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アート巡りの旅、2日目は美術館2箇所をメインにした箱根観光、その後夜の横浜散策をします。<br /><br />首都圏から手軽に行ける有数の観光地箱根は、実は美術館の激戦地で、洋画・日本画から彫刻・工芸品まで幅広いジャンルの美術館がそろっています。<br />数ある美術館の中から、今回は印象派絵画のコレクションが日本最大級といわれるポーラ美術館と日本初の野外美術館として知られる彫刻の森美術館をチョイス。<br />せっかくの遠出なので、箱根の芦ノ湖と大涌谷、横浜ベイエリアも観光します。

アートを巡る東京&神奈川 2025 /2日目(3/22)

66いいね!

2025/03/22 - 2025/03/22

87位(同エリア1544件中)

3

90

キートン

キートンさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

アート巡りの旅、2日目は美術館2箇所をメインにした箱根観光、その後夜の横浜散策をします。

首都圏から手軽に行ける有数の観光地箱根は、実は美術館の激戦地で、洋画・日本画から彫刻・工芸品まで幅広いジャンルの美術館がそろっています。
数ある美術館の中から、今回は印象派絵画のコレクションが日本最大級といわれるポーラ美術館と日本初の野外美術館として知られる彫刻の森美術館をチョイス。
せっかくの遠出なので、箱根の芦ノ湖と大涌谷、横浜ベイエリアも観光します。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
グルメ
3.0
ショッピング
2.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄
旅行の手配内容
個別手配
  • 3月22日、7時前にゲストハウスAzitoをチェックアウトし、箱根湯本の温泉場入口バス停から桃源台行バスに乗る。

    3月22日、7時前にゲストハウスAzitoをチェックアウトし、箱根湯本の温泉場入口バス停から桃源台行バスに乗る。

  • 温泉場入口から桃源台までのバス代は1180円。<br /><br />バスは宮の下までは、箱根駅伝のコースを上って行く。

    温泉場入口から桃源台までのバス代は1180円。

    バスは宮の下までは、箱根駅伝のコースを上って行く。

  • 7:50頃、桃源台に到着。<br />ここからロープウェイで大涌谷に向かうが、ロープウェイは9時からなので、しばらくは芦ノ湖畔を散策した。

    7:50頃、桃源台に到着。
    ここからロープウェイで大涌谷に向かうが、ロープウェイは9時からなので、しばらくは芦ノ湖畔を散策した。

  • 芦ノ湖は標高723mのカルデラ湖である。<br />芦ノ湖の遊覧には海賊船もあるらしい。<br />この時間はまだ運行していないしスワンボートに乗る客もいなく、湖上に出ているのは釣り船だけのよう。

    芦ノ湖は標高723mのカルデラ湖である。
    芦ノ湖の遊覧には海賊船もあるらしい。
    この時間はまだ運行していないしスワンボートに乗る客もいなく、湖上に出ているのは釣り船だけのよう。

  • 朝からあまり歩くと体力が一日持たないので、散策はほどほどにして8:40にはロープウェイの運行を待った。

    朝からあまり歩くと体力が一日持たないので、散策はほどほどにして8:40にはロープウェイの運行を待った。

  • 箱根ロープウェイは大涌谷経由で桃源台から早雲山まで片道1500円。<br />2002年にかけ替えられた新型ロープウェイは、2本のロープでぶら下がったゴンドラが循環する形式であり、屋根の左右にある握索装置の幅がゴンドラの幅よりも広い。<br />風に強く、運休基準となる風速は毎秒20 mから30 mに引き上げ、従来は年間30日ほどあった運休日を15日程度に抑えられるとされる。

    箱根ロープウェイは大涌谷経由で桃源台から早雲山まで片道1500円。
    2002年にかけ替えられた新型ロープウェイは、2本のロープでぶら下がったゴンドラが循環する形式であり、屋根の左右にある握索装置の幅がゴンドラの幅よりも広い。
    風に強く、運休基準となる風速は毎秒20 mから30 mに引き上げ、従来は年間30日ほどあった運休日を15日程度に抑えられるとされる。

  • 標高が上がると桃源台からは見えなかった富士山が見えてくる。

    標高が上がると桃源台からは見えなかった富士山が見えてくる。

  • 15分程度のロープウェイ乗車で標高1044mの大涌谷に到着。

    15分程度のロープウェイ乗車で標高1044mの大涌谷に到着。

  • 大涌谷の駐車場付近から富士山とロープウェイが見える。

    イチオシ

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    大涌谷の駐車場付近から富士山とロープウェイが見える。

  • 大涌谷は火山性地すべりによる崩壊地形で、地熱地帯で活発な噴気地帯でもある。

    大涌谷は火山性地すべりによる崩壊地形で、地熱地帯で活発な噴気地帯でもある。

  • あちこちで火山ガス(亜硫酸ガス、硫化水素ガスなど)が噴出している。

    あちこちで火山ガス(亜硫酸ガス、硫化水素ガスなど)が噴出している。

  • 地熱を利用してできるゆで卵は、殻を黒く変色させることから「黒たまご」と呼ばれる。<br />4個入り500円。<br />1個食べると7年寿命が延びるという。<br />4個食べると28年寿命が延びるのか?<br />んなわけないか。

    地熱を利用してできるゆで卵は、殻を黒く変色させることから「黒たまご」と呼ばれる。
    4個入り500円。
    1個食べると7年寿命が延びるという。
    4個食べると28年寿命が延びるのか?
    んなわけないか。

  • 本日は風が強いのでロープウェイが止まるかもしれない・・・としきりにアナウンスされている。<br />もし止まれば後が大変なので、9:35頃に早雲山に向けてロープウェイに乗った。

    本日は風が強いのでロープウェイが止まるかもしれない・・・としきりにアナウンスされている。
    もし止まれば後が大変なので、9:35頃に早雲山に向けてロープウェイに乗った。

  • 眼下にダイナミックな大涌谷の景色が広がる。

    イチオシ

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    眼下にダイナミックな大涌谷の景色が広がる。

  • 大涌谷はあっという間に横切ったが、ゴンドラを独り占めできたおかげで景色は堪能できた。

    大涌谷はあっという間に横切ったが、ゴンドラを独り占めできたおかげで景色は堪能できた。

  • 早雲山から強羅までは箱根登山ケーブルカーが通っているが、2km程度の下りなので歩いた。<br />しかし、予想以上に急坂で、確実に筋肉痛になると悟った。<br />緩やかな下りは楽だが、急な下りはむしろつらい。

    早雲山から強羅までは箱根登山ケーブルカーが通っているが、2km程度の下りなので歩いた。
    しかし、予想以上に急坂で、確実に筋肉痛になると悟った。
    緩やかな下りは楽だが、急な下りはむしろつらい。

  • 強羅駅~ポーラ美術館の間は30分毎に無料のシャトルバスが運行している。<br />10:15発のシャトルバスでポーラ美術館へと向かう。<br />土曜日なのでシャトルバスは満員だった。

    強羅駅~ポーラ美術館の間は30分毎に無料のシャトルバスが運行している。
    10:15発のシャトルバスでポーラ美術館へと向かう。
    土曜日なのでシャトルバスは満員だった。

  • シャトルバスは10分弱でポーラ美術館前に到着。<br /><br />ポーラ美術館の入場料は2200円。<br />館内に無料のロッカーがあるので荷物を預けられる。

    シャトルバスは10分弱でポーラ美術館前に到着。

    ポーラ美術館の入場料は2200円。
    館内に無料のロッカーがあるので荷物を預けられる。

  • ポーラ美術館には森の遊歩道があり、屋外にいくつかの彫刻作品が展示されている。<br />その中で「しあわせな犬」(2016年)niŭ は、館内から見ることができる作品である。

    ポーラ美術館には森の遊歩道があり、屋外にいくつかの彫刻作品が展示されている。
    その中で「しあわせな犬」(2016年)niŭ は、館内から見ることができる作品である。

  • 館内の吹き抜けに展示されている作品。<br />「照明用ガス・・・(眼科医の証人による)」(2016年)ケリス・ウィン・エヴァンス<br />作品のタイトルとは思えないようなタイトル。<br /><br />以下、撮影可の作品ごとにポーラ美術館HPの解説文を掲載する。

    館内の吹き抜けに展示されている作品。
    「照明用ガス・・・(眼科医の証人による)」(2016年)ケリス・ウィン・エヴァンス
    作品のタイトルとは思えないようなタイトル。

    以下、撮影可の作品ごとにポーラ美術館HPの解説文を掲載する。

    ポーラ美術館 美術館・博物館

  • 「バラ色のボート」(1890年頃)クロード・モネ<br /><br />舟遊びの主題、画面端で切断されたボート、誇張されたオール、俯瞰的な視点は、日本の浮世絵を思い起こさせます。また、舟に乗っている女性は、モネが再婚したアリス・オシュデの4人の娘のうちの2人、シュザンヌとブランシュであると思われます。モネは、1880年代後半から1890年にかけて、エプト川での舟遊びの情景を描いています。なかでもこの作品は、モネの人物画の最後の大作であるとともに、水面下の水草の動きと神秘的な暗い光を描いた最初の試みでもあります。モネはこの作品を描いていた当時、友人に宛てて次のように書き送っています。「私は不可能なことに取り組みました。水とその底で揺らめく水草をいっしょに描くということで、それは眺める分には素晴らしいのですが、このように描こうとすると気が狂いそうになります」。モネはこのときから水面の下の世界に眼を向けるようになり、その試みは晩年の「睡蓮」連作の水の風景でも展開されていきます。

    「バラ色のボート」(1890年頃)クロード・モネ

    舟遊びの主題、画面端で切断されたボート、誇張されたオール、俯瞰的な視点は、日本の浮世絵を思い起こさせます。また、舟に乗っている女性は、モネが再婚したアリス・オシュデの4人の娘のうちの2人、シュザンヌとブランシュであると思われます。モネは、1880年代後半から1890年にかけて、エプト川での舟遊びの情景を描いています。なかでもこの作品は、モネの人物画の最後の大作であるとともに、水面下の水草の動きと神秘的な暗い光を描いた最初の試みでもあります。モネはこの作品を描いていた当時、友人に宛てて次のように書き送っています。「私は不可能なことに取り組みました。水とその底で揺らめく水草をいっしょに描くということで、それは眺める分には素晴らしいのですが、このように描こうとすると気が狂いそうになります」。モネはこのときから水面の下の世界に眼を向けるようになり、その試みは晩年の「睡蓮」連作の水の風景でも展開されていきます。

  • 「セーヌ河の日没、冬」(1880年頃)クロード・モネ<br /><br />モネは、1878年1月にアルジャントゥイユを離れてパリに滞在した後、8月からパリの北西約60km、メダンとジヴェルニーの間に位置する、セーヌ河の湾曲部にある小さな村ヴェトゥイユに転居しました。1878年9月、モネの最初の妻カミーユが、次男を出産後、この地で病歿しました。その年の冬、フランスを襲った記録的な寒波により、セーヌ河が氷結します。そして翌年の1月、氷が割れて水面を流れるめずらしい光景をモネは眼にするのです。自然界の異変によって生じた風景に感動した彼は、描く時間や視点を変えて繰り返し描いています。この作品では、解氷が浮かぶ水面は、後年にモネが没頭していく睡蓮の連作のように、沈みゆく夕陽に染まる空の色を映し出しています。この風景の変化と美しくも厳しい自然の姿は、妻の死に直面し、悲しみの淵に沈んでいたモネを、ふたたび制作に駆り立てたのです。

    「セーヌ河の日没、冬」(1880年頃)クロード・モネ

    モネは、1878年1月にアルジャントゥイユを離れてパリに滞在した後、8月からパリの北西約60km、メダンとジヴェルニーの間に位置する、セーヌ河の湾曲部にある小さな村ヴェトゥイユに転居しました。1878年9月、モネの最初の妻カミーユが、次男を出産後、この地で病歿しました。その年の冬、フランスを襲った記録的な寒波により、セーヌ河が氷結します。そして翌年の1月、氷が割れて水面を流れるめずらしい光景をモネは眼にするのです。自然界の異変によって生じた風景に感動した彼は、描く時間や視点を変えて繰り返し描いています。この作品では、解氷が浮かぶ水面は、後年にモネが没頭していく睡蓮の連作のように、沈みゆく夕陽に染まる空の色を映し出しています。この風景の変化と美しくも厳しい自然の姿は、妻の死に直面し、悲しみの淵に沈んでいたモネを、ふたたび制作に駆り立てたのです。

  • 「睡蓮の池」(1899年頃)クロード・モネ<br /><br />モネは、1883年からパリの北西70kmの美しい村ジヴェルニーに移住し、ここに家を建て、庭を造成します。家の前には色とりどりの花が咲き乱れる「花の庭」を造り、1893年には家の敷地の道路を隔てた隣の土地を買い、「水の庭」を造りました。「水の庭」には、池を作り睡蓮を植え、池の上にはモネは好きだった日本の浮世絵に描かれたような日本風の太鼓橋が架けました。そして池の周りには柳、竹、桜、藤、アイリス、牡丹などさまざまな植物が植えられました。この自分がつくり上げた幻想的な庭で、モネは睡蓮の池と橋の風景を描いていますが、この作品は18点の連作のうちの1点です。この後、しだいに彼の興味は時間や天候による光の変化が、池の水面におよぼすさまざまな効果に向かっていきます。なお、モネの家と庭は、息子ミシェルが亡くなった1966年に国家に遺贈され、現在公開されています。

    「睡蓮の池」(1899年頃)クロード・モネ

    モネは、1883年からパリの北西70kmの美しい村ジヴェルニーに移住し、ここに家を建て、庭を造成します。家の前には色とりどりの花が咲き乱れる「花の庭」を造り、1893年には家の敷地の道路を隔てた隣の土地を買い、「水の庭」を造りました。「水の庭」には、池を作り睡蓮を植え、池の上にはモネは好きだった日本の浮世絵に描かれたような日本風の太鼓橋が架けました。そして池の周りには柳、竹、桜、藤、アイリス、牡丹などさまざまな植物が植えられました。この自分がつくり上げた幻想的な庭で、モネは睡蓮の池と橋の風景を描いていますが、この作品は18点の連作のうちの1点です。この後、しだいに彼の興味は時間や天候による光の変化が、池の水面におよぼすさまざまな効果に向かっていきます。なお、モネの家と庭は、息子ミシェルが亡くなった1966年に国家に遺贈され、現在公開されています。

  • 「髪かざり」(1888年頃)ピエール・オーギュスト・ルノワール<br /><br />椅子に腰掛けた若い女性の後ろにもう一人の女性が寄り添い、髪に花かざりを着けている。当時、ブルジョワ階級の女性が家で過ごす際には、花の髪かざりを着ける習慣があった。同様の髪かざりは座っている女性の手にも見られる。 ルノワールは1890年前後、身づくろいのほかにも、同じ年頃の女性による奏楽や花摘みなどの情景をしばしば描いている。1880年代後半に印象派の描法を脱するべく取り組んだ、アングル流の立体的な裸婦が画商や画家仲間に不評だったことで、ルノワールはこの時期、一般に受け入れられやすい近代生活を描いた、いわゆる風俗画へと向かったのである。しかしこの主題をめぐっては、アントワーヌ・ヴァトーやジャン=オノレ・フラゴナールといった18世紀ロココの画家による、甘美で活き活きとした女性像への憧憬を読み取ることもできる。人物をはじめとして、室内で重なりあう多様なモティーフがそれぞれ明瞭な輪郭で描き出されているのは、アングルを範として1880年代を通じて追究されたアカデミックな描法の特徴といえる。また、二人の女性像が織り成す垂直方向の線が、背後の長椅子の作る水平線とともに均衡のとれた画面を作り出しており、先立つ印象派の時代と比べて、構図の検討がより入念になされている。

    「髪かざり」(1888年頃)ピエール・オーギュスト・ルノワール

    椅子に腰掛けた若い女性の後ろにもう一人の女性が寄り添い、髪に花かざりを着けている。当時、ブルジョワ階級の女性が家で過ごす際には、花の髪かざりを着ける習慣があった。同様の髪かざりは座っている女性の手にも見られる。 ルノワールは1890年前後、身づくろいのほかにも、同じ年頃の女性による奏楽や花摘みなどの情景をしばしば描いている。1880年代後半に印象派の描法を脱するべく取り組んだ、アングル流の立体的な裸婦が画商や画家仲間に不評だったことで、ルノワールはこの時期、一般に受け入れられやすい近代生活を描いた、いわゆる風俗画へと向かったのである。しかしこの主題をめぐっては、アントワーヌ・ヴァトーやジャン=オノレ・フラゴナールといった18世紀ロココの画家による、甘美で活き活きとした女性像への憧憬を読み取ることもできる。人物をはじめとして、室内で重なりあう多様なモティーフがそれぞれ明瞭な輪郭で描き出されているのは、アングルを範として1880年代を通じて追究されたアカデミックな描法の特徴といえる。また、二人の女性像が織り成す垂直方向の線が、背後の長椅子の作る水平線とともに均衡のとれた画面を作り出しており、先立つ印象派の時代と比べて、構図の検討がより入念になされている。

  • 「グランカンの干潮」(1885年頃)ジョルジュ・スーラ<br /><br />大きさの異なる3隻の帆船が、画面の中にさまざまな角度で配されている。中央の遠景の船は正面観で、右側のものは側面観で、そして潮の満干で浜辺に取り残された左側のもっとも大きいものは斜めの軸を強く意識しながら描かれている。こうした画面の構成は、安定した調和をもたらす黄金分割に基づいており、作品全体を覆う綿密な点描の効果と相まって、英仏海峡を臨むノルマンディー地方の小村であるグランカンの情景に、厳格な性格を与えている。 著名な化学者であり、色彩の研究にも力を尽くしたミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの『色彩の同時対照の法則について』(1839年)をはじめとする著作を研究したスーラの大作《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884-1886年、シカゴ美術館)が話題を呼んだのは、最後の印象派展となった第8回印象派展であった。光学、そして色彩理論による科学的な視座から印象派の技法を再検討し、乗り越えようとしたスーラの作品を、美術批評家フェリックス・フェネオンが「新印象派」と命名したのは、同年に開催された第2回アンデパンダン展でのことである。この展覧会に《グランド・ジャット島の日曜日の午後》とともに出品されたのが本作品であり、額縁の装飾も含めた絵画制作を実践していたスーラによる、点描の縁取りが施されている。

    「グランカンの干潮」(1885年頃)ジョルジュ・スーラ

    大きさの異なる3隻の帆船が、画面の中にさまざまな角度で配されている。中央の遠景の船は正面観で、右側のものは側面観で、そして潮の満干で浜辺に取り残された左側のもっとも大きいものは斜めの軸を強く意識しながら描かれている。こうした画面の構成は、安定した調和をもたらす黄金分割に基づいており、作品全体を覆う綿密な点描の効果と相まって、英仏海峡を臨むノルマンディー地方の小村であるグランカンの情景に、厳格な性格を与えている。 著名な化学者であり、色彩の研究にも力を尽くしたミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの『色彩の同時対照の法則について』(1839年)をはじめとする著作を研究したスーラの大作《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884-1886年、シカゴ美術館)が話題を呼んだのは、最後の印象派展となった第8回印象派展であった。光学、そして色彩理論による科学的な視座から印象派の技法を再検討し、乗り越えようとしたスーラの作品を、美術批評家フェリックス・フェネオンが「新印象派」と命名したのは、同年に開催された第2回アンデパンダン展でのことである。この展覧会に《グランド・ジャット島の日曜日の午後》とともに出品されたのが本作品であり、額縁の装飾も含めた絵画制作を実践していたスーラによる、点描の縁取りが施されている。

  • 「アザミの花」(1890年頃)フィンセント・ファン・ゴッホ<br /><br />ファン・ゴッホは、弟テオがピサロに紹介してもらった精神科医ガシェの治療を受けるため、1890年にオーヴェール=シュル=オワーズに移り住む。彼はガシェ医師に励まされつつ、この地で約70点の作品を制作した。本作品は、1890年6月16日または17日に、ガシェ医師の家でモティーフを見つけて描いた数点の野花の静物画のうちの1点である。テーブルや花瓶を区切る輪郭線は、日本の浮世絵版画の影響を感じさせる。外側に広がるアザミの鋸歯状の葉や麦穂、花瓶の同心円状のタッチや背景にみられる垂直と水平方向に交差したタッチは、ゴッホの線と色彩、画肌の効果の追究の成果を示している。ゴッホは、7月27日、自らの胸にピストルを発砲し、その2日後に亡くなった。

    「アザミの花」(1890年頃)フィンセント・ファン・ゴッホ

    ファン・ゴッホは、弟テオがピサロに紹介してもらった精神科医ガシェの治療を受けるため、1890年にオーヴェール=シュル=オワーズに移り住む。彼はガシェ医師に励まされつつ、この地で約70点の作品を制作した。本作品は、1890年6月16日または17日に、ガシェ医師の家でモティーフを見つけて描いた数点の野花の静物画のうちの1点である。テーブルや花瓶を区切る輪郭線は、日本の浮世絵版画の影響を感じさせる。外側に広がるアザミの鋸歯状の葉や麦穂、花瓶の同心円状のタッチや背景にみられる垂直と水平方向に交差したタッチは、ゴッホの線と色彩、画肌の効果の追究の成果を示している。ゴッホは、7月27日、自らの胸にピストルを発砲し、その2日後に亡くなった。

  • 「小屋の前の犬、タヒチ」(1892年頃)ポール・ゴーガン<br /><br />ゴーガンは、1891年に初めてタヒチへ渡った。それは画家が暮らす文明社会ではすでに失われてしまったかつての人間の営みと精神を、タヒチで見出す心の旅路でもあった。強く憧れていた南国の地で、画家は鮮やかな色彩を呈する風景、島特有のさまざまな生活の場面、人間、動物たちの姿を捉えていった。本作品では、植物だけを材料に組み立てられた伝統的な小屋が、柔らかい質感と目の醒めるような橙色で表現され、その隣には、村人たちが大地に腰掛けておしゃべりする光景が添えられている。ゴーガン特有の緑を主調にして斜めに平行に置かれた筆致が画面の大部分を覆っているのだが、その傾いだ色とりどりの筆致は、はるかなる山裾から集落までを駆け抜ける風にそよぐ草木のざわめきを表わし、この土地固有の空気の流れと輝きを伝えている。前景には、一匹の黒い犬が頭を垂れ、大地に繁茂する植物とともに、集落の風景に比べてより写実的に描写されている。そこには新天地の大地を踏みしめ、タヒチの人々から距離を置きつつ観察するゴーガンの姿を投影することができるかもしれない。ゴーガンは、この第一次タヒチ滞在ののち、いったんは帰国するものの1895年に再び渡航し、1901年にタヒチよりもさらに故国から離れたマルキーズ諸島のドミニク島(現ヒヴァ=オア島)に到着するのだが、1903年、彼の地で生涯にわたった長い旅路を終えた。

    イチオシ

    「小屋の前の犬、タヒチ」(1892年頃)ポール・ゴーガン

    ゴーガンは、1891年に初めてタヒチへ渡った。それは画家が暮らす文明社会ではすでに失われてしまったかつての人間の営みと精神を、タヒチで見出す心の旅路でもあった。強く憧れていた南国の地で、画家は鮮やかな色彩を呈する風景、島特有のさまざまな生活の場面、人間、動物たちの姿を捉えていった。本作品では、植物だけを材料に組み立てられた伝統的な小屋が、柔らかい質感と目の醒めるような橙色で表現され、その隣には、村人たちが大地に腰掛けておしゃべりする光景が添えられている。ゴーガン特有の緑を主調にして斜めに平行に置かれた筆致が画面の大部分を覆っているのだが、その傾いだ色とりどりの筆致は、はるかなる山裾から集落までを駆け抜ける風にそよぐ草木のざわめきを表わし、この土地固有の空気の流れと輝きを伝えている。前景には、一匹の黒い犬が頭を垂れ、大地に繁茂する植物とともに、集落の風景に比べてより写実的に描写されている。そこには新天地の大地を踏みしめ、タヒチの人々から距離を置きつつ観察するゴーガンの姿を投影することができるかもしれない。ゴーガンは、この第一次タヒチ滞在ののち、いったんは帰国するものの1895年に再び渡航し、1901年にタヒチよりもさらに故国から離れたマルキーズ諸島のドミニク島(現ヒヴァ=オア島)に到着するのだが、1903年、彼の地で生涯にわたった長い旅路を終えた。

  • 「リュート」(1943年頃)アンリ・マティス<br /><br />フランス北部の織物産業で栄えた町、ル・カトー=カンブレジに生まれたマティスは、法律を学んだ後、画家の道を選ぶ。1892年にパリの国立美術学校でギュスターヴ・モローのもとで学ぶ。1905年にサロン・デザンデパンダンに点描画法による《豪奢、静寂、逸楽》(1904年、オルセー美術館)を発表、さらに激しい色彩のコントラストで肖像を描いて物議をかもし、フォーヴィスムの中心的存在となった。マティスの絵画は装飾性が色濃くなり、人体表現は単純化され、その探究はバーンズ財団のために制作された1930年代初頭の《ダンス》に結実している。 マティスが本作品を制作したのは、1943年に戦火を逃れて南仏ニースのレジナ・ホテルに滞在していたときであった。1941年に腸の疾患で大手術を受けてから、マティスは技法的に負担の少ない切り紙絵の制作をはじめ、この頃「ジャズ」の連作に着手している。「私はあるときは色彩だけである種の均衡と表現的なリズムを得ようとし、またあるときはただアラベスクだけの力を確かめようと努めてきました」。マティスはこの時期こう告白している。 目の醒めるような朱色の部屋は、黄色が下塗りされているために光を帯びてみえる。葉の形の装飾文様とアラベスクが壁紙と絨毯にのびやかに描かれ、女性のドレスにはアルファベットの「K」の文字に似たモティーフが躍る。画面中央には生命力みなぎる紫陽花が君臨し、そのかたわらでリュートを爪弾く女性は、室内に遍在する音楽的なリズムに主旋律を与える伴奏者として、生の喜びを謳い上げているようである。 戦後、マティスがフランスの伝統的なゴブラン織のタペストリー復興の仕事を受けたとき、彼は装飾文様が一面に描き込まれたこの作品を選び、下絵として提供した。絵画の枠組みを越え、より大きな空間の装飾へと情熱を傾けた晩年のマティスの意志を、本作品は明らかにしている。

    「リュート」(1943年頃)アンリ・マティス

    フランス北部の織物産業で栄えた町、ル・カトー=カンブレジに生まれたマティスは、法律を学んだ後、画家の道を選ぶ。1892年にパリの国立美術学校でギュスターヴ・モローのもとで学ぶ。1905年にサロン・デザンデパンダンに点描画法による《豪奢、静寂、逸楽》(1904年、オルセー美術館)を発表、さらに激しい色彩のコントラストで肖像を描いて物議をかもし、フォーヴィスムの中心的存在となった。マティスの絵画は装飾性が色濃くなり、人体表現は単純化され、その探究はバーンズ財団のために制作された1930年代初頭の《ダンス》に結実している。 マティスが本作品を制作したのは、1943年に戦火を逃れて南仏ニースのレジナ・ホテルに滞在していたときであった。1941年に腸の疾患で大手術を受けてから、マティスは技法的に負担の少ない切り紙絵の制作をはじめ、この頃「ジャズ」の連作に着手している。「私はあるときは色彩だけである種の均衡と表現的なリズムを得ようとし、またあるときはただアラベスクだけの力を確かめようと努めてきました」。マティスはこの時期こう告白している。 目の醒めるような朱色の部屋は、黄色が下塗りされているために光を帯びてみえる。葉の形の装飾文様とアラベスクが壁紙と絨毯にのびやかに描かれ、女性のドレスにはアルファベットの「K」の文字に似たモティーフが躍る。画面中央には生命力みなぎる紫陽花が君臨し、そのかたわらでリュートを爪弾く女性は、室内に遍在する音楽的なリズムに主旋律を与える伴奏者として、生の喜びを謳い上げているようである。 戦後、マティスがフランスの伝統的なゴブラン織のタペストリー復興の仕事を受けたとき、彼は装飾文様が一面に描き込まれたこの作品を選び、下絵として提供した。絵画の枠組みを越え、より大きな空間の装飾へと情熱を傾けた晩年のマティスの意志を、本作品は明らかにしている。

  • 「カラーズ ― 色の秘密にせまる 印象派から現代アートへ」<br />という企画展が2024年12月14日(土)~ 2025年5月18日(日)の間、開催されている。<br /><br />「Window for Alice」というステンドグラスの作品。

    「カラーズ ― 色の秘密にせまる 印象派から現代アートへ」
    という企画展が2024年12月14日(土)~ 2025年5月18日(日)の間、開催されている。

    「Window for Alice」というステンドグラスの作品。

  • 「フライシュヴィマー74」(2004年)左<br />「フライシュヴィマー112」(2007年)中央<br />「フライシュヴィマー205」(2012年)右<br />  ヴォルフガング・ティルマンス

    「フライシュヴィマー74」(2004年)左
    「フライシュヴィマー112」(2007年)中央
    「フライシュヴィマー205」(2012年)右
    ヴォルフガング・ティルマンス

  • 「Polychrome(多色性)とPolymorphism(多様性)」 門田光雅<br /><br />アイデンティティの探求をテーマに、絵画表現の可能性を模索し続ける門田光雅は、鮮烈な色彩と素早く大胆なストロークによって生み出されるダイナミックな抽象絵画を、これまでに数多く発表してきました。

    「Polychrome(多色性)とPolymorphism(多様性)」 門田光雅

    アイデンティティの探求をテーマに、絵画表現の可能性を模索し続ける門田光雅は、鮮烈な色彩と素早く大胆なストロークによって生み出されるダイナミックな抽象絵画を、これまでに数多く発表してきました。

  • 「「引用」と「反復」という表現主題」 川人綾<br /><br />格子状に塗り重ねた色彩が共鳴する川人綾の作品は、「制御とズレ」をテーマに工芸と科学の概念を絵画において融合したものです。<br />大島紬の織りや模様の引用がこの一連の作品の出発点であり、泥染めによるグラデーションや蚊絣による点描の表現を引用しながら、策士効果を画面上に生み出しています。

    「「引用」と「反復」という表現主題」 川人綾

    格子状に塗り重ねた色彩が共鳴する川人綾の作品は、「制御とズレ」をテーマに工芸と科学の概念を絵画において融合したものです。
    大島紬の織りや模様の引用がこの一連の作品の出発点であり、泥染めによるグラデーションや蚊絣による点描の表現を引用しながら、策士効果を画面上に生み出しています。

  • 「無限の鏡の間 ―求道の輝く宇宙の永遠の無限の光」(2020年) 草間彌生<br /><br />この作品は、一部屋全空間が作品になっている。

    「無限の鏡の間 ―求道の輝く宇宙の永遠の無限の光」(2020年) 草間彌生

    この作品は、一部屋全空間が作品になっている。

  • この部屋に入るには行列に並んで順番を待たなければならない。<br />入室の時間は30秒で、それを過ぎると扉が開いて退出となる。<br />混み具合にもよるだろうが、4人前後で一組になって入退出した。<br />待ち時間は10分弱だった。

    イチオシ

    この部屋に入るには行列に並んで順番を待たなければならない。
    入室の時間は30秒で、それを過ぎると扉が開いて退出となる。
    混み具合にもよるだろうが、4人前後で一組になって入退出した。
    待ち時間は10分弱だった。

  • 部屋は鏡の間で、色とりどりの光の球体が無数に浮かんでいる。<br />一種のアトラクションのようで、チームラボをも連想させる。

    部屋は鏡の間で、色とりどりの光の球体が無数に浮かんでいる。
    一種のアトラクションのようで、チームラボをも連想させる。

  • 美術作品とはいえ、思わぬインスタ映えスポットだった。

    美術作品とはいえ、思わぬインスタ映えスポットだった。

  • 「プロヴァンスの風景」(1879~82年)  ポール・セザンヌ<br /><br />本作品では、セザンヌの故郷、自然豊かな南仏プロヴァンスの陽光に満ちた青い空、山の斜面に建つ家、緑の木々などが、あざやかな色彩で描かれている。画面中央の家には、プロヴァンスで「マス」と呼ばれる、モルタル塗りの壁と赤く平らな瓦葺き屋根といったこの地域の農家に典型的な建築様式がみられる。また、この辺りの家は南に建てられ、家の周りには、強風を防ぐための木々が植えられている。セザンヌは、緑の木々を、画面全体の統一的な構成をめざした長方形のタッチの積み重ねによって描いている。

    「プロヴァンスの風景」(1879~82年) ポール・セザンヌ

    本作品では、セザンヌの故郷、自然豊かな南仏プロヴァンスの陽光に満ちた青い空、山の斜面に建つ家、緑の木々などが、あざやかな色彩で描かれている。画面中央の家には、プロヴァンスで「マス」と呼ばれる、モルタル塗りの壁と赤く平らな瓦葺き屋根といったこの地域の農家に典型的な建築様式がみられる。また、この辺りの家は南に建てられ、家の周りには、強風を防ぐための木々が植えられている。セザンヌは、緑の木々を、画面全体の統一的な構成をめざした長方形のタッチの積み重ねによって描いている。

  • 「アルルカン」(1888~90年)  ポール・セザンヌ<br /><br />セザンヌは1880年代から1890年代初頭、風景や静物の主題を探究した後、「赤いチョッキの少年」や「カード遊びをする人々」、「アルルカン」といった人物画の連作を制作する。彼は空間における人体の形態表現に取り組んだ。 本作品は《マルディ・グラ》(1888年、国立プーシキン美術館、モスクワ)を含む「アルルカン」を描いた4点のうちの1点である。謝肉祭の最終日でカーニヴァルが行なわれる謝肉の火曜日を意味するこの《マルディ・グラ》には、16世紀にイタリアからフランスに伝わった即興喜劇コメディア・デラルテの登場人物アルルカンとピエロに扮した二人の若者が描かれている。アルルカンに扮しているのはセザンヌの息子ポールであり、ピエロに扮しているのは靴屋の息子でポールの友人ルイ・ギョームである。後年ポールは、1888年にパリのヴァル=ド=グラース通りのアトリエでモデルを務めたと語っている。 本作品では、アルルカンに扮したポールの姿だけが描かれている。灰色を基調とし、緑、青、紫、褐色が混ぜられた壁面と赤味がかった床は、赤と黒の菱形模様の衣装を着て帽子をかぶり、左手にバトンを持つ彼の姿を際立たせている。《マルディ・グラ》では二人の顔は描き込まれているが、本作品ではポールの表情は、まるで仮面のように単純化されている。彼は右足を一歩前に踏み出しているが、この頭部と足が画面からはみ出すほどに前進する動きは、静的な画面全体の構成を乱している。 《マルディ・グラ》とアルルカンのみを描いた3点が、どこで、どれくらいの間隔を置いて描かれたのかは不明である。美術史家ジョン・リウォルドは本作品を、《マルディ・グラ》の完成前に描かれたか、あるいはアルルカンだけを描いたほかの2点よりも雰囲気にかたさが感じられないことと軽やかに描かれていることから、数年の間隔を置いて制作された最終作である可能性も指摘している。

    「アルルカン」(1888~90年) ポール・セザンヌ

    セザンヌは1880年代から1890年代初頭、風景や静物の主題を探究した後、「赤いチョッキの少年」や「カード遊びをする人々」、「アルルカン」といった人物画の連作を制作する。彼は空間における人体の形態表現に取り組んだ。 本作品は《マルディ・グラ》(1888年、国立プーシキン美術館、モスクワ)を含む「アルルカン」を描いた4点のうちの1点である。謝肉祭の最終日でカーニヴァルが行なわれる謝肉の火曜日を意味するこの《マルディ・グラ》には、16世紀にイタリアからフランスに伝わった即興喜劇コメディア・デラルテの登場人物アルルカンとピエロに扮した二人の若者が描かれている。アルルカンに扮しているのはセザンヌの息子ポールであり、ピエロに扮しているのは靴屋の息子でポールの友人ルイ・ギョームである。後年ポールは、1888年にパリのヴァル=ド=グラース通りのアトリエでモデルを務めたと語っている。 本作品では、アルルカンに扮したポールの姿だけが描かれている。灰色を基調とし、緑、青、紫、褐色が混ぜられた壁面と赤味がかった床は、赤と黒の菱形模様の衣装を着て帽子をかぶり、左手にバトンを持つ彼の姿を際立たせている。《マルディ・グラ》では二人の顔は描き込まれているが、本作品ではポールの表情は、まるで仮面のように単純化されている。彼は右足を一歩前に踏み出しているが、この頭部と足が画面からはみ出すほどに前進する動きは、静的な画面全体の構成を乱している。 《マルディ・グラ》とアルルカンのみを描いた3点が、どこで、どれくらいの間隔を置いて描かれたのかは不明である。美術史家ジョン・リウォルドは本作品を、《マルディ・グラ》の完成前に描かれたか、あるいはアルルカンだけを描いたほかの2点よりも雰囲気にかたさが感じられないことと軽やかに描かれていることから、数年の間隔を置いて制作された最終作である可能性も指摘している。

  • 12時発のシャトルバスを待つ間、間食を摂った。<br />大涌谷で購入した黒たまごも2個食った。

    12時発のシャトルバスを待つ間、間食を摂った。
    大涌谷で購入した黒たまごも2個食った。

  • 強羅駅から一駅の区間を鉄道沿いに歩いた。

    強羅駅から一駅の区間を鉄道沿いに歩いた。

  • 12:25頃、彫刻の森美術館に到着。<br />入場料は2000円だが、事前にアソビューでチケット購入して1800円だった。<br /><br />以下、作品ごとに彫刻の森美術館HPの解説文を掲載する。

    12:25頃、彫刻の森美術館に到着。
    入場料は2000円だが、事前にアソビューでチケット購入して1800円だった。

    以下、作品ごとに彫刻の森美術館HPの解説文を掲載する。

  • 「嘆きの天使」(1986年)  フランソワ=ザビエ・ラランヌ&クロード・ラランヌ<br /><br />水面に映った自分の姿に恋をして水仙の花に生まれ変わったという、ギリシャ神話の青年ナルシスのように、水面に頬をよせる天使。水面の恋人は言葉を返すこともなく、流れ落ちる涙は、水面に映る自分の顔をかき消してしまう。しかし、かなわぬ恋を嘆きながらも、その顔はどこか微笑んでいるようにも見える。作者のラランヌ夫妻は、動物の形をした家具など様々な分野の作品を、共同で生み出してきた。動物や昆虫、植物を題材にしたその作品は、愛らしくも不思議であり、見る者を空想の世界に誘う。

    「嘆きの天使」(1986年) フランソワ=ザビエ・ラランヌ&クロード・ラランヌ

    水面に映った自分の姿に恋をして水仙の花に生まれ変わったという、ギリシャ神話の青年ナルシスのように、水面に頬をよせる天使。水面の恋人は言葉を返すこともなく、流れ落ちる涙は、水面に映る自分の顔をかき消してしまう。しかし、かなわぬ恋を嘆きながらも、その顔はどこか微笑んでいるようにも見える。作者のラランヌ夫妻は、動物の形をした家具など様々な分野の作品を、共同で生み出してきた。動物や昆虫、植物を題材にしたその作品は、愛らしくも不思議であり、見る者を空想の世界に誘う。

  • 「人とペガサス」(1949年)  カール・ミレス<br /><br />ギリシャ神話の英雄ベレロフォンが天馬ペガサスに乗って、怪物キマイラの退治に向かう場面である。そそり立つ台座の上で人もペガサスも思いきり体を伸ばし、さらに高く飛翔しようとする。

    「人とペガサス」(1949年) カール・ミレス

    ギリシャ神話の英雄ベレロフォンが天馬ペガサスに乗って、怪物キマイラの退治に向かう場面である。そそり立つ台座の上で人もペガサスも思いきり体を伸ばし、さらに高く飛翔しようとする。

  • 「my sky hole 84 HAKONE」(1984年)  井上武吉<br /><br />井上は1978年から「マイ・スカイ・ホール」をテーマに様々な形、大きさの作品を制作している。「マイ・スカイ・ホール」とは、天をのぞく穴である。<br />球体の真ん中に穴が開いている。

    「my sky hole 84 HAKONE」(1984年) 井上武吉

    井上は1978年から「マイ・スカイ・ホール」をテーマに様々な形、大きさの作品を制作している。「マイ・スカイ・ホール」とは、天をのぞく穴である。
    球体の真ん中に穴が開いている。

  • 「宇宙的色彩空間」(1968年)  松原成夫<br /><br />松原は、「物体を並列させることで空間がつながり、屋外の自然と融合して秩序のある宇宙空間が生まれる」と語る。この作品では同じ大きさの正方形を1列に並べ、赤、黄、緑、青と虹色に移り変わる色をつけた。12色の変化がリズムとハーモニーを生み出して、まるで音でも聞こえてきそうな色彩の小宇宙を作っている。この作品は、人々の気持ちを和ませる環境彫刻として、また作家の造形の意図を越えて、遊戯造形としての役割も果たしている。

    「宇宙的色彩空間」(1968年) 松原成夫

    松原は、「物体を並列させることで空間がつながり、屋外の自然と融合して秩序のある宇宙空間が生まれる」と語る。この作品では同じ大きさの正方形を1列に並べ、赤、黄、緑、青と虹色に移り変わる色をつけた。12色の変化がリズムとハーモニーを生み出して、まるで音でも聞こえてきそうな色彩の小宇宙を作っている。この作品は、人々の気持ちを和ませる環境彫刻として、また作家の造形の意図を越えて、遊戯造形としての役割も果たしている。

  • 「宇宙的色彩空間」の正方形をのぞいて人を入れずに写真を撮るのは、週末では難しいらしい。<br />人が子供ならそれはそれで悪くない。

    「宇宙的色彩空間」の正方形をのぞいて人を入れずに写真を撮るのは、週末では難しいらしい。
    人が子供ならそれはそれで悪くない。

  • 「my sky hole 84 HAKONE」(1984年)  井上武吉<br /><br />前述の同じタイトルの球体の作品らしい。<br />こちらは空中に浮遊する球体だが、球体に穴(ホール)はないようだ。

    「my sky hole 84 HAKONE」(1984年) 井上武吉

    前述の同じタイトルの球体の作品らしい。
    こちらは空中に浮遊する球体だが、球体に穴(ホール)はないようだ。

  • 「浮かぶ彫刻 3」(1969年)  マルタ・パン<br /><br />緑豊かな池に浮かぶこの赤い彫刻は、そこに置かれているというよりも新しい風景を作り出している。小さい方の部分は風が吹くと水の上を滑って、大きい方から離れたり、近づいたり、向きを変えたり、まるで池の鯉や自然との対話を楽しんでいるかのように見える。変化に富むその形をよく見ると、小さい形はちょうど大きい方からくり抜いた形になっている。都市計画や公共空間のためのプロジェクトも数多く手がけた。

    「浮かぶ彫刻 3」(1969年) マルタ・パン

    緑豊かな池に浮かぶこの赤い彫刻は、そこに置かれているというよりも新しい風景を作り出している。小さい方の部分は風が吹くと水の上を滑って、大きい方から離れたり、近づいたり、向きを変えたり、まるで池の鯉や自然との対話を楽しんでいるかのように見える。変化に富むその形をよく見ると、小さい形はちょうど大きい方からくり抜いた形になっている。都市計画や公共空間のためのプロジェクトも数多く手がけた。

  • 「人物」(1972年)  ジョアン・ミロ<br /><br />その向こうには「ネットの森」。

    「人物」(1972年) ジョアン・ミロ

    その向こうには「ネットの森」。

  • 「ネットの森」は、小学生までの子供が遊ぶことができる造形作品である。

    「ネットの森」は、小学生までの子供が遊ぶことができる造形作品である。

  • 「星の庭」は、星型を角度を変えて重ねた図形の迷路。

    「星の庭」は、星型を角度を変えて重ねた図形の迷路。

  • 「山野を歩くファン・ゴッホ」(1956年)  オシップ・ザツキン

    「山野を歩くファン・ゴッホ」(1956年) オシップ・ザツキン

  • 「預言者-大」(1933年)  パブロ・ガルガリョ<br /><br />聖書に「荒野で叫ぶ者」と記された洗礼者ヨハネの像です。<br />ガルガリョはピカソのキュビスムに接して、彫刻を面の集合として構築する、透かし彫りのような手法を生み出しました。

    「預言者-大」(1933年) パブロ・ガルガリョ

    聖書に「荒野で叫ぶ者」と記された洗礼者ヨハネの像です。
    ガルガリョはピカソのキュビスムに接して、彫刻を面の集合として構築する、透かし彫りのような手法を生み出しました。

  • 「歩く花」(1952年)  フェルナン・レジェ<br /><br />レジェは、他の作家たちが高度に機能化していく近代社会に生きる人間の未来を憂慮するのとは違い、近代の機械文明と素朴な人間生活の調和を夢見た。晩年には建築との共同を目的とするモニュメントを手がける。躍動感あふれるこの作品は、レジェが作った模型をもとに、高さ6メートルの規模に拡大された。花びらが頭、手足となって、まるで太陽に向かって堂々と行進しながら、カとエネルギーに満ちた文明社会の未来を賛美しているかのようである。<br /><br />その背後に建つのは「ピカソ館」。

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    「歩く花」(1952年) フェルナン・レジェ

    レジェは、他の作家たちが高度に機能化していく近代社会に生きる人間の未来を憂慮するのとは違い、近代の機械文明と素朴な人間生活の調和を夢見た。晩年には建築との共同を目的とするモニュメントを手がける。躍動感あふれるこの作品は、レジェが作った模型をもとに、高さ6メートルの規模に拡大された。花びらが頭、手足となって、まるで太陽に向かって堂々と行進しながら、カとエネルギーに満ちた文明社会の未来を賛美しているかのようである。

    その背後に建つのは「ピカソ館」。

  • 「ピカソ館」のステンドグラス。<br /><br />「ピカソ館」はパブロ・ピカソの陶芸を中心に、絵画や彫刻などの作品が展示されているが、残念ながら作品は全面的に写真撮影不可となっている。

    「ピカソ館」のステンドグラス。

    「ピカソ館」はパブロ・ピカソの陶芸を中心に、絵画や彫刻などの作品が展示されているが、残念ながら作品は全面的に写真撮影不可となっている。

  • 園内に咲くのは河津桜らしい。<br /><br />その向こうの塔は、「幸せをよぶシンフォニー彫刻」。<br />箱根有数のインスタ映えスポット。

    園内に咲くのは河津桜らしい。

    その向こうの塔は、「幸せをよぶシンフォニー彫刻」。
    箱根有数のインスタ映えスポット。

  • 「幸せをよぶシンフォニー彫刻」(1975年)  ガブリエル・ロアール<br /><br />480枚のステンドグラスによるパネルで壁面が構成され、色ガラスの光だけで空間そのものを造形した作品。ステンドグラスの技法のうち、ダル・ド・ヴェールという厚さ2~3センチメートルの板ガラスを使用する技法がとられている。ガラスをたたいて割れ模様を入れ、そこに差し込む光が屈折することで、独特のきらびやかさが出ている。ロアールは、このガラスを「スカルプチャード・グラス」と呼んだ。

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    「幸せをよぶシンフォニー彫刻」(1975年) ガブリエル・ロアール

    480枚のステンドグラスによるパネルで壁面が構成され、色ガラスの光だけで空間そのものを造形した作品。ステンドグラスの技法のうち、ダル・ド・ヴェールという厚さ2~3センチメートルの板ガラスを使用する技法がとられている。ガラスをたたいて割れ模様を入れ、そこに差し込む光が屈折することで、独特のきらびやかさが出ている。ロアールは、このガラスを「スカルプチャード・グラス」と呼んだ。

  • 足形の付いたらせん階段を上って行く。

    足形の付いたらせん階段を上って行く。

  • 作品の構図は、ロアールの子供時代の世界が散文詩的に映し出されている。その情景は、東南西北の方角に合わせて春夏秋冬の場面が四分割されていて、らせん階段を昇り降りしながら四季を巡る。

    作品の構図は、ロアールの子供時代の世界が散文詩的に映し出されている。その情景は、東南西北の方角に合わせて春夏秋冬の場面が四分割されていて、らせん階段を昇り降りしながら四季を巡る。

  • 塔の屋上からは箱根連山の眺望が得られる。

    塔の屋上からは箱根連山の眺望が得られる。

  • 河津桜が咲く広場を見下ろす。

    河津桜が咲く広場を見下ろす。

  • 「幸せをよぶシンフォニー彫刻」の近くに、リニューアルオープンしたという「森の足湯」がある。<br />歩き疲れたので、ここで一休み。

    「幸せをよぶシンフォニー彫刻」の近くに、リニューアルオープンしたという「森の足湯」がある。
    歩き疲れたので、ここで一休み。

  • 伊豆の河津桜はすでに散っているだろうが、標高の高いここでは一カ月近く時期がずれるらしい。

    伊豆の河津桜はすでに散っているだろうが、標高の高いここでは一カ月近く時期がずれるらしい。

  • 「横たわる2つの形」ヘンリー・ムーア<br /><br />彫刻の森美術館所蔵のヘンリー・ムーアの作品は26点を数え、規模からいって世界有数のコレクションのひとつです。全品の制年も1948年から84年、彼の円熟期から晩年にまでわたっています。ムーアより贈られた「直立した接続するかたち」(1979年)、アメリカの元副大統領ネルソン・ロックフェラーから購入した「ファミリー・グループ」(1948-49年)、それに1986年に購入した16点を中核として、ムーアの芸術の本質をうかがわせる佳品が揃っています。

    「横たわる2つの形」ヘンリー・ムーア

    彫刻の森美術館所蔵のヘンリー・ムーアの作品は26点を数え、規模からいって世界有数のコレクションのひとつです。全品の制年も1948年から84年、彼の円熟期から晩年にまでわたっています。ムーアより贈られた「直立した接続するかたち」(1979年)、アメリカの元副大統領ネルソン・ロックフェラーから購入した「ファミリー・グループ」(1948-49年)、それに1986年に購入した16点を中核として、ムーアの芸術の本質をうかがわせる佳品が揃っています。

  • 「ミス・ブラック・パワー」(1968年)  ニキ・ド・サン・ファール <br /><br />自分の抑圧された意識を解放するための、いわば治療として作品を制作し始めた。攻撃的でメランコリーな作風は、1965年〈ナナ〉の登場で一転する。〈ナナ〉はFRPで作られた巨大な女性像のシリーズで、この作品もそのひとつ。

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    「ミス・ブラック・パワー」(1968年) ニキ・ド・サン・ファール

    自分の抑圧された意識を解放するための、いわば治療として作品を制作し始めた。攻撃的でメランコリーな作風は、1965年〈ナナ〉の登場で一転する。〈ナナ〉はFRPで作られた巨大な女性像のシリーズで、この作品もそのひとつ。

  • 「ボクシングをする二匹のうさぎ」(1985年)  バリー・フラナガン <br /><br />2匹の野うさぎが十字架の上で、ボクシングかダンスでもして戯れている様な楽しい作品である。野うさぎは、神話や文学、芸術の中で様々な形で登場する。フラナガンの2匹のうさぎは、しなやかで活力にあふれた肢体を持ち、耳を立て人間のように2本の足で力強く立ち上がる。野うさぎの彫刻に、フラナガンはどんな教訓や寓意を秘めたのであろうか。1960年代後半から70年代にかけてコンセプチュアルな作品を制作するが、1980年代初頭から動物の具象作品に転向した。<br /><br />その向こうには、「みちのく」(1953年)  高村光太郎<br />十和田湖畔に立つ「乙女の像」と同じもの。

    「ボクシングをする二匹のうさぎ」(1985年) バリー・フラナガン

    2匹の野うさぎが十字架の上で、ボクシングかダンスでもして戯れている様な楽しい作品である。野うさぎは、神話や文学、芸術の中で様々な形で登場する。フラナガンの2匹のうさぎは、しなやかで活力にあふれた肢体を持ち、耳を立て人間のように2本の足で力強く立ち上がる。野うさぎの彫刻に、フラナガンはどんな教訓や寓意を秘めたのであろうか。1960年代後半から70年代にかけてコンセプチュアルな作品を制作するが、1980年代初頭から動物の具象作品に転向した。

    その向こうには、「みちのく」(1953年) 高村光太郎
    十和田湖畔に立つ「乙女の像」と同じもの。

  • 「偉大なる物語」(2004年)  ジュリアーノ・ヴァンジ<br /><br />総重量25トンを超える大理石に彫られた群像、人間の存在とその意味、人生の物語が時の流れと共に刻まれている。洞窟で膝を抱えてかがむ古代の男。背後には記憶の中の女性が顔を見せ、その脇ではオリーブの若木が葉を茂らせている。その横に人生の入口が開いているが、先が狭くなり、人生の苦労を表わしている。反対側には、樫の古木の葉が愛し合うカップルの顔を優しくなで、人と自然が共に生きることの大切さを表わす。その先に顔を上げる男の姿があり、苦難にあっても現代の男は希望を持って前進する。<br /><br />左奥には、「風の刻印」(1979年)  流 政之<br /><br />1958年、流自身が「ワレハダ(割れ肌)」と呼ぶ、叩き割った原石そのままのようなごつごつした表面と、磨きあげた石の表面が一体となった彫刻を発表。簡潔な形と、自然を生かしたワレハダの技法、奥深い精神性がまずアメリカで高く評価された。 日本国内やアメリカ各地に、日本人古来の感性を近代的な造形で表現したモニュメンタルな彫刻を制作。

    「偉大なる物語」(2004年) ジュリアーノ・ヴァンジ

    総重量25トンを超える大理石に彫られた群像、人間の存在とその意味、人生の物語が時の流れと共に刻まれている。洞窟で膝を抱えてかがむ古代の男。背後には記憶の中の女性が顔を見せ、その脇ではオリーブの若木が葉を茂らせている。その横に人生の入口が開いているが、先が狭くなり、人生の苦労を表わしている。反対側には、樫の古木の葉が愛し合うカップルの顔を優しくなで、人と自然が共に生きることの大切さを表わす。その先に顔を上げる男の姿があり、苦難にあっても現代の男は希望を持って前進する。

    左奥には、「風の刻印」(1979年) 流 政之

    1958年、流自身が「ワレハダ(割れ肌)」と呼ぶ、叩き割った原石そのままのようなごつごつした表面と、磨きあげた石の表面が一体となった彫刻を発表。簡潔な形と、自然を生かしたワレハダの技法、奥深い精神性がまずアメリカで高く評価された。 日本国内やアメリカ各地に、日本人古来の感性を近代的な造形で表現したモニュメンタルな彫刻を制作。

  • 「交叉する空間構造」(1978年)  後藤良二<br /><br />ある日何気なく見た金網の格子が、人のつながりに重なって見えた。その体験が、ダイヤモンドの分子構造を母体として4本の手足を持つ炭素原子を人体に置き換えて構成した《ダイアモンド構造》(美ヶ原高原美術館)の誕生につながった。黒い男性像と赤い女性像が各72体、合計144体の群像が四肢を伸ばし、お互いに手足をつなぎ連なっている。幾何学的な組み合わせによって人間関係の感傷的な部分が消え、無名の人間たちが連帯を謳歌し群舞しているような、若々しいエネルギーに満ちた作品となった。

    「交叉する空間構造」(1978年) 後藤良二

    ある日何気なく見た金網の格子が、人のつながりに重なって見えた。その体験が、ダイヤモンドの分子構造を母体として4本の手足を持つ炭素原子を人体に置き換えて構成した《ダイアモンド構造》(美ヶ原高原美術館)の誕生につながった。黒い男性像と赤い女性像が各72体、合計144体の群像が四肢を伸ばし、お互いに手足をつなぎ連なっている。幾何学的な組み合わせによって人間関係の感傷的な部分が消え、無名の人間たちが連帯を謳歌し群舞しているような、若々しいエネルギーに満ちた作品となった。

  • 「球体をもった球体」(1978~80年)  アルナルド・ポモドーロ<br /><br />鏡面のように磨きあげられたブロンズの球体の表面に、地割れのような裂け目が入り、開口部から内部が露呈している。その歯型の様な割れ目と蝕まれた様な内部は、滑らかな表皮と対照的な様態を見せ、見る者を驚かす。球体は小さな球体を内包し、新たな生命を育んでいるように見えるが、それもすでに蝕まれている。ブロンズという無機質で硬質な素材が生き物を暗示するような有機的な形や、内に持つもろさを反語のように印象づける。

    「球体をもった球体」(1978~80年) アルナルド・ポモドーロ

    鏡面のように磨きあげられたブロンズの球体の表面に、地割れのような裂け目が入り、開口部から内部が露呈している。その歯型の様な割れ目と蝕まれた様な内部は、滑らかな表皮と対照的な様態を見せ、見る者を驚かす。球体は小さな球体を内包し、新たな生命を育んでいるように見えるが、それもすでに蝕まれている。ブロンズという無機質で硬質な素材が生き物を暗示するような有機的な形や、内に持つもろさを反語のように印象づける。

  • 彫刻の森美術館の見学を終えて、14:30過ぎに箱根登山電車の彫刻の森駅に到着。<br />ここから箱根登山電車、小田原からJRと乗り継いで横浜へと向かった。

    彫刻の森美術館の見学を終えて、14:30過ぎに箱根登山電車の彫刻の森駅に到着。
    ここから箱根登山電車、小田原からJRと乗り継いで横浜へと向かった。

    彫刻の森駅

  • 横浜駅で根岸線に乗り換え、17時頃関内に着いた。<br />昨日、内田正泰記念アートギャラリーの管理人から教えてもらった有隣堂 伊勢佐木町本店に来てみた。<br />単品のカラーペーパーは種類が豊富だったが、期待したような100色を超えるセットのカラーペーパーはなかった。<br />なので、単品のカラーペーパーを数枚購入しただけにした。

    横浜駅で根岸線に乗り換え、17時頃関内に着いた。
    昨日、内田正泰記念アートギャラリーの管理人から教えてもらった有隣堂 伊勢佐木町本店に来てみた。
    単品のカラーペーパーは種類が豊富だったが、期待したような100色を超えるセットのカラーペーパーはなかった。
    なので、単品のカラーペーパーを数枚購入しただけにした。

  •  伊勢佐木町から徒歩でベイエリアの方に向かった。<br />日が暮れて、北仲通北第二公園の岸からはYOKOHAMA AIR CABINや横浜ランドマークタワーなど横浜みなとみらい21の夜景が眺められた。

    イチオシ

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    伊勢佐木町から徒歩でベイエリアの方に向かった。
    日が暮れて、北仲通北第二公園の岸からはYOKOHAMA AIR CABINや横浜ランドマークタワーなど横浜みなとみらい21の夜景が眺められた。

    北仲通北第ニ公園 公園・植物園

  • 万国橋からの夜景。

    万国橋からの夜景。

    万国橋 名所・史跡

  • 横浜赤レンガ倉庫も遠くはなかったが、歩き疲れそうなので汽車道の方へ向かった。

    横浜赤レンガ倉庫も遠くはなかったが、歩き疲れそうなので汽車道の方へ向かった。

  • よこはまコスモワールドの観覧車コスモクロック21は、1989年の完成時には直径・全長ともに世界一だったという。<br />とはいえ、万博記念公園内のエキスポシティにあるOSAKA WHEELを見慣れている関西人から見れば、大きさのインパクトはあまりない。

    よこはまコスモワールドの観覧車コスモクロック21は、1989年の完成時には直径・全長ともに世界一だったという。
    とはいえ、万博記念公園内のエキスポシティにあるOSAKA WHEELを見慣れている関西人から見れば、大きさのインパクトはあまりない。

  • 土曜日なので平日の夜に比べるとビルの灯は少ないのだろう。<br />夜景としては若干物足りなくなっているかもしれないが、コスモクロック21の存在感は増している。

    土曜日なので平日の夜に比べるとビルの灯は少ないのだろう。
    夜景としては若干物足りなくなっているかもしれないが、コスモクロック21の存在感は増している。

  • 横浜みなとみらい21は1980年代から再開発されたウォーターフロントで観光地としても人気のエリアである。<br />しかし、再開発が行われる以前は三菱重工業横浜造船所、国鉄貨物支線の東横浜駅および高島駅・操車場、高島埠頭、新港埠頭などの広大な港湾・業務関連施設が広がり、横浜市の中心部に位置しているにもかかわらず一般の観光客が気軽に立ち寄れるような場所ではなかったという。

    横浜みなとみらい21は1980年代から再開発されたウォーターフロントで観光地としても人気のエリアである。
    しかし、再開発が行われる以前は三菱重工業横浜造船所、国鉄貨物支線の東横浜駅および高島駅・操車場、高島埠頭、新港埠頭などの広大な港湾・業務関連施設が広がり、横浜市の中心部に位置しているにもかかわらず一般の観光客が気軽に立ち寄れるような場所ではなかったという。

  • 汽車道に沿って桜木町へと歩く。

    汽車道に沿って桜木町へと歩く。

  • 汽車道は、1911年(明治44年)開通の旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ通称「税関線」とも呼ばれた臨港線の廃線跡である。<br />臨港線は当初貨物輸送目的で作られたもので、新港埠頭内の横浜港荷扱所を経由して岸壁や倉庫の前、横浜税関構内の荷扱所まで結んでいた。<br />一時期旅客運行も行われたが、1989年(平成元年)の横浜博覧会開催時に桜木町駅近辺の日本丸駅から山下公園駅まで旅客列車の運行を最後に、博覧会終了とともに廃線となった。<br />1997年(平成9年)に汽車道として整備されるに至った。

    汽車道は、1911年(明治44年)開通の旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ通称「税関線」とも呼ばれた臨港線の廃線跡である。
    臨港線は当初貨物輸送目的で作られたもので、新港埠頭内の横浜港荷扱所を経由して岸壁や倉庫の前、横浜税関構内の荷扱所まで結んでいた。
    一時期旅客運行も行われたが、1989年(平成元年)の横浜博覧会開催時に桜木町駅近辺の日本丸駅から山下公園駅まで旅客列車の運行を最後に、博覧会終了とともに廃線となった。
    1997年(平成9年)に汽車道として整備されるに至った。

  • 週末なので、ナイトクルーズも人気。

    週末なので、ナイトクルーズも人気。

  • 帆船日本丸が見えてきた。

    帆船日本丸が見えてきた。

  • 日本丸メモリアルパークでは、何か催し物が行われていた。<br />22日と23日に開催されている「2025横浜舞踏会inみなとみらい」だという。

    イチオシ

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    日本丸メモリアルパークでは、何か催し物が行われていた。
    22日と23日に開催されている「2025横浜舞踏会inみなとみらい」だという。

  • この時間帯はフィールドバレエが行われていた。<br />曲は「地上の星」(中島みゆき)。

    この時間帯はフィールドバレエが行われていた。
    曲は「地上の星」(中島みゆき)。

  • 次の曲は、「Jupiter」(平原綾香)<br /><br />https://www.youtube.com/watch?v=-u8hIZ7pjJ0

    次の曲は、「Jupiter」(平原綾香)

    https://www.youtube.com/watch?v=-u8hIZ7pjJ0

  • 次のチーム登場。

    次のチーム登場。

  • よさこい系の演舞らしい。<br /><br />https://www.youtube.com/watch?v=2qcd70JPKQQ

    よさこい系の演舞らしい。

    https://www.youtube.com/watch?v=2qcd70JPKQQ

  • 2チーム15分程度の鑑賞だったが、偶然に出会った催し物は結構楽しめた。

    2チーム15分程度の鑑賞だったが、偶然に出会った催し物は結構楽しめた。

  • 先ほど行った有隣堂であまり収穫がなかったので、世界堂ルミネ横浜店にも行ってみた。<br />が、やはり期待したようなセットのカラーペーパーはなかった。<br />昨年まではタント200カラーペーパーが販売されていたが製造中止になって、今は100色までしか手に入らない。<br />やはりペーパーレスで紙の需要が減ってるからなのか?<br />美術・工芸の分野ではペーパーレスは関係ないと思うのだが・・・

    先ほど行った有隣堂であまり収穫がなかったので、世界堂ルミネ横浜店にも行ってみた。
    が、やはり期待したようなセットのカラーペーパーはなかった。
    昨年まではタント200カラーペーパーが販売されていたが製造中止になって、今は100色までしか手に入らない。
    やはりペーパーレスで紙の需要が減ってるからなのか?
    美術・工芸の分野ではペーパーレスは関係ないと思うのだが・・・

  • 横浜といえば崎陽軒のシウマイ。<br />15個入700円。<br />それと桃源台で購入した黒たまごが本日の夕食。

    横浜といえば崎陽軒のシウマイ。
    15個入700円。
    それと桃源台で購入した黒たまごが本日の夕食。

  • 復路は22:40発のさくら高速バス。<br />集合場所は横浜駅東口スカイビル2階ペデストリアンデッキ(YCATの上)で、そこからバス乗り場まで少し歩いた。<br />横浜→梅田間で料金は片道約6,300円だった。<br /><br />今回は絵画作成の参考に、鈴木英人、わたせせいぞう、内田正泰の作品を見ることが主目的だった。<br />ちょうど10年前パリに行った時にオルセー美術館に行きそびれたこともあって、国立西洋美術館とポーラ美術館で印象派の名画を多数鑑賞できたのは良かった。<br />彫刻の森美術館は美術鑑賞というより、写真の被写体として興味深く、大涌谷や鎌倉と横浜の街歩きとともに観光の意味合いが強かった。<br /><br />勉強の旅とはいいながら今後の絵画作成に生かせるかは微妙。<br />まあ、すぐに結果を出さないといけないことでもないので、あせらず続けていこか。

    復路は22:40発のさくら高速バス。
    集合場所は横浜駅東口スカイビル2階ペデストリアンデッキ(YCATの上)で、そこからバス乗り場まで少し歩いた。
    横浜→梅田間で料金は片道約6,300円だった。

    今回は絵画作成の参考に、鈴木英人、わたせせいぞう、内田正泰の作品を見ることが主目的だった。
    ちょうど10年前パリに行った時にオルセー美術館に行きそびれたこともあって、国立西洋美術館とポーラ美術館で印象派の名画を多数鑑賞できたのは良かった。
    彫刻の森美術館は美術鑑賞というより、写真の被写体として興味深く、大涌谷や鎌倉と横浜の街歩きとともに観光の意味合いが強かった。

    勉強の旅とはいいながら今後の絵画作成に生かせるかは微妙。
    まあ、すぐに結果を出さないといけないことでもないので、あせらず続けていこか。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • Mollyさん 2025/05/04 07:31:13
    おはようございます。Mollyと申します。
    おはようございます。
     箱根の紀行文を拝見させていただきました。
    彫刻の森美術館は子供たちが小さなとき、
    数十年前にに出かけましたので
    ゆっくり見ることができませんでした。
    またじっくりと見学したいです。
     ポーラ美術館も数年前に初めて行きました。
    印象派があのようにたくさんあるとは思いませんでした。
    それにしても絵画に対する的確なコメントで
    すばらしいです。
    私の駄文の投稿は以下です。
    https://4travel.jp/travelogue/11903085

    また他の紀行文もいろいろ読ませていただきます。

    Mollyより


    キートン

    キートンさん からの返信 2025/05/04 10:05:21
    Re: おはようございます。Mollyと申します。
    こんにちは、Mollyさん。
    書き込みありがとうございます。

    彫刻の森美術館は美術鑑賞というだけでなく、屋外展示が主で子供が遊んで楽しめるので、家族連れで行くのも良いところですよね。
    絵画作品に関するコメントはその美術館のHPの解説をコピペしたもので、私の知識や見解という訳ではないです。
    Mollyさんの昨年5月の旅行記は以前に拝見しており、今回の旅の参考にさせて頂きました。
    山のホテルのつつじ・しゃくなげフェアや成川美術館もとても良いですね。
    富士山を背景とした景色が素晴らしいです。
    では、また。

    キートン

    Molly

    Mollyさん からの返信 2025/05/04 18:34:49
    RE: Re: おはようございます。Mollyと申します。
    返信をありがとうございます。

    私のこの箱根行きは3日前に決めました。
    天気予報を見たら快晴のマーク。
    まだ行ったことがなく訪れてみたかった
    ポーラ美術館、成川美術館へ快晴の富士山と
    組み合わせて観光をしようと出かけました。

    退職してフリーな人間の強みですよね。
    最近はお出かけの日はみんな直前決定です。

    こんな体が自由が利く日々がいつまで
    続くでしょう。
    楽しみたいと思います。

    Mollyより






    > こんにちは、Mollyさん。
    > 書き込みありがとうございます。
    >
    > 彫刻の森美術館は美術鑑賞というだけでなく、屋外展示が主で子供が遊んで楽しめるので、家族連れで行くのも良いところですよね。
    > 絵画作品に関するコメントはその美術館のHPの解説をコピペしたもので、私の知識や見解という訳ではないです。
    > Mollyさんの昨年5月の旅行記は以前に拝見しており、今回の旅の参考にさせて頂きました。
    > 山のホテルのつつじ・しゃくなげフェアや成川美術館もとても良いですね。
    > 富士山を背景とした景色が素晴らしいです。
    > では、また。
    >
    > キートン

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