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2019年の年末から2020年の年始にかけての1週間、75歳の母と共にイラン・イスラム共和国を旅してきました。<br /><br />母と私のイラン旅の始まりは、イラン南部のShiraz(シラーズ)という町で、日本(成田)からシラーズに到着するまでに要した時間は約24時間。<br />イランは、地理的には日本からは比較的近い位置にありながらも、旅をするには遠い国でした。<br /><br />24時間(丸1日)、体を横にして眠ることができない・・・という移動環境で心配だったのは、75歳の母の体調。<br />母自身は気分的にはまだまだ60代のつもりですが、体はやはり年相応。<br />70代も後半に突入すれば、ちょっとした疲れから体調を崩してしまう心配だってあり、母の念願のイランなのに滞在中に体調を崩したら大変です。<br /><br />そんなこんなで、娘の私は旅の始まりから旅の本筋とは関係の無いことでドキドキ!<br /><br />一方の母はといえば、どうやらイランへの旅がやっと実現することに胸がときめいてしまって、日本を発つ前夜は夜中に幾度も目が覚めて、まるで遠足前の幼稚園児の如き状況だったようです。<br /><br />幼稚園児の心を持つ母と、顔に出さない取り越し苦労を秘めた娘のイラン母娘旅。<br /><br />本編が始まります。<br /><br />☆2019/12/28-2020/1/5 イラン旅日程☆<br />■12/28 モスクワ経由でテヘランへ<br />        SU263 &amp; SU812<br />■12/29 国内線でシラーズへと移動<br />□12/30 シラーズ<br />□12/31 ペルセポリス<br />□1/1  イスファハーン<br />□1/2  イスファハーン&カーシャン<br />□1/3  カーシャン&アビヤネ村<br />□1/4   イスタンブールへ  TK879<br />      イスタンブール トランジット観光 <br />□1/5     夜に日本着 TK052<br /><br />☆75歳の母と歩くペルシア 旅行記☆<br />【1】悪の枢軸国へ https://4travel.jp/travelogue/11585503<br />【2】チャドルを纏って即席美女!? https://4travel.jp/travelogue/11593122<br />【3】美しきもの、闇に輝く https://4travel.jp/travelogue/11595091<br />【4】砂漠の薔薇が花開く https://4travel.jp/travelogue/11598247<br />【5】イランのピンクレイクへ https://4travel.jp/travelogue/11604861

チャドルを纏って、即席ミステリアス美女☆イランに貞子は、いらん!?/75歳の母と歩くペルシア-2〔Day-1 Shiraz ガイドツアー編〕

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2019/12/28 - 2020/01/05

7位(同エリア195件中)

ウェンディ

ウェンディさん

2019年の年末から2020年の年始にかけての1週間、75歳の母と共にイラン・イスラム共和国を旅してきました。

母と私のイラン旅の始まりは、イラン南部のShiraz(シラーズ)という町で、日本(成田)からシラーズに到着するまでに要した時間は約24時間。
イランは、地理的には日本からは比較的近い位置にありながらも、旅をするには遠い国でした。

24時間(丸1日)、体を横にして眠ることができない・・・という移動環境で心配だったのは、75歳の母の体調。
母自身は気分的にはまだまだ60代のつもりですが、体はやはり年相応。
70代も後半に突入すれば、ちょっとした疲れから体調を崩してしまう心配だってあり、母の念願のイランなのに滞在中に体調を崩したら大変です。

そんなこんなで、娘の私は旅の始まりから旅の本筋とは関係の無いことでドキドキ!

一方の母はといえば、どうやらイランへの旅がやっと実現することに胸がときめいてしまって、日本を発つ前夜は夜中に幾度も目が覚めて、まるで遠足前の幼稚園児の如き状況だったようです。

幼稚園児の心を持つ母と、顔に出さない取り越し苦労を秘めた娘のイラン母娘旅。

本編が始まります。

☆2019/12/28-2020/1/5 イラン旅日程☆
■12/28 モスクワ経由でテヘランへ
       SU263 & SU812
■12/29 国内線でシラーズへと移動
□12/30 シラーズ
□12/31 ペルセポリス
□1/1  イスファハーン
□1/2  イスファハーン&カーシャン
□1/3  カーシャン&アビヤネ村
□1/4   イスタンブールへ TK879
      イスタンブール トランジット観光 
□1/5   夜に日本着 TK052

☆75歳の母と歩くペルシア 旅行記☆
【1】悪の枢軸国へ https://4travel.jp/travelogue/11585503
【2】チャドルを纏って即席美女!? https://4travel.jp/travelogue/11593122
【3】美しきもの、闇に輝く https://4travel.jp/travelogue/11595091
【4】砂漠の薔薇が花開く https://4travel.jp/travelogue/11598247
【5】イランのピンクレイクへ https://4travel.jp/travelogue/11604861

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
同行者
家族旅行
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
タクシー 徒歩 飛行機
航空会社
イラン航空 アエロフロート・ロシア航空
  • イランのテヘラン空港(エマーム・ホメイニー国際空港)への到着は2019年12月29日の深夜2時過ぎ。<br />和風に云えば、草木も眠る丑三つ時だ。<br /><br />成田の出発は前日12/28の13時過ぎ。<br />モスクワまで11時間弱、そしてモスクワで4時間のトランジットを経てイランへ。<br /><br />結構な長旅だった。

    イランのテヘラン空港(エマーム・ホメイニー国際空港)への到着は2019年12月29日の深夜2時過ぎ。
    和風に云えば、草木も眠る丑三つ時だ。

    成田の出発は前日12/28の13時過ぎ。
    モスクワまで11時間弱、そしてモスクワで4時間のトランジットを経てイランへ。

    結構な長旅だった。

  • 飛行機がイランの大地へと車輪を下ろすと、飛行機に搭乗していた女性達は一斉にイラン・スイッチをON。<br />イラン・スイッチとは、西側諸国の常識を離れ、イランの女性のマナーを身につけると云うこと。<br /><br />もともとイスラム教の方達は最初から準備OKなのだが、イスラム以外の宗教圏からきた旅人の女性は、イラン女性への第一歩として、まずは髪の毛をスカーフやマフラーで覆う事から始める。<br /><br />母も私も手荷物の中からマフラーを出してきて頭を覆うように巻き付けて、前髪以外の髪の毛はしっかりマフラーの中にロック。<br /><br />イランの入国審査では何を聞かれるかドキドキしたが、きちんとイラン・ルールを厳守した甲斐もあり、審査官の方は終始ニコニコの笑顔。<br />日本で申請した観光ビザの内容をPCで確認したら、Welcome to Iran !の言葉をかけてくれた。<br />

    飛行機がイランの大地へと車輪を下ろすと、飛行機に搭乗していた女性達は一斉にイラン・スイッチをON。
    イラン・スイッチとは、西側諸国の常識を離れ、イランの女性のマナーを身につけると云うこと。

    もともとイスラム教の方達は最初から準備OKなのだが、イスラム以外の宗教圏からきた旅人の女性は、イラン女性への第一歩として、まずは髪の毛をスカーフやマフラーで覆う事から始める。

    母も私も手荷物の中からマフラーを出してきて頭を覆うように巻き付けて、前髪以外の髪の毛はしっかりマフラーの中にロック。

    イランの入国審査では何を聞かれるかドキドキしたが、きちんとイラン・ルールを厳守した甲斐もあり、審査官の方は終始ニコニコの笑顔。
    日本で申請した観光ビザの内容をPCで確認したら、Welcome to Iran !の言葉をかけてくれた。

    エマーム ホメイニー国際空港 (IKA) 空港

  • ターンテーブルで預け入れ荷物を待つ間、しばし、空港内の観察。<br />そして、いかにもイラン的なこちらのお写真を見つけた。<br /><br />写真のお二方は世界的にも有名な人物で、左がイラン革命の精神的指導者であるホメイニさんで、右が現在の政府の最高指導者のハメネイさん。<br /><br />どうしてこの写真がイラン的かって?<br /><br />それは、イランはイスラムの国なのに、指導者の写真(偶像)が堂々と掲示してあるから。<br />イスラム教と言えば、偶像崇拝を禁止し動物のデザインや人物の肖像画は基本的には飾らないのが原則なのだが、宗教革命を経て現在の国家があるイランでは、そのルールが少し異なるようだ。<br /><br />イランで多数派を占めるイスラム教シーア派独自の考え方なのかもしれないが、精神的指導者の偶像崇拝は禁止されるどころか、どんどん推し進められている感じがした。<br />

    ターンテーブルで預け入れ荷物を待つ間、しばし、空港内の観察。
    そして、いかにもイラン的なこちらのお写真を見つけた。

    写真のお二方は世界的にも有名な人物で、左がイラン革命の精神的指導者であるホメイニさんで、右が現在の政府の最高指導者のハメネイさん。

    どうしてこの写真がイラン的かって?

    それは、イランはイスラムの国なのに、指導者の写真(偶像)が堂々と掲示してあるから。
    イスラム教と言えば、偶像崇拝を禁止し動物のデザインや人物の肖像画は基本的には飾らないのが原則なのだが、宗教革命を経て現在の国家があるイランでは、そのルールが少し異なるようだ。

    イランで多数派を占めるイスラム教シーア派独自の考え方なのかもしれないが、精神的指導者の偶像崇拝は禁止されるどころか、どんどん推し進められている感じがした。

  • スーツケースをピックアップしたら、出口で私たちの到着を待っていてくれた運転手さんと合流。<br /><br />今回の旅は母連れであるので「無理はしない!買える安全はお金で解決」が最優先項目。<br />国際空港であるテヘラン空港から国内線空港のメフラバード空港までは個人でタクシーを雇って移動することも可能だが、今回は、現地手配会社に専用車の手配を依頼しておいた。(現地手配旅行会社についての詳細情報は、旅行記-1にて紹介)<br /><br />この専用車移動だが、今回の場合は、手配をかけておいて正解。<br />だって、このときの時刻は普通の人ならば深い睡眠中である早朝の3時。<br />空港の到着ロビーの両替商は営業していないし、イランでは他国発行のクレジットカードは使えない(イランで使えるのはイラン国内で発行されたクレカのみ)。<br />だから、もし自力での空港間移動を考えていたら、タクシーに乗るためのイラン現地通貨を入手するために、両替所の開店時間までテヘラン空港内に足止めされるところだった。<br /><br />そして、タクシー内では運転手さんに10米ドル分だけ両替をしてもらい(予め手配会社に両替依頼済み)、当座のイラン現地通貨を入手した。<br />送迎車での両替レートは1米ドル=12万5000イラン・リアルで、ほぼ公定レートだった。

    スーツケースをピックアップしたら、出口で私たちの到着を待っていてくれた運転手さんと合流。

    今回の旅は母連れであるので「無理はしない!買える安全はお金で解決」が最優先項目。
    国際空港であるテヘラン空港から国内線空港のメフラバード空港までは個人でタクシーを雇って移動することも可能だが、今回は、現地手配会社に専用車の手配を依頼しておいた。(現地手配旅行会社についての詳細情報は、旅行記-1にて紹介)

    この専用車移動だが、今回の場合は、手配をかけておいて正解。
    だって、このときの時刻は普通の人ならば深い睡眠中である早朝の3時。
    空港の到着ロビーの両替商は営業していないし、イランでは他国発行のクレジットカードは使えない(イランで使えるのはイラン国内で発行されたクレカのみ)。
    だから、もし自力での空港間移動を考えていたら、タクシーに乗るためのイラン現地通貨を入手するために、両替所の開店時間までテヘラン空港内に足止めされるところだった。

    そして、タクシー内では運転手さんに10米ドル分だけ両替をしてもらい(予め手配会社に両替依頼済み)、当座のイラン現地通貨を入手した。
    送迎車での両替レートは1米ドル=12万5000イラン・リアルで、ほぼ公定レートだった。

  • 母と私のイラン旅は、一筆書きの旅。<br />イラン(テヘラン)へと到着した初日に南部のシラーズへと飛行機で移動し、シラーズを皮切りに6日間をかけて、ペルセポリス、イスファハーン、カーシャーン、アビヤーネ村を旅し、テヘランまでの約1000kmを専用車で辿るルートだ。<br /><br />この1000kmドライブ・ルートを選択した理由は、道中の景色の面白さ。<br />ルートの途中には海抜2000mを超えるエリアがあり、砂漠エリアと言えどもその景色は標高差で大きく異なる。<br />都市部を訪れ、歴史や文化を見るだけではつまらない。<br />その文化を培った環境;土漠や礫漠などの地形や地質の変化も含めて体験できる旅にしたいと思っていた。<br /><br />ただ、専用車利用は経費がそれなりに高くなるのが難点。<br />旅の経費節約を第一目標とするならば、安価な夜行バスを利用して都市間を移動する方法もあるのだが、夜間移動ではせっかくの景色を見損なってしまうし、母を伴った旅では体力的な部分で無理があっただろう。

    母と私のイラン旅は、一筆書きの旅。
    イラン(テヘラン)へと到着した初日に南部のシラーズへと飛行機で移動し、シラーズを皮切りに6日間をかけて、ペルセポリス、イスファハーン、カーシャーン、アビヤーネ村を旅し、テヘランまでの約1000kmを専用車で辿るルートだ。

    この1000kmドライブ・ルートを選択した理由は、道中の景色の面白さ。
    ルートの途中には海抜2000mを超えるエリアがあり、砂漠エリアと言えどもその景色は標高差で大きく異なる。
    都市部を訪れ、歴史や文化を見るだけではつまらない。
    その文化を培った環境;土漠や礫漠などの地形や地質の変化も含めて体験できる旅にしたいと思っていた。

    ただ、専用車利用は経費がそれなりに高くなるのが難点。
    旅の経費節約を第一目標とするならば、安価な夜行バスを利用して都市間を移動する方法もあるのだが、夜間移動ではせっかくの景色を見損なってしまうし、母を伴った旅では体力的な部分で無理があっただろう。

  • テヘラン国際線空港→メフラバード国内線空港への移動は、車で約30分。<br />夜間で道路は空いていたのに30分もかかったと云うことは、日中の混雑する時間帯ならばその倍くらいの時間を要するのかもしれない。<br /><br />メフラバード国内線空港のチェックイン手続きは、飛行機の出発時間の1時間前からなので、チェックインカウンター前の椅子に座って、休憩タイム。<br />空港内ではコーヒーやジュース、お菓子などの売店があり、早朝でも営業中だった。<br /><br />私も先ほど入手したイラン・リアルでジュースを購入。<br />購入したジュースはなんとMinute Maid(アメリカ資本の会社)で、瓶の裏にはMade In Iranと表記されていた。<br />イランとアメリカは犬猿の仲とか云われつつも、こんな部分では上手に提携しているとは驚きだった。<br />両政府は仲が悪いが、民間ビジネスではコカコーラ社を含めアメリカ資本の商品ががっつりとイランへと浸透しているのが実際のようだ。<br /><br />

    テヘラン国際線空港→メフラバード国内線空港への移動は、車で約30分。
    夜間で道路は空いていたのに30分もかかったと云うことは、日中の混雑する時間帯ならばその倍くらいの時間を要するのかもしれない。

    メフラバード国内線空港のチェックイン手続きは、飛行機の出発時間の1時間前からなので、チェックインカウンター前の椅子に座って、休憩タイム。
    空港内ではコーヒーやジュース、お菓子などの売店があり、早朝でも営業中だった。

    私も先ほど入手したイラン・リアルでジュースを購入。
    購入したジュースはなんとMinute Maid(アメリカ資本の会社)で、瓶の裏にはMade In Iranと表記されていた。
    イランとアメリカは犬猿の仲とか云われつつも、こんな部分では上手に提携しているとは驚きだった。
    両政府は仲が悪いが、民間ビジネスではコカコーラ社を含めアメリカ資本の商品ががっつりとイランへと浸透しているのが実際のようだ。

    メヘラーバード国際空港 (THR) 空港

  • テヘランからシラーズへの移動は、シラーズ行きのイラン航空の第一便。<br />搭乗開始は出発時刻の30分前。<br />飛行機に乗り込むと、ちょうど日の出の時間。<br /><br />朝焼けに鮮やかに染まる空を眺めながらのテイク・オフとなった。  <br /><br />

    テヘランからシラーズへの移動は、シラーズ行きのイラン航空の第一便。
    搭乗開始は出発時刻の30分前。
    飛行機に乗り込むと、ちょうど日の出の時間。

    朝焼けに鮮やかに染まる空を眺めながらのテイク・オフとなった。

  • 飛行機が安定飛行に入る頃には、もうすっかり夜が明けて、空もクリア。<br /><br />この日は真冬にして珍しく、テヘランからシラーズまでのその全域でほとんど雲が無く、イランの大地の様子が上空からもクッキリ。<br />

    飛行機が安定飛行に入る頃には、もうすっかり夜が明けて、空もクリア。

    この日は真冬にして珍しく、テヘランからシラーズまでのその全域でほとんど雲が無く、イランの大地の様子が上空からもクッキリ。

  • シラーズまでの飛行時間は1時間20分しかないが、ちゃんと朝食BOXつき。<br /><br />BOXの留め具は、ペルセポリスの遺跡から出土したグリフォンをデザインしたイラン航空のシンボルマークを重ね合わせて。<br /><br />このグリフォンを見るだけで、今、私たちはイランにいるんだ!!!とテンションがアップしてしまう。

    シラーズまでの飛行時間は1時間20分しかないが、ちゃんと朝食BOXつき。

    BOXの留め具は、ペルセポリスの遺跡から出土したグリフォンをデザインしたイラン航空のシンボルマークを重ね合わせて。

    このグリフォンを見るだけで、今、私たちはイランにいるんだ!!!とテンションがアップしてしまう。

  • 視界がクリアだったので、機上からは眼下の景色がよく見えるのだが、その景色がちょっと意外だった。<br />イランと云えば茶色の砂色の砂漠や礫漠が国土一面に広がる油田の国のイメージだったのだが、その大地には大きな起伏があり、雪を頂く山脈の姿が続く。<br /><br />夏は砂漠地帯では日中の気温が60℃を超える日もあると云うが実は石油が産出する砂漠エリアは国土全体の1/3しかなく、イランの最高峰の最高峰ダマバンド山の標高は富士山を遙かに超えた5610m。<br /><br />そういえば、旧約聖書のノアの箱舟に出てくる箱船が流れ着いた山がアララト山で、そのアララト山があるのはイランとトルコの国境地帯。<br />イランって砂漠ばかりではなく、結構、自然が豊かなのだね。<br />

    イチオシ

    視界がクリアだったので、機上からは眼下の景色がよく見えるのだが、その景色がちょっと意外だった。
    イランと云えば茶色の砂色の砂漠や礫漠が国土一面に広がる油田の国のイメージだったのだが、その大地には大きな起伏があり、雪を頂く山脈の姿が続く。

    夏は砂漠地帯では日中の気温が60℃を超える日もあると云うが実は石油が産出する砂漠エリアは国土全体の1/3しかなく、イランの最高峰の最高峰ダマバンド山の標高は富士山を遙かに超えた5610m。

    そういえば、旧約聖書のノアの箱舟に出てくる箱船が流れ着いた山がアララト山で、そのアララト山があるのはイランとトルコの国境地帯。
    イランって砂漠ばかりではなく、結構、自然が豊かなのだね。

  • 眼下に紅いMaharloo Lakeが見えてきたら、もうすぐシラーズ。<br /><br />シラーズ到着は8:55で、予定よりも20分の遅延。<br />テヘラン空港での朝の出発ラッシュに巻き込まれ出発が20分遅れたので、そのまま20分の遅延した形だ。<br />

    眼下に紅いMaharloo Lakeが見えてきたら、もうすぐシラーズ。

    シラーズ到着は8:55で、予定よりも20分の遅延。
    テヘラン空港での朝の出発ラッシュに巻き込まれ出発が20分遅れたので、そのまま20分の遅延した形だ。

  • シラーズ空港は小さな空港なのでタラップを下りたらその目の前が空港の建物で、建物内へと入ると私たちが6日間お世話になるガイドさの阪野さんと運転手のニーマさんが待っていてくれた。<br /><br />ターンテーブルから荷物をピックアップしたら、まず最初にすることは通信用SIMカードの入手。<br />イランにはいくつかの通信会社があるが、一番電波が安定しているのがIran Cell。<br />シラーズ空港の到着ロビーにはIran Cellのカウンターがあり、ガイドさんに手伝って貰ってSIMの購入作業。<br /><br />購入したSIMは通信容量4.5G、イランの国内で使える電話番号付きで費用は1000000(100万)リアル。<br />100万リアルと聞くと凄い金額に思えるが、日本円に換算すると1000円弱なので、そんなに高くは無いと思う。<br /><br />Iran Cellのカウンターではアクティベートまでの一連の開通作業をやってくれ、申し込みからアクティベート迄の所要時間は10分も掛からなかった。

    シラーズ空港は小さな空港なのでタラップを下りたらその目の前が空港の建物で、建物内へと入ると私たちが6日間お世話になるガイドさの阪野さんと運転手のニーマさんが待っていてくれた。

    ターンテーブルから荷物をピックアップしたら、まず最初にすることは通信用SIMカードの入手。
    イランにはいくつかの通信会社があるが、一番電波が安定しているのがIran Cell。
    シラーズ空港の到着ロビーにはIran Cellのカウンターがあり、ガイドさんに手伝って貰ってSIMの購入作業。

    購入したSIMは通信容量4.5G、イランの国内で使える電話番号付きで費用は1000000(100万)リアル。
    100万リアルと聞くと凄い金額に思えるが、日本円に換算すると1000円弱なので、そんなに高くは無いと思う。

    Iran Cellのカウンターではアクティベートまでの一連の開通作業をやってくれ、申し込みからアクティベート迄の所要時間は10分も掛からなかった。

    シーラーズ国際空港 (SYZ) 空港

    IranCellのSIMカードはShiraz空港の到着待合エリアで購入できます by ウェンディさん
  • イランは中級以上の宿であれば基本的には何処の宿でも無料のWiFiがあり、有料の通信手段はどうしても必要という訳ではないが、今回の旅に関してはSIMを買って、正解。<br /><br />あくまでも非常事態時の通信確保の為の保険の意味も込めてのSIM入手だったのだが、旅の後半に起きた世界を揺るがした事件にその保険が大活躍してくれた。<br /><br />

    イランは中級以上の宿であれば基本的には何処の宿でも無料のWiFiがあり、有料の通信手段はどうしても必要という訳ではないが、今回の旅に関してはSIMを買って、正解。

    あくまでも非常事態時の通信確保の為の保険の意味も込めてのSIM入手だったのだが、旅の後半に起きた世界を揺るがした事件にその保険が大活躍してくれた。

  • 旅の終盤;2020年1月3日に起きたのは、米軍によるイランの司令官殺害事件。<br /><br />そのニュースは世界中に衝撃を与え、第三次世界大戦の勃発かと日本でも報道されたため、日本にいる家族が私たちの安否を非常に心配していた。<br />実際、私たちの滞在していたイランの田舎町では事件は報道されても町自体の雰囲気は前日とは変わらず、身の危険を感じるような状況では全く無かったのだが、一部の過激思想家が起こしたテヘランのデモの様子だけをクローズアップする日本の偏ったニュースしか見ていない家族には、真実のイランの様子は分からない。<br /><br />そこで購入したSIMが大活躍。<br />日本にいる家族にこまめにこちらの状況をLineで伝えて、無事に旅を続けていることを伝えた。<br /><br />そんな便利なSIMだったのだが、実は購入してしばらくしたら通信が不通となり、使うことができない状況となる問題もあった。<br />コレは空港での受付のお姉さんの不手際で、カラーコピーでパスポートの複写を作るべきところを白黒で作ってしまったためのミス。<br />そのお陰で、私は購入からほぼ丸2日間、SIMが使えなかった訳だ。<br />(この問題はシラーズ市内のIran Cellへと出向き解決に至った)<br /><br />(写真 2020/1/3 日本語のニュース記事より)<br />

    旅の終盤;2020年1月3日に起きたのは、米軍によるイランの司令官殺害事件。

    そのニュースは世界中に衝撃を与え、第三次世界大戦の勃発かと日本でも報道されたため、日本にいる家族が私たちの安否を非常に心配していた。
    実際、私たちの滞在していたイランの田舎町では事件は報道されても町自体の雰囲気は前日とは変わらず、身の危険を感じるような状況では全く無かったのだが、一部の過激思想家が起こしたテヘランのデモの様子だけをクローズアップする日本の偏ったニュースしか見ていない家族には、真実のイランの様子は分からない。

    そこで購入したSIMが大活躍。
    日本にいる家族にこまめにこちらの状況をLineで伝えて、無事に旅を続けていることを伝えた。

    そんな便利なSIMだったのだが、実は購入してしばらくしたら通信が不通となり、使うことができない状況となる問題もあった。
    コレは空港での受付のお姉さんの不手際で、カラーコピーでパスポートの複写を作るべきところを白黒で作ってしまったためのミス。
    そのお陰で、私は購入からほぼ丸2日間、SIMが使えなかった訳だ。
    (この問題はシラーズ市内のIran Cellへと出向き解決に至った)

    (写真 2020/1/3 日本語のニュース記事より)

  • シラーズ市内へと入り最初に訪れた場所は両替所で、当座の旅の資金を現地通貨へと両替する。<br /><br />イランの現地通貨への両替レートだが、以前は公式レートと実勢レートでは大きく差があり、その時々の世界情勢に応じて公式がお得だったり実勢がお得だったりと様々だったらしいが、私たちが旅した2019年の年末では公式レートと実勢レートにはほぼ差が無く、市内の正規の両替屋さんで両替するときは公式レートがその基本。<br /><br />イラン滞在中に100米ドルを2回両替したが、2回とも1米ドル(約110円)=129000リアルで、日本円換算すると1円=1173リアルとなる。<br /><br />イランのお金はゼロの数が多くて、その金額を聞いた時にとっさに安いのか高いのかを判断するのが難しく、更に正確に日本円に換算しようと思うと、その計算式も複雑。<br />だから、滞在中は以下の簡易的な換算術を使って、価格の価値を判断していた。<br />100,000リアル=100円。(リアルからゼロを3個外した金額が、円換算した価値)<br /><br />この換算感覚を覚えてからは、入場料金が50万リアル!とか云われても、ゼロの数にそんなに驚かなくなった。

    シラーズ市内へと入り最初に訪れた場所は両替所で、当座の旅の資金を現地通貨へと両替する。

    イランの現地通貨への両替レートだが、以前は公式レートと実勢レートでは大きく差があり、その時々の世界情勢に応じて公式がお得だったり実勢がお得だったりと様々だったらしいが、私たちが旅した2019年の年末では公式レートと実勢レートにはほぼ差が無く、市内の正規の両替屋さんで両替するときは公式レートがその基本。

    イラン滞在中に100米ドルを2回両替したが、2回とも1米ドル(約110円)=129000リアルで、日本円換算すると1円=1173リアルとなる。

    イランのお金はゼロの数が多くて、その金額を聞いた時にとっさに安いのか高いのかを判断するのが難しく、更に正確に日本円に換算しようと思うと、その計算式も複雑。
    だから、滞在中は以下の簡易的な換算術を使って、価格の価値を判断していた。
    100,000リアル=100円。(リアルからゼロを3個外した金額が、円換算した価値)

    この換算感覚を覚えてからは、入場料金が50万リアル!とか云われても、ゼロの数にそんなに驚かなくなった。

  • イラン・リアルと各国通貨の両替実勢レートを調べたい場合は↓のサイトが便利。<br />https://www.bonbast.com/<br />両替屋さんで提示されたレートと比較し、両替屋さんの信用度を計ることもできる<br />(このサイトをイランで閲覧するにはVPNの迂回アプリが必要)<br /><br />(写真:2020/1/2時点でのイラン・リアルの実勢レート)

    イラン・リアルと各国通貨の両替実勢レートを調べたい場合は↓のサイトが便利。
    https://www.bonbast.com/
    両替屋さんで提示されたレートと比較し、両替屋さんの信用度を計ることもできる
    (このサイトをイランで閲覧するにはVPNの迂回アプリが必要)

    (写真:2020/1/2時点でのイラン・リアルの実勢レート)

  • 今回のイラン旅はシラーズからテヘランまで約1000kmをドライバー付きの専用車を雇って、ガイドさんに案内をして貰いながら旅をするスルーガイド付き。<br />でも、ガイドさんが全てにおいて私たちにつきっきり・・・と言うわけではない。<br /><br />ガイドの阪野さんが“此処は説明を聞いた方がイランの歴史的背景や状況を理解しやすい”と考えた場所と、徒歩ではアクセスが難しい観光地をメインに連れて行ってもらい、宿から自分たちの足で行けるところはガイドなしの個人観光のスタイルとした。<br /><br />だから、イラン初日であるシラーズでもガイドさんの同行はランチタイム(14時)まで。<br />ガイドの阪野さんには、エラム庭園、ハーフェズ廟、エマーム・ザーディエ・エブネハムゼ(アリー・エムネ・ハムゼ廟)を案内してもらった。<br /><br />この日、シラーズで最初に訪れたのはシラーズ人の誇りでもあるエラム庭園。<br />エラム庭園はガージャール朝時代の庭園なのだが、イランのガージャール朝と言われても、それは世界史の中では、一体いつの時代???と疑問に思う方もいると思う。<br /><br />実際、私自身もイラン旅の前にはイランの歴史を一通り勉強はしたのだが、実際に旅をしているとその歴史と人物、そして建造物が頭の中でグチャグチャと渦巻き、なかなか自分が見てきた遺跡や建物などが歴史順には整列してくれなかった。<br /><br />(写真:エラム庭園内のエラム宮殿)<br />

    今回のイラン旅はシラーズからテヘランまで約1000kmをドライバー付きの専用車を雇って、ガイドさんに案内をして貰いながら旅をするスルーガイド付き。
    でも、ガイドさんが全てにおいて私たちにつきっきり・・・と言うわけではない。

    ガイドの阪野さんが“此処は説明を聞いた方がイランの歴史的背景や状況を理解しやすい”と考えた場所と、徒歩ではアクセスが難しい観光地をメインに連れて行ってもらい、宿から自分たちの足で行けるところはガイドなしの個人観光のスタイルとした。

    だから、イラン初日であるシラーズでもガイドさんの同行はランチタイム(14時)まで。
    ガイドの阪野さんには、エラム庭園、ハーフェズ廟、エマーム・ザーディエ・エブネハムゼ(アリー・エムネ・ハムゼ廟)を案内してもらった。

    この日、シラーズで最初に訪れたのはシラーズ人の誇りでもあるエラム庭園。
    エラム庭園はガージャール朝時代の庭園なのだが、イランのガージャール朝と言われても、それは世界史の中では、一体いつの時代???と疑問に思う方もいると思う。

    実際、私自身もイラン旅の前にはイランの歴史を一通り勉強はしたのだが、実際に旅をしているとその歴史と人物、そして建造物が頭の中でグチャグチャと渦巻き、なかなか自分が見てきた遺跡や建物などが歴史順には整列してくれなかった。

    (写真:エラム庭園内のエラム宮殿)

  • だから、私の頭の整理も兼ねてイランの歴史を大まかに分類し、順に並べてみたいと思う。<br /><br />【紀元前3,000年頃-チグリス・ユーフラテス川からスタート】<br />この辺りの歴史の始まりは、今から5000年以上前のB.C.3000年ころのメソポタミア文明。<br />勿論そのころにはイランという国もなく、現在イランのある周辺地域でハンムラビ法典で有名なメソポタミア文明が栄えていた。<br /><br />【紀元前6世紀~紀元後4世紀】<br />紀元前6世紀ころになるとようやくイランの代名詞でもあるペルシアの名前が出てきて、その有名な遺跡がペルセポリス。<br />更にゾロアスター教やマニ教が誕生したのもイランで、紀元4世紀ころのササーン朝ではゾロアスター教(拝火教)が国教に指定されている。<br /><br />【7世紀~15世紀】<br />7世紀のササーン朝の末期にはイスラム教(回教)がじわじわとこのエリアを侵食し始め、更に13世紀にはアジアからはチンギス・ハンの蛮族がイラン高原地域へと襲いかかり、この頃のイランは宗教も支配者も一晩にして変わってしまうような昏迷期。<br /><br />【16世紀~18世紀】<br />そのような方向性の定まらないイランにイスラム文化が花開いたのが、16~18世紀のサファヴィー朝で、モザイク装飾が美しい豪華絢爛なモスクが多く作られたのも、サファヴィー朝でのことだ。<br /><br />【19世紀~20世紀中盤】<br />しかし、華麗な装飾のイスラム文化も時がたてば色あせて見えてしまうもの。<br />デザイン化されたイスラム装飾よりも西洋文化に憧れた王様が、宮殿の建築様式にヨーロッパのデザインを取り入れ、欧州とコネクションのある貿易商が成金となり政治へも口を挟むようになったのがガージャール朝。旅の初日に訪れた此処シラーズには、そのガージャール朝時代の建築物が多く残されている。<br />ガージャール朝の次のパラヴィー朝では、皇帝により脱イスラム化政策が掲げられ米国とも密月関係だったのだが、国内では世俗主義による近代化政策を推し進め、秘密警察によるイスラム弾圧が行われた。<br /><br />【1978年1月~現在】<br />そして、欧州や米国の傀儡状態の権力者(皇帝)に反旗を翻したイラン・イスラム革命が起き、ホメイニ師を精神的指導者として掲げる現在のイランがある。<br />

    だから、私の頭の整理も兼ねてイランの歴史を大まかに分類し、順に並べてみたいと思う。

    【紀元前3,000年頃-チグリス・ユーフラテス川からスタート】
    この辺りの歴史の始まりは、今から5000年以上前のB.C.3000年ころのメソポタミア文明。
    勿論そのころにはイランという国もなく、現在イランのある周辺地域でハンムラビ法典で有名なメソポタミア文明が栄えていた。

    【紀元前6世紀~紀元後4世紀】
    紀元前6世紀ころになるとようやくイランの代名詞でもあるペルシアの名前が出てきて、その有名な遺跡がペルセポリス。
    更にゾロアスター教やマニ教が誕生したのもイランで、紀元4世紀ころのササーン朝ではゾロアスター教(拝火教)が国教に指定されている。

    【7世紀~15世紀】
    7世紀のササーン朝の末期にはイスラム教(回教)がじわじわとこのエリアを侵食し始め、更に13世紀にはアジアからはチンギス・ハンの蛮族がイラン高原地域へと襲いかかり、この頃のイランは宗教も支配者も一晩にして変わってしまうような昏迷期。

    【16世紀~18世紀】
    そのような方向性の定まらないイランにイスラム文化が花開いたのが、16~18世紀のサファヴィー朝で、モザイク装飾が美しい豪華絢爛なモスクが多く作られたのも、サファヴィー朝でのことだ。

    【19世紀~20世紀中盤】
    しかし、華麗な装飾のイスラム文化も時がたてば色あせて見えてしまうもの。
    デザイン化されたイスラム装飾よりも西洋文化に憧れた王様が、宮殿の建築様式にヨーロッパのデザインを取り入れ、欧州とコネクションのある貿易商が成金となり政治へも口を挟むようになったのがガージャール朝。旅の初日に訪れた此処シラーズには、そのガージャール朝時代の建築物が多く残されている。
    ガージャール朝の次のパラヴィー朝では、皇帝により脱イスラム化政策が掲げられ米国とも密月関係だったのだが、国内では世俗主義による近代化政策を推し進め、秘密警察によるイスラム弾圧が行われた。

    【1978年1月~現在】
    そして、欧州や米国の傀儡状態の権力者(皇帝)に反旗を翻したイラン・イスラム革命が起き、ホメイニ師を精神的指導者として掲げる現在のイランがある。

  • さて、話は元に戻って、イランでの最初の観光地であるエラム庭園へ。<br /><br />バラ園として有名なエラム庭園の歴史は11世紀頃(セルジューク朝)と古く、イラン・イスラム革命までは、時の王の庭園として利用されてきた。<br />エラム庭園の冠の“エラム”とはペルシア語では“楽園”を意味し、春に薔薇が咲き乱れる美しいエラム庭園は世界遺産にも登録されている。<br /><br />しかし、エラム庭園の名を薔薇以上に有名にしたのは、西洋文化に憧れたガージャール朝の王が建てた庭園内の宮殿;エラム宮殿。<br /><br />エラム宮殿の建物の枠組みはイスラム風なのだが、そのパーツをよく見ると、2階部分のバルコニーはギリシア神殿のエンタシス柱風であり、天井装飾や壁装飾もヨーロッパ風に作られている。<br />

    イチオシ

    さて、話は元に戻って、イランでの最初の観光地であるエラム庭園へ。

    バラ園として有名なエラム庭園の歴史は11世紀頃(セルジューク朝)と古く、イラン・イスラム革命までは、時の王の庭園として利用されてきた。
    エラム庭園の冠の“エラム”とはペルシア語では“楽園”を意味し、春に薔薇が咲き乱れる美しいエラム庭園は世界遺産にも登録されている。

    しかし、エラム庭園の名を薔薇以上に有名にしたのは、西洋文化に憧れたガージャール朝の王が建てた庭園内の宮殿;エラム宮殿。

    エラム宮殿の建物の枠組みはイスラム風なのだが、そのパーツをよく見ると、2階部分のバルコニーはギリシア神殿のエンタシス柱風であり、天井装飾や壁装飾もヨーロッパ風に作られている。

  • 装飾の中でもそのタイルワークにはイスラムの国にしては珍しい写実的な表現で人物が描かれていて、その中には女性の湯浴みシーンもある。<br /><br />コレは西洋文化に憧れた王が、西洋絵画のモチーフをイラン人に置き換えて宮廷画家に描かされたもので、当時は非常に斬新であったそうだ。<br /><br />また、王のお茶会のタイルワークでは、様々な動物たちもお茶会に招かれ、さらに後ろに従う従者達は何故か動物を擬人化していて、なんとなく漫画チック。<br />このようなタイルワークはなかなか他のイスラム教を信仰する地域では見ることのできない非常に貴重なデザインだ。<br />

    装飾の中でもそのタイルワークにはイスラムの国にしては珍しい写実的な表現で人物が描かれていて、その中には女性の湯浴みシーンもある。

    コレは西洋文化に憧れた王が、西洋絵画のモチーフをイラン人に置き換えて宮廷画家に描かされたもので、当時は非常に斬新であったそうだ。

    また、王のお茶会のタイルワークでは、様々な動物たちもお茶会に招かれ、さらに後ろに従う従者達は何故か動物を擬人化していて、なんとなく漫画チック。
    このようなタイルワークはなかなか他のイスラム教を信仰する地域では見ることのできない非常に貴重なデザインだ。

  • これらは貴重な芸術作品なのだが、実は現在のイランの国教であるイスラム教にはそぐわないデザインで、女性は髪の毛すら見せてはならないイスラム教の原則からしたら、女性の入浴シーンで半裸のタイル装飾なんてもってのほか。<br /><br />たとえ芸術作品であっても公共の場である庭園の建築物に、裸体を露出した女性が描かれているなんて許されることではない。<br />だから、イスラム革命の指導者はこのエラム宮殿をタイル壁画もろとも破壊する決定をした。<br /><br />しかし、その時に猛反発したのがエラム庭園があるシラーズ市の市民達。<br />確かに新しい体制のイスラム国家にはそぐわないかもしれない宮殿装飾だが、この宮殿は自分たちの祖先が歩んできた歴史であり、文化、芸術作品である。<br />芸術と宗教とは別物であると市民達は宗教家に説明し、エラム宮殿は取り壊しを免れたそうだ。

    これらは貴重な芸術作品なのだが、実は現在のイランの国教であるイスラム教にはそぐわないデザインで、女性は髪の毛すら見せてはならないイスラム教の原則からしたら、女性の入浴シーンで半裸のタイル装飾なんてもってのほか。

    たとえ芸術作品であっても公共の場である庭園の建築物に、裸体を露出した女性が描かれているなんて許されることではない。
    だから、イスラム革命の指導者はこのエラム宮殿をタイル壁画もろとも破壊する決定をした。

    しかし、その時に猛反発したのがエラム庭園があるシラーズ市の市民達。
    確かに新しい体制のイスラム国家にはそぐわないかもしれない宮殿装飾だが、この宮殿は自分たちの祖先が歩んできた歴史であり、文化、芸術作品である。
    芸術と宗教とは別物であると市民達は宗教家に説明し、エラム宮殿は取り壊しを免れたそうだ。

  • このエラム宮殿の最後の居住者はパフラヴィー朝の皇帝であったモハンマド・レザー・シャー。<br /><br />モハンマド・レザー・シャーは学生時代に欧州に留学しその考え方も現代的であり、頭脳明晰な人物で、女性は男性と対等であるべきと考え、女性解放運動として女性の髪の毛を隠すヒジャブ(スカーフ)の着用をやめさせ、更に国内の石油産業を飛躍的に発達させ、国民の教育にも力を注いだ人物だった。<br /><br />また、米国とも良好な国家関係を築きイランの世界的地位を向上させたのもモハンマド・レザー・シャーなのだが、彼には見栄っ張りな一面もあり、石油資源から得た貴重な国家財産を自分の見栄を満たすために、イランの国家財政が傾くほど浪費した人物でもあった。<br /><br />つまり、モハンマド・レザー・シャーはある意味、イラン・イスラム革命のトリガーともなった人物で、革命時に身の危険を感じた彼は、誰よりも率先して家族とともに国外へと逃げ、その後、欧州各国や米国に亡命と庇護を求めたそうだ。<br /><br />現在、モハンマド・レザー・シャーはこの世を去り、その奥方は存命だとのこと。<br />噂によると、シラーズのエラム宮殿での豪華絢爛な生活が忘れられない奥方ご一行は未だに、なんとかイランでの栄光を取り戻すことができないかと今でも模索している・・・らしい。<br /><br />エラム庭園を眺めながら、エラム宮殿を巡る革命前後のイランの歴史話をガイドの阪野さんから教えて貰った。<br /><br />私が知っていた世界史レベルの話では、イスラム革命で皇位を追われ国外へと逃げた皇帝(モハンマド・レザー・シャー)は国家財政を食い潰した悪党のイメージで描写されていたが、その彼が女性の地位回復や教育改革を推し進めた等の面を持っていたとは知らなかった。<br /><br />とはいえ、イランの人たちにとって、イランの国家財政を最悪の状態に傾けた最後の皇帝のイメージはあまり良いものではなさそうだ。<br />特に贅沢三昧の日々への返り咲きの機会を虎視眈々と狙っている奥方がまだ海外で存命とあれば、なかなか国民感情的には許せないのかもしれない。

    このエラム宮殿の最後の居住者はパフラヴィー朝の皇帝であったモハンマド・レザー・シャー。

    モハンマド・レザー・シャーは学生時代に欧州に留学しその考え方も現代的であり、頭脳明晰な人物で、女性は男性と対等であるべきと考え、女性解放運動として女性の髪の毛を隠すヒジャブ(スカーフ)の着用をやめさせ、更に国内の石油産業を飛躍的に発達させ、国民の教育にも力を注いだ人物だった。

    また、米国とも良好な国家関係を築きイランの世界的地位を向上させたのもモハンマド・レザー・シャーなのだが、彼には見栄っ張りな一面もあり、石油資源から得た貴重な国家財産を自分の見栄を満たすために、イランの国家財政が傾くほど浪費した人物でもあった。

    つまり、モハンマド・レザー・シャーはある意味、イラン・イスラム革命のトリガーともなった人物で、革命時に身の危険を感じた彼は、誰よりも率先して家族とともに国外へと逃げ、その後、欧州各国や米国に亡命と庇護を求めたそうだ。

    現在、モハンマド・レザー・シャーはこの世を去り、その奥方は存命だとのこと。
    噂によると、シラーズのエラム宮殿での豪華絢爛な生活が忘れられない奥方ご一行は未だに、なんとかイランでの栄光を取り戻すことができないかと今でも模索している・・・らしい。

    エラム庭園を眺めながら、エラム宮殿を巡る革命前後のイランの歴史話をガイドの阪野さんから教えて貰った。

    私が知っていた世界史レベルの話では、イスラム革命で皇位を追われ国外へと逃げた皇帝(モハンマド・レザー・シャー)は国家財政を食い潰した悪党のイメージで描写されていたが、その彼が女性の地位回復や教育改革を推し進めた等の面を持っていたとは知らなかった。

    とはいえ、イランの人たちにとって、イランの国家財政を最悪の状態に傾けた最後の皇帝のイメージはあまり良いものではなさそうだ。
    特に贅沢三昧の日々への返り咲きの機会を虎視眈々と狙っている奥方がまだ海外で存命とあれば、なかなか国民感情的には許せないのかもしれない。

    エラム庭園 広場・公園

  • そのような複雑な事情を経て存在するエラム庭園だが、現在、エラム庭園を管理しているのは庭園に隣接するシラーズ大学。<br /><br />大学ではシラーズの代名詞でもある糸杉をメインにイランの植物を園内で栽培している。<br /><br />

    そのような複雑な事情を経て存在するエラム庭園だが、現在、エラム庭園を管理しているのは庭園に隣接するシラーズ大学。

    大学ではシラーズの代名詞でもある糸杉をメインにイランの植物を園内で栽培している。

  • 橙色の果実をつけた樹木は柑橘系のナーランジュで、エラム庭園内やシラーズの街路樹としてもたくさん植えられていた。<br /><br />見かけはオレンジみたいなナーランジュだが、その味は所謂カリフォルニア・オレンジのような甘さはなく、どちらかと言えば柚子や酸橘的。<br />その酸味はイラン料理には欠かせない存在だそうだ。<br /><br />ちょうど私たちが訪れた頃は、ナーランジュが旬で収穫の時期。<br />食事の際、肉料理にナーランジュの実がレモンの代わりに添えられることも多く、旬の果物を美味しく頂いた。<br />

    橙色の果実をつけた樹木は柑橘系のナーランジュで、エラム庭園内やシラーズの街路樹としてもたくさん植えられていた。

    見かけはオレンジみたいなナーランジュだが、その味は所謂カリフォルニア・オレンジのような甘さはなく、どちらかと言えば柚子や酸橘的。
    その酸味はイラン料理には欠かせない存在だそうだ。

    ちょうど私たちが訪れた頃は、ナーランジュが旬で収穫の時期。
    食事の際、肉料理にナーランジュの実がレモンの代わりに添えられることも多く、旬の果物を美味しく頂いた。

  • エラム庭園を訪れた後は、果実繋がりで、エラム庭園の近所にある蒸留所に案内して貰った。<br />蒸留所と云ってもイスラムで禁止しているお酒ではなく、果実や樹木のエキスの蒸留水を作っている施設だ。<br />シラーズでは生水を飲むのは体にあまり良くないとされているので、このような蒸留所が市内には何カ所かあるそうだ。<br /><br />シラーズの水道水は日本と変わらない程度に清浄で、シラーズに限らずイランでは生水をそのまま飲んでもなんの問題も無いのだが、シラーズ人には漢方医学的な信仰があり、生水を飲むよりも植物のエキスを蒸留した水を飲む方が体に良いと皆が思っている。<br />

    エラム庭園を訪れた後は、果実繋がりで、エラム庭園の近所にある蒸留所に案内して貰った。
    蒸留所と云ってもイスラムで禁止しているお酒ではなく、果実や樹木のエキスの蒸留水を作っている施設だ。
    シラーズでは生水を飲むのは体にあまり良くないとされているので、このような蒸留所が市内には何カ所かあるそうだ。

    シラーズの水道水は日本と変わらない程度に清浄で、シラーズに限らずイランでは生水をそのまま飲んでもなんの問題も無いのだが、シラーズ人には漢方医学的な信仰があり、生水を飲むよりも植物のエキスを蒸留した水を飲む方が体に良いと皆が思っている。

  • 蒸留水の種類はミントやカモミール等のハーブから作られた爽やか系から、桂皮(シナモン)等の樹のエキス、花のエキス等様々で季節により効果のある蒸留水は異なる。<br /><br />冬場のお勧めの蒸留水は、冷えた体を温める作用のあるバラ水とのことだ。<br /><br />

    蒸留水の種類はミントやカモミール等のハーブから作られた爽やか系から、桂皮(シナモン)等の樹のエキス、花のエキス等様々で季節により効果のある蒸留水は異なる。

    冬場のお勧めの蒸留水は、冷えた体を温める作用のあるバラ水とのことだ。

  • 蒸留水は試飲ができるので、小さなカップにできたての薔薇水を出して貰い味見をしてみる。<br />バラ水を口に含むと、鼻孔まで広がるふくよかな花の香り。<br /><br />自宅の庭でたくさんのハーブを育てている母はあれもこれも欲しそうだったので、私が最初に釘を刺して「イランに滞在中に飲みきれる量の蒸留水だったら、1本買っても良いよ」と伝えておいた。<br /><br />旅の間のお財布を握っているのは私。<br />母はできるだけ身軽に行動できるように、貴重品は現地では身につけていない。<br /><br />母の選択した蒸留水は、予想通りRoseWater(バラ水)。<br />以前にトルコのバザールでバラ水を買ったことがあるが、その時は500mL位で5米ドル以上だったと記憶しているのだが、イランでバラ水を買ったら一体おいくら?<br /><br />お会計は、1Lで110,000(11万リアル)。<br />日本円に換算するにはゼロを3つはずせばOKで、110,000リアル→約110円となる。<br />更に売り場のおじさんが1万リアルをおまけしてくれたので、Rose Waterが1Lで100円という格安価格だった。<br />

    蒸留水は試飲ができるので、小さなカップにできたての薔薇水を出して貰い味見をしてみる。
    バラ水を口に含むと、鼻孔まで広がるふくよかな花の香り。

    自宅の庭でたくさんのハーブを育てている母はあれもこれも欲しそうだったので、私が最初に釘を刺して「イランに滞在中に飲みきれる量の蒸留水だったら、1本買っても良いよ」と伝えておいた。

    旅の間のお財布を握っているのは私。
    母はできるだけ身軽に行動できるように、貴重品は現地では身につけていない。

    母の選択した蒸留水は、予想通りRoseWater(バラ水)。
    以前にトルコのバザールでバラ水を買ったことがあるが、その時は500mL位で5米ドル以上だったと記憶しているのだが、イランでバラ水を買ったら一体おいくら?

    お会計は、1Lで110,000(11万リアル)。
    日本円に換算するにはゼロを3つはずせばOKで、110,000リアル→約110円となる。
    更に売り場のおじさんが1万リアルをおまけしてくれたので、Rose Waterが1Lで100円という格安価格だった。

  • 車で移動すること10分。<br />次に訪れたのが、エマーム・ザーディエ・エブネハムゼ(アリー・エムネ・ハムゼ廟)なのだが、廟に行く前に、すぐ側にある奇跡の橋を見に行く。<br /><br />イランは日本と同じく比較的地震が多く(火山が多く断層が国土の90%以上を覆っている)、シラーズでも13年前(2006年)に大きな地震があり建物が倒壊し、死者も出た。<br /><br />その当時のイランの一般住宅はレンガを積み重ねて漆喰で固めた建物で、建物の芯に鉄筋などの骨材は入っていなかった。<br />だから、長い揺れが続いた地震で、建物は端からポロポロと崩れ始め、ほぼ全壊状態となったそうだ。<br /><br />そんな地震でも持ちこたえたのが、アリー・エムネ・ハムゼ廟のすぐ側の800年前に作られた橋。<br />橋の建材は藁、石灰、籾殻だそうだが、ローマ・アーチを模した曲面が揺れを分散したのかもしれない。<br />

    車で移動すること10分。
    次に訪れたのが、エマーム・ザーディエ・エブネハムゼ(アリー・エムネ・ハムゼ廟)なのだが、廟に行く前に、すぐ側にある奇跡の橋を見に行く。

    イランは日本と同じく比較的地震が多く(火山が多く断層が国土の90%以上を覆っている)、シラーズでも13年前(2006年)に大きな地震があり建物が倒壊し、死者も出た。

    その当時のイランの一般住宅はレンガを積み重ねて漆喰で固めた建物で、建物の芯に鉄筋などの骨材は入っていなかった。
    だから、長い揺れが続いた地震で、建物は端からポロポロと崩れ始め、ほぼ全壊状態となったそうだ。

    そんな地震でも持ちこたえたのが、アリー・エムネ・ハムゼ廟のすぐ側の800年前に作られた橋。
    橋の建材は藁、石灰、籾殻だそうだが、ローマ・アーチを模した曲面が揺れを分散したのかもしれない。

  • 奇跡の橋の次は、聖廟のアリー・エムネ・ハムゼ廟への入場だ。<br /><br />日本人的にはイスラム教の祈りの場といえばモスクを最初にイメージするが、それはイスラム教の中でもスンニ派の場合の話だ。<br />イランのイスラム教はシーア派なので、スンニ派とはその事情が異なり、祈りの場はモスクだけではない。<br /><br />シーア派では、聖人の廟(墓)もモスクと並んで祈りの場である。<br />

    奇跡の橋の次は、聖廟のアリー・エムネ・ハムゼ廟への入場だ。

    日本人的にはイスラム教の祈りの場といえばモスクを最初にイメージするが、それはイスラム教の中でもスンニ派の場合の話だ。
    イランのイスラム教はシーア派なので、スンニ派とはその事情が異なり、祈りの場はモスクだけではない。

    シーア派では、聖人の廟(墓)もモスクと並んで祈りの場である。

  • イランでは、女性が祈りの場に入場するときには周辺イスラム諸国よりも厳しいルールがあり、女性は体全体を覆うチャドル(チャードル)と呼ばれる大きなマント(布)を頭から被らなければならない。<br /><br />祈りの場にはレンタル・チャドルがあり、私たちも受付でチャドルを借りて体に纏う。<br /><br />イラン旅の下調べをしている時にイメージ映像的な感じでチャドルを纏う女性の写真をたくさん目にし、チャドルを着ている方は皆がミステリアスな美女に見えた。 <br />だから、私達もチャドルを纏えばイラン美女になれるかな?・・・なんて浅はかなことを考えていたのだが、とんでもない!!!<br /><br />チャドルの着用方法は難しくはないのだが、それなりのテクニックと着こなし方があり、チャドル初体験の私たちはすぐに着崩れてしまい、どうあがいても、でかい風呂敷を頭から被っている風にしか見えなかった。

    イランでは、女性が祈りの場に入場するときには周辺イスラム諸国よりも厳しいルールがあり、女性は体全体を覆うチャドル(チャードル)と呼ばれる大きなマント(布)を頭から被らなければならない。

    祈りの場にはレンタル・チャドルがあり、私たちも受付でチャドルを借りて体に纏う。

    イラン旅の下調べをしている時にイメージ映像的な感じでチャドルを纏う女性の写真をたくさん目にし、チャドルを着ている方は皆がミステリアスな美女に見えた。 
    だから、私達もチャドルを纏えばイラン美女になれるかな?・・・なんて浅はかなことを考えていたのだが、とんでもない!!!

    チャドルの着用方法は難しくはないのだが、それなりのテクニックと着こなし方があり、チャドル初体験の私たちはすぐに着崩れてしまい、どうあがいても、でかい風呂敷を頭から被っている風にしか見えなかった。

  • イランの女性は普段着の外套代わりにチャドルを着用している方も多く、一枚布のチャドルを纏って、町中を颯爽と歩く。<br /><br />ガイドの阪野さんは「日本人で着物を着慣れている方は、着崩れなんて起こさないでしょ。アレと同じで、子供の頃からチャドルを着て生活をしていると、その姿が様になるのよ」と話していたが、1枚布をあんなにかっこ良く着るなんて私には絶対に無理そうだ。<br /><br />

    イチオシ

    イランの女性は普段着の外套代わりにチャドルを着用している方も多く、一枚布のチャドルを纏って、町中を颯爽と歩く。

    ガイドの阪野さんは「日本人で着物を着慣れている方は、着崩れなんて起こさないでしょ。アレと同じで、子供の頃からチャドルを着て生活をしていると、その姿が様になるのよ」と話していたが、1枚布をあんなにかっこ良く着るなんて私には絶対に無理そうだ。

  • 風呂敷状のチャドルを頭から被り、聖廟の敷地内へと入場する。<br /><br />聖廟内には大きな水場があり、イスラム教の信者の方は、まずは手足そして頭を清める。<br />非イスラム教の旅行者である私たちには、その儀式は免除されている。

    風呂敷状のチャドルを頭から被り、聖廟の敷地内へと入場する。

    聖廟内には大きな水場があり、イスラム教の信者の方は、まずは手足そして頭を清める。
    非イスラム教の旅行者である私たちには、その儀式は免除されている。

  • 聖廟内の中庭には様々な種類の四角い石が埋められていて、その石の種類は大理石であったり、花崗岩であったりと様々だが、どの石も高価な石であることが私にも分かった。<br /><br />これらの石には数字等が書き込まれていて、ガイドの阪野さんは「この石は1350年で、こちらは1430年代だから、つい最近のね・・・」と説明をしてくれた。<br /><br />

    聖廟内の中庭には様々な種類の四角い石が埋められていて、その石の種類は大理石であったり、花崗岩であったりと様々だが、どの石も高価な石であることが私にも分かった。

    これらの石には数字等が書き込まれていて、ガイドの阪野さんは「この石は1350年で、こちらは1430年代だから、つい最近のね・・・」と説明をしてくれた。

  • 聖堂の中庭に埋められているカラフルな石は墓石で、聖堂中庭内の墓地はお金持ち(寄付金をたくさん納めた方)達の永遠の眠りの場所だそうだ。<br /><br />ガイドの阪野さんが言っていた数字は、彼らが埋葬された年なのだが1350年とか1430年とかかなり古い年代でビックリ。<br />今から600年も前の墓石を「つい最近ね!」なんて言ってしまうなんて、さすが5000年前のメソポタミアの流れを汲む民族!と感心しかけたのだが、実はそうではなかった。<br /><br />イランでは公式文書の数字は西暦ではなく、ヒジュラ暦(イスラム暦)を使うのが今の政府が定めたルールで、例えば西暦2020年はヒジュラ歴では1441年となる。<br />それならば、ヒジュラ歴で1430年の墓石をつい最近と表現するのも納得だ。<br />

    聖堂の中庭に埋められているカラフルな石は墓石で、聖堂中庭内の墓地はお金持ち(寄付金をたくさん納めた方)達の永遠の眠りの場所だそうだ。

    ガイドの阪野さんが言っていた数字は、彼らが埋葬された年なのだが1350年とか1430年とかかなり古い年代でビックリ。
    今から600年も前の墓石を「つい最近ね!」なんて言ってしまうなんて、さすが5000年前のメソポタミアの流れを汲む民族!と感心しかけたのだが、実はそうではなかった。

    イランでは公式文書の数字は西暦ではなく、ヒジュラ暦(イスラム暦)を使うのが今の政府が定めたルールで、例えば西暦2020年はヒジュラ歴では1441年となる。
    それならば、ヒジュラ歴で1430年の墓石をつい最近と表現するのも納得だ。

  • 更に、阪野さんからイランのお葬式や埋葬、死生観についての話も教えて貰った。<br /><br />まず驚いたのが、イランでは火葬は行われず基本的には全ての遺体は麻袋の中に入れられ、土葬で埋葬されると云うこと。少し前まではゾロアスター教の鳥葬も行われていたが、現在では鳥葬は禁止となり、土葬のみだそうだ。<br /><br />そして、イランでは死亡するとその翌日の午前中には埋葬するのが基本。<br />日本のように通夜や葬式に適した日取りを選んで、火葬場を予約して・・・なんて悠長な余裕はない。だから、知人が亡くなったという知らせを受けたら、何を置いてもすぐにご遺体の元へと駆けつけなければならない。<br /><br />更に寺院や公園に作られる墓地の立地もユニークで、マンション風となっているそうだ。<br />墓地のマンション化とは・・・。<br />お墓は通常3層構造で個室が縦に3部屋分確保されていて、最初に入室した方が地面に一番大きな墓碑を作り、二番目・三番目の方はその脇に小さな墓碑を作るか、最初の方の墓石を縮小してもらい空いたスペースに墓碑を作る。<br /><br />また、公園に土葬・・・というと、死後の人体から発せられるリンなどの有機物質が夜間に発光現象(火の玉や人魂、鬼火)などの目撃情報も多そうだが、イランでは妖怪や妖精のようなものは信じられていても、死後の幽霊の存在は根本的に否定されていて、たとえ公園墓地で火の玉らしき光を見かけたとしても、それが亡霊や幽霊といった怖いものの存在には結びつかないらしい。<br /><br />故にイランには幽霊話は存在しないとのことだった。<br /><br />きっと、イランではTV画面から出てくる映画【リング】の貞子(さだこ)なんて、あり得ないコメディー・ホラーなのだろう。

    更に、阪野さんからイランのお葬式や埋葬、死生観についての話も教えて貰った。

    まず驚いたのが、イランでは火葬は行われず基本的には全ての遺体は麻袋の中に入れられ、土葬で埋葬されると云うこと。少し前まではゾロアスター教の鳥葬も行われていたが、現在では鳥葬は禁止となり、土葬のみだそうだ。

    そして、イランでは死亡するとその翌日の午前中には埋葬するのが基本。
    日本のように通夜や葬式に適した日取りを選んで、火葬場を予約して・・・なんて悠長な余裕はない。だから、知人が亡くなったという知らせを受けたら、何を置いてもすぐにご遺体の元へと駆けつけなければならない。

    更に寺院や公園に作られる墓地の立地もユニークで、マンション風となっているそうだ。
    墓地のマンション化とは・・・。
    お墓は通常3層構造で個室が縦に3部屋分確保されていて、最初に入室した方が地面に一番大きな墓碑を作り、二番目・三番目の方はその脇に小さな墓碑を作るか、最初の方の墓石を縮小してもらい空いたスペースに墓碑を作る。

    また、公園に土葬・・・というと、死後の人体から発せられるリンなどの有機物質が夜間に発光現象(火の玉や人魂、鬼火)などの目撃情報も多そうだが、イランでは妖怪や妖精のようなものは信じられていても、死後の幽霊の存在は根本的に否定されていて、たとえ公園墓地で火の玉らしき光を見かけたとしても、それが亡霊や幽霊といった怖いものの存在には結びつかないらしい。

    故にイランには幽霊話は存在しないとのことだった。

    きっと、イランではTV画面から出てくる映画【リング】の貞子(さだこ)なんて、あり得ないコメディー・ホラーなのだろう。

  • 廟の中庭からは、イスラム特有のタマネギ天井ドームが見える。<br /><br />イスラム建築は国によって色使いに特徴があり、イランの特徴は黄色がメインの色彩として使われているところかな。<br /><br />

    イチオシ

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    廟の中庭からは、イスラム特有のタマネギ天井ドームが見える。

    イスラム建築は国によって色使いに特徴があり、イランの特徴は黄色がメインの色彩として使われているところかな。

    アリー エブネ ハムゼ聖廟 寺院・教会

    イランに貞子は要(い)らん! by ウェンディさん
  • ガイドの阪野さんと共に、聖廟内へと入れていただく。<br /><br />聖廟内はモスクと同様に男性用・女性用で礼拝室が分かれていて、観光客が入れてもらえるのは男性用のお部屋。<br />アリー・エムネ・ハムゼ廟では写真撮影はOKだが、イランでは写真撮影不可の廟やモスクも多いので、写真を撮りたい場合は、管理人さんに一言確認が必要だ。<br /><br />さぁ、初めてのイランの聖廟へ・・・。<br /><br />聖廟の扉を開けて・・・ビックリ。<br /><br />だって、廟内の装飾がとってもキラキラ。<br />

    ガイドの阪野さんと共に、聖廟内へと入れていただく。

    聖廟内はモスクと同様に男性用・女性用で礼拝室が分かれていて、観光客が入れてもらえるのは男性用のお部屋。
    アリー・エムネ・ハムゼ廟では写真撮影はOKだが、イランでは写真撮影不可の廟やモスクも多いので、写真を撮りたい場合は、管理人さんに一言確認が必要だ。

    さぁ、初めてのイランの聖廟へ・・・。

    聖廟の扉を開けて・・・ビックリ。

    だって、廟内の装飾がとってもキラキラ。

  • イランで最初に訪れた廟であるアリー・エムネ・ハムゼ廟は別名、ミラーモスクと言われている。(モスクと廟は正確に表現するならば、その意味合いが異なるのだけれどもね)<br /><br />ミラーモスクとは、その壁、天井が小さな鏡のモザイク模様で覆い尽くされた寺院(モスク)や廟のことで、特にシラーズにはミラーモスクが多い。  <br />

    イランで最初に訪れた廟であるアリー・エムネ・ハムゼ廟は別名、ミラーモスクと言われている。(モスクと廟は正確に表現するならば、その意味合いが異なるのだけれどもね)

    ミラーモスクとは、その壁、天井が小さな鏡のモザイク模様で覆い尽くされた寺院(モスク)や廟のことで、特にシラーズにはミラーモスクが多い。  

  • シラーズにミラーモスクが多い理由は、シラーズが18世紀のザンド朝の首都であり、その栄華はその後のガージャール朝にまで続いたから。<br /><br />ちょうど欧州から大量生産品の鏡がイランへと輸入されたのが18世紀の頃。<br />鏡は繊細で割れやすく、欧州からイランへと運ぶ船旅の途中に割れて使い物にならなくなった鏡も多かった。

    シラーズにミラーモスクが多い理由は、シラーズが18世紀のザンド朝の首都であり、その栄華はその後のガージャール朝にまで続いたから。

    ちょうど欧州から大量生産品の鏡がイランへと輸入されたのが18世紀の頃。
    鏡は繊細で割れやすく、欧州からイランへと運ぶ船旅の途中に割れて使い物にならなくなった鏡も多かった。

  • その割れて捨てられた鏡に着目したのが、イランの内装職人さんたち。<br /><br />彼らは、鏡の破片を廟やモスク、邸宅の内装にモザイクとして使うことを思いつき、鏡装飾を実践してみたらソレが大反響を呼び、一大流行建築となった。<br /><br />

    イチオシ

    その割れて捨てられた鏡に着目したのが、イランの内装職人さんたち。

    彼らは、鏡の破片を廟やモスク、邸宅の内装にモザイクとして使うことを思いつき、鏡装飾を実践してみたらソレが大反響を呼び、一大流行建築となった。

  • 初期の頃は壊れた輸入鏡を再利用していたが、19世紀にこのアリー・エムネ・ハムゼ廟が建てられる頃になるとイラン国内でも鏡の生産ができるようになり、モザイク装飾用の専用の鏡片が生産され、更に色つき鏡も生まれて、こんな豪華絢爛な廟が建築されるようになったとのことだ。<br /><br />

    初期の頃は壊れた輸入鏡を再利用していたが、19世紀にこのアリー・エムネ・ハムゼ廟が建てられる頃になるとイラン国内でも鏡の生産ができるようになり、モザイク装飾用の専用の鏡片が生産され、更に色つき鏡も生まれて、こんな豪華絢爛な廟が建築されるようになったとのことだ。

  • シャンデリアの光をキラキラと反射して万華鏡のように多彩な色に輝く鏡の間。<br /><br />確かにゴージャスで、人によっては祈りの気分もアゲアゲになるのかもしれない。<br />

    シャンデリアの光をキラキラと反射して万華鏡のように多彩な色に輝く鏡の間。

    確かにゴージャスで、人によっては祈りの気分もアゲアゲになるのかもしれない。

  • ここ、アリー・エムネ・ハムゼ廟の紹介で、この場所はモスクではなく聖人廟であると紹介した。<br />モスクならば、ミフラーブ(聖龕)が室内にあり、メッカのカアバ神殿の方向を教えてくれるのだが、聖廟にはミフラーブは無い場合が多い。<br /><br />その代わりに廟に存在するのが、聖人の棺を安置する場所。<br />この聖人の棺があるからこそ、聖廟(聖人の墓)と呼ばれている。

    ここ、アリー・エムネ・ハムゼ廟の紹介で、この場所はモスクではなく聖人廟であると紹介した。
    モスクならば、ミフラーブ(聖龕)が室内にあり、メッカのカアバ神殿の方向を教えてくれるのだが、聖廟にはミフラーブは無い場合が多い。

    その代わりに廟に存在するのが、聖人の棺を安置する場所。
    この聖人の棺があるからこそ、聖廟(聖人の墓)と呼ばれている。

  • イランでは聖なる色は、緑色。<br />だから聖人廟も緑色のライトで演出されている。<br /><br />モスクでの祈りはコーランが基本だが、聖人廟での祈りはもっと個人的な事柄が多い。<br />例えば、子宝祈願や病気治癒など・・・。<br />お祈りに来た人は聖廟の枠組みにお金を挟み、喜捨をすることで願掛けを行う。<br /><br />アリー・エムネ・ハムゼ廟で祀られているのは、イマーム派の聖人の弟の甥であるアリー・エムネ・ハムゼさん。<br />イスラム教は大きく分けるとスンニ派とシーア派に別れ、イランはシーア派なのだが、そのシーア派の中にも派閥がありその最大派閥が十二イマーム派。<br />イマームとは指導者のことで、アリーさんはこの十二イマーム派の指導者の血縁者だった為に、死後も休む暇も与えられず、聖人として町の人々の願いを叶えるという大きな仕事をやらされている訳だ。<br /><br />しかし、神職(指導者)であった人から4親等も離れた血縁までが聖職者として崇められてしまうこのシステム、イラン中が聖廟だらけになってしまわないかと余計な心配をしてしまう。<br />

    イランでは聖なる色は、緑色。
    だから聖人廟も緑色のライトで演出されている。

    モスクでの祈りはコーランが基本だが、聖人廟での祈りはもっと個人的な事柄が多い。
    例えば、子宝祈願や病気治癒など・・・。
    お祈りに来た人は聖廟の枠組みにお金を挟み、喜捨をすることで願掛けを行う。

    アリー・エムネ・ハムゼ廟で祀られているのは、イマーム派の聖人の弟の甥であるアリー・エムネ・ハムゼさん。
    イスラム教は大きく分けるとスンニ派とシーア派に別れ、イランはシーア派なのだが、そのシーア派の中にも派閥がありその最大派閥が十二イマーム派。
    イマームとは指導者のことで、アリーさんはこの十二イマーム派の指導者の血縁者だった為に、死後も休む暇も与えられず、聖人として町の人々の願いを叶えるという大きな仕事をやらされている訳だ。

    しかし、神職(指導者)であった人から4親等も離れた血縁までが聖職者として崇められてしまうこのシステム、イラン中が聖廟だらけになってしまわないかと余計な心配をしてしまう。

  • アリー・エムネ・ハムゼ廟では、廟をお参りした後にお坊様がお茶とお菓子をふるまってくれた。<br /><br />お坊様は未だお若かったが、日本から来た私たちに丁寧にコーラン(クルーアン)の文言について説明してくれて、更に実際にコーランの詠唱を目の前で披露してくれた。<br />コレはペルシア語の堪能な阪野さんが私たちとお坊様の間に入って通訳してくれたからこその与えられた機会。<br /><br />日本語のコーラン訳の本もあり少し読ませて貰ったが、文字を目で追うよりも実際に彼の言葉で話を伺う方が、理解もしやすく、経験として何倍も価値があった。<br />

    アリー・エムネ・ハムゼ廟では、廟をお参りした後にお坊様がお茶とお菓子をふるまってくれた。

    お坊様は未だお若かったが、日本から来た私たちに丁寧にコーラン(クルーアン)の文言について説明してくれて、更に実際にコーランの詠唱を目の前で披露してくれた。
    コレはペルシア語の堪能な阪野さんが私たちとお坊様の間に入って通訳してくれたからこその与えられた機会。

    日本語のコーラン訳の本もあり少し読ませて貰ったが、文字を目で追うよりも実際に彼の言葉で話を伺う方が、理解もしやすく、経験として何倍も価値があった。

  • 聖人廟の後は、イランでも詩人と云えばこの人!と言われるハーフェズ廟へと向かう。<br /><br />ハーフェズ廟もその名の通りお墓なのだが、ここは祈りの場であると共に心のよりどころでもある場所で、シラーズの人たちは、恋に悩んだり人間関係に悩んだりしたときや、悩みがないときでもハーフェズ廟を訪れハーフェズさんの詩集を開き、その感情豊かな詩に触れるそうだ。<br /><br />イランではハーフェズの詩は暗唱できて当たり前の教養的な事柄で、日本で云えば百人一種みたいな感じなのかな。<br /><br />人々の集いや会合があると、まずはハーフェズの詩や韻を踏んだ自作の詩を披露してから会合が始まるような場合もあるというので、人々の生活とハーフェズの詩は切っても切れない関係にある。<br /><br />私たちが訪れたこの日も平日(日曜日はイランでは平日扱い)にも関わらず多くの方がハーフェズの墓詣でに来ていた。<br /><br />(参考情報:ハーフェズ廟の入場料金は50万リアル(約500円)で、2019年秋に以前の3倍程度に値上げされている)<br />

    聖人廟の後は、イランでも詩人と云えばこの人!と言われるハーフェズ廟へと向かう。

    ハーフェズ廟もその名の通りお墓なのだが、ここは祈りの場であると共に心のよりどころでもある場所で、シラーズの人たちは、恋に悩んだり人間関係に悩んだりしたときや、悩みがないときでもハーフェズ廟を訪れハーフェズさんの詩集を開き、その感情豊かな詩に触れるそうだ。

    イランではハーフェズの詩は暗唱できて当たり前の教養的な事柄で、日本で云えば百人一種みたいな感じなのかな。

    人々の集いや会合があると、まずはハーフェズの詩や韻を踏んだ自作の詩を披露してから会合が始まるような場合もあるというので、人々の生活とハーフェズの詩は切っても切れない関係にある。

    私たちが訪れたこの日も平日(日曜日はイランでは平日扱い)にも関わらず多くの方がハーフェズの墓詣でに来ていた。

    (参考情報:ハーフェズ廟の入場料金は50万リアル(約500円)で、2019年秋に以前の3倍程度に値上げされている)

    ハーフェズ廟 寺院・教会

    イランでは一般常識として、ハーフェズの詩が暗唱される(入園料50万リアル:2020年) by ウェンディさん
  • ハーフェズ廟にはハーフェズさんのお棺がおいてあり、ハーフェズを愛するイラン人はそこへと詣でるわけだが、実施に地面の上に出ている大理石の石棺部分はモニュメントとしてのお棺で、ご遺体はその下の地面の下。<br />ハーフェズが亡くなられたのは今から700年も昔のお話。<br /><br />だから、もうそのご遺体は大地へと還り、庭園の木々の栄養となっているのだろう。<br />

    ハーフェズ廟にはハーフェズさんのお棺がおいてあり、ハーフェズを愛するイラン人はそこへと詣でるわけだが、実施に地面の上に出ている大理石の石棺部分はモニュメントとしてのお棺で、ご遺体はその下の地面の下。
    ハーフェズが亡くなられたのは今から700年も昔のお話。

    だから、もうそのご遺体は大地へと還り、庭園の木々の栄養となっているのだろう。

  • ハーフェズの詩はイランの中ではあちこちで目にする機会があり、この日の午前中に訪れたエラム宮殿の壁にもその詩の一説が彫り込まれていた。<br /><br />ペルシア語の詩なので私には到底理解できないが、ハーフェズが奏でる言葉は美しい韻を踏んでいるそうだ。<br />

    ハーフェズの詩はイランの中ではあちこちで目にする機会があり、この日の午前中に訪れたエラム宮殿の壁にもその詩の一説が彫り込まれていた。

    ペルシア語の詩なので私には到底理解できないが、ハーフェズが奏でる言葉は美しい韻を踏んでいるそうだ。

  • ハーフェズ廟でガイドの阪野さんが同行する観光は終わりで、この後はランチタイム。<br /><br />でも、その前に街角のザクロ屋さんに立ち寄って、今晩のデザートのザクロをお買い上げ。<br />イランのザクロは1個が大きくて、2個で1.5kgの重さ。<br />でも、150,000リアル(2個150円)とこちらも格安だった。<br /><br />母と娘のイラン旅はその到着日の午前中から、もうその中身はてんこ盛り。<br />24時間以上まともに寝ていない私たちの頭の中は新しくインプットされた情報でもう飽和状態なのだが、旅の高揚感は私たちの持っている体力以上の力を発揮する。<br /><br />ランチ後は、母と私の二人だけのシラーズ町さんぽ。<br /><br />私たちのイラン旅は、まだ始まったばかりだ。<br /><br />前の旅行記<br />【1】悪の枢軸国へ https://4travel.jp/travelogue/11585503<br /><br />続きの旅行記<br />【3】美しきもの、闇に輝く  https://4travel.jp/travelogue/11595091

    ハーフェズ廟でガイドの阪野さんが同行する観光は終わりで、この後はランチタイム。

    でも、その前に街角のザクロ屋さんに立ち寄って、今晩のデザートのザクロをお買い上げ。
    イランのザクロは1個が大きくて、2個で1.5kgの重さ。
    でも、150,000リアル(2個150円)とこちらも格安だった。

    母と娘のイラン旅はその到着日の午前中から、もうその中身はてんこ盛り。
    24時間以上まともに寝ていない私たちの頭の中は新しくインプットされた情報でもう飽和状態なのだが、旅の高揚感は私たちの持っている体力以上の力を発揮する。

    ランチ後は、母と私の二人だけのシラーズ町さんぽ。

    私たちのイラン旅は、まだ始まったばかりだ。

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    【1】悪の枢軸国へ https://4travel.jp/travelogue/11585503

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