大塚・巣鴨・駒込旅行記(ブログ) 一覧に戻る
9月未明、関西より関東に移動して、6回目の東京巡りをしました。小石川後楽園 小石川植物園 白山神社 六義園 旧古河庭園と庭園巡りが中心で、途中の源覚寺 善光寺 傳通院等と特徴のある寺があり、都心の真ん中で静かなひと時を過ごしました。(写真は六義園です。)<br />(小石川後楽園)水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園で、1629年初代の頼房が造営に着手し2代の光圀が完成させた。池では舟遊びもしていました。  <br />(小石川植物園)中国や韓国からの薬草をここで栽培し、薬を作っていました。御薬園が前身で、8代将軍吉宗の時にここに小石川養生所がありました。<br />(六義園)元禄8年(1695年)老中柳沢吉保が綱吉から下屋敷として与えられた駒込の池に「回遊式築山泉水庭園」を造りました。<br />(旧古河庭園)元明治の元勲・陸奥宗光の邸宅で、次男が古河家の養子になったのち、古河家の所有となる。武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の丘には洋館を建て、斜面に洋風庭園 低地には日本庭園を配したのが特徴です。<br />(源覚寺)日本 サイパン アメリカ 源覚寺と渡り歩いた鐘に感動し、<br />(善光寺)霊窟「おあな」に霊気を感じ、<br />(傳通院)家康の生母「お大」や徳川家一族の墓所がありました。 <br />{旅程}<br />①2021年9月14日(火)<br />自宅(JR)8:23上野(JR)秋葉原(JR)飯田橋駅で降り、周囲を散策します。<br />1)小石川後楽園(9:00-10:14)函徳亭 枯滝 西行堂跡 駐歩泉ノ碑 延段 寝覚ノ滝 唐門跡 内庭 異形灯篭 船着場 蓬莱島 九八屋 田端 神田上水跡 八ツ橋 愛宕坂 八掛堂跡 円月堂 得仁堂 通天橋 清水観音堂跡 沢渡 大堰川 ?風岩 西湖ノ堤と庭園を満喫し、<br />2)東京ドーム 礫川公園(元水戸徳川家所有) 文京区役所 源覚寺(1624年創建 小石川墓陵 コンニャク閻魔 毘沙門天堂) 善光寺(1602年創建 伝通院ノ塔頭 澤蔵司稲荷 慈眼院 ムクノキ) 傳通院(室町時代開創 家康の生母「お大」墓 処静院跡石柱)と不思議な雰囲気を感じながら歩きました。<br />3)小石川植物園(11:10-12:20)(正面 ソテツ精子発見 本館 シダ園 柴田記念館 メンデルのブドウ ニュートンのリンゴ 温室 乾薬場跡 イチョウ(精子発見) 薬園保存園 分類標本園 旧養成所ノ井戸 日本庭園 旧東京医学校本館 太郎稲荷)と多くの植物が育てられておりリフレッシュしました。御殿坂を歩き、<br />4)(昼食)イタリア料理「こむぎこ」(12:35-13:15)ウニとイカのパスタ(1100円)を戴き、<br />5)白山神社(948年 本社 富士浅間神社 松尾神社 孫文御座石 アジサイ園)参拝。<br />白山駅13:41(バス千駄木・駒込ルート100円)14:02六義園入口で降り、<br />6)六義園(14:06-15:05)入口 内庭大門 シダレ桜 出汐湊 玉藻磯 中ノ島(妹山 背山) 蓬莱島 臥石 田鶴橋 新玉松跡 渡月橋 紀川 藤波橋 蛛道 山陰橋 藤代峠 白鵬橋 吹上茶屋 ツツジ茶屋 吹上松 吟花亭跡 千鳥橋 紀川上 滝見茶屋 心泉亭 宣春亭と歩き、駒込駅までさらに7分歩きました。<br />駒込駅15:22(バス王子・駒込Kルート100円)15:30旧古河庭園で降り、<br />7)旧古河庭園(15:30-16:20)正面 洋館(旧古河邸 大谷美術館) 西洋庭園(バラ園) 展望台 ツツジ園 日本庭園(深山ノ境 船着石 大滝 心字池 雪見灯篭 渓谷 枯滝 見晴台 流れ 各種灯篭 茶室と洋風庭園も満喫し、 <br />旧古河庭園16:27(バス王子・駒込Kルート)16:36王子16:44(JR)自宅に戻ります。  <br /> 

2021年9月東京(6)小石川後楽園 小石川植物園 白山神社 六義園 旧古河庭園と都心の真中で静かな時を過ごしました。

53いいね!

2021/09/14 - 2021/09/14

94位(同エリア1038件中)

愛猫シロネコ

愛猫シロネコさん

9月未明、関西より関東に移動して、6回目の東京巡りをしました。小石川後楽園 小石川植物園 白山神社 六義園 旧古河庭園と庭園巡りが中心で、途中の源覚寺 善光寺 傳通院等と特徴のある寺があり、都心の真ん中で静かなひと時を過ごしました。(写真は六義園です。)
(小石川後楽園)水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園で、1629年初代の頼房が造営に着手し2代の光圀が完成させた。池では舟遊びもしていました。 
(小石川植物園)中国や韓国からの薬草をここで栽培し、薬を作っていました。御薬園が前身で、8代将軍吉宗の時にここに小石川養生所がありました。
(六義園)元禄8年(1695年)老中柳沢吉保が綱吉から下屋敷として与えられた駒込の池に「回遊式築山泉水庭園」を造りました。
(旧古河庭園)元明治の元勲・陸奥宗光の邸宅で、次男が古河家の養子になったのち、古河家の所有となる。武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の丘には洋館を建て、斜面に洋風庭園 低地には日本庭園を配したのが特徴です。
(源覚寺)日本 サイパン アメリカ 源覚寺と渡り歩いた鐘に感動し、
(善光寺)霊窟「おあな」に霊気を感じ、
(傳通院)家康の生母「お大」や徳川家一族の墓所がありました。
{旅程}
①2021年9月14日(火)
自宅(JR)8:23上野(JR)秋葉原(JR)飯田橋駅で降り、周囲を散策します。
1)小石川後楽園(9:00-10:14)函徳亭 枯滝 西行堂跡 駐歩泉ノ碑 延段 寝覚ノ滝 唐門跡 内庭 異形灯篭 船着場 蓬莱島 九八屋 田端 神田上水跡 八ツ橋 愛宕坂 八掛堂跡 円月堂 得仁堂 通天橋 清水観音堂跡 沢渡 大堰川 ?風岩 西湖ノ堤と庭園を満喫し、
2)東京ドーム 礫川公園(元水戸徳川家所有) 文京区役所 源覚寺(1624年創建 小石川墓陵 コンニャク閻魔 毘沙門天堂) 善光寺(1602年創建 伝通院ノ塔頭 澤蔵司稲荷 慈眼院 ムクノキ) 傳通院(室町時代開創 家康の生母「お大」墓 処静院跡石柱)と不思議な雰囲気を感じながら歩きました。
3)小石川植物園(11:10-12:20)(正面 ソテツ精子発見 本館 シダ園 柴田記念館 メンデルのブドウ ニュートンのリンゴ 温室 乾薬場跡 イチョウ(精子発見) 薬園保存園 分類標本園 旧養成所ノ井戸 日本庭園 旧東京医学校本館 太郎稲荷)と多くの植物が育てられておりリフレッシュしました。御殿坂を歩き、
4)(昼食)イタリア料理「こむぎこ」(12:35-13:15)ウニとイカのパスタ(1100円)を戴き、
5)白山神社(948年 本社 富士浅間神社 松尾神社 孫文御座石 アジサイ園)参拝。
白山駅13:41(バス千駄木・駒込ルート100円)14:02六義園入口で降り、
6)六義園(14:06-15:05)入口 内庭大門 シダレ桜 出汐湊 玉藻磯 中ノ島(妹山 背山) 蓬莱島 臥石 田鶴橋 新玉松跡 渡月橋 紀川 藤波橋 蛛道 山陰橋 藤代峠 白鵬橋 吹上茶屋 ツツジ茶屋 吹上松 吟花亭跡 千鳥橋 紀川上 滝見茶屋 心泉亭 宣春亭と歩き、駒込駅までさらに7分歩きました。
駒込駅15:22(バス王子・駒込Kルート100円)15:30旧古河庭園で降り、
7)旧古河庭園(15:30-16:20)正面 洋館(旧古河邸 大谷美術館) 西洋庭園(バラ園) 展望台 ツツジ園 日本庭園(深山ノ境 船着石 大滝 心字池 雪見灯篭 渓谷 枯滝 見晴台 流れ 各種灯篭 茶室と洋風庭園も満喫し、
旧古河庭園16:27(バス王子・駒込Kルート)16:36王子16:44(JR)自宅に戻ります。
 

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 上野駅地上ホームの車両止めです。(乗り換えます。)   

    上野駅地上ホームの車両止めです。(乗り換えます。)   

  • 立体交差で複雑な秋葉原駅(乗り換えます。)  

    立体交差で複雑な秋葉原駅(乗り換えます。)  

  • (車窓風景)中央線下の元の鉄道博物館跡   

    (車窓風景)中央線下の元の鉄道博物館跡   

  • 飯田橋駅で下車します。(以前は線路のカーブにホームがあり、車両とホームの間が恐ろしい程、空間があり、線路に落ちた人は数知れないと思います。) 

    飯田橋駅で下車します。(以前は線路のカーブにホームがあり、車両とホームの間が恐ろしい程、空間があり、線路に落ちた人は数知れないと思います。) 

  • 飯田橋駅(写真のようにホームを削り、ホームの直線部に搭乗口を移動しました。いつ行ったかは分かりません。)飯田橋駅は仕事で数年間通っていました。  

    飯田橋駅(写真のようにホームを削り、ホームの直線部に搭乗口を移動しました。いつ行ったかは分かりません。)飯田橋駅は仕事で数年間通っていました。  

  • 飯田橋駅  

    飯田橋駅  

    飯田橋駅

  • 「飯田橋」の由来(昔、徳川家康がこの地に来て、この辺を案内した人が飯田喜兵衛という人でした。) <br /> 

    「飯田橋」の由来(昔、徳川家康がこの地に来て、この辺を案内した人が飯田喜兵衛という人でした。) 
     

  • 庭園入場前に数年間、通勤した飯田橋駅界隈を歩きました。(懐かしい想い出でした。)2年間、通勤したビル(勿論、その会社はありませんでした。)  <br />

    庭園入場前に数年間、通勤した飯田橋駅界隈を歩きました。(懐かしい想い出でした。)2年間、通勤したビル(勿論、その会社はありませんでした。)  

  • 以前、1年間、勤務していた会社の跡地に新しいビルが建っていました。(東京区政会館で東京都立大学も入っていました。)  

    以前、1年間、勤務していた会社の跡地に新しいビルが建っていました。(東京区政会館で東京都立大学も入っていました。)  

  • 以前、1年間、勤務していた会社の跡地に新しいビルが建っていました。(東京区政会館で東京都立大学も入っていました。)やはり、色々な大学がここにはあったようです。 

    以前、1年間、勤務していた会社の跡地に新しいビルが建っていました。(東京区政会館で東京都立大学も入っていました。)やはり、色々な大学がここにはあったようです。 

  • この辺は「國學院大學開校の地」等、大学が昔あったようです。(当時は知りませんでした。) 

    この辺は「國學院大學開校の地」等、大学が昔あったようです。(当時は知りませんでした。) 

  • 中学校発祥の地(この辺は大学が昔あったようです。当時は知りませんでした。)   

    中学校発祥の地(この辺は大学が昔あったようです。当時は知りませんでした。)   

  • 日本大学開校の地(この辺は大学が昔あったようです。当時は知りませんでした。)  

    日本大学開校の地(この辺は大学が昔あったようです。当時は知りませんでした。)  

  • 日本医大付属病院第1病院跡の碑 

    日本医大付属病院第1病院跡の碑 

  • 日本医大付属病院第1病院跡(昔の写真) 

    日本医大付属病院第1病院跡(昔の写真) 

  • 國學院大學発祥の地 

    國學院大學発祥の地 

  • 小石川後楽園西門より入ります。(65歳以上で150円と半額でした。又、武漢ウイルスの為、事前にWeb予約が必要でした。以後の六義園 旧古河庭園もWeb予約が必要でしたが、人数が居ない為か、当日の門の前でのWeb予約でもOKのようです。)     

    小石川後楽園西門より入ります。(65歳以上で150円と半額でした。又、武漢ウイルスの為、事前にWeb予約が必要でした。以後の六義園 旧古河庭園もWeb予約が必要でしたが、人数が居ない為か、当日の門の前でのWeb予約でもOKのようです。)     

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 小石川後楽園(園内図)(水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園で、1629年初代の頼房が造営に着手し2代の光圀が完成させた。池は舟遊びもしていました。)   <br />

    小石川後楽園(園内図)(水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園で、1629年初代の頼房が造営に着手し2代の光圀が完成させた。池は舟遊びもしていました。)  

  • 小石川後楽園(園内図)(水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園で、1629年初代の頼房が造営に着手し2代の光圀が完成させた。池は舟遊びもしていました。) 

    小石川後楽園(園内図)(水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園で、1629年初代の頼房が造営に着手し2代の光圀が完成させた。池は舟遊びもしていました。) 

  • 小石川後楽園(庭園入口) 

    小石川後楽園(庭園入口) 

  • 馬場桜(枝垂桜) 

    馬場桜(枝垂桜) 

  • 大泉水 

    大泉水 

  • 西行堂跡(西行法師の木像があった。) 

    西行堂跡(西行法師の木像があった。) 

  • 西行堂跡(歌碑) 

    西行堂跡(歌碑) 

  • 駐歩泉の碑 

    駐歩泉の碑 

  • 幣橋 

    幣橋 

  • 竜田川 

    竜田川 

  • 島に居た何かしらの鳥 

    島に居た何かしらの鳥 

  • 蓬莱島(庭園の中心の島で、大泉水は琵琶湖を見たてています。)  

    蓬莱島(庭園の中心の島で、大泉水は琵琶湖を見たてています。)  

  • 蓬莱島 

    蓬莱島 

  • 延段(層理が入った青石で切り石と玉石の組み合わせです。) 

    延段(層理が入った青石で切り石と玉石の組み合わせです。) 

  • 白雲台よりの景色 

    白雲台よりの景色 

  • 木曽山(シュロ山とも言います。) 

    木曽山(シュロ山とも言います。) 

  • 寝覚の滝(池水の松竜が滝となり、木曽川に落ちる所を表現しています。高さ1m) 

    寝覚の滝(池水の松竜が滝となり、木曽川に落ちる所を表現しています。高さ1m) 

  • 鳥 

    鳥 

  • 鳥

  • 鳥

  • 唐門(2021年新築)  

    唐門(2021年新築)  

  • 唐門(2021年新築) 

    唐門(2021年新築) 

  • 唐門(2021年新築) 

    唐門(2021年新築) 

  • 兵舎記念碑 

    兵舎記念碑 

  • 内庭(純日本庭園)(唐門を通り入ります。) 

    内庭(純日本庭園)(唐門を通り入ります。) 

  • 内庭より唐門を見ます。 

    内庭より唐門を見ます。 

  • 痙鸚碑(えいようひ)(鷹の供養の為) 

    痙鸚碑(えいようひ)(鷹の供養の為) 

  • 異形灯篭(鑑賞目的) 

    異形灯篭(鑑賞目的) 

  • 蓬莱島(右に弁財天が見え、灯篭も分ります。) 

    蓬莱島(右に弁財天が見え、灯篭も分ります。) 

  • 船着場 

    船着場 

  • 田端(手前は稲田 中央が藤棚 奥が花菖蒲で季節に綺麗な花を咲かせます。)  

    田端(手前は稲田 中央が藤棚 奥が花菖蒲で季節に綺麗な花を咲かせます。)  

  • 不老水(水が枯れた事がなかったそうです。) 

    不老水(水が枯れた事がなかったそうです。) 

  • 神田上水跡(昔は神田川より水を引き入れていました。) 

    神田上水跡(昔は神田川より水を引き入れていました。) 

  • 梅林 

    梅林 

  • 藤田東湖の記念碑 

    藤田東湖の記念碑 

  • 愛宕坂(京都の愛宕山を模して作られた石段 右は男坂(登るのは禁止)左は女坂) 

    愛宕坂(京都の愛宕山を模して作られた石段 右は男坂(登るのは禁止)左は女坂) 

  • 八掛堂跡(光圀公が家康より「文昌星」像を賜ってそれを思い起こし、これを作った。) 

    八掛堂跡(光圀公が家康より「文昌星」像を賜ってそれを思い起こし、これを作った。) 

  • 小町塚(塚石が常陸の小野の産地である事を光圀が戯れて「小町塚」と呼んだ。)  

    小町塚(塚石が常陸の小野の産地である事を光圀が戯れて「小町塚」と呼んだ。)  

  • 綺麗な彼岸花 

    綺麗な彼岸花 

  • 円月橋(説明)(橋が半月で、水面に映り、満月のように見える。)

    円月橋(説明)(橋が半月で、水面に映り、満月のように見える。)

  • 円月橋(橋が半月で、水面に映り、満月のように見える。)

    円月橋(橋が半月で、水面に映り、満月のように見える。)

  • 円月橋(橋が半月で、水面に映り、満月のように見える。) 

    円月橋(橋が半月で、水面に映り、満月のように見える。) 

  • 円月橋(橋が半月で、水面に映り、満月のように見える。)

    円月橋(橋が半月で、水面に映り、満月のように見える。)

  • 円月橋  

    円月橋  

  • 沢渡(平石で川を渡る。)奥は白糸の滝

    沢渡(平石で川を渡る。)奥は白糸の滝

  • 丸屋

    丸屋

  • 得仁堂(3つの像がありましたが、伯夷像と叔齋像は現存していますが、泰伯像は消失しました。)

    得仁堂(3つの像がありましたが、伯夷像と叔齋像は現存していますが、泰伯像は消失しました。)

  • 得仁堂(園内で最古の建物)

    得仁堂(園内で最古の建物)

  • 通天橋(説明)(京都の東福寺の通天橋を模しており、紅葉が綺麗です。) 

    通天橋(説明)(京都の東福寺の通天橋を模しており、紅葉が綺麗です。) 

  • 通天橋より大堰川を見ます。

    通天橋より大堰川を見ます。

  • 通天橋(京都の東福寺の通天橋を模しており、紅葉が綺麗です。)

    通天橋(京都の東福寺の通天橋を模しており、紅葉が綺麗です。)

  • 通天橋(京都の東福寺の通天橋を模しており、紅葉が綺麗です。)

    通天橋(京都の東福寺の通天橋を模しており、紅葉が綺麗です。)

  • 清水観音堂跡(柱の土台のみです。)(勿論、京都の清水寺の観音堂を模しています。)

    清水観音堂跡(柱の土台のみです。)(勿論、京都の清水寺の観音堂を模しています。)

  • 大堰川(京都の嵐山の下を流れる大堰川にちなむ。)

    大堰川(京都の嵐山の下を流れる大堰川にちなむ。)

  • 屏風岩(家光が来た時に、松の枝に手拭いを掛け、石に腰かけた。)

    屏風岩(家光が来た時に、松の枝に手拭いを掛け、石に腰かけた。)

  • 大堰川(西岩で短い距離で上流から河口までの川の変遷を再現しています。) 

    大堰川(西岩で短い距離で上流から河口までの川の変遷を再現しています。) 

  • 中国の西湖の提

    中国の西湖の提

  • 渡月橋

    渡月橋

  • 函徳亭(昭和61年築で「硝子の茶屋」といいます。) 

    函徳亭(昭和61年築で「硝子の茶屋」といいます。) 

  • 函徳亭(昭和61年築で「硝子の茶屋」といいます。)

    函徳亭(昭和61年築で「硝子の茶屋」といいます。)

  • 小石川後楽園を出て、歩いて、小石川植物園に向かいます。(途中、源覚寺 善光寺 傳通院に参拝します。色々な謂れのある寺がありました。)<br />東京ドーム

    小石川後楽園を出て、歩いて、小石川植物園に向かいます。(途中、源覚寺 善光寺 傳通院に参拝します。色々な謂れのある寺がありました。)
    東京ドーム

  • 区立礫川公園(江戸時代は水戸家所有の土地でした。)明治以後は陸軍の砲兵工廠でその碑もあります。)  

    区立礫川公園(江戸時代は水戸家所有の土地でした。)明治以後は陸軍の砲兵工廠でその碑もあります。)  

  • 区立礫川公園より見る文京シビックセンター(地下4F 地上27階で区役所やホール(演奏会で何度か行った事があります。)等があります。25Fは無料の展望台となっています。建築時期はバブルの最中に作られ、その後、こんな箱物を作ってと酷評されましたが今の評価はどうなっているのでしょうか?)

    区立礫川公園より見る文京シビックセンター(地下4F 地上27階で区役所やホール(演奏会で何度か行った事があります。)等があります。25Fは無料の展望台となっています。建築時期はバブルの最中に作られ、その後、こんな箱物を作ってと酷評されましたが今の評価はどうなっているのでしょうか?)

  • 源覚寺(1624年建立。本尊は阿弥陀如来です。本堂は1979年に再建)<br />小さなお寺ですが、色々な謂れがあるお寺でした。

    源覚寺(1624年建立。本尊は阿弥陀如来です。本堂は1979年に再建)
    小さなお寺ですが、色々な謂れがあるお寺でした。

    源覚寺(こんにゃくえんま) 寺・神社・教会

  • 閻魔王坐像(「こんにゃくえんま像」といい、鎌倉時代の作で、右側の眼が黄色く濁っていますが、こんな伝説があります。眼病の老婆が閻魔様に祈願した所、夢に閻魔様が「私の眼をあげよう。」と告げ、老婆の眼は治り、お礼に「こんにゃく」を供えた事から、こういう名前となりました。) 

    閻魔王坐像(「こんにゃくえんま像」といい、鎌倉時代の作で、右側の眼が黄色く濁っていますが、こんな伝説があります。眼病の老婆が閻魔様に祈願した所、夢に閻魔様が「私の眼をあげよう。」と告げ、老婆の眼は治り、お礼に「こんにゃく」を供えた事から、こういう名前となりました。) 

  • 本物の閻魔大王(閻魔王坐像)(「こんにゃくえんま像」といい、鎌倉時代の作で、右側の眼が黄色く濁っていますが、こんな伝説があります。眼病の老婆が閻魔様に祈願した所、夢に閻魔様が「私の眼をあげよう。」と告げ、老婆の眼は治り、お礼に「こんにゃく」を供えた事から、こういう名前となりました。)

    本物の閻魔大王(閻魔王坐像)(「こんにゃくえんま像」といい、鎌倉時代の作で、右側の眼が黄色く濁っていますが、こんな伝説があります。眼病の老婆が閻魔様に祈願した所、夢に閻魔様が「私の眼をあげよう。」と告げ、老婆の眼は治り、お礼に「こんにゃく」を供えた事から、こういう名前となりました。)

  • 写真の閻魔大王(閻魔王坐像)(「こんにゃくえんま像」といい、鎌倉時代の作で、右側の眼が黄色く濁っていますが、こんな伝説があります。眼病の老婆が閻魔様に祈願した所、夢に閻魔様が「私の眼をあげよう。」と告げ、老婆の眼は治り、お礼に「こんにゃく」を供えた事から、こういう名前となりました。)右目が割れて黄色くなっています。

    写真の閻魔大王(閻魔王坐像)(「こんにゃくえんま像」といい、鎌倉時代の作で、右側の眼が黄色く濁っていますが、こんな伝説があります。眼病の老婆が閻魔様に祈願した所、夢に閻魔様が「私の眼をあげよう。」と告げ、老婆の眼は治り、お礼に「こんにゃく」を供えた事から、こういう名前となりました。)右目が割れて黄色くなっています。

  • 塩地蔵尊(由来)

    塩地蔵尊(由来)

  • 塩地蔵尊(塩が塗られている為、お地蔵さんの本体は分かりませんでした。)

    塩地蔵尊(塩が塗られている為、お地蔵さんの本体は分かりませんでした。)

  • 小石川七福神の一つで毘沙門天堂

    小石川七福神の一つで毘沙門天堂

  • 汎太平洋の鐘(1690年(元禄3年)鋳造の鐘で、昭和12年サイパンの南洋寺に運ばれましたが、終戦で行方不明となり、昭和40年、アメリカで発見され、昭和49年に当山に寄贈されました。数奇な運命な鐘です。)

    汎太平洋の鐘(1690年(元禄3年)鋳造の鐘で、昭和12年サイパンの南洋寺に運ばれましたが、終戦で行方不明となり、昭和40年、アメリカで発見され、昭和49年に当山に寄贈されました。数奇な運命な鐘です。)

  • 汎太平洋の鐘(1690年(元禄3年)鋳造の鐘で、昭和12年サイパンの南洋寺に運ばれましたが、終戦で行方不明となり、昭和40年、アメリカで発見され、昭和49年に当山に寄贈されました。数奇な運命な鐘です。)

    汎太平洋の鐘(1690年(元禄3年)鋳造の鐘で、昭和12年サイパンの南洋寺に運ばれましたが、終戦で行方不明となり、昭和40年、アメリカで発見され、昭和49年に当山に寄贈されました。数奇な運命な鐘です。)

  • 南洋諸島物故者慰霊碑

    南洋諸島物故者慰霊碑

  • 南洋諸島物故者慰霊像(観音像)

    南洋諸島物故者慰霊像(観音像)

  • 源覚寺より善光寺まで歩きます。<br />善光寺入口 

    源覚寺より善光寺まで歩きます。
    善光寺入口 

  • 善光寺本堂(1602年創建。傳通院の塔頭の一つで明治17年、善光寺となり長野の善光寺分院となりました。)

    善光寺本堂(1602年創建。傳通院の塔頭の一つで明治17年、善光寺となり長野の善光寺分院となりました。)

  • 善光寺に居た可愛いネコちゃん(すり寄って来ました。)

    善光寺に居た可愛いネコちゃん(すり寄って来ました。)

  • 善光寺に居た可愛いネコちゃん(すり寄って来ました。)

    善光寺に居た可愛いネコちゃん(すり寄って来ました。)

  • 慈眼院(澤蔵司稲荷)

    慈眼院(澤蔵司稲荷)

  • 霊窟「おあな」

    霊窟「おあな」

  • 霊窟「おあな」入口

    霊窟「おあな」入口

  • 霊窟「おあな」

    霊窟「おあな」

  • 霊窟「おあな」(下に「おあな」の入口がありました。)

    霊窟「おあな」(下に「おあな」の入口がありました。)

  • 末社が沢山あり、都心の真ん中で独特な雰囲気の感じで良い所です。

    末社が沢山あり、都心の真ん中で独特な雰囲気の感じで良い所です。

  • 善光寺坂のムクノキ(樹齢400年で高さ13m 大空襲前は20m以上あったそうで、一部が残りました。) 

    善光寺坂のムクノキ(樹齢400年で高さ13m 大空襲前は20m以上あったそうで、一部が残りました。) 

  • 善光寺坂のムクノキ(樹齢400年で高さ13m 大空襲前は20m以上あったそうで、一部が残りました。)

    善光寺坂のムクノキ(樹齢400年で高さ13m 大空襲前は20m以上あったそうで、一部が残りました。)

  • 善光寺坂のムクノキ(樹齢400年で高さ13m 大空襲前は20m以上あったそうで、一部が残りました。)

    善光寺坂のムクノキ(樹齢400年で高さ13m 大空襲前は20m以上あったそうで、一部が残りました。)

  • 一部に焼け跡で黒くなっています。

    一部に焼け跡で黒くなっています。

  • 善光寺坂のムクノキ(道の真ん中にあります。)

    善光寺坂のムクノキ(道の真ん中にあります。)

  • 傳通院(山門は木造の二重門で2012年建立。)(このお寺は永井荷風や夏目漱石の小説にも登場します。)

    傳通院(山門は木造の二重門で2012年建立。)(このお寺は永井荷風や夏目漱石の小説にも登場します。)

  • 傳通院(正面の大きな2本の桜の木)

    傳通院(正面の大きな2本の桜の木)

  • 傳通院(本堂)(1425年創建の浄土宗 了誉が開山)家康の母君「お大」の御遺体が祀られた寺で、徳川家の菩提寺で徳川家ゆかりの人の墓があります。)

    傳通院(本堂)(1425年創建の浄土宗 了誉が開山)家康の母君「お大」の御遺体が祀られた寺で、徳川家の菩提寺で徳川家ゆかりの人の墓があります。)

    伝通院 寺・神社・教会

  • 傳通院(鐘楼)

    傳通院(鐘楼)

  • 傳通院の墓所(家康の生母「お大」や千姫(2代秀忠の長女) 孝子の方(家光の正室)初姫等多くの徳川家の子女たちが埋葬されています。)

    傳通院の墓所(家康の生母「お大」や千姫(2代秀忠の長女) 孝子の方(家光の正室)初姫等多くの徳川家の子女たちが埋葬されています。)

  • 家康の生母「お大」の生誕について

    家康の生母「お大」の生誕について

  • 家康の生母「お大」の墓所

    家康の生母「お大」の墓所

  • 家康の生母「お大」の墓所

    家康の生母「お大」の墓所

  • 家康の生母「お大」の墓所

    家康の生母「お大」の墓所

  • 周囲には徳川家の墓所が並んでいます。

    周囲には徳川家の墓所が並んでいます。

  • 処静院跡の石柱(説明)(傳通院の塔頭の一つです。)

    処静院跡の石柱(説明)(傳通院の塔頭の一つです。)

  • 処静院跡の石柱(説明)(傳通院の塔頭の一つです。)

    処静院跡の石柱(説明)(傳通院の塔頭の一つです。)

  • 処静院跡(傳通院の塔頭の一つで、新選組の前身の浪士組結成の地です。)

    処静院跡(傳通院の塔頭の一つで、新選組の前身の浪士組結成の地です。)

  • 喜運寺(曹洞宗)

    喜運寺(曹洞宗)

  • 喜運寺(変わった名前の延命豆腐地蔵尊)(由来は1716-36年、豆腐を買いに来る小坊主がおり、お金の代わりに石が入っており、小坊主を追い掛け、傷を付けましたが、消えました。小坊主はお地蔵様の化身で、傷口が合いました。その後、豆腐を供えました。)

    喜運寺(変わった名前の延命豆腐地蔵尊)(由来は1716-36年、豆腐を買いに来る小坊主がおり、お金の代わりに石が入っており、小坊主を追い掛け、傷を付けましたが、消えました。小坊主はお地蔵様の化身で、傷口が合いました。その後、豆腐を供えました。)

  • 小石川植物園入口(Web予約なしでOKです。500円)(中国や韓国からの薬草をここで栽培し、薬を作っていました。御薬園が前身で、8代将軍吉宗の時にここに小石川養生所があった。(「赤ひげ」で知られる町医者小川笙船の建言を機に、吉宗が作った貧民の為の無料診療所です。)今は東大大学院理学系研究科付属植物園です。

    小石川植物園入口(Web予約なしでOKです。500円)(中国や韓国からの薬草をここで栽培し、薬を作っていました。御薬園が前身で、8代将軍吉宗の時にここに小石川養生所があった。(「赤ひげ」で知られる町医者小川笙船の建言を機に、吉宗が作った貧民の為の無料診療所です。)今は東大大学院理学系研究科付属植物園です。

    小石川植物園 公園・植物園

  • 小石川植物園(園内図)(中国や韓国からの薬草をここで栽培し、薬を作っていました。御薬園が前身で、8代将軍吉宗の時にここに小石川養生所があった。(「赤ひげ」で知られる町医者小川笙船の建言を機に、吉宗が作った貧民の為の無料診療所です。)今は東大大学院理学系研究科付属植物園です。

    小石川植物園(園内図)(中国や韓国からの薬草をここで栽培し、薬を作っていました。御薬園が前身で、8代将軍吉宗の時にここに小石川養生所があった。(「赤ひげ」で知られる町医者小川笙船の建言を機に、吉宗が作った貧民の為の無料診療所です。)今は東大大学院理学系研究科付属植物園です。

  • 小石川植物園入口の可愛い猫ちゃん(触っても、ずっと寝ていました。)

    小石川植物園入口の可愛い猫ちゃん(触っても、ずっと寝ていました。)

  • ソテツ(精子が発見されました。)

    ソテツ(精子が発見されました。)

  • 本館

    本館

  • 園内は広いですが、標識と番号で迷子にならずに済みました。

    園内は広いですが、標識と番号で迷子にならずに済みました。

  • シダ園

    シダ園

  • 柴田記念館(植物学の基礎を築いた柴田博士の記念館)

    柴田記念館(植物学の基礎を築いた柴田博士の記念館)

  • 柴田博士像

    柴田博士像

  • 柴田記念館(内部)

    柴田記念館(内部)

  • 柴田記念館(内部)

    柴田記念館(内部)

  • メンデルのブドウ(説明)

    メンデルのブドウ(説明)

  • メンデルのブドウ(遺伝学のメンデルが実験に用いた由緒あるブドウの分け株です。)

    メンデルのブドウ(遺伝学のメンデルが実験に用いた由緒あるブドウの分け株です。)

  • ニュートンのリンゴ(説明)

    ニュートンのリンゴ(説明)

  • ニュートンのリンゴ(ニュートンが万有引力を発見したリンゴの木の接木です。)

    ニュートンのリンゴ(ニュートンが万有引力を発見したリンゴの木の接木です。)

  • 小石川植物園の旧煉瓦躯体を保存しています。

    小石川植物園の旧煉瓦躯体を保存しています。

  • 小石川植物園の旧煉瓦躯体の一部

    小石川植物園の旧煉瓦躯体の一部

  • 小石川植物園の旧煉瓦躯体の一部(ボイラー室の釜)

    小石川植物園の旧煉瓦躯体の一部(ボイラー室の釜)

  • 温室前の水生植物

    温室前の水生植物

  • 温室入口

    温室入口

  • 温室

    温室

  • 入口

    入口

  • 冷温室の植物

    冷温室の植物

  • 小笠原諸島の固有植物

    小笠原諸島の固有植物

  • 小笠原諸島の固有植物

    小笠原諸島の固有植物

  • 日本と東アジアの熱帯植物<br />

    日本と東アジアの熱帯植物

  • 日本と東アジアの熱帯植物

    日本と東アジアの熱帯植物

  • 世界の熱帯植物

    世界の熱帯植物

  • 世界の熱帯植物

    世界の熱帯植物

  • 乾燥地の熱帯植物

    乾燥地の熱帯植物

  • 乾燥地の熱帯植物

    乾燥地の熱帯植物

  • ドリアン (実は美味しいです。)

    ドリアン (実は美味しいです。)

  • 乾薬場跡(右下の平石の上に薬草を並べて乾燥させた。)  

    乾薬場跡(右下の平石の上に薬草を並べて乾燥させた。)  

  • 精子発見のイチョウ(説明)

    精子発見のイチョウ(説明)

  • 精子発見六十周年記念碑(昭和31年設置)

    精子発見六十周年記念碑(昭和31年設置)

  • イチョウ(精子発見)(明治29年、平瀬作五郎はこの雌の木から採取した若い種子において精子を発見しました。それまで、種子植物は花粉管が伸長して造卵器に達して受精すると思われていました。この発見は世界に反響を起こしました。)

    イチョウ(精子発見)(明治29年、平瀬作五郎はこの雌の木から採取した若い種子において精子を発見しました。それまで、種子植物は花粉管が伸長して造卵器に達して受精すると思われていました。この発見は世界に反響を起こしました。)

  • 彼岸花

    彼岸花

  • スズカケノキ

    スズカケノキ

  • ムクゲの花

    ムクゲの花

  • 日本庭園

    日本庭園

  • 旧東京医学校本館(総合研究博物館小石川分館)

    旧東京医学校本館(総合研究博物館小石川分館)

  • 旧東京医学校本館(総合研究博物館小石川分館)

    旧東京医学校本館(総合研究博物館小石川分館)

  • ハギ園

    ハギ園

  • ラクウショウの木

    ラクウショウの木

  • 太郎稲荷

    太郎稲荷

  • 分類標本園

    分類標本園

  • 旧養生所の井戸(小石川養生所の跡はここだけです。)

    旧養生所の井戸(小石川養生所の跡はここだけです。)

  • 旧養生所の井戸(小石川養生所の跡はここだけです。)

    旧養生所の井戸(小石川養生所の跡はここだけです。)

  • 甘藷試作跡(説明)

    甘藷試作跡(説明)

  • 甘藷試作跡(青木昆陽が幕府の許可を得てサツマイモの栽培を試みた事の成功の碑で大正10年に作られた。)

    甘藷試作跡(青木昆陽が幕府の許可を得てサツマイモの栽培を試みた事の成功の碑で大正10年に作られた。)

  • 薬園保存園(ここは元は徳川幕府の薬園で薬用の樹木がありました。)

    薬園保存園(ここは元は徳川幕府の薬園で薬用の樹木がありました。)

  • 薬園保存園(漢方の生薬が沢山、ありました。)

    薬園保存園(漢方の生薬が沢山、ありました。)

  • 薬園保存園(シャクヤク)

    薬園保存園(シャクヤク)

  • 小石川植物園より歩いて、白山神社に向かいます。<br />小石川白山教会

    小石川植物園より歩いて、白山神社に向かいます。
    小石川白山教会

  • 薬師坂(小石川植物園から白山神社までは、様々な坂があり、名前が付けられています。)

    薬師坂(小石川植物園から白山神社までは、様々な坂があり、名前が付けられています。)

  • 白山神社近くのイタリア料理のR「こむぎこ」で昼食を戴きます。

    白山神社近くのイタリア料理のR「こむぎこ」で昼食を戴きます。

    こむぎこ グルメ・レストラン

  • R「こむぎこ」(メニュー)

    R「こむぎこ」(メニュー)

  • ウニとイカのパスタ(1100円)濃厚なウニの味がして美味しく戴きました。

    ウニとイカのパスタ(1100円)濃厚なウニの味がして美味しく戴きました。

  • R「こむぎこ」(店内)

    R「こむぎこ」(店内)

  • 白山神社入口

    白山神社入口

  • 白山神社(拝殿)948年に創建された神社で、6月中旬のあじさい祭りが見事です。<br /> 

    白山神社(拝殿)948年に創建された神社で、6月中旬のあじさい祭りが見事です。
     

    白山神社 寺・神社・教会

  • 白山神社(本殿)

    白山神社(本殿)

  • 東京十社巡りの一つです。(今回の東京巡りで5社を回りました。次回は門前仲町に行き、富岡八幡宮を予定しています。残りの4社も回りたいと考えています。)

    東京十社巡りの一つです。(今回の東京巡りで5社を回りました。次回は門前仲町に行き、富岡八幡宮を予定しています。残りの4社も回りたいと考えています。)

  • 孫文先生座石(この近くに住んでおり、境内の石に腰かけていたと言います。)

    孫文先生座石(この近くに住んでおり、境内の石に腰かけていたと言います。)

  • 白旗桜 

    白旗桜 

  • 関東松尾神社(京都の松尾大社の御分霊です。)

    関東松尾神社(京都の松尾大社の御分霊です。)

  • 白山浅間神社(小高い丘の上にあり、富士山を見立てています。)

    白山浅間神社(小高い丘の上にあり、富士山を見立てています。)

  • 白山浅間神社(末社)(紫陽花のシーズンのみ解放されます。)

    白山浅間神社(末社)(紫陽花のシーズンのみ解放されます。)

  • 白山浅間神社(紫陽花が咲くと見事だと思います。)

    白山浅間神社(紫陽花が咲くと見事だと思います。)

  • コミュニティバスで白山神社より六義園まで行きます。(100円)(地域のバスなので、遠回りをして、病院や老人ホームを回って行きます。色々な所を回って面白いです。

    コミュニティバスで白山神社より六義園まで行きます。(100円)(地域のバスなので、遠回りをして、病院や老人ホームを回って行きます。色々な所を回って面白いです。

  • (車窓風景)8月に歩いた日本医大前を通ります。<br />

    (車窓風景)8月に歩いた日本医大前を通ります。

  • (車窓風景)8月に歩いた日本医大前を通ります。工事中のようです。

    (車窓風景)8月に歩いた日本医大前を通ります。工事中のようです。

  • (車窓風景)駒込病院

    (車窓風景)駒込病院

  • (車窓風景)駒込富士神社(ここも、白山神社と同じで富士信仰の富士古墳があります。)

    (車窓風景)駒込富士神社(ここも、白山神社と同じで富士信仰の富士古墳があります。)

  • 六義園入口(65歳以上で150円)(小石川後楽園と共に、江戸の二大庭園で、元禄8年(1695年)老中柳沢吉保が綱吉から下屋敷として与えられた駒込の池に「回遊式築山泉水庭園」を造った。(7年間)「六義」は中国の古い漢詩集の「毛詩」の「詩の六義」よりとり、庭園の個々の名称は紀州の和歌の浦の景勝より名前を付けました。明治時代、岩崎弥太郎所有となり、昭和13年に東京市に寄付された。梅・アジサイ・ツツジが綺麗です。)

    六義園入口(65歳以上で150円)(小石川後楽園と共に、江戸の二大庭園で、元禄8年(1695年)老中柳沢吉保が綱吉から下屋敷として与えられた駒込の池に「回遊式築山泉水庭園」を造った。(7年間)「六義」は中国の古い漢詩集の「毛詩」の「詩の六義」よりとり、庭園の個々の名称は紀州の和歌の浦の景勝より名前を付けました。明治時代、岩崎弥太郎所有となり、昭和13年に東京市に寄付された。梅・アジサイ・ツツジが綺麗です。)

    六義園 公園・植物園

  • 六義園(園内図)(小石川後楽園と共に、江戸の二大庭園で、元禄8年(1695年)老中柳沢吉保が綱吉から下屋敷として与えられた駒込の池に「回遊式築山泉水庭園」を造った。(7年間)「六義」は中国の古い漢詩集の「毛詩」の「詩の六義」よりとり、庭園の個々の名称は紀州の和歌の浦の景勝より名前を付けました。明治時代、岩崎弥太郎所有となり、昭和13年に東京市に寄付された。梅・アジサイ・ツツジが綺麗です。) 

    六義園(園内図)(小石川後楽園と共に、江戸の二大庭園で、元禄8年(1695年)老中柳沢吉保が綱吉から下屋敷として与えられた駒込の池に「回遊式築山泉水庭園」を造った。(7年間)「六義」は中国の古い漢詩集の「毛詩」の「詩の六義」よりとり、庭園の個々の名称は紀州の和歌の浦の景勝より名前を付けました。明治時代、岩崎弥太郎所有となり、昭和13年に東京市に寄付された。梅・アジサイ・ツツジが綺麗です。) 

  • 内庭大門(説明) 

    内庭大門(説明) 

  • 内庭大門 

    内庭大門 

  • 枝垂桜

    枝垂桜

  • 出汐湊(説明)

    出汐湊(説明)

  • 出汐湊(大泉水の池畔の名です。写真では分りにくいですが、右手全体に中ノ島 左に小さく蓬莱島 対岸に吹上浜が見えます。 

    出汐湊(大泉水の池畔の名です。写真では分りにくいですが、右手全体に中ノ島 左に小さく蓬莱島 対岸に吹上浜が見えます。 

  • 出汐湊(中の島の松)

    出汐湊(中の島の松)

  • 新玉松跡(左の石柱)(和歌の浦の神社の鳥居の跡です。)

    新玉松跡(左の石柱)(和歌の浦の神社の鳥居の跡です。)

  • 渡月橋(天然石の石橋です。) 

    渡月橋(天然石の石橋です。) 

  • 芦辺茶屋跡

    芦辺茶屋跡

  • 藤浪橋(園内には4つの土橋があり、その1つです。)

    藤浪橋(園内には4つの土橋があり、その1つです。)

  • ささかにの道(「ささかに」とはクモの古い呼び名で小道がクモの糸のように細いので付けられました。)

    ささかにの道(「ささかに」とはクモの古い呼び名で小道がクモの糸のように細いので付けられました。)

  • 山蔭橋(土橋)

    山蔭橋(土橋)

  • つつじ茶屋

    つつじ茶屋

  • 白鵬橋

    白鵬橋

  • つつじ茶屋(説明)

    つつじ茶屋(説明)

  • つつじ茶屋(明治年間 つつじの古木材を用いて建てられた四阿屋で戦災を免れた。)

    つつじ茶屋(明治年間 つつじの古木材を用いて建てられた四阿屋で戦災を免れた。)

  • つつじ茶屋(明治年間 つつじの古木材を用いて建てられた四阿屋で戦災を免れた。)

    つつじ茶屋(明治年間 つつじの古木材を用いて建てられた四阿屋で戦災を免れた。)

  • 吟花亭跡(説明)

    吟花亭跡(説明)

  • 吟花亭跡(説明)(桜やツツジが綺麗です。)

    吟花亭跡(説明)(桜やツツジが綺麗です。)

  • 峯花園

    峯花園

  • 尋芳径(山の景)

    尋芳径(山の景)

  • 吹上茶屋

    吹上茶屋

  • 吹上浜よりの大泉水

    吹上浜よりの大泉水

  • 吹上浜よりの指南岡

    吹上浜よりの指南岡

  • 吹上松

    吹上松

  • 紀川上・水分石・枕流洞(説明)

    紀川上・水分石・枕流洞(説明)

  • 枕流洞

    枕流洞

  • 上の大きな石の間の枕流洞から紀川上の水が流れ、中央下の大きな石(水分石)が水を分ける事を表現しています。

    上の大きな石の間の枕流洞から紀川上の水が流れ、中央下の大きな石(水分石)が水を分ける事を表現しています。

  • 滝見茶屋(ここより紀川上・水分石・枕流洞を見ます。)

    滝見茶屋(ここより紀川上・水分石・枕流洞を見ます。)

  • 千鳥橋(土橋)

    千鳥橋(土橋)

  • 石板(指南岡)

    石板(指南岡)

  • 臥龍石・蓬莱島(説明) 

    臥龍石・蓬莱島(説明) 

  • 臥龍石

    臥龍石

  • 臥龍石(龍が伏せているような形) 

    臥龍石(龍が伏せているような形) 

  • 蓬莱島(不老不死の仙人が住みます。)

    蓬莱島(不老不死の仙人が住みます。)

  • 中央右に中ノ島 左に蓬莱島 中央に小さく臥龍石が見えます。 

    中央右に中ノ島 左に蓬莱島 中央に小さく臥龍石が見えます。 

  • 中ノ島の「妹山」と「背山」の説明

    中ノ島の「妹山」と「背山」の説明

  • 中ノ島(全景)

    中ノ島(全景)

  • 中ノ島(左上の小山は妹山(女性) 右上の小山は背山(男性)をそれぞれ表し、中央の大きな石は紀州青石で男女の中を隔てる笹を表しています。)

    中ノ島(左上の小山は妹山(女性) 右上の小山は背山(男性)をそれぞれ表し、中央の大きな石は紀州青石で男女の中を隔てる笹を表しています。)

  • 中ノ島(左上の小山は妹山(女性) 右上の小山は背山(男性)をそれぞれ表し、中央の大きな石は紀州青石で男女の中を隔てる笹を表しています。)

    中ノ島(左上の小山は妹山(女性) 右上の小山は背山(男性)をそれぞれ表し、中央の大きな石は紀州青石で男女の中を隔てる笹を表しています。)

  • 田鶴橋(土橋)

    田鶴橋(土橋)

  • 出汐湊

    出汐湊

  • 心泉亭

    心泉亭

  • 心泉亭

    心泉亭

  • 六義園より駒込駅まで歩き、駒込駅より旧古河庭園に向かいます。(コミュニティバスKルート100円) 

    六義園より駒込駅まで歩き、駒込駅より旧古河庭園に向かいます。(コミュニティバスKルート100円) 

  • (車窓風景)JR駒込駅

    (車窓風景)JR駒込駅

  • 旧古河庭園入口(65歳以上で80円) 

    旧古河庭園入口(65歳以上で80円) 

    旧古河庭園 公園・植物園

  • 旧古河庭園(説明)(元明治の元勲・陸奥宗光の邸宅で、次男が古河家の養子になったのち、古河家の所有となる。当時の建物はありません。武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の丘には洋館を建て、斜面に洋風庭園 低地には日本庭園を配したのが特徴です。今の洋館と洋風庭園は英国人ジョサイア・コンドル博士の設計 日本庭園は京の庭師の小川浜兵衛によります。大正初期の庭園の原型を留めています。戦後、国の所有となり、都が無償で借り受け公開しています。

    旧古河庭園(説明)(元明治の元勲・陸奥宗光の邸宅で、次男が古河家の養子になったのち、古河家の所有となる。当時の建物はありません。武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の丘には洋館を建て、斜面に洋風庭園 低地には日本庭園を配したのが特徴です。今の洋館と洋風庭園は英国人ジョサイア・コンドル博士の設計 日本庭園は京の庭師の小川浜兵衛によります。大正初期の庭園の原型を留めています。戦後、国の所有となり、都が無償で借り受け公開しています。

  • 旧古河庭園(園内図) 

    旧古河庭園(園内図) 

  • 展望台

    展望台

  • 展望台よりの日本庭園

    展望台よりの日本庭園

  • 石造りの洋館(大正6年竣工。躯体はレンガ造り 外壁は安山岩の野面積 屋根は天然スレート拭 戦後は英国大使館付き武官の宿舎となった。)

    石造りの洋館(大正6年竣工。躯体はレンガ造り 外壁は安山岩の野面積 屋根は天然スレート拭 戦後は英国大使館付き武官の宿舎となった。)

  • 石造りの洋館(大正6年竣工。躯体はレンガ造り 外壁は安山岩の野面積 屋根は天然スレート拭 戦後は英国大使館付き武官の宿舎となった。) 

    石造りの洋館(大正6年竣工。躯体はレンガ造り 外壁は安山岩の野面積 屋根は天然スレート拭 戦後は英国大使館付き武官の宿舎となった。) 

  • 西洋庭園と洋館

    西洋庭園と洋館

  • 西洋庭園(左右対称の幾何学模様のフランス式庭園と石の欄干・石段・水盤等の立体的なイタリア庭園の技法を合わせ、バラと洋館と調和した庭園です。)

    西洋庭園(左右対称の幾何学模様のフランス式庭園と石の欄干・石段・水盤等の立体的なイタリア庭園の技法を合わせ、バラと洋館と調和した庭園です。)

  • バラ種(プリンセス・ミチコ)

    バラ種(プリンセス・ミチコ)

  • 右はバラ園 左はつつじ園

    右はバラ園 左はつつじ園

  • 黒ボク石積(説明)

    黒ボク石積(説明)

  • 黒ボク石積(富士山の溶岩)

    黒ボク石積(富士山の溶岩)

  • 渓谷を表現(小川治兵衛作)

    渓谷を表現(小川治兵衛作)

  • 春日型灯篭(1.8m)

    春日型灯篭(1.8m)

  • 心字池(日本庭園の中心で、鞍馬平石や伊予青石で造られ、正面に荒磯、各種灯篭 枯滝 石組み等や築山を見ます。)

    心字池(日本庭園の中心で、鞍馬平石や伊予青石で造られ、正面に荒磯、各種灯篭 枯滝 石組み等や築山を見ます。)

  • 濡鷺型灯篭

    濡鷺型灯篭

  • 十五層塔(ストゥーパ)(奇数が原則です。)

    十五層塔(ストゥーパ)(奇数が原則です。)

  • 見晴台からの心字池を見ます。

    見晴台からの心字池を見ます。

  • 雪見灯篭

    雪見灯篭

  • 枯滝

    枯滝

  • 崩石積 

    崩石積 

  • 茶室(崩石積と庭門で仕切られた茶庭の中にある茶室)

    茶室(崩石積と庭門で仕切られた茶庭の中にある茶室)

  • 大滝(説明)(10数mの高所より落ちる滝。屈曲した流れから始まり、数段の小滝 最後は深い淵に落ちる。昔は井戸を水源としています。)

    大滝(説明)(10数mの高所より落ちる滝。屈曲した流れから始まり、数段の小滝 最後は深い淵に落ちる。昔は井戸を水源としています。)

  • 大滝(10数mの高所より落ちる滝。屈曲した流れから始まり、数段の小滝 最後は深い淵に落ちる。昔は井戸を水源としています。) 

    大滝(10数mの高所より落ちる滝。屈曲した流れから始まり、数段の小滝 最後は深い淵に落ちる。昔は井戸を水源としています。) 

  • 大滝(10数mの高所より落ちる滝。屈曲した流れから始まり、数段の小滝 最後は深い淵に落ちる。昔は井戸を水源としています。)

    大滝(10数mの高所より落ちる滝。屈曲した流れから始まり、数段の小滝 最後は深い淵に落ちる。昔は井戸を水源としています。)

  • 心字池

    心字池

  • 灯篭

    灯篭

  • 奥の院型灯篭

    奥の院型灯篭

  • 心字池(左奥に雪見灯篭)

    心字池(左奥に雪見灯篭)

  • 船着き石

    船着き石

  • 泰平型灯篭

    泰平型灯篭

  • 石橋

    石橋

  • 奥の院型灯篭

    奥の院型灯篭

  • 旧古河庭園より王子駅に向かいます。(コミュニティバス100円)

    旧古河庭園より王子駅に向かいます。(コミュニティバス100円)

  • (車窓風景)二本榎保存の碑(ここには一里塚と榎の木があり、市電を作る時に撤去の予定でしたが、この近くに住む渋沢栄一と東京市長の力で残されました。今の木は新しい木です。)

    (車窓風景)二本榎保存の碑(ここには一里塚と榎の木があり、市電を作る時に撤去の予定でしたが、この近くに住む渋沢栄一と東京市長の力で残されました。今の木は新しい木です。)

  • 王子駅よりJRで戻ります。

    王子駅よりJRで戻ります。

    王子駅

53いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP