2013/10/14 - 2013/10/28
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<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間
①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。
②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。
③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城
④2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を巡る。
⑤2013年秋のドイツ5:ザワーラント・フランケンベルク(エーダー)の市庁舎には独特の10の塔がある。
⑥2013年秋のドイツ6:力強く、最も美しい山城の1つと称されているアルテナ城
⑦2013年秋のドイツ7:ミュンスター地方の典型的な水城レンベック城は古城ホテル
⑧2013年秋のドイツ8:ミュンスター地方・黄葉の森の中に立つ5つの水城を巡る。
⑨2013年秋のドイツ9:ラエスフェルト城近くにキャベツ夫人・アンナの彫像が立つ。
⑩2013年秋のドイツ10:懐かしのデュッセルドルフ、オランダ国境のアンホルト水城、ヘルテフェルト城へ。
⑪2013年秋のドイツ(オランダ編)11:オランダもこぢんまりした古城ホテルがある。
写真はモダーヴ城①衛兵の間:マルシャン伯(32貴族)の家系図
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
10月22日(火);234km 、22℃と汗ばむような暖かい一日だった。晴れ。
*7:00起床、朝食(8:30 ~9:00)後、朝食後、9:35にオランダBerg en Terblijtベルグエンテルブレイトをスタート。 ->L?・N587・N595・L? 16km Wittemヴィッテム ->L?・N595(Aachenアーヘン)・B57・A25(ベルギーのLiegeリエージュ)・L? 137km Amayアメイ・Chaeteau de Jehayジュエ城 ->L?・L? 26km Modaveモダーヴ・Chaeteau de Modaveモダーヴ城 ->L?・L? 55km Chaeteau de Namur シャトー・ド・ナミュール城に17:45に到着。
写真はゲウルティヒト城:朝食の間ホテル カスティール ゲウルツヒト ホテル
-
*今日は朝から意外な事があった。
オランダ人の30代ぐらいの青年とその母さんの2人旅でゲウルティヒト城に宿泊されていた。彼が朝食を食べている際に、突然声をかけてきて“黒いメルセデスに乗っていますか?”“はい、そうですけど。”そうしたら、ちょっと気にもなっていた夜間の側灯のことを彼が指摘したのだ。つまり“昨夜、この側灯を見て、バッテリーが上がってしまうのでは!と心配して、各部屋のドアを叩いて回ったのですが、どなたも返事が無かったのですよ。”と言われた。
写真はゲウルティヒト城:朝食の間 -
そう言えば昨夜、ドアをたたく音がしたようだったが・・・。
急に気になってしまい、“朝食中、申し訳ないが、車までご一緒して頂けますか?”と彼にお願いして、一緒に車まで行った。
“この車は今年の6月納車のレンタカーなのですが、駐車の際にエンジンを切り、キーを駐車の所にすると、側灯が夜間も点いているのですよ。夜間、他の車や人が衝突しないように危険を知らせるのだ思います。レンタカーを借りて、8日間過ぎていますが、特に問題が生じていません。新車のエコカーシステムがこうなっているのだと思いますが、如何でしょうか?”
“なるほど、新車のエコシステムはすごいですね。一つ勉強しました。”と言われた。“イエ、私の方こそ、気にかけて頂き、とても感謝しています。正直、気にはなっていましたので・・・“と返したのだった。
(この話のさらなる展開がある。それはナムールの町で、この答えを得たのです)
写真はゲウルティヒト城:サロン -
旅は今日が9日目で、これからは日が経つのも早い。
今日最初の城であるヴィッテム城は宿泊ホテルから16kmの距離にあったので、ここで昨日の夕食の機会を得たいと思っていた。
当日は月曜日、ここのレストランの営業日は火~日(12~20時)と知り、断念していた。尤も昨日のように道に迷っていたのでは、近くても夕方からの夜の遠出は難しかっただろう。
写真はKasteel Wittemカスティール ヴィッテム城:俯瞰シャトー ヴィッテム ホテル
-
ヴィッテム城を訪ね、城内見学の可否を聞くと、不可だと言う。
(客のあしらい方が下手だ!)
仕方なく、周辺のみの散策に留めた。
写真はKasteel Wittemカスティール ヴィッテム城:本館 -
写真はKasteel Wittemカスティール ヴィッテム城:部屋の様子
-
庭には大きなプラタナスの木(スズカケの木)が黄葉していたが、なかなか見栄えのある古城だった。
<Kasteel Wittem古城ホテル カスティール ヴィッテム城>
この旅22番目の城
10:00~10:20
Nl-6286 AA Wittem 、Wittemer Allee 3
Tel:+31 (0)43 -4501208 http://www.kasteelwittem.nl/
写真はKasteel Wittemカスティール ヴィッテム城:正面玄関 -
イチオシ
4星・全12室。
Maastrichtマーストリヒトの南東にある古城ホテル。
11世紀築城の城館は歴史を遡ると古く、現在、この城はオランダの国家遺産になっている。
かつて一時的にドイツのバート・アロルゼンにあるFuerstentum Waldeck-Pyrmontヴァルデック・ピルモント侯の家族が所有していた時もある。
この旅の最初の時期に出て来る、あの山上のヴァルテック城主の末裔である。
この事もあって、訪ねたのだが・・・。
写真はKasteel Wittemカスティール ヴィッテム城:裏手になる庭園 -
1968年、ファルケンブルクのPeter Ritzenペーター・リッツツェンが城を購入し、大改装して、ホテル・レストランをオープンした。
1977~1989年の間、レストランはミシュラン1星の評価を得ていたこともあるが、今はその面影は無く、むしろ近郊のミシュラン星付きのレストランと提携し、グルメ希望のお客をそこに送迎するアレンジメントをしている。
リッツツェン家は2009年半ばからホテル・レストランの売却を希望し、2011年にRonald ロナルドと Silviaシルビア夫妻が現在の所有者になっている。
写真は今まで見たことが無い、大きなプラタナスの木(スズカケの木) -
写真は大きなプラタナスの木(スズカケの木)・・・自分の身長と比べてみた写真
-
≪アルデンヌ地方の古城群を巡る≫
(Belgiumベルギー:Walloniaワロン地方・Ardennesアルデンヌ地方)
ベルギーの南半分を占めるのはフランス語圏のワロン地方である。
その南東部のアルデンヌ地方は古代から交通・戦略上の要衝にあり、中世から18世紀にかけて数多くの城や要塞が建てられた。
アルデンヌ地方は豊かな清流と森が織りなす自然の美しさでも知られ、うっそうとした緑の丘陵地帯に素晴らしい中世の城が点在する、城好きにはたいへん魅力的な地方だ。
アルデンヌ高地と称される、海抜350~500mの丘陵が続き、大部分が森林で被われていて、古くから王侯貴族の狩り場であった。
今でも秋から冬のシーズンは狩猟が盛んであり、当地のレストランには鹿、イノシシ、ウサギ、雉、うずら等、所謂ジビエ(狩の獲物“料理が提供される。
もちろん、鱒料理も、茸、野生の果実も豊富であり、味にうるさいグルメの舌も満足させると云う。
写真はベルギーMap -
アルデンヌの名はローマ時代にケルトの森の女神アルデュイナ(ローマ神話Arduinnaディアーナと習合された)に因み、Arduenna Silva(アルドゥエンナの森)と呼ばれたのに由来すると云う。
これは現在のアルデンヌより広く、サンブル川とライン川の間を言い、現在のドイツ領も含めた広い範囲を指したもので、かのカエサルも“ガリア地方最大の森”と称した。
フランスとドイツの間にあって軍事的にも重視されていたが、森林や湿地が障害となったため、普仏戦争や第一次世界大戦では局地的な戦闘があったものの、大規模な戦場にはならなかった。
第二次世界大戦の初期には、機甲師団を中心としたドイツ軍がこの地域を通ってフランス領内に侵攻し(ナチス・ドイツのフランス侵攻)、1ヶ月あまりで英仏連合軍を無力化してフランスを降伏させた。
大戦末期には西部戦線での、ドイツ軍の最後の大反撃がこの地で実行された。
独軍15千人、連合軍19千人と双方で大きな戦死者を出した。
この戦いは“バルジ大作戦”といった映画にもなっている。
“Battle of the Bulgeバルジ大作戦”
1944年12月16日ドイツ軍は作戦名「ラインの守り」(Unternehmen ”Wacht am Rhein”) の下に大攻勢をかけた。(1945年1月27日にドイツは敗退)
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B8%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E6%88%A6&tid=e40f1690ffbc7c02cde19eff89ec37a8&ei=UTF-8&rkf=2
今はそういった面影はなく、緑豊かな自然に囲まれ、中世に戻ったような空間がある。
XXX
写真はベルギー:地方と言語Map -
10時20分、ヴィッテム城からAachenアーヘン、マーストリヒト、Liegeリージェと走る。
昨夜同様にマーストリヒトでは渋滞に巻き込まれ、リエージュから、Durbuyデュルビュイ、Huyユイを経由し、案内表示に従いAmayアメイに向かう。
ベルギーはと言うと、道路のアスファルト状態がオランダと比べ更に悪く、所々、ボコボコして、高速で走るには怖い。
高速の上限が時速120kmで制限されているのも納得です。
写真はChaeteau de Jehayジュエ城:ようやくたどり着いた水城ベルギー・アメイ:ジュエ城は面白い格子紋様のファサードを持つ水城 by jijidarumaさんジュエ城 城・宮殿
-
アメイには13時ころに着いたが、ジュエ城の場所が分からず、時間がかかった。
殆どベルギー語(ワロン語)だけを話すお爺さん、小母さん、青年の3人に聞いた。・・・と言っても旅の行程にChaeteau de Jehay 1, rue du Parcの名前と住所が書いてあるので、それを示して、聞くのだ。
お互いジェスチャーを交えてだが、これが意外と分かるから不思議だ。
写真はChaeteau de Jehayジュエ城:ロマンチックで印象的な城 -
さて駐車場に着いてみると、オランダナンバーの小父さんが、ここが開いていると自分の駐車場所の隣を指示した。
それから“折角来たのだけど、残念だね!城門がしまっている。
2時半から開門だそうだから、1時間はまたなくては・・・”と言い、ご本人は帰ってしまった。
写真はChaeteau de Jehayジュエ城:きれいな花が咲く庭 -
私共もせめて周辺だけでもと、面白い格子紋様のファサードを持つ水城を濠の外から眺めて回った。それから、次の目的地・モダーヴ城に向かった。
写真はChaeteau de Jehayジュエ城:水堀周辺からの眺め -
イチオシ
Amayアメイ:
<Chaeteau de Jehayジュエ城>
この旅23番目の城
13:30~13:45
BE-4540 Amay 、1, rue du Parc
Tel: +32(0)85 31 17 16 、Fax:‐32 84 64
リエージュの南西20kmにある。
水濠に格子紋様のファサードを映す姿がロマンチックで印象的な城である。
現在の城館はヘルマン・ド・サール家が16世紀に建てた。
18世紀に城を所有したヴァン・デン・ステーン家は内装に大規模な変更をもたらした。
1860年には中庭をネオゴシック様式に変更し、この中庭にはさらにベルギー王室のお抱え建築家アルフォンス・バラの装飾が加えられている。
写真はChaeteau de Jehayジュエ城:ロマンチックで印象的な城 -
家具、食器、タペストリー、絵画等の豊かなコレクションも興味深く、数々のブロンズ像を配したイタリア庭園も素晴しいと云う。
開館時間:5~9月の土日11:00~18:00、6月の水14:00~17:00、7~8月の火~金14:00~18:00、9月の火~水14:00~17:00、団体は予約により4~10月可。
10月の個人客の事を書いていないので、不安であったが、結果的に見る事は出来なかった。
写真はChaeteau de Jehayジュエ城:ロマンチックで印象的な城 -
ナミュールの東35km、Huyユイの南東10kmにモダーヴ城がある。
ジュエ城からは26km走ったが、ワロン地方で最もすばらしい城の一つと云われていたので、大変興味を持ってきた。
云われるだけの内容で、この日一番の収穫、時間をかけて見た甲斐があった。
写真はモダーヴ城:俯瞰・・・右手が本城と崖、中央にレストランや古城ホテルがベルギー・ワロン地方で最もすばらしい城と讃えられるモダーヴ城 by jijidarumaさんモダーヴ城 城・宮殿
-
Modaveモダーヴ:
<Chaeteau de Modaveモダーヴ城>
この旅24番目の城
14:25~16:00
BE-4577 Modaveモダーヴ 、Chaeteau des Comtes de Marchin
Tel: +32(0)85 41 13 69 、Fax:‐26 76
http://www.modave-castle.be/
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城:正面が入口 -
モダーヴ家、オートペンヌ家、サン・フォンテーヌ家が暮らした13世紀に遡る中世の城郭部分を利用しつつ、1651年、城郭の一部がロレーヌ軍によって破壊された為、1658年にマルシャン伯が全面的にフランス様式に改築した城で、峨々たる懸崖に威容を見せている。
写真はモダーヴ城:城門入口 -
1941年から、ブリュッセルの市町村間水道会社(Vivaqua)が所有している。
この一帯は自然保護区(450ha)になっており、首都のブリュッセルまで、ここを源泉とするきれいな水が送られているのだそうだ。
自然の土地の傾斜を利用した独特の供給システムはいまもって、十分に機能しているのだと云う。
写真はモダーヴ城:俯瞰1・・中央左手は本城と崖がある。右上に駐車場があった。 -
【モダーヴ城内博物館見学】
開館時間:4/1~11/16、12/25前後の数日間、1/1の9:00~18:00
シニア入場料;Euro13+日本語説明書5=18(1,845円)
14:35~15:35
博物館は素晴しいもので、日本語オーディオガイドも分かりやすい説明でありがたかった。地下室を含め、21室を見学した。
珍しい事にここで、日本のツアー客に出あった。ベルギー・アルデンヌ地方の古城巡りのツアーなのだろうか?近年は珍しいと言う方が珍しいのかもしれない。
事務の女性も少々日本語をしゃべるから、日本の観光客も多いのだろう。
後でテラスに出てみると、この城が岩盤上に立ち、城の下は60mという深い谷(Hoyouxオユー川)になっているのがよく分かった。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城①衛兵の間:マルシャン伯(32貴族)の見事な家系図 -
イチオシ
①衛兵の間:
城の中央扉を押して入った所が大広間になっている。ここを衛兵の間と称している。騎士の浮彫など内装も素晴らしく、なかでもジャン・クリスティアン・アンシュによるマルシャン伯(32貴族)の家系図をあらわした135㎡の天井スタッコ彫刻がすごい。
これは西欧でも唯一の作例だそうだ。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城①衛兵の間 -
暖房器具を隠している大理石の家具は見事な紋章や彫刻が見られる。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城①衛兵の間 -
また、大きな黒大理石の暖炉は他では見ない。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城①衛兵の間 -
②青の間:貴賓の宿泊所。18世紀の若い美しい女性の肖像画。
③ゴブランの間:大広間。17世紀ブラッセルのタペストリーはシーザーの事歴を描いた。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城③ゴブランの間 -
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城③ゴブランの間
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④ヘラクレスの間:英雄ヘラクレスの生涯を描いたスタッコ彫刻が特筆ものだ。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城④ヘラクレスの間 -
イチオシ
⑤小広間:17世紀、天井のスタッコは紋章の装飾。4隅に4頭の一角獣の彫刻がある。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑤小広間 -
⑥家族の間:控えの間。昔の景色を描いた5枚の絵画が飾られている。
⑦公爵の間:18世紀の装飾、花輪を持つ天使達が美しい。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑦公爵の間 -
⑧公爵のテラス:オユー川の谷間を見下ろす、素晴しい眺望のテラス。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑧公爵のテラス:ここから見ると、中央にオユー川が見える。 -
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑧公爵のテラス:周辺は自然保護区(450ha)となっている森だ。
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⑨絵画の間:18世紀の風景画ばかり。
⑩浴室・トイレ付:リエージュ様式の羽目板。
⑪女主人の間:かつてはクロークとして利用されていた小さな部屋を19世紀に寝室に改装した。金のスタッコ、花唐草模様が優美である。
⑫ルイ15世の間:19世紀の遊戯室兼喫煙室だとか。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑩浴室・トイレ付 -
⑬正面大階段:2階への階段には大きなタペストリーと豪華なクリスタル製シャンデリア。
⑭ルイ14世の間:1870年代のエルツのローズウッドのピアノがある。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑬正面大階段 -
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑬正面大階段:2階への階段には大きなタペストリー
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写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑬正面大階段:大きなタペストリー
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⑮図書室:
⑯公爵夫人の部屋:モンモランシー夫人の肖像画がかかる部屋。
⑰礼拝堂:19世紀にあたらしく改装した新古典様式の礼拝堂。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑰礼拝堂 -
⑱丸い塔:5階まで続く樫材の螺旋階段がある。
⑲地下:台所設備、牢獄、17世紀、城内に谷から水をあげた供給システムの模型など。
その他、18~9世紀の各種調度・家具やモダーヴ城オリジナルのジアン窯ファイアンス陶器のコレクションも興味深い。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑲地下:水をあげた供給システムの模型 -
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑲地下:台所設備
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写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城⑲地下:台所設備
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古城ホテルは全22室、レストラン・カフェテリアが有るそうだが、中には入っていない。
<お茶:モダーヴ城の駐車場で。>
15:50~16:00
見学を終え、レストランで昼食しようと行ってみたら、本日は貸し切りのお祝い事が行われていた。
それで、駐車場で日本から持参の御煎餅でお腹を満たした。
写真はChaeteau de Modaveモダーヴ城の城門、噴水 -
モダーヴからナミュールの町は50kmほどで着く。
ムーズ川を見下ろす高台に巨大なCitadel(シタデル・要塞)跡があるはずだが、街中を走りながら見たが要塞への標識が見つからない。
しかも要塞の上、つまり丘の頂上に宿泊する古城ホテルがあるので、要塞への道が見当たらないとどうにもならない。
さて困った。たまたま見つけたレンタカーのAvis の事務所で、“実はホテルが分からないので、タクシーを呼んでもらえ得ないか?”と聞くと、対応したカウンターの女性が、“後15分で仕事が終わるから待っていて!私の車(韓国製の現代車だった)の後を付いてきてね。”と言ってくれました。
幸いAvis の親切な女性にホテルへの登り口まで伴走してもらって、Chaeteau de Namurシャトー・ド・ナミュール城にはなんとか暗くなる前、17:45に着けた。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:入口 -
今日も様々な方に助けて頂いた旅になりました。
そうそう、助けて頂いた点では、朝からの疑問、つまり“メルセデスの側灯”について、Avis の彼女に聞いてみた。
彼女の答えはなんと、“これではいけません!オートマチック車の場合は駐車の際にエンジンを切り、キーを駐車の所にするのではなく、駐車時も常にオートマチックと表示されている場所にしておかないといけません。”と教えてくれました。
確かにそうすると側灯は点きません。
バッテリーが上がらなかったのは幸いと云うべきなのでしょう!
お礼に彼女にチップを渡そうとしたら、“私の仕事の内だから!”と言われてしまった。Avis のお客であったのは幸運であったようだ。
思い返すと、今朝のオランダ人の青年に間違った事を印象付けてしまったのは残念なことだ。あんなに親切だっただけに・・・。
写真は到着したシャトー・ド・ナミュール城の正面駐車場Le Chateau de Namur ホテル
-
<(1泊)⑨Chaeteau de Namurシャトー・ド・ナミュール城>
この旅25番目の城
BE-5000 Namur ナミュール、 Avenue de l'Ermitage 1
Tel:+ 32(0) 81‐72 99 00、FAX : ‐72 99 99
http://www.chateaudenamur.com
http://www.chateaudenamur.com/EN/photos
108号室(2階)、*Euro95+朝食30=125 (16,777円)。
バラの公園を見下ろす眺望の良い部屋だった。
"Executive" DZ (広さは32 ~35 m2、Meuseムーズ川とバラ園の眺め)をEuro95+朝食Euro15x2=Euro125(2013.08.21.HotdealのEuro170=>Euro 95ほぼ半額になるので、Secure Bookingにて事前予約し、決済した*)
写真はChaeteau de Namurシャトー・ド・ナミュール城:108号室(2階) -
バラの公園を見下ろす眺望の良い部屋でした。
写真はChaeteau de Namurシャトー・ド・ナミュール城:108号室(2階) -
4星・全30室。マーストリヒトから40kmのLiegeリエージュを経由し、ナミュール州ナミュールまで走ると、凡そ90kmの距離になる。
ムーズ川の支流Sambreサンブル川とムーズ川の合流点にそびえる岩壁上にChateau de Namur城塞(Citadelシタデル)跡があり、その頂きにナミュールの旧市街を見下ろすように立っているのが、1931年創業の古城ホテル(州立ホテル学校の経営)シャトー・ド・ナミュール城である。
レストラン L'Ermitageエルミタージュはムーズ川を見下ろす所に位置し、食事と景色と両方楽しめるとの事。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:庭園側から -
写真はChaeteau de Namurシャトー・ド・ナミュール城:108号室(2階)
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写真はChaeteau de Namurシャトー・ド・ナミュール城:108号室(2階)
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写真はChaeteau de Namurシャトー・ド・ナミュール城:108号室(2階)
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ナミュールの町は仏王ルイ14世がかつて所有していた城砦がそびえ、「ムーズ川の真珠」と讃えられる美しい町です。
美しい自然に囲まれた古城めぐりが楽しめるアルデンヌ地方の玄関口にあたり、美しい2つの川に囲まれた町はその便利な地形から、第二次世界大戦が終わるまで独仏をはじめとする強国の争いが絶えず行われていたと云う。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:俯瞰 -
イチオシ
<ムーズ川とサンブル川>:
サンブル川は北仏、南ベルギーを流れ、全長が193kmあり、ムーズ川の支流である。ムーズ川は全長925kmと長い。仏北東部から流れ出て、ベルギー、オランダを下り、北海に注ぐ。この為、国により名前が変わり、仏語・ベルギー語でMeuseムーズ、オランダ語でMaasマースと呼んでいる。
オランダの最古の都市Maastrichtマーストリヒトの名前も“マース川の渡河地点”という所から来たと云う。
9世紀頃から、欧州各国が参戦した30年戦争が終結する1648年まで、神聖ローマ帝国の西の国境線がこのマース川であった。
かつてのドイツ国歌「ドイツの歌」の歌詞の1番にて「マース川からメーメル川(現在のリトアニア)まで」とその領土範囲を郷愁的に歌っていることが知られている。現在、ドイツ連邦共和国の正式な国歌は3番のみで、1番は現在のドイツでは公的な席上では歌わないが・・・。
因みに、30年戦争が終結する時にドイツのミュンスターで取り交わされたヴェストファーレン条約では、アルザス、ロレーヌ地方がドイツ(神聖ローマ帝国)からフランスに支配が移る事になった。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:ナミュールの旧市街を見下ろす夜景 -
<夕食:レストラン L'Ermitageエルミタージュ>
19:00~21:30 Euro130(17,891円)
予約していた時間にレストランに行く。数人の家族と、幾つかの宿泊客たちがいた。
食事中に夕立が雷鳴と共に激しく降った。その後は星空になり、町の夜景が美しかった。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:レストラン エルミタージュ -
飲み物はシェリー、お水、アルザスワインのリースリング0.75L。
ここは3品料理のみの提供だとそうで、メニューには仏蘭語に幸い英語が併記されていたので料理内容は分かった。
尤もシェフのご挨拶は給仕さんからワロン語で説明を受け、全く分からなかった。総じて味付けは濃い目であったが完食した。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:レストラン エルミタージュ -
3品料理:
①前菜:若い猪肉のテリーヌ、ハーゼルナッツ添え、タマネギのジャム、ラズベリーのビネガーかけ。
②メイン:タラのロースト、マッシュルーム、人参のバター炒め、アマガサダケ添え。
③デザート:Tarte Tatinタルト・タタンとココナッツのアイスクリーム。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:レストラン エルミタージュ・夕食のメニュー -
写真はシャトー・ド・ナミュール城:レストラン エルミタージュ・アルザスワインのリースリングで乾杯!
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写真はシャトー・ド・ナミュール城:レストラン エルミタージュ・フランス語が分からなかったシェフのご挨拶
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①前菜:若い猪肉のテリーヌ、ハーゼルナッツ添え、タマネギのジャム、ラズベリーのビネガーかけ。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:レストラン エルミタージュ①前菜 -
②メイン:タラのロースト、マッシュルーム、人参のバター炒め、アマガサダケ添え。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:レストラン エルミタージュ②メイン -
③デザート:Tarte Tatinタルト・タタンとココナッツのアイスクリーム。
写真はシャトー・ド・ナミュール城:レストラン エルミタージュ③デザート
・・・・・・・・・・・・
夕食後は昼間の思いがけない疲れや、ワイン1本を飲んだ事もあり、22時には二人とも寝てしまった。
私はそのまま、朝の5時までぐっすりだったから、余程疲れていたのだろう。
明日はCitadelle de Namurナミュール城塞(Citadelシタデル)跡の見物とアンヌヴォワ城を見て、シャトー・ダッソンヴィル城に2泊する事になっている。
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2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を...
2013/10/14~
ヘッセン州
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2013年秋のドイツ5:ザワーラント・フランケンベルク(エーダー)の市庁舎には独特の10の塔がある。
2013/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
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2013年秋のドイツ6:力強く、最も美しい山城の1つと称されているアルテナ城
2013/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
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2013年秋のドイツ7:ミュンスター地方の典型的な水城レンベック城は古城ホテル
2013/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
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2013年秋のドイツ8:ミュンスター地方・黄葉の森の中に立つ5つの水城を巡る。
2013/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
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2013年秋のドイツ9:ラエスフェルト城近くにキャベツ夫人・アンナの彫像が立つ。
2013/10/14~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
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2013年秋のドイツ10:懐かしのデュッセルドルフ、オランダ国境のアンホルト水城、ヘルテフェルト城へ。
2013/10/14~
デュッセルドルフ
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2013年秋のドイツ(オランダ編)11:オランダもこぢんまりした古城ホテルがある。
2013/10/14~
その他の観光地
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2013年秋のドイツ(ベルギー編)12:かのカエサルも“ガリア地方最大の森”と称したアルデンヌの古城を巡る。
2013/10/14~
その他の観光地
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2013年秋のドイツ(ベルギー編)13:名園で知られたアンヌヴォワ城で風邪をひき、立ち往生する。
2013/10/14~
その他の観光地
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2013年秋のドイツ(ベルギー編)14:“ルネサンスの宝石”と讃えられる古城の部屋でひたすら寝て、汗をかく。
2013/10/14~
その他の観光地
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2013年秋のドイツ15:病み上がりの身には130kmの距離にある国境のボレンドルフ城も遠い。
2013/10/14~
その他の観光地
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2013年秋のドイツ17:最終日、ドイツワイン街道の秋を楽しむ。
2013/10/14~
その他の観光地
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2013年秋のドイツ18:古城巡り、古城ホテル宿泊、風邪ひき、お土産、様々な旅。
2013/10/14~
その他の観光地
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この旅行で行ったホテル
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ホテル カスティール ゲウルツヒト
3.08 -
Le Chateau de Namur
3.37 -
シャトー ヴィッテム
3.0
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