2021/07/05 - 2021/07/05
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kojikojiさん
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当初は2時間ほどで考えていた犬山城下の観光は屋形船の夕食と鵜飼いの見学が出来ることになったために6時間になりました。ところが犬山の歴史や文化を知ると時間が足りないことが良く分かりました。城下町の観光は「城とまちミュージアム」を最後にして犬山城に向かいました。犬山城は昭和45年の大阪の万博を見に行った帰りに家族で明治村と一緒に立ち寄っていました。この時小学校の3年生だったので菊はかなり鮮明に覚えていますし、父の遺した膨大な写真で確認することもできます。そんな思い出に浸りながら天守閣を見学しました。犬山で唯一残念だったのは名鉄犬山ホテルが営業を終えて移転して、高級ホテルチェーンのインディゴグループが箱根強羅に続いて、日本で2軒目のホテルインディゴ犬山有楽苑の工事の最中だったことです。そのために今回は織田有楽斎が建てた茶室「如庵」の見学が出来ませんでした。犬山の最後は予定変更になった屋形船の夕食と鵜飼いを楽しんで、名古屋でもう1泊することになりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
当初は2時間ほどと考えていた犬山城下の町歩きは半日かかっても終わりません。
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そのうちいつになったら犬山城へ行けるのだろうかと心配になってきます。朝は雨でしたが、昼前からは晴れていますが、また夕方には一雨来そうな雰囲気です。
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「IMASEN 犬山からくりミュージアム」の見学の後は隣接する「城とまちミュージアム」に移ります。
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「城とまちミュージアム」には犬山城白帝文庫が設立され、犬山城と旧犬山城主成瀬家が所有していた多数の古文書や美術工芸品などが展示されていますが、それらは撮影が出来ませんでした。
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撮影のできる館内ホールには江戸時代の城下町を再現した巨大なジオラマがありました。これは天保11年の旧暦8月28日の犬山祭りの当日を再現したもので、昔の犬山城の姿や当時の人々の暮らしぶりがわかります。城下町に今も残っている建物と見比べてみるのが面白いです。
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朝からずっと行ったり来たりしている本町通を進む犬山祭りの山車や人々の人形が臨場感満載で面白いです。
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針綱神社や三光稲荷神社の辺りと城下の広場の辺りが一番変わっているように思えました。
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日本全国にこういった山車を使った祭りはたくさんありますが、そのルーツは京都の祇園祭なのでしょうか。同じような船鉾を見つけるとそう思ってしまいます。京都の船鉾の由来は身重でありながら男装し海戦に勝利した「日本書紀」の神功皇后の新羅征討(三韓征伐)の説話に由来し、軍船である安宅船の形をしています。
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江戸と昭和と平成の鯱瓦を展示してありました。それぞれの時代に修復工事を行った3世代の鯱瓦を間近で見ることができます。
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2017年に落雷で壊れて新しく制作されていたシャチホコは奈良県の山本瓦工業という会社で製造し、高さ約1.3メートルで重さ約62キロあるそうです。江戸時代のシャチホコを参考にしたもので、工事関係者約10人が高さ約24メートルまでシャチホコを手作業で運んで設置したそうです。
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午前11時前に犬山についていながら午後4時前になって犬山城の見学になりました。ここへ来るのは大阪万博の帰りに立ち寄った50年前以来のことです。両親と一緒に来ることは出来ないですし、弟たちと国内を旅行することも無いでしょう。
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犬山城の築城は天文6年に織田信長の叔父の織田信康によって木之下城より城郭を移して築いたといわれています。木曽川沿いの小高い山の上に建てられた「後堅固(うしろけんご)の城」で、中山道と木曽街道に通じ、木曽川による交易や政治や経済の要衝として戦国時代を通じて重要な拠点となります。
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その後の天文16年に織田信秀が美濃の斉藤氏を攻めた「稲葉山城攻め」に出陣した信康が死去し、その子の織田信清が城主となりますが、織田信長に反抗したため攻められ、織田信長の家臣で乳兄弟の池田恒興が入城します。
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天正10年の「本能寺の変」で織田信長が倒れた後の後継者争いで世の中は乱れ、天正12年に秀吉対徳川家康と織田信長の次男信雄との間で「小牧長久手の戦い」がはじまります。当時の犬山城主は織田信雄の家臣の中川定成でしたが伊勢へいって不在であり、池田恒興が木曽川をわたり城内に侵入して落城しました。後に秀吉が入城し、小牧山城に陣を構えた家康とにらみあいが続きましたが、両者の間で和が結ばれて犬山城は織田信雄に返還されました。
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江戸時代に入った元和3年に尾張徳川家の重臣成瀬正成が拝領して、このとき改良が加えられ、現在の天守の姿ができたといわれています。以後は成瀬家が幕末まで城主を務めることになります。明治4年の廃藩置県で愛知県の所有となり、天守以外のほとんどの建物が取り壊されますが、「濃尾大地震」によって天守が半壊するという大きな被害に会いました。明治28年に修理を条件として県から旧藩主の成瀬家に譲与されました。
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坂道を上がってようやく入口に到着しました。この門の看板を見ていろいろ記憶が蘇ってきました。
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門を潜ると正面に天守閣が見えてきました。
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50年前の写真と見比べても周囲の木々が大きく育っているくらいの変化していないように見えます。
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午後4時になろうとしている時間では見学に来る人の姿もありませんでした。ほとんど貸切り状態で、出会った方は3人くらいでした。
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江戸時代までに建造された「現存天守12城」の1つであり、また天守が国宝指定された5城のうちの1つでもあります。姫路城と松本城、彦根城と松江城のうち行ったことがあるのは松本城だけで、彦根城は夕方遅くなって見学が出来ず、城内のある八景亭という料亭に行っただけです。
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天守閣の入口にあった巨木は「大杉様」と呼ばれる築城の頃から老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷時には天守の身代わりになり、台風の時は風よけににもなり、城を守るご神木としてあがめられましたが、1965年ころに枯れたそうです。
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その古木には注連縄が巻かれ、凌霄花(のうぜんかずら)が綺麗に咲いていました。
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靴を脱いでビニール袋に入れて天守閣の見学に向かいます。入った正面委は巨大な針があり、表面には美しい釿(ちょうな)の痕が残っています。天守台の石垣は野面積みという積み方で、高さは5メートルほどあり、その上に置かれたこの梁は天守を支えているように見えます。
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妻が階段から落ちないように支えながら階段を上がります。途中の窓から見える景色が段々変わっていきます。犬山橋は元々1本の鉄道橋で、車両も人間も同じ橋を渡っていました。交通量が増えて事故や渋滞も起きるようになり2000年に下流側に車両と歩道のある新しい犬山橋が架けられました。この橋のデザインは翼を広げた鵜の姿ですが、これは川面から見ないと分からないです。
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犬山城の天守は外観3重ですが内部は4階で地下に踊り場を含む2階が付いてます。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守です。
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このアングルで撮った写真が残っていました。
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50年後にまたここへ来るなんて考えてなかったと思いま寿司、旅の目的は春休みに続く2回目の大阪万博でした。
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新幹線も使わずに子供3人を連れてよく旅をしたものだと思います。そして膨大に残されたフィルムとスライドはスキャンするのに10年が過ぎても終わりません。
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妻も途中の回でギブアップしているので、1人寂しく天守閣から周囲を見渡します。
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眼下には滔々と流れる川木曽川が望めます。「白帝城」とも呼ばれる犬山城は江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)が、李白の漢詩「早発白帝城」に由来して名付けたと言われますが、長年重慶から上海までの長江下りのクルーズを考えていますがまだ叶っていません。
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正面の小高い山は伊木山城で、永禄4年にこの地を攻めた織田信長によって、武功を挙げた香川長兵衛忠次が、この地の名にちなんで伊木の苗字を授けられ、伊木忠次と改名したといわれます。そして、この伊木山に伊木山城を築き居城とし、後に信長の家臣である池田恒興に転仕します。天正18年に廃城となりますが、恒興の死後も池田輝政に仕えた忠次は岡山藩筆頭家老となっています。
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穏やかな木曽川の水面を縫うように1艘の舟が上流に向かって行きます多分今晩の鵜飼いの舟だろうという事はすぐに分かりました。
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舟はこの木曽川遊覧の犬山城港から出て来たようです。夕方からの屋形船での食事と鵜飼いが楽しみになってきました。
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犬山城港の脇にある犬山頭首工ライン大橋は濃尾用水の取水用の可動堰です。江戸時代に徳川による御囲堤の建設により木曽川の支川はことごとく廃川されます。このため、この支川から農業用水を手に入れていた住民は困り、木曽川から水を得るために農業用水の建設を行います。尾張国側で宮田用水と木津用水が建設され、昭和初期には岐阜県側で羽島用水が建設されましたが、洪水や流れの変化などにより水を巡るトラブルも続出したそうです。そのためにこの可動堰が建設されました。
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遠く岐阜城も見ることが出来ました。ほとんど肉眼では見えないので200ミリの望遠レンズが役に立ちました。
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忙しく鵜飼いの舟が行き来しています。
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後で教わりましたが、この辺りの岩を目印にして、鵜飼いや遊覧船を運行するかを決めるそうです。
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妻がいないので、天守閣にいらした係員の方にお願いしてシャッターを押していただきました。50年前の話をすると「私は5年生でした。」とのことでしたので2台違いと分かりました。
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天守を1周しながら周りの風景を楽しみました。この城下側には元々名鉄犬山ホテルが営業していましたが、高級ホテルチェーンのインディゴグループが箱根強羅に続いて、日本で2軒目の開業だそうです。ホテルインディゴ犬山有楽苑の工事のために今回は「如庵」の見学が出来ませんでした。
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遠くに日本モンキーパークの大観覧車が見えました。この遊園地には岡本太郎の「若い太陽の塔」があるのですが、犬山城からは見えませんでした。写真を撮っていただいた方に尋ねると、成田山の方へ行かないと見えないとのことでした。秋にはこの旅の延長として大阪の万博公園にも行く予定にしています。
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天守の見学を終えて1段づつ下っていきます。上りでは見学しないでいたのでゆっくり見学しながらになります。唐破風の間は天守閣の東西が入母屋破風になっている内側のことで、築城時には無かったとされ、元和4年から70年ほどかけた成瀬家の城主が装飾したとされます。
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天守閣の心柱に小槌が掛けられていました。その理由は分かりませんが、ロールプレイングゲームで何かアイテムを見つけたような気分になりました。
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妻はこんなところで扇風機に当たって休んでいました。そして先ほどの係員さんが登るときに屋根の上の桃の瓦を見るように教えてくれたそうです。
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桃瓦は全部で8個あり、その場所は南東隅の付櫓に2つ、南側の唐破風に2つ、西北隅の付櫓に2つ、北側の唐破風に2つの合計8つで、どれも少しずつ瓦の形が違います。
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桃瓦は屋根の隅の方に載っています。この部分をよく見ると屋根の棟隅の端で瓦が接合するところになり、雨水が侵入してくる可能性があります。そのため留蓋という蓋のような瓦を乗せて、雨水の侵入を防いでいるのです。留蓋は何も乗っていないシンプルなものから、桃や打出小槌など様々なものが載っています。
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桃については中国では古くから邪気を祓い不老長寿を与える縁起の良い植物や果実として考えられていました。古事記では黄泉の国の条で伊邪那岐命が亡き妻の伊邪那美命を連れ戻そうと死者の国である黄泉の国に赴きますが、失敗して予母都色許売や8柱の雷神や黄泉軍に追われます。地上との境にある黄泉比良坂の麓まで逃げてきた時に、そこに生えていた桃の実を3個取って投げつけると、雷神と黄泉軍は撤退していったという力があります。
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今晩載る屋形船はこの中にあるのだろうかと考えてしまいます。
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下の階には犬山城の天守閣の小屋組みの模型がありました。
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小槌には「上棟」の文字が書かれてあるので、上棟札とは別に記念してここに残されたのかもしれません。
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もう1層下がると屋敷のような造りになります。
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ここは城主が使用した部屋で「上段の間」と呼ばれます。床が1段上がっているのは名古屋城の天守や松島の瑞巌寺でも見掛けたので旅を思い返しました。
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この部屋だけが猿頬天井(さるほほてんじょう)が張られ、場内で斎場の部屋になっています。この杉殿奥には武者隠しがあり、武士が待機していました。
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木製の模型が昭和の時代を感じさせます。天守の模型を個人で制作して寄贈されているのが驚きです。
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2021年の調査では天正年間に伐採された木材が天守に使われていることが分かったそうです。
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ようやく見学が終わりました。梁は妻の身長と比べてもその大きさが分かると思います。
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以前さ戸を旅した時に知りましたが、通常の大工と船大工とでは板の継ぎ方に違いがあるようで、船大工の細工の方が精度が高かったです。
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舟の場合は隙間から水が入れば役に立ちませんから。この杉度はどうなのだろうかと思いましたが、誰に聞いたら良いのやら。1本の木から木取ったものだという事はその木目から読み取ることは出来ます。
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この日も30℃を軽く超えている上に物凄い湿度なので体力は限界です。城内の休憩所甘茶処「さくら茶屋」で少し休むことにしました。お店の方と少し話をしましたが、コロナ禍でお客さんが激減して大変だという事でした。
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店内の壁に山下清画伯の写真額が飾られていました。1960年の昭和35年に犬山に来られたようです。テレビドラマや映画では各地で絵を描いたとされますが、実際は八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルだったと聞いたことがあります。
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旅先での絵は自ら望んで描いたのか、招待された方が道具を渡して描いてもらったのか…。晩年は練馬区の谷原に住んでいたという話は子供の頃に聴いたことがあります。
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もう誰も観光客のいない犬山城とお別れしました。
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城からの坂を下りながら針綱神社へ参拝することにしました。
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本殿西側にお祀りしている御神馬は古くから子供の守り神や子育てのご神馬さまと親しまれ、お供えした豆を頂くと歯ぎしりやひきつけが治ると伝えられています。その姿はアンパンマンに出て来るハンバーガーキッドの載っている馬にそっくりです。
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横には鮎みくじがありました。最近のおみくじは趣向を凝らしていろいろなものがあります。
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釣り竿でこの中からおみくじを吊るわけです。諦めていた鵜飼いを見ることが出来るようになったので、それだけでも運があると思ったので、改めておみくじは買いませんでした。
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犬山城から入ってしまったので、名前も住所も伝えていないので、念を押してから参拝しました。
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本殿の奥には織田信長公の叔父である織田信康が安産と延命長寿を祈願して奉納した手彫りの犬が見えました。
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神社も午後5時前に店じまいのようです。我々以外に観光客らしい人の姿もありません。
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最後に鳥居のところで手を合わせて犬山の観光は終わりです。次に来るとしたらこの針綱神社の例大祭である犬山祭りだと思うので、再訪できるようにお願いしておきます。
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帰路では工事中のホテルインディゴ犬山有楽苑の脇を通りました。本当はこの中にある茶の湯の創世期に尾張の国が生んだ大茶匠の織田有楽斎が建てた茶室「如庵」が見たかったのです。今後見学がどうなるのか分かりませんが。犬山の最後は屋形船で夕食を摂って、鵜飼いを楽しみます。
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