2020/11/30 - 2020/11/30
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FUKUJIROさん
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平安京創生館は、京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)の中にあります。
館内には様々な展示がありますが、平成6年に平安建都1200年記念事業の一環として制作された平安京復元模型は圧巻です。平安京(東西4.5km、南北5.2km)を縮尺1/1000で復元しています。
ただし、この模型は400年間をひとまとめにしているので、平安初期の平安宮(大内裏)、中期の中心部、後期の辺境部が同時に再現されています。
また、国宝「洛中洛外図屏風(上杉本)」の陶板壁画レプリカも必見です。織田信長の命を受けて狩野永徳が描き、上杉謙信に贈られたと伝わるもので、応仁の乱から100年後の復興した京都の街並みや暮らし描かれています。前日の、千本ゑんま堂大念仏狂言も描かれているのですが、見つかりませんでした。
1日目:京都府宮津市へ直行し、街歩きをしました。
2日目:天橋立を観光して、京都市内へ移動。
3日目:京都市内を観光。
4日目:トロッコ列車に乗り、嵐山を散策。京都市内を観光。
5日目:宇治を観光。
6日目:市内を観光後、帰宅。
コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過してから旅行記を公開しています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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-
帷子ノ辻駅前からバスに乗り、丸太町七本松で降車するとすぐでした。
京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)。 -
入り口の横にありました。
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1階に京都市平安京創生館があります。平成18年に開館しました。
この展示内容で、入館無料だなんて感謝しかありません。 -
源氏物語車争図屏風複製(部分)。
いきなり通路の壁にありました。本物は、京都市歴史資料館蔵です。 -
平安宮復元図。通路の壁に展示。平安宮は、平安京の北辺にあって、天皇の居所である内裏と国の様々な機関が集まっている場所です。
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平安宮造酒司跡の説明。
説明を読んでいたら、この場所が跡地だったことに気づいて、慌てて外に出ました。 -
正面が京都市生涯学習総合センターの入り口です。
造酒司(みきのつかさ)は、朝廷が使用する酒や酢を醸造していた役所で、遺構を平安宮造酒司倉庫跡として残しています。 -
平安京造酒司倉庫跡。●印が柱の跡です。
東国の土着民は、歴史に憧れているのです。 -
平安京造酒司倉庫跡の人、説明書き。
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発掘調査の際に出土した資料のうち、平安初期の土師器や須恵器など25点が展示されています。
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別の場所から出土した瓶。
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平安時代の暮らしと文化・体験コーナー。
囲碁(いご)・盤双六(ばんすごろく)・貝合せ(かいあわせ)・偏継(へんつぎ)。平安貴族の遊び道具でした。
コロナ禍のため、体験できませんでした。 -
法勝寺復元模型。1/100模型。
平安時代の終わり、今の京都市左京区岡崎一帯には「勝」の字を含む六つの寺が相次いで建立されました。
その代表が、承暦元年(1077年)に白河天皇が造営した法勝寺でした。 -
法勝寺復元模型。法勝寺には有名な八角九重塔が建てられていましたが、発掘調査で現在の岡崎動物園の観覧車下からその遺構が見つかりました。
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法勝寺復元模型。永保元年に建立された八角九重塔は、高さ81mでした。
現存する東寺の五重塔(寛永21年(1644年)に再建)が、高さ56mですから、その巨大さがわかります。 -
法勝寺のCG復元図。
太陽が眩しいほどに輝いています(笑)。 -
京都市立高倉小学校の土層断面。
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1200年も人々の生活が続いた都市は世界的にも珍しく、異なる時代の層が幾重にも重なっています。
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鴟尾(しび)の復元模型。高さは1.5m。仏教伝来とともに入ってきた棟飾で、宮殿や寺院の屋根の両端に飾られました。
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豊楽殿発掘調査の際に鳳凰の顔部分が出土したことから、大きさを推測し、約800度で素焼きした瓦に緑釉の古色を塗装し、実物大に復元したものです。
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東西4.5km、南北5.2kmの平安京を1/1000で再現しています。
中央手前に羅城門、その先に朱雀大路、平安宮へと続きます。
朱雀大路の道幅は、84mであったと伝えられています。朱雀大路の跡は、千本通となって今に残りますが、広いところで幅員25mです。 -
朱雀大路を挟んで、右京の西寺、左京の東寺があります。羅城門の前の道が九条通です。平安宮の朱雀門や神泉苑も見えています。
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鴨川の流れ。鴨川の左岸にある細長い建物は、平安後期に後白河上皇が創建した蓮華王院 三十三間堂。その南側には大きな池がありますが、現在の京都市東山区今熊野池田町です。
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法勝寺から西を俯瞰。中央の道が二条大路。白河の六勝寺がすべて建立されていた頃の様子が見えます。
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嵐山から東を俯瞰。手前から右へと桂川が流れています。
手前、桂川の左岸に天龍寺が見えます。1日中見ていたいです。 -
豊楽殿の1/20模型。豊楽殿は、外国の使者を迎えての宴会や大嘗祭など、国家的饗宴を行う施設である豊楽院の正殿として建設されました。
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東西約46m、南北23m。朱塗りの柱と白壁の華やかな唐風の大建築です。
屋根の両端には、緑釉の鴟尾をのせています。 -
人形の模型と比べると、相当大きな建物だとわかります。
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平安京創生館を後にして、千本丸太町交差点に来ました。
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この辺りが、大極殿(だいごくでん)跡のはずです。
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地面に大極殿跡とタイルが埋め込まれていますが、これでしょうか。
大極殿は、大内裏(平安宮)の朝堂院北端中央にあり、殿内には高御座が据えられ、即位の大礼や国家的儀式が行われた建物です。 -
ネットで探して見つけました。
路地の先に小さな公園がありました。 -
子供達が遊ぶ内野公園。
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大極殿跡の碑。平安奠都1100年を記念して建てられた石碑ですが、本当の大極殿跡はここではなく、先ほどの居酒屋さんでした。
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大極殿跡の碑。
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大極殿跡の碑(裏面)。明治28年10月22日。
平安神宮の外拝殿は、大極殿を模して5/8で建設されたものです。 -
交差点の反対側に地図がありました。
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出世稲荷神社跡の碑。千本丸太町交差点から千本通りを南に歩いて数分です。
天正15年(1587年)に豊臣秀吉公が聚楽第を造営するに際し邸内に勧請しました。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸した折りに秀吉公に因んで「出世稲荷」の号を授けたといいます。寛文3年(1663年)、この地に遷座し、江戸時代後期には庶民が寄進した300本を超える鳥居が立ち並んでいました。
平成24年6月に大原に移転しました(三千院から徒歩約5分)。 -
此附近 平安京大内裏 朱雀門址の碑。出世稲荷神社跡の碑からさらに歩いて2、3分です。
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平安京大内裏(平安宮)の朱雀門は、この碑が立っている場所より北へ200mほど離れていました。どうも出世稲荷神社跡の碑が建っている辺りに朱雀門があったようです。
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承元2年(1208年)9月、火災により焼失。翌年再建されたものの構造的欠陥からか建暦元年(1211年)に自然倒壊し、朱雀門は二度と再建されませんでした。
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地下鉄に乗るため二条駅まで歩きました。
別の日に写した二条駅東口付近の千本通り(北方向)。 -
JR二条駅。市営地下鉄東西線の二条駅と接続しています。
これから地下鉄で移動します。 -
烏丸御池駅で降りて烏丸通りを南進すると、レンガ造り調のみずほ銀行京都中央支店がありました。
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京都の三条通り付近にあるレトロ建築の一つです。
もとの建物は明治39年(1906年)に建てられた辰野式建築でしたが、平成15年に復元再建されました。ハリボテと言う声もありますが。 -
烏丸通りと六角通りの交差点を東へ折れると、すぐに紫雲山頂法寺(六角堂)があります。門前を東西に走る道が六角通りです。
平安京遷都に際して、仏教界の勢力を嫌った桓武天皇は、西寺と東寺の二つのみを公式な寺院と認めましたが、紫雲山頂法寺は例外的に許された一つでした。 -
縁結びの六角柳。
山門を入ると大きな柳がありますが、平安時代初期、嵯峨天皇の夢枕に六角堂の如意輪観音が現れ、「六角堂の柳の下を見てみなさい」とのお告げがあり、柳の下にいた女性を妃として迎えたとの逸話があります。 -
淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子は、用明天皇2年(587年)、四天王寺建立の材木を求めて京都盆地を訪れました。
念持仏から、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれます。 -
御本尊の如意輪観世音菩薩は、思いのままに願い事を叶えてくれる「宝珠(如意宝珠)」と、魔を打ち砕く「輪宝(法輪)」を持っておられ、人々の苦しみを除き、願いをかなえ、特に長寿、安産、魔除に功徳があるとされています。
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六角堂の境内には、不動明王の石像と木像をそれぞれ安置する堂が隣接して建っています。不動明王は、大日如来が一切の悪魔を降伏させるために身を変じた存在で、怒りの形相をとり、強い法力を持っています。
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石不動は安永9年(1780年)刊行の「都名所図会」にも描かれています。
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石不動。
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応仁の乱後、京都は上京と下京に分かれましたが、六角堂は下京の町堂として町衆の信仰を集め、集会所や公民館のような機能も果たすようになりました。
祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式は、江戸時代末まで六角堂で行われ、これらのことから、六角堂は京都の中心と認識されるようになりました。
つまり、平安京の頃は「へそ」ではありませんでした。 -
山門から右前方の敷石の中央に、中央にまるい穴があいた六角形の石があります。門前の六角通りにあったものを、明治時代初期に門内へ移したもので、六角堂が京都の(精神的な)中心とされたことから、体の中心であるへそになぞらえて「へそ石」と呼ばれています。
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へそ石。平安京造営時、本堂の位置に道を通すために祈ったところ、堂が少し北の現在地へ移動し、もとの位置に石が一つ残ったという伝説から、「本堂古跡の石」ともいいます。
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十六羅漢像。羅漢とは、仏の教えを護り伝えることのできる優れた僧侶に与えられた名前です。十六というのは、方位の四方八方を倍にした数で、あらゆる場所に羅漢がいることを意味しています。
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六角堂の十六羅漢は、「和顔(わげん)愛語(あいご)」を実践し、いつもにこにこしています。いつも優しい顔つきで、穏やかに話をするように心がけてさえいれば、必ず良い報いがあるという教えです。
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合掌地蔵。願いを手の平に優しく包み込んで祈る「合掌地蔵」があります。手を合わせ、願いを囁きながら吹き込むと叶うといわれています。
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太子堂。六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。またの名を開山堂ともいいます。平安時代以降、六角堂を一つの拠点として京都に太子信仰が広まっていきました。
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内部には、太子が合掌して「南無仏」と唱える二歳像、父である用明天皇の病気平癒を祈る十六歳像、仏教の受容をめぐって物部守屋と戦った姿を表す騎馬像を安置しています。
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(上)池坊専応口伝。
(下)池坊の碑。
六角堂の北側に、聖徳太子が身を清めたと伝えられる池の跡があります。この池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、「池坊」と呼ばれるようになりました。 -
専好立花復元モニュメント。
江戸時代初期、後水尾天皇は32世池坊専好を重用し、寛永6年(1629年)には京都御所紫宸殿で立花会がたびたび催されました。 -
六角堂に隣接しているWEST18ビルには、展望エレベーターがあります。
六角堂を上から見ることができ、御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれている様子がわかります。 -
WEST18からの眺め。粟田口の方向。
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WEST18は、平成8年に池坊会館の南隣に竣工した、いけばな研修教室などが入る10階建てのビルです。3台あるエレベーターのうち1台が展望エレベーターとなっています。ビルの名称は、六角堂が西国33所の第18番札所であることに因んでいます。六角堂の境内から直接入館できました。
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境内の東部には、一つだけ願い事を叶えてくれる「一言願い地蔵」があります。
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親鸞は、鎌倉時代の初めに比叡山で修行していました。聖徳太子を深く尊敬していた親鸞は、建仁元年(1201年)、29歳の時に六角堂に百日参籠するという誓いを立てました。
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参籠は、夜になると比叡山を下りて六角堂に籠もり、朝には山に戻る繰り返しだったといいます。そして95日目の暁に法然上人(浄土宗の開祖)に会うようお告げを受け、法然上人の弟子になりました。後に法然上人と袂を分かち、浄土真宗を開きました。
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親鸞堂。親鸞の像を二体安置しています。一体は草鞋を履いて比叡山から六角堂へ向かう姿、もう一体は六角堂に籠もって如意輪観音から夢の中でお告げを受けている姿です。
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すっかり暗くなりました。親鸞堂内の親鸞像が暗闇に浮かび上がっていました。
頂法寺の閉門は17時。烏丸通りに出たら、京都駅の方向へ走るバスに適当に飛び乗りました。
ホテルに戻りスーツに着替えてから、三密を避けて夜のお仕事です。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
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