北区西ケ原にある「旧古河庭園」についての情報を発信していきます。「旧古河庭園」を訪れたのは2023年6月2日です。「旧古河...
続きを読む庭園」へのアクセスは、東京メトロ南北線「西ヶ原駅」を利用するのが最短の距離です。東京メトロ南北線「西ヶ原駅」の1番出口を出て左方向に道なりに300mほど直進すると二つ目の信号(表示名「平塚神社前」)があります。横断歩道を渡りさらに150mほど進むと「旧古河庭園」の入場門が右手にあります。
訪れた当日は、「旧古河庭園」の「2023春のバラフェスティバル」が開催されていて園内は、平日にもかかわらずかなり混雑していました。「旧古河庭園」に入園する前に、その歴史を少し紐解いてみたいと思います。
「旧古河庭園」は、もと明治時代の元勲「陸奥宗光」の邸宅でした。「陸奥宗光」は、明治時代に外交官・政治家として活躍し、「日英通商航海条約締結」を実現し、「日清戦争」の開戦と講和に関わりました。「陸奥宗光」の次男が「古河市兵衛」の養子となったことから「古河家」の所有になりました。ただし、残念ながらその当時の建物は現存していません。「旧古河庭園」は、武蔵野台地の斜面と低地を活かし、北の丘には「洋館」、斜面には「西洋庭園」、低地には「日本庭園」を配置しているのが特徴です。そして、「洋館」と「洋風庭園」は、イギリス人「ジョサイア・コンドル」博士が設計した石造りの重厚な建築物です。「日本庭園」は、京都の庭師「七代目植治」こと「小川治兵衛」の作庭によるもので、「旧古河庭園」は、見事なバランスのとれた庭園で有名です。ちなみに、イギリス人「ジョサイア・コンドル」は、「旧古河庭園」以外にも、「旧岩崎邸庭園洋館」、「鹿鳴館」、「ニコライ堂」など数々の有名建築を設計し、日本建築界の基礎を築いたことでも知られています。また、「小川治兵衛」は、「山縣有朋」の京都別邸である「無鄰菴」、「平安神宮神苑」、「円山公園」などを作庭しました。「旧古河庭園」の見どころは満載です。現在は国有財産となり、平成18年(2006年)1月26日に文化財保護法により「国の名勝指定」を受けました。「旧古河庭園」は、東京都が国から無償で借受け、昭和31年(1956年)4月30日に一般公開がされるようになってからは、北区を代表する観光スポットになりました。また、「旧古河庭園」には「正門」、「西門」、「裏門」(染井門)の3つの門があります。常に開いているのは、「本郷通り」沿いの「正面門」のみとなっています。今回は、楽しみにしていたバラの咲き誇る「西洋庭園」は、最後に残し、次のような巡路で回ってみることにしました。
【「旧古河庭園」の見学巡路】
①正門⇒②洋館⇒③西門前⇒④広場⇒⑤染井門⇒⑥沢ながれ⇒⑦見晴らし台⇒⑧枯滝⇒⑨心字池⇒⑩茶室⇒⑪書庫⇒⑫大滝⇒⑬船着石⇒⑭二枚橋⇒⑮中島⇒⑯渓谷⇒⑰黒ボク石積み⇒⑱西洋庭園
これら見どころについては、下記に取りまとめてありますのでご覧いただければ幸いです。
01_【一口メモ】
⑴ 所在地…〒114-0024 東京都北区西ケ原1丁目27-39
⑵ 開園時間…9:00~17:00(入園は16:30分まで)
⑶ 休園日…年末・年始(12月29日~翌年1月1日まで)
⑷ 入園料…①一般150円 ②65歳以上70円(小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)
⑸ 無料入園日…みどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日)
⑹ 開園年月日…昭和31年(1956年)4月30日
⑺ 開園面積…30,780.86㎡
⑻ 施設…洋館・茶室(公益財団法人「大谷美術館」の管理)
《洋館を利用する場合》
⑴ 開館時間…10:30~16:30(最終入館 16:00)
⑵ 入館料…①一般400円 ②小学生以下無料 ③ガイドツアー一般800円
⑶ 喫茶室 12:00~16:30(ラストオーダー16:00)本館1F大食堂
02_【アクセス】
⑴ JR山手線「駒込駅」北口から徒歩10分800m
⑵ JR山手線「上中里駅」改札出口から徒歩7分500m
⑶ 東京メトロ南北線「西ヶ原駅」1番出口から徒歩6分500m
03_【「旧古河庭園」の見どころ】
⑴ 「洋館」
「旧古河庭園」の「洋館」は、日本建築の礎を築いたともいわれるイギリス人建築家「ジョサイア・コンドル」による設計で、大正6年(1917年)5月に完成しました。「洋館」の建築様式は、躯体が煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然スレート葺き、地上2F、地下1Fとなっています。「洋館」は、素朴で重厚な外観はスコットランドの建築や英国の別荘建築に近い形態になっています。また、大正12年(1923年)9月1日に発生した「関東大震災」発生時には、約2千人の避難者を収容した場所としても知られています。戦後は庭園建物ともに「古河家」の手を離れ国有となり、大蔵省の所管となりました。直後は進駐軍に接収され、英国大使館付き駐在武官の独身寮に6年ほど使用されました。接収が解除された昭和27年(1952年)から無人の状態が30年ほど続き荒廃が進み、修復工事は昭和58年(1983年)から6年間の歳月をかけて財団法人「大谷美術館」が東京都の助成金を得て行いました。昭和57年(1972年)には、「東京都の名勝指定」、平成18年(2006年)に「国の名勝指定」を受けています。「洋館」の最大の特徴は、1階がすべて洋室で主に接客のためのものに対し、2階の寝室を除いたすべての部屋が和室ということです。「洋館」の応接室やビリヤード室、書斎などは「大谷美術館」として、平成元年より一般公開を行っています。また、「洋館」内にある喫茶店と茶室では、お茶を飲みながら休憩ができます。ちなみに、「洋館」(大谷美術館)の入館料は400円で、10:00から16:30までの間は、館内の施設を自由に見学できます。事前予約になりますが、見学ガイドツアーもあります。
⑵ 「西洋庭園」
「西洋庭園」は、「ジョサイア・コンドル」の設計で、「西洋庭園」は、左右対称の幾何学模様の刈り込みの「フランス整形式庭園」と石の欄干や石段・水盤など、そして、立体的な「イタリア露壇式庭園」の技法を合わせバラと洋館と調和した絵画的な景観美となっています。「西洋庭園」は、まるで南仏にいるような錯覚にとらわれ、日本にいるのを忘れてしまいそうなプチ外国旅行気分です。「西洋庭園」の何と言っても楽しみは、春と秋の年二回のバラの花の色鮮やかな美の競演です。コロナが収束しつつある「2023バラフェスティバル」では、今まで以上の多くの人々がバラ鑑賞を楽しんでいました。
⑶ 「日本庭園」
「日本庭園」は、京都の庭師「七代目植治」こと「小川治兵衛」の作庭によるもので、見事なバランスのとれた「池泉回遊式庭園」で有名です。「小川治兵衛」は、「旧古河庭園」以外にも「山縣有朋」の京都別邸である「無鄰菴」、「平安神宮神苑」、「円山公園」や南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭しました。この「日本庭園」は、大正8年(1919年)に完成し、「心字池」を中心に「枯滝」、「大滝」、「中島」を配しています。冬のマツの雪吊とこも巻、ソテツの霜除は「日本庭園」の風物詩となっています。「日本庭園」の特徴は、池を中心に回遊する「池泉回遊式庭園」です。水は芝生広場の下あたりの台地が崖になる高低差を利用した十数メートルの高所から落ちる「大滝」から流れ出て「心字池」に入ります。また、「心字池」の南側には日本庭園のシンボルである「雪見灯籠」を配し、「大滝」に向き合う「枯滝」があり、その上は「見晴らし台」となっています。
⑷ 「枯滝」
洲浜と連続した「枯滝」は、水を使わないで山水の景観を表現する「枯山水」の一つの手法で、「心字池」の渓谷の水源を見立てた景観です。「心字池」の洲浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石など「枯滝石組」と呼ばれる手法で造られています。実際に水が流れている大滝の対岸に作られており、水の流れはなくてもあたかも滝の音が聞こえるような演出は、「旧古河庭園」での中でも最も素晴らしいポイントかもしれません。
⑸ 「大滝」
「大滝」は、「心字池」の洲浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石などで造られています。「大滝」は、高低差は10m以上の高所から落ちる滝で、水は「心字池」に流れ込みます。園内のもっとも勾配の急な所をさらに削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山の渓谷の趣をだしています。曲折した流れから始まり、数段の小滝となり最後は深い淵に落ちるという凝った造りです。以前は井戸を水源にしていましたが、水源が枯渇し、現在は井戸水と池水の循環でまかなっています。また、「大滝」は、「小川治兵衛」が、特に力を入れた箇所と言われ、「大滝」は、は三段落ちとなっており、理想的な滝の音を実現するためのこだわりを感じることができます。
⑹ 「茶室」
「旧古河庭園」には、茶室が二軒あります。京都でよく見られる手法で、茶室の土留めとして施工された「崩石積」がまず目に留まります。そして「庭門」を潜ると左前方奥の茶庭の中に、一般公開はされていない「上の茶屋」があります。現在、公開されている「茶室」は14坪程度の数寄屋で8畳の部屋と水屋があるだけです。普段は入ることができませんが、春と秋のみ、抹茶を出しており、お茶席利用のかたのみ入室可能です。
⑺ 「深山の境」
「日本庭園」への入口はシイを主体にした濃い植込で、明るい「洋風庭園」とは雰囲気が一変します。さらに奥は、シイ、モチノキ、ムクノキ、カエデなどで構成され、この庭園で一番深い植込になっています。周りは渓谷でえぐられ、「深山幽谷」の観を呈しています。
⑻ 「心字池」
「心」の字に似せて造った池で、「日本庭園」の中心にあります。鞍馬平石や伊予青石などで造られ、「船着石」があります。ここは池を眺めるための要となる所で、正面には「荒磯」、「雪見燈篭」、「枯滝」、「石組」、そして背後には「築山」が見られます。また、船の発着場所を模した「船着石」は、心字池の絶好のビュースポットになっていて写真撮影には最適です。「心字池」には2ヶ所の「中島」があり、大きい方の中島の西方では、護岸石組により「渓谷」を表現しています。五郎太石を敷き詰めた「州浜」は浜辺を表現しています。ここに設置された大型の「雪見灯篭」は、水面を照らすことを目的に設置されています。そして、「雪見灯篭」は、丈が低く笠が大きいことが特徴で、池の周りのどの箇所からも存在感を示せるように大型となっています。
⑼ 「黒ボク石積み」
「黒ボク石積み」は、「西洋式庭園」と「日本庭園」を繋ぐ斜面にあり、石垣状に積み上げられています。「黒ボク石積み」は、富士山の溶岩で、多孔質であり軽く、加工もしやすいので、良い形の庭石の産出が少ない関東エリアで流行しました。「黒ボク」を組み合わせて大きな庭石に見せる技法は江戸の庭師の腕の見せ所でした。「黒ボク」を使うと山肌のごつごつした感じが出るので山の中にいる雰囲気を出す石組として用いられています。
⑽ 「崩石積」
「小川治兵衛」の力作とされる「崩石積」は、石を垂直に積む方法です。京都で発達した伝統的な手法であり、石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされる。一見すると崩れそうですが、関東大震災や東日本大震災でも崩れなかった石積です。
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投稿日:2024/07/11