2021/06/29 - 2021/06/29
323位(同エリア1319件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1766冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,473,050アクセス
- フォロワー169人
ホテルモントレの朝食をゆっくり食べていたら仙台は小雨になりました。チェックインした後は荷物をホテルに預けて仙台駅に向かいます。ここから仙石線で松島海岸へ向かいますが、昨日フェリーターミナルから乗った路線バスで停車した駅を戻るような感じでした。乗った電車は東塩釜行きだったので次に来る列車を待ち、無事に松島海岸駅に到着しました。駅前には遊覧船のチケット売り場があり、呼び込みのおじさんに促されるままにチケットを購入しました。事前に調べてあった「仁王丸」で午後になっても雨が上がる保証もないし、船に乗っていれば雨の心配も無いので午前11時の船を予約しました。
観光船乗り場まで行く途中に2011年の東日本大震災の際に町中は高さ140センチくらいまで津波が来たと知りました。観光船の桟橋にも鋼鉄製のゲートがあり、有事の際は周りの防波堤と共に水面から数メートルの津波には町を守れるようになっていました。11時出港の「仁王丸」に乗船したのは10人もいなかったと思います。気の毒なほどにガラガラのまま船は出港しました。約50分のクルーズで松島の主だった景観を周りましたが、小雨が降ったりやんだりではありますが幻想的な景色を見ることが出来ました。後方のデッキでずっと写真を撮っていましたが、船内のアナウンスの説明は妻がメモしてくれたので旅行記を作成するのがスムーズでした。船からは灯台のような東北電力の火力発電所が見えましたが、この形を覚えていたお陰で苫小牧から仙台港に入る前に松島沖のどのあたりにいるのかが良く分かりました。正午前に港に着くと入れ替わりにお客さんが乗船しましたが、そこそこ混んでいたので少し安心しました。それ以外にも栃木県の修学旅行生がたくさん来ていたので少しはお客が戻って来ているのだと感じました。お昼を食べる前に五大堂を参拝することにしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
宿泊したホテルモントレに荷物を預けて表に出ると小雨が降っていました。傘をさすほどではないのでペデストリアンデッキには登らずに地上を移動しました。仙石線というかJR東日本管内なので手持ちのスイカがそのまま使えました。地下のホームは結構混雑していましたが、やってきた東塩釜行きの電車は空いていたので座れました。
-
乗った電車がヤフーの路線案内で検索しても画面に出ないので不思議に思っていたら目的の松島海岸駅より数駅手前が終点でした。10分くらい誰もいないホームで電車を待つと石巻駅行の電車がやってきました。
-
やってきた電車もガラガラでした。
-
東塩釜を出ると海岸線を走るので車窓から松島湾の小島が見えました。
-
工事中の駅を出ると目の前に松島湾の遊覧船の乗車券発売所がありました。遊覧船は数社で営業していますが、事前にチェックしていた「仁王丸」と確認してチケットを買いました。ホームページでは1,200円だったと思いますが、ここでは1,000円でした。この天気では晴れることは望めないので、それであれば雨の影響のない遊覧船に先に乗ってしまおうと考えました。
-
平日火曜日の松島の町は店も閉まって歩く人の姿もありません。ただ車道だけはトラックがバンバン走っています。う回路もあるようですが元々ある便利な道なので車は迂回しないそうです。ウインドウを眺めながら歩いていると「津波、ここまで。1メートル40センチ」なんて…。
-
観瀾亭の建物が見えてきましたが、遊覧船を午前11時に予約したので先を急ぎます。
-
ここへは仙台へ帰る前に立ち寄ることにします。
-
江戸時代前期の儒学者の林春斎が寛永20年に執筆した著書「日本国事跡考」の陸奥国のくだりにおいて「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立・安藝嚴嶋爲三處奇觀」と書き記したことを端緒に「日本三景」という括りが始まったとされます。
-
目の前には五大堂のある小島と朱塗りのすかし橋が見えます。
-
松島へ来た記憶も父の遺した写真にも無いので初めて来たのだと思います。両親がここへ来たのを聞いたことがあるのでようやく足跡をたどることが出来たわけです。そして母が亡くなる前に「安芸の宮島に行っていないのよね。」といったことを思い出しました。母なりに日本三景を全部巡りたかったのだと思います。
-
快晴の松島もきれいなのだろうと思いますが、小雨に煙った松島の小島も墨絵のようで十分に美しいと思いました。
-
どこを切り取っても美しい絵になりそうな風景です。
-
出港の少し前に待合室のある松島海岸レストハウスで雨宿りしました。栃木県の中学生の修学旅行の学生は順番に遊覧船に乗っているようで、この辺りだけが賑わっていました。
-
50分のクルーズで1,000円ですから決して高くない料金設定です。
-
5分前に案内があり2番の乗り場に向かいます。
-
これから乗る「仁王丸」をバックに繋留用のボラードに足をかけてもらいました。
-
もっと小さな遊覧船かと思いましたが、少しだけですが外洋にも出るのでこれくらいの大きさが必要なのかもしれません。
-
まだ新しい船のようです。昨年の暮れに行った石垣島から離島へ行く船を思い出しました。乗船前には手指の消毒と体温測定がありました。
-
船内は気の毒になるほどガラガラでした。一応別料金の2階席があり、5人ほどの人が上がっていますが、全部合わせても10人ほどです。これではコロナの感染の心配はありません。
-
妻は船内の座席に座って、渡した地図に船内の案内を書き映してくれました。これがあれば旅行記のコメントが簡単に書けます。
-
子供はじっとしていられないので船尾のデッキで右に行ったり左に行ったりと大忙しです。小学校の1年生の時に落ち着きがないと言われましたが、そんなものは一生かかっても治りません。
-
海上から眺めた五大堂の方がフォトジェニックです。
-
五大堂の先には朱塗りの福浦橋とその先に福浦島が見えます。時間があればあそこまで足を伸ばしたいところです。
-
左が「亀島」で右が「クジラ島」というアナウンスがありました。
-
マッコウクジラが潮を吹いているようにも見えます。
-
振り返ると遊覧船乗り場があっという間に小さくなっていきます。
-
奇岩のクルーズは中国の桂林やベトナムのハロン湾でも経験していますが、岩の上の松の美しさは日本だけのものだと思います。黄山も松が美しいですが、歩くのが大変です。
-
不思議な形をした「千貫岩」は伊達政宗公がこの島の形に感嘆され「この島を余の館に運ぶものあらば金子千貫をつかわす」と申されたところから名前が付いたそうです。
-
「毘沙門島」と「布袋島」と「恵比須島」と「大黒島」が続きます。この辺りは大きな黒鯛が獲れるのでおめでたい名前を付けたそうです。
-
我々の載っている「仁王丸」以外にも遊覧船は数隻運行しているようで、こちらは「第三芭蕉丸」という3階建ての遊覧船です。それぞれ微妙にコースが違ったり、塩釜港へ行くものだったりいろいろです。
-
こちらの遊覧船は少し古いですがお客さんはたくさん乗っています。冬は船内で牡蠣鍋がいただけるそうです。
-
松島は景勝地として古くより人々に知られていますが、特に松島が美しく見える4ヶ所を松島四大観と呼ぶそうです。これは江戸時代の仙台藩儒学者の舟山万年によって選ばれたもので、宮戸島の大高森より見る松島を「壮観」、富山の大仰寺より見る松島を「麗観」、扇谷から見る松島を「幽観」、多聞山から見る松島を「偉観」とそれぞれ定めています。
-
遊覧船からの景色は何と呼ぶのだろうかなどと考えてしまいます。
-
今回の旅では5日間のフェリークルーズにこの松島湾の遊覧船と、最後には木曽川の鵜飼まで予定されているので船に乗らないのは1日くらいです。
-
景観の良い小島が去ってしまうと遊覧船はスピードを上げて、次の景勝地へ向かいます。
-
「箕輪島」と「筆捨島」だったと思います。筆捨島は伊達家お抱え絵師の狩野法眼元信が屏風絵を描こうとしたとき、あまりの景色の美しさにいずれを描いてよいか迷い、筆を捨てたといわれます。
-
その奥には千賀の浦辺りの半島も見えます。港や集落があるであろう辺りには防潮堤の白いコンクリートの筋が見えるのは東日本大震災の影響だと思います。
-
船体に「しおね」と書かれた中型の遊覧船が走り抜けていきました。
-
右側の小さな「ドーラン島」は以前は煙草入れのドーランに形が似ていたのでその名で呼ばれるようになったそうです。そして隣が「モンド島」です。主水の司という役職の方がこの島のあたりにいたと伝えられているところからこの名がついています。ただ、どこに住んだのか疑問が残ります。
-
「材木島」は岩肌が材木を積み重ねたように見えるところから材木島と呼ばれています。
-
島の形は船が進むにつれて変化するので、覚えたつもりでも旅の終わりには記憶が薄れてしまいます。
-
「火付島」は昔に塩釜神社の古くなった注連縄や御札などを焼き清めた島と伝えられていて、火を付ける島なのでこの名前になったといわれます。
-
美しい島のシルエットの向こうに塩釜の町が見えました。そう考えると小雨に煙っている方が情緒があるように思えます。
-
「うさぎ島」は形が兎に似ているところから兎島と呼ばれますが、そう見ても兎には見えません。
-
大きな島では印象に残る「鐘島」です。こういった岩の割れ目のトンネルを見るとマルタ島やゴゾ島、カプリ島やアマルフィ海岸のライムストーンの海岸線を思い出します。
-
「鐘島」は島に4つあいている穴に波が打ち寄せると、釣鐘をたたいたように聞こえるとこから鐘島と呼ばれているそうです。
-
また、遠くから見ると橋を架けたように見えるところから橋架け島とか穴の形が小判の形に見えるところから金島とも呼ばれています。
-
「小藻根島」は昔は長命穴と呼ばれる潜ると長生きする穴があったそうですが、東日本大震災で崩れてしまったそうです。
-
「大藻根島」を越えると外洋に出るとアナウンスがありました。
-
「仁王島」は松島湾で最も有名な名勝で、松島仁王尊に例えて仁王島と言う名前が付けられました。現在乗船している遊覧船「仁王丸」はこの島の形をモチーフにして建造されているそうです。松島を波から守るように座った仁王の首の部分は浸食が進んでいるのでコンクリートで補強されているそうです。
-
外洋に出ると確かに波が強くなって船は少し揺れ始めました。
-
多聞山から見る松島を「偉観」と呼びますが、その多門山には東京電力の仙台火力発電所があります。角度によっては白い灯台のようにも見えます。無粋な建物ではありますが、苫小牧から「いしかり」で仙台港に入港する前に沖合からこの建物が見えたので松島湾の位置が分かりました。
-
-
この辺りで25分くらいが過ぎたので遊覧の半分が過ぎたと分かります。外洋には小島が少ないので船のスピードも上がります。
-
「鍋島」は鉄鍋を伏せた様な形から鍋島と呼ばれますが、ユリの花が咲くのでユリ島とも呼ばれています。
-
一番沖合には「双子岩」が見えます。
-
やはり松島湾の入口にある「水島」は灯台や海図などがなかった時代にはこの島を目印として航行したと言われていて「道島」と呼ばれていました。時が経って「道島」の呼び名が訛り現在の「水島」と呼ばれるようになりました。
-
沖合に1つだけぽつんと置かれた島なので目印にはなったのだろうと感じます。
-
遊覧船も「水島」の手前でターンしてクルーズも後半になります。
-
この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩や砂岩、礫岩など侵食に非常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食されるそうです。
-
そのため多くの小島は上部に松などが植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せて、さらに海水面近くが波に洗われて鋭角に抉られています。
-
松島の島々はしばしば「八百八島」と形容されますが、島々の数については正確に把握されていなかったようでいなかったようで、昭和40年代頃に調査が行われ、260余りという数が松島の統一見解とされているそうです。
-
この景観は松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形です。松島湾中央部の島が全くない海域の水深はおおむね2メートルで、海底が浅いため波が荒くなると海底の泥が舞い上がって海水が濁りやすいそうです。
-
江戸時代には仙台城下と海運の拠点港がある石巻とを繋ぐ石巻街道がありましたが、このうち塩釜港から石巻港の間を船で繋ぐ航路は「松島海道」と呼ばれました。松尾芭蕉が奥の細道で塩竈から松島へ舟で渡ったとの記述があるのはこの「松島海道」の一部に乗船したものと考えられるそうです。
-
松尾芭蕉が奥の細道で松島を訪れた際に、あまりに絶景なので句が浮かばず、「松島や ああ松島や 松島や」という句を詠んだという逸話がありますが、実際は後世の狂歌師の田原坊の作とされるそうで、司馬遼太郎は紀行集「街道をゆく」に中で芭蕉作として置かれた松島の看板などを批判しています。
-
「チリ島」は名前の通り1960年のチリ地震での6メートルを超える津波で島が離されたそうです。
-
「陰田島」は松の形が花魁のかんざしに似ていたから名付けられたそうです。
-
雨に煙る「石浜水道」は幽玄な雰囲気でした。松島湾では一番深くて潮の流れも速い場所です。
-
桂島の「石浜」は明治の初めに埼玉県出身の白石廣造氏が海運会社を作り、海運の中継基地として栄えた場所だそうです。松島は全部が無人島だと勝手に思い込んでいましたが、人の住む島も90ほどあるそうです。
-
「野々島」は夏はラベンダー畑で有名で、島の高台には塩竈市立浦戸小中学校があります。生徒たちは巡航船で塩釜から通学しているそうです。
-
松島の牡蠣洋食の始まりは1600年代に松島湾野々島で内海庄左衛門が島周辺に大量のカキが付着しているのを発見し、これを採取するとともに天然稚貝を拾い集め、適当な海面へ散布して育成したのが始まりと言われています。
-
1800年代には天然のカキを採取していましたが、天然のカキは減少の一途をたどったため、貞山運河入り口の海面に大量に発生する天然稚貝を拾い集めて移植と保護することを始めます。
-
また伐採し海中に落ちた木に数年かけてカキが付着していたことから、松の木を海中に立てて稚貝を付着させて翌年適した場所へ移動し、数年後に採取するようになります。
-
1900年代前半に神奈川県で牡蠣の垂下式養殖法が開発され、1924年には種ガキ採苗に牡蠣殻を使った垂下式採苗法が考案され現在に至ります。
-
広島湾をクルーズした時に見た牡蠣筏よりも松島の牡蠣養殖の方が絵になるなと思いました。
-
あっという間の50分でしたが、とても楽しかったです。次に来る機械があれば晴天の時に乗ってみたいと思いました。
-
我々を降ろした「仁王丸」は10分後にはお客さんを乗せて出港していきます。
-
正午のクルーズはお客さんが増えたので少し安心しました。
-
無事に松島のミッションが終わりました。
-
さすが仙台なので自動販売機で笹かまぼこが売っていました。今回の旅では大平洋フェリーの朝ご飯4階で笹かまぼこが出るのを知っているので買いませんでした。
-
松島海岸レストハウスの中にはhが史日本大震災の時の松島の風景が平常時と比較した写真で展示されていました。
-
やはり広場が綺麗になっていたり、防潮堤や開閉式のゲートがあるのは震災のためでした。
-
妻の立っている辺りも1メートルほど水で浸かり、建物の科の冷蔵庫などが浮いていました。
-
新しく造られた防潮堤と鋼鉄製の開閉式のゲートです。これでもせいぜい3メートルほどの津波にしか対応できないと思います。
-
遊覧船乗り場から一番近い「五大堂」を見学することにしました。五大堂はこの後に参拝する「瑞巌寺」の境外仏堂で、伝承によれば大同2年(807年)に坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされるそうです。
-
現在の堂は慶長9年(1604年)に伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建しています。東北地方最古の桃山建築と言われており、現在は国の重要文化財に指定されています。お堂は小島に建っているのでいくつかの橋を渡って参拝することになります。
-
「すかし橋」は五大堂が建立された小島に架けられた橋で、橋げたの隙間から海が見えます。これは五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために造られたと言われているそうです。
-
一見して高波などの時に海水が直接橋げたに当たると壊れるので、隙間開けたのかと思いました。これは宮島の厳島神社の社殿の造りですが、それとは違う理由だったようです。
-
車椅子は通れそうなのである意味バリアフリーかもしれません。
-
父と母もここを通ったのだと思うと感じ入るものがあります。もう叶いませんが出来る事ならば一緒に来れていたらと思いました。
-
残念ながらもう孝行する相手は妻しかいません。
-
ご胎動の前からの松島湾の景色も高さがある分美しく感じました。
-
桃山時代は着際されていたのでしょうか?その姿も松の緑に映えて美しいと思いますが風雨に晒されたお堂も美しく感じます。
-
華やかな曲線が特徴的な屋根です。こんな海風の強いところでここまで軒を長くしたものだと感心しました。
-
組み物がしっかりしていないとこれだけ大きな屋根は支えられないと思います。
-
五大堂の正面に掲げられている扁額には「五太堂」とありますが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれているそうです。
-
沖合には小型の遊覧船がたくさん係留されていました。シーズンになると活躍するのでしょうか?こんな小型船をチャーターして島を巡るのも楽しいでしょうね。
-
この日は気温も低いようでジャンバーが手放せませんでした。そろそろお腹も減ってきたのでお昼にして、午後の観光に備えることにします。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2021 大平洋フェリー50周年3船乗り比べの旅
-
前の旅行記
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(4)「きそ」から「きたかみ」への乗換えでモントレに...
2021/06/28~
仙台
-
次の旅行記
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(6)松島の瑞巌寺で伊達政宗を偲び、観瀾亭で抹茶をい...
2021/06/29~
松島・奥松島
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(1)50年振りの名古屋で熱田神宮参拝と蓬莱軒でひつ...
2021/06/27~
金山・熱田
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(2)名古屋港から「きそ」で北上する台風5号に向いな...
2021/06/27~
名古屋港
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(3)台風一過の快晴の中フェリー「きそ」で太平洋を北...
2021/06/28~
多賀城・塩釜・利府
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(4)「きそ」から「きたかみ」への乗換えでモントレに...
2021/06/28~
仙台
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(5)仙石線で松島海岸へ出て「仁王丸」で松島を遊覧し...
2021/06/29~
松島・奥松島
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(6)松島の瑞巌寺で伊達政宗を偲び、観瀾亭で抹茶をい...
2021/06/29~
松島・奥松島
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(7)仙台港から「きたかみ」の船首の見える部屋で苫小...
2021/06/29~
多賀城・塩釜・利府
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(8)支笏湖休暇村に泊り丸駒温泉と支笏湖温泉の湯を比...
2021/06/30~
支笏湖
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(9)ようやく営業再開した「ウポポイ」を見学する。
2021/07/01~
白老・大滝
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(10)国立アイヌ民族博物館を見学して改めてアイヌ文...
2021/07/01~
白老・大滝
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(11)「いしかり」に乗って仙台経由で、線状降水帯の...
2021/07/01~
苫小牧
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(12)56年振りの名古屋城で本丸御殿を見学して濠の...
2021/07/03~
名古屋
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(13)徳川園の蘇山荘でくつろぎ、味仙で台湾ラーメン...
2021/07/03~
名古屋
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(14)50年振りに行った明治村で58年振りの帝国ホ...
2021/07/04~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(15)広大になった明治村の中で司馬遼太郎の「坂の上...
2021/07/04~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(16)犬山城下町を歩き、犬山祭りの車山とからくり人...
2021/07/05~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(17)50年振りの犬山城の天守閣に登り、木曽川の流...
2021/07/05~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(18)木曽川の屋形船を貸切りで夕食を楽しみ、鵜飼い...
2021/07/05~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(19)延泊した最終日はノリタケの森で日本の輸出陶器...
2021/07/06~
名古屋
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
松島・奥松島(宮城) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2021 大平洋フェリー50周年3船乗り比べの旅
0
99