2022/01/13 - 2024/01/10
27位(同エリア168件中)
Decoさん
この旅行記のスケジュール
2022/01/13
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柳河藩・三池藩境界付近
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石垣の道
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土塀の道
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内田別当家跡
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光世会館跡(三池会館)
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妙見神社
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明正寺
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三池本町祇園宮と大蛇山格納庫
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三井化学社宅跡
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願敬寺
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大間神社
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景行天皇史蹟
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三池初市由来記(妙見神社)
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お食事処 華
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三池地区公民館
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この旅行記スケジュールを元に
三池の街を”さるく”旅。
先日の旧陣屋町編に続いて今回は宿場町編です。
三池街道付近と、少し足を延ばして周囲を散策します。
筑後三池。柳川と玉名の間にある宿場町として中世から栄えてきましたが、豊臣秀吉により大友氏の家臣であった高橋氏(後の三池立花氏)が封じられますが、関ヶ原の戦いで西軍側だったために失脚。
徳川政権下、高橋氏は姻戚関係にある立花宗茂(宗茂は高橋家から立花家に入った)のとりなしもあり三池の地に復帰しますが、この旅行記で歩く古くからの宿場町は柳河藩領になります(三池立花氏は宿場町の南側に新たに陣屋町を築きます)。
柳河藩領となった三池宿場町。鎌倉時代(あるいは平安時代)からの古い歴史があり、旧家も多い地区でしたが、旧三池藩陣屋町同様に時代の中で古い建物は失われ、変化の時を迎えつつあります。
そんな三池宿場町の今を歩いて見ました。
尚、先に歩いた旧三池藩領陣屋町はこちらの旅行記をご覧ください。
「三池をさるく! ~旧三池藩 陣屋町とその周辺~」
https://4travel.jp/travelogue/11757304
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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三池宿場町(旧柳河藩領)編のスタートは、三池藩側の安照寺の前です。
この写真の正面三階建ての建物から先が旧柳河藩領の宿場町(現代の行政区分の”三池”となります。
三階建てのビルは、昔は精肉店で二階には食事処もありましたが、現在はどちらとも営業を止められています。 -
その精肉店の向かいには、旧柳河三池藩境界が示されています。
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藩境界の背後の空地です。
正面に古い門のお宅があります。ここは後で出てくる広いお屋敷の一画のようです。
そして三池街道を挟んでその手前の広い砂利のスペース。ここには十年くらい(?)前まで宿場町の面影を残す白壁と格子窓の古い商家風の建物がありました。風格もある建物だっただけに、更地になったときは、私的には衝撃でした… -
さて、三階建ての建物手前から左(西)に曲がります。古い石垣が見えます。
この道の右側(石垣側)が旧柳河藩領、左手が旧三池藩領になります。
両藩の町は行き来は自由だったそうですが、この道は昔は水路があり、そこが境になっていたとか。しかし場所によっては小さな道が藩境になっていて、連続した町だったようです。 -
右手には古い石垣と細い道、左手には新しく造成された住宅街と道。不思議なコントラストを見せます。
ここから右手へ延びる古い道を進みます。 -
イチオシ
植物に覆われた石垣と壁が続きます。
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いったん、新しい住宅街に出て、右(北方向)へ廻りこみます。前方(東)~左手(北方向)に茶色の石垣が見えます。左手側に延びる石垣を撮影。こちらも古いお屋敷のようです。
左手は行き止まりなので、前方への細い坂道を上ります。 -
イチオシ
坂道を上ります。
右手は先ほどからぐるっと廻ってきた石垣の広いお屋敷。左手には土塀は一つ前の写真の茶色い石垣のお屋敷。 -
イチオシ
朽ちかけた土塀…
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坂を上ると、右手の石垣のお宅も土塀になります。
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さらに進んで振り返って撮影。南側のお屋敷の塀。破損していますが、元々は立派な壁だったことがわかります。
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【内田別当家跡=伊能忠敬宿泊地】
さらに進むと左手(北側)のお宅の前に看板があります。 -
伊能忠敬宿泊地。柳河藩時代、旧三池宿場町の別当(=町長)を世襲した内田家に宿泊したそうです。忠敬、68歳のとき。平均寿命が短かった当時としては健脚で体力もあったのでしょうね。
*伊能忠敬は内田別当家の本宅ではなく、内田家が経営していた本陣に宿泊したともいわれています。 -
内田別当家の横の小道を進むと新しいマンションが見えます。三池街道沿いに1~2年程前に建ちました。この場所には以前はファミレスのジョイフルがありましたが、コロナで撤退したようです。その前は日の出屋という地元資本のスーパーがありました。
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内田別当家跡の前の小道に戻り、さらに進みます。鬱蒼と茂る木々。
変化が激しい三池の町にあって、ここだけが時が眠ったかのよう。ブロック塀ではありますが、藩政期から続く空気が流れているような気がします。
この道を進んできましたが、先ほど左手にあったのは内田別当家。右側の石垣の広い家は別の敷地のようです。もしかしたら内田別当家の土地かも知れませんし、あるいは内田家と関係のあるお宅か…まったく別のお宅だったとしても、相当に古く由緒のある家柄なのかも知れません。 -
振り返ってみます。やはり時が止まったかのような気がします。
すぐ近くには三池街道(県道大牟田高田線)があって、車も家も多いエリアなのですが、不思議な静けさです。 -
【三池会館(葬祭場)=光世会館跡】
三池街道へ出て北へ少し進むと、三池会館という葬祭場があります。写真でわかるように広大な駐車所を備えています。
ここには十数年前まで「光世会館」という料飲施設がありました。宴会や仕出しなどを行っており、酒類の小売りも行っていました。この光世会館の前身は「光世」という日本酒を作っていた造り酒屋でした。陣屋町編で紹介した「旭日盛」の江頭酒造と並ぶ三池の造り酒屋でした。恐らく光世会館時代にも古い建物が残っていたと思います…。
光世を経営していたのはお宅は、百済の斉明王の子孫と言われ、長い三池の歴史のある家でした。 -
三池会館のすぐ先には、先ほど内田別当家の先から撮影したマンション(リアンレガーロ大牟田)。
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【やきとり白煌(はっこう)】
マンションの前はT字路になっており、三池街道と南関町へ抜ける道路との交差点があります。そこには新しい炭火焼の居酒屋さんがありました。看板がユニークです。この建物は、以前は西日本新聞のエリアセンターだったと記憶しています。焼き鳥 白煌 グルメ・レストラン
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【荒巻商店】
道を隔てて「荒巻商店」があります。かつてマンションの場所にはスーパーがあり、隣接して総菜屋さんなどもありましたが、商業地区としてはすっかり寂しくなりました。荒巻商店さん、孤軍奮闘…店頭をのぞいてみると、トマトが激安でした。みかんもかなり安いです。総菜もおいてあり、御贔屓のお客さんもいらっしゃるのでしょうね。
荒巻商店さん、この近辺でも老舗なのですが、お店の方にうかがって衝撃の事実が判明。なんと…第二次大戦前からあるお店なのです。
昔は現在のゆめタウンの近くにお店があったそうなのですが、戦時中、物資の不足などから配給制度が始まり、荒巻商店さんはお上の命令で三池地区で配給所を営むことになり、引っ越されたそうです。以来ずっとこの地に店を構えられおられます。
人に歴史ありと言いますが、まさに店にも歴史あり。戦前から戦後、高度成長期、バブルと失われた30年。そして令和へ。長い歴史を経て来た店舗。当たり前のように見える地域に馴染んだお店ですが、その由来を知ると、感慨深いものがあります。 -
三池中町のバス停です。かつてはここに待合室や事務所もありましたが、建物はすべてなくなり寂しくなりました。
*旧陣屋町である新町エリアは「三池新町」とも呼ばれ、同名のバス停もあります。それに対して旧宿場町である三池エリアの南側は「三池中町」あるいは三池本町とも呼ばれます。 -
【妙見神社】
三池中町のバス停からほど近く、住宅街の中に小さな神社があります。
三池初市の神様。商いの神様ですね。光世会館を経営していたお宅のご先祖が勧進されたそうです。初市は以前は三池街道沿いで催されていましたが、現在は神田脇の広い道で行われています。 -
小さな拝殿がありました。
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【明正寺】
三池中町バス停の少し北、街道の西側に位置する浄土真宗大谷派のお寺です。
周囲の家屋が解けて、お寺が敷地を拡げられたようです。
古い街のお寺の周辺ではよく見かける光景かも知れません。
明正寺は中世この地を治めた三池氏の家系とのことです。また1640年頃、明正寺の僧・祐元は三池の農民を連れて島原・北有馬に移住、現在の南島原市にある真蔵寺を創建したそうです。 -
本堂です。堂々とした建物。屋根下の彫刻がみごとです。
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紅葉の季節は美しくなりそうな雰囲気です。
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さらに三池街道を北へ進みます。道沿いの古い家。駄菓子屋さんでしたが閉店されたようです。
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【三池本町祇園宮】
北に進みます。左手(西側)に神社が見えます。
三池本町祇園宮。陣屋町編の弥劔神社が旧三池藩領ので大蛇山(夏祭りで山車が出る)があるのに対し、こちらは旧柳河藩の大蛇山があります。
このあたりになると三池宿場町の北に近づきます。三池上町とも呼ばれているそうです。
*フォートラの施設情報の「三池街道」が本町祇園宮のあたりなので、こちらの位置情報に登録しています。三池街道 名所・史跡
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拝殿です。
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横には大蛇山の格納庫。人が集まって作業しています。
竹も見えます…三池光竹の準備のようです。かつては三池山の普光寺近辺、今は場所を移して大間山の三池公園で行われています。ここ数年はコロナで中止されていましたが、2022年は復活しました。
*この写真は2022年の秋に撮影しています。
三池の町には旧三池藩領である新町の彌劔神社の”三池藩大蛇山”と、ここ旧柳河藩領の”三池本町祇園宮”の二つの大蛇山があり、かつてはかなり張り合っていたと聞きます。名称でも、本町は「三池本町」が入り、新町は「三池藩」が入り、双方”三池”を前面に出しています。
本町の大蛇山は雄大蛇とされ、山車も柳河藩主の一族であり、家老職であった立花内膳家から島原の乱の戦功をにより贈られたとされています。
立花内膳家の初代は、当時の柳河藩主の兄弟にして三池藩主の叔父にあたりました。島原の乱では幼かった三池藩主に代わり、三池藩の兵を率いました。そして、その功により柳河藩より現在の大牟田市の上内を領地として賜り、三池本町も立花内膳家の領地だったそうです。
柳河藩の初代(宗茂)も二代目藩主も、三池藩から入っており、立花内膳家の初代も三池立花家の出身。当時の柳河藩と三池藩の緊密な関係がうかがわれます。
その立花内膳家は自領内では警察権、徴税権、行政権も持ち、半独立状態だったと言います。三池本町はそんな立花内膳家の領地でした。 -
この写真を撮影したのは2022年10月頃でしたが、この後の光竹まつり、楽しませていただきました。
*三池光竹はこちらの旅行記で取り上げています。
「秋の夜に 三池光竹」 https://4travel.jp/travelogue/11790467 -
拝殿を左側から査定。
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右側から撮影。屋根下の彫刻が見えます。新町の彌劔宮とはまた違った雰囲気です。
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大蛇とツガニの伝説の絵が見えます。
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拝殿下には大量の臼が…
三池本町祇園宮、大蛇山とともに「臼かぶり」という行事で知られます。
真冬に力自慢の若者が、臼に水を入れて持ち上げて被るという…荒業が見られるそうです。 -
境内です。正面に見えるのはご神木です。
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【三井化学社宅跡】
さらに街道を北へ進み、左に曲がると土地が少し低くなり住宅街があります。家々の間の小道を抜けると小さな坂を上り、鉄筋コンクリートの団地のような建物が見えてきます。 -
三井化学の社宅です。今はもう住む人もいません。
三池炭鉱や三井系企業の社宅が数多くあった大牟田市内において、三池地区は社宅が非常に少ないエリアでした。
古くから町が形成されていたこと。三池炭鉱の坑口から離れていたことなどがその理由だと考えられます。また炭鉱が高取山から南西の方向へ発展していった(世界遺産の宮原坑や万田坑、また三川坑など)に対し、三池は逆の東側に位置していたこともその理由の一つかも知れません。
旧陣屋町・宿場町である三池地区にいると、一般的な大牟田のイメージ(=炭鉱と工場)をほとんど意識することはありません。またかつて大気汚染や水質汚染に悩まされた大牟田にあって三池山や大間山の麓にあって緑豊かで水も豊か(造り酒屋もあった)土地でした。
この三井化学の社宅跡は、三池地区において数少ない社宅(跡)です。 -
社宅の周辺には新しい住宅街が見えて、不思議なコントラストを見せます。
またここから北は田園地帯、南は三池の古い街並みに隣接し、その中に広いお屋敷もあって、不思議なエリアです。 -
【三井化学 三池団地公園】
社宅の一画に公園らしき場所がありますが、草が生い茂っています。
かつては社宅の子や周辺の子が遊んでいたのでしょうね。 -
社宅跡から南に進みます。願敬寺というお寺があります。
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願敬時は三池街道側にも入口があります。なかなか良い雰囲気です。
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願敬寺の向かいあたりに亀屋という菓子製造の工場があります。
シブい建物ですが、直売コーナーもあります。左手部分は昔は喫茶店でもやっていたような雰囲気ですね。亀屋 グルメ・レストラン
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2023年10月に訪れたら自販機ができていました。
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自販機で購入した蜂蜜ボーロを購入。美味しかったです(自宅にて撮影)。
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直営もされているとのことで、11月2日に再訪。こちらが入口。
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かわいい感じでまとめてあります。
営業は平日の9:00~15:00。前回はちょっと遅かったようです。 -
店舗は工場の一画をうまく仕切って小ぎれいな空間になっていました。スタッフの方の感じも良かったです。
*スタッフの方にうかがったら、亀屋さんは創業50年程ということです。以前はこの建物は配送所として使っていたとのことで、直営店を始めて3~4年ということでした。 -
「抹茶丸ぼうろ」と「蜂蜜ボーロ」はそれぞれ100円。ちょっと大きさが違ったり少し割れていたりのアウトレット商品らしく、格安でしたが、家で食べるなら関係なし!
それに「コーヒー味のカステラ饅頭」を購入。ポイントカードも押していただきました。
*帰宅後撮影
三池亀屋、コスパも感じもよく、通いつめそうです。 -
願敬寺や亀屋から西へ向かうと、道路沿いの住宅街の一角に何か祀られています。
かつてここには劫月院というお寺がありました。
元々は中世に三池氏によって庇護された禅宗のお寺でした。江戸時代には虚無僧寺とも呼ばれていたそうです。ここに入れば虚無僧の笠を被るので罪を犯した人も逃れられたとか。男性版の駆け込み寺だったそうです。
後、1683年に柳川に移され江月院となりました。その後柳川へ運ばれた観音様や敷石が夜な夜な鳴き声をあげ、病人が絶え間なく出たために、人々は帰りたがっているのだろうと思い、元の三池の劫月院の場所に祠を造り、安置したそうです。今も、ここにお参りすると子供の夜泣きが治ると言い伝えられています。
現在は写真のような狭い場所に石造遺物が残されています。大間劫月院跡の石造遺物 名所・史跡
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【大間神社(=大間城跡)】
大間劫月院跡の石造遺物からさらに西へ向かうと、大間神社へ。かつて中世にこの地を治めた三池氏の大間城があったとされています。近世城郭ではないので、大きな石垣があったとか櫓があったとか、そんなお城ではくて居館のようなものだったのではないかと思います。
三池氏は戦の際は、三池山の今山城に籠って戦っていたとか。
ちなみに、この神社の北側には昔「流鏑馬」という地名もあったそうで、大間城と関係があるようです。 -
狛犬が鎮座。背後に見えるのは公民館ですが、境内にあるので昔は社務所で神主さんがいらしたのかも知れません。
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簡素な拝殿。
かつて本殿には平安時代の伝説的な刀工・初代三池典太光世の太刀が納められていたそうですが、戦国時代の混乱で失われたそうです。
*三池典太光世については、こちらの旅行記をご覧ください。
「三池の刀が切り開く! 四郎國光公開鍛錬」 https://4travel.jp/travelogue/11793461 -
大間神社を後にします。
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【景行天皇史蹟】
大間神社から南へ進むと「御門橋」の碑があります。
なんでも、ここに景行天皇が立って有明海を見た…とか。確かに大昔は海はもっと内陸まできていたはずですが…ここはそんなに高い場所でもないし、見えたとは思えませんが…。
しかし、陣屋町編で紹介した高田行宮址といい、やっぱり景行天皇は三池の地に来ていたのでしょうか?
また、ここは後述する大間城跡の門の跡だとも言われています。 -
【三池初市由来記】
景行天皇史蹟から南へ下ると、広い道路へ出ます。
マンションの一画には三池初市由来記の碑。毎年三月、三池初市が催され、多くの露店で賑わいます。文章にあるように、以前は三池街道沿いで行われていましたが、現在は神田脇沿いの広い道で行われています。
今は行政が関わり健全な雰囲気になっています。昔は蝦蟇の油の販売もあり、ちょっと怪しいけど、それがたまらない魅力でもありました。
碑文にあるように三池街道近くにある妙見神社が初市の神様ということになっていますが、ここ神田脇で行われるようになり、期間中だけ神様がここに遷座されるとのこと。
*三池初市についてはこちらの旅行記で取り上げています。
https://4travel.jp/travelogue/11812949 (春を呼ぶ~三池初市) -
ここが初市期間の神社。マンションの一画にあります。
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【お食事処 華】
神田脇妙見神社の近くにパチンコ・ワンダーランドがあり、その敷地内に一軒の小さな食事処があります。 -
メニューはうどん、そば、カレー、焼きそばにおにぎりとシンプルなもの。
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うどんにかき揚げをトッピングしてみました。寒い日だったので、暖まりました!
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【三池地区公民館】
三池初市由来記から東方向、三池街道へ向かって進みます。三池地区公民館があります。大牟田市内には多くの公民館がありますが、三池地区公民館など数か所はスタッフが常駐し図書コーナーもあります。
ここでは以前「三池の刀が切り開く! 大牟田の未来」という展示が行われ、貴重な日本刀も展示されていました。 -
壁面には大蛇山伝説のレリーフがあります。
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三池の歴史散歩の案内図。かなり前のもので、現在は失われてしまった建物などもいくつかあります。
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【福岡銀行三池支店】
大牟田市中心部方向(西方向)へ進みます。道路の左手(南側)には福岡銀行三池支店があります。現在は広い駐車場がありますが、以前はもっと狭く、十年程前までは駐車場の端の部分(写真の左部分)にほかほか亭とラーメンの太洋軒三池支店がありました。
太洋軒三池支店は西村健さんの「地の底のヤマ」にも登場する老舗のラーメン店でした。太洋軒は市内に何軒かありましたが、すべて閉店しているようです。
*福岡銀行三池支店は県道大牟田南関線の南側にありますが、こちらは「歴木(くぬぎ)」エリアになります。旧柳河藩の領地はこのあたりから大きく南方向に延びており、三池藩領に食い込むような形で、この先の高取山まで延びています。
実は、藩政期に三池炭鉱で初めて組織的な採炭を行ったのは、三池藩ではなく、柳河藩の家老・小野家なのです。初期の採炭が行われた高取山自体が、藩の境界線上にあり、両藩の採炭現場では境界線争いが絶えませんでした。そのことが明治に入ってからの官営化につながっていくのです。 -
福岡銀行三池支店そばの、味工房たかを訪れます。お弁当や総菜の人気のお店です。
味工房 たか グルメ・レストラン
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味工房たかで日替わり弁当を二つ購入。
こちらは鮭。 -
もう一つはトンカツなど。
この旅行記も終わりに近づきました。
お弁当を持って近くの三池公園を訪れます。 -
三池公園へやってきました。
三池宿場町(三池中町)付近から八角目峠を経て南関町へ至る道路の途中、大間山の麓に広がる公園です。
公園内にはこちらの広場と…三池公園 公園・植物園
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もう一つ小さ目の広場があります。
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こちらには遊具や東屋もあります。
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桜が見えます。
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満開です。
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桜の石段。
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大間山の麓とは言え、景色ものぞめます。こちらは西方向、大牟田中心街から沿岸方面です。
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こちらは大間山の南側にある三池山。上の写真とはうってかわった田園の長閑な風景。
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公園内には熊野神社があります。元々は神社があった一帯を公園として整備したのではないでしょうか。
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鳥居の先へ。
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石段を上がると、比較的最近建て替えられたと思われる簡素な神社がありました。
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神社の付近からは大牟田の町が見えました。
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少々長くなった旅行記ですが、このあたりで終わりと致します。
最後まで御覧いただき、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ma-yuさん 2024/01/17 16:14:21
- 三池宿場町!!
- Decoさん
こんにちは!
今回は三池宿場町の今を散策ですね!
内田別当家跡で有名な伊能忠敬も宿泊されたのですね。68歳とは当時では長生きですね!
それに三池街道沿いの「光世会館」という料飲施設も葬祭場に!
かつてはここに待合室や事務所、三井化学の社宅跡等三池炭鉱が撤退で面影も変わりましたね(汗
三井化学 三池団地公園も雑草で寂しいですね(汗
三池亀屋のぼうろも美味しそうでコスパがイイですね。
三池初市由来記の碑もあるのですね!
たしかDecoさん草取鎌購入でしたよね!まだ現役ですか?
そして〆は鮭とトンカツのお弁当購入して公園の散策と満開の桜も綺麗で楽しめましたね(^^♪
ma-yu
- Decoさん からの返信 2024/01/17 20:16:35
- Re: 三池宿場町!!
- ma-yuさん、こんばんは。
三池宿場町、かつては街道筋の賑やかな町だったそうですが、最後に残った古い建物もなくなり、すっかり変わっています。
今にして思えば、光世会館がなくなったのは本当に残念です。営業していた頃に一度利用してみたかったです。こちらのお宅は鎌倉将軍家(源氏)とも関わりがあったという名門だったのですが…。
三池の町は、古くから宿場町・陣屋町として市街が形作られ、社宅がない町でしたが、唯一の例外が三井化学の社宅でした。かつて三井系の企業は市内に数多くの社宅がありましたが、今はほとんどなく、三井化学も一か所(一棟)に集約されているようです。三池の社宅もいずれは再開発されるのではないかと思います。
亀屋はスタンプカードも作ってもらい、時々ぼうろを購入しています。甘さ控えめだから、食べても罪悪感が少なく…ついつい食べ過ぎてしまいます(^^ゞ
草取り鎌は、使うのがもったいなくてそのままにしておいたら、いつの間にか母が使用していました…(今も現役ですよ)。
旅行記には基本的に料飲施設を入れるのですが、三池宿場町(旧柳河藩領)にはほとんどなくなってしまい、味工房たかのお弁当となりました。桜は…この旅行記の〆に入れたかったので、時期を待って撮影に行った次第です(^^ゞ
伊能忠敬、68歳で、当時としてはかなりアクティブなシニアですよね。私が同じ年になったとして、同じように歩けるかな~(笑)
Deco
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