2021/10/23 - 2021/10/23
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コロナ前、羽田空港や成田空港への移動にはリムジンバスを利用していました。乗ってしまえば眠っていても大丈夫という安心感が有り難かったですね。
しかし、コロナ禍でリムジンバスは運休となり、ローカル線を乗り継いで空港へ行くことになりました。
埼玉県から向かうと、日暮里駅から京成本線で成田空港へ行くのですが、途中にある宗吾参道駅とい名前の駅が気になっていました。京成スカイライナーを利用すると知らぬ間に通り過ぎてしまいますが、金欠の私はいつも本線利用なんです。
気にはなっていても、途中下車する余裕がなかったのですが、今回は成田空港周辺の観光ということで、帰り道に途中下車をしました。
涙腺が緩い方はティッシュペーパーをご用意ください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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京成本線の宗吾参道駅です。
今回、芝山千代田駅から京成成田駅乗換で540円でした。 -
宗吾参道駅です。
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案内図がありました。
総延長7kmは歩けなくはないけれど、14時からでは辛いです。 -
北口を出ると、すぐに参道が始まっていました。
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要約すると、佐倉宗吾様(本名:木内惣五郎)は、下総国印旛郡公津村台方に生まれ、名主となっていました。凶作と重税に苦しむ領民を救うために4代将軍徳川家綱公に直訴を行い、領民の窮状を救いました。
しかし、直訴は重罪であり、42歳の宗吾様は4人の子供とともに処刑されてしまいました。
以来、宗吾様は農民の神様と崇められ、義民・宗吾様と呼ばれています。 -
坂道を上り始めると、早くも立派な門がありました。
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だらだらと上り坂が続きます。
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特に標識もないので(たぶん地元の方には必要ないのでしょう)、グーグルマップを頼りに進みます。
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宗吾霊堂前に着きました。案内図のイメージよりも遠かったです。
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門柱でしょうか、立派です。
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昔は風見鶏があったのかな。
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手水舎。
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宗吾様と4人の子のお墓です。
承応2年(1653年)8月3日、当時公津ヶ原と呼ばれたこの場所で処刑されました。 -
350年遠忌供養碑。
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宗吾父子地蔵尊。身代わり地蔵とも呼ばれています。
台座には小さい石の地蔵様が並べられています。 -
宗吾父子地蔵尊。
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昭和農地改革の碑。
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奉納した記念の石碑。
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大山門(仁王門)。
昭和53年、宗吾霊廟325年祭記念事業で建立されました。
下層の間口9.72m、高さ14.653mの大きな門です。
楼上には、高村光雲氏作の聖観世音菩薩像が安置されています。 -
阿形。
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吽形。飯能市の能仁寺梵鐘を制作した人間国宝・香取正彦氏の作品です。
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門を潜った中にも石碑がたくさんありました。
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石碑がありました。
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とても大きい灯籠です。
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大きい灯籠です。
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鐘楼が見えました。
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池を周って鐘楼に向かいます。
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鐘楼堂。昭和27年建立。
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梵鐘。香取秀真(ほつま)氏と人間国宝・香取正彦氏の父子共作です。
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何かの台座でしょうか。
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池越しに見た鐘楼堂。
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狛犬(阿形)。
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狛犬(吽形)。
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鳴鐘山医王院東勝寺の本堂ですが、宗吾霊堂も正しい名称です。
東勝寺の開基は古く桓武天皇の時代と伝わり、征夷大将軍・坂上田村麻呂が房総地方を平定した時に戦没者供養のために建立され、都から見て東方での勝利を記念した名前です。
有名な成田山新勝寺は、東勝寺よりも新しい寺という意味で名付けられています。 -
宗吾霊の額。
宗吾様の死後、100年祭のときに佐倉藩主堀田正允公が失政を認め、「宗吾」の法号を贈られて以降、宗吾霊堂と称しました。 -
宗吾霊堂の裏手に宗吾御一代記館があります。
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その手前に、豊秋 石心苑(ぶしゅう せきしんえん)があります。
360年忌に奉納された庭園です。 -
豊秋 石心苑。
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宗吾御一代記館。
義民・宗吾様の艱難辛苦の生涯を人形絵巻で再現しています。
入館料700円ですが、宗吾様が崇められる理由がとても良く分かります。 -
直訴状の冒頭部分(複製)。
「名主 惣五郎」の署名があります。 -
(第三景)将門山の説得。
一揆を起こそうとする農民を説得する木内惣五郎。 -
(第四景)堀田家の門訴。
木内惣五郎と他5名の代表が藩主に訴えるものの、門前払いとなりました。 -
(第五景)代表名主密議の場。
木内惣五郎は直訴の思いを他の5名に伝え、その手順を諮りました。 -
(第六景)老中への訴え。
木内惣五郎は、当時最も英知があるとされた久世大和守へ訴えるも却下されてしまいました。 -
(第七景)甚兵衛小屋。
木内惣五郎は雪に紛れて印旛沼に戻りました。 -
(第七景)甚兵衛小屋。
ここでも苦境を嘆く領民の声に、木内惣五郎は直訴を決意します。 -
(第九景)妻子決別。
木内惣五郎は妻に離縁状、子に勘当状を書いて出立の予定でした。 -
(第十景)雪の子別れ。
健気にも身を共にしようという妻子に断腸の思いでした。 -
(第十景)雪の子別れ。
合羽の袂にまといつく長男と別れ、裏街道を江戸へと進みます。 -
(第十一景)宗吾の赤心。
承応元年12月20日、上野寛永寺の三ノ橋において将軍に直訴状を差し出した木内惣五郎。
名君・保科正之公の指示で直訴状が受け取られ、願いは成就しました。 -
(第十二景)悲しみのおしおき場。
灼熱の公津ヶ原刑場において、惣五郎は磔、4人の子は打ち首となりました。 -
(第十二景)悲しみのおしおき場。
4人の子は長男以外は女児でしたが、髪を切り、男児と偽りの戸籍を作って処刑しました。
訪問時、観覧者は私一人でしたので、涙を隠すまでもありませんでした。 -
出口には小さな社がありましたので、お燈明をあげました。
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大きな石碑が奉納されていました。
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宗吾霊宝殿。昭和10年に開館した宝物館です。
宗吾御一代記館に入館すると、こちらも拝観できます。 -
板状塔婆2基。宗吾霊宝殿の手前に建っていますが、宗吾さまとは関係ありません。
左は明徳2年(1391年)、右は康永元年(1342年)に造立された供養塔です。 -
宗吾霊宝殿の内部はちょっと雑多な感じがしますが、貴重な展示が多いです。
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応長元年(1311年)の銘がある梵鐘で、船形(印旛沼の東側)の薬師寺に奉納されたものです。
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先代松本幸四郎さんが奉納した舞台衣装で、佐倉義民伝で着用したものです。
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宗吾霊父子のお位牌。
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2階への階段の中ほどに掲げられた額。
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2階の様子。
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義人・田中正造翁の木像。
足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴しました。宗吾様と同様に農民の救済に尽力した方です。
この像を見て、私は10日後に足尾銅山跡を訪れました。 -
ガラスが反射して見にくいですが、甚兵衛渡しの様子です。
甚兵衛渡しで禁を犯して惣五郎を渡した甚兵衛もまた、凍った印旛沼に身を投げたと伝わっています。 -
たぶん、お釈迦様の「天上天下唯我独尊」の像。
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萌芽という作品です。置いてある理由は不明です。
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福沢諭吉の発案で建立された宗吾顕彰碑。福沢諭吉は「学問のススメ」の中で、『人民ノ権義ヲ主張シ正理ヲ唱エテ政府ニ迫リ其ノ命ヲ捨テテ終ワリヲヨクシ(略)古来唯一名ノ佐倉惣五郎アルノミ』と絶賛しています。
本堂の裏にありました。今まで見た中で一番大きな石碑です。 -
十五重石塔。十三重石塔かと思ったら、よく見ると十五重でした。
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本堂の背面です。
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奥の院。平成14年10月建立。
御本尊の十一面観世音菩薩像は、大仏師・松本明慶氏の作です。 -
木遣睦の碑。
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宗吾殿。宮川藩堀田家の江戸下屋敷が浅草にあり、供養堂として建てられていたものですが、大東亜戦争で焼失しました。昭和28年に再建、平成30年にこの地に移りました。
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宗吾殿の額。
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聖天堂。歓喜天(聖天様)を祀っています。
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薬師堂。西日を受けて、映えています。
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地蔵堂。
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地蔵尊。宗吾様と4人の子らでしょうか。
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大本坊。研修道場です。昭和17年建立。
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鬼瓦。
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庫裏。
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売店もありますが、コロナ禍のため一部のみ営業。
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16時ですが、ずいぶんと暗くなってきました。
宗吾様は処刑されましたが、妻と幼子(第九景で母親に抱かれていた子)は生き残りました。今も末裔の第17代当主・木内克子さんが旧宅を守っています(産経新聞の記事から)。冒頭の義民ロード案内図を参照してください。 -
甚兵衛そば。門前のお蕎麦屋さん、名前の意味が分かりました。
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甚兵衛そばの脇にありました。渡し船じゃないですね、形は宝船かな。
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駅への道は下り坂なので楽でした。標高差は25mほどありました。
ここ宗吾霊堂と成田山新勝寺との間(約5.3km)には明治44年から昭和19年まで成宗電気軌道(せいそうでんききどう)と言う市電が通っていました。大東亜戦争末期に不要不急線ということで廃線となっています。
ただ、当時使われていた車両の1両が、現在も「函館ハイカラ號」として函館市電に残っているそうなので、現役のうちに乗りたいものです。 -
成田市と合併する前の酒々井町のマンホール蓋。町の木である梅がデザインされていました。
義民・宗吾様の伝承には後世の改変もあるようですが、宗吾さまを崇敬し建てられた神社やお寺が全国に30ヶ所ほどもあるそうです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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