1978/12/23 - 1978/12/26
38位(同エリア534件中)
- #5星ホテル
- #クリスマス
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【1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエのクリスマス・イブ】
ドイツ駐在中の1970年代の後半、クリスマスの時期に、私が幹事になってこのホテルに会社の先輩のFさんご家族、当社メインバンクの某行のHさんご家族と御一緒した事がある。
そして、狩猟の館(3泊したのは素晴らしいJagtschloss狩猟の館の部屋)
前の雪の積った庭園で、子供達5人が雪合戦や雪だるまを作って遊んだことを思い出す。
写真はクリスマス・イブの夕食:35歳の若い私共と娘たち(8歳と6歳)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1978年12月23日(土)、3泊4日のクリスマスの旅に出た。
デュッセルドルフをFさんの車と一緒に出て、途中雪も降る生憎の天候でしたが、A3経由で渋滞もなく凡そ400km、途中休憩を入れて、5時間ぐらいで古城ホテルに到着した。
写真は1978.12.24.Wald&Schlosshotel Friedrichsruhe古城ホテル フリードリヒスルーエ:①Anfahrt道順の図 -
≪思い出のクリスマス:古城ホテル フリードリヒスルーエ≫
D-74639 Zweiflingen 、Friedrichsruhe
Tel:49(0)7941-60870 http://www.friedrichsruhe.de
11月末に電話で予約したのだが、手元にDirektor(支配人・総料理長)グルメレストラン・シェフLothar Eiermannロタール・アイアーマン氏の予約確認状が残っている。
それによると、2部屋、浴室・WC、Couch寝椅子、Rutschbett滑り台付きベッド付き、朝食、サービス料、税金込みの値段が、いずれの部屋もDM206(当時の為替で2万円ぐらいだったか?)とありますから、先輩分も一緒に予約したようです。
写真は(2007.04.29.)古城ホテル フリードリヒスルーエ:Anlageホテル・レストランの配置図・・・敷地内には左手にゴルフ場もあり、テニス場、宿泊も狩猟の館、新館、ガルテンハウス、ゲートハウスとある。再訪して夕食を楽しんだ古城ホテル フリードリヒスルーエは5星ホテル by jijidarumaさんヴァルド & シュロスホテル フリードリッヒスルーエ ホテル
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イチオシ
1978年12月24日(日)、クリスマス・イブの朝を古城ホテルで迎え、新館に朝食を食べに3家族そろって行った。
外は雪も積もり、狩猟の館前は子供たちにとっては遊び場です。
元気よく雪合戦や雪だるま作りに頑張りました。
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエのクリスマス・イブ:朝食後は雪遊びに出る。 -
手元の1978~79年発行のGast im Schloss(古城ホテルの滞在)の冊子には43の古城ホテル、レストランが掲載されている。(因みにこの組織の長はBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルクの城主・経営者でした)
旅先で古城ホテルに滞在したい時は、もっぱらこの冊子を利用する事が多かった。
その28番目にあるのがSchloss Friedricshruhe古城ホテル フリードリヒスルーエです。当時でこの冊子の中でも1,2位を争う高級古城ホテルでした。
全45室のうちツイン33室、その室料はDM125~160でした。最も満足し、快適なホテル、最高級の食事の提供、さらに静かな環境の表示が付いていました。
当時のドイツはホテルの格を星で表すことはまれで、ここも星はありません。
星の無いのはCelleツェレのParkhotel Fuerstenhof古城ホテル フュルステンホフも同じでしたが(2019年現在は5星・全62室。ハノーファー通りに面し、17世紀のバロック様式の宮廷であった)、冊子に依れば、フリードリヒスルーエとほぼ同一の評価で、当時全73室、ツイン37室、その室料はDM96~160、最も満足し、快適なホテル、最高級の食事の提供、静かな環境については街中でもあり、フリードリヒスルーエよりはやや低い評価の表示が付いていました。
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエ:雪の狩猟の館 -
古城ホテル フリードリヒスルーエは2007年に再訪した際は5星、全43室となっていました。
ハイルブロンからローテンブルグに続く丘陵地帯は13~19世紀の間、ホーエンローエ家の支配の地であり、その事もあって、古くからHohenloheホーエンローエ地方と呼ばれた。
1612年Kraftクラフト 6世伯により、その南西部Oeringenエーリンゲンに広大な動物公園がつくられ、狩猟館が併設された。その後1712~17年にFriedrichフリードリヒ2世伯により、Jagtschloss狩猟の館が建設され、“フリードリヒ公の静養地”の意味で、Friedrichsruheフリードリヒスルーエと名付けられた。
このホテルSchloss Friedricshruhe古城ホテル フリードリヒスルーエは狩猟の館を中心にした形で、1953年に開業される。
3万㎡の広大な敷地に狩猟の館を中心にしたホテル棟、レストラン、プール、サウナ、ビューティーサロン、ゴルフ場(1978年当時は9ホール、2019年現在は27ホール)、テニス場などがある、ドイツ屈指の最高級古城ホテルになっている。
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエのクリスマス・イブ:雪遊び -
雪投げも飽きたから、ソリ遊びをしようと、Hさんのお嬢さんと次女がソリに乗ったのは良いけど、「二人が乗ったら動かせない」と年上の長女が苦言を言う。
家内たちも雪だるま作りを手伝うと、雪玉を転がし始めた。
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエ:狩猟の館前で雪合戦と雪だるま作り -
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエ:狩猟の館前で雪だるま作りに熱中
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イチオシ
木の葉を髪に、やさしいまつ毛に、ホウキを持って、タバコをくわえて、愉快な雪ダルマが出来上がり。のんきな顔した雪ダルマ、小さな口元、優しい笑顔の雪ダルマと三者三様の雪ダルマが出来上がり、子供たちは得意げです。
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエ:狩猟の館前で雪合戦と雪だるま完成、室内プールで遊ぶ -
雪遊びの後は暖かい(温水)室内プールで泳ぎます。外は銀世界、室内は真夏のようです。子供たちは浮き輪も使って、私もHさんも子供につられて、久しぶりに身体を動かし泳ぎました。
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:現在のNeubau新館室内プールは素晴らしくなっています。 -
イチオシ
夕食までの時間を今度は狩猟の館内で折り紙をやります。完成した折り紙を商品にしてお買物ごっこも子供たちはやっていました。
やさしいHさんは折り紙作りの先生、奥様もお手伝いです。二羽ツル、四羽ツルも見事に出来上がりましたからちょっと驚き!
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエのクリスマス・イブ:狩猟の館の入口、館内で折り紙作り、プール の娘たち -
完成した折り紙を長机の上に並べて、満足げな子供たちは左から唯一の男の子9歳・6歳・8歳・5歳・5歳の5人組でした。同じ年ころだったから早々と仲良しに。
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエ:狩猟の館内で折り紙、
尚、左下の写真は最終日26日(火)、古城街道を走りデュッセルドルフに戻った際、Bad Wimpfenバート・ヴィンプフェンのレストランでFさん家族と食事した時のもの。 -
写真は古城ホテル フリードリヒスルーエ:グルメレストラン・シェフLothar Eiermannロタール・アイアーマン氏(日本語だと「卵男」という妙な姓になる)
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≪思い出のクリスマス:古城ホテル フリードリヒスルーエ≫
D-74639 Zweiflingen 、Friedrichsruhe
Tel:49(0)7941-60870 http://www.friedrichsruhe.de
白いテーブルクロス、白い蝋燭、テーブル上には赤と緑のポインセチアが彩を添え、クリスマスのキャンドルも輝いてとても良い気分です。子供たちにはミニカーのクリスマスプレゼントがホテルからいただき、大喜びでした。
ドイツ人のお客たちは正装しています。
この夜の夕食は長いテーブルいっぱいにクリスマス料理が並べられたビュッフェ方式でしたので、子供たちと一緒だっただけに、ありがたいものでした。
どんなものを食べたのか、写真も記録もなしでちょっと残念。
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエのクリスマス・イブの夕食 -
イチオシ
夕食後、美しく飾られたモミの木の傍で3家族の集合写真を撮りました。
子供たちはホテルからミニカーの玩具をプレゼントされて、喜んでいました。
F先輩はもう在独9年という大ベテラン、一年中営業でドイツ国内を走り回っているので、このクリスマスの旅は家族にとっても楽しいものだったでしょう。
車に詳しくて、いろいろと助けてもらった。奥様はお料理上手で、我が家の家内もいろいろと教えてもらった。
1980年代半ばに会社を辞め、ドイツで対日の輸出入業を始めた。ようやくドイツの家も売却して帰国したいとのことだ。だから在独期間はもう50年になる。
2019年の10月末に来日され、我が家を訪問された。
Hさんはフランクフルトから来られましたが、ようやくドイツの自動車免許を取得されて、夏には念願の長距離旅行をしたそうです。
写真は1978.12.24.古城ホテル フリードリヒスルーエのクリスマス・イブ:モミの木とともに -
1978年、クリスマス時期に宿泊した狩猟の館の部屋は写真のようではありませんが、もちろん素晴らしい部屋でした。
写真は(2007.04.29.)30年後のWald&Schlosshotel Friedrichsruhe:Jagtschlossの寝室Hunting Lodge Deluxe Room -
翌日(12月25日(月))は小旅行で古城街道を走りました。
最初は小雨の降る生憎の中、Schloss Neuensteinノイエンシュタイン城(1495年築城のままが保持されている)を訪れた。ここには博物館がありますが、さすがにクリスマスは閉館していた。外観のみを見る。
ここでHさんご家族と御別れで、2家族はSchwaebisch Hallシュヴェービッシュ・ハルに向かう。
写真は1978.12.25.クリスマスの旅1:上と右下がSchloss Neuensteinノイエンシュタイン城、左下はSchwaebisch Hall シュヴェービッシュ・ハル -
<Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>
期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
<Schloss Neuensteinノイエンシュタイン城>
5月24日(木) 13:50~15:00
D- Neuenstein 、Schlossstrase 49
このホーエンローエ家の居城は古城街道沿いの人口6千人の町Neuensteinノイエンシュタインにある。ドイツ駐在中の1970年代の後半、クリスマスの時期に一度訪れた記憶があるが、休館中で見ていない。
いかめしい城門をくぐると広いとはいえない中庭がある。まっすぐ行くと庭園が見えるテラスに出る。12世紀頃は水城であり、庭園側、西側にその一部の名残がある。13時半のガイド時間に間に合わず、チケット売り場にも人がいない。次の博物館ガイド案内を待って、やむなく、中庭にいると、スタートしていたガイドの小父さんが2階から顔を出して、一緒に入りますか?と聞いてきた。願ってもない事なので、数人の先客に入れてもらった。入場券Euro10
ノイエンシュタイン家は1230年に初めて文献に登場する。1351年にホーエンローエ・ヴァイカースハイム家のEdlen KraftⅢクラフト3世は、皇帝カール4世の許可を得て、ノイエンシュタインに帝国自由都市権を授けた。1525年、農民戦争でホーエンローエ家の他の城と同様に戦禍にあう。その後、1553年までホーエンローエ家のホーエンローエ・ヴァイカースハイム家の支配下に置かれた。
1553年以降、ノイエンシュタイン城はホーエンローエ・ノイエンシュタイン家のGraf Ludwig Casimirルートヴィヒ・カジミール伯が所有し、1698年まで宮廷所在地であった。
1560年に、現在の規模の大きなルネサンス風城館に改築され、特有の屋根飾りや、複雑な小塔を持った今日の姿を見せている。
1698年、ノイエンシュタイン家は後継者がいなかった為、ノイエンシュタイン城は一族のホーエンローエ・エーリンゲン家に属し、その宮廷はこれ以後Oehringenエーリンゲンに置かれた。
1948年以来、ホーエンローエ・エーリンゲン侯爵と家族が住んでいる。
城内博物館;
皇帝の広間には蒐集した武具類が飾られ、狩猟の間には獲物たちがまだ生きているに立っている。かつての馬屋にはバロック時代の橇、様々な時代の軍服、衣装が展示されていた。
最も魅力的あったのは騎士の広間であり、41mの縦、幅10.5m、高さ8.5mと大変広い。木張りの天井は見事なものでホーエンローエ家の歴史を描いているのだそうだ。壁の一部には図書棚が設けられ、蔵書が並んでいた。机の上にはホーエンローエ家の金の皿が置かれ、17世紀頃の家具、絵画、ゴブランが広間の至る所にある。ヴァイカースハイム城で見た騎士の広間に匹敵する大きさと言い、美しさと言い、ホーエンローエ家の凄さを感じたものです。
食事の間、歴史の間、高杯、ウルムの白馬像なの芸術品が見られる。ガイドは最後に中世後期の城内台所・1495年を案内した。煙で燻された、かつてのままの姿が良く残っていて、現在も城内の催しに利用されているそうで、実にすごい。チップを小父さんにEuro2。
ここは写真禁止の為、小父さんから説明書(Euro2)を購入した。
“この城は幽霊が出ないのか?”と軽口をたたいたら、小父さんは笑いながら、“残念ながら、幽霊は出てこないよ!”と答えた。
説明書にも幽霊や伝説の類は書かれていなかったので、少々残念だった。
城内博物館の見学;月曜日を除く、毎日9時~12時、及び13時半~18時。
http://www.schloss-neuenstein.de/
写真は2012年Schloss Neuensteinノイエンシュタイン城の城門前 -
やって来たシュヴェービッシュ・ハル、クリスマス市が早く終わると、静かになってしまったようだ。
この場所はコッヒャー川の中州に面していて、ここから中州を通り、岸辺の素晴らしい景観を楽しみながら、旧市街に入っていく。
上がった先はマルクト広場になる。今回で多分、3度目の訪問だが、何時見てもこの場所は美しい。特に良いのはKirche St.Michael聖ミヒャエル聖堂(15世紀)と周辺の木組み建築や石造りのホテル・家並みである。聖堂の正面の大階段は幅70m、54段を数え、ドイツ最大の規模とされる。夏場や冬のヴェネチア祭りなどではこの階段が野外劇場になる。
16世紀初頭に作られたMarktbrunnenマルクト広場の泉(噴水)が広場の左端にあり、水が壁から流れ出ている。この壁の上は中世時代、罪人の晒し台となったと云う。18世紀の市庁舎は教会に対面して立つ。
写真は1978.12.25.クリスマスの旅2:Schwaebisch Hallシュヴェービッシュ・ハル:美しいマルクト広場と木組みの家並み、コッヒャー川にかかる屋根付きの橋、コッヒャー川の中州一帯 -
コッヒャー川の中州一帯の景観は実に素晴らしい。
写真は1978.12.25.クリスマスの旅3:Schwaebisch Hall1シュヴェービッシュ・ハル:コッヒャー川の中州一帯 -
<ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火>
12月10日(木)10:50~12:35
ヴァルデンブルクの町からは近い。9kmで10:50にコッヒャー川岸の駐車場に着く。
古城街道上の町・Schwaebisch Hallシュヴェービッシュ・ハル(人口36千人)は古くから食塩の産地として繁栄し、12世紀にこの町でHaeller(ハルのお金)と呼ばれたsilberne Pfennigeペニヒ銀貨が鋳造され、塩と銀貨で町は大いに繁栄したと云う。
第二次大戦の戦禍を免れ、現在も古い町並みが大変よく保存されている。美しい景観に富んで、魅力的な街はKocherコッヒャー川(ネッカー川の支流)の両岸斜面に築かれ、木組み建築の家々が階段状に並んでいる。
マルクト広場に面して、街のシンボルである聖ミヒャエル聖堂と市庁舎が立ち、ホテルや木組み建築の建物も周囲を囲んでいる。立派な建物の構えはかつての繁栄を偲ばせる。
Schwaebisch Hallのクリスマス市 ;http://www.schwaebischhall.de/
中世が色濃く残る町の広場や小路で、クリスマスマーケットが開かれ、11月30日にはChristkindクリストキントがNuernbergからやってくる。
芸術家や職人たちのクリスマスマーケット、チョコレートのクリスマスマーケット、パンのマーケットなど、ちょっと違った面もあって面白そうだ。楽師、大道芸人、人形使いが中世の時代を演出すると云う。町の教会や劇場でのコンサート、人形劇と・・・Haller Weihnacht 2009は魅力にあふれている。
営業時間 :2009年11月28日~12月20日 ;月~日 11:00 ~20:00
写真は2009年12月10日(木)Schwaebisch Hallシュヴェービッシュ・ハル:Kirche St.Michael聖ミヒャエル聖堂(15世紀)・・・聖堂の正面の大階段は幅70m、54段を数え、ドイツ最大の規模とされる。夏場や冬のヴェネチア祭りなどではこの階段が野外劇場になる。 -
駐車場は“クリスマスの贈り物“として無料だ!駐車していた小母さんも何故無料なのか?知らなかったが、町でもらったパンフレットに贈り物と書いてあった。
この場所はコッヒャー川の中州に面していて、ここから中州を通り、岸辺の素晴らしい景観を楽しみながら、旧市街に入っていく。春の季節は一段と美しいだろう。
写真は2009年12月10日(木)Schwaebisch Hallシュヴェービッシュ・ハル:コッヒャー川の中州 -
シュヴェービッシュ・ハルから、ランゲンブルク城に至る。ランゲンブルク城内博物館も自動車博物館も春までお休みです。
写真は1978.12.25(月).クリスマスの旅4:Schloss Langenburgランゲンブルク城と城門そばの柳の大木、稜線に小さく見えるランゲンブルク城 -
<Schloss Langenburgランゲンブルク城>
2012年5月19日(土)9:25~12:15 コンビ入場料Euro20
D-74595 Langenburg 、Schloss 1
http://www.schlosslangenburg.de/
①自動車博物館 10:15~10:30
1970年にオープンした。かつての厩舎があった場所に2000㎡の自動車博物館を建てた。
自動車の100年の歴史、かつて活躍した凡そ70ものレーシングカーやスポーツカーを展示していたが、それはまたすごい展示である。整備された車はまだ走ると云う。とりわけ、ドイツ車の歴史に目がいく。メルセデス、ポルシェ、BMW、Audi、オペル、VWなど。幸い少し早目の開館であったので、城を見る前にこちらを先に見て回れた。
②ランゲンブルク城博物館 11:00~11:50
13世紀、ヤークスト川から130mの高台にランゲンブルク城が築かれた。
北側の魔女の塔と南の文書保管塔はその時代からのものである。1568年以降、ランゲンブルクはホーエンローエ=ランゲンブルク伯領(後の同侯領)の宮廷所在地となった。
中央の方形の城郭は15世紀に建てられたもので、ホーエンローエ地方における代表的ルネサンス風宮殿である。
城は1966年大火災にみまわれたが、再建されている。ルネサンス風城内、城内教会、バロックの広間、バラ園(まだバラの花には早い時期のようだったが)は見応えがある。
11時になると観光客も増えて、20人ほどのグループが2つにわかれてガイドが行われた。城内の中庭からスタートし、1966年の大火の話が当然に出た。ホーエンローエ家の家系図の説明もあったが、枝分かれした一族も多くて、私共の頭には入ってこない。
紋章、武具、狩猟の獲物、ランゲンブルク城主一族、英国エリザベス女王夫妻の来訪写真、城主の住居部分、城内教会を順次周った。火災で失われたものも多いようで、他のホーエンローエ家の城とは、明らかに城内には見るべきものがなかった。
開館:火~日は毎日11時~16時。尚、ガイド(ドイツ語のみ)は11時、12時、13時、14時、15時、16時。冬季シーズンは閉館。
写真は2012年5月19日(土)Schloss Langenburgランゲンブルク城と庭園 -
ランゲンブルク城から最後の目的地、ゲッツェンブルク城に着く。
こちらもGast im Schloss(古城ホテルの滞在)の冊子に掲載されている古城ホテルなので、ぜひ滞在したいものだ。
ゲッツェンブルク城から古城ホテル フリードリヒスルーエに戻った。
フリードリヒスルーエからちょうど東に走りノイエンシュタイン城に、そこから南のシュヴェービッシュ・ハルに行き、さらに北のランゲンブルク城に向かい、そこから西のゲッツェンブルク城に行って、南のフリードリヒスルーエに戻るという円を描いた小旅行でした。
写真は1978.12.25.クリスマスの旅5:古城ホテルGoetzenburgゲッツェンブルク城、右下はバード・ヴィンプフェンの聖ペーター教会 -
<Die Goetzenburg古城ホテル ゲッツェンブルク城>
2012年5月24日(木)~26日(土)
D-74249 Jagsthausen 、Schlossstrasse 20
Weisslingenヴァイスリンゲンの部屋(1階) 、Euro110x2=220(22,425円)
Tel:+49 (0) 7943 9436-0 、Fax:-9436200
http://www.die-goetzenburg.de/
古城ホテルは全28室(本館17室+以前は無かった宿泊棟Vorburg一の丸11室)がある。レストランはシュヴァーベンの郷土料理を中心としたドイツ料理を提供する。ここに2泊して、周辺の古城を巡った。
ゲッツェンブルク城はJagstヤークスト川に沿ったヤークストハウゼンにある。
ドイツ騎士団の城館がある保養地バート・メルゲントハイムや、ネッカー川沿いの古城群にも車で30分の距離と近い。また、ヤークスト川の上流4kmには鉄腕ゲッツの墓碑もある美しいKloster Schoentalシェーンタール修道院が見られる。
かつてはBurg Jagsthausen ヤークストハウゼン城と呼ばれていたが、現在はゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”で全国的に知られた為、Die Goetzenburgゲッツェンブルク城、つまりゲッツの城と称されるようになった。
毎年、6月中旬から8月初旬まで、ゲーテの戯曲“鉄腕ゲッツ”の野外劇が城内の内庭で催されて、チケットが入手しにくいほど、人気も高いそうだ。
ホテル・レストランはKriegerクリーガー夫妻が経営を任されているようだが。
その歴史は12世紀頃のHerren von Husenフーゼンの騎士により(Widdern an der Jagstヴィデルン・アン。デアー・ヤークストから出た騎士で、ベルリヒンゲン家の家系に繋がるようだ。)築城された事から始まる。
14世紀以降、地方領主であるベルリヒンゲン家の居城であり、現在もその家系が所有する、ドイツでも稀な古城ホテルである。
1480年、ベルリヒンゲン家の三男に、後に“鉄腕ゲッツ”と呼ばれたGoetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが生まれた。鉄の義手のオリジナルは城内博物館にある。
城内の部屋の扉横にはGoetz Freiherr von Berlichingenベルリヒンゲン男爵のゲッツ弁護士の表札が掲げられていたのが、この城らしい。
写真は2012年5月24日(木)~26日(土)、2泊した古城ホテルGoetzenburgゲッツェンブルク城 -
<Bad Wimpfenバード・ヴィンプフェン>
1978.12.26(火).
石畳みの坂を上がり、右に通じる道の奥に、この街のシンボル「青の塔」、「赤の塔」が出てくる。
中世の旧市街と木組みの家並みの町にはほとんど人を見かけない。
写真もセピア色に変わっている。
昼食後、またA3などを350kmほど走って、デュッセルドルフに帰った。
この旅でおよそ1,000kmを走った計算だろうか。
写真は1978.12.26.クリスマスの旅6:Bad Wimpfenバート・ヴィンプフェン -
<Bad Wimpfenバード・ヴィンプフェン>
2001年5月11日(金)
ネッカー川の左岸にある町には1世紀には既にローマ軍団の拠点が設けられたという。12世紀にHohenstaufenホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝の王城が築かれ、繁栄した。
Kaiserpfalzカイザープファルツ旧王宮は12世紀、ドイツ人に最も人気の高い、Friedrich I Barbarossa;バルバロッサ赤髭王によって建てられた。
現在もその一部、城の広間跡、赤の塔がある。町の象徴・Blauer Turm青の塔はその頃のものである。12世紀の天守閣だが、19世紀に雷による火事で焼けたため、先頭部分が改築された。登るのに入館料DM4が必要です。
この町には駐在時に何度か来ている。上と下の町があるが、上の町が木組み建築の家並みもあり、中世の雰囲気を良く伝えて、楽しい。保養地でもある。
(人口6,600人)
天守閣からは町とネッカー川の眺望がパノラマのように見え、遥かに赤屋根の連なる村落や菜の花畑、ネッカー川を運行する船がよく見えた。
写真は2001年5月11日(金)Bad Wimpfenバート・ヴィンプフェン -
Gast im Schloss(古城ホテルの滞在)の冊子に掲載されている。古城街道にある古城ホテルの一つだ。ここから40kmぐらい走ると、古城ホテル フリードリヒスルーエに着く。夕食だとちょっとしんどいかとも思ったが、ここに2泊し、最初の夕食を古城ホテル フリードリヒスルーエで食べることに決めた。
再び古城ホテル フリードリヒスルーエを訪れたのは2007年4月19日~5月3日「第5回ドイツの旅:黒い森、シュヴァーベン地方、ボーデン湖」でした。
2007年4月29日(日)、Hotel Schloss Lehen古城ホテル レーエンのあるBad Friedrichshallバード・フリードリッヒスハールの村に入る。
ホテルは直ぐに見つかり、早めの16:40には到着した。部屋で1時間の休憩後、17:40に思い出のレストランで夕食をとる為、村を出た。
<Schloss Lehen古城ホテル レーエン>
D-74177 Bad Friedrichshall 、Hauptstrasse 2
2007年4月29日(日)~5月1日(火)、?星、全24室。
Tel:49(0)7136-98970
http://www.schloss-lehen.de
古城街道沿いの人口1万人、古くから製塩産業で知られた町でもある。
1553年にルネッサンス様式で建てられた城館である。元来はネッカー川の支流Kocherコヒャー川の水を城の周りに引いた水城であったが、後世にお堀を埋めて、平城・城館となっている。皇帝の封土・・・ドイツ語でLehenレーエン ・・・であったので、そのままの名前を付けたと云う。
400年後の、1953年からホテルは開業され、1980年に大規模な改装がなされた後には、グルメ志向の古城ホテル・レストランになっている。
2007年に2泊したホテルの8号室は2階の奥、左手にあり、広く、天井の高い、ゆったりとした部屋であった。小さなホテルだが2泊目の夕食に食べた料理は美味しかった。
XXX
写真は2007年4月29日(日)~5月1日(火)に2泊した古城ホテル レーエン -
17:40にB27からアウトバーンA6にのって、東に走り出す。
27km先のOehringenで高速をおり、L?狭い道を12km北に行く。Zweiflingenの村落は緑の森の中にある。
菩提樹の長い並木道を行くと、懐かしいWald- Schlosshotel Friedrichsruhe古城ホテル フリードリヒスルーエが見えてきました。
18:30着。
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:新館・前景 -
写真は2007.04.29.Wald&Schlosshotel Friedrichsruhe古城ホテル フリードリヒスルーエ:Jagtschloss狩猟の館・前景・・・かつて子供たちと雪遊びした庭
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前年にホテルなど全面改装が行われていたというので、イメージが大きく変わった。テラスレストランはここに無かったから。
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:テラスレストラン2 -
<夕食:古城ホテル フリードリヒスルーエ:グルメレストランにて>
18:30~21:15 Euro190(=3万円)
予約の時間に着いたホテル・レストランはなにやら、ロビーでコンサートの真っ最中です。駐車場にいやに車が多いなと思っていましたが、この為のようだ。
テラスでドライシェリー(Euro16)を飲みながら、コンサート終了まで暫時待つことになった。
コンサートのお客も食事を兼ねたものになっているようで、奥の席(その昔、私共がクリスマスディナーを食べた部屋があったはず)に着飾った人達が入って行く。
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:テラスレストラン -
古城ホテル フリードリヒスルーエのグルメレストランで、ドイツ料理界でも名を知られた星付きシェフとして活躍してきたのは、60歳前半のシェフLothar Eiermannロタール・アイアーマン氏(1945年生まれ、ドイツ人シェフ)である。
以前はミシュラン2星、ゴー・ミョーも最高点に近いもの(19点)であったが、現在はミシュラン1星(16.5点)、ゴー・ミョー16点を保持している。
全独ランクリストに依ると順位は27番と評価はいまだ高い。
ニュー:Euro88~118、70席、レストラン従業員35名。
又、月・火はレストランが休みの為、この旅行日程(2007.04.29.日曜日に) を調整した。
(尚、Wald&Schlosshotel Friedrichsruheは長期間の2星から1星になり、2018年2星に復帰し、全独ランクは70位である)
・・・・・・
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:ホテル玄関 -
グルメレストランはもちろん三十年前のレストランのイメージは全く無く、昨年の改装もあって、壁、天井、円柱、そして、テーブルクロスも白に統一されていた。椅子は焦げ茶色、床も同系色の絨毯が敷きしめられ、ドア、壁の縁も同じに彩色されている。Baiersbronnのホテル・ザックマンSchlossbergシュロスベルクとは正反対の色合いで、たいへん落ち着いた趣むきである。改装前はマホガニーレッドの明るい色であったようだ。
このホテルのレストランを取り仕切る、ドイツ料理界きってのマイスターシェフLothar Eiermannロタール・アイアーマン氏も既に60歳を過ぎたという。年齢からくる、落ち着いたものへの希求があるのだろうか?!
写真は2007.04.29.Wald&Schlosshotel Friedrichsruhe:グルメレストラン -
ミシュラン1星(16.5点)・全独順位は27番の評価のあるグルメレストランでのオーダーは、私がKleines Gourmet-MenueグルメメニューⅠ・4品(Euro76)・・・メニューではGrosses Gourmet-Menueグルメメニュー大は7品でEuro118だが、Kleines小は5品Euro88となっていた。ワゴンにのって出てくる各種のチーズ類はあまり好んで食べないので、これを除く4品にしてもらう・・・、家内はア・ラ・カルトで2品(Euro72)を選ぶ事にした。
オーダーをお願いした、チョビ髭の小柄な給仕長はとても愛想がいい。
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:グルメレストラン -
例の如く、オーダーしたメニューを記念にしたいと給仕長にお願いすると、嬉しいことに早速、仕上げて持ってきてくれた。しかも気配り良く、ホテルのパンフレット等も一緒に。ドイツの一流を自認するレストランはB5サイズの表紙にレストランの絵とか、紋章とかを印刷し、中の一枚の両面を利用して、左片面には当日の年月日、レストラン名、場合によってはワインの名前を記載し、右の片面には料理のメニューが印刷されている。しかも、その表紙と中の一枚を真中から折ったものを螺旋状に織り込んだ紐で結わえてある。
(事前に食事メニューが決定されている場合は、その内容で作成され、テーブル上にお客の為に立てて置く)
ここのレストランでは私共それぞれ宛てに、二つ作成してくれた。その表紙には狩りの館の絵が描かれ、中の一枚の左面には客である家内に対し・Liebe Frau jijidarumaと、私には ・Sehr geehrter Herr jijidaruma親愛なる---と其々の宛名が書かれ、『私共、従業員そして私は、お料理をお楽しみ頂き、御満足頂けることを心より望んでおります。そして、貴方様のご来駕を心より感謝いたします』との文章が添えられ、マイスターシェフLothar Eiermannロタール・アイアーマン氏の自筆のサインがされていました。家内には白の紐、私の方には白と黄で織り込んだ紐で結わえてあって、たいへん嬉しいし、上品なアレンジをしていると思う。
ここまで徹底したサービスを見るのは始めてである。何十年も上位ランクに評価されるのに必要なのは、こうしたことなのでしょう。
写真はグルメレストランの私のメニュー -
ワインは2005年Grauer Brugunder Qba、Trocken 0.25L辛口の白(Euro8)、2004年Samtrot Qba 、Trocken 0.25L 赤(Euro9)。いずれも地場のStaatsweingut Weinsberg・ヴァインスベルグ国立醸造所のものです。
(ヴュルテンベルガーワイン街道:Weinsberg・ワインの丘という名をもつ町はネッカー川流域のHeilbronnに近いワイン産地にある)
シェフからの贈り物は『夏野菜のゼリー固め』が小ぶりの皿に載って、に出てきた。
前菜は私が『子牛のすい臓のソテーに茹でた海老が載り、春キャベツやトマトの野菜が添えられている。ソースは生クリームを泡立てたもの』---赤と緑の色合いも良く、美味しいスタートになった。
家内の方も、手の込んだ料理で、『鮭を貝の形にして、それらが円を描くように皿の上にならべられた、カルパッチョ。ビネグレットソースで味付けしたアミガサダケとアスパラガスのサラダ添え』と上品かつ美味しいもの。遠路を来た甲斐がありました。
2品目は私に『鱸のブーヤベースに二通りのトルテリーニ添え』、家内には品数が少ない為、シェフからの贈り物がありましたが、写真も撮らず、食べるのに集中していた所為か、内容は失念してしまった。
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:私の前菜が『子牛のすい臓のソテーに茹でた海老が載り、春キャベツやトマトの野菜が添えられている。ソースは生クリームを泡立てたもの』 -
メインは家内が魚料理『レモンで香り付けした、ブルターニュの鰈。ヤリイカと葱のリソット添えでした』で、申し分の無い味です。
私は肉料理『子羊の背肉パイ包み。太いソラマメと小さなアーチチョークを添え。赤ワインソース』、パイ包みは味が重くなりがちなのだがまずまずでした。料理はあまり多くなかったのはありがたい。それでも、家内から鰈料理をもらって少し食べてみると、どちらかと言えば、私も鰈料理の方が良かったかな!
デザートには『リンゴとラヴァーヴァにイチゴの真っ赤なシャーベットを載せた一品』そして、コーヒーをお願いする。
更に『自家製のショートケーキ(チョコレートケーキ)』が私の分として出てきた。さすがに家内に食べてもらいました。
Lothar Eiermannロタール・アイアーマン氏の本日の料理は全体に味、量とも満足のいくものでした。
メニューにはドイツ語化した?仏語、英語が混在して出てくるので、理解するのは大変難しい。これも一流の気取りなので仕方が無いのでしょう。
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:家内の魚料理『レモンで香り付けした、ブルターニュの鰈。ヤリイカと葱のリソット添えでした』 -
このホテル・レストランは2005年Wuerthグループに経営主体が代わった。現場の指揮は従来通り、ミシュラン2星を長い間、保持していたLothar Eiermannロタール・アイアーマン氏が取り仕切っているとはいえ、経営体の変化、年齢から来る衰えなどが微妙に料理にまで影響しているか、どうなのだろうか?! Baiersbronnのホテル・ザックマンSchlossbergシュロスベルクとは、現在、同じミシュラン1星、全独順位も近い。しかしそれ以上に、両者の差を明らかに感じた。
たまたま、レセプションで打ち合わせしていたLothar Eiermannロタール・アイアーマン氏に出会い、ミーハーよろしく、一緒に写真を撮らせて頂いた。
写真は夕食後、Sternシュテルン(ミシュラン星付き)シェフ・ロタール・アイアーマン氏と。 -
車も少なくなったホテルの駐車場を21:30に出て、古城ホテル レーエンに向かって、真っ暗の道を帰る。―>L?12km(Oehringen)―>A6/B27 24km Bad Friedrichshall・Hotel Schloss Lehen古城ホテル レーエンに22:05着。(ホテル間の往復は75km、90分でした。)
写真は2007.04.29.古城ホテル フリードリヒスルーエ:ゲートハウスの前景
(2019年12月27日編集・加筆)
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皆様、良い年をお迎えください。
2020年も宜しくお願い致します。
jijidaruma
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