2021/07/03 - 2021/07/03
1681位(同エリア5921件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1780冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,481,323アクセス
- フォロワー170人
名古屋港のフェリーターミナルからバスと地下鉄で名古屋駅に着くと新幹線が止まっていました。今回の旅行の軸であるフェリー乗り継ぎ旅の前後のどちらに名古屋観光を入れようか迷っていましたが、緊急事態宣言の延長もあったので、最後に予定していました。もし先に名古屋観光していたら数時間はこの影響に巻き込まれていたと思います。名古屋ではJRタワーホテルに2泊予約を入れていたので、まずは荷物を預けて身軽になって名古屋城に向かいました。名古屋城へ来るのは56年前に家族で飛騨高山から下呂温泉を経て名古屋へ出て以来です。その時に内濠にいた猪と鹿をよく覚えています。そして名古屋駅の東海道線のホームで食べた鳥めし弁当が衝撃的に美味しかったことです。甘く炊かれた鳥そぼろと甘い炒り卵とピンク色のデンブに魅了された4歳の秋でした。その当時の名古屋城に無かった本丸御殿が再建されたので、それを見るのを楽しみにしていました。本丸は修復工事中で見学出来ませんでしたが、シャチホコには1週間前に触っているので良しとします。復元された本丸御殿も素晴らしかったですが、ひっそりとした御深井丸展示館で見た「郷土の人形と玩具展」が素晴らしかったです。一度じっくり愛知県の土人形について調べてみようと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
名古屋港のフェリーターミナルからバスと地下鉄で名古屋駅に着くと新幹線が止まっていました。海上は晴れていましたが、関東から東海地方は線状降水帯の影響で雨がすごかったようです。
-
まだ午前11時ですが、荷物を持ってJRタワーホテルに向かいます。日曜日なので通勤の方の姿も無く、チェックアウトの時間も過ぎているので閑散とした雰囲気です。
-
6泊7日の大平洋フェリーのツアーの前後に3日ほど名古屋と周辺を観光しようと考えていましたが、ツアー後の3日にしたのは正解でした。前でしたら鵜飼は予約できなかったですし、新幹線の遅延と運休に巻き込まれるところでした。
-
ただ予約は二転三転したのでキャンセル無料での予約が必要でした。予約したのはHotel's.comというサイトでした。昨年の3月にキャンセル不可でウラジオストックのホテルを予約してあったのですが、就航してすぐのANAが運休になり困っていました。いち早くメールをいただき、LINEからの手続きで全額返金していただけました。その対応の素早さと丁寧さと恩は忘れません。
-
荷物はフロントで預かってもらい、身軽になって観光に出掛けることにします。
-
まずは名古屋城へ向かうべく駅前のタクシー乗り場に向かいます。お昼前には気温が33℃になっていました。雨よりはよいのかもしれませんが、いきなりの30℃越えは体に堪えます。
-
1週間前に天守のシャチホコが触れたように、名古屋城は耐震工事中で天守には入れませんし、周辺も立ち入り禁止のエリアがたくさんあるようです。
-
本丸へ至る正門は藩主や年寄職など一部の家臣しか出入りできない格式高い門でした。明治43年の1910年に旧江戸城内の蓮池御門が移築されましたが、戦災で焼失したため昭和34年の1959年に天守閣とともに再建されました。
-
日曜日の午前中は暑さもあるのか名古屋城を訪れる人の姿はあまりありませんでした。
-
名古屋城の石垣は徳川家康の命により西国を中心とした20の大名による公儀普請で築かれています。どの大名にどこの石垣づくりを割り当てるかを表した丁場割図を見ると、各大名に細かく割り当てられていることがわかります。金沢城のように岩に家紋や目印が彫られていないか見てみましたがなさそうです。
-
降ろされている金のシャチホコは城内にはありませんが、原寸大の模型があって記念写真を撮ってくれます。今回の旅では2人で撮った写真が無いので記念に買い求めました。最近は無料で撮影して、小さなカード大の写真をくれます。QRコードでダウンロードもできるので、たいていの人はもらうだけのようです。
-
このまま何も持たずに場内を歩いたら脱水状態になるなと考えて、正門の中のベンダーでスポーツドリンクを買いましたが、天守閣のところまでで飲み干してしまいました。
-
名古屋城に創建時のまま現存する3つの隅櫓(すみやぐら)は、いずれも重要文化財に指定され、西南隅櫓は本丸の南西隅に位置し、慶長17年の1612年に建造されました。その方角から未申隅櫓とも呼ばれます。屋根は上下四方に屋根や庇を設けた入母屋造り、平瓦と丸瓦を組み合わせた本瓦葺きで、2階の西面と南面には、三角形の小型の屋根である千鳥破風と敵を攻撃するための石落としが設けられています。2階建てのようですが実際は3階建ての建物です。
-
同じく慶弔17年の1612年に完成した表二之門です。本丸の南側にある門で、門柱や扉に使われている木材は太く、鉄板を打ち付けて堅固に造られています。
-
門の両側にある袖塀は土塀に漆喰が施され、鉄砲を撃つための鉄砲狭間が開いています。
-
名古屋城に来るのは今回が2度目ですが、初めて来たのは56年前の昭和41年のことでした。飛騨高山から下呂温泉を周っての最終地が名古屋でした。この写真の場所は現在の本丸御殿の建っている場所です。名古屋城で記憶に残っているのは天守の周りの濠の中に鹿と猪がいた事と、名古屋駅の東海道線のホームで食べた鳥飯弁当が衝撃的に美味しかったことです。甘く炊かれた鳥そぼろと甘い炒り卵とピンク色のデンブ。
-
写真を撮ったのはこの玄関の辺りだと思うと感慨深いものがあります。
-
本丸御殿を訪れた人がまず通されて対面を待つ場所であり、古くは遠侍と呼ばれた建物です。上下四方に屋根や庇を設けた入母屋造りで、入口となる車寄は正面に突き出しています。車寄の屋根は薄い木の板を並べた杮葺(こけらぶき)で、中央部に丸みを持たせた唐破風という装飾が施され、弓形に美しく反り返った曲線が美しいです。
-
現在の本丸御殿の入口は天守側の広場にありました。見学者より多いくらいの係員の方がいらっしゃいました。さらに名古屋城では毎日「名古屋おもてなし武将隊」と「徳川家康と服部半蔵忍者隊」がいらして、記念写真を撮っていただきました。
-
伊賀の黒忍者と白忍者といった感じでしょうか。妻の姿が妙に怪しく見えます。
-
本丸御殿は慶長20年の1615年に尾張藩主の住居かつ藩の政庁として建てられた日本を代表する書院造りの建物です。近世城郭御殿の最高傑作とされ、城郭では天守閣とともに国宝第1号に指定されました。昭和20年のアメリカ軍の空襲により焼失しましたが、江戸時代の図面など貴重な史料をもとに復元工事を進め、平成30年の2018年に絢爛豪華な姿が蘇りました。
-
一之間には床(とこ)や違い棚もついて、襖や壁には金地の障壁画「竹林豹虎図」が描かれて虎之間とも呼ばれました。
-
太平洋戦争の戦時中に取り外されて保管されてきた襖絵や天井板絵など1049面もの障壁画が残され、そのうち1047面が重要文化財に指定されています。また昭和初期の調査や計測によって残された309枚の実測図や戦前に撮影された約700枚の写真が再建に役立ったそうです。
-
戦前まで本丸御殿は狩野貞信や狩野探幽など狩野派の絵師たちが部屋ごとに異なる題材で描いた床の間絵や襖絵などにより華麗に彩られていました。
-
現在展示されているのは成功に模写された作品ですが、その完成度の高さには驚かされます。
-
母が子供の頃に実家の二条陣屋という家に1人の画家が宿泊されていて、母と同じ年の娘がいるので文通してほしいと言われたそうです。その画家は「國華」という美術書のコロタイプ木版用の模写をされていた菊川京三さんという方でした。
-
学生の頃にその模写した作品に驚いたことを覚えています。一昨年宇都宮の栃木県立美術館で回顧展があったので観に行ったことなどを思い出しました。
-
本丸御殿の再建にあたり、障壁画の模写は加藤純子さんという方が携わったというテレビの番組を見たことがあります。
-
すべて焼失した場所によくここまで再建したものだと思います。
-
表書院一之間の奥には少し上段之間が見えますが、上段之間は一段床が高くなっているのが分かります。
-
上段之間との間の襖は床框の上に乗った面白いデザインです。障壁画は「桜花雉子図」です。
-
表書院二之間には美しい松の障壁画が続きます。個人的には同じ時代でも俵屋宗達の描いた京都の養源院の松図が好きで何度も通っています。中学生の14歳の時に初めて観て、感動したことは今でも忘れられません。
-
流れる川や草花が細かく描かれています。離れた廊下からしか眺められないのが残念です。
-
美しい雉画そこかしこに描かれています。
-
表書院上段之間の右手の帳台構えが見えます。帳台構えは敷居を畳より1段上げ、鴨居を長押より1段低く設けた区画に4枚の襖絵を入れます。中央の2枚は左右に引き分けることができますが、外側の2枚は嵌め殺しとなっています。
-
部屋の見学は対面所へと続きます。こちらは風流な障壁画が描かれています。
-
対面所は藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた部屋です。上段之間(18畳)と次之間(18畳)と納戸(なんど)一之間(24畳)、納戸(なんど)二之間(24畳)の4部屋で構成されています。
-
上段之間及び次之間の障壁画は「風俗図」と呼ばれ、京都や和歌山の四季の風物や名所、風俗がおだやかな筆致で描かれています。絵師は狩野甚之丞(じんのじょう)と推定されています。この部屋は黒漆塗の天井板に金箔が貼られた豪華な折上小組格天井になっています。
-
この襖絵の舞台は和歌山とのことで、左には玉津島神社と正面右には和歌浦天満宮が描かれています。
-
海水を汲んで塩を作っていると頃だと分かります。以前バリ島の東海岸のクサンバの海岸で全く同じ工程の製塩所を見たことがあります。
-
船で神社の参詣に来て、小舟で岸に渡る様子は雅な感じがします。左の壁に移ると、塩竈神社から紀三井寺までが描かれています。
-
対面所上段之間は次之間とは一転、黒漆や金飾りで華やかです。襖絵には京都の様子が描かれていて、この面の賀茂競馬の様子が楽しそうです。
-
平安時代の寛治7年の1093年に天下泰平と五穀豊穣を祈って宮中の武徳殿で行われていた競馬会が神社に移行され、それ以来続いている神事で、葵祭に先がけた前儀として行われます。
-
乗尻(のりじり=騎手)は舞楽装束をつけ、右方(うかた)と左方(さかた)が一対となって馬を走らせて早さを競い合います。これは現在も行われている行事です。
-
鴨競馬から場面が左に移るとまた風景が変わってきます。
-
上賀茂神社や吉田神社が描かれています。
-
違い棚の手前には愛宕山が描かれ、部屋の中央にいると二条城か御所の中にいるような気分だと思います。天井は格縁が黒漆塗りで、天井板には金箔が押され、中央部が凹む二重折上げ小組格天井と呼ばれる形式になっています。
-
鷺の廊下は対面所と上洛殿を結ぶための廊下で、寛永11年の1634年に上洛殿と共に増築されました。長押の上まで障壁画が描かれるのは寛永期の特徴でもあります。雪の積もった冬枯れの枝に白鷺がとまっています。
-
こちらには金箔の背景の前に水辺で水中の小魚を狙う白鷺の姿があります。
-
上洛殿二之間は障壁画よりも欄間彫刻が見事です。1634年の三代将軍家光の上洛の際に宿泊場所として増築されただけのことはあります。
-
豪華絢爛な両面透かし彫りの彫刻です。
-
松の木に牡丹と飛び交う小鳥たちが彫られてあります。
-
廊下の格天井と「笹と椿に山鵲(さんじゃく)」の透かし欄間も素晴らしいデザインだと思います。山鵲とは尾長鳥のことです。現在は見学の通路なので何もありませんが、この欄間の下には杉の引戸がはめられているわけです。
-
上洛殿上洛殿二之間は長押の上にまで障壁画が描かれているので変な感じがします。そしてそれ以上にアンバランスの長押の高さと欄間は寛永期の美的衣装でもあったのでしょう。
-
格天井の七宝紋のデザインは現代的でもあります。
-
障壁画の文人趣味というか派手過ぎない障壁画がこの部屋のバランスを保っているように思えます。
-
欄間だけが極楽浄土のようです。
-
廊下の格天井のシックなデザインと花狭間格子欄間の桟のデザインも洒落ています。
-
家光の座であった「上段之間」のほか「一之間」「二之間」「三之間」「松之間」「納戸之間」に分かれており、襖絵や天井絵や欄間にあしらわれた豪華な彫刻、飾り金具など贅の限りを尽くした黄金の空間です。
-
上段之間と一之間は狩野派の最高技法であって最も格の高い漢画水墨画である帝観図が選ばれました。筆者は幕府御用絵師である狩野探幽と狩野杢之助です。
-
帝鑑図は中国の明代の政治家張居正の著書「帝鑑図説」12巻にもとづいた人物画の画題で、君王の治政の善の法とすべきもの81事と悪の戒めとすべき36事を選び、故事を四字句にまとめて内容を述べたものです。
-
帳台構の襖絵には「不用利口」が描かれています。これは漢の文帝にまつわる説話で、文帝が上林苑に行った際に帝が役人に質問したところ、役人は直ぐに答えられませんでした。そこで文帝は饒舌に質問に答えた傍の農夫を重用しようとします。
-
すると張釈之が「徳のある者は、みだりに饒舌を用いることはありません。この農夫に官位を与えれば、皆が饒舌を用いてばかりで真実を語らなくなります。」と帝を諌めたという話が題材になっています。
-
欄間彫刻はジャパニーズ・バロックと呼んでもよいデザインです。これに匹敵するのは目黒雅叙園か松島の円通院か日光東照宮か飛田新地の鯛よし百番くらいしか思い当たりません。彫刻欄間は富貴と平安と長寿を具現化しているようです。
-
鶏が太鼓に乗って「諫鼓(かんこ)苔生す」を表わしています。中国古代の神話的な王「堯(ぎょう)」が民衆に自らの政治に誤りがあればそれを知らせるようにと城門の前に太鼓「諌鼓」を置きました。しかし善政を行っていたため太鼓を誰も鳴すこともなく、鶏の格好の遊び場となっていたという天下泰平を象徴しているようです。
-
上段之間は本丸御殿内で最も格式の高い部屋で、息を呑むほど絢爛豪華な造りです。
間口2間ある大床の間や清楼棚、帳台構えを建込んだ武家風書院造です。江戸時代を通じて上洛殿に宿泊したのは3代将軍の家光と14代の家茂だけだそうです。こんな説教じみた部屋に泊る気分はいかがだったのでしょうか。 -
帝鑑図は部屋を取り囲む東西南北4つの面を連続するシーンとして描いているようです。一之間の北面の「明弁詐書」(忠臣をおとしめる策謀を見抜く話)と西面の「蒲輪徴賢」(前漢の武帝(劉備)の善行を描いた)に連続性が読み取れます。
-
厚さ10センチほどの1枚板を両面から違う彫刻をして、いったいしたものに見せる技術はすごいと思います。
-
唐獅子に牡丹をデザインした釘隠しはその域を超えているように見えます。そのデザインの豊富さや数の多さにも驚かされます。
-
梅の間は黄金に輝く印象を受けます。尾張家の家臣の控えの間ですが、1面全てが床の間になったデザインは一番迫力を感じました。
-
上御膳所は上台所で作られた食事を膳に乗せたり汁物などの温め直しをする場所で、主に上洛殿に宿泊した将軍専用だったそうです。長囲炉裏と煙出しがある御膳場に続き、上段之間と上之間の3部屋がある格式の高い御膳所です。
-
今回の旅で7日目にして一番混雑していたのがここでした。といってもソーシャルディスタンスは確保できたので気にはなりませんでした。それくらい大平洋フェリーの船中が空いていたのだと改めて感じます。
-
残念ながら工事中の天守閣には入ることが出来ません。まぁ鉄骨とコンクリートの建物なので良しとします。特に城好きではないのですが、明後日に行く犬山城は楽しみにしています。
-
妻がクリームソーダを飲んでいるうちに豊臣秀吉と記念写真を撮りました。こんないでたちの方々が場内を歩いているのが楽しいです。
-
天守閣すぐ東の不明門の南に御殿椿があります。江戸時代から本丸御殿南の庭にあっ
た尾張藩秘蔵の銘椿ですが、昭和20年の空襲の時に消失したかと思われましたが、焼けた幹の下から再び新芽が伸び復活したそうです。現在ここにある木は昭和30年頃に原木から接ぎ木したものだそうです。 -
不明門は天守閣の東から北へ抜ける門です。不明門(ふめいもん)とはユニークな名称ですが、本丸御殿の大奥へ通ずる秘門で、常に鍵が厳重にかけられていたことから「あかずの門」とも呼ばれていたようです。この門の塀外部軒桁には防護機能として、忍び返しにした「剣塀(つるぎべい)」が設けられています。
-
昭和20年5月14日、空襲で天守閣などとともに消失、昭和53年3月に原形の通りに再建されています。
-
不明門付近から天守の下の濠を眺めてみます。元々水は溜められていませんが、千鳥破風からの雨樋の水のようです。
-
不明門の表から本丸大天守を見ると水色の紐ようなものが、千鳥破風から天守台へ向けて垂れています。これ銅板で覆われた雨樋です。驚くのはこの雨樋は8代藩主の宗勝の御代である宝暦2年の1752年に実施された「宝暦の大改修」の時に付けられたものだそうです。
-
真正面から見るとこのような形状になっています。姫路城には雨樋の代わりに滴水瓦と呼ばれる雨のしずくが垂れる形をした瓦がありますが、名古屋城にはありませんでした。また通常の形の雨樋も無いので考えられたのがのこ雨樋だと思います。
-
また屋根瓦が緑色なのは銅板の緑青のせいで緑色の瓦ではありません。1番下の屋根だけが本瓦で、それより上層階は木製の河原に銅板を張っているようです。信長から秀吉と徳川に至る歴史の中でも銅の加工は容易ではありませんでした。にも関わらず社寺仏閣や城郭にはかなりの銅板が使用されました。それは耐火・軽量という機能面に加えて権力と財力の誇示だったのだと思います。
-
御深井丸展示館で「郷土の人形と玩具展」と看板が出ているので、先に行ってしまった妻を呼戻して見学します。1週間前の名古屋到着時に熱田神宮で購入した三つ鈴について調べて、名古屋周辺の郷土玩具や人形に興味を持ちました。
-
「夫婦うさぎのもちつき」と「祝い船」
餅つきはどこかで見たことがあると思って調べてみたら昭和62年の年賀切手の図案になっていました。名古屋の土人形は明治30年頃に十数人の製作者が競い合って最盛期を迎えますが、太平洋戦争で壊滅的な打撃を受けます。野田家のみが戦後も製作を続けていましたが平成元年に最後の製作者である野田末吉氏が亡くなり廃絶しています。 -
「廻りねずみ」
名古屋は山車からくりを特徴とした祭礼が盛んな地域ということもあり、多種多様な糸からくり玩具が生み出され、愛知県の郷土玩具のひとつ「名古屋糸からくり」として親しまれた歴史があります。 -
「三河の銀狐 親子」
三河の西尾の手捻りの土人形は雲母が使われていてキラキラしているので、銀狐と名づけられました。三河の狐は大変利口で、時には別嬪さんになったり、旅の僧に変じたりして旅人をからかったようです。銀狐の栞にも作者の叔父が化かされた話が載っているそうです。こちらは親狐が子狐を抱き抱えています。 -
「三河の銀狐 夫婦狐」
こちらは夫婦の銀狐です。説明は不要ですね。 -
少し前に新潟の十日町にある「ミティラー美術館」の展覧会を観に行ったのですが、インド西部のマハーラシュトラ州ターネー県に居住する先住民族ワルリー族の絵画を思い出しました。題材はやはり「きつね」でした。
-
「飾り馬」
神馬は神の乗り物として神社に奉納される馬のことで、戦前に野田家で製作されていたものを戦後復元されたもののようです。 -
「笠寺祭礼馬」「笠寺兜馬」
名古屋市南区笠寺観音で夫婦が馬の様にまめで跳ねて一年中丈夫で働けるように祈願したもので初観音や節分会に厄除け愉快運のまじないとして売られているものだそうです。 -
「笠寺兜馬」「笠寺御幣馬」
2頭の藁馬の首をセットにして「カッコメ カッコメ」と 福をかき込むように祈り神棚や門の両側に差し祈念するそうです。笠寺観音の傘の印刷の入った白紙に包まれて売られていてふく馬と呼ばれます。 -
「竜泉寺春駒(紅白)」
紅白に彩られた馬の首の張子細工で観音菩薩の変化した馬頭観音にあやかってのものと思われます。笠寺にも同じようなものがあるので名古屋ではポピュラーな郷土玩具なのだと思います。 -
「犬張子」
お宮参りに犬張子を使い始めたのは熱田神宮が発祥と言われています。犬は出産が軽く多産であることにあやかり「子宝・安産」のお守りとして古くから愛されています。 -
「古代犬」
これは尾張で作られた土人形ですが、このタイプの人形は「とやま土人形」が有名です。ただこれは江戸時代末期の名古屋の陶器職人だった広瀬安次郎が富山藩主前田利保に「天神臥牛」を献上したのが始まりといわれています。 -
「裃の猫」
大阪の住吉大社の裃(かみしも)を着た招福猫が有名ですが、名古屋にも同じような猫がいました。 -
「猫抱お福」
これらの土人形は基水 (野田末吉)の製作したもののようです。 -
「虎の裃」
猫の裃に続いて今度は虎が裃を着ています。このタイプの人形は京都の伏見人形にもあるので須賀、ルーツがどこかまでは分かりません。 -
「吼虎」
臥虎(がこ)とも呼ばれ、これも野田末吉の作品です。愛知県各地に残る土人形の豊富さを考えると、この辺りがルーツなのかもしれません。 -
「招き虎(乙川土人形)」
愛知県の三河地方の農家では冬の間に土人形を作って生計の足しにしていたそうです。人形作りは江戸時代から始まり、明治時代の初めから村歌舞伎が庶民の娯楽として人気があった碧南地区では歌舞伎人形もよく作られたそうです。その土人形は「おぼこ」と呼ばれ、武者や飾り雛など素朴なつくりに色鮮やかな彩色を特徴とした人形が作られます。豊橋でも乙川土人形の杉浦家の親戚にあたる杉浦幸次郎氏により赤天神などが造られています。 -
「鯰瓢箪」
「瓢箪で鯰を押さえる」はとらえどころのない様子や要領を得ないことを意味する諺ですが、室町幕府の4代将軍の足利義持はある時「丸くすべすべした瓢箪で、ぬるぬるした鮎を抑え捕ることができるか」という公案(禅問答)を考え、そのテーマとなる絵を画僧の如拙(じょせつ)に命じました。その「瓢鮎図(ひょうねんず)」は国宝に指定されています。 -
「三猿」
尾張の土人形の「見ざる言わざる聞かざる」の三猿です。 -
「鶏神官」
熱田神宮では鶏が森の中を遊んでいましたが、この神官は「鶏は三歩歩けば忘れる」ということわざから揶揄したものでしょうか。 -
「あぶ凧」
昭和初期まで農閑期の娯楽として凧揚げ大会が盛んに行われていたそうで、虻凧はブーンと羽音のような唸りをあげて空を舞ったそうです。もちろん美濃和紙で作られ、遠くからでも目立つように鮮やかな色が塗られたそうです。 -
「蜂凧」
名古屋古流凧は種類として虻や蝉や蜂があり、江戸時代より伊吹おろしの吹く冬に揚げるので、うなり音も甲高く、その強風に耐えられるために煤竹で作るそうで、当初より大人の凧として発達しています。名古屋に細工凧はあっても角凧はないのは、正徳2年の1712年に大凧に乗って金の鯱の鱗を3枚剥ぎ取った事件があり、それ以来禁止されたためといわれるそうです。 -
思いがけずに郷土玩具について勉強することができました。御深井丸エリアと西之丸エリアは資材置き場で閉鎖されている場所が多いので先に進みます。
-
二之丸エリアにも行こうと思いましたが、あまりの暑さに妻からギブアップがあり、ここで名古屋城の見学を終えることにします。
-
その内濠に猪の姿はありませんでしたが鹿がいたので安心しました。56年前に一緒に来た両親に報告したいところですが、それはもう叶いません。現在は2頭だけが飼育されているそうです。
-
お昼は近くの金シャチ横丁に向かいました。本当は名古屋名物の老舗の本店に行きたいところですが、あまりに暑すぎてそんな気持ちも失せました。
-
この暑さでしたが「矢場とん」に入ることにしました。
-
冷房の効いた店内は極楽です。まずはビールで喉を潤します。
-
粉期の名古屋の旅では「味噌カツ」と「味噌煮込みうどん」と「ひつまぶし」と「台湾ラーメン」を食べるのは必須の目的でした。
-
やってきたのは東京でも見る普通のとんかつのようです。
-
そして店長さんが味噌だれをかけてくださいます。
-
この日の名古屋は最高気温33℃だったので、店に入るまではとんかつかと思いましたがビールを飲んだら急に食欲が湧いてきました。
-
初めて食べた味噌カツはとてもおいしかったです。お勘定の時に店長さんとお話ししましたが、東京にも支店があるので行ってみてくださいと名刺をいただきました。スタミナをつけて元気が出たところで徳川美術館と徳川園に移動します。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2021 大平洋フェリー50周年3船乗り比べの旅
-
前の旅行記
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(11)「いしかり」に乗って仙台経由で、線状降水帯の...
2021/07/01~
苫小牧
-
次の旅行記
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(13)徳川園の蘇山荘でくつろぎ、味仙で台湾ラーメン...
2021/07/03~
名古屋
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(1)50年振りの名古屋で熱田神宮参拝と蓬莱軒でひつ...
2021/06/27~
金山・熱田
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(2)名古屋港から「きそ」で北上する台風5号に向いな...
2021/06/27~
名古屋港
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(3)台風一過の快晴の中フェリー「きそ」で太平洋を北...
2021/06/28~
多賀城・塩釜・利府
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(4)「きそ」から「きたかみ」への乗換えでモントレに...
2021/06/28~
仙台
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(5)仙石線で松島海岸へ出て「仁王丸」で松島を遊覧し...
2021/06/29~
松島・奥松島
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(6)松島の瑞巌寺で伊達政宗を偲び、観瀾亭で抹茶をい...
2021/06/29~
松島・奥松島
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(7)仙台港から「きたかみ」の船首の見える部屋で苫小...
2021/06/29~
多賀城・塩釜・利府
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(8)支笏湖休暇村に泊り丸駒温泉と支笏湖温泉の湯を比...
2021/06/30~
支笏湖
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(9)ようやく営業再開した「ウポポイ」を見学する。
2021/07/01~
白老・大滝
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(10)国立アイヌ民族博物館を見学して改めてアイヌ文...
2021/07/01~
白老・大滝
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(11)「いしかり」に乗って仙台経由で、線状降水帯の...
2021/07/01~
苫小牧
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(12)56年振りの名古屋城で本丸御殿を見学して濠の...
2021/07/03~
名古屋
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(13)徳川園の蘇山荘でくつろぎ、味仙で台湾ラーメン...
2021/07/03~
名古屋
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(14)50年振りに行った明治村で58年振りの帝国ホ...
2021/07/04~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(15)広大になった明治村の中で司馬遼太郎の「坂の上...
2021/07/04~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(16)犬山城下町を歩き、犬山祭りの車山とからくり人...
2021/07/05~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(17)50年振りの犬山城の天守閣に登り、木曽川の流...
2021/07/05~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(18)木曽川の屋形船を貸切りで夕食を楽しみ、鵜飼い...
2021/07/05~
犬山
-
大平洋フェリー創立50周年3船乗り比べツアーと名古屋の旅(19)延泊した最終日はノリタケの森で日本の輸出陶器...
2021/07/06~
名古屋
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったグルメ・レストラン
名古屋(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2021 大平洋フェリー50周年3船乗り比べの旅
0
114