2009/12/07 - 2009/12/15
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jijidarumaさん
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<ドイツのクリスマス・第2日12月8日(火)Wuerzburgヴュルツブルクの二つの宿題>
ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)
12月8日(火);小雨模様、6.5℃、169km
Wuerzburgヴュルツブルク9:10(クリスマス市・観光;9:25~13:30)
->L?・B8・A81・(Ilsfeldイルスフェルト)L? 169km 16:00 Neckarwestheimネッカーヴェストハイム・Schloss Liebensteinリーベンシュタイン城に到着。
*4時に目が覚めるのは時差が解消するまで、いつもの事だ。6時に起床し、ゆっくりと朝食をとり、朝は雨がぱらついているが、ホテル周辺を散策し、Wuerzburgの眺望を楽しんだ。
朝食の時に、ツアーではない様子の両親と娘3人の日本人にあった。クリスマスマーケット見物に来られたのだろう。
9時にホテルを出発。
今春に訪れたが、訪ねる機会が無かった場所を今回は第一に見る事にしている。
まず、St.Brukard Kirche聖ブルカート教会を目指した。
写真はShloss Steinburg古城ホテル シュタインブルク城とブドウ畑の遠望(春の景色)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
≪ヴュルツブルク旧市街観光≫
(世界遺産1981年登録 ; 9:10〜12:05)
St.Brukard Kirche聖ブルカート教会(子供を抱くマリア像、十字架像・・・リーメンシュナイダー作品)、Residenzレジデンス、Neumuensterノイミュンスター教会(SchoeneMadonna美しいマリア像・・リーメンシュナイダー作)、クリスマス市。
http://www.wuerzburg.de/
写真はマリエンブルク要塞から旧市街を望む(春景色) -
町の歴史;
人口13万人の町はSpessartシュペッサートやSteigerwaldシュタイガーヴァルトに囲まれたマイン川の川畔に発展した。下フランケン地方の美しい古都はマイン川の水運にめぐまれ、ワインの生産、集荷、販売の中心地であり、司教領として長らく栄えてきた。
紀元前には丘の上にケルト人の砦(現在、マリエンブルク要塞がある)、麓には集落があった。7世紀に聖キリアン(アイルランド人)が殉教。聖ボニファティウスが8世紀に司教座を置く。
11世紀になると、帝国都市(自由都市Freistadt)として繁栄した。
12世紀には、皇帝フリードリヒ1世 “赤髭(バルバロッサ)”(ホーエンシュタウフェン家)がブルグンドのベアトリックスとこの町で結婚式をあげている。皇帝はヴュルツブルクの司教にこの町を与え、領主司教とした。
1815年にはバイエルン王国に編入された。
第2次世界大戦末期には英軍の爆撃をうけて町の90%が破壊されたが、世界遺産であるレジデンツは破壊をまぬがれたと云う。
観光街道のRomantische Strasseロマンチック街道の起点の町でもある。
写真は古城ホテル シュタインブルク城からの眺望 -
<ヴュルツブルク:二つの宿題>
この春に訪れたマリエンブルク要塞の“領主の館博物館”で、ある出会いがあった。
館内に第2次大戦時のヴュルツブルクの惨状を何分の一かに縮小した大きな模型図が展示されていた。
ここであるドイツ人老夫婦にお会いした。老人は英軍の爆撃をうけて町の90%が破壊された時に居合わせて、逃げまどったと言う。
焼け野原の町はそれこそ日本の広島によく似ていると申し上げたら、うなずいておられた。
写真は古城ホテル シュタインブルク城からの眺望 -
観光に来られたのなら、是非、破壊をまぬがれたレジデンツと要塞の麓に聖ブルカート教会があり、ここのリーメンシュナイダー作品・子供を抱くマリア像、十字架像を見ることをお勧めする・・・と。
とても印象に残った会話でしたから、このクリスマスの旅でこの二つの宿題をクリアーしたいと思っている。
写真は古城ホテルの朝食の間(騎士の間) -
<St.Brukard Kirche聖ブルカート教会>: 9:25〜9:50
マリエンブルク要塞の麓を走る道を数分行くと、この教会とユースホステル(YHはドイツが発祥の地。今から100年程前 ドイツの小学校教師 リヒアルト・シルマン氏によって始められた。約600のYHを国内中に持つドイツは世界一の数。)の駐車場がある。
10数台程度のものだが、幸い空いていた。
写真は古城ホテルの朝食の間(騎士の間) -
聖ブルカート教会は2本の尖塔をもったロマネスク様式の会堂が残り、後期ゴシック様式に内陣や外廊も見られる。
教会の中に入ると誰もいない様子である。
写真は子供を抱く聖マリア像;1490年頃のリーメンシュナイダー作品。 -
子供を抱く聖マリア像;
1490年頃のリーメンシュナイダー作品。展示されている「ケース」は人が近くに来ると電灯がつき、鑑賞もしやすい。
たいへんやさしげな表情で、顔つきにリーメンシュナイダーの特徴が見える。蝋燭の火を灯して、寄進した。
写真は子供を抱く聖マリア像;1490年頃のリーメンシュナイダー作品。 -
写真は聖ブルカート教会の聖壇
-
写真は聖ブルカート教会の聖壇
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写真は聖ブルカート教会の聖遺物
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宿題を一つ済ませた思いで、旧市街に向かい、レジデンス前の大きな駐車場に入った。(10:05〜13:30 ・・・ 3時間半の駐車料金はEuro5。)
<Residenzレジデンス大司教の宮殿>: 10:05〜11:20
ヴェルサイユ宮殿をモデルにイタリア=フランス・バロック様式で、1720年から1744年に建設された。
レジデンスの前にはFranconia Brunnenフランコニアの噴水がある。水は流れていないが、フランケン地方の守護女神(聖フランコニア)である、女神フランコニアがヴュルツブルクの市旗を持ち、噴水の中心に立っている。
写真はFranconia Brunnenフランコニアの噴水:リーメンシュナイダーの像 -
周囲は3人の座像がある。いずれもヴュルツブルクのゆかりの人物たち;
彫刻家リーメンシュナイダー、宮廷詩人ミンネゼンガーのフォーゲルワイデ、画家グリューネヴァルトである。ここの写真はリーメンシュナイダーにした。
写真はFranconia Brunnenフランコニアの噴水:宮廷詩人ミンネゼンガーのフォーゲルワイデの像 -
この春、久しぶりに見てみたいと、汗をかいて、着いてみると、何と悔しい事にResidenzレジデンスは急に今日の午後2時から休館だと張り紙がある。
要塞とレジデンスがこの町の目玉なのに、何があったのか?!分からぬままに、諦めていたので、今回はレジデンスを優先しての観光である。
写真はFranconia Brunnenフランコニアの噴水:画家グリューネヴァルトの像 -
ガイド案内(料金はシニアEuro6x2=12)がスタートするまで、1階の庭園に面した、Gartensaal庭園の間でしばし待つ事になる。神々の饗宴、女神ダイアナの休息を描いた天井画が見られる。
写真はFranconia Brunnenフランコニアの噴水 -
Einfahrtshalle玄関ホールからガイドがスタートする。6頭立ての馬車が、階段の間の前まで乗り入れが可能であったと言う。滑らぬように石にも工夫し、天井も高くしたそうだ。
バロック建築の傑作とされる宮殿の建築はバルタザール・ノイマンが全般を担当し。ヴェネチアの画家ティエポロが世界最大の天井画を描いた。
写真はレジデンス -
玄関ホールから有名なTreppenhaus階段の間に進む。
そこは600平方メートルもあり、階段そのものだけでなく、階段を上がった、2階の巨大な天井画と一つに見た芸術景観である。
その四角い天井画のそれぞれの一辺がアジア(象を象徴的に描いているのだと云う。)、アフリカ(ラクダ)、アメリカ(インディアン)、ヨーロッパ(ノイマンの紫の軍服姿と大砲)の4大陸・・・当時は、5大陸目のオーストラリア大陸はまだ知られていない。・・・が描かれていて、見る人に圧倒的な迫力で迫ってくる。
2階の最初の間はWeisser Saal白の間になる。衛兵の詰め所の役割を持った場所でもある。白のレース状の漆喰飾りは天才職人であったアントニオ・ボッシの繊細な技。
写真はレジデンスの天井画 -
ひときわ豪華な部屋が次のKaisersaal皇帝の間と称されている。
ドーム型の天井、大理石風に最初された柱が、ノイマン得意のものだ。ふんだんに使われた金細工、華麗であるロココ様式のもの。ヴュルツブルクの歴史に欠かせない、皇帝フリードリヒ1世 “赤髭(バルバロッサ)”(ホーエンシュタウフェン家)とベアトリックスの結婚式を描いた壁画、太陽神アポロの天井画も見事なものだ。犬のだまし絵もここにあった。
こちらは省略したが、宮殿内の教会もノイマンの設計である。庭園、宮殿の北廊は図書館、南廊は博物館で数々の絵画、リーメンシュナイダーの作品が展示されている。
つまり、世に名高い3人の作品はレジデンツに集まっているわけだ!!
これで2つ目の宿題をまずまず、クリアーした。
(10;40〜11:20 ガイドのみ;40分間)
写真はレジデンスの天井画 -
宮殿にあるべき宝物、陶磁器の名品などを見かけなかった。
あるのは壁画・天井画である。博物館に何があるのかは見ていないので分からないが、ここの案内書でも天井画などの説明だけで、宝物類の記述が無い。
察するにこの王宮からバイエルン王家に宝物は流れた?!らしい。
写真はヴュルツブルクの旧市街(春) -
<Johann Balthasar Neumannヨハン・バルタザール・ノイマン>
ヨハン・バルタザール・ノイマンは1687年1月30日(?)ヘプ(チェコ)〜1753年8月19日(?) ヴュルツブルクの砲兵隊大佐として亡くなった。)はバロック及びロココ様式の建築家として名高い。ノイマンは1711年にヴュルツブルクの砲兵部隊に所属したが、司教ハン・フィリップ・フランツ・シェーンボルンの援助でイタリア、フランケン地方さらにはオランダで建築の腕を振るうこととなった。
ノイマンは、バロックおよびロココの最も重要な建築家の一人で、彼によって、南ドイツの建築物は、あるいはドイツ・カトリックのバロック建築はその頂点を築いたと云われている。
その本領は、特に階段室や礼拝堂といった巨大なインテリアの創作に発揮されている。ノイマンは室内装飾の仕事を同時に行うことはなかった。むしろ専門的な芸術家を集め、その力を利用した。
特にヴュルツブルクの司教宮殿(レジデンツ)では国際的な芸術家を集め、ヴュルツブルク・ロココの最高傑作を作り上げている。(Wik)
今まで私が見た作品群と場所;
ヴュルツブルクのレジデンツ(上述)、ブリュールの城館(階段室、1740年 – 1746年)、ブルッフザールの城(階段室、1731年頃)、ヴュルツブルク大聖堂のシェーンボルン礼拝堂(1718年から1736年)。
写真はヴュルツブルクの旧市街(春) -
Dom(St. Kilian)大聖堂 とNeumuenster(ノイミュンスター)新大聖堂;
〜12:12
前者はドイツで4番目に大きい聖キリアン大聖堂だと云う。聖キリアンはフランケン地方の守護聖人。戦争で破壊され、戦後再建されたバジリカ風の聖堂である。
リーメンシュナイダーの作品;Rudolf v Scherenbergルドルフ・シェーレンベルク領主司教とLorenz v Bibraローレンツ・ビブラ;2体の彫像(墓碑)が有名である。
写真はHl. Barbara聖女バルバラ -
写真はリーメンシュナイダーの作品;Rudolf v Scherenbergルドルフ・シェーレンベルク領主司教の彫像(墓碑)
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写真はリーメンシュナイダーの作品;Lorenz v Bibraローレンツ・ビブラの彫像(墓碑)
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後者は7世紀末のキリスト教布教の殉教者キリアン、コロナート、トートナンの墓の上に11世紀に建てられた。
釘を打たれたままの手を組んだ十字架のキリストの木彫りはあまり他に例を見た事が無い。
ここにもリーメンシュナイダー作の聖母子像・Schoene Madonna美しいマドンナ像と祭壇に聖キリアン像(複製)がある。
リーメンシュナイダー作品をこの春から特にテーマとして見てきたが、嬉しいことに、このフランケンに集中している。
写真はリーメンシュナイダー作の聖母子像・Schoene Madonna美しいマドンナ像 -
<Tilman Riemenschneiderティルマン・リーメンシュナイダー>
リーメンシュナイダー(1460年頃 - 1531年)は中世ドイツの彫刻家である。北ドイツのLandkreis Osterode am Harzのオステンブルク(Ostenburg)に生まれる。後に家族と共にヴュルツブルクに移住し、工房をかまえ、祭壇や墓碑の彫刻を数多く手がけたと云う。その追随を許さぬ技術で評価を高めた。
特に女性の彫像はその顔の表情が豊かで、独特の作品が多く、印象強い作品である。一方、1520年から1521年まで、ヴュルツブルクの市長を務めている。
ドイツ農民戦争(1524年〜25年、主にドイツ南部・中部の農民が起こした大規模な反乱。)の際、元市長として戦争に加担したとされ、反乱の鎮圧後に逮捕され、大事な利き腕を折られ、再び彫刻家として活躍ができなくなった。
写真はティルマン・リーメンシュナイダー作品・蝋燭を掲げる天使 -
その死後、歴史から忘れ去られた。
その作品はフランケン地方一帯の教会、修道院などに、作者はティル親方とか、ディルとかいった名前だけが伝えられて、残っていたそうだ。
1822年に漸く彼の墓碑が発見され、再びその作品群と共に、歴史上にその名が復活することになったという。 (Wik)
写真はティルマン・リーメンシュナイダー作品・マリアの像
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