2020/06/13 - 2020/06/14
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毛利慎太朗さん
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この旅行記のスケジュール
2020/06/13
-
電車での移動
一ノ関10:16→花巻11:06
-
車での移動
花巻南温泉峡無料シャトルバス(花巻駅15:25発)
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この旅行記スケジュールを元に
2020年6月13日(土)~14日(日)にかけて岩手県花巻市の鉛温泉・藤三旅館に泊まり、そのついでに花巻・盛岡市内を散策して参りました。
動機としては、まだ県境往来自粛ということもあり岩手県内でいいプランがないかと6月12日(金)の16:00まえにネットサーフィンしていたところ、鉛温泉がヒットし急遽思いついた旅でした。
それでは、ご覧ください。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
時処は2020年6月13日(土)9時47分の一ノ関駅改札口付近。
そこには沿線をモチーフにしたジオラマがあるんですが、あえてこの車両にツッコミを入れたい。
『カシ釜(カシオペア塗装)のパーイチ(EF81)と盛岡色と仙台色701系による”珍ドコ編成”』
実際の配給輸送でもこんな光景ありえなかったですよね。
あけぼのや北斗星、安中貨物牽引はあったけど。
なお、カシ釜のパーイチは2011年8月の99号機廃車をもってもはや過去帳入りとなりました。一ノ関駅 駅
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まだ時間的に早いですが、改札内で電車を待つとしましょうか。
このあべちうの立ち食いそば屋は全国でも珍しい『ホーム上にふきっつぁらし』の店舗です。
コロナの影響でこのように休業を余儀なくされておりますが、再開後はまた訪れてみたいですね。 -
2番線に吊るされている信号をみると『東京方』は分かるけど、『盛方』という表示を拝見し、平成23年3月11日より戻らぬ刻(とき)の重さを感じます。
(本年4月1日に気仙沼~盛間の鉄道事業が正式に廃止された) -
1番線ホームより、今度乗る東北本線・普通・盛岡行き4両編成の電車をパシャリ!
換気のため上部の窓が開いていました。
私が生まれた年(平成6年・1994)に盛岡~一ノ関間に投入された701系も登場からかれこれ満25年となるか。
幕も2017年にLED更新され、まだ使い倒す気満々なのであろう。一ノ関駅 駅
-
https://4travel.jp/travelogue/11627316
↑”中間先頭車を愛でる会会長”さまの旅行記に触発されてか、こんな写真を撮ってしまった。
これによるとAパターン。
やくも(381系)や、旧あずさ(E257系)、リゾートみのりみたいに”萌え度”はうすい峠のアプト式だけど、落語『長命(或いは”短命”)』の一節を思い浮かべてしまう。
『目と目があう、手と手が触れる、そしてウフフフフ♪~』 -
台車は構内に停まっていた同形式のものだけど、JR東日本ではお馴染みのボルスタレスですね。
川島冷蔵庫先生は福知山線脱線事故をこれが原因だといっているからな~
ボルスタレスに親を殺されたのかな、あの方は~
私は川島教の信者ではないが、この台車を見るとなんか見飽きたと感じる。
ダイレクトマウントとか、スイングハンガーだと「お~」と思う。 -
パンタグラフは交流なので、碍子の類がジャラジャラ。
209系をモデルにしてつくられたので、大型パンタです。
一ノ関~新白河では3種類のパンタグラフをもつ車両が見れるので、隠れた自慢となっております。
※大型パンタ=701系、下枠交差式パンタ=JR貨物のEH500(金太郎)と仙台車両センターのED75、シングルアーム=E721系 -
列車は701系2両どうしが連結して4両での運行。
東京方より2両目のクモハ701-1042の製造プレートは”川崎重工 平成8年”とありますが…
※平成8年=1996年 -
盛岡方先頭のクモハ701‐1015の製造プレートは”川崎重工 平成6年”とあります。
異なる製造会社故、何気に興奮する。 -
車内はこのような感じです。
私が初めて701系に乗った08年と比較して変わった点は方向幕以外に
一、制御機器がGTOもどきからIGBTに交換され「ウ~ウ↑~~ン、ポ~ンポォ~~ン♪」と唸らなくなった点
二、運賃箱と運賃表が新しくなった。
開閉ボタンは、仙台・秋田地区が大型化しているが、この地区は変更点なし。
さて、このロングシートに18きっぱーと北東パス利用者が果敢に挑んでいることを想うと、『修行お疲れ様です』と言いたいところです。
まあ、静岡ロング地獄(熱海~豊橋あたり)はトイレなしの211系なので、それに比べればまだましなほうです。 -
運転台はこんな感じです。
719系同様、縦横軸併用ツインレバー型マスコンで、ブレーキハンドルが201系と違って予めはまっています。 -
車窓は平泉~前沢間
栗駒山が見えます。
一関市民歌には”室根~栗駒~そびえたつ~♪”と出てきますが、専ら我々は”須川”と呼んでいます。 -
水沢~金ヶ崎間、焼石連峰を望む。
右手二つの突起は、経塚山と駒ヶ岳(写真右端)と思える。 -
村崎野11:01発。
屋根を支える柱が規則正しく並ぶ姿に好印象を覚える。
明日はこの駅を訪れようか。 -
11:06に花巻到着。
花巻駅は丁度500.0キロ地点に位置しており、2・3番線ホームにその目印が建っております。
若干ななめっておりましたが。 -
駅舎は昭和36年(1961)に建てられたもの。
2014年8月~9月に宮沢賢治先生の世界をモチーフにしてレンガ風に改装、ガラスに青色フィルムが張られた。
ここ1年の変更点としては、待合室にあった立ち食いそば屋と菓子屋が閉店。花巻駅 駅
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駅スタンプは2種類ありました。
まず、鹿踊りとSL、500キロポストがモチーフになったもの。 -
次にSL銀河と賢治先生がモチーフのスタンプ。
SL銀河タイプのスタンプはこの他にも、釜石、遠野、北上にあるあらしい。
状態としては車番の「C5823…」まで鮮明である -
花巻駅より歩くこと約1キロ。
お昼は宮沢賢治先生や高村光太郎先生が足繁く通われた”やぶ屋総本店”でお蕎麦を頂くとしましょう。
ちなみに賢治先生が好まれたのは”天ぷらそばとサイダー”という組み合わせ。
失礼ながら、水分でチャポチャポになりそうなので普通に天ざるといたそうか。やぶ屋総本店 グルメ・レストラン
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お蕎麦を待つ間”岩手方言集”なるものを拝見。
やんべな(頃合いな)、あぐど(かかと)、びっき(蛙)などはかつては違う領地であった一関でも使うな~、さすが岩手だから繋がっているというか。
”じょっぱり(強情っぱり)”なんかは南部のカタキ、津軽でも使われてるよな~やぶ屋総本店 グルメ・レストラン
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さてさて、お待ちかねの天ざる(税抜950円)を頂くとしますか。
お蕎麦は二八の挽きぐるみで茶色みがかっています。
一口何もつけずに手繰ると、殻に近い部分も挽いているのでそば茶のような香りがあり評価は上々です。
ただ、海苔が少々邪魔してすすりにくかったので、50円安い天もりでもよかったな~
お汁はもう少し辛いほうが、江戸っ子の舌にあうかな~
天ぷらはサクッと揚がっていてこれも上々、海老やイカもみずっぽくならない。やぶ屋総本店 グルメ・レストラン
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食後は”みんな大好きマルカン大食堂”で10段ソフトを食べるわけでもなく…
-
花巻郵便局へやって参りました。
今日は土曜日なのでゆうゆう窓口は午後もやっている。
見えないが写真右手が入り口。 -
モチーフは温泉と恐らく”雨ニモマケズ”の詩碑
詩碑は昭和11年(1936)市内桜町4丁目の羅須地人協会跡地に建てられたもの。
羅須地人協会とは、賢治先生が大正15年(1926)花巻農学校(現・岩手県立花巻農業高校)を退職後、周辺住民へ農業指導及び文化活動の場として設立。
その建物は現在、市内葛の花巻農高構内へ移築されており、無料で見学することができます。
なお、碑文の揮毫は高村光太郎先生がされました。 -
そのあとは鳥谷崎(とやがさき)神社を参拝致しました。
祭神は豊受姫大神(とようけびめのおおかみ)始め、六柱。
創建年は不詳ですが、天文5年(1536)当時の城主・稗貫氏が城内にあった鳥谷崎神社・稲荷神社・八幡神社を合祀。
このうち八幡神社は康平年間(西暦1060年頃)源義家公によって勧請され、正和2年(1313)吹張町より遷座されたとされる。
天正18年(1590)の稗貫氏領地没収後も、城代・北松斎公の崇敬厚く以後も城の鎮守とされた。
明治末期には八幡神社(さきほどのとは別)・金刀比羅神社・神明社を合祀。
明治以後は当社の祭礼として斎行される”花巻まつり”は、松斎公が出陣に際し観音様をまつり、戦勝を祈願されたのがはじまりとされ、現在は毎年9月第二金曜~日曜には高さ13メートルの山車がお囃子にあわせ運行し、鹿踊りやお神輿も練り歩きます。
(なお、本年はコロナウイルス感染拡大により中止)
社殿の特徴として南部氏の鎮守さまとあってか、向鶴と割り菱の家紋が棟(屋根の頂点)にあしらわれています。
割り菱というと武田氏を想像してしまいますが、武田、南部とも、源義家公の弟君である新羅三郎義光公の子孫であります。 -
神社南東口には花巻城の遺構である円城寺門が移築されております。
慶長19年(1614)頃、花巻城主・南部政直公が、和賀二子城(北上市)大手門を搦手(裏口)に当たる円城寺坂に移築したのが嚆矢(こうし)です。
当時は道路を挟んだ向かいの公園付近にあったようです。
明治2年(1869)廃城ののち、北上・福盛田家の屋敷門を経て、鳥谷崎神社境内へ移築。
太平洋戦争を挟み壁や門扉の損傷激しく、昭和36年(1961)現在地へ移築復元。
現在は市の有形文化財となっています(昭和35年指定) -
側面を拝見すると六角形の梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)が取り付けられておりました。
火除けの意味があります。
ここまでくると、もともと魚を模した原型が分かんなくなってきますが、これもシンプルな形状ではあるものの立派な”懸魚”です。 -
円城寺門から歩くこと450メートル”時鐘堂”を発見!
花巻市役所の向かいにあります。
建物自体は棟に”向鶴”があしらわれ立派ですが、花巻市指定文化財一覧を探してもこの建物の事は書いていなかったので、それではない模様。
↓一応リンク
https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/bunkazai/1002085.html時鐘 南部盛岡城楼鐘 名所・史跡
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鐘は正保3年(1646)に盛岡城の鐘として鋳造。
花巻城に移設されたのは、延宝2年(1679)のこと。
平成27年(2015)に岩手県有形文化財に登録。
総高119センチ、外径78センチ。
盛岡時代、鐘が小ぶりで響きが悪かったとのことでしたが、ズームするとその威厳あるたたずまいに驚かされます。時鐘 南部盛岡城楼鐘 名所・史跡
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時鐘より歩いて500メートル、場所は「ミツコ美容室」のあたり。
花巻電鉄の橋脚跡を偶然発見した。
エアコンの室外機がのっていて、これでも一応役に立っている。
この辺(西花巻~中央花巻間)は、昭和40年(1965)に廃線になった区間です。 -
そこから230メートルさきに”林風舎”があります。
1階が雑貨屋さんで、2階が喫茶店となっています。林風舎 グルメ・レストラン
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喫茶店の内装は落ち着いた感じで、アンティーク調。
木の深い色が、我々に”としつき”を語りかけているようです。
正面には賢治先生の肖像画が掲げられております。
林風舎の社長は、賢治先生の弟のお孫さんです。 -
席は入り口付近に腰かけましたが、その向かい側にはなにやら古いピアノがありました。
店員さんに帰り際聞いたところ「約150年前のピアノ」だそうで。 -
「ESTABLISHED 1843…MADE1930」とあります。
ESTABLISHEDとは確立した、納まってという意味があるそうです。
英文はド素人ですが、店員さんの話と照らし合わせると、ESTABLISHEDとMADEの年代が逆なようにも感じます。 -
ピアノの近くには”闘将”星野仙一氏のサイン色紙がありました。
筆の運びが力強い! -
ケーキセット(税込1100円)を頼みました。
コーヒーは観光地の喫茶店と見くびっていましたが、苦みが少なく、バウムクーヘンにトッピングされているナッツと一緒に食べると、珈琲の軽やかな香味が引き立ち、なかなかの一杯でしたよ。林風舎 グルメ・レストラン
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林風舎を出たのが14時30分まえ。
15:00発の県交通湯口線で鉛温泉へ行ってもよかったのですが、740円(障がい者は半額)払うのも馬鹿馬鹿しかったので、15:25発の花巻南温泉峡・無料シャトルバスを待つことに。
てっきりマイクロが来るのかと思っていましたが、立派な大型観光バスがきました。 -
15時41分頃、悠の湯 風の季(はるかのゆ かぜのとき)に到着。
古い名前で言うと”松倉温泉”です。
外来入浴と昼食営業は7月1日まで休業中。 -
15時43分頃、車窓から”ホテル志戸平”の立派な建物が見えてきました。
降車は3名ほどおりました。
最近バイキングレストランがリニューアルされたみたいですが、コロナゆえなかなか営業開始といかなかったというのをニュースで知りました。
どうやら7/23(木)グランドオープンらしいです。 -
15時49分頃、”山の駅 昭和の学校”通過。
旧花巻市立前田小学校を活用した施設で、校長(館長)が東北を約20年かけて、約20万点集めた”昭和アイテム”が展示されています。
(例えばホーロー看板や昔の家電製品、レコードや”ミゼット”など)
鉛温泉はちょくちょく行くのですが、なかなかこちらの施設には寄れていませんので、いつか行ってみたいところ。 -
15時52分頃、山の神温泉 優花苑(ゆうかえん)に到着。
旧名は幸迎館といいました。
宮大工が手がけた建物だけあって、雲肘木(くもひじき)が付いています。 -
でも、入母屋の下を見ると懸魚が付いていなくて、そういうところもこだわっていただきたかったな~と思うのは私だけだろうか。
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県交通・鉛温泉バス停前でハイエースに乗り換え、宿についたのが16時00分頃。
本館は昭和16年(1941)に建てられた総欅造り・3階建ての風格ある建物です。
こちらでチェックインをします。岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館 宿・ホテル
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ちなみに湯治部の外観はこんな感じです。
外壁はきれいに塗りなおしております。岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館 宿・ホテル
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客室は湯治部2階・16番へ通されました。
写真は客室前の通路で、この奥が炊事場・洗面所となっています。
まさに、つげ義春の世界といっても過言ではない湯治場独特の雰囲気が漂ってきます。 -
客室の内部はこんな感じで、トイレなしの縁側付6畳。
テレビ、布団類、茶道具、金庫とアメニティーは必要最低限です。
タオル類、浴衣、丹前、扇風機、暖房器具、冷蔵庫を借りるとなると別途料金がかかってきます。岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館 宿・ホテル
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炊事場の雰囲気も独特です。
今時期、泊まっている人のほとんどは食事つきプランなので、ここを利用している人はポットのお湯を沸かしたり、ここから借りたコップを洗った人くらいでした。
ちなみに2014年に訪問したときあった湯治部1階の売店は、フロント付近に縮小移転し、缶詰やカップ麺などが買えなくなったので、本当に自炊したい方は食料を調達してからお出かけください。 -
ガスコンロも10円を入れて回して使う古いタイプのものでした。
いまやなかなか見ないですね、こういうレトロな器具は。
使われなくなったら、先ほどの”昭和の学校”に展示されそうですね。 -
フロント脇には”海街diary”の主演四女優(綾瀬はるか・長澤まさみ・夏帆・広瀬すず)のサインが掲げられておりました。
どうやら、当館がロケで使われたみたいです。
映画は見たことがありませんが、普段隠している”ミーハー心”がこんなときにあらわれるものです。
まあ、フォートラの話題は多いに越したことはないですからね~ -
本館前の池には黒っぽい鯉のほか、こんな”珍客”が
チョーザメさんですか。
淡水でも泳げることに? -
館内を探検しているとあっという間に17時00分、部屋で夕食です。
旅館部の夕食(税抜1500円)にグレードアップするわけでなくて、普通に湯治部の夕食としました。
味もそれなりでしたが、お吸いは鱧で高級感があってよかったです。
ただ良くも悪くも”フライドチキン”のインパクトが強かったです。
皮目は冷めていてもパリッとしているのはいいのですが、これにビール・ロング缶と別途付けたすき焼き(税込2750円)を飲み食いすると少々もたれる感じがしました。
ハタチになりたての自分だったら、さらに350缶つけてもいけたとは思うけど、やはり年だな~(まだ20代なのに大丈夫か)
次回は普通に旅館部の夕食をつけようかな~、もしくは旅館部に泊まったりして。岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館 宿・ホテル
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肝心のすき焼きはこんな感じです。
肉はやわらかく、1枚1枚が大ぶりでグラマラスな味でした。
ただ、固形燃料の火力が弱くて、「グツグツと煮えたぎる鍋」でハフハフといかなかったのが残念です。岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館 宿・ホテル
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食後はテレビでお笑いを見て過ごし、9:00より貸切湯「銀の湯」が男湯になるというので行ってみました。
俗にいう”家族風呂”って雰囲気です。
体感42度で、鉛温泉の中では好きな浴場であります。
浴槽が小さいので、湯の入れ替わりも早く、鮮度もよさげです。
瀬見温泉・喜至楼も小さめの”あたたまり湯”があつめの適温だったことを考えるとやっぱり浴槽はちいさめの”家族風呂規格”がいいな~と思う今日この頃です。
ちなみにここと隣の”白金の湯”のpHは8.5です。岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館 宿・ホテル
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翌朝5時台に名物・白猿の湯も入ってみました。
このあと朝6時~7時女性専用時間となるので、行ってみねば。
底から自噴しているので、体感は41度とぬるすぎることもなくこれも適温です。
ただ浴槽が深いので、身長160センチ以下の方は縁につかまるなどのコツがいるかな~
でも立って入ったせいか、入浴後は血行が良くなったように感じました。岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館 宿・ホテル
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朝食も部屋食で朝7時からでした。
限られたご飯に対し、おかずは多めといった具合。
主菜をハムエッグか鮭、1つに絞ってくれたら有難いな~というのが個人の感想です。岩手 花巻温泉郷 鉛温泉 藤三旅館 宿・ホテル
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昨日の固形燃料の火力不足とはうらはらに、ハムエッグにはきちんと火が通りました。
半熟の卵にお膳の醤油をたらっとすれば、う~ん、これに勝る幸福はないでしょうに。
宿の写真はここまで、9時25分のハイエースで宿を後にし、花巻南温泉峡・無料シャトルバスに乗り換えます。 -
11:07 花巻
↓東北本線
11:42 仙北町
写真はとんで仙北町駅。
仙北町までの運賃は590円だったのですが、何を寝ぼけたのか花巻駅券売機で盛岡まで680円の切符を買ってしまった私。
今更ながら、発車まで30分くらいあったので、駅窓口に聞けばよかったな~と思った。
しかし過ぎたことを悔やんでも致し方なし、仙北町で駅員さんに「これどうしますか?」と言われたけど、潔く渡したとさ、でめたし、でめたし。
そんなことはさておいて、古いこ線橋と701系の新旧組み合わせをまず1枚!
奥にちらっと駅舎も映っていて、豪華3点セットといった具合です。 -
下車後「上り列車がきます、ご注意ください」となにやらスピーカが鳴ったので、貨物かな?と思ってカメラを構えると、盛岡11時42分発”はまゆり3号”が通過していきました。
あとでカメラを確認すると、キハ112形のトプナンであることが分かった。 -
ホーロー看板の白抜き文字がなかなかイカシますね~
国鉄時代にタイムスリップしたようだ。 -
駅舎は大正4年(1915)年の開業当時からあるとされる古い駅舎である。
盛岡から1.8キロと当時の鉄道院幹線の駅設置基準にしては短すぎるが、地元の有力政治家・原敬(盛岡市出身)の鶴の一声で設置が決まったとされる。
白亜の壁で気品あるたたずまい、切妻に回廊を巡らせたような造りで、一見入母屋にも見える。
なんか、出入り口の位置は左右逆だが、陸前山王駅に似てる。
www2.city.morioka.iwate.jp/archive/004/37815/37751/028815.html
↑盛岡市に出された意見書だが1か所間違いがある。
そもそも2014年時点で築130年ではなく、築99年。
↓参考までに
http://www.retro-station.jp/02_tohoku/senbokucho.html仙北町駅 駅
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写真は明治橋から望んだ岩手山。
山頂付近が雲に覆われているので、このあとの天気は”お察しください”
まァ~予想通りになりましたけど。 -
仙北町駅より徒歩19分で”いなだ珈琲舎”にやってきました。
ここに寄るためにわざわざ一ノ関と逆方向の列車に乗ったといっても過言ではありません。
官報発売所の近くと聞いていたので、その並びかな~と思っていましたが、そこを抜けた辻に赤い雨よけが目印の店を発見!いなだ珈琲舎 グルメ・レストラン
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マスターのお点前が見える特等席に腰かけます。
冗談交じりに「ブログに載せるんですか~、評判よく書いてくださいね~」とおっしゃっておりましたが、お世辞抜きで評価5とさせて頂きました。 -
コーヒー(kブレンド)とホットサンドのセット(税込1150)を頼みました。
まず珈琲はブラックで飲むとカラメルに似た苦さがあり、おもいっきりミルクを足すと苦味の角が丸くなってこれもまた善き哉(よきかな)いなだ珈琲舎 グルメ・レストラン
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次にホットサンドはキュウリのパリパリ感と薄焼き玉子のふんわり感がいいアクセントです。
いやあ~普通だとキュウリはパンの熱でしなっとなるかと思いきや、それを覆す旨さでした。 -
お次も寄りたかった喫茶店へ、「紅茶の店 しゅん」です。
「いなだ珈琲舎」より、800メートルで着きます。
外観はちょっと西洋風ですが、町家の雰囲気に溶け込んでいます。紅茶の店しゅん グルメ・レストラン
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2階席へ案内されたので、階段近くの2人掛けに腰かけると、壁や柱には”落書き”というか、”サイン”というか。
でも、絵かき歌のコックさんみたいで味がありますね~ -
それで頼んだのはダージリン(左・税込660円)とフール(330円)
ダージリンは春摘のものを使用しているこだわり様。
フレッシュな香りと、冷めたときに感じるさっぱりとした苦みから”紅茶のシャンパン”と謂われるのかな~
フールは生クリーム+梅ジャムのソースに、ピンクグレープフルーツをトッピングしたデザート。
ソースを多めにつけて食べると、あら不思議…高級食パンを思わせる芳醇な香り。
デザート自体結構濃ゆい甘酸っぱさで、我ながらお茶との組み合わせはよかったように思えた。紅茶の店しゅん グルメ・レストラン
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さて、腹ごなしに周囲をぶらぶら。
まず、「しゅん」の隣にある”長福院不動堂”を参拝。
17世紀に永福寺(下米内)の末寺として創建、宗派は真言宗豊山派であるが、天台宗の開祖・伝教大師が彫られた不動明王を本尊としております。
毎月3日と28日が縁日だそうで。
立派な仁王門で、木鼻が十二支になっております。
※木鼻=軒下の柱と柱が組み合わされたところについている、雲や動物をあしらった飾り -
仁王様は約300年前に運慶の系譜に連なる方が作られた。
明治の廃仏毀釈をのがれ、南部家の菩提寺である”聖寿禅寺”から移されたものです。
経年を感じさせない力強さ。 -
本堂は仁王門に比べ小ぶりな印象ですが…
-
賽銭箱付近の龍の彫刻に注目!
線が細かく表現され、今にでも動き出しそうな雰囲気です。
立派な仁王門に気をとられがちですが、こちらも負けず劣らず。 -
左の木鼻はフラメンコのごとく、牡丹を加えています。
宮城県美里町の山神社(やまのかみしゃ)の手水舎もこんな造りでした。 -
長福院不動堂より少し南進すると、わんこそばでお馴染みの”東家本店”のレトロな建物が見えてきました。
1階がベーシックな天ざるとかにしんそば、丼ものが食べられる食堂で、2階がわんこそば会場となっております。
2016年12月と、今年の6月27日の2度訪れました。
どちらも1階の利用だったのですが、わんこそば(2750円)を食べるくらいなら、板わさやだし巻をあてに1杯呑んで、そばを食べたほうが安上がりなのでたぶん今後も1階利用がメインでしょう。
1階には、さだまさし氏、春風亭小朝師匠、橋下徹・元大阪府知事、石塚英彦氏など著名人のサインが食卓とトイレの前にずら~っと並んでいるのでなかなか見ごたえあります。(ゆうに数は100を超えてます) -
東家から盛岡信金方面へ抜け、そこから北進すると”ござ九”が見えてきます。
本日は日曜なので定休日。
後日訪れてみると、竹製品を中心に扱った荒物屋のような店でした。
江戸後期~明治末期にかけて建て増しされた商家で、盛岡市の景観重要建造物に平成30年(2018)指定されました。北側から拝見すると、意外にもレンガ壁があって和洋折衷です。 -
そこから北進してほどなくの交差点に”紺屋町番屋”があります。
明治24年(1891)”盛岡消防よ組番所”の建物を、大正2年(1913)改築。
六角形の特徴的な塔屋は改築時につけられたもの。
平成17年(2005)まで消防団の詰所で、現在は盛岡市の保存建造物。
保存状態はペンキの禿が痛々しく、”平成32年度より改修工事”と張り紙がしてありました。
この交差点を少し西進すると”与の字橋”に出ます。
橋の名前も先ほど出てきた”盛岡消防よ組”の組頭がかけた橋だからだそうで。 -
次に”与の字橋”から中津川沿いを歩きますと、ひときわモジャモジャしたたたずまいの建物を発見。
”喫茶 ふかくさ”で、2015年9月にBSテレ東『空から日本を見てみよう+』のたまにやるコーナー『モジャハウス』で紹介されました。
1階のテラスに人がいたので河川敷から写真を撮りましたが、やはり迫力があります。
こちらも気になっていたので、6月27日に再訪しました。 -
中の橋まで歩くと岩手銀行赤レンガ館(旧盛岡銀行本店)に出ます。
バラは少々散っていましたが、SNSにupする分には問題ないです。
西洋のダブルコンボといいますか、ハイカラな気分にさせてくれます。 -
岩手銀行赤レンガ館は過去にクチコミで触れましたが、外観写真が正面ではなかったので改めてその雄姿をご覧ください。
建物は明治44年(1911)、盛岡銀行本店として竣工。
設計は東京駅(大正3年・1914竣工)と同じく辰野金吾博士と葛西萬司工学士(盛岡出身)によってなされました。
特徴はというと、赤レンガの外観とスレート屋根、花崗岩のボーダーやアーチがやはり東京駅にそっくり! -
その付近におかれているポストもこれまた一昔まえのもので、建物と調和しております。
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その次は先ほど素通りした盛岡信用金庫本店(旧盛岡貯蓄銀行)を改めて見学。
こちらは昭和2年(1927)竣工の建物で、設計は先ほどの葛西萬司博士の手によるものです。
鉄筋コンクリート製ではあるものの、パルテノン神殿を彷彿とさせる佇まい。 -
さてさて、盛岡信金より350メートル歩いて見えてきますのが”菊の司酒造”の酒蔵。
菊の司、七福神、平井六右衛門の三つの銘柄を造っております。
見学は土日休みですが、目的はここではありません。 -
その向かいにある”平興商店”です。
菊の司酒造の分家筋にあたり、今では珍しい”角打ち”
コップに日本酒を注いで飲ませてくれる店ですが、熱燗や、夏場(7~8月)は生ビールも飲めます。
若奥さんによると、今年は暑いので6月から生ビールを始めたとのことでした。平興商店 グルメ・レストラン
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入り口には「塩小売所」のホーロー看板、激シブじゃの~。
昔、塩は酒屋かたばこ屋でしか売ってなかったもんな~。 -
それで頼んだお酒が「菊の司季楽 純米爽酒 ひまわり(330円)」
グレープフルーツに似た酸とアルコール風味がストロング、さすが北国の酒。
呑むにつれ、麹の甘い香りもあり。
曇天の鬱陶しさに一筋の光が差したような爽やかさ、うん、気持ちよく酔えた!
さてそろそろ時刻は14時30分、これから15時26分の汽車に乗って村崎野駅を取材したいので、途中でバスを拾うか。平興商店 グルメ・レストラン
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与の字橋を渡って、ほどなくすると「岩手県公会堂」の裏手に出ました。
威厳あるたたずまいの塔屋を撮りたかったので、正面に回ります。
昭和2年(1927)に開館した県の集会施設で、当初は県会議事堂の役割も兼ねておりました。
平成18年(2006年)に登録有形文化財に指定。
設計は早稲田大学大隈講堂(昭和2年)や日比谷公会堂(昭和4年・1929)を手掛けた佐藤功一博士。
群馬、滋賀、栃木などの県庁舎も手掛けた方なんですね~ -
公会堂の脇には、”平民宰相”原敬(安政3年・1856~大正10年・1921)の銅像がありました。
没後30年にあたる昭和26年(1951)に県議会や盛岡市などにより設置されたものです。
作者は本山白雲氏、桂浜の坂本龍馬像を製作した方として識られております。
ここで、簡単に経歴を一つ
盛岡藩家老の血筋に生まれた原は、新聞記者、外交官、農商務省高官を経て、明治28年(1895)~翌29年まで外務次官を務める。
明治33年(1900)に立憲政友会幹事長、明治35年より衆議院議員、大正3年(1914)より西園寺公望公の跡を受け同党第3代総裁、大正7年(1918)より第19代内閣総理大臣となる。
(議員と総理・総裁職は没するまで継続)
次に首相時代の政策は以下の通り。
一、地方の隅々まで鉄道網の整備を訴える。ただ手法が我田引水的で、仙北町駅の件とか、大船渡線が摺沢経由に曲げられたり、山田線のように閑散区間に鉄路をひいたりといろんな弊害も発生した。(原に限らず立憲政友会の多くがそうであったというか)
一、高等教育の普及に尽力。大正7年(1918)旧制高等学校(いまでいう大学)などの設置法が成立、大正9年には早稲田や慶應義塾などの私立大学も正式に”大学”と認められる。
一、大正8年(1919)台湾総督に文民(非軍人)の田健治郎を任命。以後、昭和11年(1936)まで文民総督が続く。台湾総督とは当時日本の領土であった台湾を統治するために置かれた機関のトップ。
一、外交では英・米・中華民国との協調を掲げ、大正9年(1920)に国際連盟入りを果たす。
一、大正8年(1919)に衆議院選挙法を改正し、それまで納税額10円以上の男子という条件を納税額3円の男子に緩和。ただ普通選挙(納税額に関わらず25歳以上の男子全員に選挙権を付与)には否定的。
※大正時代の1円=現在5000円ほど
一、大正10年、皇太子裕仁親王殿下(のちの昭和帝陛下)の欧州(イギリス・フランスほか)御行啓に尽力。
一、大正10年からワシントン軍縮会議に出席した加藤友三郎海軍大臣の業務を代行
最後にまとめて
鉄道整備や普通選挙に否定的な点は原の汚点であるが、その点に目をつむっても元老(特に山縣有朋公)と対等に渡り合う人材を失ったのは、日本における大損害でした。
当時の天皇側近も「元老は西園寺公をもって種切れ、ただし原がいれば別だが」とおっしゃっていたくらいですので。 -
そのあと中央通二丁目でバスに追いつき、盛岡駅へは14時50分まえに到着。
盛岡駅前滝の広場付近に朗らかな筆跡で『もりおか』と記したのは歌人・石川啄木である。
盛岡市・渋民で幼少期を過ごし、そこに記念館がある他、中ノ橋通には”もりおか啄木・賢治青春館”、中央通三丁目には”啄木新婚の家”がある。
啄木の歌は「東海の小島の磯の~」など暗い歌をどうしても連想してしまいますね。
「働けど働けど猶(なお)我が生活(くらし)~」も暗い歌ですが、歌った本人は放蕩三昧で妻子などを困らしたので、「あんたにいわれたかねえよw」って気分になりますがね。
私個人としては、昔不二家の1リットル牛乳パックに書かれていた「ふるさとの山に向かひて言うことなし~」や上野駅の歌碑でお馴染み「ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の~」のような純朴な歌がよいですね。盛岡駅 駅
-
またその付近には新渡戸稲造博士の銅像がありました。
5000円札の肖像でお馴染みでしたよね。
作者は許文龍氏、”台湾の松下幸之助”と呼ばれる方です。
新渡戸博士と台湾のつながりはというと、明治34年(1901)後藤新平・台湾総督府民政長官(総督府の行政トップ)に招聘されて、砂糖の量産化に成功した方として識られております。
また後藤民生長官も、台湾のインフラ(水道や道路等)整備、阿片や風土病の撲滅に力を尽くされており、許氏が銅像を造られております。
まだコロナが流行していることもあり、お姿もマスクで口を覆われております。 -
時間がまだあるので駅スタンプ調査と参ります。
南改札付近のスタンプのデザインはこの通り。
このパターンは初めて見ました。
E5系とE6系、新幹線の主力車両そろい踏みって感じですね。
台紙にkenji(JR最後のキハ58、2018年9月に引退)が描かれているのが盛岡支社らしいですが、晩年の塗装は水色だったので、なんか(・・?っていう気持ちです。 -
続いて北改札も調査。
このデザインは2008年(私が中学生)くらいからあるものです。
縁のすり減りが激しいので、”押し鉄”はお早めに。
その他にも2F・北みどりの窓口付近には「ハート型のスタンプ」が、1F・IGR岩手銀河鉄道改札付近にも「石垣のスタンプ」があるので是非。 -
そのあとフェザンで少々買い物をし、15:26発の北上行きに間に合いましたとさ。
乗った車両はクハ700-1042、土崎工場製です。 -
15:29 仙北町発
さきほど降りた仙北町の駅舎を列車の中から撮ってみました。
屋根のトタンが一部錆びて陸前山王駅同様に痛々しいですが、末永く残って欲しいものです。 -
15:36ころ 盛岡貨物ターミナル駅通過。
写真では初紹介ですが、HD300です。
何号機かぼやけてわかりませんが、所属は新鶴見機関区だそうで。
私にとっては入れ替え用DE10を追い出したカタキみたいなもんですが、その姿を知ることも重要です。
まあ~凸型が継承されてなによりといった点もあるけどもね。 -
15:38 矢幅発
なお、所在町名は「矢巾」です。
いつのまにか「矢幅」の下に(岩手医科大学前)という文字がついたのやら。
これって、副駅名?
ちなみに矢巾キャンパスは平成19年(2007)竣工し、以降、医学部・歯学部基礎課程及び大学病院も移転してきています。
(ただ盛岡市内丸の旧病院も一部診療科を残し”内丸メディカルセンター”として活用されている) -
15:49 日詰発
駅舎は昭和61年(1986)竣工。
表側に三角屋根がついていて、瀟洒な感じである。
山ノ目や真滝みたいな簡易駅舎とは違い、そこは有人駅といったところでしょうか。
平成30年にみどりの窓口が紫波中央駅に移転し、かつての急行停車駅の面影いずこ?
だが、2面3線のホームも健在で、当駅始発・終着の列車も存在する。 -
15:54 石鳥谷発
駅舎自体は古い木造のもの。
酒造りの南部杜氏ゆかりの地ということもあり、駅舎は平成22年(2010)以降”蔵造り風”に改装されました。
↓改装前の駅舎はこんな感じです。
https://ameblo.jp/tophamhat6569/entry-12494520760.html -
15:59 花巻空港”駅”発
かつての二枚橋駅(昭和63年・1988に改称)
いわて花巻空港ターミナルまで徒歩50分の『エセ最寄り駅』である。
実際は釜石線・似内駅のほうが近かったりします。
駅舎も信号所からの昇格時(昭和7年・1932)からある木造駅舎。 -
花巻空港~花巻間
雑穀の産地という事もあり、キビ畑(あるいはヒエ畑)が広がります。
昨日のバスの車中よりもこういった畑を目にしました。
麦なんかは米の裏作の印象があります。
しかし、裏作にしては遅すぎるので、たぶんこれは休耕田の活用かと思えます。 -
16:11 村崎野着
昨日はホーム側から駅舎を撮ったので、ロータリー側から撮ってみる。
ホーム側の印象とうって変わって平面的である。
この頃より雨がザーザー降ってきました。村崎野駅 駅
-
駅舎内はこんな感じです。
コの字型の木製椅子がなんとなく郷愁を誘う。
座り心地として背もたれは硬すぎであろうし、座高が余りそう。 -
16:22頃”上り列車が参ります”と接近放送があり、急いでカメラを構えると金太郎(EH500)の14号機が通過していきました。
11時前花巻駅で13号機を見たので、奇遇というか。
この旅で唯一まともに撮れた”金太郎”です。 -
駅舎が平面的でやや残念だったので、最後は柱の立体感を写真に収めて帰りました。
誰でも撮れる構図ですが、なんとなく映えますね~
この後は16:50の一ノ関行きで無事帰着しました。
旅行記はこれまで。
ご覧くださいまして、誠にありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- ラムロールちゃんさん 2020/09/10 20:56:21
- お邪魔いたします
- 毛利慎太朗さま
私の仙台旅行記をたくさんお読みいただきまして、ありがとうございました!
海外へ行けないので、国内旅行にシフト、そうなると、つげ義春的世界は大好きなので、鄙び系温泉が気になる…
という感じで、この頃温泉へ行き始め、旅行記も温泉のものを読み始めました。
でも、鉛温泉は、知りませんでした。
底から自噴で、立って入る温泉なんて、面白いですね♪
私156センチちょっとなので、まさに、縁につかまらないと。
岩手県は、修学旅行で平泉へ行ったきりですが、いつかゆっくり行ってみたいと思っていますので、いろいろ参考にさせてくださいませ。
今後ともよろしくお願いいたします。
ラムロール
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/09/11 17:16:28
- 温泉の旅が早くできるよう祈ってます。
- ラムロールさま、返信が遅れまして誠にすみません。
また、この度はコメント頂きましてありがとうございます。
昭和の喫茶店についての旅行記もなかなかよいですね、続編期待しております。
なかなか岩手周辺にすんでいると自分の期待に添えるような『エモい』ような喫茶店に出逢えませんね。
大阪で言うと難波『アラビヤコーヒー』や京都『フランソア喫茶室』が行って良かったなあ~と最近回想しております。
神保町の『さぼうる』も捨てがたいですね。
わが一関にも『ベイシー』というジャズ喫茶があり、タモリの落書きがあるとのことですが、行った母によると『1000円でカキピーとコーヒーor紅茶orビール』で『ジャズが鼓膜破れそうなくらいガンガンかかっている』とのことでしたので、敷居がたかいというか、なかなか勇気がいりますね、なんせジャズ素人なので。
次に仙台の旅行記の内容について感想申し上げますか。
高友旅館は一回だけ日帰りで訪れたことがあります。
名物の黒湯は激熱で、なかなか入るのに勇気がいり、30秒×3回くらいでギブでした。
お湯の香りは、キャベツをゆでたような臭いがして、よく『油臭』といわれていましたが、あまり感じませんでしたね。
『早稲田桟敷湯』に近い感じですが、あちらは循環してるので、泉質としては高友のほうがいいのですが、熱さは早稲田桟敷湯の41度くらいが好みですかね。
あと、黒湯以外にも『ひょうたん湯』だったかがありまして、こちらは40度程度のぬるめで、黒湯でどっぷりかいた汗をさらっと流せて良かったなあ~と回想しております。
旅行記を拝見してますと『年期のクモの巣』や『水道から赤さび』と出てきたので、ちょっと宿泊には勇気がいりそうですね。
対して『旅館大沼』は女性むけでいきやすそうで、男性の私もいってみたいと思わせる内容でした。
お湯も東鳴子特有の黒っぽいお湯や透明なもの、メタケイ酸が豊富なものまで千差万別。
鉛温泉も4ヵ所浴場がありますが、お湯の色が違うというのはないので、その点はいいなあ~と思います。
ちなみに、鉛温泉は浴槽が『白猿の湯』以外は脱衣室含めリニューアルされていて、日帰り利用でも居心地が良いです。
湯治場の雰囲気に浸りたければ『白猿の湯』、湯の花のうかんだお湯に入りたければ『白金の湯』、あつめのお湯なら『銀の湯』、いつでも入りたければ露天下段の湯以外は温めの『桂の湯』と言う具合ですか。
全部透明なお湯ですがなかなか奥が深いです。
客室は趣があってそこまで汚くないのですが、料理はちょっと野菜が多ければ良かったかなあ~というかんじでしたね。
安いので文句はいえませんがね。
鉛温泉もいいですが、同じ市内の大沢温泉はまだいったことがないですね。
あそこは湯治部に食堂があって3食食べれるので、いつかいってみたいと思います。
でも、こないだおみくじをひいたら『旅は当分しないほうがいい』と出たので、皆さんの旅行記を拝見して、次に備えようかなと思います。
- ラムロールちゃんさん からの返信 2020/09/12 16:09:41
- ありがとうございます
- 毛利慎太朗さま
こんにちは☆
他の旅行記もたくさん読んでくださって、ありがとうございました!
私もフォローさせてくださいませ。
純喫茶情報も、ありがとうございます。
「アラビヤ」も「フランソア」も「さぼうる」も、知ってはいるものの行ったことはありません。
純喫茶って、閉店するところも増えているので、行きたいところには早く行かないととは思っているのですが。
…それにしても、鼓膜が破れそうなくらいのジャズって(*_*;
なんだか、トリップできそうな気がします…。
高友旅館、いらっしゃったのですね。
黒湯、そんなに熱かったんですか!
温泉は生き物と言いますが、本当ですね。
その時々で、違う顔を見せる…
大沢温泉も、チェックしてみました。
湯治部の調度品とか、良い感じですね。
県内にいろいろと良い温泉があって、羨ましいです。
ラムロール
-
- nankoさん 2020/07/17 14:19:25
- 花巻温泉!
- 毛利慎太朗さん、こんにちは。
大沢温泉や藤三旅館の湯治部が気になってたので参考になりました。
行くなら母子旅なので湯治部で大丈夫かと悩み中ですが(^^;)
藤三旅館の白猿の湯のビジュアル、やっぱり素敵ですねぇ。
自噴の温泉なのでいつか入ってみたいです。
息子はこの前CMで志戸平のビュッフェを見て、
「ヒカリノモリに行きたい!」ってなっちゃって困りました…。
早く忘れてくれないかな。
1人なら街歩きもしてみたいです。
でも実際行くとしたら宮沢賢治童話村あたりでしょうね。
私の旅についてきてくれる息子様のご機嫌をとらないといけないので。
今はコロナで隣の県でも気軽に行きにくい状況ですが、
様子を見て、行けそうなときはぜひ遊びに行きたいです。
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/07/17 16:54:40
- Re: 花巻温泉!
- nankoさま、この度は拙書を参考にしてくださいましてありがとうございます。
赤這温泉阿部旅館の旅行記、興味深く拝見させていただきました。
あそこも丁寧な家庭料理なのでいつかいってみたいな~と思っていたところです。
(いっぺん日帰りで、濁り湯のほうだけに入ったことがありました、体感温度42度くらいでなかなか入りやすく、鉄の臭いが温泉らしいというか。)
刺身や焼き魚、ほやも美味しそうで、山あいの旅館だと山のものが食べたくなるのが普通ですけど、あの新鮮な食べなれている三陸の幸を拝見しますと心もホッとしますね。
ほやはきっと森民酒造のお酒にあったことに違いないでしょうか。
さて、鉛温泉湯治部の食事としてはフライドチキンがある点は子供むけであるし、蕗の煮物がある点は大人向けですかね。
なんか中途半端というか、おもいっきり大人向けにしてほしい感じですかね。
あと、野菜や地の幸がもう少し多くてもいいかなと思います。
なので次回は旅館部に泊まりたいと決意し、今週末18日から19日に泊まりにいきますが、これは旅行記にあげる予定がなく、食事をフェイスブックにでもあげようかな~と思っているくらいです。
むしろ、お子さま連れなら大沢の湯治部のほうがいいかもしれませんね。
あそこには食事どころ『やはぎ』がありますんで、好きなものを食べれそうですね。
ただ大沢はインターネット予約するとき、休前日は予約できない模様でしたので、直に問い合わせるしかないのかな~とか、日月と泊まるしかないのかな~といつも思います。
次に童話村へは車で向かわれるんですかね?
もしそうならその方がいいかもしれません。
花巻駅からのバスも数えるくらいしかないのでね。
もし歩かれるなら新花巻駅から30分ほどですかね。
あとシャトルバスは新花巻駅始発なので、童話村や賢治記念館、花巻博物館などと絡めるのはアリかもしれません。
あそうだ、そうだ鉛温泉の浴場についても話してなかったですね。
白猿の湯は血行が良くなるのでお勧めできます。
自噴なので温くなることもなく、41度ほどのほどよい温度を保てています。
白猿の湯もいいのですが、銀の湯もいいですね。
本来は貸しきり湯(旅館部の客が500円で利用できる)で、午後9時から朝3時まで男性時間帯。
確か女性時間帯は朝6時から午後3時だったような気がしますけど、ここも熱めで湯の入れ替わりが早くてお勧めできます。
おっと駄文を長々と失礼しました、コロナが落ち着いたら是非とも岩手県へお越しくださいませ。
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/07/17 17:08:43
- Re: 花巻温泉!
- 追伸、先ほど志戸平のビュッフェのCMみました。
あれなら息子さんもいきたくなりますよね。
志戸平も朝食付で06年に泊まったことがありますが、うろ覚えですね。
旧館にとまったので、客室はそれなりに陳腐な気もしました。
浴場はそれとうって変わってきれいで、露天風呂から渓谷の新緑が見えて癒された思い出もあります。
あれから14年たちましたが、内装はどれくらいリニューアルされているか気になります。
-
- Akrさん 2020/07/16 20:51:11
- 充実した県内移動ですね
- 毛利慎太朗さま
こんばんは。Akrでございます。
いやあ、毛利慎太朗さままで中間先頭車にご理解を示していただくとは。おまけに私の拙い旅行記までご紹介いただき、恐縮でございます。
県境を跨ぐ移動自粛。
特に岩手県は感染者が出ていないのでなかなか思い切った移動が出来ませんね。でも県内でこれだけ楽しめる岩手県。ある意味凄いな。温泉もいっぱいあるし。
701系の盛岡車。一族の中では一番好きですね(車内設備はどれも同じですが・・・)
帯が紫で引き締まるのと青系の椅子がさわやかです。更新前のインバータ音良かったですね。209系とかと同じヤツ。段階踏んで音階が上がるのが心地よかった(変態です)
花巻のやぶ屋はわんこそばの老舗でしたか。
そうそう、天ぷらそばとサイダーって超絶合わないと思うのですが当時はサイダーは高級な飲みものだったのでしょうか。
そして鉛温泉へ行かれたのですね。南花巻温泉郷は志戸平、渡り、新鉛と大きなホテルが多いですが、やはり鉛は別格ですね。湯治場の雰囲気がめちゃくちゃあって風情があります。自炊してのんびりしてみたい。
こうして見ると、岩手県内の東北本線の駅は味がある駅が多いですね。仙北町、村崎野。陸中折居のこ線橋も好きだし、花泉のホームにある電気が付く縦型の駅名標とか。
仙台支社管内はどんどん駅舎が建て替えられて味も素っ気も無くなりました。今度、18きっぷで駅めぐりもいいかなあ。なんて思ってしまいました。
最後に、これだけ移動しても実は一ノ関~盛岡間という実に充実した旅でございました。
失礼しました!!
-Akr-
- 毛利慎太朗さん からの返信 2020/07/16 23:41:03
- Re: 充実した県内移動ですね
- Akrさま、どうもお久しぶりです。
この間はクチコミにたくさんのいいねありがとうございます。
そして、当旅行記にいいね及びコメントまで寄せていただいて恐縮です。
Akrさんの中間先頭車や頭端駅の記述は私のようなにわかファンにでも分かりやすい記述で『旅行記を投稿できなければ人脈を使って写真を集めれて、投稿すりゃいいじゃん』という逆転の発想には、すごいというか鉄道ファンの意地を感じました。
私には鉄道ファンの横の繋がりが薄いので、そういうことはできませんので、もうただただすごいとしかいえませんね。
頭端駅や中間先頭車は車両に比べ隙間産業ですが、何気ない光景でもこれからはご馳走に感じました。
私が写真で残している中間先頭車は他に、リゾートみのりと八戸線のキハ48と40の組み合わせ、快速はまゆりぐらいなもんで、もう恥ずかしいくらいです。
八戸線のキハは盛岡の赤鬼色がちょっと顔を出していてまたそれがいいんですけどもね。
次に701系のインバータ音ですが、前の方が良かったと私も思います。
だから変態などとおっしゃらずに堂々としてればよろしいかと。
あのインバータ音はIGBTのものに比べ再現しやすく、耳馴染みするので好きですね。
吊り掛けもいいけど、そのつぎくらいに好物ですね。
第三にやぶ屋の天ぷらそばとサイダーの話ですが、やぶ屋のHPを見ると賢治先生が通われていた頃はかけそば6銭、天ぷらそば15銭に対してサイダー23銭したのでやはり高級品だったのではないでしょうか。
(ちなみに当時の賢治先生の月給は80円=現在の価値で40万くらい)
戦前のの1円価値=5000円としても23銭は1150円くらいなのでまあ今の価値にしては高級品でしょうね。
第四に鉛温泉ですが、ここも賢治先生の作品『なめとこ山の熊』や田宮虎彦の『銀心中』の舞台にもなっている由緒正しい温泉地です。
大沢温泉同様湯治部もあり、古きよき佇まいを残しており、湯治部はまるでつげ義春の世界そのものといったら具合ですね。
温泉も厳選かけ流しで、効能も折り紙つきといったところ。
温度も41度から42度ほどで入りやすく老若男女むけですね。
ただ自炊部の食事はちょっと重くて安っぽいなといった印象で、次は旅館部の食事に格上げしたいところです。
自炊にお出掛けの際はくれぐれも食料を忘れずにといいたいですね。
第五に木造駅舎の旅もいいものです。
こちらを投稿されてるフォートラベラーの方も少ないので、隙間を埋めるような形で私も投稿している感じてすかね。
私個人としても昨年9月に品井沼や12月に原宿駅の姿をとらえることができて良かったなあ~と思っています。
品井沼は経年劣化ゆえしかたないけれども、原宿は文化財級の価値があるのに取り壊すのは解せませんね。
けれども国立駅の三角屋根が今年帰ってきたのでいつか取材してみたいものですね。
おっとぐだぐだと長くなってすみません、なにはともあれご覧くださいましてありがとうございました。
そして、おやすみなさい。
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