松島・奥松島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
五大堂の参拝を済ませた後はお昼となるわけですが、前の晩に行った「鮨正」の仲居さんに「今は季節では無いので、仙台の牡蠣は無いのですよ…。」と言われていたので松島で牡蠣を食べる気持ちは無くなっていました。また、街中のお店も閉まっているところが多いのでどうしたものか考えあぐねていると、食堂の店先のおばさんが手を振っています。目があったので近づいてみるともう面倒になり左側の「石田屋」に入りました。右手には「櫻井」という店もあるのですが、石田屋のおばさん押しの強さと立地に軍配が上がりました。妻は割り切ってカキフライを注文し、一応名物らしいあなご丼を注文してみました。ビールのつまみに焼き牡蠣も注文しましたが、あえて産地は聞きませんでした。食事の後は近くに見える朱塗りの福浦橋から福浦島に行ってみました。妻は橋だけ渡って戻ってしまいましたが、島の反対側の弁天堂まで行ってみました。島内には誰もいなく、唯一ある「福浦島茶屋」まで休みでした。見晴らし台で松島湾をもう一度眺めておきました。また雨が降ってきたので福浦橋を急いで渡ると、妻は橋の袂の「カフェベイランド」でタピオカミルクティを飲んでいました。松島一番の瑞巌寺にも参拝しましたが、先に洞窟遺跡群を見ようと思ったら、目の前に「鰻塚」があってびっくりしました。名古屋でひつまぶしを食べたばかりなので手を合わせておきました。おかげで旅の最後の木曽川の鵜飼でも鰻釜めしを食べることが出来ました。瑞巌寺の参拝の後は参道を通らなかったので洞窟遺跡を先に見ておいてよかったです。杉木立を抜けた本堂を正面に見ながら庫裡の前に立つと京都の妙心寺の塔頭や天龍寺の庫裡に似ていると感じました。後で気が付きましたが同じ臨済宗の寺院なので共通の建築様式なのかもしれません。庫裡から本堂へは見学が可能ですが、その襖絵や伊達政宗像など見事でした。写真を撮れないのは仕方ないのですが、絵葉書なども無いのがちょっと残念でした。参拝の後は宝物館(青龍殿)の見学もしましたが、こちらも見どころがたくさんありました。特に政宗公と愛姫、五郎八姫の像を間近かで見られたのは良かったです。ただ障壁画収蔵展示室が閉鎖されていたのは残念でした。瑞巌寺の後はあまり時間も無くなってきたので観瀾亭 (かんらんてい) へ急ぎました。ここは伏見桃山城の建物を移築したものですが、建物よりもお抹茶をいただきながら眺めた松島湾は思い出になりました。松島観光はここまでで同じルートで仙石線で仙台へ戻り、バスに乗って仙台港へ向かいました。

大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(6)松島の瑞巌寺で伊達政宗を偲び、観瀾亭で抹茶をいただきながら松島湾を望む。

15いいね!

2021/06/29 - 2021/06/29

394位(同エリア1258件中)

kojikoji

kojikojiさん

五大堂の参拝を済ませた後はお昼となるわけですが、前の晩に行った「鮨正」の仲居さんに「今は季節では無いので、仙台の牡蠣は無いのですよ…。」と言われていたので松島で牡蠣を食べる気持ちは無くなっていました。また、街中のお店も閉まっているところが多いのでどうしたものか考えあぐねていると、食堂の店先のおばさんが手を振っています。目があったので近づいてみるともう面倒になり左側の「石田屋」に入りました。右手には「櫻井」という店もあるのですが、石田屋のおばさん押しの強さと立地に軍配が上がりました。妻は割り切ってカキフライを注文し、一応名物らしいあなご丼を注文してみました。ビールのつまみに焼き牡蠣も注文しましたが、あえて産地は聞きませんでした。食事の後は近くに見える朱塗りの福浦橋から福浦島に行ってみました。妻は橋だけ渡って戻ってしまいましたが、島の反対側の弁天堂まで行ってみました。島内には誰もいなく、唯一ある「福浦島茶屋」まで休みでした。見晴らし台で松島湾をもう一度眺めておきました。また雨が降ってきたので福浦橋を急いで渡ると、妻は橋の袂の「カフェベイランド」でタピオカミルクティを飲んでいました。松島一番の瑞巌寺にも参拝しましたが、先に洞窟遺跡群を見ようと思ったら、目の前に「鰻塚」があってびっくりしました。名古屋でひつまぶしを食べたばかりなので手を合わせておきました。おかげで旅の最後の木曽川の鵜飼でも鰻釜めしを食べることが出来ました。瑞巌寺の参拝の後は参道を通らなかったので洞窟遺跡を先に見ておいてよかったです。杉木立を抜けた本堂を正面に見ながら庫裡の前に立つと京都の妙心寺の塔頭や天龍寺の庫裡に似ていると感じました。後で気が付きましたが同じ臨済宗の寺院なので共通の建築様式なのかもしれません。庫裡から本堂へは見学が可能ですが、その襖絵や伊達政宗像など見事でした。写真を撮れないのは仕方ないのですが、絵葉書なども無いのがちょっと残念でした。参拝の後は宝物館(青龍殿)の見学もしましたが、こちらも見どころがたくさんありました。特に政宗公と愛姫、五郎八姫の像を間近かで見られたのは良かったです。ただ障壁画収蔵展示室が閉鎖されていたのは残念でした。瑞巌寺の後はあまり時間も無くなってきたので観瀾亭 (かんらんてい) へ急ぎました。ここは伏見桃山城の建物を移築したものですが、建物よりもお抹茶をいただきながら眺めた松島湾は思い出になりました。松島観光はここまでで同じルートで仙石線で仙台へ戻り、バスに乗って仙台港へ向かいました。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
高速・路線バス タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)

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  • 五大堂を出てどこで昼食を摂るか考えていると駐車場の向こうからおばさんが手招きしています。近づいてみると2軒の食堂のおばさんが雨の中でお客の呼び込みをしています。何となく左の石田屋に入ってしまいましたが、これは地の利があるように思います。

    五大堂を出てどこで昼食を摂るか考えていると駐車場の向こうからおばさんが手招きしています。近づいてみると2軒の食堂のおばさんが雨の中でお客の呼び込みをしています。何となく左の石田屋に入ってしまいましたが、これは地の利があるように思います。

  • 2階の窓際の席に通されましたが、店内はガラガラでした。ここでも手指消毒と検温がありました。

    2階の窓際の席に通されましたが、店内はガラガラでした。ここでも手指消毒と検温がありました。

  • この時期仙台産の牡蠣ではないだろうと思ってもカキフライを注文してしまいます。ふっくら揚げられたカキフライは美味しかったです。

    この時期仙台産の牡蠣ではないだろうと思ってもカキフライを注文してしまいます。ふっくら揚げられたカキフライは美味しかったです。

  • 焼き牡蠣は1個300円なのでビールのつまみに注文してみました。

    焼き牡蠣は1個300円なのでビールのつまみに注文してみました。

  • あなご重はご飯を少なめにしてもらいました。あなごはふわふわに似てあるのでお菓子のようです。

    あなご重はご飯を少なめにしてもらいました。あなごはふわふわに似てあるのでお菓子のようです。

  • 松島では牡蠣が食べられなければ特に行きたいお店も無かったので良しとします。

    松島では牡蠣が食べられなければ特に行きたいお店も無かったので良しとします。

  • 残された時間もあまりないので効率よく時間が使えて良かったです。

    残された時間もあまりないので効率よく時間が使えて良かったです。

  • これからもずっとお客の呼び込みでし烈な戦いが続くのでしょう…。

    これからもずっとお客の呼び込みでし烈な戦いが続くのでしょう…。

  • 五大堂を背に福浦島に向かいます。

    五大堂を背に福浦島に向かいます。

  • また小雨が降ってきました。

    また小雨が降ってきました。

  • ここにも防潮堤と鋼鉄のゲートがありました。このような防潮堤が周辺をずっと囲っているのだと思うと海は恐ろしいなと感じます。

    ここにも防潮堤と鋼鉄のゲートがありました。このような防潮堤が周辺をずっと囲っているのだと思うと海は恐ろしいなと感じます。

  • 福浦橋は全長252メートルの朱塗りの橋で、宮城県内初の有料橋として、昭和42年に完成したそうです。通行料は1人200円でした。一瞬有料なの?と思いましたが、ここまで来て渡らない訳にもいきません。

    福浦橋は全長252メートルの朱塗りの橋で、宮城県内初の有料橋として、昭和42年に完成したそうです。通行料は1人200円でした。一瞬有料なの?と思いましたが、ここまで来て渡らない訳にもいきません。

  • 県立自然公園に指定されている福浦島は自然が豊かなネイチャーパークで、アカマツやスギ、カエデ、ツバキ、モミなど250種以上の草木が自生しているそうです。

    県立自然公園に指定されている福浦島は自然が豊かなネイチャーパークで、アカマツやスギ、カエデ、ツバキ、モミなど250種以上の草木が自生しているそうです。

  • 横風が強く小雨が降っているので妻はあまり乗り気ではありません。この後折り畳み傘がお猪口になりました。

    横風が強く小雨が降っているので妻はあまり乗り気ではありません。この後折り畳み傘がお猪口になりました。

  • 瑞巌寺の宗派が天台宗から臨済宗に改宗した際に天台宗のお経文をこの島で焼いたところから「経ヶ島」が右手に見えました。

    瑞巌寺の宗派が天台宗から臨済宗に改宗した際に天台宗のお経文をこの島で焼いたところから「経ヶ島」が右手に見えました。

  • 松島湾に浮かぶ島を一番間近かで眺めることが出来たのはここでした。

    松島湾に浮かぶ島を一番間近かで眺めることが出来たのはここでした。

  • 海水による浸食が進んで不思議な姿をしています。小岩のような島でもその大きさに合わせてマツヤカエデの未生が育っています。

    海水による浸食が進んで不思議な姿をしています。小岩のような島でもその大きさに合わせてマツヤカエデの未生が育っています。

  • 橋の上から海面を見ると小さな牡蠣がびっしり。昔はこれを移植して育てたのでしょうか。

    橋の上から海面を見ると小さな牡蠣がびっしり。昔はこれを移植して育てたのでしょうか。

  • 海水や風雨で浸食された島は、更に松の根によって引き裂かれていきます。しかし、見事な枝ぶりの松です。

    海水や風雨で浸食された島は、更に松の根によって引き裂かれていきます。しかし、見事な枝ぶりの松です。

  • 福浦橋は出会い橋といわれるパワースポットらしいですが、妻とはここでお別れです。島の階段を見ただけで登る気が無かったようなので、1人で福浦島を散策することにします。

    福浦橋は出会い橋といわれるパワースポットらしいですが、妻とはここでお別れです。島の階段を見ただけで登る気が無かったようなので、1人で福浦島を散策することにします。

  • 角度が変わると五大堂の形も違って見えます。

    角度が変わると五大堂の形も違って見えます。

  • 雨も降っているので舗装された道だけを進むことにしました。小さな展望台があったのでここまでとします。

    雨も降っているので舗装された道だけを進むことにしました。小さな展望台があったのでここまでとします。

  • 沖合の左の「桂島」と右側の「大藻根島」の間に「仁王島」が見えました。手前の松もいい枝ぶりです。これは200ミリの望遠で撮っています。

    沖合の左の「桂島」と右側の「大藻根島」の間に「仁王島」が見えました。手前の松もいい枝ぶりです。これは200ミリの望遠で撮っています。

  • 肉眼ではこれくらいでしか見えません。2つの島に見えますが両方とも「引通島」です。

    肉眼ではこれくらいでしか見えません。2つの島に見えますが両方とも「引通島」です。

  • 後には弁財天の祠が見えます。

    後には弁財天の祠が見えます。

  • 扁額には福浦島弁財天とあります。千社札の間に何かあると思ってよく見ると小さな達磨でした。

    扁額には福浦島弁財天とあります。千社札の間に何かあると思ってよく見ると小さな達磨でした。

  • 周りに誰もいないし、途中にあった茶屋も休みなのでちょっと不気味な感じがします。

    周りに誰もいないし、途中にあった茶屋も休みなのでちょっと不気味な感じがします。

  • 来る途中にあった「福浦島茶屋」の店頭には福浦島の名物「ダルマおみくじ(300円)」があるそうです。木彫りのダルマの中におみくじが入っていて、凶を引いてしまったら枝ではなく、島内にある弁天堂の社殿に置いていくのが習わしだそうです。

    来る途中にあった「福浦島茶屋」の店頭には福浦島の名物「ダルマおみくじ(300円)」があるそうです。木彫りのダルマの中におみくじが入っていて、凶を引いてしまったら枝ではなく、島内にある弁天堂の社殿に置いていくのが習わしだそうです。

  • そろそろ戻らないと妻の機嫌が悪くなりそうなので帰り道を急ぎます。

    そろそろ戻らないと妻の機嫌が悪くなりそうなので帰り道を急ぎます。

  • 妻はチケットを買ったカフェベイランドの休憩所で隠れてタピオカミルクティを飲んで涼んでいました。

    妻はチケットを買ったカフェベイランドの休憩所で隠れてタピオカミルクティを飲んで涼んでいました。

  • 雨も止んできたので瑞巌寺に向かう事にします。

    雨も止んできたので瑞巌寺に向かう事にします。

  • 途中途中のお土産物屋さんも覗きたくなりますが、母が亡くなってからは行った先々のお土産を買う相手もいないので店先を冷やかすだけですが、懐かしい「仙臺四郎」の人形を見つけました。幕末から明治にかけて仙台市に実在した人物で「人神」としても祀られている人物です。「四郎自身が選んで訪れる店は繁盛する」との迷信が流布され、売上増を望む商店が四郎の気を引こうと厚遇したと教えてもらったことがあります。

    途中途中のお土産物屋さんも覗きたくなりますが、母が亡くなってからは行った先々のお土産を買う相手もいないので店先を冷やかすだけですが、懐かしい「仙臺四郎」の人形を見つけました。幕末から明治にかけて仙台市に実在した人物で「人神」としても祀られている人物です。「四郎自身が選んで訪れる店は繁盛する」との迷信が流布され、売上増を望む商店が四郎の気を引こうと厚遇したと教えてもらったことがあります。

  • ようやく瑞巌寺の参道にたどり着きました。ここで仙台の絵葉書が無いことが気になり、お土産物屋さんに入ると見つけることが出来ました。もう旅先から絵葉書を出す習慣は無くなりつつあるのでしょうね。海外でもそうですが絵葉書を手に入れるのが難しくなりましたし、ホテルなども郵便物を預かってくれなくなりました。

    ようやく瑞巌寺の参道にたどり着きました。ここで仙台の絵葉書が無いことが気になり、お土産物屋さんに入ると見つけることが出来ました。もう旅先から絵葉書を出す習慣は無くなりつつあるのでしょうね。海外でもそうですが絵葉書を手に入れるのが難しくなりましたし、ホテルなども郵便物を預かってくれなくなりました。

  • 美しく敷かれた参道の石は東日本大震災以前からあったものなのか気になりました。

    美しく敷かれた参道の石は東日本大震災以前からあったものなのか気になりました。

  • 参拝した後に方丈の前にいたお寺の方に伺いましたが、震災の時の津波はこの先の参道の半分より先まで到達したそうです。その塩害で鬱蒼と茂っていた杉木立は約300本が枯死して伐採されることになったそうです。震災以前の写真を見るとその違いに驚かされます。

    参拝した後に方丈の前にいたお寺の方に伺いましたが、震災の時の津波はこの先の参道の半分より先まで到達したそうです。その塩害で鬱蒼と茂っていた杉木立は約300本が枯死して伐採されることになったそうです。震災以前の写真を見るとその違いに驚かされます。

  • 参道の右を見ると「洞窟遺跡群」が見えました。鎌倉時代から江戸時代にかけて供養場として掘られた洞窟とされているそうで、内部には石碑や石像や仏像が納められていました。<br />

    参道の右を見ると「洞窟遺跡群」が見えました。鎌倉時代から江戸時代にかけて供養場として掘られた洞窟とされているそうで、内部には石碑や石像や仏像が納められていました。

  • 一番手前には「鰻塚」の碑が鎮座しています。大正時代の松島は天然鰻の一大産地だったそうで、その供養のために建立され、鰻塚の文字は瑞巌寺第126世松原盤龍老師の揮毫(きごう)だそうです。寄進したのは地元を始め北海道から東京までの鰻屋や問屋だそうです。ちょうど名古屋の熱田でひつまぶしを食べたばかりなので手を合わせてきました。

    一番手前には「鰻塚」の碑が鎮座しています。大正時代の松島は天然鰻の一大産地だったそうで、その供養のために建立され、鰻塚の文字は瑞巌寺第126世松原盤龍老師の揮毫(きごう)だそうです。寄進したのは地元を始め北海道から東京までの鰻屋や問屋だそうです。ちょうど名古屋の熱田でひつまぶしを食べたばかりなので手を合わせてきました。

  • 松島は古来より「奥州の高野」と呼ばれていて、亡き人の供養が営まれた場所でもあったそうです。供養者には岩手や山形など県外の人物も認められ、霊場としての松島が広く認知されていたことがわかります。

    松島は古来より「奥州の高野」と呼ばれていて、亡き人の供養が営まれた場所でもあったそうです。供養者には岩手や山形など県外の人物も認められ、霊場としての松島が広く認知されていたことがわかります。

  • 綺麗に咲いたアジサイの花を見るとホッとします。

    綺麗に咲いたアジサイの花を見るとホッとします。

  • 供養塔や五輪塔が状態良く残されています。このような洞窟は庫裡の横や本堂の浦にまで続いていました。

    供養塔や五輪塔が状態良く残されています。このような洞窟は庫裡の横や本堂の浦にまで続いていました。

  • ようやく料金所までやってきました。

    ようやく料金所までやってきました。

  • この辺りまでは津波は到達していないので、杉の木が残っています。

    この辺りまでは津波は到達していないので、杉の木が残っています。

  • 江戸時代に入ると松島を含む仙台藩を領した伊達政宗は禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、慶長9年(1604年)から14年(1609年)までに寄進工事で完成させます。今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築を含む伽藍は、政宗の造営によるものです。

    江戸時代に入ると松島を含む仙台藩を領した伊達政宗は禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、慶長9年(1604年)から14年(1609年)までに寄進工事で完成させます。今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築を含む伽藍は、政宗の造営によるものです。

  • 正面に中門を見据えながら参拝順路の右手に進みます。

    正面に中門を見据えながら参拝順路の右手に進みます。

  • 庫裡の白い壁が見えてきました。大屋根の上には入母屋造の煙出しを載せているのが分かります。

    庫裡の白い壁が見えてきました。大屋根の上には入母屋造の煙出しを載せているのが分かります。

  • 庫裡は禅宗寺院で主として台所の役割を担う建物です。実用本位の建物であるため装飾が施される例はあまり見られませんが、正面上部の複雑に組み上げられた梁と束、妻飾りの唐草彫刻が漆喰上に美しく設えられているのが特徴です。この建物を見て京都の妙心寺や天龍寺を思い起こさせましたが、同じ臨済宗の寺院だという事に気が付きました。

    庫裡は禅宗寺院で主として台所の役割を担う建物です。実用本位の建物であるため装飾が施される例はあまり見られませんが、正面上部の複雑に組み上げられた梁と束、妻飾りの唐草彫刻が漆喰上に美しく設えられているのが特徴です。この建物を見て京都の妙心寺や天龍寺を思い起こさせましたが、同じ臨済宗の寺院だという事に気が付きました。

  • 庫裡から本堂をぐるりと見学して、参拝もさせていただきましたが、堂内は撮影禁止なので買い求めた絵葉書の写真です。立派な堂内は京都の寺院でもここまで豪華なところはないだろうと思えるほどです。欄間の透かし彫りから鎧戸の彫刻など仙台藩の力を感じます。<br />瑞巌寺の見事な本堂の開設は<br />https://zuiganji.or.jp/?page_id=7920

    庫裡から本堂をぐるりと見学して、参拝もさせていただきましたが、堂内は撮影禁止なので買い求めた絵葉書の写真です。立派な堂内は京都の寺院でもここまで豪華なところはないだろうと思えるほどです。欄間の透かし彫りから鎧戸の彫刻など仙台藩の力を感じます。
    瑞巌寺の見事な本堂の開設は
    https://zuiganji.or.jp/?page_id=7920

  • 墨絵の間以外の障壁画は昭和60年(1985)から制作が開始された精巧な復元模写が建て込まれています。ここでは写真を撮れませんでしたが、旅の最後に行った名古屋城の本丸御殿を見学していてこの本堂を思い出しました。仙台藩の絵師である狩野左京(佐久間修理)の手によるもので、宝物館には作品がたくさん展示してありました。

    墨絵の間以外の障壁画は昭和60年(1985)から制作が開始された精巧な復元模写が建て込まれています。ここでは写真を撮れませんでしたが、旅の最後に行った名古屋城の本丸御殿を見学していてこの本堂を思い出しました。仙台藩の絵師である狩野左京(佐久間修理)の手によるもので、宝物館には作品がたくさん展示してありました。

  • 他の部屋より畳面が一段高くなる藩主御成の間で、正面奥に明かり取りの火頭窓と違い棚、右手に帳台構が設えられています。襖絵「四季花卉図」は平和と豊かさを、床の間「梅竹図」は藩主の資質として理想とされる「高潔と清操」を、帳台構の「牡丹図」は富貴を表しています。

    他の部屋より畳面が一段高くなる藩主御成の間で、正面奥に明かり取りの火頭窓と違い棚、右手に帳台構が設えられています。襖絵「四季花卉図」は平和と豊かさを、床の間「梅竹図」は藩主の資質として理想とされる「高潔と清操」を、帳台構の「牡丹図」は富貴を表しています。

  • 上段の間には明治9年の明治天皇の東北御巡幸の際に行在所となり、一夜をお過ごしになりました。瑞巌寺は明治維新後の新政府の神仏分離令による廃仏毀釈運動や、伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃を受けて、什宝物の散佚や建物の損傷等で荒廃の憂き目を見ることになります。そのような状況の中に行在所となり、内帑金1,000円が下賜されて復興の契機となったそうです。

    上段の間には明治9年の明治天皇の東北御巡幸の際に行在所となり、一夜をお過ごしになりました。瑞巌寺は明治維新後の新政府の神仏分離令による廃仏毀釈運動や、伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃を受けて、什宝物の散佚や建物の損傷等で荒廃の憂き目を見ることになります。そのような状況の中に行在所となり、内帑金1,000円が下賜されて復興の契機となったそうです。

  • 庫裡の出口に藁沓が飾ってあったので、お寺の方に尋ねてみると大晦日の夜9時、庫裡に掛けられた雲版の乱打を合図に、住職代理の僧侶が「火鈴」という大きな鈴を打ち振って、「般若心経」を繰り返し唱えながら一晩中松島の海岸地区を歩く火伏せの行事があり、その時だけに履く藁沓だそうです。

    庫裡の出口に藁沓が飾ってあったので、お寺の方に尋ねてみると大晦日の夜9時、庫裡に掛けられた雲版の乱打を合図に、住職代理の僧侶が「火鈴」という大きな鈴を打ち振って、「般若心経」を繰り返し唱えながら一晩中松島の海岸地区を歩く火伏せの行事があり、その時だけに履く藁沓だそうです。

  • 火鈴様を迎える家は軒に提灯を吊るし、玄関に机を置き灯明をともし、茶碗に梅湯か酒を入れて、家中の明かりを消して静かに待つそうです。「姿を覗き見ると目が潰れる」とか「火鈴の音を聞かずに年を越すと、五臓腸が腐れる」と禁忌されている火鈴様ですが、火鈴様の飲み残した梅湯や酒を飲むと厄除けになると伝わっているため、諷経が終わった家では梅湯や酒を分けて飲み、一年の災厄を払うそうです。

    火鈴様を迎える家は軒に提灯を吊るし、玄関に机を置き灯明をともし、茶碗に梅湯か酒を入れて、家中の明かりを消して静かに待つそうです。「姿を覗き見ると目が潰れる」とか「火鈴の音を聞かずに年を越すと、五臓腸が腐れる」と禁忌されている火鈴様ですが、火鈴様の飲み残した梅湯や酒を飲むと厄除けになると伝わっているため、諷経が終わった家では梅湯や酒を分けて飲み、一年の災厄を払うそうです。

  • 庫裡の脇の洞窟遺跡は倉庫など寺社の一部になっていました。<br />

    庫裡の脇の洞窟遺跡は倉庫など寺社の一部になっていました。

  • 参拝の後は宝物館(青龍殿)の見学もしましたが、こちらも見どころがたくさんありました。特に政宗公と愛姫、五郎八姫の像を間近かで見られたのは良かったです。狩野左京(佐久間修理)の手による掛け軸もたくさん展示ありましたが、知らない画家の素晴らしい作品を見ることが出来ました。

    参拝の後は宝物館(青龍殿)の見学もしましたが、こちらも見どころがたくさんありました。特に政宗公と愛姫、五郎八姫の像を間近かで見られたのは良かったです。狩野左京(佐久間修理)の手による掛け軸もたくさん展示ありましたが、知らない画家の素晴らしい作品を見ることが出来ました。

  • 特に案内はありませんでしたが、まるで竜が天に昇るような枝ぶりの松でした。

    特に案内はありませんでしたが、まるで竜が天に昇るような枝ぶりの松でした。

  • 庫裡の中で見た玄関の表改めて確認します。苔生した地面を見ると多分使われていないのだと思います。

    庫裡の中で見た玄関の表改めて確認します。苔生した地面を見ると多分使われていないのだと思います。

  • ようやく中門から本堂の表側の見学に移れます。

    ようやく中門から本堂の表側の見学に移れます。

  • 切妻造りで杮葺の四脚門です。本堂と庫裡、御成玄関と御成門などに見られるように、瑞巌寺の建築物は本瓦葺が主流ですが、中門だけは唯一杮葺となっています。<br />扁額の「瑞?円福禅寺」は瑞巌寺100世洞水東初禅師の揮毫とのことです。

    切妻造りで杮葺の四脚門です。本堂と庫裡、御成玄関と御成門などに見られるように、瑞巌寺の建築物は本瓦葺が主流ですが、中門だけは唯一杮葺となっています。
    扁額の「瑞?円福禅寺」は瑞巌寺100世洞水東初禅師の揮毫とのことです。

  • 入母屋造の本瓦葺の本堂は伊達政宗公の創建で、5年の歳月をかけて慶長14年に完成<br />しました。

    入母屋造の本瓦葺の本堂は伊達政宗公の創建で、5年の歳月をかけて慶長14年に完成
    しました。

  • 堂内の五色幕が表からも確認できます。基本的に青、黄、赤、白、黒の五色が用いられ、仏陀の体や教えを表す色とされます。

    堂内の五色幕が表からも確認できます。基本的に青、黄、赤、白、黒の五色が用いられ、仏陀の体や教えを表す色とされます。

  • 青(緑)は仏陀の頭髪の色で心乱れず穏やかな状態の禅定(ぜんじょう)「定根」を表します。<br />黄は仏陀の身体の色で豊かな姿で確固とした揺るぎない「金剛」(こんごう)を表します。<br />赤は仏陀の血液の色で人々を救済しようとする慈悲心が止やむことのない「精進」(しょうじん)を表します。<br />白は仏陀の歯の色でさまざまな悪業や煩悩を浄める清浄(しょうじょう)を表します。<br />紫は仏陀の袈裟の色で侮辱や迫害に怒りを抑えて耐たえ忍ぶ「忍辱」(にんにく)を表します。

    青(緑)は仏陀の頭髪の色で心乱れず穏やかな状態の禅定(ぜんじょう)「定根」を表します。
    黄は仏陀の身体の色で豊かな姿で確固とした揺るぎない「金剛」(こんごう)を表します。
    赤は仏陀の血液の色で人々を救済しようとする慈悲心が止やむことのない「精進」(しょうじん)を表します。
    白は仏陀の歯の色でさまざまな悪業や煩悩を浄める清浄(しょうじょう)を表します。
    紫は仏陀の袈裟の色で侮辱や迫害に怒りを抑えて耐たえ忍ぶ「忍辱」(にんにく)を表します。

  • 2011根に禅の鬱蒼とした杉木立の瑞巌寺を見てみたかったです。両親もこの姿を見たら驚いたと思います。

    2011根に禅の鬱蒼とした杉木立の瑞巌寺を見てみたかったです。両親もこの姿を見たら驚いたと思います。

  • 参道を戻らずに駅に近い円通院の方に進むことにします。段々残された時間が少なくなってきました。

    参道を戻らずに駅に近い円通院の方に進むことにします。段々残された時間が少なくなってきました。

  • 切通しの雰囲気が北鎌倉を思い出させます。<br />

    切通しの雰囲気が北鎌倉を思い出させます。

  • そのまま国道45線に出て最後の見学地の観瀾亭 (かんらんてい) に向かいます。ここにも木々の根が岩を割るように伸びています。

    そのまま国道45線に出て最後の見学地の観瀾亭 (かんらんてい) に向かいます。ここにも木々の根が岩を割るように伸びています。

  • さすがに歩きっぱなしなので疲れてきました。

    さすがに歩きっぱなしなので疲れてきました。

  • 青木存義(あおき ながよし)作詞の「どんぐりころころ」の碑がありました。松島の出身だったと初めて知りました。言わずと知れた文部省唱歌の唄で子供の頃に謡った覚えもあります。母が庭に池を作ってくれて、そこで金魚や魚屋で買ってもらったドジョウを買ったことを思い出します。

    青木存義(あおき ながよし)作詞の「どんぐりころころ」の碑がありました。松島の出身だったと初めて知りました。言わずと知れた文部省唱歌の唄で子供の頃に謡った覚えもあります。母が庭に池を作ってくれて、そこで金魚や魚屋で買ってもらったドジョウを買ったことを思い出します。

  • そして1975年末に桑原茂一と小林克也によりプロジェクト開始した伝説のスネークマンショーのアルバム「死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!」の「どんぐりころころ」も思い出してしまいます。この日の夜に妻には内緒で「どんぐりころころ」や「愛のホテル」、そして作詞 : スネークマンショー 作曲: 細野晴臣の「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー 」を聞いてしまいました。

    そして1975年末に桑原茂一と小林克也によりプロジェクト開始した伝説のスネークマンショーのアルバム「死ぬのは嫌だ、怖い。戦争反対!」の「どんぐりころころ」も思い出してしまいます。この日の夜に妻には内緒で「どんぐりころころ」や「愛のホテル」、そして作詞 : スネークマンショー 作曲: 細野晴臣の「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー 」を聞いてしまいました。

  • 観瀾亭 (かんらんてい)に到着しました。入り口には誰もいなく、敷き詰められた小石が枯山水の石庭のように見事に掃き清められているので足が踏み出せません。

    観瀾亭 (かんらんてい)に到着しました。入り口には誰もいなく、敷き詰められた小石が枯山水の石庭のように見事に掃き清められているので足が踏み出せません。

  • 砂利を掃く熊手レーキを持った女性が戻ってきたので入場料を払って、お抹茶も一緒にお願いしました。この建物は文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸品川の藩邸に移築したものを2代藩主忠宗が一木一石変えずこの地に移したものと伝えられています。

    砂利を掃く熊手レーキを持った女性が戻ってきたので入場料を払って、お抹茶も一緒にお願いしました。この建物は文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸品川の藩邸に移築したものを2代藩主忠宗が一木一石変えずこの地に移したものと伝えられています。

  • 伏見桃山城の移築というとどうしても京都の養源院を思い出してしまいます。ここへは50年ほど前に俵屋宗達の杉戸に描かれた「白象図」と「八方睨みの獅子」と襖絵の「松図」を観に行ったのですが、桃山城の遺構である「血天井」が残されています。その当時の住職が説明してくださったのですが、その方が桂枝雀に似ているなと思ったことも思い出しました。

    伏見桃山城の移築というとどうしても京都の養源院を思い出してしまいます。ここへは50年ほど前に俵屋宗達の杉戸に描かれた「白象図」と「八方睨みの獅子」と襖絵の「松図」を観に行ったのですが、桃山城の遺構である「血天井」が残されています。その当時の住職が説明してくださったのですが、その方が桂枝雀に似ているなと思ったことも思い出しました。

  • 高台にある観瀾亭 (かんらんてい)の座敷から松島湾を見渡しながらいただく抹茶は美味しかったです。洋風バター生地の中に自家製のこしあんを包み、その間にクリームチーズを二層にはさんだ勝新堂の「松島」は美味しかったです。

    高台にある観瀾亭 (かんらんてい)の座敷から松島湾を見渡しながらいただく抹茶は美味しかったです。洋風バター生地の中に自家製のこしあんを包み、その間にクリームチーズを二層にはさんだ勝新堂の「松島」は美味しかったです。

  • 妻はずんだ餅のセットにしました。

    妻はずんだ餅のセットにしました。

  • こちらのずんだ餅はどこのお菓子屋さんの物かは分かりませんが、今まで食べたものの中で群を抜いた美味しさでした。ここでお茶をいただくならずんだ餅がお薦めです。

    こちらのずんだ餅はどこのお菓子屋さんの物かは分かりませんが、今まで食べたものの中で群を抜いた美味しさでした。ここでお茶をいただくならずんだ餅がお薦めです。

  • 午前中に乗った「仁王丸」が戻ってきました。雨が上がったせいかお客さんの姿も多いようです。

    午前中に乗った「仁王丸」が戻ってきました。雨が上がったせいかお客さんの姿も多いようです。

  • 隣にあった小さい博物館には国鉄時代の看板がありました。これを見ていたら55年ほど前に父と一緒に陸中海岸を旅したことを思い出しました。仙台駅から蒸気機関車に乗ったことを覚えています。浄土ヶ浜でキャンプしてボートに乗ったり、漁船をチャーターして北山崎の断崖クルーズして漁師さんにサンゴを貰ったこと。最後に着いた久慈から帰ったこと…。その度でこの看板に出会っていたのかもしれません。

    隣にあった小さい博物館には国鉄時代の看板がありました。これを見ていたら55年ほど前に父と一緒に陸中海岸を旅したことを思い出しました。仙台駅から蒸気機関車に乗ったことを覚えています。浄土ヶ浜でキャンプしてボートに乗ったり、漁船をチャーターして北山崎の断崖クルーズして漁師さんにサンゴを貰ったこと。最後に着いた久慈から帰ったこと…。その度でこの看板に出会っていたのかもしれません。

  • 名残惜しいですがそろそろ仙台へ戻らなければなりません。駅舎を工事している松島海岸駅ですが、ホームの雰囲気は国鉄を感じます。

    名残惜しいですがそろそろ仙台へ戻らなければなりません。駅舎を工事している松島海岸駅ですが、ホームの雰囲気は国鉄を感じます。

  • やってきた電車に情緒はありませんが先を急がなければなりません。座ることは出来ましたが、塩釜辺りから学校帰りの高校生や大学生で満員になりました。

    やってきた電車に情緒はありませんが先を急がなければなりません。座ることは出来ましたが、塩釜辺りから学校帰りの高校生や大学生で満員になりました。

  • 駅からモントレに急ぎ預けてあった荷物を受け取ってバス停に向かいます。妻はまた山形のサクランボをを買うようです。

    駅からモントレに急ぎ預けてあった荷物を受け取ってバス停に向かいます。妻はまた山形のサクランボをを買うようです。

  • また新しいナポレオンが山積みになっていました。

    また新しいナポレオンが山積みになっていました。

  • ちょっと勘違いしてバス停を間違えましたが、時間前に50番のバス停を見つけることが出来ました。場所はアイリスプラザのビルの前です。

    ちょっと勘違いしてバス停を間違えましたが、時間前に50番のバス停を見つけることが出来ました。場所はアイリスプラザのビルの前です。

  • 入れ替わり立ち代わり他の場所へ行くバスが入ってきます。今までの経験からバスは数分前にしか来ないことは感じていました。

    入れ替わり立ち代わり他の場所へ行くバスが入ってきます。今までの経験からバスは数分前にしか来ないことは感じていました。

  • 15分ほどバス停にいましたが、目の前を通過するバスの本数には驚きました。それだけバスの路線が網羅されているのだと思いました。

    15分ほどバス停にいましたが、目の前を通過するバスの本数には驚きました。それだけバスの路線が網羅されているのだと思いました。

  • やはり時間通りの午後5時47分にフェリーターミナル行きのバスがやってきました。

    やはり時間通りの午後5時47分にフェリーターミナル行きのバスがやってきました。

  • バスはガラガラでしたが短距離での乗り降りはありました。これから「きたかみ」に乗船して明日の朝には北海道の苫小牧に上陸です。

    バスはガラガラでしたが短距離での乗り降りはありました。これから「きたかみ」に乗船して明日の朝には北海道の苫小牧に上陸です。

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