキ)」と名付けよと。
御木→三毛→三池と転化して現在の地名になったそうです。
ちなみに、杵島山は佐賀県にあり、阿蘇山はあの仙酔峡や大観峰の阿蘇です…どんだけ大きな木?
ちなみに、地元の地名研究の方の本には、それは貴人伝説(偉い人が関わったことで、土地のプレミアム感を高めようと後から創作された話)ということです。
多分、そんなところだと思いますが、一応三池の地名発祥の地ということで紹介しました。 -
碑の反対側をみれば、広場に遊具、その先には三池山が見えます。
広場があります。 -
公園の奥にはシブい建物が。
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田町公民館です。三池陣屋町(新町)の南側が”田町”と呼ばれる地区になります。
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道路を隔てて、高泉団地が見えます。その側には平安末期の伝説的な刀匠・初代三池典太光世の屋敷跡があります。屋敷跡は三池の町の郊外、すぐ近くということになります。
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イチオシ
【三池街道(三池往還)】
高田公園の前は三池街道(正式には三池往還)が通っています。三池街道は県道大牟田高田線とほぼ並行して通っており、三池の中心部では合流していますが、このあたりでは県道は三池街道の少し東側にあり、三池街道は昔のままになっています。
この道路の左手は歴木(旧柳河藩領)右側は新町(旧三池藩領)になります。
三池街道は柳川と高瀬(玉名)を結ぶ主要道路でした。大牟田市の地名研究家の方は、上記区間の中の岩本橋(福岡県大牟田市と熊本県玉名市の境付近)と干渡橋(現在のみやま市高田町)との間を指すとされています。また、現在の熊本市北区植木町付近~玉名~三池~柳川全体を指すという説もあります。 -
さらに進むと住宅街が続きます。
*西村健さんの大牟田を舞台にした小説「地の底のヤマ」では、主人公の警察官・猿渡鉄男の妻・富美の実家がある町として三池の町が出てきます。小説の記述からすると、富美の実家はこのあたりではないかと思います。また、この小説では、炭鉱町の雰囲気が濃厚に漂う三池港周辺や宮原坑周辺のエリアと、旧陣屋町・宿場町である三池エリアの町の雰囲気や感覚の違いも描かれています。 -
【弥劔神社】
弥劔神社の入口があります。後ろを通る県道金山線からも入れますが、こちらの旧三池街道沿いの鳥居が正式の入口となります。 -
神社の説明です。大牟田の夏祭りとして知られる大蛇山、早鐘眼鏡橋(国重要文化財)の完成と共に三池藩主より山車が下賜されたました。
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境内は玉砂利が敷き詰められ、清々しい雰囲気。
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拝殿に続く本殿。常駐の神主さんはいませんが、立派なお社があります。
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ここ弥劔神社には、三池藩大蛇山があります。藩主立花氏から下賜された山車を使用しているので御前山といわれます。
大牟田市には夏に大蛇山祭りが催され、大蛇を載せた山車が町を練り歩きます。
三池は江戸時代以降、三池町(柳河藩)と新町(三池藩)に分かれており、大蛇山の宮も柳河藩と三池藩両方にあります。弥劔神社は三池藩領内になります(柳河藩の宮は三池本町祇園宮)。
*大蛇山は、この三池祇園の二つが始まりですが、その後増えて現在は六山となっています。
大蛇山は、豊作を願う龍神信仰・水神信仰と、立花氏が崇拝する祇園信仰が結びついたものだとされます。 -
イチオシ
【三池藩大蛇山】
右手には大きな倉庫があります。
人が作業している模様。大蛇山祭りの準備をされています(2021年春に撮影)。
シャッターに絵が描かれた絵は大蛇山伝説…昔この地は三池氏という武士が治めており、三池山の山奥の悪い大蛇を鎮めるために、玉姫という美貌のお姫様を差し出すことになりました。玉姫は日頃、津蟹(川の蟹ですね)を可愛がっていましたが…あわや大蛇に飲み込まれそうになったときに、巨大な津蟹(!)が現れて大蛇は三つに切断されてしまい、三池山上には今も大蛇の血でできた三つの池が残っているそうです。この伝説は、中世にこの地を治めた三池氏によって形成されたといわれています。
それにしても大蛇も大蛇ですが、それを切断する津蟹ってどんだけ巨大なのでしょうか。それに津蟹を可愛がる玉姫…蟲を愛でる風の谷のナウシカのようなお姫様だったのでしょうか…。 -
こちらは、2023年7月15日に行われた、三池藩大蛇山お披露目の際の写真です。
*三池藩大蛇山についてはこちらの旅行記をご覧ください。
「夏 ~三池藩 大蛇山、お披露目」 https://4travel.jp/travelogue/11840808 -
こちらは県道を挟んで、マミーズ今山店というスーパーの駐車場です。ここで”かませ”も行われました。
*かませ…大蛇の口元に乳幼児を持っていき、一年間の無病息災を願います。このとき大きく泣いたほど効果があるとされます。 -
ちなみに…マミーズ今山店の少し南に樽鮨さんがあります。
優しい大将と明るい女将さんの、気のおけないお寿司屋さんです。
*樽鮨はこちらの旅行記で紹介しています。
「定林寺あじさいまつり」 https://4travel.jp/travelogue/11759826)樽鮨 グルメ・レストラン
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【寿光寺・三池陣屋から移築した門】
弥劔神社の少し先には寿光寺というお寺があります。
こちらの立派な門は明治九年に三池陣屋から移築したものだそうです。 -
学問所があったそうです。藩政期においても重要なお寺だったようです。
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立派な本堂。かつてこのお寺は幼稚園があり、大牟田地区の文化サークルによる絵画教室も開かれていたということです。
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寿光寺から少し進むと、田町の交差点に出ます。ここから先は旧三池街道=県道大牟田高田線となります。
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【藤本伝吾邸跡】
田町交差点の一角には、なにやら白い棒が見えます。 -
藤本伝吾邸跡とあります。
2001年に、地元の郷土史会の皆さまが建てられた碑です。
三池藩領の採炭では、複数の請負人がいましたが、その中で藤本傳吾は採炭を独占。石炭長者となり、その富は同じ採炭の先輩格である柳河藩家老・小野家はおろか、柳河藩主立花氏をしのいでいたと言われ、駕籠に乗るとお札をばら撒いていたとか…人々は「傳吾様には及ばずとも、せめてなりたや殿様に」と謡っていたそうです。
三代に渡り栄華を誇った藤本傳吾家ですが、三池藩主の帰還(東北・下手渡に転封になっていた)とともに採炭権を取り上げられて没落してしまいます。
かつてはこの先に広い敷地を有していた藤本傳吾家。今はこの碑が往時を伝えるのみです。かつては広大な敷地だったそうで、先述のように後から通った県道も藤本家の敷地だったようです。大蛇山の彌劔神社とはすぐ近く、もしかしたら隣接していたかも知れません。三池藩大蛇山の山車は、藩主の帰還とともに下賜されたものを現在も使用しています。大蛇山と石炭長者、隣り合う敷地ですが、藩主の帰還で明暗を分けたのでしょうか…
*藤本傳吾家及び藤本卓爾については下記の旅行記で紹介しています。
「傳吾様には及びもないが、せめてなりたや殿様に ~石炭長者・藤本傳吾の光と影~」 https://4travel.jp/travelogue/11790781 -
三池街道を北に進みます。セブンイレブン大牟田新町店があります。
ここにはかつて蔵のある白壁の立派なお屋敷がありました。数年前に取り壊されたのですが、今思えば撮影しておくべきだったと後悔しています。その頃は、あのお屋敷があるのが当たり前だったのですが、失われて初めてその価値に気が付くものです。
このあたりには前述の石炭長者・三代目藤本傳吾の子、藤本卓爾の屋敷があったと思われます。卓爾は藩校・修道館の教授を務めたり私塾を開いたりしましたが、後に屯田兵として北海道へ。和田村(現在の根室市内)の開拓にあたりました。
駐車場から三池街道の北方向を撮影。写真からは見えにくいのですが、交通標識のあたりが田町橋という橋があります。
この橋の東側(右側)に石炭王・藤本傳吾(三代目)の長男・卓爾の屋敷があり、藤本塾を開いていたということで、多分このあたりではないかと思います。 -
セブンイレブンのお向かいには一縁というお店があります。居酒屋さんですがお好み焼や焼きそばが名物だそうです。いつか行ってみたいな~。
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三池街道へ戻り北に進んで堂面川を渡ります。上流方向に三池陣屋橋(眼鏡橋)が見えます。
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堂面川を渡ったところで振り返って撮影。
三池街道 名所・史跡
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三池街道をさらに北方向に見て撮影。右側の売地、ここにも長らく立派なお屋敷がありましたが、今年になって取り壊されてしまいました。
その先には新しく建てられた家も見えます。 -
三池街道から逸れて、東側の旧陣屋に近いエリアへ。
新町公民館。以前は別の場所にあったと思います。移転したので新しい建物です。 -
細長い掘割沿いの路を歩いてみます(写真は北側方向を撮影)。石垣や平たい石橋に旧陣屋町の名残が感じられます。
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陣屋町の雰囲気を残す掘割。
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石組み江戸時代のものでしょうか?
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イチオシ
掘割沿いの路(南側方向を撮影)。空き家も所々見えます。
左手(東側)は、藩政期は武家屋敷でした。 -
掘割沿いの路を南下し、突き当りを左(東)方向へ進みます。昔から変わらない道…。
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かつての武家屋敷街の小路。昔は三池藩の武士たちも歩いていたのでしょうか。
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陣屋公民館。こちらは三池陣屋町の歴史を感じさせるシブい建物です。
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【立花兄弟生家跡】
細い道の先に看板が見えます。 -
立花兄弟生家跡。藩主の立花家の分家で家老職の立花家の屋敷跡のようですが、往時をしのばせるものはありません。
【立花兄弟】
立花兄弟は、三池藩主立花氏の支族であり、家老職を務めた家柄です。
兄の小一郎は陸軍の軍人となり、日露戦争などに出役、陸軍大将となり、予備役編入後は華族(男爵)となります。
弟の立花銑三郎は漱石や子規の同輩で、学習院大学の教授を務め、ダーウィンの「種の起源」の翻訳をしますが若くして亡くなります。
【立花兄弟の妹・ミイと宮崎民蔵】
立花兄弟にはミイ(美以)という妹がいました。兄の小一郎は一時期大牟田市内の銀水義塾の塾長も務めており、そこでは後に自由民権家として知られる荒尾の宮崎民蔵(滔天の兄)が学びにきており、その縁で民蔵の妻になります。
兄は陸軍大将にして男爵、妹は自由民権家の妻…兄妹で生き方が分かれたようにも思いますが、二人とも意志の強さをうかがわせる生き方です。
ちなみに滔天(民蔵の弟)の妻は玉名市天水町の前田家の次女・槌。その姉は漱石の「草枕」の那美さんのモデルとされる卓です。
宮崎家は自由民権運動に力を注ぎ、経済的にも厳しかったようですが、槌とミイ、二人は夫たちを支えます。
…そして滔天と槌の長男は宮崎龍介。彼は後に柳原白蓮と駆け落ちします…。
*宮崎滔天、槌、龍介、柳原白蓮についてはこちらの旅行記で紹介しています。
「花子とアン」蓮子の夫・宮本龍一のルーツを探る旅 https://4travel.jp/travelogue/10936545 -
【藩校修道館跡】
この先のお宅は、空き家のようですが、独立した門があったりして、かすかに旧陣屋町の面影が感じられるようです。
このお宅の場所には、藩政期には藩校 修道館(1857年創設)があり、武士以外の子弟も受け入れていたそうです。その中には、塚本源吾(維新の志士であり、採炭権を藤本傳吾家と激しく争った塚本家の跡取り)もいたそうです。
修道館の教授には、先述の藤本卓爾(石炭長者・三代目藤本傳吾の長子)や向坂黙爾(維新の志士にして、三池争議で組合側の思想的なバックボーンとなった向坂逸郎の祖父にあたります)がいたそうです。
修道館は、明治四年、廃藩置県とともに閉館となります。 -
空き地の先に石橋が見えます。
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三池陣屋橋(三池陣屋眼鏡橋)です。堂面川にかかっています。
三池藩は幕府内の政争に巻き込まれ、1806年に福島・下手渡に転封となり、1850年にようやく三池に戻ります。その後再び陣屋周辺が整備され、三池陣屋橋もこのときに眼鏡橋となったそうです(それ以前は木造の橋だったらしいです)。旧陣屋町の面影 by Decoさん三池陣屋橋 名所・史跡
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橋の上は舗装されています。生活道路で、小さいながらも車も通るようです…。
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イチオシ
橋の南側が空き地になっていたので、側面を撮影。
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三池陣屋橋から下流方向を撮影。
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水鳥もいました。
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反対側(川の上流側)から撮影。
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【三池小学校(三池陣屋跡)】
三池陣屋橋の先に古びた石段があります。
この上に三池藩の陣屋がありました。小藩でしたから、お城はなく、陣屋が設けられていたわけですね。
この石段…島原の乱で出陣する武士たちが彼方を研いだそうです。
ちなみにこの石段、三池藩時代からのものだそうです。
周囲の石垣などに旧陣屋町の雰囲気が少し残っているように感じます。 -
三池藩主居館跡の説明板です。
三池藩立花氏は、元々は高橋氏と名乗り、大友氏の一門にして有力武将でした。高橋直次は秀吉の九州征伐以降、秀吉の直臣になり、三池地方を拝領します(一万八千石)。このときは現在のみやま市高田町の江浦を本拠地としていました。
関ヶ原の戦いで西軍だったために浪人。しかし実兄の立花宗茂同様徳川秀忠に召し抱えられ、立花姓に改姓。1614年に常陸柿岡(茨城県)にて五千石の旗本となり、子の種次の代に、三池に帰還。三池藩一万石の領主となります(1621年)。
その後、幕府の政争に巻き込まれて1806年に東北下手渡に転封。1850年に三池に帰還しますが、旧三池藩領のすべてが戻ったわけではなく、領地は下手渡と三池に五千石ずつに分かれました。一万石の小藩には厳しい状況だったと思われます。 -
小学校の敷地内から道沿いのお宅が見えました。このお宅にも門があります。このあたりは、藩政期は陣屋の倉庫などがあったそうです。
三池陣屋町は藩政期に栄えたとはいえ、一万石のコンパクトな陣屋町。殿様、武士、町民に農民、それぞれの距離感も近かったのではないかと思います。
歴代英明な藩主が続いた三池藩立花家ですが、それはこの小藩を成り立たせるためには英明である必要があったのかも知れません。
三池藩立花家が江戸時代初期に陣屋町を築いたとき、領民は非常に協力的だったそうです。秀吉時代の統治が良かったのでしょうか。それに応えて藩も治水工事や炭鉱経営に力を入れます。
東北に転封となり、三池に帰還する際も、東北の住民に帰らないようにと懇願され、三池でもまた陣屋町の再整備に領民が協力したと伝えられます。
三池・東北下手渡、どちらでも、三池藩立花氏は飢饉においても餓死者を出しませんでした。
…実は大蛇山の巡行の際も、三池藩立花家の子孫の方は今も招かれてこられています。 -
ずずっと進むと、三池小学校の校舎。
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正門の手前に「三池陣屋跡」の表示がありました。
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【三池郷土館跡=三池藩陣屋屋根(移築)】
三池陣屋跡=三池小学校に隣接して、古い建物があります。
ここは三池郷土館の後、1970年代に地元の郷土館として法人が設立されて運営されていましたが、後に閉館。行政が関わらないと、こうした施設が存続するのは難しいようです。展示物は三池カルタ館に移されたそうです。
鉄筋コンクリートですが、左側に屋根が見えます。 -
三池陣屋の屋根部分が移築されていますが、かなり傷みが酷いようです。
陣屋がそのまま保存されていたら、立派な文化財だったと思うのですが… -
昔の陣屋町の共同井戸。
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三池郷土館跡から北上すると、道沿いに「三池蔵」という看板が見えます。
酒類の卸・小売。江頭酒造という会社です。明治の頃、あるいは藩政期から続く老舗です。
*江頭酒造、私は旧陣屋町に位置していると思っていましたが、旧宿場町のエリアでした。当初はこちらの旅行記(旧陣屋町編)に載せていましたが、旧宿場町編に移しました。 -
看板の前の道を進みます。右側は新しい住宅街。左側には保育園。このあたりは以前は三池蔵(江頭酒造)の土地だったようです。
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再び三池街道沿いへ。
三池陣屋町に残った数少ない古民家、増田うなぎです。ここは以前別の旅行記で取り上げています。美味しいうなぎ(うな重にせいろ蒸し)、モッフルアイスが名物。築220年の古民家を美しくリノベーションした建物も素晴らしいです。創業48年とのこと(2023年現在)。
*増田うなぎは、別旅行記二編にて紹介しています。
「三池陣屋町の面影を残す、増田うなぎへ」 https://4travel.jp/travelogue/11775614
「増田うなぎ 2023、そして山鹿温泉どんぐり村へ」 https://4travel.jp/travelogue/11860165増田うなぎ グルメ・レストラン
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増田うなぎからほど近い場所にある西野茶舗。お店の方がお茶の選び方を丁寧に説明されます。
増田うなぎの前から三池の町と大牟田市中心部を結ぶ幹線道路が通っており、西の茶舗はその道路の北側に面しています。この西野茶舗までが新町、その西側は三池、南西は歴木となります。三池街道にほど近い場所にある八女茶の茶舗 by Decoさん西野茶舗 グルメ・レストラン
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その向かい側、バス停前のお宅、煉瓦の塀と蔵のような堂々とした建物。以前は左側に連なる建物で陶器店を営まれていたようですが、現在は閉まっています。
こちらは元はもっと広いお屋敷だったようですが、道路拡張の際に土地と家屋が削られ、それでも先祖伝来の土地にと住み続けたそうです。
*閉まった陶器店には「陶芸古賀」の文字がかすかに見えます。このあたりは神田脇と呼ばれる地区ですが、神田脇には藩政期に石炭の採掘に関わった古賀(八百屋)家がありました。もしかして、古賀家のご子孫…でしょうか(不明)。
古賀家は三池藩採炭のかなり早い時期から採炭請負人となり五代に渡って関わっていたようですが、三池藩が東北に転封になった際に、他の請負人(塚本家など)と共に退けられてしまいます。後、三池藩主の帰還後、藤本傳吾家は採炭から外され没落、塚本家と古賀家が採炭を請け負いますが、最終的には藩の直営となり両家とも採炭から外れます。
古賀家は醤油屋も営んでいたということで、恐らくは醸造業が本業だったのではないかと思います。かなりの資産家で三池藩にもお金を貸していたようです。採炭に関わった最後の人物、古賀和吉は、天文学に造詣が深く、晩年は大阪証券取引所の重役を務めていました。 -
こちらも石造りの外観の重厚な建物。市内中心部で営業している「だいふく」というパン屋さんの支店でしたが、随分前に営業を止められています。
先ほどの陶器店といい、魅力的な建物なので、リノベーションして再利用されないものでしょうか…。 -
先ほどの閉まった陶器店とパン屋さんの間の道を北へ進んでみます。
細めの路。左側は旧三池藩領で三池街道の西裏側。右側は旧柳河藩領になると思います。
恐らく藩政期以来の路です。 -
突き当りは堂面川。先ほどの小路は橋のあたりに出てきます。
この橋は昔は無くて、川を渡るための石があったそうですが、それらしきものは見つけられませんでした。
左手(東方向)は上流でこのすぐ先に三池街道、その先に陣屋眼鏡橋があります。奥には三池山が見えます。 -
こちらは下流方向(西方向)。右岸は護岸工事が施されていますが、左岸は昔のままのようです。
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水は意外にきれいです。
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少し下流に歩きます。このあたりは昔ながらの面影が感じられます。
ここから増田うなぎへ戻ります。 -
【安照寺】
三池街道へ出て、増田うなぎの方向へ南下します。道沿いに古い塀があり、その先に安照寺があります。この塀は陣屋の塀を移したものだそうです。 -
門に近づきます。
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イチオシ
堂々たる門。江戸時代の石炭長者・藤本傳吾の邸宅の門を移築したものだそうです。
安照寺、一時東北に転封になった藩主立花氏が三池に戻った時、宿舎になったそうです。 -
本堂です。質朴かつ堂々たる建物です。
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安照寺の北側にも旧陣屋町の面影を残す建物があります。電器屋さんですが、営業はもうされていないようです。
*この写真を撮影した数か月後、取り壊し工事が始まり、今は新しい建物があります。 -
安照寺の北、藩境の道沿いレトロな歴史のある建物。旧陣屋町・宿場町の面影…
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三池陣屋町をさるく旅行記も終わりに近づきました。三池食堂。今では数少なくなった町食堂です。安照寺の南側、増田うなぎの北側に位置しています。
地元で親しまれて70年、絶品・三池ちゃんぽんとうま辛ソースカツ丼 by Decoさん三池食堂 グルメ・レストラン
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テーブル席が三つ。きのおけない雰囲気です。
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畳席が二つ。年季が入った建物ですが、店内はきれいにリノベーションされています。
*昼時は満席のときもあります。 -
メニューです。おすすめメニューの「三池ちゃんぽん」と「うま辛ソースかつ丼」をたのみます。
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うま辛ソースかつ丼。かつ丼の上に炒めた野菜がのっています。この野菜がスパイシーで美味しくて食欲をそそります。地味に見えますが、これが本当に美味しくてボリュームもあり!
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三池ちゃんぽん。スープの出汁はお肉系のように感じました。
こちらも美味しかった!
三池食堂、出前も忙しそうで、お客さんも絶えまなく入っていました。老舗町食堂。地元で愛される食堂です。
創業は70年前とのこと。単純に計算して1952年頃でしょうか。戦後間もない頃から三池の町と歩んできた食堂です。 -
【三池新町彌劔神社・三池藩大蛇山】
最後に彌劔神社に戻ります。
三池藩大蛇山の格納庫です。平成5年10月29日。見学をお願いしたら、快く見せていただきました(多分、会長さん)。
来年の大蛇山へ始動しているのでしょうか。それとも何か催し事があったのか。
町も人も時代とともに変わりゆきます。
しかしその中でも、三池陣屋町には時の流れを超えて、世の出来事を乗り越えて受け継がれていくものがあります。
大蛇山や、そこに集う人々のように。
最後まで御覧いただきありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (3)
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- mom Kさん 2023/11/16 15:42:24
- 三池という地名だけで
- ♪炭坑節を思い出します。遠く離れた紀州の小さな町の盆踊りにも太鼓とともに櫓からレコード音が聞こえてきたものです。それほど、全国津々浦々の近代化の動力になったわけですね、Decoさん。
炭坑など見たことも聞いたこともない幼いころでも踊った歌の一部は覚えています。
♪ツキガーデタデタ~ツキガァ~アデタ~ヨイヨイ ミイケ・タンコウノ~♪祖母が采配を振るっていたあの頃が懐かしい。
ここがそうでしたか。人のつながりも歴史に見えるご紹介、九州の地のダイナミックさを感じました。
- Decoさん からの返信 2023/11/16 20:10:52
- Re: 三池という地名だけで
- mom Kさん、こんばんは。
炭鉱節は盆踊りの定番ですよね。この曲はよく聞くと、メロディが美しく、哀感があり、同時に力強さや楽しさもあって、生命力のある曲だと思います。
三池炭鉱にその名をいただく「三池」ですが、実はその元々の中心であった三池陣屋町と宿場町は、明治以降は炭鉱とは関わりがなくなっていきます。現在の大牟田市の西側の「大牟田」が地域の中心になり、炭鉱の町として発展しました。
でも、江戸時代には三池こそが炭鉱と深い関わりがあった町なのです。石炭長者の屋敷があり、街道沿いには旅館が立ち並び、各地から訪れた石炭商人たちが滞在していました。
mom Kさんが書かれたように「ここがそう」なのです。まさしく炭鉱で栄えた原点の町だったのですね。
「人のつながりも歴史に見える」…そういっていただけると本当に嬉しいです。三池だけでなく、その地に住まう人々の生活が幾重にも重なり、それが歴史になっていく。mom Kさんの旅行記でもその感覚を感じています。
Deco
- mom Kさん からの返信 2023/11/16 20:55:30
- つながりが見えだすと一層旅が楽しい
- 一人では到底たどり着けないところまで、運んでいただいた気分です。多謝。
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