2021/04/11 - 2021/04/11
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毛利慎太朗さん
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晴天であったし、花見もしたかったので我が町を自転車で散策しました。
ま~皆さま方が花見の旅行記をあげていたので、負けじと投稿した感じですかね。
でも、写真の腕は劣りますが。
そのついでに、昼食と「鬼死骸」地区散策なども兼ねております。
「鐵要素」はほぼないですが、ご覧頂ければ幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自転車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
最初の一葉は、磐井川の河川敷より。
場所は「JAファーマーズ」の付近。
2015年の堤防かさ上げ工事による伐採を免れた区間。磐井川河川公園 公園・植物園
-
上ノ橋を自転車を押しながら通過。
釣山公園は花盛りです。
指が思い切り入ってますが、証拠写真とおもってください(汗) -
これより「釣山公園」の様子について。
実はこちら城跡だったりします。
坂上田村麻呂大将軍や源頼義公などが陣を張り、天正年間(1573~92)は葛西氏家臣・小野寺氏の居城でした。
「おさん稲荷」の下手にある、日本庭園には「こぶし」が咲いていた。
「木蓮」と「こぶし」って科が同じだから、ややこしいが、これは葉っぱがついているので、「こぶし」かな。
千昌夫「北国の春」でお馴染み。釣山公園 公園・植物園
-
日本庭園の付近には「カタクリ」が咲いていた。
世の人は、この根っこのデンプンを精製したから「片栗粉」ということを識ってるのかな? -
頂上の「千畳敷」の西より。
鉄道ファンなら五能線の絶景駅をおもいうかべますが、こちらは陸の絶景。
市民の母なる山、須川岳(栗駒山)です。
本日はガスもなく、クリアな視界。 -
千畳敷に鎮座する「田村神社」
一関藩江戸屋敷にあったものですが、大正年間にこちらへ遷座されました。
現在の建物は戦後再建されたもよう。 -
おみくじ(100円)があったので、ひいてみました。
ふむふむ、神様への感謝は怠らず。 -
な、なんと大吉。
願い事「今の苦労が報われる、小事必ず叶う」→コロナは暫し無理そうだが、当旅行記編集はなんとなくすんなりいきそう。
家庭「円満」→波風がたたずよかった。
旅行「好日をえらべばよし」→変異種が猛威をふるっているので、隣県移動もしばらくは無理かも。
病気「お陰で早くよくなる」→先刻、善知鳥神社で健康運が「本快するが、油断できず」と出たので、ここで安心感を得たところ。 -
田村神社の脇にある「愛姫」という名の枝垂桜。
福島県三春町から、平成29年に「姉妹都市締結30周年」ということで、寄贈された樹木。
樹齢1000年以上にもなる天然記念物「三春滝桜」の子孫でもある。
なぜ、三春町と姉妹都市かというと、初代一関藩主・田村建顕(たむらたてあき)公の曾祖母に当たるお方が、三春城主のお姫様であった愛姫さまでした。 -
同じく千畳敷にて。
こういうベンチがあると、例年なら「花より団子」ですが、この御時世ですから'自粛'ですな。
「花」を純粋に楽しまねば。 -
桜の拡大画像もUP
「花映え」しますね。 -
「釣山公園展望台」より、駅方面を眺む。
水仙も見慣れた花であるが、旅に彩りを添える。釣山展望台 名所・史跡
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千畳敷を下って暫し散策。
紅枝垂はまだ2~3分咲きといったところ。
来週が見頃ですかね。
こちらは一関が誇る和菓子処「松栄堂」が寄贈したものです。 -
こちらは「桃の花」ですかね。
足下に詩があったものですから。
桜や、梅に劣らず可憐な花を咲かせてくれます。 -
写真は「子供広場」の辺り。
集団で咲き誇るアングルというものがなかったので、これで勘弁。 -
いつにもなく運動したので、流石に腹がすきましたな~
「松竹」にいったところ駐車場(といっても4台ほど)が満車だったので、「密」をさけ、「そばはな」にしました。
頼んだのは「ざるそば(税込880円+大盛200円)」、相変わらず腰がつよくて、美味しいそばですね。
海苔が奏でる磯の香りと、天かすの油っけで、一すくい、2すくいと箸が勧みます。
蕎麦の出汁で、ミネラル分もほどよく補給できました。そばはな グルメ・レストラン
-
腹ごなしも兼ね、駅前を散策。
場所は「魚民」のあたりにある「男爵 高平小五郎 出生地」の碑
高平閣下(嘉永7年・1854~大正15年・1926)は日露戦争(明治37年・1904~翌年)の際、駐米公使として、小村寿太郎外相を助け、ポーツマス条約締結へと漕ぎ着けました。
なぜ駐米公使がロシアとの交渉に携わるかというと、イギリスは日英同盟で日本を支援していたわけだし、仏・独は遼東半島の返還を露とともに迫ったし(三国干渉)、第三国でかつ、大国のアメリカに仲介をお願いしました。
私としては、全米で「領土拡大のためでなく、列強と対等に貿易するため」と演説して回った金子堅太郎閣下の存在も忘れてはならないところである。
また、明治41年(1908)には駐米大使として、排日運動沈静化を図るため、当時のルート国務長官と協約を結びました。
我が国が主張する満州の権益、アメリカが主張するハワイ併合とフィリピンの権益を相互承認。
また韓国併合と、カリフォルニアの移民制限を相互黙認しました。
巧みな交渉を行った外交官が我が郷土にいたことは誠に誇らしい。
戦後外交はプラザ合意といい、慰安婦といい負け続けなので、為政者に垢を煎じて飲ませたいところ。 -
なお、高平閣下のご尊顔は駅前通りで拝することができる。
ほかにも、近代彫刻の礎を築いた長沼守敬や、藩校・教成館の初代学頭・関養軒、有職故実(貴族の儀礼)の研究者・本間百里などの碑がある。 -
さて、駅前で是非触れておきたい銅像「大槻三賢人」です。
大槻家は山目、赤荻、厳美などの仙台藩領の村々を束ねる村役人(大肝煎)でしたが、学者を多く排出し、西の頼(春水・山陽・三樹三郎)と並び称されたほど。
大槻玄沢先生(宝暦7年・1757~文政10年・1827)は建部清庵・前野良沢・杉田玄白に学んだ蘭方医。
著書に、蘭学の入門書「蘭学開梯(天明8年・1788)」、師匠方が出版した書籍を訳し直した「重訂解体新書(文政9年・1826)」など。
また、天明6年(1786)に蘭学塾「芝蘭堂」を開き、門人には緒方洪庵の師匠である中天游もいる。
最後に、「民間備荒録(宝暦5年・1755)」を著し、民を飢餓から救った師の建部清庵先生についてもいずれ拙ブログで紹介したいところである。三賢人像 名所・史跡
-
大槻磐渓先生(享和元年・1801~明治11年・1878)は玄沢先生の次男で、儒学者。
仙台藩校・養賢堂の学頭まで務め、教え子には但木土佐や玉虫左太夫など幕末に仙台藩で重きをなした人物ばかり。
先生は当時としては異例の「親露・開国」を唱え、奥羽列藩同盟(慶応4年・1868)の結成に尽力されました。
先生の三男である、大槻文彦先生のご尊顔は逆光ゆえ、別のご尊像で紹介致す。 -
続いて、南へ3キロほど自転車をこいで「鬼死骸八幡神社」に参りました。
理由は先日頂いたマップにこの神社が記載されていたからです。
こちらの七五三縄が、どうやら鳥居の代わりになっているようです。
丁度頭を垂れる位置にあり、自ずと神に感謝できる仕組みがなかなか好感がもてます。 -
神社の解説板には「秦平5年・1059 源頼義により勧請」とあるが、康平5年(1062)の間違いではないかと。
拝殿の奥には、石造りの御本殿がある。 -
七五三縄の近くに、祠が。
「明治三十二年(1899) 六月廿七(二十七)日」と建立された日付もはっきりとしております。
「ばれきじん」と読み、馬屋の守り神です。
6本の腕をもち、上の手で刀を交叉させ、中の手にセキレイと猿を携え、下の手で馬の手綱を掴みます。
猿はブヨなどの害虫を食べてくれる存在だったそうです。 -
続いて、そこから南へ2キロこいで「祈祷三社」へ参りました。
動機は「真柴まちづくり協議会」の看板に引き寄せられたからですが。
正面にお伊勢さん、向かって左手に古峰さん(本社は栃木県鹿沼市で、火伏の神様)、さきほどの馬櫪神(ばれきじん)を祭ります。 -
そこからほどなくして「鬼死骸停留所」が見えてきました。
もともと国鉄バスと宮城交通の待合室だったみたいですが、現在はちょっとした観光案内所のような感じですかね。
スタンプやパンフレットもあります。 -
おわび
この度の争議により利用者の皆さまに多大の御迷惑と御不便をおかけいたし◯、申し訳ございませんでした。
茲◯◯しんでおわび申し上げます。
なんか国鉄がやたらストライキやっていた70年代を彷彿とさせる文言だな。 -
宮城中~会社まで解読できたから、おそらく宮城交通の前進である「宮城中央交通株式会社」かなと。
-
「駅ノート」ならぬ「バス停ノート」を発見。
ワクワクしながら拝見。 -
やっぱ'鬼'死骸だから、某アニメの影響ここにあり。
原作を知らぬ凡夫は主人公を「でんじろー」と思ったに違いない。
空気砲で退治できたら、それはそれですごい。
これは「でんじろー」じゃなくて「炎柱の煉獄さん」か~ -
こちらは胡蝶しのぶチャンというらしい。
コメ主は「全然似てない」と謙遜していたが、落書きの割には、なかなか可愛らしい。 -
私も足跡をいざ残さん。
露骨な宣伝と本音。 -
次は600メートル北進し、「あばら石」を見学。
案内板が3つしかなかったが、おそらく手前より「あばら石」「背骨石」「兜石(女)」「兜石(男)」なるはず。
兜に性別があるのか? -
そこから、ほどなくして「鬼石」を見学。
延暦20年(801)蝦夷の首長大武丸は坂上田村麻呂大将軍に討たれ、亡骸はこちらに埋葬され、大きな石で覆われた。
中央に二つ窪みがあるが、坂上大将軍が乗られた馬の蹄の跡とされる。 -
東北本線の線路をこえ、「明治天皇野立の碑」を見学。
明治9年(1876)、明治14年(1881)の東北巡幸の際、こちらで休憩されたとのこと。 -
建立は大正六年(1917)八月とある。
碑文を揮毫したのは岩手県令(在任 明治17年・1884~同24年・1891)も務めた石井省一郎氏。
盛岡市清水町に旧石井県令私邸が現存し、景観重要指定物に登録されている。 -
続いて、鹿島神社に参拝。
馬櫪神の祠近くに、菫が咲き誇っていた。
紫を出すため、やや暗めに撮影。 -
階段は同じ武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀る鹽竃神社ほどでないにせよ、急勾配。
-
創建は鬼石と同じく、延暦20年(801)坂上大将軍により勧請。
近代社格制度では村社。
御本殿はこちらも石造りである。 -
再び線路を渡ると、一本桜が!
集団で咲き誇るより、こちらの方が青空に映える。
いや~枝振りもいいね! -
そこより1キロ北進し、「豊吉之墓」が見えて参ります。
天明5年(1785)一関藩の医師16名が処刑された豊吉の遺体を解剖、東北では3例目の腑分けとなる。
建部清庵や大槻玄沢などの蘭学者を生んだ一関らしい史跡である。 -
さらに500メートル北進し、「岩手県交通 一関営業所」が見えてきます。
ナニゲに「キュービック」3台。
親会社の国際興業では平成30年に引退したらしいので、ついつい撮ってしまう。 -
そこからさらに1.7キロほど北進し、「一関八幡神社」にやって参りました。
影ですが、枝下桜が見頃だったので。 -
◎一関八幡神社の御祭神
第十五代 応神天皇
康平4年(1061)源頼義公・義家公が安倍貞任征伐のためこの地へ陣を敷いた際、合戦の祈願のため、伊勢の神宮と石清水八幡宮へ御使いを送ったところ、両柱よりお告げを賜り、八幡さまをお祀りした。
現在の御社殿は昭和48年(1973)の再建。
◎相殿 田村神社の御祭神
坂上田村麻呂公
元禄7年(1694)土山(現在の滋賀県甲賀市)の田村社の御分霊をお祀りした。 -
御朱印(初穂料三百円)はこちら。
「令和」の書体が独特、二社分で頂き甲斐があります。 -
続いて市街の田村町へやって参りました。
「日本基督教団 一関教会」
プロテスタントの教会で、1929年竣工。
とんがり屋根とアーチ窓が瀟洒である。 -
2007年、登録有形文化財に指定。
(03-0064号) -
その隣地にあるのが「旧沼田家住宅」
築300年といわれ、寛保元年(1741)より原田家に替わり、沼田家が居住していた。
沼田家は藩での序列3位の家老職で、実務上トップの時期もあった。
幕末の役料は三百石。旧沼田家武家住宅 名所・史跡
-
奥の上座敷にはお殿様が座られた。
「附書院」が特徴的で、いわゆる出窓構造の書院造といえる。
なので、板目の隙間から地面が見える。 -
沼田家の家紋は「花澤瀉(はなおもだか)」
第二代当主が選定。 -
平成12年(2000)~平成15年(2003)に行われた改修工事の痕跡を発見。
腐った部材はこのように次宛を施し、違和感のないよう焦げ茶の塗装も施されている。 -
上座敷より庭を拝見。
一見して「池泉式」と申したが、解説員さんより「枯山水」とツッコミが、恥ずかしや。
左より3番目の石のボツボツ感が瀑布を思わせる。 -
屋根は茅葺きであるが、下地15センチは「麻がら」とのこと。
麻薬にうるさい御時世、一般人立ち入り禁止であろう場所で、ごくわずかに栽培されているのみ。
これ自体雨にあたらず、茅は15年で葺き替わるのに対して、50年はもつ。
奥に映るのは「山桜」、解説員さん曰く「一週間ほど早咲き」 -
続いて「一関図書館」脇のC58 103号機を訪ねる。
亡き祖父曰く「昭和47年(1972)の引退時、レールを敷いてここまで運んできた」 -
製造銘板を確認、区名札「関」の旧字体が輝かしい。
※関=一ノ関機関区
昭和13年(1938)汽車会社製、新製配置は会津若松で、一ノ関にも在籍経験あり。 -
さて、ここで図書館脇に佇む、大槻文彦先生(弘化4年・1847~昭和3年・1928)について紹介。
磐渓先生の三男で、言語学者。
明治8年(1875)文部省より国語辞典の編纂を命じられ、妻子の死、自費出版を迫られるなどの困難にも見舞われたが、明治24年(1891)我が国初の「あいうえお順」の国語辞典「言海」を完成させる。
その後も増補改訂版である「大言海」の編纂に取り組み、完成したのは先生亡きあとの昭和12年(1937)。
その偉業は「広辞苑」の序文でも紹介されている。
祖父・玄沢先生の教えである「およその事業はみだりにおこすべからず、思い定めておこすことあらば、遂げずばやまじ(必ず成し遂げなければならない)」の精神を貫いた生涯であったといえよう。 -
自転車こぎっぱなしも疲れるので「Cafe Journal」で休憩。
アイスコーヒー(税込420円)は、同じスペシャリティーの豆を使っている小牛田「焙煎小屋 風舎」のアイスコーヒーに比べ、若干酸味がありますが、飲みやすいコーヒーです。
クッキー(180)も厚みがあり、ナッツとレーズンのハーモニーを奏でます。 -
お次は図書館の隣、一関文化センター敷地内にある「工学博士 阿部美樹志 顕彰碑」を見学。
博士(1883~1965)はコンクリート工学の第一人者。
東京~万世橋の鉄道高架(1919)を手始めに、西鉄・名島川橋梁(1923)、王子公園~阪急神戸の高架及び阪急神戸駅ビル(1936・駅ビルは95年の震災で倒壊)などの鉄道建築も手掛けた。
市内にも、一関町役場庁舎(1932)、一関小学校講堂、一関一高校舎(1960)の設計も手掛けたが、何れも現存しないのが残念なところ。 -
4時半をまわり、そろそろ帰宅したいところですが、ちょっと寄り道。
「N.S.Pメモリアルスポット」という歌碑を覗いてみます。
「N.S.P」は1972年に一関高専に在学していた、天野滋さん、中村貴之さん、平賀和人さんの3名で結成されたフォークバンドで、代表曲「夕暮れ時はさびしそう」が夕方の定時にかかります。
歌は、磐井川の堤防ぞいを題材にしており、それにぴったりなスポットですね。
なお、2019年3月より一ノ関駅の新幹線ホーム・発車メロディにも採用されております。 -
流れる時間は季節によって異なるみたいです。
私も一回聞いたことがありましたが、静かな曲の割に出だしから大音量でかかるので、若干ビビってしまいます。
ちなみにフルコーラスかかるので、興味がございましたら是非。
旅行記は以上になります、ご覧くださいまして誠にありがとうございます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Akrさん 2021/04/14 15:08:57
- 鬼死骸
- 毛利慎太朗さま
こんにちは。Akrでございます。
岩手の桜は仙台より1週間くらい遅いみたいですね。桜を愛でながらチャリンコ旅、お天気もよくていいですねえ。河原で花見酒でも!となる所ですが昨年に引き続き、NGですね。まさか1年経っても状況が変わらぬとはあの時、予想もできませんでした。
鬼死骸!
最強の地名です。ああ、うちの住所に欲しい。仙台市若林区鬼死骸。かっけえ。
というかバスの待合室、いいっすね。国鉄バスがいい。昔は仙台~築館とか4号線通って時折、町の中心部へ入ってトコトコ走ってましたね。宮城中央バス、ご存知なんですか?同名の貸切バス業者が加美町にありました(いまは廃業)が、それとは違って現在の宮城交通の前身会社のひとつですね。
NSPといい、大瀧詠一といい、岩手ゆかりのアーティストの楽曲が発車メロディになっていますね。先日、水沢江刺で初めて「君は天然色」のアレンジ聴きましたが、なかなかよかったですよ。
今年は一緒に蕎麦でも食いたいですね。
遠出ができませんが、GWに新田駅の木造駅舎を記録して来ようと思います。
-Akr-
- 毛利慎太朗さん からの返信 2021/04/14 16:14:51
- Re: 鬼死骸
- Akrさま、この度もコメントしていただき誠にありがとうございます。
まず、桜。
栗駒山も見える澄んだ天気に映えるピンクは最高ですね。
ちょうど休日に見頃を迎え、グッとタイミングでしたので、先週下見した鬼死骸地区の紹介もかねてupしてみました。
次に、鬼死骸、食いつきますね。
私はバス停名じゃないですが「比布」とか近くにあったら、速攻でネタ取材にいきます。
一関にもたしか「オーレン」という珍バス停が須川のほうにありますが、いつか行ってみたいです。
また、Akrさまの最寄り駅「六丁の目」も珍しいと思いますね、「の」が入っているところが。
続いて「宮城中央交通」ですが、おととし5月にくりでんの資料館にいったときに気がついて、ふと思い出した感じですかね。
またミヤコーの母体に「仙南交通」ってのもありましたが、同名の貸し切りバス業者が太白区にありましたね。
「なとりん号」に乗ったことがあるので、ふと。
続いて「ご当地発車メロデイ」。
都会ではワンギリ必須ですが、フルで聞こえるのが地方のいいところです。
水沢江刺の「君は天然色」さきほど拝聴しましたが、イントロとサビの部分が両方あり、GJ!です。
それに加え、岩手出身ではないものの、盛岡駅の小田さんの「ダイジョウブ」もなかなかですね。
岩手が舞台の朝ドラ、「どんど晴れ」の主題歌でしたね。
最後にいつか蕎麦呑み、ご一緒出来るといいですね。
新田駅の取材と、東海乗りつぶしの続編たのしみにしております。
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