2022/04/12 - 2022/04/12
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kojikojiさん
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前の晩は早々に寝てしまったので、久しぶりに熟睡した気分です。午前6時前には目が覚めたので朝風呂をいただきます。早い時間も貸し切り状態でした。ホテルの朝食は地元の食材の1つも無いものでしたが、食べておかないと小布施の町を歩けないのでしっかりいただきました。配膳のおばさんとトラブルになって、フロントにクレームを入れたりということがありましたが、午前9時前にホテルを出て長野電鉄の湯田中駅に向かいます。2日目も天気は良く、朝から快晴の空に「北信五岳」がきれいに浮かんでいます。午前9時19分の信州中野駅行きの電車に乗って、乗り換えた後小布施駅には10時2分に到着です。小布施が今回の旅の目的と言っても過言では無いほどなので、事前にHPから観光案内所にパンフレット類の郵送をお願いしてありました。事前に計画を立てておいて良かったです。駅前の案内所で「おぶせロマン号」という町内の巡回バスに乗って「岩松院」に向かいました。ところがバスのドライバーさんから1つ手前の「浄光寺」に参拝して山の麓の道を歩いて、「岩松院」を見学すると次のバスにちょうど良いと教えてもらいそれに従います。「浄光寺」は風情のあるお寺でしたが、山の山腹に本堂があるのとそこまでの参道の石段がほとんど自然石が並んだ状態なので上り下りが大変でした。ここから「岩松院」まではリンゴ畑と遠くに見える山々を眺めながらの道なので気持ち良かったです。「岩松院」は葛飾北斎の描いた八方睨みの鳳凰の天井画で有名ですが、確かにこれは凄い迫力でした。そして新たな発見としては小林一茶の「やせ蛙負けるな一茶これにあり」という句が詠まれたのがこの寺だとことです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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前の晩は早く寝てしまったので午前5時前には目が覚めてしまいました。熱い湯で目を覚まそうと大浴場に行くことにします。
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ロビーの前を通りますがさすがに誰もいませんでした。このホテルには80人ほどのトラピックスのツアーとは別に40人くらいの御長寿敬老会みたいな団体さんが宿泊していました。夜はずっとカラオケの歌声が聞こえていましたが、朝は静かなものです。翌朝は酔っ払ったままロビーで寝てしまっているおじいさんがいました。
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大浴場は今朝も誰もいませんでした。敬老会はおじいさんが多かったですし、同じツアーの方も半分弱は男性でした。
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朝もお湯は熱く気持ちよくよく目が覚めました。湯田中温泉の開湯は7世紀頃の天智天皇の時代に僧の智由により発見され、「養遐齢(ようかれい)」と名づけられました。遐齢とは長命長寿のことなのでこの温泉は長命長寿の湯と言えます。
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大きくは湯田中温泉にくくられますが、夜間瀬川の反対側にある穂波温泉になります。温泉街とはいえ住宅街の一角に旅館や共同浴場が紛れ込んでいる雰囲気です。共同浴場が3つあるようですが、基本的には地域住民専用のようです。
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露天風呂は昨晩よりお湯が熱くなっていました。日が昇って目の前に山が広がっているのが分かりました。
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最近の温泉ホテルや旅館の朝食では地産の料理が積極的に使われていることが多いですが、このホテルでは冷凍食品をそのまま調理した印象を受けます。
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今回のツアーでは食事については期待していなく、信州の桜を巡るのと2日目に個人で小布施に行くことを主に考えていました。それでも前日の松本の蕎麦屋は残念でした。
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ただ、朝食会場は大勢の人が食事していますがスタッフのおばさんたちの人数が少ないのとてきぱき動かないので、食器が足りなくなったりジュースが切れたり、みそ汁が無くなったりします。その都度お客さんからあれが無いこれが無いと言われています。
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コーヒーが切れていたので「コーヒーが無いのでお願いします。」というと「今ドリップしています。」と言いながら廊下に出て行きながら「コーヒーコーヒーうるさいんだよ!」という声が聞こえてきます。隣の席の女性はびっくりしています。その女性がテーブルの食器を下げに来たので「今、うるさいって聞こえたんだけど、どういう意味ですか?」と尋ねると、こちらに背を向けて作業しながら「そりゃ、すいませんねぇ。」と出ていきました。
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一応フロントにその旨を伝えに行くと「あぁ、○○さんだ。」とすぐにどの方か分かったようです。すぐに呼んで謝らせますと仰いますが、お会いしても心が無いことは分かり切っているので「もう1泊するので明日の朝はお休みしてもらってください。」とだけお願いしました。
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午前9時前に湯田中駅に向かうことにしました。フロントで駅への行き方などを確認して地図もいただきました。ホテルの周囲は元々賑わっていた雰囲気も感じられません。
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ホテルを出るとすぐに夜間瀬川の堤に出ます。川沿いは桜並木が続いてきれいです。
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川の真正面には「妙高山」がきれいに見えました。手前の低い山は春がそこまで来ているようですが、2000メートル前後の山はまだ真冬のようです。
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左手に「黒姫山」と北信五岳の山々が続いています。
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妻に地図を渡してナビゲーターをお願いしましたが、1本道を手前で曲がってしまいました。そのあたりは新湯田中温泉と呼ばれるエリアで、明治23年に湯田中渋温泉郷各所にあった遊郭を移転して作った新地だそうです。当時は12軒の遊郭からなっていましたが、戦後になってGHQにより遊郭が廃止され、温泉旅館に転業したり廃業するものあり、現在の6軒の旅館とホテルとなっています。
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長野電鉄の湯田中駅に到着しました。スイスのグリンデルワルトの駅とアイガー北壁を連想させるような景色です。
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「黒姫山」から「戸隠連峰」の山々がきれいに見渡せます。
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「飯綱山」までくっきり見える天気の良さに感謝します。昨年の6月から日本国内の旅行を再開しましたが、緊急事態にも当たらず、天候の良いタイミングにばかり行き当たったと思います。
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この時間の電車は信州中野までの各駅停車で、乗り継ぎが1回あって小布施駅に向かいます。長野駅まで出て善光寺の御開帳の参拝のことも考えましたが、小布施でゆっくりできればと考えています。
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妻が道を1本間違えたので出発時間がギリギリになってしまいました。
湯田中駅 駅
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昨日の分の絵はがきを駅前のポストに投函します。
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湯田中駅から小布施駅までは1人610円でした。午前9時17分の電車に乗る予定です。
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温泉まんぢうが売っていましたが、帰ってくる頃には売り切れていました。
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長野電鉄3000系電車は通勤形電車で、元々は東京メトロが日比谷線で運用されてきた03系の車両だそうです。
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車内はガラガラで、同じツアーの方が数人乗ってらっしゃいました。
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湯田中駅を出るとすぐにリンゴの木がたくさん見えてきます。後で聞いた話ではゴールデンウィークの頃には真っ白な花が咲くそうです。
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戦闘車両からは前方の景色が良く見えます。この車両も東京メトロ時代には考えられないような美しい景色の中を走ることが出来てよかったと思います。
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40年近く前のことですが長野駅の駅ビルに改造社書店の現場管理で数週間滞在したことがあります。その仕事の終わりに志賀高原へスキーに行こうと思いました。軽井沢に住んでいる友人と車で行くはずでしたが、都合が悪くなり長野電鉄とバスを乗り継いでいくことになりました。
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その時車窓から見た風景の美しさに感動していつか小布施とかを旅してみたいと思うようになりました。その後スキーバスで何度も通過はしていますが、ようやく訪ねることが出来ました。その時の景色は寒々しい雪景色でしたが、今日は桜や梅や桃が咲き誇る美しい季節でした。
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竜王山の南側は緩やかな傾斜になっていて一面の果樹畑になっています。その斜面の感じがスイスのレマン湖の北側の斜面のブドウ畑のように見えます。シャモニー。モンブランから峠を越えてヴヴェイに立ち寄り、サン・サフォランやエッペスのオーベルジュを旅したことを思い出します。
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夜間瀬川の堤は桜が満開で提灯が吊られているので桜祭りがあるのかもしれません。
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信州中野駅には9時38分に到着しました。ここで長野駅行きの電車に乗り換えます。そのタイミングで下り列車と「列車交換」がありました。信州中野駅は「行き違い(すれ違い)可能駅」だったのですね。
信州中野駅 駅
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やってきたのは小田急10000形電車で、昭和62年の1987年から2012年まで小田急電鉄が運用していた特急用車両のロマンスカーでした。これには感激です。2006年12月より長野線長野駅と湯田中駅間のA特急「ゆけむり」として運転を開始したそうです。
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湯田中よりもきれいに「妙高山」が見えています。近くには満開の桜並木が続いています。
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「黒姫山」もくっきり見えてきました。午前中は山並みに太陽光線が当たるので特に美しいです。
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「飯綱山」とリンゴの木が日本の原風景の美しさを感じさせます。
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リンゴの木をアップで見ると新芽が出掛かっています。これから数週間で白い花まで咲くのだと思うと春はすぐそこまで来ているのが分かります。
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小布施駅に到着すると10人くらいの人が降りました。
小布施駅 駅
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駅のホームの奥には「ながでん電車の広場」と書かれた電車の格納庫が見えます。長野電鉄2000系電車は長野電鉄の特急形車両は昭和32年の1957年から1964年(昭和39年までに3両編成4本の12両が日本車輌製造で製造されました。1950年代後半の地方私鉄の電車としては希有な存在であったそうです。
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半世紀にわたって長野電鉄の看板電車としての地位を堅持し、長野市と湯田中温泉から志賀高原を結ぶ特急列車として運用され続けてきましたが、老朽化並びに後継車両の導入により平成24年の2012年に全ての運用から退きました。
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駅には冷蔵庫が1つ置かれてあり、キノコやジュースやジャムが売られていました。
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駅に併設された観光案内所でパンフレットや地図を貰って、巡回バスの「おぶせロマン号」の切符を購入しました。前にいた1人旅のおばあさんが巡回バスが1時間に1本しかないことと、見どころをセットにした共通券みたいなものが無いことに腹を立てて、係りの方に延々と文句を言い続けていて嫌になりました。今回の旅の前にHPからパンフレットの郵送をお願いしたら、3日後には届いた好感を持っていたので余計にそう思ったのかもしれません。
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小布施駅を出た巡回バスは町の中心部を通り過ぎて「おぶせ温泉前」に停車しました。ドライバーさんは見どころを説明してくれるので乗っていても楽しいです。ここの「あけびの湯」からは北信五岳が美しいことで有名だそうです。
小布施温泉あけびの湯 宿・ホテル
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巡回バスの車内でドライバーさんから岩松院だけの見学では次のバスが来る1時間後まで時間が余ってしまうので、その手前の「浄光寺前」でバスを降りて浄光寺を参拝した後に山裾を歩いて岩松院を参拝するのが良いとアドバイスをもらいます。
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突き当りの浄光寺を参拝した後に左手の道を10分少々歩けば岩松院に着くということです。これには皆さん従ったのでほとんどの方が下車しました。
浄光寺 寺・神社・教会
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リンゴの木は新芽も出ていませんが、足元の水仙は立派な花をつけています。
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浄光寺は真言宗豊山派の寺院なのでご縁があるのかもしれません。妻と2人でゆっくり参拝することにします。バス停の脇には小林一茶の句碑があり、一茶はここ雁田薬師を訪れ「山寺や畳の上の栗拾い」と詠んでいます。
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この歌は山寺に大風が吹き、畳の上に落ちた栗を広げて選別している風景を詠んだものですが、子供の頃に京都の祖母が秋になると栗を送ってくれたことを思い出します。庭の栗を段ボール箱一杯に詰めて送られるのですが、それを母が居間の畳の上にばら撒いて、弟たちと飽きるまで栗拾いをしたことを思い出しました。
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同じバスを降りた方が先に進むのを待ってから山門をくぐります。山門の仁王像は「薬師の仁王さん」と呼ばれ、右側が白で左側が赤の紅白の像は作者も違うそうです。
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山門でお線香をあげてから石段を登ります。
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このお寺の石段はこのような雁田石と呼ばれる自然石が無造作に積み上げられています。低く屈んで見上げると鼻先が一直線に見えるそうです。
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杉木立の先に薬師堂が見えてきました。
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階段の途中には馬頭観世音の石仏が置かれてありました。馬頭観音とは六観音の1つで、馬頭観世音(ばとうかんぜおん)とも呼ばれます。頭の上に馬の頭をいただいていることから、六道(ろくどう)の1つの畜生界を済度(さいど)するといわれ、馬の守護神として昔から広く信仰されています。この観音様は普通の姿ですが、通常の馬頭観音は忿怒(ふんぬ)の相をしています。第3の目も持ち、普通は3つの顔で、腕は二臂(にひ)か八臂(はっぴ)の姿で表されます。
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薬師堂は室町時代初期の応永15年の1408年の建立が明らかとなり、国の重要文化財に指定されています。茅葺き屋根の入り母屋造りの姿です。堂の前には高野山でも見た「角塔婆」が1本立てられていました。
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立派な「百度石」が置かれてありました。百度参りの方法は社寺の入口から拝殿や本堂まで行って参拝し、また社寺の入口まで戻るということを百度繰り返すことを言い、俗にこれを「お百度を踏む」といいます。社寺の入口近くにその目標となる「百度石」という石柱が立てられていることがあり、回数を間違えないように、小石やこよりや竹串などを百個用意しておいて参拝のたびに1個ずつ置いたり、百度石に備えつけられているそろばん状のもので数を数えたりします。
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百度参りは人に見られないように行うとか、裸足で行った方がより効果があるなどとも言われますが、この浄光寺の石段を見るとそんな気にはなりません。
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雁田薬師浄光寺は別名「妻恋薬師(つまごいやくし)」と昔から呼ばれ、「嫁が欲しけりゃ雁田へござれ」とも言われるそうです。良縁成就を祀ってか薬師堂手前にはハートマークの入った石灯篭があり、良縁祈願に訪れた参拝者はこの石灯篭にもお参りするそうです。実際は「猪目(いのめ)」と呼ばれる日本古来から使われている図柄だと思います。
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茅葺き屋根の入り母屋造りに蟇股(かえるまた)や巻き込み渦文の多い木鼻など伝統建築を踏襲した見事な建築です。
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いつの間にか誰もいなくなってしまいました。
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レンギョウもきれいに咲いています。
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浄光寺から岩松院へ向かうせせらぎ緑道からは北信五岳がきれいに見えました。5つの山は地元では「まみくとい」という愛称で呼ばれ、これは斑尾山(ま)、妙高山(み)、黒姫山(く)、戸隠山(と)、飯縄山(い)の頭文字をとって並べたものだそうです。
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天気も良いので望遠レンズで気に入った景色を切り取りながら歩けます。
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妻はとっとと先に行ってしまいました。
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この時期はリンゴの木の剪定など作業はたくさんあるようです。
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10分ほど歩いたところで「岩松院」が見えてきました。葛飾北斎の「八方睨み鳳凰図」を見に来たのですが、山の麓に建つ伽藍のロケーションが素晴らしいです。
岩松院 寺・神社・教会
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仁王門に対峙するような桜の木が満開を迎えています。
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この時期に小布施に来ることが出来てよかったと感じます。
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桜の下を仁王門に向かいます。
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金剛窟とは金剛力士のいるところという意味でしょうか。総桧造りの立派な仁王門です。
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素朴な姿の仁王像が安置されています。
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怖さや恐ろしさではなく親しみを感じる表情です。
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ゆっくり歩いてきたので同じバスの方はもう参拝をしていることと思います。
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元々は茅葺きの屋根だったのだと思いますが、現在はトタン葺きに変わっています。
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境内に流れる水路には水芭蕉がきれいに咲いていました。
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立派な本堂は文明4年の1472年に開山された曹洞宗の寺です。元和5年の1619年に広島城の無断改築を理由に、ここ信濃国高井野藩に改易された福島正則の菩提寺で、境内には霊廟がありました。福島正則は石田三成らと朝鮮出兵を契機としてその仲が一気に険悪になり、慶長4年の1599年の前田利家の死後、朋友の加藤清正らと共に三成を襲撃するなどの事件も起こしています。この時は徳川家康に慰留され襲撃を翻意しましたが、その経緯から家康の昵懇大名の1人となります。
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石田三成が挙兵した報を受けての小山評定では、家康の意を受けた黒田長政にあらかじめ懐柔されていた正則が動揺する諸大名の機先を制して、いち早く家康の味方につくことを誓約します。
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家康の死後まもない頃に台風による水害で破壊された広島城の本丸と二の丸と三の丸及び石垣等を無断修繕したことが武家諸法度違反に問われ、最終的には安芸と備後50万石は没収され、信濃国川中島四郡中の高井郡と越後国魚沼郡の4万5,000石に減転封の命令を受けることなります。
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江戸時代後期の絵師の葛飾北斎が小布施を初めて訪れたのは、1842年のことで数えで83歳のときのことでした。小布施の豪農にして文化人だった高井鴻山(たかいこうざん)の居宅を北斎が訪ねました。
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理由は諸説あるようで、文化活動に理解のある鴻山が江戸滞在中に北斎と知り合い、小布施町に招いたからといわれます。あるいは天保の改革によって贅沢を禁止され、江戸での創作活動が難しくなったからともいわれます。北斎は生涯に4度小布施を訪れ、鴻山の求めに応じて作品を仕上げています。
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北斎が他界する前年の88歳のとき、小布施で1年間かけて描いた傑作「八方睨み鳳凰図」を岩松院の本堂で見ることができます。畳21畳分の大きさに絵の具代を150両かけて仕上げた鳳凰は、朱と鉛丹と石黄、岩緑青と花紺青とべろ藍と藍など顔料を膠水で溶いた絵具で彩色されており、周囲は胡粉、下地に白土を塗り重ね金箔の砂子が蒔かれています。制作時の痕跡として、絵皿の跡も残っています。
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中国最古の辞典によれば、鳳凰の頭は鶏で頷は燕、頸は蛇で背は亀、尾は魚で色は黒と白と赤と青と黄の5色で、高さは6尺程とされます。論語などでは「聖天子の出現を待ってこの世に現れる」といわれる瑞獣(瑞鳥)の1つとされます。霊泉の甘い泉の水だけを飲み、60年から120年に一度だけ実を結ぶという竹の実を食物とし、梧桐の木にしか止まりません。鳳(ほう)はオスで凰(おう)はメスを指すともいわれます。
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春の桜が終わる頃になると、裏庭の小さな池に大人の手のひら大のアズマヒキガエルがいずこともなく集って来るそうです。メスの産卵をオスが手伝うためですが、メスが少ないために奪い合いとなって合戦となります。ここで生まれた蛙たちは3年から5年でまたこの池に産卵に下りてきます。そのため“必ずかえる”福蛙とも呼ばれています。
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「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」
俳人の小林一茶が病弱な初児の千太郎を想って句を詠んだ「蛙合戦の池」はここになります。池のほとりには一茶直筆の句碑があります。 -
この時期の小布施は椿も梅も桜も一斉に咲き誇っていました。
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次の巡回バスの時間も迫ってきたので参拝を終えます。
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バスの停留所は桜並木の先にあるようです。
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葛飾北斎の天井画が目的で訪れた「岩松院」でしたが、福島正則や小林一茶についても知ることが出来ました。
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バスの停留所の手前には「KUTEN」というカフェがありました。お茶を飲んでいる時間はありませんが、妻はリンゴの花のはちみつを買い求めました。幼稚園からの友人のおじさんが養蜂をされていて、いただいたアカシアのはちみつが絶品なのですが、数年前に養蜂を止めてしまったのでいただけないのが残念です。
KUTEN。fruit&cake グルメ・レストラン
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長年想い続けてきた小布施は予想以上に素晴らしいところでした。
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バスに乗って町の中心部まで戻ることにします。まだまだ見どころも多いですし、お昼も期待しています。
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