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<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅><br />ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅<br />期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間<br /><br />①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。<br />②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。<br />③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城<br />④2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を巡る。<br />⑤2013年秋のドイツ5:ザワーラント・フランケンベルク(エーダー)の市庁舎には独特の10の塔がある。<br />⑥2013年秋のドイツ6:力強く、最も美しい山城の1つと称されているアルテナ城<br />⑦2013年秋のドイツ7:ミュンスター地方の典型的な水城レンベック城は古城ホテル<br />⑧2013年秋のドイツ8:ミュンスター地方・黄葉の森の中に立つ5つの水城を巡る。<br />⑨2013年秋のドイツ9:ラエスフェルト城近くにキャベツ夫人・アンナの彫像が立つ。<br />⑩2013年秋のドイツ10:懐かしのデュッセルドルフ、オランダ国境のアンホルト水城、ヘルテフェルト城へ。<br />⑪2013年秋のドイツ(オランダ編)11:オランダもこぢんまりした古城ホテルがある。<br />⑫2013年秋のドイツ(ベルギー編)12:かのカエサルも“ガリア地方最大の森”と称したアルデンヌの古城を巡る。<br />⑬2013年秋のドイツ(ベルギー編)13:名園で知られたアンヌヴォワ城で風邪をひき、立ち往生する。<br />⑭2013年秋のドイツ(ベルギー編)14:”ルネサンスの宝石”と讃えられる古城の部屋でひたすら寝て、汗をかく。<br /><br />写真はボレンドルフ:ヤコブの巡礼の道の地図

2013年秋のドイツ15:病み上がりの身には130kmの距離にある国境のボレンドルフ城も遠い。

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2013/10/14 - 2013/10/28

34位(同エリア229件中)

<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。
②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。
③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城
④2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を巡る。
⑤2013年秋のドイツ5:ザワーラント・フランケンベルク(エーダー)の市庁舎には独特の10の塔がある。
⑥2013年秋のドイツ6:力強く、最も美しい山城の1つと称されているアルテナ城
⑦2013年秋のドイツ7:ミュンスター地方の典型的な水城レンベック城は古城ホテル
⑧2013年秋のドイツ8:ミュンスター地方・黄葉の森の中に立つ5つの水城を巡る。
⑨2013年秋のドイツ9:ラエスフェルト城近くにキャベツ夫人・アンナの彫像が立つ。
⑩2013年秋のドイツ10:懐かしのデュッセルドルフ、オランダ国境のアンホルト水城、ヘルテフェルト城へ。
⑪2013年秋のドイツ(オランダ編)11:オランダもこぢんまりした古城ホテルがある。
⑫2013年秋のドイツ(ベルギー編)12:かのカエサルも“ガリア地方最大の森”と称したアルデンヌの古城を巡る。
⑬2013年秋のドイツ(ベルギー編)13:名園で知られたアンヌヴォワ城で風邪をひき、立ち往生する。
⑭2013年秋のドイツ(ベルギー編)14:”ルネサンスの宝石”と讃えられる古城の部屋でひたすら寝て、汗をかく。

写真はボレンドルフ:ヤコブの巡礼の道の地図

旅行の満足度
3.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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  • 10月25日(金);129km 、18.5℃、曇り。<br /><br />7:15起床、朝食(9:35 ~10:25)後、チェクアウトぎりぎりの11:00にMarche-en Famenneマルシュ・アン・ファメンヌのダッソンヴィル城をスタート。 ->L?・E46・L? (Bastogneバストーニュ)・84・L?15 69km Pommerlochポメルロッホ ->L?15・L? 29km(Ettelbruckエッテルブリュック) ->L?・E421・L?7  6km (Diekirchディーキルヒ)->L?・E421・L? 25km Bollendorfボレンドルフ城に15:10到着。<br /><br />写真は古城ホテル ダッソンヴィル城

    10月25日(金);129km 、18.5℃、曇り。

    7:15起床、朝食(9:35 ~10:25)後、チェクアウトぎりぎりの11:00にMarche-en Famenneマルシュ・アン・ファメンヌのダッソンヴィル城をスタート。 ->L?・E46・L? (Bastogneバストーニュ)・84・L?15 69km Pommerlochポメルロッホ ->L?15・L? 29km(Ettelbruckエッテルブリュック) ->L?・E421・L?7  6km (Diekirchディーキルヒ)->L?・E421・L? 25km Bollendorfボレンドルフ城に15:10到着。

    写真は古城ホテル ダッソンヴィル城

    シャトー ダッソンヴィル ホテル

    “ルネサンスの宝石”と称される孔雀のいる美しいシャトー・ダッソンヴィル城 by jijidarumaさん
  • *昨夜は夕食から帰ると、バタンキューで午後10時にはもう寝ていた。しかし、朝の4時半ぐらいまで、1時間、あるいは1時間半おきに、汗で濡れたのと、のどの渇きで目を覚ました。家内もゆっくり寝ていられないので大変だったろう。<br />風邪の間は普段の日よりも、水や持参の栄養剤を何度も飲んだ。7時15分に汗で目が覚め、着替えてから再び9時まで寝た。<br />少しずつ回復に向かうのが分かる。さっとシャワーを浴びたが、身体がかったるい事も無く、足に力も入り。朝食を食べる意欲も湧いた。<br /><br />朝食(9:35 ~10:25)、朝食はいつもとは違って、あまり食べられないものの、時間をかけて食べた。まずまずだ。<br /><br />写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:朝食の間

    *昨夜は夕食から帰ると、バタンキューで午後10時にはもう寝ていた。しかし、朝の4時半ぐらいまで、1時間、あるいは1時間半おきに、汗で濡れたのと、のどの渇きで目を覚ました。家内もゆっくり寝ていられないので大変だったろう。
    風邪の間は普段の日よりも、水や持参の栄養剤を何度も飲んだ。7時15分に汗で目が覚め、着替えてから再び9時まで寝た。
    少しずつ回復に向かうのが分かる。さっとシャワーを浴びたが、身体がかったるい事も無く、足に力も入り。朝食を食べる意欲も湧いた。

    朝食(9:35 ~10:25)、朝食はいつもとは違って、あまり食べられないものの、時間をかけて食べた。まずまずだ。

    写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:朝食の間

  • 写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:サロン

    写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:サロン

  • チェクアウトぎりぎりの11:00まで、名残惜しく。<br /><br />写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:サロン

    チェクアウトぎりぎりの11:00まで、名残惜しく。

    写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:サロン

  • ”また、お元気な時に御再訪ください”との給仕長の言葉に送られて、ダッソンヴィル城を出発した。<br /><br />写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:サロン

    ”また、お元気な時に御再訪ください”との給仕長の言葉に送られて、ダッソンヴィル城を出発した。

    写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:サロン

  • 写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:浴室の上窓<br /><br />まず、少なくなったガソリンを給油する。ロッシュフォール通りの右手にあるTotal(Marloieマルロウ)給油所があったのを昨日、見ていた。<br /><br />機械部品の販売所に併設されたもので、新式なのでしょうか、見ても給油のやり方が分からず、販売所で聞く事になった。所が、言葉が通じない。手振りで聞くと、偶々来ていた男性客が教えてあげるとばかりに、私を給油場所にいざなった。<br /><br />つまり、この新式スタンドはクレジットカードを差し込み、暗証番号を打ち込み、カード会社から認証されると、そこで初めて給油ができると云うものでした。<br />この新式は増えているのでしょうけど、初めての体験でした。<br />ご親切な方に感謝です。<br /><br />3回目の給油は47.55L@1.62=Euro77.03(10,533円)。<br /><br />

    写真は古城ホテル ダッソンヴィル城:浴室の上窓

    まず、少なくなったガソリンを給油する。ロッシュフォール通りの右手にあるTotal(Marloieマルロウ)給油所があったのを昨日、見ていた。

    機械部品の販売所に併設されたもので、新式なのでしょうか、見ても給油のやり方が分からず、販売所で聞く事になった。所が、言葉が通じない。手振りで聞くと、偶々来ていた男性客が教えてあげるとばかりに、私を給油場所にいざなった。

    つまり、この新式スタンドはクレジットカードを差し込み、暗証番号を打ち込み、カード会社から認証されると、そこで初めて給油ができると云うものでした。
    この新式は増えているのでしょうけど、初めての体験でした。
    ご親切な方に感謝です。

    3回目の給油は47.55L@1.62=Euro77.03(10,533円)。

  • 今日も、ひたすら、次の宿古城ホテル ボレンドルフ城へ急いだので、観光や昼食・お茶もナシ。<br /><br />予定の行程では、中世のLa Roche-en-Ardenneロッシュ・アン・アルデンヌ 城塞の廃墟(写真)、かつてドイツ駐在中に2度ほど訪れたルクセンブルクの古城Chaeteau de Clervauxクレルボー城とChaeteau  de Viandenヴィアンデン城だったが、見物は諦めた。<br /><br />写真はベルギーLa_Roche-en-Ardenneロッシュ・アン・アルデンヌ 城塞の廃墟と町

    今日も、ひたすら、次の宿古城ホテル ボレンドルフ城へ急いだので、観光や昼食・お茶もナシ。

    予定の行程では、中世のLa Roche-en-Ardenneロッシュ・アン・アルデンヌ 城塞の廃墟(写真)、かつてドイツ駐在中に2度ほど訪れたルクセンブルクの古城Chaeteau de Clervauxクレルボー城とChaeteau de Viandenヴィアンデン城だったが、見物は諦めた。

    写真はベルギーLa_Roche-en-Ardenneロッシュ・アン・アルデンヌ 城塞の廃墟と町

  • <Grossherzogtum Luxemburg(ドイツ語)ルクセンブルク大公国><br /><br />ルクセンブルク大公国は西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家である。<br />狭く縦長の国のほぼ中央に位置するルクセンブルク市が首都で、市内を離れると深い森と渓谷におおわれた小さな町々が点在する。<br />隣接する国々は南にフランス、西と北のベルギー、東のドイツであり、いずれも歴史的にも近接した関係があった。ベルギー、オランダ、ルクセンブルクと併せて、三国の頭文字をとって、“Beneluxベネルクス”と呼ばれている。<br /><br />ルクセンブルク大公国は963年、アルデンヌ家のSigefroidジーゲフロイト伯爵が今の首都の領土に城を築いたことに始まる。1060年頃、アルデンヌ家の分家であるルクセンブルク家に伯爵位が与えられた。<br />14世紀から15世紀にはルクセンブルク家から神聖ローマ皇帝やボヘミア王を出し、1354年にルクセンブルク家の皇帝カール4世によって伯領から公領へ昇格された。<br />その後の歴史は小国の悲哀そのままに、パプスブルク家、スペイン、フランス、オランダ、ベルギー各国の支配下に置かれてきた。ナポレオン体制の終焉と共にウィーン条約で大公国として自治を確立させ、その後の紆余曲折を経て、固有の君主を有する現在の独立大公国となった。<br /><br />1867年にプロイセンとフランスの緩衝地帯として、ルクセンブルク大公国は永世中立国となった。<br />1949年にはNATOに加盟し、82年間続いた永世中立を放棄した。<br />第二次大戦後は鉄鋼業で栄え、近年は金融業が発展し、EU(欧州連合)の主要機関が置かれるなど、ヨーロッパ経済の中枢としての役割を担う。<br />1957年に欧州経済共同体、1967年に欧州連合、1999年にユーロ圏へといずれも原加盟国として参加している。<br /><br />国民はケルト人、ゲルマン人などの混血が主で、神奈川県並みの国土に人口は486千人。<br />国家元首はナッサウ・ヴァイルブルク家が世襲するルクセンブルク大公である。<br />Haus Nassauナッサウ家は、ドイツ西部のライン地方を発祥としたヨーロッパの貴族、王家であり、1代限りだが神聖ローマ皇帝も出した家系である。<br />現在のオランダ王家であるオラニエ・ナッサウ家、ルクセンブルク大公家であるナッサウ・ヴァイルブルク家はともに同家の流れをくんでいる。<br /><br />ルクセンブルクには、モーゼル川、シュール川、ウール川、アルゼット川の4大河川があります。そのほか、西部にはメス川、マメール川、アイシュ川、アテール川、ヴァーク川があります。北部にはヴィルツ川、クレルブ川、ブリース川があります。東部には白エルンツ川、黒エルンツ川、スィール川、ガンデール川があります。ペトリュス川はルクセンブルク市を通る小さい川で、アルゼット川に流れ込んでいます。国の南西部からムーズ川に流れ込むシエール川を除くと、ルクセンブルクの川はモーゼル川を経由して、ライン川に合流します。<br /><br />この国も多くの古城、城塞、城址が残っていて、130以上の数があると云われている。その内、比較的世に知られた50の古城、城塞、城址を一覧表に纏めてある。<br />今回のルクセンブルクは宿泊する事もなく、北から入って、東に抜けてしまい、せいぜい2つの古城を見るぐらいでしょう。<br /><br />XXX<br /><br />写真はルクセンブルクの地図

    <Grossherzogtum Luxemburg(ドイツ語)ルクセンブルク大公国>

    ルクセンブルク大公国は西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家である。
    狭く縦長の国のほぼ中央に位置するルクセンブルク市が首都で、市内を離れると深い森と渓谷におおわれた小さな町々が点在する。
    隣接する国々は南にフランス、西と北のベルギー、東のドイツであり、いずれも歴史的にも近接した関係があった。ベルギー、オランダ、ルクセンブルクと併せて、三国の頭文字をとって、“Beneluxベネルクス”と呼ばれている。

    ルクセンブルク大公国は963年、アルデンヌ家のSigefroidジーゲフロイト伯爵が今の首都の領土に城を築いたことに始まる。1060年頃、アルデンヌ家の分家であるルクセンブルク家に伯爵位が与えられた。
    14世紀から15世紀にはルクセンブルク家から神聖ローマ皇帝やボヘミア王を出し、1354年にルクセンブルク家の皇帝カール4世によって伯領から公領へ昇格された。
    その後の歴史は小国の悲哀そのままに、パプスブルク家、スペイン、フランス、オランダ、ベルギー各国の支配下に置かれてきた。ナポレオン体制の終焉と共にウィーン条約で大公国として自治を確立させ、その後の紆余曲折を経て、固有の君主を有する現在の独立大公国となった。

    1867年にプロイセンとフランスの緩衝地帯として、ルクセンブルク大公国は永世中立国となった。
    1949年にはNATOに加盟し、82年間続いた永世中立を放棄した。
    第二次大戦後は鉄鋼業で栄え、近年は金融業が発展し、EU(欧州連合)の主要機関が置かれるなど、ヨーロッパ経済の中枢としての役割を担う。
    1957年に欧州経済共同体、1967年に欧州連合、1999年にユーロ圏へといずれも原加盟国として参加している。

    国民はケルト人、ゲルマン人などの混血が主で、神奈川県並みの国土に人口は486千人。
    国家元首はナッサウ・ヴァイルブルク家が世襲するルクセンブルク大公である。
    Haus Nassauナッサウ家は、ドイツ西部のライン地方を発祥としたヨーロッパの貴族、王家であり、1代限りだが神聖ローマ皇帝も出した家系である。
    現在のオランダ王家であるオラニエ・ナッサウ家、ルクセンブルク大公家であるナッサウ・ヴァイルブルク家はともに同家の流れをくんでいる。

    ルクセンブルクには、モーゼル川、シュール川、ウール川、アルゼット川の4大河川があります。そのほか、西部にはメス川、マメール川、アイシュ川、アテール川、ヴァーク川があります。北部にはヴィルツ川、クレルブ川、ブリース川があります。東部には白エルンツ川、黒エルンツ川、スィール川、ガンデール川があります。ペトリュス川はルクセンブルク市を通る小さい川で、アルゼット川に流れ込んでいます。国の南西部からムーズ川に流れ込むシエール川を除くと、ルクセンブルクの川はモーゼル川を経由して、ライン川に合流します。

    この国も多くの古城、城塞、城址が残っていて、130以上の数があると云われている。その内、比較的世に知られた50の古城、城塞、城址を一覧表に纏めてある。
    今回のルクセンブルクは宿泊する事もなく、北から入って、東に抜けてしまい、せいぜい2つの古城を見るぐらいでしょう。

    XXX

    写真はルクセンブルクの地図

  • ベルギーのマルシュ・アン・ファメンヌからBastogneバストーニュ経由でルクセンブルク大公国に入り、Wiltzウィルツに向かう途中にショッピングセンターがあった。<br />トイレにも行きたかったし、孫たちの衣料もまだ足らないので、ここで見てみようということになったのだが・・・。この町はPommerlochポメルロッホと言う町だったが、手元の大きな地図には載っていない。<br /><br />写真はルクセンブルクの古城・Clervauxクレルボー城:俯瞰<br /><br />*セピア色の思い出:ルクセンブルク:40年前にクレルヴォー城を訪ねた<br />https://4travel.jp/overseas/area/europe/luxembourg/clervaux/kankospot/10387134/tips/12113565/

    ベルギーのマルシュ・アン・ファメンヌからBastogneバストーニュ経由でルクセンブルク大公国に入り、Wiltzウィルツに向かう途中にショッピングセンターがあった。
    トイレにも行きたかったし、孫たちの衣料もまだ足らないので、ここで見てみようということになったのだが・・・。この町はPommerlochポメルロッホと言う町だったが、手元の大きな地図には載っていない。

    写真はルクセンブルクの古城・Clervauxクレルボー城:俯瞰

    *セピア色の思い出:ルクセンブルク:40年前にクレルヴォー城を訪ねた
    https://4travel.jp/overseas/area/europe/luxembourg/clervaux/kankospot/10387134/tips/12113565/

  • <KNAUF  SHOPPING  CENTER  A  POMMERLOCH><br />12:30~13:30<br />L-9638 Pommerloch  、19, route de Bastogne<br />このセンターには60もの企業が店を出し、業種は様々で、日本のショッピングセンターと似た様なものだ。私はJBCの店の椅子に座りっきりで、家内がじっくり、ゆっくり見て、購入したものは以下のものでした。<br /><br />JBC Pommerloch店: http://www.jbc.be/fr/<br />ベルギー中に店を持つベルギーの衣料チェーンだそうだが、ここポメルロッホはルクセンブルク大公国の町になり、ベルギー国境に車で10分程度と近い。<br />孫たちの衣類5点のお値段はEuro134.5(13,786円)。<br />ベルギー製の品物は良く、なかなかデザインも斬新で良かった。<br /><br />写真はルクセンブルクの古城・Viandenヴィアンデン城:俯瞰<br /><br />*セピア色の思い出:ルクセンブルク:40年前に訪れたヴィアンデン城<br />https://4travel.jp/overseas/area/europe/luxembourg/vianden/kankospot/10387127/tips/12113566/<br /><br /><br />

    <KNAUF SHOPPING CENTER A POMMERLOCH>
    12:30~13:30
    L-9638 Pommerloch  、19, route de Bastogne
    このセンターには60もの企業が店を出し、業種は様々で、日本のショッピングセンターと似た様なものだ。私はJBCの店の椅子に座りっきりで、家内がじっくり、ゆっくり見て、購入したものは以下のものでした。

    JBC Pommerloch店: http://www.jbc.be/fr/
    ベルギー中に店を持つベルギーの衣料チェーンだそうだが、ここポメルロッホはルクセンブルク大公国の町になり、ベルギー国境に車で10分程度と近い。
    孫たちの衣類5点のお値段はEuro134.5(13,786円)。
    ベルギー製の品物は良く、なかなかデザインも斬新で良かった。

    写真はルクセンブルクの古城・Viandenヴィアンデン城:俯瞰

    *セピア色の思い出:ルクセンブルク:40年前に訪れたヴィアンデン城
    https://4travel.jp/overseas/area/europe/luxembourg/vianden/kankospot/10387127/tips/12113566/


  • ≪Eifelアイフェル地方≫<br />ドイツ西部からルクセンブルグ・ベルギー東部にかけて標高の低い山地が広がるが、この一帯をEifelアイフェル地方と呼んでいる。<br />南はモーゼル川、東はライン川、北はハイフェンスの丘、西はベルギーとルクセンブルクのアルデンヌ高地によって区切られる。<br />この辺りは太古の昔は火山帯であった事から、Vulkaneifelバルカン(火山)アイフェルとも称し、起伏のある山地と深い森、火山湖、そして鄙びた谷間の町が魅力である。<br />http://www.hoshizora.de/shishido/eifel/eifel.html<br /><br />写真はEifelアイフェル地方の地図

    ≪Eifelアイフェル地方≫
    ドイツ西部からルクセンブルグ・ベルギー東部にかけて標高の低い山地が広がるが、この一帯をEifelアイフェル地方と呼んでいる。
    南はモーゼル川、東はライン川、北はハイフェンスの丘、西はベルギーとルクセンブルクのアルデンヌ高地によって区切られる。
    この辺りは太古の昔は火山帯であった事から、Vulkaneifelバルカン(火山)アイフェルとも称し、起伏のある山地と深い森、火山湖、そして鄙びた谷間の町が魅力である。
    http://www.hoshizora.de/shishido/eifel/eifel.html

    写真はEifelアイフェル地方の地図

  • 南アイフェル自然公園内に位置するBollendorfボレンドルフはドイツとルクセンブルクとの国境にあり、Sauerザウワー川(モーゼル川の支流:全長173km)が両国を隔てている。<br /><br />ルクセンブルクのDiekirchディーキルヒを通過し、両国を隔てるザウワー川に至る。ザウワー川の橋をまたぎ、今では当たり前のように両者はこの橋の上を往来している。<br />ボレンドルフの村には14:40には着いた。倍以上かけて、ゆっくりした走りだったが、段々気力も出てきた。<br /><br />写真はドイツとルクセンブルクとの国境、ザウワー川に架かる橋<br /><br />

    イチオシ

    南アイフェル自然公園内に位置するBollendorfボレンドルフはドイツとルクセンブルクとの国境にあり、Sauerザウワー川(モーゼル川の支流:全長173km)が両国を隔てている。

    ルクセンブルクのDiekirchディーキルヒを通過し、両国を隔てるザウワー川に至る。ザウワー川の橋をまたぎ、今では当たり前のように両者はこの橋の上を往来している。
    ボレンドルフの村には14:40には着いた。倍以上かけて、ゆっくりした走りだったが、段々気力も出てきた。

    写真はドイツとルクセンブルクとの国境、ザウワー川に架かる橋

  • この村はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(Jakobswegヤコブの巡礼路)に繋がる巡礼者の路上にあったそうで、ザウワー川畔にその旨を記した看板が立っていた。<br /><br />そこに描かれた地図によると、ケルンからボレンドルフを経由し、フランスのMetzメッツ(仏語:メス)に向かう道であった。更に言うと、ライプツィヒからザワーラントのアッテンドルン(10月17日に宿泊したシュネレンベルク城)を通り、ケルンに通じているヤコブス巡礼道もあり、その延長上にボレンドルフの地も繋がっていることになる。<br /><br />写真はボレンドルフ:ヤコブの巡礼の道の地図

    イチオシ

    この村はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(Jakobswegヤコブの巡礼路)に繋がる巡礼者の路上にあったそうで、ザウワー川畔にその旨を記した看板が立っていた。

    そこに描かれた地図によると、ケルンからボレンドルフを経由し、フランスのMetzメッツ(仏語:メス)に向かう道であった。更に言うと、ライプツィヒからザワーラントのアッテンドルン(10月17日に宿泊したシュネレンベルク城)を通り、ケルンに通じているヤコブス巡礼道もあり、その延長上にボレンドルフの地も繋がっていることになる。

    写真はボレンドルフ:ヤコブの巡礼の道の地図

  • 写真はWappen_Bollendorfボレンドルフの紋章

    写真はWappen_Bollendorfボレンドルフの紋章

  • 橋を渡って、国境となる中間点まで行った。ザウワー川は上流で雨が降った所為か、水量も多い。両岸は黄葉の真っ最中である。<br /><br />写真は国境に架かる橋から撮った:ボレンドルフ城方向にザウワー川が流れている。左がドイツ・右がルクセンブルク。

    橋を渡って、国境となる中間点まで行った。ザウワー川は上流で雨が降った所為か、水量も多い。両岸は黄葉の真っ最中である。

    写真は国境に架かる橋から撮った:ボレンドルフ城方向にザウワー川が流れている。左がドイツ・右がルクセンブルク。

  • 写真は古城ホテル ボレンドルフ城:丘陵地側からの眺望

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:丘陵地側からの眺望

  • 人口1700人の小さな村ボレンドルフにも五月柱がある。<br /><br />写真は五月柱

    人口1700人の小さな村ボレンドルフにも五月柱がある。

    写真は五月柱

  • 写真はBurg Bollendorf古城ホテル ボレンドルフ城:ザウワー川に臨んで立つ

    写真はBurg Bollendorf古城ホテル ボレンドルフ城:ザウワー川に臨んで立つ

  • Burg Bollendorfボレンドルフ城に15:10到着。駐車場は城の正面の左手丘の上にあり、トランクを降ろして、城門を迂回しながら坂道を下り、城内に入った。<br /><br />今日はドイツ人の団体客がバスで来ていて、騒がしい。本丸ではなく、彼らは別棟に部屋があるようだ。<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:城門

    Burg Bollendorfボレンドルフ城に15:10到着。駐車場は城の正面の左手丘の上にあり、トランクを降ろして、城門を迂回しながら坂道を下り、城内に入った。

    今日はドイツ人の団体客がバスで来ていて、騒がしい。本丸ではなく、彼らは別棟に部屋があるようだ。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:城門

  • チェックインすると、オーナー夫人が“貴方、予約が明日の夜になっていますけど?!”と言われる。“イエ、宿泊日の1日前倒しをご主人とメールでやり取りして、了解を得ていますが・・・!ここにメールの写しもあります。”<br /><br />夫人はそれで納得したが、今日も部屋は開いていて、問題は無かったのだそうだ。あとで、御主人と揉めたかどうかは知らない。<br /><br />写真はBurg Bollendorf古城ホテル ボレンドルフ城:2階の川側の部屋だった。

    チェックインすると、オーナー夫人が“貴方、予約が明日の夜になっていますけど?!”と言われる。“イエ、宿泊日の1日前倒しをご主人とメールでやり取りして、了解を得ていますが・・・!ここにメールの写しもあります。”

    夫人はそれで納得したが、今日も部屋は開いていて、問題は無かったのだそうだ。あとで、御主人と揉めたかどうかは知らない。

    写真はBurg Bollendorf古城ホテル ボレンドルフ城:2階の川側の部屋だった。

  • その後、ご主人が現れて、エレベーターでトランクを部屋まで運んでくれた。オーナーに“ここに住んでいるのですか?”と聞くと、“イヤ、別に家を持っているのでそこから通っている。”と云う。口ぶりではなかなか計数にも詳しい資産家のようだ。<br /><br />写真はBurg Bollendorf古城ホテル ボレンドルフ城:俯瞰

    その後、ご主人が現れて、エレベーターでトランクを部屋まで運んでくれた。オーナーに“ここに住んでいるのですか?”と聞くと、“イヤ、別に家を持っているのでそこから通っている。”と云う。口ぶりではなかなか計数にも詳しい資産家のようだ。

    写真はBurg Bollendorf古城ホテル ボレンドルフ城:俯瞰

  • 通された部屋はザウワー川に面したシンプルな明るい部屋で、地方の古城ホテルらしく、部屋の家具は皆、立派な木造家具でした。<br />4時から1時間半ほど休憩した。軽く寝てしまったようだ。<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:64号室(2階)の家具は皆、立派な木造家具

    通された部屋はザウワー川に面したシンプルな明るい部屋で、地方の古城ホテルらしく、部屋の家具は皆、立派な木造家具でした。
    4時から1時間半ほど休憩した。軽く寝てしまったようだ。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:64号室(2階)の家具は皆、立派な木造家具

  • <(1泊)⑫Burg Bollendorf古城ホテル ボレンドルフ城><br />この旅29番目の城<br /><br />D-54669 Bollendorf 、Burg Bollendorf 1 <br />Tel:+49 (0) 6526/690  、Fax:+49 (0) 6526/6938<br />http://www.burg-bollendorf.de/<br />http://www.bollendorf.de/<br /><br />64号室(2階)。Euro122(16,684円)。<br />Burg-Doppelzimmer・Euro61(朝食込み)X2=Euro122で予約した。一度予約した後に、宿泊日を1日早めたがオーナーの対応はとてもフレンドリーだった。<br />4星・全40室。ドイツ・ルクセンブルク国境にも近い南アイフェル地方のSauerザウワー川(Moselモーゼル川の支流:173km)沿いの岩壁上に立つ古城ホテルである。人口1700人の小さな村ボレンドルフにある。<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:客室の窓から見るザウワー川の流れ

    イチオシ

    <(1泊)⑫Burg Bollendorf古城ホテル ボレンドルフ城>
    この旅29番目の城

    D-54669 Bollendorf 、Burg Bollendorf 1
    Tel:+49 (0) 6526/690  、Fax:+49 (0) 6526/6938
    http://www.burg-bollendorf.de/
    http://www.bollendorf.de/

    64号室(2階)。Euro122(16,684円)。
    Burg-Doppelzimmer・Euro61(朝食込み)X2=Euro122で予約した。一度予約した後に、宿泊日を1日早めたがオーナーの対応はとてもフレンドリーだった。
    4星・全40室。ドイツ・ルクセンブルク国境にも近い南アイフェル地方のSauerザウワー川(Moselモーゼル川の支流:173km)沿いの岩壁上に立つ古城ホテルである。人口1700人の小さな村ボレンドルフにある。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:客室の窓から見るザウワー川の流れ

  • ボレンドルフ城の歴史:<br /><br />かつてはローマ軍団の城塞があったと云われる。<br />440年、古い文献によると、フン族の王アッチラがボレンドルフ城塞に滞在したとある。<br />城の起源は定かではないが、716年の時点でReichsabtei Echternach(現在の地図ではルクセンブルク領内)エヒテルナッハ帝国修道院の所有だった。<br />1619年にAbt Peter Richardtペーター・リヒャルト修道院長が城の南西部分に階段を擁した円塔を建て、その階段は全てのフロアーに通じるようになった。中世の城の面影は城壁にのみ残り、城は城壁に沿ってループ状の形になっている。<br />1739年にAbt Gregorius Schouppenグレゴリウス・ショウペン修道院長がバロック様式の城に造り変え、1776年に完成した。<br />城のホールや騎士の間は昔のままに保たれている。<br /><br />1975~82年に、様々な改装・補修を行い、4万㎡の敷地を利用してホテルを開業した。<br />今はレストラン、テラス、バンガロー(Bungalow)、庭園、二つの池などのある古城ホテルが運営されている。<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:64号室(2階)の家具は皆、立派な木造家具

    ボレンドルフ城の歴史:

    かつてはローマ軍団の城塞があったと云われる。
    440年、古い文献によると、フン族の王アッチラがボレンドルフ城塞に滞在したとある。
    城の起源は定かではないが、716年の時点でReichsabtei Echternach(現在の地図ではルクセンブルク領内)エヒテルナッハ帝国修道院の所有だった。
    1619年にAbt Peter Richardtペーター・リヒャルト修道院長が城の南西部分に階段を擁した円塔を建て、その階段は全てのフロアーに通じるようになった。中世の城の面影は城壁にのみ残り、城は城壁に沿ってループ状の形になっている。
    1739年にAbt Gregorius Schouppenグレゴリウス・ショウペン修道院長がバロック様式の城に造り変え、1776年に完成した。
    城のホールや騎士の間は昔のままに保たれている。

    1975~82年に、様々な改装・補修を行い、4万㎡の敷地を利用してホテルを開業した。
    今はレストラン、テラス、バンガロー(Bungalow)、庭園、二つの池などのある古城ホテルが運営されている。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:64号室(2階)の家具は皆、立派な木造家具

  • レストランに行くついでに小さな城内を散策する。<br />もうレストランでは団体客が食事を始めたようだ。私共も予約時間より15分早めにレストランに入った。<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:裏手の城門・・・入って右にレストランがある。

    レストランに行くついでに小さな城内を散策する。
    もうレストランでは団体客が食事を始めたようだ。私共も予約時間より15分早めにレストランに入った。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:裏手の城門・・・入って右にレストランがある。

  • ここはかつての“Pferdehof厩舎”であったとパンフレットにあったが、2010~2011年に新装されたとある。<br /><br />豚や鶏の小屋と違って、馬は騎士の必需品であり、大事にされていたのでしょうから、単なる農家の馬屋ではなく、格式ある?!“厩舎”なのである。<br />かつての“厩舎”をカフェやレストランに利用している古城ホテルは多い。<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:レストラン

    ここはかつての“Pferdehof厩舎”であったとパンフレットにあったが、2010~2011年に新装されたとある。

    豚や鶏の小屋と違って、馬は騎士の必需品であり、大事にされていたのでしょうから、単なる農家の馬屋ではなく、格式ある?!“厩舎”なのである。
    かつての“厩舎”をカフェやレストランに利用している古城ホテルは多い。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:レストラン

  • <夕食:古城ホテル ボレンドルフ城のレストラン><br />18:45~20:00<br /><br />飲み物はドイツ国内でもよく知られたBitburger Pilsビットブルガーピルツ 0.25LX2。このビール醸造場はボレンドルフから25km北東にある。<br /><br />料理はアラカルテから、次の品①②③の3品を選んだ。<br />ニンニク入りヨーグルト+パン。<br /><br />①スープ:Eifler Zwiebelsuppeアイフェルのオニオンスープ。<br />②メイン:Hirschgoulasch鹿肉のグーラッシュ料理。<br />③デザート:家内のみGemischtes Eisミックスアイス。  <br /> 合計Euro55(7,520円)<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:①スープ

    <夕食:古城ホテル ボレンドルフ城のレストラン>
    18:45~20:00

    飲み物はドイツ国内でもよく知られたBitburger Pilsビットブルガーピルツ 0.25LX2。このビール醸造場はボレンドルフから25km北東にある。

    料理はアラカルテから、次の品①②③の3品を選んだ。
    ニンニク入りヨーグルト+パン。

    ①スープ:Eifler Zwiebelsuppeアイフェルのオニオンスープ。
    ②メイン:Hirschgoulasch鹿肉のグーラッシュ料理。
    ③デザート:家内のみGemischtes Eisミックスアイス。  
     合計Euro55(7,520円)

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:①スープ

  • アイフェルのオニオンスープも、鹿肉のグーラッシュ料理も普段なら嬉しい秋の味のはずだったが・・・。<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:②メイン

    アイフェルのオニオンスープも、鹿肉のグーラッシュ料理も普段なら嬉しい秋の味のはずだったが・・・。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:②メイン

  • 食欲・味覚が戻った分、少々①②については不満が残った。<br /><br />写真は古城ホテル ボレンドルフ城:レストランで鹿肉料理を

    食欲・味覚が戻った分、少々①②については不満が残った。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:レストランで鹿肉料理を

  • 写真は古城ホテル ボレンドルフ城:③デザート

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:③デザート

  • 写真は古城ホテル ボレンドルフ城:様々な客室があるようだ。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:様々な客室があるようだ。

  • 写真は古城ホテル ボレンドルフ城:様々な客室があるようだ。<br /><br />明日は、またまたPfalzプファルツ地方・DeutscheWeinstrasseドイツワイン街道を走る。

    写真は古城ホテル ボレンドルフ城:様々な客室があるようだ。

    明日は、またまたPfalzプファルツ地方・DeutscheWeinstrasseドイツワイン街道を走る。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • ハッピーねこさん 2019/08/04 17:50:26
    ずい分回復されたようで何よりです。
    jijidarumaさん、こんにちは。
    6年前のお話を拝見していますのに、風邪のお具合がずい分よくなられ、130kmもご無事に運転されたことにほっとしております。
    この回のご宿泊地ボレンドルフは南アイフェルに位置するのですね。
    昨年訪ねましたモンシャウやシュトルベルクが地図上に出てきて(かなり北の方ですが)、なつかしく拝見しました。
    お夕食時のビールもビットブルクも訪ねたのでそのご記述もうれしく読みました。

    ヤコブの巡礼路はドイツ国内に網の目のようにあるのですね。
    南ドイツのミュンヘンからリンダウや、ローテンブルクからシュパイアーなどは存じていましたが、今回の記を拝見して調べてみて驚きました。
    Jakobswegを辿る旅というのもよさそうですね。

    暑さ厳しき折、くれぐれもご自愛のほど。

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2019/08/04 23:23:30
    Re: ずい分回復されたようで何よりです。
    ハッピーねこさん 、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    普段ですと、アウトバーンなら130kmも1時間すこしながら、
    病み上がりの身にはベルギーからルクセンブルクを通過する
    道は長く遠く感じたものです。
    アイフェル地方は比較的好きな地方ですが、走ったのは北や
    モーゼル、アール川に沿った地方が多く、南西のボレンドルフ
    辺りは初めてでした。ルクセンブルク内の古城ホテルにするか、
    迷った末にドイツ側にこの城を見つけたわけです。
    ビールもビットブルクをよく飲まれていたのを旅行記で見たので、
    原文にはないのを、この章でちょっと追記したのですよ(笑)。

    巡礼の旅は国境を越える道ですから、違うt旅の面白さが
    あるかもしれません。
    目下、暑さをグッと我慢して、扇風機のあつい風だけでパソコンに
    むかっています。次の旅の資料作りや、同人誌の刊行も近いので、
    その配送準備のLTR書きです。もちろん、ゆだりそうになると、
    一階に避難して、エアコンのきいた涼しい中で家内と御茶の時間を
    持つようにしています。
    適度に汗もかくのが、体調も良いようです(笑)。
    それではまた。
    jijidaruma

    ハッピーねこ

    ハッピーねこさん からの返信 2019/08/05 23:50:15
    ありがとうございます。
    jijidarumaさん、こんばんは。
    ビットブルクの下りを追記いただいていたなんて、感激です。
    ありがとうございます!

    暑い中での執筆や資料作り、お疲れ様です。
    jijidarumaさんの玉稿を楽しみにされている皆様もたくさんいらっしゃる
    でしょうし、次のご旅行のご準備も楽しい作業で、きっと集中のうちに
    何時間も過ごされることもおありでしょうが、おっしゃるとおり、
    ずっと冷房の中にいらっしゃるより、適度に発汗して代謝を促すのが
    お体にはいいのでしょうね。
    私はお陰様で日中は勤務先で涼しい空調の中、過ごしておりますが、
    昼休みなどに外へ出ると、むっとする熱気が却って気持ちよく感じる
    こともよくあります。
    帰宅後は、極力エアコンなしで過ごすようにしています。
    自分のペースにあった体調管理を心掛けなければ、ですね。

    ハッピーねこ

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