東京旅行記(ブログ) 一覧に戻る
7月未明に関西から関東に戻り、京都巡りの次として主として下町の東京巡りをしたいと思います。関東在住の為、東京は何度も訪問していますが、きちんと廻った事がありません。第1回目として皇居参観(東御苑は行かず)・大手町(将門塚)・人形町(水天宮 「玉ひで」で昼食 甘酒横丁 老舗巡り)・日本橋(日銀 老舗巡り 日本橋)・東京駅と猛暑の中、歩き回りました。(メトロリンク日本橋・日本橋Eライン・丸の内と3路線の無料巡回バスのうち2路線を利用しました。)<br />{旅程}<br />①2021年7月16日(金)<br />関東(JR)9:10東京駅に着きます。<br />1)東京駅丸の内駅舎を見学(丸ノ内駅舎南口 石膏パーツ 8羽ノ鷲のレリーフ 8ツノ干支の彫刻を見て、駅前広場ヨリ(JPタワー「KITTE」 丸ノ内ビル 新丸ノ内ビル 丸の内オアゾ) を見渡し、行幸通りを歩き、皇居に向かいます。和田倉門 桜田巽櫓を通り<br />2)(皇居参観)10:00-11:00案内があり無料です。<br />桔梗門入口9:40 窓明門(休所)10:00 石垣 元枢密院庁舎 富士見櫓 宮内庁庁舎 坂下門 宮殿東庭 宮殿(長和殿 豊明殿 表御座所 蓮翠 北・南車寄) 南庭 西の丸玄関口 正面鉄橋(二重橋) 正面石橋 伏見櫓 中道潅濠 山下通り 乾通り 蓮池壕と周り、窓明門に戻り、桔梗門より外に出て大手町を歩きます。<br />大手門 東御苑(月金休)を通り、和気清麻呂像 震災イチョウ 東京大規模接種センター(合同庁舎3号館) 経団連会館 読売新聞東京本社 将門塚(見学) 内務省跡 三井物産本店と真上を見上げながら歩き回り、<br />大手町11:42(半蔵門線)11:47人形町駅に行きます。<br />3)(人形町観光)老舗の店めぐりをします。<br />4)水天宮(安産・子授・芸能の神社 子宝いぬ 秋葉神社 高尾神社 宝生神社)<br />重森永信堂(人形焼130円を戴き) 茶寮つくし(プリン) 初音(甘味処) 今半(肉)<br />5)(昼食)鶏料理日本橋「玉ひで」(「東京軍鶏」(シャモ)極意親子丼2800円) <br />谷崎潤一郎生誕の地 西郷隆盛屋敷跡 魚久本店(京粕漬) 喫茶去快生軒 <br />6)甘酒横丁(芳味亭(洋食) 双葉(豆腐店) 今半本店(スキ焼) 柳家(鯛焼き160円) 草加屋煎餅屋 ゆうま(和雑貨) 浜野川緑道 武蔵坊弁慶像 港屋(絵草紙店) 明治座(1873年開業。喜昇座が前身)<br />明治座前13:30(メトロリンク日本橋Eライン無料-T-CAT 鎧橋 東京証券取引場 昭和通り 東京駅八重洲口)14:10室町一丁目<br />7)(日本橋観光)高層ビル群と老舗の店巡りと五街道の起点の日本橋を見ます。<br />(室町三井タワー 日本橋三井タワー(千疋屋総本店) 三井本館(越後屋跡地 三井記念美術館) 三越本店(1940年ライオン像トラファルガー広場) 江戸桜通り 日本銀行本店本館 貨幣博物館 福徳神社 薬祖神社 コレド室町1(木屋(刃物) にんべん(鰹節))・2・3 日本橋文明堂 サルヤ(楊枝) 神茂(練物) ミカドコーヒー(ジョン・レノン) 有便屋(書画用具) 伊勢定本店(ウナギ) 大和屋(鰹節) 山本海苔店と歩き回り、 <br />8)日本橋(日本国道路元標 麒麟像)で一休みをして 黒江屋(漆器) 榮太樓総本舗(江戸菓子)を見て、<br />日本橋南詰15:03(メトロリンク日本橋)15:22八重洲地下街で降り、東京駅近くの<br />9)ヤン・ヨーステン記念碑 平和の鐘 八重洲地下街 ヤン・ヨーステン記念像を見学し大丸デパ地下「柿安」で夕食の弁当を購入し、<br />東京駅15:59(JR)関東より自宅に戻りました。<br />

2021年7月東京(1)東京駅丸ノ内駅舎・八重洲口 皇居参観 大手町(将門塚) 人形町(水天宮・甘酒横丁) 日本橋(老舗巡り)

59いいね!

2021/07/16 - 2021/07/16

6254位(同エリア79623件中)

愛猫シロネコ

愛猫シロネコさん

7月未明に関西から関東に戻り、京都巡りの次として主として下町の東京巡りをしたいと思います。関東在住の為、東京は何度も訪問していますが、きちんと廻った事がありません。第1回目として皇居参観(東御苑は行かず)・大手町(将門塚)・人形町(水天宮 「玉ひで」で昼食 甘酒横丁 老舗巡り)・日本橋(日銀 老舗巡り 日本橋)・東京駅と猛暑の中、歩き回りました。(メトロリンク日本橋・日本橋Eライン・丸の内と3路線の無料巡回バスのうち2路線を利用しました。)
{旅程}
①2021年7月16日(金)
関東(JR)9:10東京駅に着きます。
1)東京駅丸の内駅舎を見学(丸ノ内駅舎南口 石膏パーツ 8羽ノ鷲のレリーフ 8ツノ干支の彫刻を見て、駅前広場ヨリ(JPタワー「KITTE」 丸ノ内ビル 新丸ノ内ビル 丸の内オアゾ) を見渡し、行幸通りを歩き、皇居に向かいます。和田倉門 桜田巽櫓を通り
2)(皇居参観)10:00-11:00案内があり無料です。
桔梗門入口9:40 窓明門(休所)10:00 石垣 元枢密院庁舎 富士見櫓 宮内庁庁舎 坂下門 宮殿東庭 宮殿(長和殿 豊明殿 表御座所 蓮翠 北・南車寄) 南庭 西の丸玄関口 正面鉄橋(二重橋) 正面石橋 伏見櫓 中道潅濠 山下通り 乾通り 蓮池壕と周り、窓明門に戻り、桔梗門より外に出て大手町を歩きます。
大手門 東御苑(月金休)を通り、和気清麻呂像 震災イチョウ 東京大規模接種センター(合同庁舎3号館) 経団連会館 読売新聞東京本社 将門塚(見学) 内務省跡 三井物産本店と真上を見上げながら歩き回り、
大手町11:42(半蔵門線)11:47人形町駅に行きます。
3)(人形町観光)老舗の店めぐりをします。
4)水天宮(安産・子授・芸能の神社 子宝いぬ 秋葉神社 高尾神社 宝生神社)
重森永信堂(人形焼130円を戴き) 茶寮つくし(プリン) 初音(甘味処) 今半(肉)
5)(昼食)鶏料理日本橋「玉ひで」(「東京軍鶏」(シャモ)極意親子丼2800円)
谷崎潤一郎生誕の地 西郷隆盛屋敷跡 魚久本店(京粕漬) 喫茶去快生軒
6)甘酒横丁(芳味亭(洋食) 双葉(豆腐店) 今半本店(スキ焼) 柳家(鯛焼き160円) 草加屋煎餅屋 ゆうま(和雑貨) 浜野川緑道 武蔵坊弁慶像 港屋(絵草紙店) 明治座(1873年開業。喜昇座が前身)
明治座前13:30(メトロリンク日本橋Eライン無料-T-CAT 鎧橋 東京証券取引場 昭和通り 東京駅八重洲口)14:10室町一丁目
7)(日本橋観光)高層ビル群と老舗の店巡りと五街道の起点の日本橋を見ます。
(室町三井タワー 日本橋三井タワー(千疋屋総本店) 三井本館(越後屋跡地 三井記念美術館) 三越本店(1940年ライオン像トラファルガー広場) 江戸桜通り 日本銀行本店本館 貨幣博物館 福徳神社 薬祖神社 コレド室町1(木屋(刃物) にんべん(鰹節))・2・3 日本橋文明堂 サルヤ(楊枝) 神茂(練物) ミカドコーヒー(ジョン・レノン) 有便屋(書画用具) 伊勢定本店(ウナギ) 大和屋(鰹節) 山本海苔店と歩き回り、
8)日本橋(日本国道路元標 麒麟像)で一休みをして 黒江屋(漆器) 榮太樓総本舗(江戸菓子)を見て、
日本橋南詰15:03(メトロリンク日本橋)15:22八重洲地下街で降り、東京駅近くの
9)ヤン・ヨーステン記念碑 平和の鐘 八重洲地下街 ヤン・ヨーステン記念像を見学し大丸デパ地下「柿安」で夕食の弁当を購入し、
東京駅15:59(JR)関東より自宅に戻りました。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 7月未明、関西から関東に新幹線で戻る途中の熱海駅を通り過ぎた所です。先日の豪雨で被害を受けた熱海の伊豆山地区です。瓦礫と救助隊員の方が映りました。

    7月未明、関西から関東に新幹線で戻る途中の熱海駅を通り過ぎた所です。先日の豪雨で被害を受けた熱海の伊豆山地区です。瓦礫と救助隊員の方が映りました。

  • 関東の自宅より東京駅に着きました。

    関東の自宅より東京駅に着きました。

  • 東京駅丸の内駅舎南口改札口<br />

    東京駅丸の内駅舎南口改札口

  • 東京駅丸の内駅舎南口(全景)(ドーム型屋根で大正12年(1914年)3月に開業。平成24年(2012年)に創建当時の姿で復元されました。白い石膏パーツと十二支のレリーフと8羽の鷲のレリーフと8つの干支の彫刻が見られます。)

    東京駅丸の内駅舎南口(全景)(ドーム型屋根で大正12年(1914年)3月に開業。平成24年(2012年)に創建当時の姿で復元されました。白い石膏パーツと十二支のレリーフと8羽の鷲のレリーフと8つの干支の彫刻が見られます。)

  • 東京駅丸の内駅舎南口(ドーム型屋根で大正12年(1914年)3月に開業。平成24年(2012年)に創建当時の姿で復元されました。白い石膏パーツと十二支のレリーフと8羽の鷲のレリーフと8つの干支の彫刻が見られます。)

    東京駅丸の内駅舎南口(ドーム型屋根で大正12年(1914年)3月に開業。平成24年(2012年)に創建当時の姿で復元されました。白い石膏パーツと十二支のレリーフと8羽の鷲のレリーフと8つの干支の彫刻が見られます。)

  • 東京駅丸の内駅舎南口(千支のレリーフのうち「巳」(蛇)でしょうか。ドームは八角形なので 八支の彫刻で子(ねずみ) 卯(うさぎ) 午(うま)酉(とり)は省かれています。)

    東京駅丸の内駅舎南口(千支のレリーフのうち「巳」(蛇)でしょうか。ドームは八角形なので 八支の彫刻で子(ねずみ) 卯(うさぎ) 午(うま)酉(とり)は省かれています。)

  • 東京駅丸の内駅舎南口(鷲のレリーフ)

    東京駅丸の内駅舎南口(鷲のレリーフ)

  • 東京駅丸の内駅舎南口(鷲のレリーフ)

    東京駅丸の内駅舎南口(鷲のレリーフ)

  • 東京駅丸の内駅舎南口(東京ステーションホテルの部屋)

    東京駅丸の内駅舎南口(東京ステーションホテルの部屋)

  • 東京駅丸の内駅舎(説明図)(辰野金吾が設計し、1912年竣工。当時は渋沢栄一で有名な深谷からの煉瓦で作りました。当初は3階建てでしたが空襲で屋根が抜け落ち2階建てで修復。2012年復元し、3階建てになりました。)

    東京駅丸の内駅舎(説明図)(辰野金吾が設計し、1912年竣工。当時は渋沢栄一で有名な深谷からの煉瓦で作りました。当初は3階建てでしたが空襲で屋根が抜け落ち2階建てで修復。2012年復元し、3階建てになりました。)

  • 東京駅丸の内駅舎(中央)(辰野金吾が設計し、1912年竣工。当時は渋沢栄一で有名な深谷からの煉瓦で作りました。当初は3階建てでしたが空襲で屋根が抜け落ち2階建てで修復。2012年復元し、3階建てになりました。)

    東京駅丸の内駅舎(中央)(辰野金吾が設計し、1912年竣工。当時は渋沢栄一で有名な深谷からの煉瓦で作りました。当初は3階建てでしたが空襲で屋根が抜け落ち2階建てで修復。2012年復元し、3階建てになりました。)

  • 東京駅丸の内駅舎(中央)(辰野金吾が設計し、1912年竣工。当時は渋沢栄一で有名な深谷からの煉瓦で作りました。当初は3階建てでしたが空襲で屋根が抜け落ち2階建てで修復。2012年復元し、3階建てになりました。)

    東京駅丸の内駅舎(中央)(辰野金吾が設計し、1912年竣工。当時は渋沢栄一で有名な深谷からの煉瓦で作りました。当初は3階建てでしたが空襲で屋根が抜け落ち2階建てで修復。2012年復元し、3階建てになりました。)

    東京駅 赤レンガ駅舎 名所・史跡

  • 東京駅丸の内駅舎(南口)

    東京駅丸の内駅舎(南口)

  • 東京駅丸の内駅舎(北口)

    東京駅丸の内駅舎(北口)

  • 東京駅丸の内駅舎内の東京ステーションホテル入口

    東京駅丸の内駅舎内の東京ステーションホテル入口

  • 東京駅丸の内駅舎前より見て左からJPタワー(「KITTE」東京中央郵便局(白い建物)の上にタワーが建っています。)

    東京駅丸の内駅舎前より見て左からJPタワー(「KITTE」東京中央郵便局(白い建物)の上にタワーが建っています。)

  • その右の新丸の内ビル

    その右の新丸の内ビル

  • その右の丸の内ビル

    その右の丸の内ビル

  • 一番右の丸の内オアゾ

    一番右の丸の内オアゾ

  • 東京駅丸の内駅前広場

    東京駅丸の内駅前広場

  • 江戸城跡(説明)

    江戸城跡(説明)

  • 和田倉門

    和田倉門

  • 和田倉壕と石垣

    和田倉壕と石垣

  • 和田倉噴水公園

    和田倉噴水公園

  • 桜田巽櫓

    桜田巽櫓

  • 桔梗門(昔は大名等が出入りしていました。)左が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。<br /><br />

    桔梗門(昔は大名等が出入りしていました。)左が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。

  • 桔梗門(高麗門の内側)(昔は大名等が出入りしていました。)入口が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。

    桔梗門(高麗門の内側)(昔は大名等が出入りしていました。)入口が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。

  • 桔梗門(渡櫓門の外側)(昔は大名等が出入りしていました。)入口が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。

    桔梗門(渡櫓門の外側)(昔は大名等が出入りしていました。)入口が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。

  • 桔梗門(渡櫓門の内側)(昔は大名等が出入りしていました。)入口が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。

    桔梗門(渡櫓門の内側)(昔は大名等が出入りしていました。)入口が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。

  • 窓明館

    窓明館

  • 窓明館(内部)(ここで、時間まで待ち、9:45頃より簡単な説明をして頂きました。)

    窓明館(内部)(ここで、時間まで待ち、9:45頃より簡単な説明をして頂きました。)

  • 窓明館(内部)にある説明

    窓明館(内部)にある説明

  • 馬車列の模型図

    馬車列の模型図

  • 元枢密院庁舎(国会議事堂のモデルです。)

    元枢密院庁舎(国会議事堂のモデルです。)

  • 元枢密院庁舎(国会議事堂のモデルです。)

    元枢密院庁舎(国会議事堂のモデルです。)

  • 桔梗門の石垣の〇+の印(薩摩藩からの献上)

    桔梗門の石垣の〇+の印(薩摩藩からの献上)

  • 桔梗門の石垣の〇+の印(薩摩藩からの献上)(もう一つ見られます。)

    桔梗門の石垣の〇+の印(薩摩藩からの献上)(もう一つ見られます。)

  • 富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)

    富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)

  • 富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)

    富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)

  • 富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)

    富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)

  • 富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)

    富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)

  • 富士見櫓の石垣は加藤清正が造ったそうで、高さは15mで一見雑に組まれて見えますが、水はけも良く地震でも残りました。この様な造りを「うちこみ」「はぎずみ」というそうです。)

    富士見櫓の石垣は加藤清正が造ったそうで、高さは15mで一見雑に組まれて見えますが、水はけも良く地震でも残りました。この様な造りを「うちこみ」「はぎずみ」というそうです。)

  • 富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。)

    富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。)

  • 富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)白い窓は石垣を登る人をやっつける為です。

    富士見櫓(八方正面の櫓といい何処から見ても同じ様な形です。又、現存で一番古い櫓です。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失後、1659年に江戸城の中心にあるここの位置に富士見櫓が建てられ、天守閣の代用とされました。将軍がここから品川の海、両国の花火、富士山を眺めていました。高さは16m 石垣は15mです。)白い窓は石垣を登る人をやっつける為です。

  • 宮内庁庁舎(昭和10年に建てられ、3Fの一部は仮宮殿になっていた事もあるそうです。)

    宮内庁庁舎(昭和10年に建てられ、3Fの一部は仮宮殿になっていた事もあるそうです。)

  • 乾通りの方向

    乾通りの方向

  • 乾通りの方向(中央に少し、武道館の上が見えます。)<br />

    乾通りの方向(中央に少し、武道館の上が見えます。)

  • 坂下門

    坂下門

  • 塔の坂を登ります。(中央の人は案内をされた方です。)

    塔の坂を登ります。(中央の人は案内をされた方です。)

  • 塔の坂よりの宮殿(長和殿)左は松の塔で照明用です。右は北車寄です。<br />宮殿は7つの棟からなり、昭和39年に建てられ、昭和44年10月より使われました。

    塔の坂よりの宮殿(長和殿)左は松の塔で照明用です。右は北車寄です。
    宮殿は7つの棟からなり、昭和39年に建てられ、昭和44年10月より使われました。

  • 塔の坂よりの宮殿(長和殿 幅は160m)左は松の塔で照明用です。

    塔の坂よりの宮殿(長和殿 幅は160m)左は松の塔で照明用です。

  • 長和殿中央でここにお立ち台を作り、お正月などの参賀の場所になります。ベランダの高さは3.4mです。)

    長和殿中央でここにお立ち台を作り、お正月などの参賀の場所になります。ベランダの高さは3.4mです。)

  • 黄色い灯篭は有田焼です。

    黄色い灯篭は有田焼です。

  • 雲と長和殿(このような雲が見られることはあまり、ないそうです。)

    雲と長和殿(このような雲が見られることはあまり、ないそうです。)

  • 長和殿左の南車寄で外国の要人が利用する入口です。

    長和殿左の南車寄で外国の要人が利用する入口です。

  • その左の南庭(中には小川などが流れています。)

    その左の南庭(中には小川などが流れています。)

  • 南庭(2つの山の刈り込みがあり、24種類(冬ツバキ サザンカ等)の植木の刈り込みで内側から手で刈り込みます。)

    南庭(2つの山の刈り込みがあり、24種類(冬ツバキ サザンカ等)の植木の刈り込みで内側から手で刈り込みます。)

  • 西の丸玄関門よりの長和殿

    西の丸玄関門よりの長和殿

  • 宮殿東庭(4500坪あり、2万人が入ります。地下は駐車場になっており、120台停められます。)

    宮殿東庭(4500坪あり、2万人が入ります。地下は駐車場になっており、120台停められます。)

  • 表御座所(天皇が公的事務を行う所です。)の屋根の「瑞鳥」(「瑞鳥」とは、中国の伝説の鳥でめでたい事がおこる前兆とされています。)反対側にもう一つあります。<br /><br />

    表御座所(天皇が公的事務を行う所です。)の屋根の「瑞鳥」(「瑞鳥」とは、中国の伝説の鳥でめでたい事がおこる前兆とされています。)反対側にもう一つあります。

  • 中門(西の丸玄関門)より二重橋に出ます。

    中門(西の丸玄関門)より二重橋に出ます。

  • 二重橋(正式名は「正面鉄橋」で「二の橋」「月見橋」とも言います。入口のもう一つの橋があり、2つ合わせて二重橋と思っていましたが、違う事でした。もう一つは「正面石橋」です。この「正面鉄橋」は壕が深い為、江戸時代に濠の下に土台の丸太を組み、いわゆる眼鏡橋のように成っていた為、「二重橋」と呼ばれました。明治21年に鉄橋になってから土台はとり、今のような形になりました。昭和39年に改架されています。<br /><br />

    二重橋(正式名は「正面鉄橋」で「二の橋」「月見橋」とも言います。入口のもう一つの橋があり、2つ合わせて二重橋と思っていましたが、違う事でした。もう一つは「正面石橋」です。この「正面鉄橋」は壕が深い為、江戸時代に濠の下に土台の丸太を組み、いわゆる眼鏡橋のように成っていた為、「二重橋」と呼ばれました。明治21年に鉄橋になってから土台はとり、今のような形になりました。昭和39年に改架されています。

  • 「正面鉄橋」より「正面石橋」を見ます。

    「正面鉄橋」より「正面石橋」を見ます。

  • 「正面鉄橋」より「正面石橋」を見ます。

    「正面鉄橋」より「正面石橋」を見ます。

  • 「正面鉄橋」より見るビル群には看板が掲げないようにしています。

    「正面鉄橋」より見るビル群には看板が掲げないようにしています。

  • 「正面鉄橋」より二重橋壕を見ます。

    「正面鉄橋」より二重橋壕を見ます。

  • 伏見櫓(家光の時に作られ、湿気が少ない為に、美術品の収納に使われていました。石垣は綺麗に詰まれており、綺麗な櫓です。この様な積み方を「キリコミ」と言います。

    伏見櫓(家光の時に作られ、湿気が少ない為に、美術品の収納に使われていました。石垣は綺麗に詰まれており、綺麗な櫓です。この様な積み方を「キリコミ」と言います。

  • 「正面鉄橋」に立つ塔はスズランを表し、LEDの照明だそうです。

    「正面鉄橋」に立つ塔はスズランを表し、LEDの照明だそうです。

  • 「正面鉄橋」の欄干は西洋アザミです。

    「正面鉄橋」の欄干は西洋アザミです。

  • 「正面鉄橋」より中門を見ます。

    「正面鉄橋」より中門を見ます。

    二重橋 名所・史跡

  • 「正面鉄橋」より塔と中門

    「正面鉄橋」より塔と中門

  • 富士見櫓と塔の坂と後ろの高層ビル群

    富士見櫓と塔の坂と後ろの高層ビル群

  • 長命殿右にある北車寄(両陛下と会合をする人が利用します。)

    長命殿右にある北車寄(両陛下と会合をする人が利用します。)

  • 豊明殿(一番広い建物で歌会始等に利用します。)

    豊明殿(一番広い建物で歌会始等に利用します。)

  • 宮内庁庁舎の裏側

    宮内庁庁舎の裏側

  • 連翠(少人数の茶会や昼食会に利用します。)

    連翠(少人数の茶会や昼食会に利用します。)

  • 連翠(少人数の茶会や昼食会に利用します。)

    連翠(少人数の茶会や昼食会に利用します。)

  • 表御座所(天皇が公的事務を行う所です。)の屋根のもい一つの「瑞鳥」

    表御座所(天皇が公的事務を行う所です。)の屋根のもい一つの「瑞鳥」

  • 紅葉山(反対側には蚕の建物があり、皇后陛下が儀式を行います。)

    紅葉山(反対側には蚕の建物があり、皇后陛下が儀式を行います。)

  • 山下通りを下ります。(名前は紅葉山から下りる事より付けられました。)この辺は涼しい風が吹き抜けます。

    山下通りを下ります。(名前は紅葉山から下りる事より付けられました。)この辺は涼しい風が吹き抜けます。

  • カリンの実

    カリンの実

  • 「ガマズミ」(別名「カリンカ」)

    「ガマズミ」(別名「カリンカ」)

  • 「リョウブ」(新芽は山菜とされ、甘い味がするそうです。庭木としても植えられます。)<br />

    「リョウブ」(新芽は山菜とされ、甘い味がするそうです。庭木としても植えられます。)

  • 「ガマズミ」の花

    「ガマズミ」の花

  • 乾通り(桜の時期に一般開放されます。)

    乾通り(桜の時期に一般開放されます。)

  • 蓮池濠<br />

    蓮池濠

  • 蓮池濠

    蓮池濠

  • 蓮池濠

    蓮池濠

  • 蓮池濠(蓮が咲いています。)<br />

    蓮池濠(蓮が咲いています。)

  • 蓮池濠

    蓮池濠

  • 桔梗門(渡櫓門の外側)入口が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。皇居参観を終え、ここから出て、大手門より大手町まで歩きます。

    桔梗門(渡櫓門の外側)入口が高麗門で入って右の渡櫓門からなる枡形形式の門です。皇居参観を終え、ここから出て、大手門より大手町まで歩きます。

  • 右は桜田巽櫓 中央に桔梗門 左奥に坂下門が見られ、手前は桔梗壕です。

    右は桜田巽櫓 中央に桔梗門 左奥に坂下門が見られ、手前は桔梗壕です。

  • 桔梗壕の鳥

    桔梗壕の鳥

  • 大手門

    大手門

  • 東御苑の地図

    東御苑の地図

  • 大手門(東御苑入口)(月・金が休みです。始め、東御苑の見学を予定していましたが、予約が金曜日でしたので見学は出来ませんでしたが、この後、大手町・人形町・日本橋と回り疲れ果てたので次回に機会という事で正解でした。)

    大手門(東御苑入口)(月・金が休みです。始め、東御苑の見学を予定していましたが、予約が金曜日でしたので見学は出来ませんでしたが、この後、大手町・人形町・日本橋と回り疲れ果てたので次回に機会という事で正解でした。)

  • 和気清麻呂像(説明)  

    和気清麻呂像(説明)  

  • 和気清麻呂像(8C 道鏡の野望を打ち砕き、古代日本の皇統を守った忠臣です。)

    和気清麻呂像(8C 道鏡の野望を打ち砕き、古代日本の皇統を守った忠臣です。)

  • 震災イチョウ(説明)

    震災イチョウ(説明)

  • 震災イチョウ(関東大震災で燃え残ったイチョウです。パレスサイドビル辺りにあり、ここに移築されました。)

    震災イチョウ(関東大震災で燃え残ったイチョウです。パレスサイドビル辺りにあり、ここに移築されました。)

  • 平川門(手前は大手壕)

    平川門(手前は大手壕)

  • 今、一番話題の合同庁舎3号館でのコロナの自衛隊大規模接種センターです。

    今、一番話題の合同庁舎3号館でのコロナの自衛隊大規模接種センターです。

  • 今、一番話題の合同庁舎3号館でのコロナの自衛隊大規模接種センターです。<br />沢山の人々が入って行きます。私は幸い、5月に1回目、6月に2回目の接種を受け2週間以上経っています。その為、このように動き回る事をしていますが、勿論、マスクを着け3蜜は避けるようにしています。

    今、一番話題の合同庁舎3号館でのコロナの自衛隊大規模接種センターです。
    沢山の人々が入って行きます。私は幸い、5月に1回目、6月に2回目の接種を受け2週間以上経っています。その為、このように動き回る事をしていますが、勿論、マスクを着け3蜜は避けるようにしています。

  • 経団連会館<br />(大手町には沢山のビルがあります。)

    経団連会館
    (大手町には沢山のビルがあります。)

  • 読売新聞東京本社<br />

    読売新聞東京本社

  • 読売新聞東京本社

    読売新聞東京本社

  • 将門塚(平安時代中期の豪族で、平将門の乱を起こし、首が平安京にさらされ、3日目に故郷の東国に飛んで行ったと言われ、落ちた場所の一つがここであったと言います。都内に将門伝説の場所が色々ありますが、それを訪ねるのも面白そうです。13Cには首塚は荒れ果て、関東大震災後には崩されました。ここは、江戸時代の大名酒井の上屋敷の中庭でした。)その後、再開発で移転されましたが、色々な不幸があり、現在もビル群の中のここにあります。)伝説の場所として、築土神社・神田明神・兜神社・筑土八幡神社・水稲荷神社・鎧神社等があります。

    将門塚(平安時代中期の豪族で、平将門の乱を起こし、首が平安京にさらされ、3日目に故郷の東国に飛んで行ったと言われ、落ちた場所の一つがここであったと言います。都内に将門伝説の場所が色々ありますが、それを訪ねるのも面白そうです。13Cには首塚は荒れ果て、関東大震災後には崩されました。ここは、江戸時代の大名酒井の上屋敷の中庭でした。)その後、再開発で移転されましたが、色々な不幸があり、現在もビル群の中のここにあります。)伝説の場所として、築土神社・神田明神・兜神社・筑土八幡神社・水稲荷神社・鎧神社等があります。

  • 将門塚(全景)(平安時代中期の豪族で、平将門の乱を起こし、首が平安京にさらされ、3日目に故郷の東国に飛んで行ったと言われ、落ちた場所の一つがここであったと言います。都内に将門伝説の場所が色々ありますが、それを訪ねるのも面白そうです。13Cには首塚は荒れ果て、関東大震災後には崩されました。ここは、江戸時代の大名酒井の上屋敷の中庭でした。)その後、再開発で移転されましたが、色々な不幸があり、現在もビル群の中のここにあります。)伝説の場所として、築土神社・神田明神・兜神社・筑土八幡神社・水稲荷神社・鎧神社等があります。

    将門塚(全景)(平安時代中期の豪族で、平将門の乱を起こし、首が平安京にさらされ、3日目に故郷の東国に飛んで行ったと言われ、落ちた場所の一つがここであったと言います。都内に将門伝説の場所が色々ありますが、それを訪ねるのも面白そうです。13Cには首塚は荒れ果て、関東大震災後には崩されました。ここは、江戸時代の大名酒井の上屋敷の中庭でした。)その後、再開発で移転されましたが、色々な不幸があり、現在もビル群の中のここにあります。)伝説の場所として、築土神社・神田明神・兜神社・筑土八幡神社・水稲荷神社・鎧神社等があります。

  • 将門塚(平安時代中期の豪族で、平将門の乱を起こし、首が平安京にさらされ、3日目に故郷の東国に飛んで行ったと言われ、落ちた場所の一つがここであったと言います。都内に将門伝説の場所が色々ありますが、それを訪ねるのも面白そうです。13Cには首塚は荒れ果て、関東大震災後には崩されました。ここは、江戸時代の大名酒井の上屋敷の中庭でした。)その後、再開発で移転されましたが、色々な不幸があり、現在もビル群の中のここにあります。)伝説の場所として、築土神社(首を持ち帰った神社)・神田明神・兜神社・筑土八幡神社(神楽坂の近く)・水稲荷神社・鎧神社(北新宿でここに将門を埋めた。)等があります。

    将門塚(平安時代中期の豪族で、平将門の乱を起こし、首が平安京にさらされ、3日目に故郷の東国に飛んで行ったと言われ、落ちた場所の一つがここであったと言います。都内に将門伝説の場所が色々ありますが、それを訪ねるのも面白そうです。13Cには首塚は荒れ果て、関東大震災後には崩されました。ここは、江戸時代の大名酒井の上屋敷の中庭でした。)その後、再開発で移転されましたが、色々な不幸があり、現在もビル群の中のここにあります。)伝説の場所として、築土神社(首を持ち帰った神社)・神田明神・兜神社・筑土八幡神社(神楽坂の近く)・水稲荷神社・鎧神社(北新宿でここに将門を埋めた。)等があります。

    将門塚 名所・史跡

  • 将門塚(この灯篭は古いものだそうです。)

    将門塚(この灯篭は古いものだそうです。)

  • 将門塚近くに内務省跡がありました。

    将門塚近くに内務省跡がありました。

  • 大手町より半蔵門線で水天宮前駅に行きます。

    大手町より半蔵門線で水天宮前駅に行きます。

  • 人形町の水天宮(説明)

    人形町の水天宮(説明)

  • 人形町の水天宮(安産・子授け・芸能等の神社)

    人形町の水天宮(安産・子授け・芸能等の神社)

    水天宮 寺・神社・教会

  • 水天宮(本社)

    水天宮(本社)

  • 水天宮(建物は2Fにあり、鳥居と後ろは水天宮の建物 1Fは駐車場です。)

    水天宮(建物は2Fにあり、鳥居と後ろは水天宮の建物 1Fは駐車場です。)

  • 水天宮(子宝いぬ 母子の犬像)

    水天宮(子宝いぬ 母子の犬像)

  • 水天宮(宝生弁財天)

    水天宮(宝生弁財天)

  • 水天宮の末社(左より秋葉神社 中央は火風神社 右は高尾神社)

    水天宮の末社(左より秋葉神社 中央は火風神社 右は高尾神社)

  • 重盛永信堂(人形焼きのお店)

    重盛永信堂(人形焼きのお店)

  • 重盛永信堂(人形焼きのお店)

    重盛永信堂(人形焼きのお店)

  • 重盛永信堂(人形焼きのお店)(1個だけ戴きました。130円)

    重盛永信堂(人形焼きのお店)(1個だけ戴きました。130円)

  • 江戸菓子・茶寮「つくし」(オリジナルプリンが有名 日本で最初にプリンを作った店です。)

    江戸菓子・茶寮「つくし」(オリジナルプリンが有名 日本で最初にプリンを作った店です。)

  • 人形町今半惣菜店

    人形町今半惣菜店

  • 甘味処「初音」(天保8年(1837年創業)「杏みつまめ」が人気です。

    甘味処「初音」(天保8年(1837年創業)「杏みつまめ」が人気です。

  • 「東京軍鶏」の「玉ひで」(宝暦10年(1760年)創業)<br />(軍鶏(しゃも)は闘鶏用・鑑賞用の鶏の一品種です。)

    「東京軍鶏」の「玉ひで」(宝暦10年(1760年)創業)
    (軍鶏(しゃも)は闘鶏用・鑑賞用の鶏の一品種です。)

    鳥料理 玉ひで グルメ・レストラン

  • 鶏料理「玉ひで」入口

    鶏料理「玉ひで」入口

  • 「東京軍鶏」の「玉ひで」(入口)(入る時は12時過ぎで空いていましたが、出る時は12:40頃で沢山の人が待っていました。)(左隅で食券を買い、左の階段で2Fに上がります。)

    「東京軍鶏」の「玉ひで」(入口)(入る時は12時過ぎで空いていましたが、出る時は12:40頃で沢山の人が待っていました。)(左隅で食券を買い、左の階段で2Fに上がります。)

  • 「東京軍鶏」の「玉ひで」(左の「極意」2800円を戴きました。)

    「東京軍鶏」の「玉ひで」(左の「極意」2800円を戴きました。)

  • 「東京軍鶏(しゃも)」の「玉ひで」「極意」2800円(徳川の時代より受け継がれる「御鷹匠仕事」という技は肉肉に手を触れずに切る秘伝だそうです。最上級「東京軍鶏(しゃも)」の熟成ささみ・真空モモ肉・低温胸肉が入り、伝承割下の醤油とみりんの味で(砂糖は不使用)美味しかったです。(卵は鳥骨鶏です。濃厚でした。)下のスープは東京軍鶏(しゃも)のスープです。)<br />

    「東京軍鶏(しゃも)」の「玉ひで」「極意」2800円(徳川の時代より受け継がれる「御鷹匠仕事」という技は肉肉に手を触れずに切る秘伝だそうです。最上級「東京軍鶏(しゃも)」の熟成ささみ・真空モモ肉・低温胸肉が入り、伝承割下の醤油とみりんの味で(砂糖は不使用)美味しかったです。(卵は鳥骨鶏です。濃厚でした。)下のスープは東京軍鶏(しゃも)のスープです。)

  • 「東京軍鶏」の「玉ひで」(店内)

    「東京軍鶏」の「玉ひで」(店内)

  • 谷崎潤一郎生誕の地(説明)

    谷崎潤一郎生誕の地(説明)

  • 谷崎潤一郎生誕の地(説明)

    谷崎潤一郎生誕の地(説明)

  • 西郷隆盛屋敷跡(説明)(明治4~6年の政変で鹿児島に帰郷まで住んでいた場所です。)

    西郷隆盛屋敷跡(説明)(明治4~6年の政変で鹿児島に帰郷まで住んでいた場所です。)

  • 西郷隆盛屋敷跡に立つ日本橋小学校

    西郷隆盛屋敷跡に立つ日本橋小学校

  • 和食店 京粕漬の「魚久本店」(1914年創業)

    和食店 京粕漬の「魚久本店」(1914年創業)

  • 喫茶「去快生軒」(大正8年(1919年創業)

    喫茶「去快生軒」(大正8年(1919年創業)

  • 甘酒横丁(この先に明治座があり、400mの間に色々な老舗のお店が並びます。)<br />呼び名は明治時代に「尾張屋」という甘酒屋があり、大繁盛した為に付けられました。)この辺は人形町と言い、江戸時代の歓楽街で町民が親しんだ味の店が並んでいました。)

    甘酒横丁(この先に明治座があり、400mの間に色々な老舗のお店が並びます。)
    呼び名は明治時代に「尾張屋」という甘酒屋があり、大繁盛した為に付けられました。)この辺は人形町と言い、江戸時代の歓楽街で町民が親しんだ味の店が並んでいました。)

  • 甘酒横丁(色々な老舗のお店が並びます。)(この先に明治座があり、400mの間に色々な老舗のお店が並びます。)<br />呼び名は明治時代に「尾張屋」という甘酒屋があり、大繁盛した為に付けられました。)この辺は人形町と言い、江戸時代の歓楽街で町民が親しんだ味の店が並んでいました。)

    甘酒横丁(色々な老舗のお店が並びます。)(この先に明治座があり、400mの間に色々な老舗のお店が並びます。)
    呼び名は明治時代に「尾張屋」という甘酒屋があり、大繁盛した為に付けられました。)この辺は人形町と言い、江戸時代の歓楽街で町民が親しんだ味の店が並んでいました。)

  • 老舗の洋食店「芳味亭」(ここも、食べたかった店です。胃袋が2つあればなあーと思いました。洋食弁当2750円で、次回です。)

    老舗の洋食店「芳味亭」(ここも、食べたかった店です。胃袋が2つあればなあーと思いました。洋食弁当2750円で、次回です。)

  • 老舗の豆腐店「双葉」(甘酒を販売しています。)

    老舗の豆腐店「双葉」(甘酒を販売しています。)

  • 人形町今半本店(すき焼き・しゃぶしゃぶなどが楽しめます。今は色んなデパ地下でも出店しています。)

    人形町今半本店(すき焼き・しゃぶしゃぶなどが楽しめます。今は色んなデパ地下でも出店しています。)

  • たい焼き屋の御三家の一つ「柳家」

    たい焼き屋の御三家の一つ「柳家」

  • たい焼き屋の御三家の一つ「柳家」(店内は人が並んでおり、1個160円を買いました。)後で近くの公園で食べました。

    たい焼き屋の御三家の一つ「柳家」(店内は人が並んでおり、1個160円を買いました。)後で近くの公園で食べました。

  • 煎餅屋の「草加屋」(噺家や役者が贔屓にした店だそうです。)

    煎餅屋の「草加屋」(噺家や役者が贔屓にした店だそうです。)

  • 和雑貨「日本橋ゆうま」

    和雑貨「日本橋ゆうま」

  • 「弁慶像」の説明

    「弁慶像」の説明

  • 後ろの浜野川緑道にある「弁慶像」(緑道のベンチで先程、買ったたい焼きを戴いました。)

    後ろの浜野川緑道にある「弁慶像」(緑道のベンチで先程、買ったたい焼きを戴いました。)

  • 緑道のベンチで先程、買ったたい焼きを戴いました。頭から尻尾までアンコが入っていました。

    緑道のベンチで先程、買ったたい焼きを戴いました。頭から尻尾までアンコが入っていました。

  • 港屋絵草紙店

    港屋絵草紙店

  • 明治座の入っている浜町センタービル

    明治座の入っている浜町センタービル

  • 明治座入口

    明治座入口

    明治座 名所・史跡

  • メトロリンク日本橋Eライン(無料巡回バスで約22分おきに通ります。)<br />明治座前より、東京駅を通り日本橋の室町1丁目まで行きます。(約30分)(地下鉄と違い、道路から東京見物が出来、無料なのが魅力です。結構、地元の方が利用しています。)

    メトロリンク日本橋Eライン(無料巡回バスで約22分おきに通ります。)
    明治座前より、東京駅を通り日本橋の室町1丁目まで行きます。(約30分)(地下鉄と違い、道路から東京見物が出来、無料なのが魅力です。結構、地元の方が利用しています。)

  • (車窓風景)東京シティエアターミナル(今まで、ここを利用した事はなく、来た事もありませんでした。)

    (車窓風景)東京シティエアターミナル(今まで、ここを利用した事はなく、来た事もありませんでした。)

  • (車窓風景)鎧橋(この奥に平将門ゆかりの兜神社があります。)

    (車窓風景)鎧橋(この奥に平将門ゆかりの兜神社があります。)

  • (車窓風景)東京証券取引所<br />

    (車窓風景)東京証券取引所

  • (車窓風景)高島屋

    (車窓風景)高島屋

  • メトロリンク日本橋Eラインに乗り、室町1丁目で降りました。

    メトロリンク日本橋Eラインに乗り、室町1丁目で降りました。

  • 室町三井タワー(前回、日本橋を訪れた時には工事中でしたが、2019年3月に竣工した地上26階 地下3階建ての複合ビルです。)

    室町三井タワー(前回、日本橋を訪れた時には工事中でしたが、2019年3月に竣工した地上26階 地下3階建ての複合ビルです。)

  • 日本橋三井タワーに入っている「千疋屋総本店」(天保5年(1834年)創業の高級果物店)

    日本橋三井タワーに入っている「千疋屋総本店」(天保5年(1834年)創業の高級果物店)

  • 日本橋三井タワー(上はマンダリンオリエンタル東京になっています。)

    日本橋三井タワー(上はマンダリンオリエンタル東京になっています。)

  • 三井本館(7Fに三井記念美術館があります。越後屋跡地)

    三井本館(7Fに三井記念美術館があります。越後屋跡地)

  • 三井本館(7Fに三井記念美術館があります。越後屋跡地)

    三井本館(7Fに三井記念美術館があります。越後屋跡地)

  • 三越本店(江戸時代よりのお店で、日本を代表する老舗百貨店です。)<br />

    三越本店(江戸時代よりのお店で、日本を代表する老舗百貨店です。)

  • 三越本店(シンボルのライオン像 ロンドンのトラファルガー広場のライオン像を模したようです。)

    三越本店(シンボルのライオン像 ロンドンのトラファルガー広場のライオン像を模したようです。)

  • 江戸桜通り

    江戸桜通り

  • 日本銀行本店本館(明治29年に完成 本店内は事前予約制で見学が可能です。)

    日本銀行本店本館(明治29年に完成 本店内は事前予約制で見学が可能です。)

  • 貨幣博物館(この建物の7Fにあります。)

    貨幣博物館(この建物の7Fにあります。)

  • 福徳神社(芽吹神社)(説明)(貞観年間(859~876)よりこの地に鎮座しており、徳川家康公も参詣しているそうです。)

    福徳神社(芽吹神社)(説明)(貞観年間(859~876)よりこの地に鎮座しており、徳川家康公も参詣しているそうです。)

  • 福徳神社(芽吹神社)(貞観年間(859~876)よりこの地に鎮座しており、徳川家康公も参詣しているそうです。)

    福徳神社(芽吹神社)(貞観年間(859~876)よりこの地に鎮座しており、徳川家康公も参詣しているそうです。)

    福徳神社 (芽吹稲荷) 寺・神社・教会

  • 福徳神社(芽吹神社)(本社)(貞観年間(859~876)よりこの地に鎮座しており、徳川家康公も参詣しているそうです。)

    福徳神社(芽吹神社)(本社)(貞観年間(859~876)よりこの地に鎮座しており、徳川家康公も参詣しているそうです。)

  • 福徳神社(芽吹神社)(福徳の森)(貞観年間(859~876)よりこの地に鎮座しており、徳川家康公も参詣しているそうです。)

    福徳神社(芽吹神社)(福徳の森)(貞観年間(859~876)よりこの地に鎮座しており、徳川家康公も参詣しているそうです。)

  • 薬祖神社(説明)(日本橋本町は江戸時代から薬種問屋が軒を連ね、今も、製薬会社が集まる「薬の町」で明治41年(1908年)に造営したそうです。)

    薬祖神社(説明)(日本橋本町は江戸時代から薬種問屋が軒を連ね、今も、製薬会社が集まる「薬の町」で明治41年(1908年)に造営したそうです。)

  • 薬祖神社(日本橋本町は江戸時代から薬種問屋が軒を連ね、今も、製薬会社が集まる「薬の町」で明治41年(1908年)に造営したそうです。)

    薬祖神社(日本橋本町は江戸時代から薬種問屋が軒を連ね、今も、製薬会社が集まる「薬の町」で明治41年(1908年)に造営したそうです。)

  • 薬祖神社隣の和カフェ「芽吹茶屋」前の和服の女性が周囲の雰囲気に良く似合います。

    薬祖神社隣の和カフェ「芽吹茶屋」前の和服の女性が周囲の雰囲気に良く似合います。

  • コレド室町1

    コレド室町1

  • コレド室町2

    コレド室町2

  • コレド室町3

    コレド室町3

  • 「にんべん」(元禄12年(1699年)創業の鰹節専門店)(コレド室町<br />3に入っています。)

    「にんべん」(元禄12年(1699年)創業の鰹節専門店)(コレド室町
    3に入っています。)

  • 日本橋文明堂(カステラ)

    日本橋文明堂(カステラ)

  • 「さるや」(歴史ある「爪楊枝」の専門店です。宝永年間に創業し、300年続いています。)

    「さるや」(歴史ある「爪楊枝」の専門店です。宝永年間に創業し、300年続いています。)

  • 「神茂」日本橋本店(はんぺんや練物で有名で320年の伝統があります。) 

    「神茂」日本橋本店(はんぺんや練物で有名で320年の伝統があります。) 

  • ミカド珈琲日本橋店(スタンド形式のカフェの元祖で、ジョン・レノンも来たそうです。)

    ミカド珈琲日本橋店(スタンド形式のカフェの元祖で、ジョン・レノンも来たそうです。)

  • 有便堂(書画用具の老舗 大正元年(1911年)九段上で創業。日本画家もひいきにしています。)

    有便堂(書画用具の老舗 大正元年(1911年)九段上で創業。日本画家もひいきにしています。)

  • 伊勢定本店(うなぎ)ここも食べたかったです。

    伊勢定本店(うなぎ)ここも食べたかったです。

  • 大和屋(かつおぶし専門店)1867年創業の老舗です。

    大和屋(かつおぶし専門店)1867年創業の老舗です。

  • 有名な山本海苔店本店(嘉永2年(1849年)創業した海苔専門店)

    有名な山本海苔店本店(嘉永2年(1849年)創業した海苔専門店)

  • 日本国道路元標(複製)(五街道の起点で国道1・4・6・14・15・17・20号線の7幹線の起点でもあります。)元は日本橋の中央にありましたが、1972年ここに移されました。

    日本国道路元標(複製)(五街道の起点で国道1・4・6・14・15・17・20号線の7幹線の起点でもあります。)元は日本橋の中央にありましたが、1972年ここに移されました。

  • 日本国道路元標(複製)(五街道の起点で国道1・4・6・14・15・17・20号線の7幹線の起点でもあります。)元は日本橋の中央にありましたが、1972年ここに移されました。この文字は当時の総理大臣、佐藤栄作の字だそうです。

    日本国道路元標(複製)(五街道の起点で国道1・4・6・14・15・17・20号線の7幹線の起点でもあります。)元は日本橋の中央にありましたが、1972年ここに移されました。この文字は当時の総理大臣、佐藤栄作の字だそうです。

  • 「日本橋」です。

    「日本橋」です。

  • 日本橋に立つ「麒麟像」(説明)

    日本橋に立つ「麒麟像」(説明)

  • 日本橋に立つ多くの「麒麟像」の説明

    日本橋に立つ多くの「麒麟像」の説明

  • 日本橋に立つ「麒麟像」(現在の橋は明治44年(1911年)に完成したものです。日本の道路の起点となる日本橋より飛び立つというイメージで作られ、麒麟にはない羽が付けられています。)

    日本橋に立つ「麒麟像」(現在の橋は明治44年(1911年)に完成したものです。日本の道路の起点となる日本橋より飛び立つというイメージで作られ、麒麟にはない羽が付けられています。)

  • 日本橋に立つ「麒麟像」(現在の橋は明治44年(1911年)に完成したものです。日本の道路の起点となる日本橋より飛び立つというイメージで作られ、麒麟にはない羽が付けられています。)

    日本橋に立つ「麒麟像」(現在の橋は明治44年(1911年)に完成したものです。日本の道路の起点となる日本橋より飛び立つというイメージで作られ、麒麟にはない羽が付けられています。)

  • 日本橋に立つ「麒麟像」(現在の橋は明治44年(1911年)に完成したものです。日本の道路の起点となる日本橋より飛び立つというイメージで作られ、麒麟にはない羽が付けられています。)

    日本橋に立つ「麒麟像」(現在の橋は明治44年(1911年)に完成したものです。日本の道路の起点となる日本橋より飛び立つというイメージで作られ、麒麟にはない羽が付けられています。)

  • 日本橋に立つ「麒麟像」(現在の橋は明治44年(1911年)に完成したものです。日本の道路の起点となる日本橋より飛び立つというイメージで作られ、麒麟にはない羽が付けられています。)

    日本橋に立つ「麒麟像」(現在の橋は明治44年(1911年)に完成したものです。日本の道路の起点となる日本橋より飛び立つというイメージで作られ、麒麟にはない羽が付けられています。)

    日本橋 名所・史跡

  • クルーズ船が走っています。

    クルーズ船が走っています。

  • 先程のクルーズ船が日本橋をくぐります。

    先程のクルーズ船が日本橋をくぐります。

  • 日本橋(全景)(やはり、上に走る高速道路が気になります。将来的に高速道路を地下に通すそうです。)

    日本橋(全景)(やはり、上に走る高速道路が気になります。将来的に高速道路を地下に通すそうです。)

  • 「黒江屋」(漆器のお店で元禄年間に創業)

    「黒江屋」(漆器のお店で元禄年間に創業)

  • 榮太樓総本舗(安政4年(1857年)創業の江戸菓子店の老舗)

    榮太樓総本舗(安政4年(1857年)創業の江戸菓子店の老舗)

  • 日本橋南詰より「メトロリンク日本橋」(10分おき)で東京地下街に向かいます。

    日本橋南詰より「メトロリンク日本橋」(10分おき)で東京地下街に向かいます。

  • (車窓風景)コレド日本橋

    (車窓風景)コレド日本橋

  • (車窓風景)高島屋

    (車窓風景)高島屋

  • 平和の鐘(日本橋3丁目交差点にあります。)中央区の平和都市宣言での鐘で、定期的になるそうです。

    平和の鐘(日本橋3丁目交差点にあります。)中央区の平和都市宣言での鐘で、定期的になるそうです。

  • ヤン・ヨーステン記念碑(日本橋3丁目交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。オランダに帰る途中に亡くなりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

    ヤン・ヨーステン記念碑(日本橋3丁目交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。オランダに帰る途中に亡くなりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

    ヤン ヨーステン記念碑 名所・史跡

  • 八重洲地下街(広く、沢山の店舗があります。)

    八重洲地下街(広く、沢山の店舗があります。)

  • ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街の一番通りと南口通りの交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。オランダに帰る途中に亡くなりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

    ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街の一番通りと南口通りの交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。オランダに帰る途中に亡くなりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

  • ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街の一番通りと南口通りの交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。オランダに帰る途中に亡くなりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

    ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街の一番通りと南口通りの交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。オランダに帰る途中に亡くなりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

  • ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街の一番通りと南口通りの交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

    ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街の一番通りと南口通りの交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

  • ヤン・ヨーステン記念像(航海図)(八重洲地下街の一番通りと南口通りの交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

    ヤン・ヨーステン記念像(航海図)(八重洲地下街の一番通りと南口通りの交差点にあります。)(現在の「八重洲」の名の元となった人です。オランダ人商人で家康と親しかったため、江戸屋敷が和田倉門から日比谷間の内堀にあり、日本名が「やようす」といい、それが訛って「八重洲」になりました。日蘭修好380年記念に作られました。)

  • 15:59東京駅より帰ります。(大丸地下街の「柿安」で弁当を買い夕食としました。)江戸の老舗巡りをして伝統の奥深さを知りました。(知らなかったお店もありました。)猛暑の中、歩き回り疲れ果てました。

    15:59東京駅より帰ります。(大丸地下街の「柿安」で弁当を買い夕食としました。)江戸の老舗巡りをして伝統の奥深さを知りました。(知らなかったお店もありました。)猛暑の中、歩き回り疲れ果てました。

59いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP