2021/07/05 - 2021/07/05
715位(同エリア1382件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1553冊
- クチコミ1158件
- Q&A回答73件
- 2,929,488アクセス
- フォロワー158人
名古屋の滞在もこの日で終わりで、ホテルをチェックアウトして荷物を預けて犬山に向かいます。昨日行った明治村とも近いのですが、明治村の見学には1日掛けたかったので、2日に分けての観光です。名鉄の特急で犬山遊園駅で下車して、まずは木曽川に向かってみます。本当は名古屋に戻った日の晩にここで木曽川鵜飼を予約していたのですが、仙台港を出て名古屋港へ向かうフェリーの中で7月3日は大雨と木曽川の増水で中止という連絡を受けていました。4日の日は明治村なので4日の晩についても尋ねましたが、増水で中止が決定しているとのことでした。ならば5日の晩という事で予約は入れましたが、前日までの連絡が無いので諦めて東京に帰る予定にしていました。川岸に出るとその木曽川鵜飼の建物が見えたので、近くまで行ってみると事務所に人が入っていくので尋ねてみると、5日の晩は開催するとのことでした。我々の予約もそのまま生きていたので、急遽予定変更して、木曽川沿いを歩きながら同じJRタワーホテルの予約を入れました。これで思い残すことも無くなり、まずは犬山城下の町歩きを始めます。当初は2時間ほどで終える観光でしたが、夕方5時まで時間を調整しなければならなくなりました。ところが犬山祭りの山車やからくり人形について知ると時間が足りないほどでした。特に「IMASEN 犬山からくりミュージアム」のからくり人形の素晴らしさには惹かれました。結果通り1本の観光で夕方4時近くになってしまい、急いで犬山城に向かうことになりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この時は名古屋城も今日で見納めだと思っていました。この日も天候はあまりよくはなく、お昼から夕方にかけては雨になるという事でした。
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朝ご飯は前日と同じ15階のレストラン「ゲートハウス」です。昨日は日曜日だったので、混雑している雰囲気でしたが今朝は誰もいません。
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内容は前日に分かっているので手際よくシーザーサラダを作って、名古屋名物のエビフライと串カツを盛り、スクランブルエッグとソーセージとベーコンも1皿。
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月曜日の朝はお客が少ないようで、昨日は開いていた奥のサロンは扉が閉まっていたのは残念です。
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昨日気になっていた名古屋飯の1つの「あんバターパン」が並んでいます。これは皆さん1つづつ持ち帰っているようです。
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今朝のカフェオレは昨日のハートと違って花になっていました。さすがに朝ご飯を2,700円とるだけのレストランです。食事は最高に美味しかったです。
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一度部屋に戻って荷造りを済ませてチェックアウトします。荷物はホテルで預かってもらって夕方まで出掛けます。
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名古屋駅の中はどこをどう通ればよいのか詳しくなったので、2階まで降りて横移動してマリオットホテルのロビーを経由します。
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マリオットホテルを出て名鉄名古屋駅で切符を買って犬山遊園駅まで行きます。
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名鉄名古屋駅から名鉄岐阜行きの特急に乗りますが、電車の中はこんな具合にガラガラでした。今回の旅では極力密にならないような予定を組みましたが、その予想を上回る人の少なさでした。
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犬山遊園駅に入る前に右手の山の上に岡本太郎の「若い太陽の塔」が見えました。11月に大阪と京都を旅する予定で、今回の50年振りの犬山城と明治村に続いて大阪の万博公園にも行く予定にしています。そこで前月には川崎の「岡本太郎美術館」と青山の「岡本太郎記念館」に行っていました。なので犬山の日本モンキーセンターの「若い太陽の塔」も見たかったのですが時間がありません。
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犬山遊園駅を出てとりあえず木曽川に向かって歩いてみます。すぐに犬山鉄道橋が見えてきました。
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川沿いに出ると轟音が轟き頭上をF-15Jが通過していきました。この機体はF-15C/Dイーグルを三菱重工業が中心となり、航空自衛隊向けにノックダウン及びライセンス生産した制空戦闘機です。すぐ近くに各務原の航空自衛隊の岐阜基地があるのを思い出しました。この基地は伊吹山からの西風が離陸に適しているため旧日本海軍の九試単座戦闘機(九六艦戦試作機)や十二試艦上戦闘機(零戦試作機)、旧日本陸軍のキ61試作戦闘機(三式戦試作機)が初飛行しています。
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左手には犬山城が美しく見えました。ここへ来るのも50年振りのことです。この川沿いを歩いた記憶も残っています。
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振り返ると「うかい」の文字が書かれた建物がありました。当初はフェリー旅から戻った7月3日の晩に鵜飼いを予約していました。ところが千葉県沖を航行していた2日の日に電話があって、大雨のために中止になっていました。4日は木曽川が雨の後の増水で開催できないだろうという事でした。5日の日に犬山に行くのでダメもとで予約をお願いしていましたが、連絡が無いので諦めていました。
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橋の袂から近かったので妻に「ちょっと見て来る。」と言って事務所に行ってみました。すると軽トラがやってきて男性が事務所に入っていきました。メールで諦めて東京に帰る旨は伝えてありましたが、念のために聞いてみました。
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するとこの日は日中の鵜飼いは中止でしたが夜は開催するとのことでした。名前を言って予約の確認をすると、夕方からの屋形船の食事もその後の鵜飼いの予約も生きていました。ここへ立ち寄って男性と会えなければ予約したまま東京へ帰ってしまうところでした。
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という事でHotel's.comからこの日の晩の「JRタワーホテル」の予約を入れました。荷物を持って夜遅くに移動もしなくてよいし、帰りの新幹線までの移動も最短で済みます。ただ予定外の出費なので朝食は抜きにしました。
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工事中の「ホテルインディゴ 犬山 有楽苑」の横から新郷瀬川沿いに坂を登って針綱神社までやってきました。織田信長公の叔父である織田信康が安産と延命長寿を祈願し手彫りの犬を奉納した事からご利益があると言われているそうです。
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明治15年に現在地に御遷座になり、戦前は県社として戦後は尾張五社の1つとして近隣の崇敬を集めているそうです。絢爛豪華な車山(やま)で有名な「犬山祭」は針綱神社の御例祭で、針綱神社が名栗町にあった寛永12年に下本町と魚屋町が練り物を出したのが始まりとされています。
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「犬山祭」については多少の知識はありましたが、この後の犬山城下の博物館などを訪ねて、その素晴らしさを改めて知ることになります。
神社の参拝をしようと思いましたが、雨がきつくなってきたので石段を登るのも危ないので帰る前にしました。これは犬山城から下ってくる途中に本殿へ入れたので正解でした。 -
どこかで雨宿りしようとしましたが、城下の広場周辺の店は全部閉まっているので本町通りに入りました。ココトモファームというセンスの良いショップがあって休憩できるようなので入ってみます。ココトモファームは「ココでトモだちになろう」をテーマにした犬山市にある米農家さんだそうです。犬山城主にも献上されていた犬山のお米は今も野生のキジが生息する自然豊かな田んぼで育てているそうです。
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6月25日にオープンしたばかりの犬山城三之丸店はセンスの良さもありますが、無料でベンダーのお茶が飲めて、バームクーヘンの試食も出来るのが良いです。綺麗なトイレもあり、雨の中の観光ではオアシスのような場所でした。そして休憩させていただいているうちに雨はやみました。
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本町通りの店先には犬山焼の陶器が並んでいました。江戸の元禄年間に今井村(現在の犬山市今井)において郷士の奥村伝三郎が今井窯を築き、焼物を作ったのが始まりとされます。その後犬山城主の成瀬正寿が文化7年に丸山に開窯し、文政年間には犬山藩のお庭焼きとして発展します。作風は中国明時代の呉州赤絵を手本とする赤絵と犬山城主の成瀬正寿の意匠による光琳風の桜と紅葉を描いた雲錦手が特徴です。
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どこの店も積極的に販売しているようでも無く、何か良いものがあればと思っていた者としてはちょっとがっかりです。良い物があっても妻にお伺いを立てないとこれ以上買い増やせない事情もあるのですが。
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布袋の絵馬が掲げてあったので調べてみると愛知県出身の絵馬師の岩田義一さんという方のものでした。
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通りの途中には犬山祭りの車山(やま)蔵がありました。本町のこの車山蔵は明治42年に建築され、車山を2層まで組み立てたまま入れることが出来るそうです。板扉と漆喰の壁が美しい建物は犬山藩の御用大工の系統を継ぐ市橋清吹郎が棟梁を務めました。犬山城下にある13の車山蔵もコンクリートの蔵に変わり、伝統的な木造の蔵は本町と新町だけになったそうです。
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また奉納絵馬は飾られていました。飛騨高山へ行った際に偶然に山桜神社の馬頭絵馬市の日だったのでわしに描かれた絵馬を買い求めたことを思い出しました。馬の絵は玄関に飾るのですが、馬の頭が家の中に向かないとお宝は出て行ってしまうそうです。ですので左右に向いた馬の絵がありました。飛騨高山も高山祭の山車が有名です。
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妻が右に左にと店を覗いて行くのに合わせて写真を撮っていました。元々は昼過ぎぐらいに名古屋に戻って、新幹線で東京に帰る予定でしたが、夕方5時までこの周辺で時間を潰さなくてはなりません。ただ、この後に犬山祭りの魅力に触れて博物館の見学もしたのでちょうど良かったのですが。
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楽しみにしていた五平餅のお店は何とお休みでした。博物館や美術館の休みは確認していましたが、ここまで気が回りませんでした。面白いのは屋根瓦の家紋の代わりに団子の絵が入っていました。
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通りには着物や浴衣を借りられるお店がありました。若いお嬢さんの着物姿は古い街並みに映えました。
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夏らしく木桶に入ったキュウリは美味しそうでした。
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昔ながらの町屋の多くは1階の店の部分を貸しているようで、若い人向きの店になっていました。これくらいセンスが良いといいのですが、中には写真には撮りたくないような看板ばかりの店もありました。
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「尾張名古屋は城でもつ」という伊勢音頭に使われているフレーズがありますが、「尾張犬山、城で餅」なんて看板を掲げた和菓子屋さんがありました。
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この本町通は元々は名古屋から楽田追分までの上街道とルートが重複して、犬山城下を過ぎてからは木曽川を渡って中山道の鵜沼宿(現在の岐阜県各務原市)にまで続く稲置街道の一部でもあります。
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新しい店舗に混ざっていて少しではありますが、昔ながらのお店も残っているようでした。
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かなり本町通を歩いて来て、時間もあるので「どんでん館」に入ってみることにしました。入場料が100円という事もありました。どんでん館では毎年4月の第1土日に行われる国の重要無形民俗文化財指定の「犬山祭」で曳かれる車山(やま)を4輌展示していますと受付のおばさんが教えてくれました。
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犬山祭りで車山が方向転換する際に車山を曳く手古(てこ)衆が掛け声もろとも車山の片側を持ち上げて180度回転するさまを「どんでん」と呼ぶことからこの館を「どんでん館」としたそうです。
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犬山祭りの見所は沢山ありますが、必ず見ておきたいのは「からくり」だということです。神社の祭礼などの「山車(だし)からくり」も日本各地で見ることが出来ますが、特に東海地方に多く現存しているそうです。
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今まで春と秋の高山祭りのからくりと京都の祇園祭りや滋賀の大津祭り、関東では秩父の夜祭や川越祭りを見たことはありますが、犬山祭りも見てみたくなりました。
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山車で演じられるからくりにはそれぞれ演目があります。どんでん館の展示ホールには実際に犬山祭りで使用される車山4輌が展示されています。中本町の「西王母(せいおうぼ)」は「西王母唐子遊び綾渡り」で、山車からくりの名人と言われた竹田流人形師藤吉作の演題から名づけられました。からくりは「西王母」と「唐子」の2体と「木(ぼく)」からなり、奏楽は能楽の「杜若(かいつばた)」を元にしたと言われます。
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「西王母」のあらすじは古代中国の周の穆王の時代に、宮殿で祝賀の楽しみに興じているところに1人の若い女が現れます。女は手に桃の花が咲いた枝を持っていました。この花は三千年に一度だけ咲くという桃で、帝王の威徳により時機を得て今咲いたのだと女は言い、この花を帝王に捧げました。
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帝王は伝え聞く西王母の庭園の桃かと女に問いますが、女は答えず「桃花物言わず、幾年か過ぎた」「三千年ごとに実るという桃が、今年は花開く春に巡り逢った」という古歌を引き、帝王の治世を讃えます。その後に女は西王母の化身であると明かし、後で真の姿となって桃の実を捧げましょうと帝王に約束して天に去ります。
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王が管弦の催しを開いて西王母を待っていると、西王母が天女の姿で現れました。西王母は侍女に持たせていた桃の実を帝王に献上します。喜びの酒宴が始まり人も花も酔うなかで、西王母は軽やかに舞を舞い、御代を寿ぎながら春風に乗って、孔雀や鳳凰とともに天へ上がり消えていきました。
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名栗町の「縫英(ほうえい)」
からくりに登場する深紅の梅の花房や水引の縫物が優れている意味で「縫英(ほうえい)」と名付けられました。左大臣が散らした梅鉢の花房を右大臣が再び咲かす展開になります。 -
鍛冶屋町の「壽老臺(じゅろうだい)」
からくりの「寿老人」に因んで名前が付けられた「壽老臺(じゅろうだい)」は、元々は「石橋壽老臺」と呼ばれて、箱から唐子が出てきて舞い踊り、それを見て寿老人が喜ぶという展開です。 -
下本町の「應合子(おうごうし)」
からくりの2体の唐子が合体したり離れたりする技から名づけられました。大人形が中人形を肩車したり、中人形が舞竹につかまり回転するところが見どころだそうです。 -
「コケコッコー」の音とともに祭りの1日を6分間に短縮した光景が始まります。ここでの見どころは高さ8メートルで重さ3トン超の4輌の「車山」が夜のシーンになると提灯に明かりが灯るところです。
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夜に曳かれる車山には1輌に365個を超える提灯が付けられ、実際に13輌揃うと見事な光景が広がるそうです。
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このような高さから山車を見るには通りに面した商家に知り合いがいないと見ることは出来ません。
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2階展示室では犬山祭りの準備から当日の朝から夜の終了までの流れが見られる映像のほか、犬山の歴史に関する展示をご覧いただけます。この映像は良く出来ていて祭りを見に来たいと思いました。
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祭りで子どもが着る「金襦袢(きんじゅばん)」なども展示されています。昔は町内に男の子が産まれると、母方の実家から金襦袢が贈られるという慣わしがあったため「車山のある町内には嫁にやるな」と言われたほど豪華で高価な衣装です。
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金糸で刺繍された龍や虎が見事です。白いのはヤクの尾毛だと思います。歌舞伎で用いる鏡獅子の鬘や僧侶が用いる払子にもヤクの尾毛が使用されていますし、戦国時代の武将の甲冑にも用いられています。「唐の頭」と呼ばれるものです。
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「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と言われたのはこの白いヤクの尾毛です。幕末ではヤクの尾毛は黒毛が薩摩藩、白毛が長州藩、赤毛が土佐藩の軍帽に使われています。
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こちらの竜と獅子は可愛らしい顔をしています。犬山祭りではからくり奉納が終ると子供連(子供連)が鉢巻きをして、紋付の着物の両方の袖を脱いで太鼓をたたきます。その時にした襦袢が現れます。その絵柄に金糸や銀糸の刺繍が施され派手さや息を競い合います。戦後はこの指物が大きくなり、夜になると電飾がつくものもできたそうです。
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白澤(はくたく)は中国に伝わる瑞獣の一種で、人間の言葉を解し万物の知識に精通するとされます。その姿を描いた図画は魔除けや厄除けとして用いられます。
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唐獅子牡丹のおめでたい図柄です。どれも子供の成長を願ってのことだと感じます。
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2階の通路には江戸時代の犬山祭を立体的に現した「立版古(たてばんこ)」と呼ばれる動くミニチュア模型が展示してあります。お客が近づくとお囃子が始まり、車山や人形が動くようになっています。色とりどりの車山の模型や人形、家並みはすべて紙でできています。
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「どんでん館」の見学の後は近くにある「匠美」というお店に入ってみました。丹後ちりめん織元出身の店主の女性が丹後ちりめんの直販とその生地を使ってちりめん細工や小物を昭和初期のシンガーのミシンで手作りしています。
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丹後ちりめんのお店だけあって、丹後の「竹中缶詰 オイルサーディン 天橋立」も売っていたので話が弾みました。これは我が家でもお気に入りです。店主の女性は犬山焼にも詳しく、その点でも話が弾みました。そして犬山焼の尾関作十郎陶房の作品もいくつかありました。面白かったのがマグネットブローチで赤絵の円形の陶器の裏側に丹後ちりめんが貼ってあって、強力なマグネットで服に止められます。これが思いがけない安さだったので妻にプレゼントしました。
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「旧磯部家住宅」は江戸期の建築様式を持つ木造家屋で、主屋は幕末に建てられたと伝わっているそうです。緩やかなふくらみのある「起り屋根(むくりやね)」は犬山市内の町家で唯一現存しており、正面は2階建て、裏は平屋の「バンコ二階」と呼ばれる造りになっています。
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案内の女性がいらして建物の歴史など概略を説明してくださいます。
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国宝犬山城大手門から延びる本町筋にあり、江戸期から呉服商を営んでいたそうです。敷地は間口が狭くて奥行きが広い「ウナギの寝床」のような敷地で、母屋から中庭、裏座敷と土蔵と続いています。美しい竪格子は京格子とも呼ばれるものです。
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磯部家は江戸時代から「柏屋」の屋号で呉服商を営んでいました。その後製茶や販売業に転じた後に生活の拠点は他に移り、建物は商品倉庫とされていました。平成16年に磯部家から建物の寄贈を受け、市の施設として保存整備工事が行われています。
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6月に川崎の「日本民家園」へ行って古い家屋をたくさん見てきたので、店の造りが良く分かります。この家は呉服商だったので、その当時を想像できるような造りになっています。
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店の脇に土間がありますが、天井の部分には夜間になると降ろす木戸が収納されています。
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店(見世)の奥の座敷は帳場なので、帳場囲いが置かれて後ろには神棚が据えられています。
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つい先月日本民家園で学んできたことが役に立ちました。
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通り土間の吹き抜けの木組みがとてもきれいでした。京都の祖父の家も同じような造りでしたが、明り取りに大黒様と恵比須様が置かれていてシルエットになって怖かった覚えがあります。その時に祖母に呼ばれて振り返ると入れ歯を外しているところでした。それ以来エイリアンの映画を観るたびにその時のことを思い出します。
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主屋内部は棹縁天井に1間幅の床の間に違い棚、書院に長押付の部屋です。このような立派な座敷飾りは江戸時代には一般の商人には許されないものでした。現在の造りは御禁制の外れた1891年の濃尾震災の被災後に改造されたものです。
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座敷の奥には欅の1枚板の廊下がありました。一見気が付かないですが、とんでもない贅沢なことです。
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そこから続く外廊下は弁柄(べんがら)色に塗られ、客便所と裏座敷に通じています。
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台所の奥には井戸が設けられ、その先には立派な五右衛門風呂もありました。
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その前の台所には見事な漆喰竈が据えられています。この漆喰の左官技術はよほど高い技術が無ければできないと思います。この地方にそんな技術が残っているのだと安心します。
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弁柄の外廊下の先には裏座敷があります。
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土蔵の外壁は目地の漆喰がかまぼこ状に盛り上がる「なまこ壁」という工法で仕上げられています。正面は黒漆喰塗りで北側は瓦を使用しています。内部はギャラリーとして使われているようで中まで入ることが出来ました。
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小さいですが庭の設えまであり、表の店から何メートルあるのだろうと思います。ググってみると目測ですが60メートルはありそうでした。
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通り土間を抜けて見学を終えます。こんな建物の見学が無料なのはありがたいことですが、保存のためにはお金を取ってもよいのではないかと思います。
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説明してもらった「起り屋根」をもう一度よく見ておきます。
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屋根瓦も新しいようなので、この家に合わせて柏屋の屋号も入れたのでしょう。緩いRがついている分だけ瓦の形状も変形しているのかと思いましたが、そこまでの細工は必要なさそうでした。
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そろそろお腹が空いてきたので妻のリクエストのそば屋に向かいます。気が付いたらもうすぐ午後2時です。
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「手打ちそばまつい」という新しい建物の店です。名古屋できしめんを食べてないのでそれもよかったのですが…。
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まずはキンキンに冷えたビールで喉を潤してクールダウンします。この日も30℃を超えている上に雨上がりなので湿度は100%ではないだろうかと思えました。
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そば粉十割の盛そばと天麩羅を注文しました。
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あまり期待していなかったのですが、この天麩羅の素材も良くて揚げ方も上手でおいしかったです。これは抹茶塩でいただきます。汗をかいているので塩味が沁みます。
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蕎麦は十割なので短めですが、すっきりしたのど越しで、こちらも美味しかったです。メニューを見てちょっと高いかなと思ったのが申し訳なく感じます。入った時間が遅かったのも良くて、お店はガラガラでした。
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お腹がいっぱいになって「からくりミュージアム」に向かいながらからくりの実演が午後2時からだったことを思い出しました。失敗したなと思いましたが、そばを食べないで実演を見学していたらそば屋は閉まっていたので良しとします。
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「IMASEN 犬山からくりミュージアム」という立派な建物です。ここでは犬山祭りの車山(やま)に載っていた山車からくり人形も間近で眺められます。入場料は「犬山城下町周遊券」を購入しました。犬山城+犬山市文化史料館(城とまちミュージアム+IMASEN 犬山からくりミュージアム)+どんでん館の4か所が見られますが、どんでん館の分100円を差し引いても安くなります。
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「浦嶌」は新町組で平成12年まで使われていたからくりです。おとぎ話の「浦島太郎」を題材にしているのはすぐに分かります。浦島太郎が亀に乗って竜宮城から戻る姿です。
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そして乙姫から玉手箱を手渡されます。乙姫の手の形は玉手箱を持っていたのだと想像できます。
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開けては行けない玉手箱を開けると浦島太郎は煙に巻かれて翁に変わってしまいます。からくりでは翁に変わる瞬間の面かぶりの早業が見どころだそうです。それにしても長年と買ったとは覆えない人形の美しさです。
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「日蓮上人星下りの図(乱杭渡り)」
日蓮上人が礼拝を終えると天上の星が割れて中から天女が現れます。そして唐子の天女が6本の乱杭の上を1段づつ上がっていきます。 -
最後に梅の木にかかった巻物にぶら下がって、巻物が開かれるとそこには「日月」の文字が現れます。
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枝町と分離する以前は地域に日蓮宗の寺院が多く、町内で日蓮の人形を山車に挙げたのが始まりと言われます。
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安永3年の1774年の墨書きが残っているそうです。乱杭の上をどのように歩くのか見てみたい気がします。中国や台湾の雑技で見る獅子舞の獅子が杭を登る姿を想像してしまいます。
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「唐子遊び」は本町組で平成10年まで使われていたものです。
3体のうち2体の唐子は「糸からくり」で1体は「離れからくり」と呼ばれるものです。 -
一番の見どころは、大唐子が中欧の蓮台の上で片手で倒立し、首を振りながら太鼓を打ち、喜びを表す場面だそうです。
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名古屋の人形師である竹田藤吉の作で、その作品の中でも特に顔の出来が良いとされているそうです。
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まだ見学が始まったばかりですがその魅力に惹き込まれてしまいます。それは妻も同じようで、すぐに別々に見学を始めます。何となくですが人形劇には惹かれるものがあり、プラハやブリュッセルの人形劇場に行きましたし、ミャンマー国内の有名な劇団を訪ね、ヤンゴンではストリングの操り方を学んだことがあります。
ヤンゴンの劇場を貸し切った旅行記
https://4travel.jp/travelogue/10944093 -
「梅梢戯」は大小の唐子の人形が梅の梢で遊び、倒立して太鼓をたたく離れからくりです。外町は城下町の南に新しく発展した商業地で、新進のからくり師であった3代玉屋庄兵衛に人形の制作を依頼しています。
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また、衣装は伊藤呉服店(現在の松坂屋)によるものだそうです。文政10年の1827年に造られ、昭和51年の1976年に7代玉屋庄兵衛が修理に当たっています。
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「采(ざい)振り人形」は余坂組の山車に乗せられる前人形で、采を持って式や合図をするように動かされます。「采配(さいはい)」とは、大将が軍勢の指揮をとるときの持ち物のことで、柄の先に裂いた白紙などを束ねてて房状に取り付けたものです。形状から別名「ベロ出し人形」とも呼ばれるそうです。
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「二福神」は大黒が長い旅の末に見つけた「宝袋(ほうてい)」に福槌を振り下ろすと、中から宝船に乗った恵比須が現れます。二福神はお互いに喜びを表して左右に動き、やがて神前に礼をして下がっていきます。最後にいかに早く「宝袋」を元の状態に戻すかが操り手の腕の見せ所です。
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「楽田横町の古人形」
楽田横町の山車は明治10年に枝町から譲り受けたもので、昭和33年まで氏神の「牛頭天王」の祭礼で使用され、からくり奉納にも使われていました。平成元年に修復された山車は形の変遷を知る貴重な資料として保存されています。 -
「万年時計」
万年時計は江戸時代の発明家で東芝の創業者でもある田中久重が1851年に制作したもので、これはそのレプリカです。江戸時代の時計技術の最高傑作と言われるそうです。 -
6面に渡ってそれぞれ異なる時間を表示しており、上部の天球儀は日本地図の上を太陽と月が旋回し、時刻に応じた太陽と月の位置を指し示しています。
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「采振り人形」先ほどの采配を振る人形の構造が良く分かります。
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この辺りまで来ると頭の中を西田和江社中の「謡」という曲が流れてきます。「攻殻機動隊 -GHOST IN THE SHELL」に流れる曲です。「傀儡」という言葉もこの一連の映画で知りました。
https://www.youtube.com/watch?v=z64HCi2rQkE -
9代玉屋庄兵衛作の「采振り人形」の持つ采は白いヤクの尾毛で、払子の形をしています。
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「品玉人形」
品玉人形は細川半蔵頼直が記した江戸時代のからくり解説書「機巧図彙(からくりずい)」にも記載されているぜんまい仕掛けの座敷からくりです。 -
唐子が持っている箱をゆっくり持ち上げると中から品物が出てきます。箱を元の位置に戻してもう一度持ち上げると先ほどとは違うものが現れます。4回繰り返して4種類の吉祥物を見せる手品です。江戸時代にヨーロッパへ伝わり、「マジシャン」と称されるオートマタが制作されます。
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「唐子指南車」
中国の伝説の皇帝である黄帝が戦のために指南車を作らせたと史書に記載があります。その構造には磁石は使われず、左右の車輪の回転の差から機械的機構により方位を特定する仕組みであったとされます。指南車と称されているのは「易経」にある「聖人は南面して天下を聴き…」の文に基づくとされます。諸星大二郎の「孔子暗黒伝」という漫画には講師が諸国を旅する馬車にこの仕掛けがあります。 -
指南車は3世紀に考案され、からくりの原点ともいわれるそうです。台車の上の仙人が載っているのが特徴です。絶えず南を指し示す仕組みは11個の歯車を組み合わせて出来ており、現在も自動車のディファレンシャルギアに応用されています。この指南車ではからくりの要素を入れて、唐子の回転技と猿の面被りを加えています。
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「茶運人形」9代玉屋庄兵衛
高級な玩具でもあった「座敷からくり」の中でも代表的なからくり人形です。茶托に乗せた湯呑を向かい側に座る客に運び、また戻ってくるという仕掛けです。 -
「茶運人形」7代玉屋庄兵衛
材料には複数の種類の木材の他に、鯨のひげや絹糸が用いられました。考案されたのは江戸時代初期と考えられ、からくり人形の設計書でもある「機巧図彙(からくりずい)」では上巻の最初に登場します。 -
「茶運人形」8代玉屋庄兵衛
展示されている人形が運ぶ湯呑が犬山焼の伝統的な絵柄なのが良いです。 -
「攻殻機動隊」から「諸星大二郎」へ想像が膨らみ、さらに「澁澤龍彦」から「四谷シモン」や「ハンス・ベルメール」へと広がっていきます。人形からくりについては日本ブリタニカから出版された「遊びの百科全書〈6〉」が詳しいです。
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これだけの部品で複雑な動きが出来てしまうというのは驚きです。
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「二筆文字書き人形」
平成21年に安城市の旧家から人形が発見され、9代玉屋庄兵衛が復元制作を行いました。右手に握った筆と口にくわえた筆によって松と竹の2文字を同時に書くことが出来る座敷からくりです。 -
重鎮による重力が動力となり、7枚のカムと14本の糸で作動します。文字を書くために右手と頭が上下左右と前後に3次元の動きをするそうです。
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完成された座敷からくりの人形の美しさに惹かれてしまいます。自分の頭の中では全くからくりが理解できていないのですが。
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「住吉・白楽天」
能楽の「唐の白楽天と老漁夫の知恵問答」から題材をとっています。平安時代に玄宗皇帝の密使として唐の国から白楽天が渡ってきたとき、海上で住吉明神と対峙し、問答の末に術比べをします。 -
白楽天は矢代に姿を変え、住吉明神は橋に変身しますが、どちらも見事な術で引き分けになります。返信を素早くするところが見どころです。
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「更科姫」
歌舞伎の演目としては「紅葉狩(もみじがり)」です。戸隠の鬼女伝説と能舞台の「紅葉狩」をアレンジしたもので、いずれも主役の女性が登場しますが、「更科姫」ではありません。歌舞伎の演目になって初めて「更科姫」という名前が与えられました。 -
平安時代に紅葉は都に上がり、その若さと美しさから源氏の有力者の側室となります。妖術を使う紅葉は正室になろうと画策しますが、それを見抜かれて戸隠に流されました。紅葉は村人たちからあがめられ、また鬼まがいの振る舞いで北信濃一帯に一大勢力圏をつくります。このため朝廷は平維茂(たいらのこれもち)に紅葉の討伐を命じます。戸隠全山が緋色の衣におおわれたような美しい紅葉を背景に、紅葉と維茂の一騎打ちとなり、紅葉はついに維茂の剣の前に倒れます。
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「三番叟」
三番叟(さんばそう)は日本の伝統芸能で、式三番(能の翁)で翁の舞に続いて舞う役あるいはその舞事で、能楽では狂言役者が演じます。翁の舞が天下泰平を祈るのに対し、三番叟の舞は五穀豊穣を寿ぐといわれ、足拍子に農事にかかわる地固めの、鈴ノ段では種まきを思わせる所作があることから豊作祈願とされます。 -
「猩々」
むかし潯陽江(揚子江)の傍らにある金山に親孝行者の高風という男が住んでいました。高風は市場で酒を売れば多くの富を得るだろうという、神妙な夢を見てお告げに従い市場で酒を売り始めます。酒売りは順調に進みますが、毎日高風の店に買いに来る客の中に、いくら飲んでも顔色が変わらず酒に酔う様子がない者がいました。不思議に思った高風が名前を尋ねると、自分は猩々と言う海中に住む者だと答えて立ち去ります。そこで高風は月夜の晩に川辺で酒を用意し猩々を待っていると、水中の波間より猩々が現れます。共に酒を酌み交わし舞を舞い踊り、やがて猩々は高風の徳を褒めて泉のように尽きることのない酒壷を与えて帰ってゆきます。 -
「石橋獅子」
能楽の「石橋(しゃっきょう)」を題材にしています。文殊菩薩の前で唐子が牡丹の花を手に踊り戯れます。花台に花を挿すと開いた花の中から獅子が飛び出し、頭と尾を振り跳ねまわります。 -
それを眺めていた文殊菩薩が軍配を手に唐子を褒めたたえ、長寿を祝って舞を終えます。
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「司馬温公甕割り人形」
中国北宋の時代の政治家に司馬温公の子どものころの話です。温公は「資治通鑑(しじつうかん)」という294巻にもおよぶ政治の参考となる書物を書いた学者としても有名です。 -
家には大きくてとても高価な水甕がありました。そのあたりで友達と遊んでいたところ友達の1人がその中に落ちて、今にもおぼれそうになっています。そこで温公は友達を助けるために、父親からしかられるのを覚悟して石で瓶を割ったのだといいます。その結果、友達の命は救われました。
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それを聞いた父親はしかるどころか温公をほめたたえ、改めて命はどのような高価なものよりも大切だということを教えたそうです。
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この物語はいろいろなところで題材になっており、有名なところでは日光東照宮の陽明門や久能山東照宮の彫刻にもなっています。
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「能面とからくり」
からくり人形の顔は原則としてからくり仕掛けではなく、頭の上下の動きによって表情を変える工夫がなされています。下を向くと面を曇らす寂しげな表情になり、上を向くと嬉しそうな表情になります。角度によって表情を変化させるのは能面の表現方法と同じで、人形師は修業時代に数年間は能面を削る訓練をするそうです。 -
「文楽とからくり」
江戸時代の初期に竹田近江が大阪の道頓堀において芝居小屋「竹田座」を旗揚げし、そこで上演されたからくりや子供狂言(歌舞伎)によって一世を風靡します。 -
その後、近江の息子である武田出雲が人形浄瑠璃(文楽)で隆盛を誇った「竹本座」を竹田義太夫から譲り受け、2つの座元を兼ねることによりからくりの技術と文楽が密接なつながりを持つようになります。
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小学校に上がるころに父に連れられて出来てすぐの国立劇場で文楽を観た記憶があります。恥ずかしながらそれ以降文楽を観たことはありませんが、世の中には知らないことがたくさんあるものだと感じながら見学しました。
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1室だけの展示スペースですが、陳列されたからくり人形の素晴らしさに感動しました。お昼を食べていて見逃したからくりの実演が残念でした。
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最後に名古屋周辺の郷土玩具も陳列されていました。有名な「おばけの金太」も見えます。ただ、これは熊本の郷土玩具のはずですが…。手前には「犬山のでんでん太鼓」が置かれてあります。これは竹笛のように吹くと回転します。
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木曽川沿いの継鹿尾山中腹にある寂光院は尾張最古刹として知られ、本尊の千手観音菩薩は日本武尊の作と伝えられています。この紙つばめは寂光院の例大祭で売られていたもので、参拝客たちはこのツバメを“田の害虫を食べてくれる観音様の使い”として、田の畔にたくさん立てて五穀豊穣を祈ったそうです。
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昇り猿は子供の頃に買ってもらった記憶があります。鈴がついていてシャン社の戸が生るのがかわいかったです。ミュージアムの方に近くに郷土玩具の店が無いか聞いて、ほとんど取り扱っている店は無いそうです。1軒の店ででんでん太鼓は見つけましたが、思ったより高くて買いませんでした。
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ミュージアムの展示室の中には当代の9代玉屋庄兵衛の工房がありました。曜日によってはここで作業をされるそうです。
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実際にここで人形を造られているところを見て見たかったです。当初あまり期待していなかった犬山城下の観光ですが、時間が足りなくなりそうです。
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