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福岡県大牟田市の夏祭り、大蛇山。<br />2023年は7月22・23日に行われますが、それに先立つ15日、市内新町の彌剱神社にて舞台演芸と大蛇山のお披露目が行われました。<br />また、7月22・23日には近隣のスーパーにて大蛇山名物「かませ」が見られましたので、その様子も掲載いたします。<br /><br />(2023/7/24)

夏 ~三池藩 大蛇山、お披露目

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2023/07/15 - 2023/07/22

15位(同エリア168件中)

旅行記グループ 三池をさるく!

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この旅行記のスケジュール

2023/07/15

2023/07/22

この旅行記スケジュールを元に

福岡県大牟田市の夏祭り、大蛇山。
2023年は7月22・23日に行われますが、それに先立つ15日、市内新町の彌剱神社にて舞台演芸と大蛇山のお披露目が行われました。
また、7月22・23日には近隣のスーパーにて大蛇山名物「かませ」が見られましたので、その様子も掲載いたします。

(2023/7/24)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
自家用車 徒歩

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  • 2023年7月15日、大牟田市の中心部から東の方、三池山にほど近い、新町の彌剱神社へやってきました。<br />新町…通称「三池新町」と呼ばれる土地です。<br />三池の町は古い歴史がありますが、江戸時代には柳河藩と三池藩に分かれていました。柳河藩領が昔からの宿場町、そして江戸時代初期に三池藩が陣屋を建設したことに始まる陣屋町です。二つの町は連続しており、往来も自由だったということです。<br /><br />彌剱神社は、三池陣屋町の南側の田町と呼ばれる地区にあり、通称・田町の祇園さんと呼ばれ親しまれています。<br />神社の西側には三池街道が通ります。このあたりは神社の側でもあり、昔を偲ばせる風景が見られます。

    2023年7月15日、大牟田市の中心部から東の方、三池山にほど近い、新町の彌剱神社へやってきました。
    新町…通称「三池新町」と呼ばれる土地です。
    三池の町は古い歴史がありますが、江戸時代には柳河藩と三池藩に分かれていました。柳河藩領が昔からの宿場町、そして江戸時代初期に三池藩が陣屋を建設したことに始まる陣屋町です。二つの町は連続しており、往来も自由だったということです。

    彌剱神社は、三池陣屋町の南側の田町と呼ばれる地区にあり、通称・田町の祇園さんと呼ばれ親しまれています。
    神社の西側には三池街道が通ります。このあたりは神社の側でもあり、昔を偲ばせる風景が見られます。

  • それでは神社に入ります。<br />「御神燈」と掲げられています。

    それでは神社に入ります。
    「御神燈」と掲げられています。

  • 拝殿の前を通ります。

    拝殿の前を通ります。

  • 境内には舞台が設けられ、その横には格納庫から姿を現した、三池藩大蛇山が見えます。

    境内には舞台が設けられ、その横には格納庫から姿を現した、三池藩大蛇山が見えます。

  • 拝殿横にはテントが張られ、飲食物の提供などが行われます。

    拝殿横にはテントが張られ、飲食物の提供などが行われます。

  • 三池藩大蛇山です。<br /><br />【夏祭りと大蛇山】<br /><br />大牟田市の夏祭りといえば大蛇山まつりですが、元々は「大蛇山」「港まつり」「炭都まつり」の三つの祭りがあり、それが一緒になって現在の姿になっています。<br />大蛇山の巡行、三池港近くの港まつり、一万人の総踊りなど、それぞれの起源が見られるようです。<br /><br />ちなみに令和5年(2023)は7月15・16日に三川坑跡にて港まつり、22日に市中心部で祇園六山(市内六か所の祇園由来の大蛇山)巡行、23日には同じく市中心部にてちびっこ大蛇・みこし、地域などの大蛇山とお隣南関町の大蛇山も参加したパレードが行われます(同じ日に祇園六山は地元で巡行)。<br /><br />そして、15日にはここ三池新町彌剱神社にて振興行事が行われます。

    三池藩大蛇山です。

    【夏祭りと大蛇山】

    大牟田市の夏祭りといえば大蛇山まつりですが、元々は「大蛇山」「港まつり」「炭都まつり」の三つの祭りがあり、それが一緒になって現在の姿になっています。
    大蛇山の巡行、三池港近くの港まつり、一万人の総踊りなど、それぞれの起源が見られるようです。

    ちなみに令和5年(2023)は7月15・16日に三川坑跡にて港まつり、22日に市中心部で祇園六山(市内六か所の祇園由来の大蛇山)巡行、23日には同じく市中心部にてちびっこ大蛇・みこし、地域などの大蛇山とお隣南関町の大蛇山も参加したパレードが行われます(同じ日に祇園六山は地元で巡行)。

    そして、15日にはここ三池新町彌剱神社にて振興行事が行われます。

  • 【大蛇山が見られる地域】<br /><br />大蛇山は日本全国で見られる祇園祭りの一つの形ですが、山車に大蛇の装飾を載せた大蛇山は、大牟田市やその近隣(みやま市高田町-渡瀬と江浦の二か所-と、柳川市大和町中島、熊本県の南関町)だけで見られます。<br /><br />渡瀬は元禄年間(1688-1704)、江浦は宝暦年間(1751-1764)、中島は天保年間(1830-1844)に始まったそうですが、こちらも初めから”大蛇山”の形になっていたかは不明。<br />南関町は祇園のお祭り自体は1640年頃からある古いものですが、昭和十年代に三池祇園にならって大蛇山が始められたとのこと。<br />また柳川市中心部から南西方向、南浜武の崩道(くえど)という地区に、1850年につくられた観音堂があります。山車ではなく固定された二匹の大蛇が作られ、夜は花火を口から出すそうです。<br />三池祇園が大蛇山の発祥で、三池街道沿いに柳河藩領南部に広まっていったのでしょうか?<br /><br />【大牟田市内の大蛇山…三池祇園・大牟田祇園・諏訪祇園】<br /><br />大牟田市内には祇園六山と呼ばれる大蛇山があります。発祥の地である三池地区に二つ(三池祇園:三池本町祇園宮・三池藩大蛇山三池新町彌剱神社)あります。この三池祇園は江戸時代以来の歴史があります。<br /><br />そして、大牟田市中心部に三つ(大牟田祇園:本宮彌劔神社・大牟田神社第二区祇園・三区八劔神社)。三池港近くに一つ(諏訪祇園:諏訪神社)。<br />大牟田・諏訪祇園は明治26年に大牟田の町の神社(本宮彌劔神社)の氏子が三池祇園の大蛇山を習って作り始め、昭和に入り大牟田神社第二区祇園・三区八劔神社に広がっていったそうです。諏訪神社は記録が焼失してしまったとのことですが、明治26年に大蛇山が始まりました。<br />*大牟田祇園の二区・三区は、氏子が四つの組に分かれていたことに起因するようです。ちなみに本宮本宮彌劔神社は四区。一区は今は大蛇山は作っていないそうです。<br /><br />元々現在の大牟田市域の中心部は旧陣屋町・宿場町の三池地区でしたが、江戸時代末期に三池藩の炭鉱関連の施設が今の大牟田市中心部に設けられ、そこから市街や商業地が広がっていきました。そして明治24年に鹿児島本線の駅が三池ではなく大牟田に造られたことで、以後大牟田の町が中心となっていきます。<br />大蛇山が三池祇園で発祥、明治以降大牟田祇園・諏訪祇園が形成されていった過程は、炭鉱の発展とともに大牟田の町が形成されていった過程と重なっているように思えます。<br />三池祇園、明治時代に大牟田祇園に大蛇山の技法を伝え、昭和初期には南関町にも伝えています。伝統のある町ですが、同時に街道筋で人の往来が多く開かれた町。大蛇山の伝統に関しても他所に快く伝え、開放的な気風があるのかも知れません。<br /><br />また1960年代頃から地域振興などを目的として祇園由来以外(商店街や公民館、地域の有志)の大蛇山も作られ(地域山)、パレードに参加します。この地域山ですが、21世紀に入ってからも幾つかの山が新たに誕生しており、日本の伝統的な祭りにおいては非常に珍しいのだそうです。<br />先述のように大蛇山は三池祇園から大牟田祇園や南関祇園へ広がり、また大牟田祇園の中でも二区や三区に広がっていきました。そのような歴史が、今も新たな大蛇山が生まれることにつながっているのかも知れません。

    【大蛇山が見られる地域】

    大蛇山は日本全国で見られる祇園祭りの一つの形ですが、山車に大蛇の装飾を載せた大蛇山は、大牟田市やその近隣(みやま市高田町-渡瀬と江浦の二か所-と、柳川市大和町中島、熊本県の南関町)だけで見られます。

    渡瀬は元禄年間(1688-1704)、江浦は宝暦年間(1751-1764)、中島は天保年間(1830-1844)に始まったそうですが、こちらも初めから”大蛇山”の形になっていたかは不明。
    南関町は祇園のお祭り自体は1640年頃からある古いものですが、昭和十年代に三池祇園にならって大蛇山が始められたとのこと。
    また柳川市中心部から南西方向、南浜武の崩道(くえど)という地区に、1850年につくられた観音堂があります。山車ではなく固定された二匹の大蛇が作られ、夜は花火を口から出すそうです。
    三池祇園が大蛇山の発祥で、三池街道沿いに柳河藩領南部に広まっていったのでしょうか?

    【大牟田市内の大蛇山…三池祇園・大牟田祇園・諏訪祇園】

    大牟田市内には祇園六山と呼ばれる大蛇山があります。発祥の地である三池地区に二つ(三池祇園:三池本町祇園宮・三池藩大蛇山三池新町彌剱神社)あります。この三池祇園は江戸時代以来の歴史があります。

    そして、大牟田市中心部に三つ(大牟田祇園:本宮彌劔神社・大牟田神社第二区祇園・三区八劔神社)。三池港近くに一つ(諏訪祇園:諏訪神社)。
    大牟田・諏訪祇園は明治26年に大牟田の町の神社(本宮彌劔神社)の氏子が三池祇園の大蛇山を習って作り始め、昭和に入り大牟田神社第二区祇園・三区八劔神社に広がっていったそうです。諏訪神社は記録が焼失してしまったとのことですが、明治26年に大蛇山が始まりました。
    *大牟田祇園の二区・三区は、氏子が四つの組に分かれていたことに起因するようです。ちなみに本宮本宮彌劔神社は四区。一区は今は大蛇山は作っていないそうです。

    元々現在の大牟田市域の中心部は旧陣屋町・宿場町の三池地区でしたが、江戸時代末期に三池藩の炭鉱関連の施設が今の大牟田市中心部に設けられ、そこから市街や商業地が広がっていきました。そして明治24年に鹿児島本線の駅が三池ではなく大牟田に造られたことで、以後大牟田の町が中心となっていきます。
    大蛇山が三池祇園で発祥、明治以降大牟田祇園・諏訪祇園が形成されていった過程は、炭鉱の発展とともに大牟田の町が形成されていった過程と重なっているように思えます。
    三池祇園、明治時代に大牟田祇園に大蛇山の技法を伝え、昭和初期には南関町にも伝えています。伝統のある町ですが、同時に街道筋で人の往来が多く開かれた町。大蛇山の伝統に関しても他所に快く伝え、開放的な気風があるのかも知れません。

    また1960年代頃から地域振興などを目的として祇園由来以外(商店街や公民館、地域の有志)の大蛇山も作られ(地域山)、パレードに参加します。この地域山ですが、21世紀に入ってからも幾つかの山が新たに誕生しており、日本の伝統的な祭りにおいては非常に珍しいのだそうです。
    先述のように大蛇山は三池祇園から大牟田祇園や南関祇園へ広がり、また大牟田祇園の中でも二区や三区に広がっていきました。そのような歴史が、今も新たな大蛇山が生まれることにつながっているのかも知れません。

  • 【三池藩三池新町彌剱神社大蛇山と三池本町祇園宮大蛇山】<br /><br />大蛇山の発祥・三池祇園には二つの大蛇山があります。旧柳河藩領の三池本町祇園宮と、旧三池藩領のここ彌剱神社。<br /><br />発祥については詳しいことはわかっていませんが、柳河藩三池本町祇園宮は同神社の公式サイトによれば、島原の乱(1637~1638)軍功のご祝儀として柳河藩立花内膳家(柳河藩主立花家の一族であり家老職、現在の大牟田市上内を領地としていた。三池本町も内膳家の領地だった)より山車が贈られたとされています。また、現在使用されている山車は柳河藩主から賜ったともいわれています。<br />*おおむた大蛇山まつりの公式サイトでは柳河藩主から贈られたと記されています。<br /><br />一方、ここ新町の三池藩彌剱神社の山車は1674年に早鐘眼鏡橋(農業用水を通した水道橋)の完成を祝って、三池藩立花家より下賜されたと伝えられています(現在使用されているものは、1852年に下賜されたもの)。<br />大蛇山は、祇園信仰(疫病退散や農業振興)と水神信仰(龍や蛇を水をもたらす神として崇めた)が結ぶ居ついたものとされます。三池藩主が山車を下賜した経緯からも水や農業振興との関連がうかがわれます。<br />*立花内膳家や三池藩主から山車が下賜された当時から”大蛇山”の形態であったかどうかは不明です。<br /><br />柳河藩・三池藩の二つの大蛇山は、かつては相当に張り合っていたそうです…。<br />ちなみに、柳河藩の大蛇は雄で、三池藩のは雌。祭りの最後に二つの大蛇が横に並び尾を交差させて交尾し、翌年に子大蛇が誕生したこともあります。

    【三池藩三池新町彌剱神社大蛇山と三池本町祇園宮大蛇山】

    大蛇山の発祥・三池祇園には二つの大蛇山があります。旧柳河藩領の三池本町祇園宮と、旧三池藩領のここ彌剱神社。

    発祥については詳しいことはわかっていませんが、柳河藩三池本町祇園宮は同神社の公式サイトによれば、島原の乱(1637~1638)軍功のご祝儀として柳河藩立花内膳家(柳河藩主立花家の一族であり家老職、現在の大牟田市上内を領地としていた。三池本町も内膳家の領地だった)より山車が贈られたとされています。また、現在使用されている山車は柳河藩主から賜ったともいわれています。
    *おおむた大蛇山まつりの公式サイトでは柳河藩主から贈られたと記されています。

    一方、ここ新町の三池藩彌剱神社の山車は1674年に早鐘眼鏡橋(農業用水を通した水道橋)の完成を祝って、三池藩立花家より下賜されたと伝えられています(現在使用されているものは、1852年に下賜されたもの)。
    大蛇山は、祇園信仰(疫病退散や農業振興)と水神信仰(龍や蛇を水をもたらす神として崇めた)が結ぶ居ついたものとされます。三池藩主が山車を下賜した経緯からも水や農業振興との関連がうかがわれます。
    *立花内膳家や三池藩主から山車が下賜された当時から”大蛇山”の形態であったかどうかは不明です。

    柳河藩・三池藩の二つの大蛇山は、かつては相当に張り合っていたそうです…。
    ちなみに、柳河藩の大蛇は雄で、三池藩のは雌。祭りの最後に二つの大蛇が横に並び尾を交差させて交尾し、翌年に子大蛇が誕生したこともあります。

  • 大蛇山を斜めから撮影。奥の山車は江戸時代に三池藩のお殿様から下賜されたもので御前山とも称されます。この写真ではちょっとわかりにくいのですが、繊細な彫刻が施されています。<br />大蛇山は各山ごとに山車も違いますが、三池藩は優雅な姿のように思えます(同じ三池祇園でも柳河藩三池本町の山車は”重厚”さが特徴とのこと)。<br /><br />長い歴史のある大蛇山ですが、第二次大戦前後は中止されたようです。中でも古い歴史を誇る三池祇園の大蛇山は長きに渡り中断していました。昭和42年に三池本町・三池藩合同で大蛇が復活(いろいろあったそうですが…)、そして昭和47年に両方の大蛇山が復活します。<br /><br />かつて、大蛇は専門の職人さんが製作していたそうですが、復活した頃には三池藩(三池新町)には職人さんはおらず、その技術も途絶えていたそうです。しかし、当時の青年団の団長さんが資料を参考に試行錯誤の末、新たに大蛇を作り上げて復活したとか。<br />このお披露目の日も、昭和47年に大蛇を復活させた方の元気なお姿を拝見しました。

    大蛇山を斜めから撮影。奥の山車は江戸時代に三池藩のお殿様から下賜されたもので御前山とも称されます。この写真ではちょっとわかりにくいのですが、繊細な彫刻が施されています。
    大蛇山は各山ごとに山車も違いますが、三池藩は優雅な姿のように思えます(同じ三池祇園でも柳河藩三池本町の山車は”重厚”さが特徴とのこと)。

    長い歴史のある大蛇山ですが、第二次大戦前後は中止されたようです。中でも古い歴史を誇る三池祇園の大蛇山は長きに渡り中断していました。昭和42年に三池本町・三池藩合同で大蛇が復活(いろいろあったそうですが…)、そして昭和47年に両方の大蛇山が復活します。

    かつて、大蛇は専門の職人さんが製作していたそうですが、復活した頃には三池藩(三池新町)には職人さんはおらず、その技術も途絶えていたそうです。しかし、当時の青年団の団長さんが資料を参考に試行錯誤の末、新たに大蛇を作り上げて復活したとか。
    このお披露目の日も、昭和47年に大蛇を復活させた方の元気なお姿を拝見しました。

  • こちらは子大蛇でしょうか。

    こちらは子大蛇でしょうか。

  • 日が次第に暮れてきました。

    日が次第に暮れてきました。

  • 舞台では実行委員長のあいさつに続き、祇園樂保存会による奉納。子供が見事に演奏していました。

    舞台では実行委員長のあいさつに続き、祇園樂保存会による奉納。子供が見事に演奏していました。

  • 舞台の合間をぬい、出店でかき氷や…

    舞台の合間をぬい、出店でかき氷や…

  • 揚げたてのコロッケを購入…。

    揚げたてのコロッケを購入…。

  • 舞台では市のゆるキャラ、ジャー坊が登場、司会の方と体操を披露。

    舞台では市のゆるキャラ、ジャー坊が登場、司会の方と体操を披露。

  • 体操では子供たちも恥ずかしがってノリはイマイチでしたが…記念撮影になると大人気。大蛇山をバックにフル回転。

    イチオシ

    体操では子供たちも恥ずかしがってノリはイマイチでしたが…記念撮影になると大人気。大蛇山をバックにフル回転。

  • 舞台では田町青壮年会による炭鉱節が披露されます。<br /><br />田町地区…旧陣屋町である三池新町の南側の地区で、この弥剣神社も田町地区にあります。また、江戸時代には三池炭鉱の石炭長者・藤本傳吾邸もすぐ近くにあり、三池藩主の陣屋よりも立派な邸宅だったとか。

    舞台では田町青壮年会による炭鉱節が披露されます。

    田町地区…旧陣屋町である三池新町の南側の地区で、この弥剣神社も田町地区にあります。また、江戸時代には三池炭鉱の石炭長者・藤本傳吾邸もすぐ近くにあり、三池藩主の陣屋よりも立派な邸宅だったとか。

  • 続いて、さくら会による全国ご町内音頭が披露されます。

    続いて、さくら会による全国ご町内音頭が披露されます。

  • ジャー坊は記念撮影で大人気。

    ジャー坊は記念撮影で大人気。

  • 午後6時から始まった舞台ですが、次第に日が陰ってきました。

    午後6時から始まった舞台ですが、次第に日が陰ってきました。

  • 続いて陣屋青壮年会による二人羽織。右側の方は陣屋公民館の館長さんです。<br />館長という立場上、出演されたようです…お疲れ様でした。<br /><br />陣屋地区…三池新町の北側、その名の通り三池藩の陣屋があった場所(現在の三池小学校)の周辺、かつては武家屋敷などもあった地区です。

    続いて陣屋青壮年会による二人羽織。右側の方は陣屋公民館の館長さんです。
    館長という立場上、出演されたようです…お疲れ様でした。

    陣屋地区…三池新町の北側、その名の通り三池藩の陣屋があった場所(現在の三池小学校)の周辺、かつては武家屋敷などもあった地区です。

  • 休憩時間には三池藩大蛇山のお披露目が行われます。<br />子供たちが集まります。<br /><br />大蛇山は山車に竹や和紙、藁で頭・胴体・尻尾が飾り付けられ、まつりが終わると取り壊されます。大蛇の各部分は無病息災のお守りとして珍重され、特に左眼は激しい争奪戦になっていました。

    休憩時間には三池藩大蛇山のお披露目が行われます。
    子供たちが集まります。

    大蛇山は山車に竹や和紙、藁で頭・胴体・尻尾が飾り付けられ、まつりが終わると取り壊されます。大蛇の各部分は無病息災のお守りとして珍重され、特に左眼は激しい争奪戦になっていました。

  • 大蛇が煙を吐き、火花が舞います。

    大蛇が煙を吐き、火花が舞います。

  • ほら貝が吹きならされ、「ワッショイ」の掛け声が境内に響きます。<br />勇壮な雰囲気に包まれます。<br /><br />大蛇山の樂や囃子は各山車によって違うそうです。三池祇園(三池藩大蛇山や、柳三池本町祇園宮)は、伝統的な雰囲気を色濃く残しています。<br />これに対し、大牟田祇園の市中心部近くの大蛇山(通称・町方)は”ジャジャリコジャン”という鐘や太鼓の音にのって、ヨイサー ヨイヤサーの掛け声で賑やかな感じになります。<br />また地域山の殆ど(すべて?)も大牟田祇園の樂や掛け声を取り入れており、地域外に出張したときも大牟田祇園の様式で巡行するようです。<br /><br />旧藩以来の古い伝統を持つ三池祇園、明治以降炭鉱を中心とした産業の発展と共に広がった大牟田祇園・諏訪祇園。樂や掛け声などでも時代と社会の背景の違いが感じられるようです。

    ほら貝が吹きならされ、「ワッショイ」の掛け声が境内に響きます。
    勇壮な雰囲気に包まれます。

    大蛇山の樂や囃子は各山車によって違うそうです。三池祇園(三池藩大蛇山や、柳三池本町祇園宮)は、伝統的な雰囲気を色濃く残しています。
    これに対し、大牟田祇園の市中心部近くの大蛇山(通称・町方)は”ジャジャリコジャン”という鐘や太鼓の音にのって、ヨイサー ヨイヤサーの掛け声で賑やかな感じになります。
    また地域山の殆ど(すべて?)も大牟田祇園の樂や掛け声を取り入れており、地域外に出張したときも大牟田祇園の様式で巡行するようです。

    旧藩以来の古い伝統を持つ三池祇園、明治以降炭鉱を中心とした産業の発展と共に広がった大牟田祇園・諏訪祇園。樂や掛け声などでも時代と社会の背景の違いが感じられるようです。

  • 舞い散る火花!

    舞い散る火花!

  • 子供たちも大蛇を見守ります。

    イチオシ

    子供たちも大蛇を見守ります。

  • 後ろに引いて撮影。右側の舞台では次の太鼓演奏の皆さんも大蛇山に見入っています。

    後ろに引いて撮影。右側の舞台では次の太鼓演奏の皆さんも大蛇山に見入っています。

  • 煙の中、子供たちが大蛇山に近づきます。

    煙の中、子供たちが大蛇山に近づきます。

  • 煙を浴びます。

    煙を浴びます。

  • 煙と共に火花も舞います。

    煙と共に火花も舞います。

  • 煙が立ち込めてきました。

    煙が立ち込めてきました。

  • 山車に近い場所で見物していましたが、私も煙に包まれて前が見えず…。<br />でも煙がひんやりと涼しくて気持ちよかった! ドライアイスだったのでしょうか。<br />*後で調べてみたら、炭酸ガスのようです。<br /><br />旅行記では繰り返しになるので描写は一回に留めていますが、実際には煙は数回に渡って吐き出されて、長い時間体感することができました。

    山車に近い場所で見物していましたが、私も煙に包まれて前が見えず…。
    でも煙がひんやりと涼しくて気持ちよかった! ドライアイスだったのでしょうか。
    *後で調べてみたら、炭酸ガスのようです。

    旅行記では繰り返しになるので描写は一回に留めていますが、実際には煙は数回に渡って吐き出されて、長い時間体感することができました。

  • お披露目が終わりました。<br />ほら貝が吹き鳴らされるなか、煙に火花と見応えがありました。<br />大蛇山の山車の近くでこのような姿が見られるとは…貴重な体験でした。<br />実行委員会の皆さまありがとうございました。

    お披露目が終わりました。
    ほら貝が吹き鳴らされるなか、煙に火花と見応えがありました。
    大蛇山の山車の近くでこのような姿が見られるとは…貴重な体験でした。
    実行委員会の皆さまありがとうございました。

  • そろそろ日暮れも間近。<br /><br />このとき、衝撃のアナウンスが…なんと近くで猪が出没したそうです…。このあたりは一応市街地なのですが。

    そろそろ日暮れも間近。

    このとき、衝撃のアナウンスが…なんと近くで猪が出没したそうです…。このあたりは一応市街地なのですが。

  • 後半ステージは太鼓衆響の演奏から。

    後半ステージは太鼓衆響の演奏から。

  • 続いて市長さんの挨拶。<br />この日は三川坑跡で港まつりも催され、市長さんはこちらに行っているのではないかと思っていましたが、三池にも来られました。

    続いて市長さんの挨拶。
    この日は三川坑跡で港まつりも催され、市長さんはこちらに行っているのではないかと思っていましたが、三池にも来られました。

  • 市長さんの挨拶を挟んでKYOの演奏。このあたりから日が暮れて、夜祭の雰囲気になります。<br /><br />この後、プログラムはラストに向かって盛り上がっていったようですが、同行した家族が疲れてきたようで、残念ながらDeco一家は退散…ラストの抽選会に参加できず残念!

    市長さんの挨拶を挟んでKYOの演奏。このあたりから日が暮れて、夜祭の雰囲気になります。

    この後、プログラムはラストに向かって盛り上がっていったようですが、同行した家族が疲れてきたようで、残念ながらDeco一家は退散…ラストの抽選会に参加できず残念!

  • 後ろ髪を引かれる思いで彌剱神社を後にします。<br />ローカルながらも、歴史と伝統のある大蛇山のお披露目のお祭り。<br />予想以上に楽しく有意義なひと時を過ごすことができました。<br /><br />============================<br />ここで旅行記は終了の予定でしたが…

    後ろ髪を引かれる思いで彌剱神社を後にします。
    ローカルながらも、歴史と伝統のある大蛇山のお披露目のお祭り。
    予想以上に楽しく有意義なひと時を過ごすことができました。

    ============================
    ここで旅行記は終了の予定でしたが…

  • 7月22日、彌剱神社から県道を隔てたすぐ向かい側のマミーズ今山店(スーパー)駐車場にて三池藩大蛇山が展示されていました。<br />先日のお披露目ではスペースの都合もあり半ば格納庫に入っていましたが、今回は全体を見ることができます。

    7月22日、彌剱神社から県道を隔てたすぐ向かい側のマミーズ今山店(スーパー)駐車場にて三池藩大蛇山が展示されていました。
    先日のお披露目ではスペースの都合もあり半ば格納庫に入っていましたが、今回は全体を見ることができます。

  • 山車の側面の彫刻です。補修は度々行われていると思いますが、1852年、江戸時代に三池藩主より下賜された山車です。<br />屋根の下の彫刻は、下賜された当時のものを現在も維持しており、大牟田市の重要文化財に指定されています。

    山車の側面の彫刻です。補修は度々行われていると思いますが、1852年、江戸時代に三池藩主より下賜された山車です。
    屋根の下の彫刻は、下賜された当時のものを現在も維持しており、大牟田市の重要文化財に指定されています。

  • こちらは後ろ側。屋根が美しい曲線を描いています。

    こちらは後ろ側。屋根が美しい曲線を描いています。

  • 背面の彫刻部分。御前山と彫刻されています。

    イチオシ

    背面の彫刻部分。御前山と彫刻されています。

  • 背面から撮影。

    背面から撮影。

  • ちょうど尻尾の部分が取り付けられるところでした。

    ちょうど尻尾の部分が取り付けられるところでした。

  • 山車背面上部から吊り下げて固定されるようです。

    山車背面上部から吊り下げて固定されるようです。

  • 尻尾が取り付けられました。ピンと跳ね上がっています。

    尻尾が取り付けられました。ピンと跳ね上がっています。

  • 最後に「かませ」の写真です。<br /><br />大蛇山の大蛇の口元に、子ども(乳幼児)を持っていき、「かませ」ると、その子の一年間の無病息災が約束されるとされます。このとき、子供が大声で泣くほどご利益があるということですが…この写真ではスヤスヤお休み中でした。<br />大蛇山を見に来た家族の、買いものに来た家族、子供の無病息災を願って何人かが「かませ」に参加していました。<br /><br />三池藩大蛇山の「ヨ~、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ヨ~…(手拍子)…ワッショーイ!!」という掛け声の中、子どもの無病息災が祈願されます。<br />三池藩大蛇山の皆さん、暑い中、ありがとうございました。<br /><br />★最後まで御覧いただき、感謝致します。

    イチオシ

    最後に「かませ」の写真です。

    大蛇山の大蛇の口元に、子ども(乳幼児)を持っていき、「かませ」ると、その子の一年間の無病息災が約束されるとされます。このとき、子供が大声で泣くほどご利益があるということですが…この写真ではスヤスヤお休み中でした。
    大蛇山を見に来た家族の、買いものに来た家族、子供の無病息災を願って何人かが「かませ」に参加していました。

    三池藩大蛇山の「ヨ~、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ヨ~…(手拍子)…ワッショーイ!!」という掛け声の中、子どもの無病息災が祈願されます。
    三池藩大蛇山の皆さん、暑い中、ありがとうございました。

    ★最後まで御覧いただき、感謝致します。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • フォートラベルユーザーさん 2023/07/24 22:36:08
    大蛇山!
    こんばんは!Decoさん!!

    大迫力!大蛇の色彩も姿もカッコいいですね!
    壊しちゃうのもったいない~
    大蛇山のかませ!
    煙をはいたり、火花?花火でしょうか。
    江戸時代から続くお祭りなんですね。

    子供さん達も、久しぶりの
    楽しいお祭りに大喜びですよね!
    東京ではこんな迫力のあるお祭りが
    あんまりない?ので、楽しいー

    煙がドライアイスで、ホッとしちゃいました。
    安全面にも考慮されているんですね、
    夏だから涼しいし、一石二鳥(*^^*)

    ありがとうございました!!

    コトラ





    Deco

    Decoさん からの返信 2023/07/25 04:57:11
    Re: 大蛇山!
    マダム、おはようございます。

    大蛇山、まつりが終わったら壊してしまうそうです。その後のパーツはお守りになるとかで、かつては激しい争奪戦があったらしいです。
    先日京都の祇園祭りのテレビ番組を見ていたら、山車は厄や疫病を集めるとのことで、だから壊してしまうと…うん十年生きていて初めて知りました(^^ゞ
    大蛇山も祇園のお祭りの一つの形だから、壊すのでしょうね。

    三池祇園は、多分1640年頃、この地に勧進されて神社ができてまつりも始まったそうです。大蛇山まつりでは7月第3土曜に市の中心部の会場で六つの大蛇山が揃って巡行。翌日の夕方地元に戻って巡行し隣接する二つの山車(三池祇園では本町祇園宮と新町の彌剱神社の山車)で競演して終了します。
    子供が引く小型の大蛇山もあるし、小さな子や家族連れも楽しめるお祭りになっています。”かませ”のときは「●●ちゃんの無病息災を願って~」と大きな声で氏子さんが呼びかけて皆で見守るので、ご両親も良い思い出になることでしょう。
    神社のお披露目で煙に包まれたときはびっくりしました…が、なぜか周囲が涼しくなって心地良かったです(笑)
    ありがとうございます(#^^#)
                                 Deco
  • ma-yuさん 2023/07/24 11:29:26
    楽しそう!!
    Decoさん

    こんにちは(^^)

    大蛇山の発祥・三池祇園には二つの大蛇山があるのですね!三池本町祇園宮と、旧三池藩領のここ彌剱神社。
    今回は三池藩大蛇山の山車も大蛇の顔がイイですね!
    それに口から火花や煙まで吐いて迫力ありますね!!

    そしてゆるキャラ、ジャー坊が登場、炭坑節にさくら会の踊りまでようやくコロナから解放され楽しんでいる姿が目に浮かびますよ(^^♪
    市長さんも三川坑跡で港まつりに三池に大忙しですね!

    それに背面の彫刻も立派で尻尾もピンと跳ね上がって凝っています!
    子ども(乳幼児)を持っていき、「かませ」の体験も子供が大声で泣くほどご利益があるということですが…この写真ではスヤスヤお休み中でしたか。ほんわかな感じで和みました。

      ma-yu

    Deco

    Decoさん からの返信 2023/07/24 19:53:09
    Re: 楽しそう!!
    ma-yuさん、こんばんは (=^・^=)

    三池祇園の二つの大蛇山、三池の町が柳河藩領と三池藩領に分かれていたことに始まるようです。それぞれのお殿様から下賜された山車だから、以前はかなり張り合っていたそうです。
    ただ…柳河藩の初代藩主の立花宗茂は、実は三池藩の家系から柳河の立花家に養子に行った方なのです。ついでに、柳河藩二代目も三池藩から養子に行って…だから藩同士は仲が良くて、三池藩が領地替えで東北に行ったときも柳河藩が三池藩士に援助していたとか…。

    大蛇山も脱コロナの流れで、無事開催できたようです。屋外ですしね(^^ゞ
    舞台は、ローカル色溢れる感じで、でもそれが身近に感じてほのぼのしてとても良い雰囲気でした。市長さんは港まつりに行かれているかと思ったら、三池にも登場されて…マメな方だな~と思いました。

    彫刻は三池のお殿様から下賜された当時のものを維持しているようで、やっぱり見事でした。
    「かませ」は…小さい子は泣く子が多いのですが、眠っている子もいるわけで(笑)。ある程度大きくなった子(4~5歳くらい)は大蛇山を理解しているので、かませを楽しんでニコニコしている子も多いようです(^^ゞ
                               Deco
  • ポテのお散歩さん 2023/07/24 10:35:31
    夏祭り
    Decoさん こんにちは。

    三池立花家は、困難な時代を乗り越えて来た複雑な歴史があるのですね。
    現・福島県伊達市に領地替えになって、旧領三池は幕府天領から
    柳河藩預り地となり、明治維新を迎える時には三池領の半分が返還されたり、
    そんな激動の中でも立花種恭は老中格に就任する有能な殿様だったのですね。

    その殿様から下賜された三池藩彌剱神社の山車と、
    一方の柳河藩主立花家から贈られた旧柳河藩領の三池本町祇園宮の山車。
    どちらも譲れないですね~(#^.^#)

    そこに大牟田祇園・諏訪祇園が加わるのですか?
    すごく複雑で興味深いお祭りですね。
    「かませ」の時にスヤスヤ眠る赤ちゃん♪
    大物になりますね!
    夏祭りや秋祭りは特別で、気分が高揚しますね(*^-^*)

      ポテ

    Deco

    Decoさん からの返信 2023/07/24 19:24:52
    Re: 夏祭り
    ポテさん、こんばんは。

    ナイスフォローのコメント、ありがとうございます。
    山車の下賜の年代について、藩の領地替えも旅行記内に入れるべきでしたが、文章が長くなるのでカットしてしまって…ポテさんのコメントに助けられました。
    三池立花家のお殿様から下賜された山車、最初の1674年は領地替え前、二度目の1852年は東北から帰還した頃で、まさしく歴史を物語っているのですよね。

    柳河藩領の三池本町(中町)が鎌倉時代(あるいはそれ以前)からの長い歴史を持つ宿場町だったのに対し、三池新町は江戸時代に三池立花家の陣屋と共に建設された町。柳河藩預かりだった時代もありますが「三池藩」は新町の人々にとっての心の拠り所だったのだと思います。
    二つの町は普段は連続していて、境界もあってないような感じですが、やっぱり大蛇山になると旧藩以来の伝統と心意気が復活するのでしょうね。

    またご指摘の通り、三池藩は小藩ながらも有能な藩主が続いたようです(そのために幕府内の政争に巻き込まれるのですが)。三池でも、東北でも飢饉のときにも死者を出さなかったそうでから、民政には優れていたと思います。

    大牟田祇園、諏訪祇園は、明治以降大牟田の町が炭鉱と共に広がっていった時代に誕生しています。大牟田市には「大牟田」と「三池」という名称が並立していますが、長い歴史のある宿場町・陣屋町の”三池”と、炭鉱と共に明治以降急発展した”大牟田”が重なった町であり、大蛇山にもそれが現われているように思います。

    かませの赤ちゃん、お休み中だったようで…本人、気がついてなくて、大物に育ちそうです(*^^)v
                               Deco

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