2022/11/27 - 2022/11/27
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この旅行記スケジュールを元に
嵯峨で紅葉を堪能して、梅田に戻りました。最終日も予定は決まっていないので、グーグルマップを見ていたら、ホテルの近くにお初天神を見つけました。まずはこちらに参拝しましょう。
そうこうしている内に、芭蕉翁が倒れたのは大阪だったことを思い出し、ネット検索すると、御堂筋を真っ直ぐ南下した辺りに終焉の地を見つけました。その近くには神社などもあるので、少し街歩きをすることにしました。
1日目
東海道新幹線で新大阪駅へ移動、JR大阪駅・各線梅田駅から徒歩10分のホテル関西に宿泊。チェックインには早すぎるので、荷物を預けて四天王寺に参拝しました。
2日目
京都は向かい、大覚寺と大沢池へ
歩いて清涼寺から二尊院
3日目
お初天神、難波神社、松尾芭蕉終焉の地、坐摩神社、南御堂を回り、帰京
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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阪急梅田駅に戻りました。外は寒くなっていたので、地下街を歩きます。
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クリスマス仕様でしょうか。
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泉の広場。
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ホテル関西、外の様子。
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2回目の朝食です。やっぱり朝カレー。
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木製の巨大な魚。
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曽根崎お初天神通りまで歩きました。
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お初天神こと露天神社、北の入り口です。
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ぐるっと半周して、曽根崎お初天神通り。
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南の鳥居。
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露天神社の扁額。
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神輿。参道の左側、ガラス張りの中に展示してありました。
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神輿の隣に、新農像(少彦名大神 )。
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御井社・祓戸社。
参道右手にありました。
御祭神は、露井神(露ノ井と呼ばれるこの井戸の神)と祓戸四柱大神の二柱です。 -
露天神社(つゆのてんじんしゃ)、通称お初天神です。
社伝によると、大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、「住吉須牟地曽根ノ神」を祀り御鎮座されたと伝えられています。
「難波八十島祭(なにわやそしままつり)」、旧跡の一社であり、創建年代は不詳ながら6世紀の欽明天皇の頃と推察されます。
梅田・曽根崎の総鎮守として現在も崇敬を集めています。 -
昌泰4年(901年)2月、菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中、福島に船泊まりされた折に、当地で「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」の歌を詠まれた故事にちなみ、露 天神社と称すると伝えられています。
御祭神は大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真の五柱を祀っています。縁結び、安産、美人祈願、学業成就、商売繁盛・金運、皮膚病治癒の御神徳があります。
現在の社殿は、昭和32年9月20日に再建されたもので、私と同じ年齢です。 -
神牛舎。
「神牛さん」「撫で牛さん」と呼ばれ、身体の病む処と神牛さんのそれを交互に撫で摩るという信仰が、古来より続いています。 -
神馬。かなりずんぐりした体型です
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水天宮・金刀比羅宮。
明治42年の「北の大火」の後に露天神社の境内社として斎祀されるようになりました。 -
難波神明社。
弘仁12年(821年)、今の西天満伊勢町あたりの孤島に嵯峨天皇の皇子源融を祀ったのが始めといわれています。
天保5年(1834年)7月11日の火災によって社殿が焼失すると次第に社勢も衰え、明治42年の「北の大火」でも被災、翌年当社に合祀されました。 -
南風俳句会の句碑。
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元禄16年(1703年)に当神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。
以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになりました。 -
絵馬型の顔ハメパネル。
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カエル
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手水。
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堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が当神社の「天神の森」にて情死した事件をもとに、近松門左衛門が「曽根崎心中」を書きました。
広く民衆の涙を誘うこの作品はその後も繰返し上演され、今日でも回向とともに、恋の成就を願う多くの人々が訪れています。 -
お初徳兵衛の碑。
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お初徳兵衛の碑。
昭和47年7月、曽根崎中1丁目の有志によって、恋に殉じた二人を慰霊するための「曽根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地」という石碑が建立されました。 -
お初徳兵衛の碑。
悲しい歴史がありながらも、恋愛成就のパワースポットとされています。 -
二人の300回忌の後、氏子からの寄付があり、地元商店街などからの寄付と合わせて平成16年4月にブロンズ像が製作されました。
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開運稲荷社。
明治42年「北の大火」によって近在各地に祀られていた四社の稲荷社が焼失、翌明治43年に露天神社の境内地に四社を合祀しました。
古くは皮膚病の治癒を願って「鯰」の絵馬が多数掛けられ、お百度を踏む人々で混みあうほどだったと伝えられています。 -
斎藤秀樹氏の干支彫刻。
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斎藤秀樹氏の干支彫刻。
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「禅~一縷と一縷~」成田浩彰氏の彫刻。
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西の鳥居から出ました。
隣は曽根崎2丁目交番。 -
梅田新道バス停からバスで難波神社へ向かいます。
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難波神社。
御堂筋をまっすぐ南下して、北久宝寺町バス停で下りました。 -
難波神社の鳥居。
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鳥居の脇に御祭神の碑。
主祭神:仁徳天皇
配祀:素盞嗚尊、倉稲魂尊
三柱を祀っています。 -
御詠歌碑。
あなたふと
みちびきたまへ くゎんおんじ
とほきくによりはこぶ あゆみを -
稲荷社文楽座跡。
文化8年(1811年)に植村文楽軒が境内に人形浄瑠璃浄の小屋を開きました。以降、移り変わりながらも明治維新後まで続いた人形浄瑠璃小屋を顕彰する石碑です。。 -
菖蒲(アヤメ)をかたどった神紋。
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手水舎。
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難波神社の拝殿。
創建は反正天皇の時代と伝えられ、天慶6年(943年)に天王寺区に移転、慶長2年(1597年)に豊臣秀吉の命令で、立退料2,000石をもらって現在地に遷座しましたが、大坂夏の陣後には江戸幕府によって境内地の9割を没収されてしまいました。
昭和20年(1945年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲で焼失、昭和49年(1974年)7月に再建されました。
平穏安寧、厄除け、五穀豊穣など、総合運・全体運・所願成就の御神徳があります。 -
御神木。
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囲いの中には、大きな石組みがあります。
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博労稲荷神社。
浪速の町が栄えるに従って、船場の商人たちの稲荷信仰が篤くなりました。 -
金刀比羅神社。
由緒は不詳ですが、江戸時代の創建当初に祭られたものと思われます。 -
御神木。市指定保存樹。
樹齢約400年の楠です。 -
十四柱相殿神社(難波神社境内末社)。
御祭神:左殿(豊臣秀吉公・菅原道真公・楠木正成公・徳川家康公)、中殿(豊受姫大神・天照皇大神・応神天皇)、右殿(水波能女大神・春日四柱大神・猿田彦大神・迦具土大神)。
以前は、数社に分れてお祭りしてあったようですが、明治21年に、鉾蔭神社、安邦神社の御祭神を合祀、十四柱相殿神社と改称しました。
それにしても豊臣秀吉公と徳川家康公を一緒に祀っていますが、大丈夫でしょうか。 -
算額顕彰碑。
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御堂筋(南方向)。
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御堂筋を北へ歩きます。
御堂筋の名前の由来は、西本願寺津村別院(北御堂)と東本願寺難波別院(南御堂)があるところからきています。 -
大きなビルの奥にお寺の屋根らしきものが見えます。
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難波に来たのは、この石碑を見たかったからです。碑の側面には「昭和九年三月之建 大阪府」と刻まれています。
石碑は、御堂筋とその側道との間にある緑地帯に建っていました。 -
「此附近芭蕉翁終焉乃地」碑。
元禄7年(1694年)、お盆のために伊賀上野に帰省していた松尾芭蕉は、長崎に憧れつつ西国に向かう途中、9月9日大阪に立ち寄りました。大坂の門人・之堂と酒堂の対立を収めるためでした。
9月29日の夜、ひどい下痢を起こし床につきました。10月5日には、南御堂前の花屋仁左衛門の離れ座敷に病床を移し、京都・近江・伊賀の門人たちにも病気のことが知らされました。
「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」は、亡くなる4日前に詠んだ句です。12日申の刻(午後4時ごろ)、門人である医師・木節や弟子たちに見守られながら、51歳の生涯を終えました。 -
芭蕉の門人・向井去来は、肥前国(今の長崎市興善町)で儒医の家に生まれましたが、若くして武士の身分を捨てて京都嵯峨の落柿舎(らくししゃ)に住んでいました。
松尾芭蕉は落柿舎を訪ね、嵯峨日記を執筆、また、蕉風の代表句集「猿蓑」を編纂しました。
去来から長崎の様子を聞いた芭蕉は、その足で長崎へ向かうつもりだったといわれています。
長崎に想いを馳せつつ大阪で客死した芭蕉、その16年後に壱岐(現在の長崎県壱岐市)で病没した曽良、曽良の目には長崎の風景が焼きついていたことでしょう。 -
摂津国一宮 坐摩神社へ行きましょう。
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これは箱根で見た彫刻と同じシリーズ、ヘンリー・ムーアの作品です。
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坐摩(いかすり)神社の三ツ鳥居。
正面の大鳥居の左右に小さい鳥居が組み合わさっている三ツ鳥居です。全国に20社ほどとされています。
大阪市の中心部は、かつては摂津国でしたが、摂津国には一宮が二つあるのです。
一つは有名な住吉大社、本殿など4棟が国宝となっています。
そしてもう一つが、今回訪れた坐摩神社です。 -
坐摩神社の標柱。
通称は、ざまじんじゃ、地元ではざまさんとも呼ばれています。普通、いかすりとは読めないです。 -
手水社。
手をかざすと自動でお水が出ます。コロナ対応かと思ったら、それ以前から自動化されていました。 -
創建は不詳ながら、神功皇后が新羅より御帰還の折り、淀川南岸に奉祀されたのが始まりとされています。
現在の社殿は、大阪大空襲で消失する前の姿に、昭和34年(1959年)鉄筋コンクリート造りで再建されました。 -
御祭神は
生井神(いくいのかみ)井戸の神
福井神(さくいのかみ)井戸の神
綱長井神(つながいのかみ)深く清らかな井戸の神
波比祇神(はひきのかみ)竃神(屋敷の神)
阿須波神(あすはのかみ)竃神(足場、足下の神)
五柱を総称して坐摩大神(いかすりのおおかみ)というそうです。神武天皇の御世、宮域を守る神様として宮中に祀られたのが起源とされます。主なご神徳は住居守護・旅行安全・安産守護です。 -
古くは淀川南岸の大江の岸・田蓑島、後の渡辺の地(現在の天満橋西方、石町附近)にありましたが、天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大阪城を作るときに現在地に遷座しました。旧鎮座地には坐摩神社行宮(御旅所)が残り、今も境内には神功皇后がお掛けになった御鎮座石があります。
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獅子像。
妙にリアルな獅子で、狛獅子でもなさそう。 -
明治天皇聖躅の碑。
明治天皇は明治元年(1868年)4月17日に坐摩神社に御参拝、相撲をご覧になられました。 -
難波神社とまったく同じ算額顕彰碑がありました。
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参道の右手の方には末社が並びます。
向かって左から
大江神社。
御祭神は、神功皇后、応神天皇、武内宿禰。
繊維神社。
御祭神は、天羽槌雄神、天棚機姫神。
大國主神社。
御祭神は、大国主大神、事代主神、少彦名大神。
天満宮。
御祭神は、菅原道真公。
相殿神社。
御祭神は、春日大神、住吉大神、大神受美神、猿田彦大神、大宮比売神、多賀大神、天御中主大神、産霊大神、直比大神、諏訪大神、事平大神、大歳大神。 -
先ほど見たこのビルの奥の建物が南御堂でした。
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平面図がありました。
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東本願寺難波別院の本堂です。
文禄4年(1595年)に豊臣秀吉より寺地を寄進されて大谷本願寺を開創、慶長3年(1598年)8月、大坂城の拡張のため現在地へ移転しました。慶長7年(1602年)に徳川家康より京都に寺地を寄進されると大谷本願寺は移転して東本願寺となりました。大谷本願寺の跡地に難波御堂が造営されました。 -
御本尊は阿弥陀如来像。
通称は南御堂(みなみみどう)。
本堂は、二重屋根の様式を留めつつ、昭和35年(1960年)5月に鉄筋コンクリート造りで再建されました。
本堂の前には、南御堂の公式キャラクター、仏恩(ブットン)くん。 -
庭園にある鐘楼堂は開基である教如上人が大谷本願寺を創建した文禄5年(1596年)に鋳造しました。
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「大谷本願寺」の銘が残る梵鐘(大阪市指定有形文化財)が固定されて保存されています。
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入り口の近くにも鐘楼があります。
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詳しくはわかりませんが、新しい梵鐘です。
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本堂の左手に獅子吼園がある。
「獅子吼」とは、仏陀が説法するのを百獣の王である獅子の吼える音声に喩えた言葉、ということです。 -
獅子吼園。
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大きく葉を広げた芭蕉の葉、その下に芭蕉の句碑があります。
-
芭蕉句碑。
旅に病で
ゆめは枯野を
かけまはる
芭蕉辞世の句は、南御堂前にあった花屋仁左衛門の座敷で詠まれました。 -
山口誓子の句碑がありました。
昭和37年(1962年)10月、山口誓子は南御堂を訪れ、
金色の
御堂に芭蕉
忌を修す
と詠みました。 -
こちらは阿波野青畝の句碑です。
翁忌に
行かむ晴れても
時雨れても -
境内から見た積和不動産関西南御堂ビルです。鉄骨造り一部鉄筋コンクリート造り、地上17階建て、延床面積は22,224.18m2。
上層階には大阪エクセルホテル東急が入り、
令和元年(2019年)11月1日に開業しました。5~16階は客室(全364室)、17階はレストランやジムがあります。 -
寺院の山門と一体になったビルは、日本初のようです。極楽浄土に近づけるなら、泊まる価値があるかもしれませんね。
ビルの向こうに御堂筋が見えます。ほんの少し左手には芭蕉翁終焉乃地碑があります。
ノープランで楽しんだ大阪出張(ほとんど観光)も無事に完了し、帰京しました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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