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<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅><br />ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅<br /><br />期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間<br /><br />10月17日(木);190km 、12℃、曇り、一日中シャワーあり。<br /><br />起床5時半、朝食7:00~7:30、8:00にWaldeckをスタート。->L?・B485・(Bad Wildungen)B253・L? 51km Frankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)->L?・B253・(Hatzfeld)L?・B480・L? 51km Bad Berleburg->L?・B480・L?(Kirchundem)B517・B236・L? 79km Attendorn・Schnellenbergには13:30に到着。->L? Atta-Hoeleアッタ・へーレ鍾乳洞への往復・ 9km Burg Schnellenbergシュネレンベルク城に15:15着。<br /><br />①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。<br />②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。<br />③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城<br />④2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を巡る。<br /><br />写真はFrankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)の市庁舎<br /><br /><br /><br /><br />

2013年秋のドイツ5:ザワーラント・フランケンベルク(エーダー)の市庁舎には独特の10の塔がある。

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2013/10/14 - 2013/10/28

44位(同エリア355件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅

期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

10月17日(木);190km 、12℃、曇り、一日中シャワーあり。

起床5時半、朝食7:00~7:30、8:00にWaldeckをスタート。->L?・B485・(Bad Wildungen)B253・L? 51km Frankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)->L?・B253・(Hatzfeld)L?・B480・L? 51km Bad Berleburg->L?・B480・L?(Kirchundem)B517・B236・L? 79km Attendorn・Schnellenbergには13:30に到着。->L? Atta-Hoeleアッタ・へーレ鍾乳洞への往復・ 9km Burg Schnellenbergシュネレンベルク城に15:15着。

①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。
②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。
③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城
④2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を巡る。

写真はFrankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)の市庁舎




旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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  • *今日はHessenヘッセン州のWaldeckヴァルデックから、Frankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)を経由し、Nordrhein-Westfalenノルトライン・ヴェストファーレン州のBad Berleburgバート・ベルレブルク、AttendornアッテンドルンのAtta-Hoeleアッタ・へーレ鍾乳洞、古城ホテルBurg Schnellenbergシュネレンベルク城に向かいます。<br />この一帯をSauerlandザワーラントと呼んでいます。<br /><br />写真は古城ホテル ヴァルデックの朝食・・・朝も早い所為か、私共が一番。

    *今日はHessenヘッセン州のWaldeckヴァルデックから、Frankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)を経由し、Nordrhein-Westfalenノルトライン・ヴェストファーレン州のBad Berleburgバート・ベルレブルク、AttendornアッテンドルンのAtta-Hoeleアッタ・へーレ鍾乳洞、古城ホテルBurg Schnellenbergシュネレンベルク城に向かいます。
    この一帯をSauerlandザワーラントと呼んでいます。

    写真は古城ホテル ヴァルデックの朝食・・・朝も早い所為か、私共が一番。

    Hotel Schloss Waldeck ホテル

  • ≪Sauerlandザワーラント地方の古城を巡る≫<br /><br />Westfalenヴェストファーレンの南部をSauerlandザワーラントと称している。<br />ザワーラント地方は低い山の続く森林地帯である。人口も少なく、冬季には一定の積雪量に恵まれ、ウインタースポーツが盛んである。<br />また、この一帯には立派な鐘乳洞が多く、その代表的なものはAtta-Hoehle アッタ・へーレ鍾乳洞が知られている。<br /><br />南はSiegジーク川(全長152.7km)、北はRuhrルール川(全長217km)、Moehneメーネ川(全長65km、ルール川の支流)に挟まれた山地で、農耕には適さないことから、鉱工業が早くから発達し、鉱山跡が多く見られる。<br /><br />北部地方をSoestゾースト、南をOlpeオルペ、東にWaldeck-Frankenbergヴァルデック・フランケンベルク、西にMaerkischerメルキッシャー、中央にHochsauerland高地ザワーラントいったKreis行政区にわかれている。<br /><br />地ビール、チーズ、ジャガイモと茸の料理が代表料理。ひき肉ソーセージとベーコンを添えた“Potthuckeポットフッケ”(壷焼きの意)が有名だそうだ。元来、工場労働者たちの間で食べられていたものだと云う。<br />(摩り下ろしジャガイモ、マッシュしたジャガイモ、卵、サワークリームを混ぜて型に流し込みオーブンで焼く。それをスライスし、バターで両面こんがり焼いて頂きます)<br /><br />写真はSauerlandザワーラントの地図

    ≪Sauerlandザワーラント地方の古城を巡る≫

    Westfalenヴェストファーレンの南部をSauerlandザワーラントと称している。
    ザワーラント地方は低い山の続く森林地帯である。人口も少なく、冬季には一定の積雪量に恵まれ、ウインタースポーツが盛んである。
    また、この一帯には立派な鐘乳洞が多く、その代表的なものはAtta-Hoehle アッタ・へーレ鍾乳洞が知られている。

    南はSiegジーク川(全長152.7km)、北はRuhrルール川(全長217km)、Moehneメーネ川(全長65km、ルール川の支流)に挟まれた山地で、農耕には適さないことから、鉱工業が早くから発達し、鉱山跡が多く見られる。

    北部地方をSoestゾースト、南をOlpeオルペ、東にWaldeck-Frankenbergヴァルデック・フランケンベルク、西にMaerkischerメルキッシャー、中央にHochsauerland高地ザワーラントいったKreis行政区にわかれている。

    地ビール、チーズ、ジャガイモと茸の料理が代表料理。ひき肉ソーセージとベーコンを添えた“Potthuckeポットフッケ”(壷焼きの意)が有名だそうだ。元来、工場労働者たちの間で食べられていたものだと云う。
    (摩り下ろしジャガイモ、マッシュしたジャガイモ、卵、サワークリームを混ぜて型に流し込みオーブンで焼く。それをスライスし、バターで両面こんがり焼いて頂きます)

    写真はSauerlandザワーラントの地図

  • *シュネレンベルク城には早く着いて、アッタ・へーレ鍾乳洞見学と、城内博物館見学をしたい為、計画を変更して、ヴァルデック・ピルモント侯爵家の宮殿があるBad Arolsenバート・アロルゼンや、ヘッセン州唯一のHansestadt Korbach ハンザ同盟の町・コルバッハを行程から外した。<br /><br />そして、フランケンベルク(エーダー)を目指した。<br />スタート時は雲間から朝日も出ていたのだが、B253が走る山中の道にガス(霧)が出て、先が見えない状態が長く続いた。今まで体験したことが無い、2m先が見えないという怖い状況で山道を登り下りするのは実に厳しい。<br /><br />後続の車が数珠つなぎになってしまったが、そんなことはかまっておられず、ゆっくり走った。<br />漸く山間から麓に降りてくると、自然にガスは無くなり、ホッとして先を急いだ。<br /><br />写真はWappen_Frankenberg(Eder)フランケンベルク(エーダー)の紋章<br /><br />紋章は冠を被り、2本の尾を持つヘッセンの獅子が三峰(口伝えの伝承によれば、3つの峰は、城山、グロースベルク、ヒンシュテュルツを表す) から現れるデザインになっている。

    *シュネレンベルク城には早く着いて、アッタ・へーレ鍾乳洞見学と、城内博物館見学をしたい為、計画を変更して、ヴァルデック・ピルモント侯爵家の宮殿があるBad Arolsenバート・アロルゼンや、ヘッセン州唯一のHansestadt Korbach ハンザ同盟の町・コルバッハを行程から外した。

    そして、フランケンベルク(エーダー)を目指した。
    スタート時は雲間から朝日も出ていたのだが、B253が走る山中の道にガス(霧)が出て、先が見えない状態が長く続いた。今まで体験したことが無い、2m先が見えないという怖い状況で山道を登り下りするのは実に厳しい。

    後続の車が数珠つなぎになってしまったが、そんなことはかまっておられず、ゆっくり走った。
    漸く山間から麓に降りてくると、自然にガスは無くなり、ホッとして先を急いだ。

    写真はWappen_Frankenberg(Eder)フランケンベルク(エーダー)の紋章

    紋章は冠を被り、2本の尾を持つヘッセンの獅子が三峰(口伝えの伝承によれば、3つの峰は、城山、グロースベルク、ヒンシュテュルツを表す) から現れるデザインになっている。

  • 市庁舎がヘッセン州で最も美しいと云われるフランケンベルク(エーダー)には1時間後の9時に着き、小さな旧市街に入った。<br /><br /><Frankenberg(Eder)フランケンベルク(エーダー)><br />9:00~9:50<br />人口18千人の中規模都市である。<br />近代化された旧市街とはいえ、まだ数多くの木組み建築がみられる。<br /><br />歴史的にはザクセン人との争いで防衛に有利なフランケンベルクの山は重要性をもち、早い時代からすでに砦が設けられていた。<br />1233/1234頃、マインツ選帝侯領に属すBattenbergバッテンベルク (エーダー:現人口は5千人) に対抗する為、Landgraf Konrad von Thueringenテューリンゲン方伯コンラットにより建設された。<br />エーダー川沿いの2つ(Weinstrasse =Wagenstrasseヴァイン街道とSiegener Strasseジーゲナー街道)の軍事・交易路の交差点に位置する、その立地により町は発展した。<br /><br />フランケンベルクはかつて市城壁で囲まれた要塞都市であり、旧市街には25の塔や市城門があったとか、ただし13世紀に建設された厚さ3m の壁を持つ「Hexenturm魔女の塔」だけが現存する。 <br /><br />その旧市街の中心、Obermarktオーバーマルクト(上の市場)とUntermarktウンターマルクト(下の市場)との間に、今日の観光の目玉である、独特の10の塔が見られるRathaus市庁舎があった。(1476年の大火で完全に焼失し、二代目の市庁舎は1509年完成)。10の塔は当時この町にあった10のツンフト(職業別組合)を表したものだと云う。<br /><br />写真はFrankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)の市庁舎正面(Untermarktウンターマルクト(下の市場)側)<br /><br />

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    市庁舎がヘッセン州で最も美しいと云われるフランケンベルク(エーダー)には1時間後の9時に着き、小さな旧市街に入った。

    <Frankenberg(Eder)フランケンベルク(エーダー)>
    9:00~9:50
    人口18千人の中規模都市である。
    近代化された旧市街とはいえ、まだ数多くの木組み建築がみられる。

    歴史的にはザクセン人との争いで防衛に有利なフランケンベルクの山は重要性をもち、早い時代からすでに砦が設けられていた。
    1233/1234頃、マインツ選帝侯領に属すBattenbergバッテンベルク (エーダー:現人口は5千人) に対抗する為、Landgraf Konrad von Thueringenテューリンゲン方伯コンラットにより建設された。
    エーダー川沿いの2つ(Weinstrasse =Wagenstrasseヴァイン街道とSiegener Strasseジーゲナー街道)の軍事・交易路の交差点に位置する、その立地により町は発展した。

    フランケンベルクはかつて市城壁で囲まれた要塞都市であり、旧市街には25の塔や市城門があったとか、ただし13世紀に建設された厚さ3m の壁を持つ「Hexenturm魔女の塔」だけが現存する。

    その旧市街の中心、Obermarktオーバーマルクト(上の市場)とUntermarktウンターマルクト(下の市場)との間に、今日の観光の目玉である、独特の10の塔が見られるRathaus市庁舎があった。(1476年の大火で完全に焼失し、二代目の市庁舎は1509年完成)。10の塔は当時この町にあった10のツンフト(職業別組合)を表したものだと云う。

    写真はFrankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)の市庁舎正面(Untermarktウンターマルクト(下の市場)側)

  • Glockenspiel仕掛け時計(1999年作)は11:45、15:45の一日に2度、動くらしいが、その時間までは待てない。<br /><br />写真はFrankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)の市庁舎の拡大・・・仕掛け時計、彫像がみられる。<br /><br />

    Glockenspiel仕掛け時計(1999年作)は11:45、15:45の一日に2度、動くらしいが、その時間までは待てない。

    写真はFrankenberg (Eder)フランケンベルク(エーダー)の市庁舎の拡大・・・仕掛け時計、彫像がみられる。

  • *コンラート・テューリンゲンはドイツ騎士団第5代総長でもあったが、義姉(長兄ルートヴィヒ4世の未亡人にあたる)であったMarburgマールブルクの聖女エリザベートの列聖に大いに尽力したという。コンラートの墓はマールブルク・エリザベート教会内にある。<br />(コンラートの話はこの町のことを調べていて初めて知った)<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):市庁舎(裏手)の彫像拡大

    *コンラート・テューリンゲンはドイツ騎士団第5代総長でもあったが、義姉(長兄ルートヴィヒ4世の未亡人にあたる)であったMarburgマールブルクの聖女エリザベートの列聖に大いに尽力したという。コンラートの墓はマールブルク・エリザベート教会内にある。
    (コンラートの話はこの町のことを調べていて初めて知った)

    写真はフランケンベルク(エーダー):市庁舎(裏手)の彫像拡大

  • 市庁舎は旧市街の中心にあって、Liebfrauenkirche聖母教会とSteinhaus石の家の中間に立っている。<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):市庁舎の裏側(Obermarktオーバーマルクト(上の市場)側)・・・仕掛け時計、彫像がみられる。<br /><br /><br /><br /><br />

    市庁舎は旧市街の中心にあって、Liebfrauenkirche聖母教会とSteinhaus石の家の中間に立っている。

    写真はフランケンベルク(エーダー):市庁舎の裏側(Obermarktオーバーマルクト(上の市場)側)・・・仕掛け時計、彫像がみられる。




  • 写真はフランケンベルク(エーダー):市庁舎(裏手)・・・横から見ると塔の数が多いことが分かる。

    写真はフランケンベルク(エーダー):市庁舎(裏手)・・・横から見ると塔の数が多いことが分かる。

  • かつて、交易にも利用された市庁舎の一階広間は22mの長さ、幅9m、高さ5.5mで現在も様々な催しに利用されている。<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):市庁舎の中に入ると、一階は土間になっていた。<br /><br />

    かつて、交易にも利用された市庁舎の一階広間は22mの長さ、幅9m、高さ5.5mで現在も様々な催しに利用されている。

    写真はフランケンベルク(エーダー):市庁舎の中に入ると、一階は土間になっていた。

  • 街中では冬に備えて伸びた木々を伐採している。<br />軽業師のように若い子がプラタナスの木に登り、どんどん枝を落とす。下にいる中年男性がそれを木材の粉砕機に放り込んでいる。<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):マルクト広場では冬に備えて木々の剪定<br />

    街中では冬に備えて伸びた木々を伐採している。
    軽業師のように若い子がプラタナスの木に登り、どんどん枝を落とす。下にいる中年男性がそれを木材の粉砕機に放り込んでいる。

    写真はフランケンベルク(エーダー):マルクト広場では冬に備えて木々の剪定

  • 旧市街の街中の多くの家は木組みだ。<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):マルクト広場と木組みの家並み<br /><br />

    旧市街の街中の多くの家は木組みだ。

    写真はフランケンベルク(エーダー):マルクト広場と木組みの家並み

  • 1軒の家の軒先に*“Struwwelpeterもじゃもじゃ頭のペーター”と読める看板がかかっていた。<br />さて?ここは本屋さんだったのか、理髪店だったのか?<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):オーバーマルクト広場近くの家の看板<br />

    1軒の家の軒先に*“Struwwelpeterもじゃもじゃ頭のペーター”と読める看板がかかっていた。
    さて?ここは本屋さんだったのか、理髪店だったのか?

    写真はフランケンベルク(エーダー):オーバーマルクト広場近くの家の看板

  • *1845年にHeinrich Hoffmannハインリヒ・ホフマン(フランクフルトの精神科医・1809~1894年)により発表された、ドイツの子供向け絵本である。<br /><br />本書は韻を踏んだ文章による挿絵付きの10作の物語から構成され、そのほとんどは子供が主人公である。どの作品でも、不品行とその結果による悲劇の顛末が誇張された表現で描かれ、明確な教訓が示される。<br /><br />第1章に「もじゃもじゃ頭のペーター」が載っている。<br />自分の髪を整えないため、みんなに嫌われている男の子の話がある。<br /><br />以下の章の順に「残忍なフレデリックの話」、「マッチによる悲惨な話」、「真っ黒な男の子達の話」、「乱暴な狩人の話」、「指しゃぶり小僧の話」、「スープのカスパーの話」、「落ち着きのないフィリップの話」、「上の空のハンスの話」、「空飛ぶロベルトの話」、等の話が出ている。<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):H_Hoffmannハインリヒ・ホフマン作品_第1章Struwwelpeterもじゃもじゃ頭のペーターの絵<br /><br />≪もじゃもじゃ頭のペーターのお話Struwwelpeter≫<br />https://4travel.jp/travelogue/10881890

    *1845年にHeinrich Hoffmannハインリヒ・ホフマン(フランクフルトの精神科医・1809~1894年)により発表された、ドイツの子供向け絵本である。

    本書は韻を踏んだ文章による挿絵付きの10作の物語から構成され、そのほとんどは子供が主人公である。どの作品でも、不品行とその結果による悲劇の顛末が誇張された表現で描かれ、明確な教訓が示される。

    第1章に「もじゃもじゃ頭のペーター」が載っている。
    自分の髪を整えないため、みんなに嫌われている男の子の話がある。

    以下の章の順に「残忍なフレデリックの話」、「マッチによる悲惨な話」、「真っ黒な男の子達の話」、「乱暴な狩人の話」、「指しゃぶり小僧の話」、「スープのカスパーの話」、「落ち着きのないフィリップの話」、「上の空のハンスの話」、「空飛ぶロベルトの話」、等の話が出ている。

    写真はフランケンベルク(エーダー):H_Hoffmannハインリヒ・ホフマン作品_第1章Struwwelpeterもじゃもじゃ頭のペーターの絵

    ≪もじゃもじゃ頭のペーターのお話Struwwelpeter≫
    https://4travel.jp/travelogue/10881890

  • Liebfrauenkirche聖母教会(1286年から1380年建設)、マールブルクのエリザベート教会を模したゴシック建築だが、1476年5月9日に火災が起こり、旧市街と新市街の全域が罹災した際に聖母教会も完全に消失した。<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):聖母教会<br />

    Liebfrauenkirche聖母教会(1286年から1380年建設)、マールブルクのエリザベート教会を模したゴシック建築だが、1476年5月9日に火災が起こり、旧市街と新市街の全域が罹災した際に聖母教会も完全に消失した。

    写真はフランケンベルク(エーダー):聖母教会

  • 写真はフランケンベルク(エーダー):聖母教会内<br />

    写真はフランケンベルク(エーダー):聖母教会内

  • 写真はフランケンベルク(エーダー):聖母教会のステンドグラス

    写真はフランケンベルク(エーダー):聖母教会のステンドグラス

  • 1240年に建造されたSteinhausシュタインハウス(石の家)は1476年5月9日の大火災にも被災から逃れられた。この町では最も古い建物となる。現在は図書館。<br /><br />写真はフランケンベルク(エーダー):マルクト広場のSteinhaus石の家<br /><br />旧市街を出て、B253の通りにあるAral給油所で最初の給油をした。<br />ドイツもガソリンは高い。<br />Super 95 44.34L@1.479 Euro65.58(6,722円)<br />

    1240年に建造されたSteinhausシュタインハウス(石の家)は1476年5月9日の大火災にも被災から逃れられた。この町では最も古い建物となる。現在は図書館。

    写真はフランケンベルク(エーダー):マルクト広場のSteinhaus石の家

    旧市街を出て、B253の通りにあるAral給油所で最初の給油をした。
    ドイツもガソリンは高い。
    Super 95 44.34L@1.479 Euro65.58(6,722円)

  • エーダー川沿いに先に進む。Raumlandラウムラントで北に向かい、数キロ行くと、山間の保養地バート・ベルレブルクに着く。<br /><br /><Bad Berleburgバート・ベルレブルク ><br />11:20~12:00<br />高地ザワーラントの北部にあり、ザワーラント形式門が独特という。<br />木組み建築の建物を俯瞰した景観は素晴しいものがある。人口2万人。<br /><br />写真はWappen_Bad_Berleburgバート・ベルレブルク の紋章<br /><br /><br />

    エーダー川沿いに先に進む。Raumlandラウムラントで北に向かい、数キロ行くと、山間の保養地バート・ベルレブルクに着く。

    <Bad Berleburgバート・ベルレブルク >
    11:20~12:00
    高地ザワーラントの北部にあり、ザワーラント形式門が独特という。
    木組み建築の建物を俯瞰した景観は素晴しいものがある。人口2万人。

    写真はWappen_Bad_Berleburgバート・ベルレブルク の紋章


  • 高台の宮殿風のベルレブルク城の前に至り、教会傍に駐車していると、突然、大きな音が車の屋根にした。<br />トチの実が風で落ちたらしい。上を見ると、更に落ちてきそうだったので、慌てて車を移動させた。<br /><br />写真はBad Berleburgバート・ベルレブルク :Schloss Berleburgベルレブルク城<br /><br /><Schloss Berleburgベルレブルク城><br />http://www.bad-berleburg.de/<br /><br />1258年にGrafen Siegfried Iジークフリート1世伯により築城された。<br />18世紀に三翼の規模の大きな宮殿風に改築されている。<br />現在、宮殿は郷土博物館になっている。デンマーク王家の姻戚で、17世紀以降のベルレブルク城の城主Sayn-Wittgenstein-Berleburgザイン・ヴィトゲンシュタイン・ベルレブルク侯爵家のコレクションの一部を展示している。<br />(尚、10月14日~21日は休館)<br /><br />

    高台の宮殿風のベルレブルク城の前に至り、教会傍に駐車していると、突然、大きな音が車の屋根にした。
    トチの実が風で落ちたらしい。上を見ると、更に落ちてきそうだったので、慌てて車を移動させた。

    写真はBad Berleburgバート・ベルレブルク :Schloss Berleburgベルレブルク城

    <Schloss Berleburgベルレブルク城>
    http://www.bad-berleburg.de/

    1258年にGrafen Siegfried Iジークフリート1世伯により築城された。
    18世紀に三翼の規模の大きな宮殿風に改築されている。
    現在、宮殿は郷土博物館になっている。デンマーク王家の姻戚で、17世紀以降のベルレブルク城の城主Sayn-Wittgenstein-Berleburgザイン・ヴィトゲンシュタイン・ベルレブルク侯爵家のコレクションの一部を展示している。
    (尚、10月14日~21日は休館)

  • Reweレーヴェと云うスーパーまで行って、駐車場に車を停め、屋根をチェックした。幸い凸凹したキズも無く、一安心だ。<br /><br />レーヴェで親切な若い女性スタッフにトイレを借り、水を3本(Euro2.52=258円)購入。持参したベルリーナを食べて、駐車場で休憩した。<br /><br />結局、トチの実に驚き、何も見ないでこの町から退散した。<br /><br />写真はBad Berleburgバート・ベルレブルク の独特の景観・・・Freudenberg(Siegerland)フロイデンベルク(ジーガ―ラント)の旧市街は見事な白黒の伝統的木組み建築群が有名で見どころになっているが、よく似た光景だ。

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    Reweレーヴェと云うスーパーまで行って、駐車場に車を停め、屋根をチェックした。幸い凸凹したキズも無く、一安心だ。

    レーヴェで親切な若い女性スタッフにトイレを借り、水を3本(Euro2.52=258円)購入。持参したベルリーナを食べて、駐車場で休憩した。

    結局、トチの実に驚き、何も見ないでこの町から退散した。

    写真はBad Berleburgバート・ベルレブルク の独特の景観・・・Freudenberg(Siegerland)フロイデンベルク(ジーガ―ラント)の旧市街は見事な白黒の伝統的木組み建築群が有名で見どころになっているが、よく似た光景だ。

  • 山中の道から、アッテンドルンの町に向かって道を下って行くと、右手に古城ホテル シュネレンベルク城の看板が見えた。<br /><br />写真はBurg Schnellenbergシュネレンベルク城1941年の写真・・・大戦の罹災か、左右の塔の先端が無い。

    山中の道から、アッテンドルンの町に向かって道を下って行くと、右手に古城ホテル シュネレンベルク城の看板が見えた。

    写真はBurg Schnellenbergシュネレンベルク城1941年の写真・・・大戦の罹災か、左右の塔の先端が無い。

  • 更に森の中へと、道を入って行くと、突然、赤い蔦に蓋われた古城ホテルが現れた。これぞ古城と云う感じである。<br /><br />古城ホテル シュネレンベルク城はケルンから東に90km、ドルトムントからは70kmの距離で、ヴァルデック城からは西に120kmの深い森の中にある。<br /><br />Olpeオルペから更に東に行くと、Biggeseeビッゲ湖畔にあるAttendornアッテンドルンの町に着く。<br />この辺りはSauerlandザワーラントという丘陵地帯で、森林が広がり、湖が点在し、深い森に囲まれて、シュネレンベルク城は見事な姿を見せる。<br /><br />写真はBurg Schnellenbergシュネレンベルク城

    更に森の中へと、道を入って行くと、突然、赤い蔦に蓋われた古城ホテルが現れた。これぞ古城と云う感じである。

    古城ホテル シュネレンベルク城はケルンから東に90km、ドルトムントからは70kmの距離で、ヴァルデック城からは西に120kmの深い森の中にある。

    Olpeオルペから更に東に行くと、Biggeseeビッゲ湖畔にあるAttendornアッテンドルンの町に着く。
    この辺りはSauerlandザワーラントという丘陵地帯で、森林が広がり、湖が点在し、深い森に囲まれて、シュネレンベルク城は見事な姿を見せる。

    写真はBurg Schnellenbergシュネレンベルク城

  • 空堀にかかる石橋を渡り、一の丸の城門をくぐると、一の丸左手にレストラン、右手にレセプション等の事務所、祝典の間、朝食の間、そして階段を登る2階以上がホテルになっている。<br />中庭があり、その後ろの高台にドイツ国旗が翻る天守閣を中心に本丸が立っている。ここにも空堀があり、城門をくぐると、本丸内の中庭がある。<br /><br />写真は紅葉のBurg Schnellenbergシュネレンベルク城(右手の塔が私共の部屋)

    イチオシ

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    空堀にかかる石橋を渡り、一の丸の城門をくぐると、一の丸左手にレストラン、右手にレセプション等の事務所、祝典の間、朝食の間、そして階段を登る2階以上がホテルになっている。
    中庭があり、その後ろの高台にドイツ国旗が翻る天守閣を中心に本丸が立っている。ここにも空堀があり、城門をくぐると、本丸内の中庭がある。

    写真は紅葉のBurg Schnellenbergシュネレンベルク城(右手の塔が私共の部屋)

  • 車を一の丸の城門内に駐車(写真中央)し、一の丸にあるレセプションに行って、チェックインをした。13時半を少し過ぎた時間で、アッタ・へーレ鍾乳洞見学と城内博物館見学には十分の時間がある。<br /><br />写真は森の中のBurg Schnellenbergシュネレンベルク城・俯瞰

    車を一の丸の城門内に駐車(写真中央)し、一の丸にあるレセプションに行って、チェックインをした。13時半を少し過ぎた時間で、アッタ・へーレ鍾乳洞見学と城内博物館見学には十分の時間がある。

    写真は森の中のBurg Schnellenbergシュネレンベルク城・俯瞰

  • ホテルのスタッフに導かれて入った部屋は28号室。塔内にある部屋で、しかも螺旋階段で2階から4階が繋がっているのだ。後で外から見ると、古城の右手にある塔が1室になっていた。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:こちらの右手にある塔が1室になっている。<br />

    イチオシ

    ホテルのスタッフに導かれて入った部屋は28号室。塔内にある部屋で、しかも螺旋階段で2階から4階が繋がっているのだ。後で外から見ると、古城の右手にある塔が1室になっていた。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:こちらの右手にある塔が1室になっている。

  • レセプションで、鍾乳洞見学のチケット(アレンジメントに入っている)をもらい、道も聞いて出かけた。<br /><br />アッテンドルンの町から大して離れていない所に、大きな駐車場があり、そこに車を停めて、丘の中腹にある鍾乳洞に向かった。ここは二度目である。三十年以上前のことだが、駐在中に家族で来た事があった。駐車料金はEuro2.5(256円)。<br /><br />写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞の絵葉書

    レセプションで、鍾乳洞見学のチケット(アレンジメントに入っている)をもらい、道も聞いて出かけた。

    アッテンドルンの町から大して離れていない所に、大きな駐車場があり、そこに車を停めて、丘の中腹にある鍾乳洞に向かった。ここは二度目である。三十年以上前のことだが、駐在中に家族で来た事があった。駐車料金はEuro2.5(256円)。

    写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞の絵葉書

  • <Atta-Hoehle アッタ・へーレ鍾乳洞><br />14:15~15:00<br />D-57439 Attendorn  、Finnentroper Str. 39  <br />http://atta-hoehle.de/index.php?id=2<br /><br />見学時間;<br />6,670mの距離の内、1800mをガイドの説明を聞きながら、凡そ40分。<br />毎日10:30~16:00。<br /><br />写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

    <Atta-Hoehle アッタ・へーレ鍾乳洞>
    14:15~15:00
    D-57439 Attendorn  、Finnentroper Str. 39  
    http://atta-hoehle.de/index.php?id=2

    見学時間;
    6,670mの距離の内、1800mをガイドの説明を聞きながら、凡そ40分。
    毎日10:30~16:00。

    写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

  • 年間4万人の見学者があるというドイツ最大の鍾乳洞前は郊外学習の子供たちが列を作り、騒々しいくらいである。<br />先生に引率された小学生のグループと一緒に鍾乳洞に入った。<br /><br />写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

    年間4万人の見学者があるというドイツ最大の鍾乳洞前は郊外学習の子供たちが列を作り、騒々しいくらいである。
    先生に引率された小学生のグループと一緒に鍾乳洞に入った。

    写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

  • 洞内温度9度とか、寒い感じは無い。照明は少々暗くて、鍾乳洞の美しさが良く見られないのだ。<br /><br />写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

    洞内温度9度とか、寒い感じは無い。照明は少々暗くて、鍾乳洞の美しさが良く見られないのだ。

    写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

  • 一番最後を歩きながら、カメラで撮っていたら、“撮影は禁止されている”と男性ガイドに子供たちの前で叱られてしまった。<br /><br />写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

    一番最後を歩きながら、カメラで撮っていたら、“撮影は禁止されている”と男性ガイドに子供たちの前で叱られてしまった。

    写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

  • 自然の作り上げた壮大な光景を楽しんだが、その昔の記憶にある美しさはもう無く、汚れた鍾乳石を見せられた感じだった。<br /><br />写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

    自然の作り上げた壮大な光景を楽しんだが、その昔の記憶にある美しさはもう無く、汚れた鍾乳石を見せられた感じだった。

    写真はAtta-Hoehleアッタ・へーレ鍾乳洞内

  • 15:15にホテルに戻った。<br /><br />本日のアレンジメントは “Ritter fuer 1 Tag騎士の一日”いうもの。<br /><br />- 1 Uebernachtung inkl. Burgherrenfruehstueck(1泊・朝食付き)<br />- 1 Schlossmenu (Abendessen ? 4 Gaenge, um 19.00 Uhr)(4品の夕食)<br />- Burgfuehrung mit Besichtigung der Schatzkammer und der Burgkapelle(宝物館・城内礼拝堂のガイド付き見学)<br />-Besuch der Atta-Hoehle, eine der groessten und schoensten Tropfsteinhoehlen Deutschlands(アッタ・へーレ鍾乳洞;車で5分の距離にある。)<br />- die Nutzung unseres Wellnessbereiches(ウエルネス使用)・・・いつも利用しないが。<br /><br />このアレンジメントは塔内の部屋を優先して頂いた事もあり、満足のいくものであった。<br /><br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:レセプション入口

    15:15にホテルに戻った。

    本日のアレンジメントは “Ritter fuer 1 Tag騎士の一日”いうもの。

    - 1 Uebernachtung inkl. Burgherrenfruehstueck(1泊・朝食付き)
    - 1 Schlossmenu (Abendessen ? 4 Gaenge, um 19.00 Uhr)(4品の夕食)
    - Burgfuehrung mit Besichtigung der Schatzkammer und der Burgkapelle(宝物館・城内礼拝堂のガイド付き見学)
    -Besuch der Atta-Hoehle, eine der groessten und schoensten Tropfsteinhoehlen Deutschlands(アッタ・へーレ鍾乳洞;車で5分の距離にある。)
    - die Nutzung unseres Wellnessbereiches(ウエルネス使用)・・・いつも利用しないが。

    このアレンジメントは塔内の部屋を優先して頂いた事もあり、満足のいくものであった。


    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:レセプション入口

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:レセプション・・・ガイドさんが彼方で待っています。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:レセプション・・・ガイドさんが彼方で待っています。

  • <Schatzkammer und der Burgkapelle宝物館とルネサンス様式の城内礼拝堂のガイド付き見学><br /><br />こちらは若い女性ガイドが私共二人だけの為に案内してくれた。思ったほどには見学した中身は乏しく、ガイドの説明も通り一遍で、そそくさとして終わった感がある。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館前

    <Schatzkammer und der Burgkapelle宝物館とルネサンス様式の城内礼拝堂のガイド付き見学>

    こちらは若い女性ガイドが私共二人だけの為に案内してくれた。思ったほどには見学した中身は乏しく、ガイドの説明も通り一遍で、そそくさとして終わった感がある。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館前

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・・・武具・軍服など

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・・・武具・軍服など

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・・・貝殻の帯

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・・・貝殻の帯

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・・・聖壇

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・・・聖壇

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・・・銀食器類

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・・・銀食器類

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内礼拝堂の天井

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内礼拝堂の天井

  • 特に注目すべきは、St.-Georg-Kapelle 聖ゲオルク礼拝堂です。<br />それはManierismusマニエリスム(マニエリスム とはルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる)の様式で飾られ、まだ1600年頃の元の状態を保っている。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・Georgs-Altar聖ゲオルクの聖壇

    特に注目すべきは、St.-Georg-Kapelle 聖ゲオルク礼拝堂です。
    それはManierismusマニエリスム(マニエリスム とはルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる)の様式で飾られ、まだ1600年頃の元の状態を保っている。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:城内博物館内・Georgs-Altar聖ゲオルクの聖壇

  • <(1泊)④ Burghotel Schnellenberg 古城ホテル シュネレンベルク城><br />この旅7番目の城<br />D-57439 Attendorn  、Schnellenberg 1 <br />Tel:+49 (0) 2722 - 6940  、<br />http://www.burg-schnellenberg.de/ge<br /><br />4星・全42室。<br />28号室(一の丸・塔内の部屋:2~4階)。Euro152.5(20,802円)。<br />塔内の部屋はこの古城ホテルにも2室だけで、左右の塔内に其々ある。<br /><br />駐在中に一度訪れたが泊っていないので、ここも長年、希望した古城ホテル滞在になる。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:28号室2階の居間

    <(1泊)④ Burghotel Schnellenberg 古城ホテル シュネレンベルク城>
    この旅7番目の城
    D-57439 Attendorn  、Schnellenberg 1
    Tel:+49 (0) 2722 - 6940  、
    http://www.burg-schnellenberg.de/ge

    4星・全42室。
    28号室(一の丸・塔内の部屋:2~4階)。Euro152.5(20,802円)。
    塔内の部屋はこの古城ホテルにも2室だけで、左右の塔内に其々ある。

    駐在中に一度訪れたが泊っていないので、ここも長年、希望した古城ホテル滞在になる。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:28号室2階の居間

  • 28号室は螺旋階段を登って上がると4階で、そこは広い寝室と浴室などがあり、浴用ガウンも備えられて、とりわけジャグジー付の大きな浴室には吃驚した。<br />2階は広い円状の居間になっている。<br />広い塔内の上下の部屋(2&amp;4階)にTVも各1台あるとはすごいものだ。<br /><br />但し、非力の私共には螺旋階段を登って、トランクを4階に持ち運ぶのはちょっと無理で、不便だが広い2階の居間にトランクを広げることにした。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:この狭い螺旋階段を登って、上階にあがる。

    28号室は螺旋階段を登って上がると4階で、そこは広い寝室と浴室などがあり、浴用ガウンも備えられて、とりわけジャグジー付の大きな浴室には吃驚した。
    2階は広い円状の居間になっている。
    広い塔内の上下の部屋(2&4階)にTVも各1台あるとはすごいものだ。

    但し、非力の私共には螺旋階段を登って、トランクを4階に持ち運ぶのはちょっと無理で、不便だが広い2階の居間にトランクを広げることにした。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:この狭い螺旋階段を登って、上階にあがる。

  • アレンジメント“Ritter fuer 1 Tag騎士の一日”;DZ Euro130(朝食込み)x2=Euro260、夕食は19時に予約済み。<br />ビール試飲会の催し(Schnellenberger Biertasting:18.10.2013)の前日の為、その準備も有り、城内外は騒々しいかもしれないとの事だったが、何も気になる事は無かった。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:階段を上がると4階の寝室で、どっしりしたベッドが置かれていた。

    イチオシ

    アレンジメント“Ritter fuer 1 Tag騎士の一日”;DZ Euro130(朝食込み)x2=Euro260、夕食は19時に予約済み。
    ビール試飲会の催し(Schnellenberger Biertasting:18.10.2013)の前日の為、その準備も有り、城内外は騒々しいかもしれないとの事だったが、何も気になる事は無かった。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:階段を上がると4階の寝室で、どっしりしたベッドが置かれていた。

  • シュネレンベルク城の歴史:<br /><br />シュネレンベルク城は1225年にケルンの大司教が交易路や、盗賊たちからの人々を守る為に、城を築いたのが始まりである。13世紀の末には大掛かりな城塞となっている。<br />1594 年にCaspar von Fuerstenbergケルン選帝侯カスパールがこの城を手に入れると、大体的に改築を行い、現在の様な姿の城になった。<br />16~17世紀にかけてが、シュネレンベルク城の良き時代で、カスパール選帝侯が作った豪壮とも云えるルネサンス様式の礼拝堂もこの時期に作られている。<br />騎士の間のワインシュランクも一見の価値あり。<br /><br />その後、選帝侯が新たにSchloss Herdringenヘルドリンゲン城(D-59757  Arnsbergアルンスベルク・・高地ザワーラント http://www.schloss-herdringen.de/ )を築城して、そちらに移ると、 18、19世紀とシュネレンベルク城は無人のままに捨て置かれた。<br />それもあって、1889年に大火災で大きな被害を被った。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:スチーム暖房。

    シュネレンベルク城の歴史:

    シュネレンベルク城は1225年にケルンの大司教が交易路や、盗賊たちからの人々を守る為に、城を築いたのが始まりである。13世紀の末には大掛かりな城塞となっている。
    1594 年にCaspar von Fuerstenbergケルン選帝侯カスパールがこの城を手に入れると、大体的に改築を行い、現在の様な姿の城になった。
    16~17世紀にかけてが、シュネレンベルク城の良き時代で、カスパール選帝侯が作った豪壮とも云えるルネサンス様式の礼拝堂もこの時期に作られている。
    騎士の間のワインシュランクも一見の価値あり。

    その後、選帝侯が新たにSchloss Herdringenヘルドリンゲン城(D-59757  Arnsbergアルンスベルク・・高地ザワーラント http://www.schloss-herdringen.de/ )を築城して、そちらに移ると、 18、19世紀とシュネレンベルク城は無人のままに捨て置かれた。
    それもあって、1889年に大火災で大きな被害を被った。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:スチーム暖房。

  • 1927年、屋根ふき職人であったNorbert Bilsingノルベルト・ビルジングが手紙で、城館についての企画をFamilie von Fuerstenberg選帝侯家族に提示し、了承を得た。<br />1928年、両者は賃貸借契約を結び、1930年に城館を修復し、改築がなされた。<br />1932年に最初のホテル=YHを開業すると、徐々に城館を利用し様々な業務を展開し、1958年にはついに古城ホテルを開業した。<br /><br />ビルジング家は賃貸借契約の締結以来、80年以上の間、ホテル経営に鋭意努力し、今や評価の高い古城ホテルとなっている。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:この先に洋服などのロッカーがある。

    1927年、屋根ふき職人であったNorbert Bilsingノルベルト・ビルジングが手紙で、城館についての企画をFamilie von Fuerstenberg選帝侯家族に提示し、了承を得た。
    1928年、両者は賃貸借契約を結び、1930年に城館を修復し、改築がなされた。
    1932年に最初のホテル=YHを開業すると、徐々に城館を利用し様々な業務を展開し、1958年にはついに古城ホテルを開業した。

    ビルジング家は賃貸借契約の締結以来、80年以上の間、ホテル経営に鋭意努力し、今や評価の高い古城ホテルとなっている。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:この先に洋服などのロッカーがある。

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:ジャグジー風呂、シャワーの両用にトイレなどがある広いスペースにびっくりした。、

    イチオシ

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:ジャグジー風呂、シャワーの両用にトイレなどがある広いスペースにびっくりした。、

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:浴用ガウンも備えられて、

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:浴用ガウンも備えられて、

  • この後、準備中の今宵のレストランを覗いてみた。女性スタッフが“今夜はこちらの席(中央奥窓際)をご用意していますよ。”と教えてくれた。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

    この後、準備中の今宵のレストランを覗いてみた。女性スタッフが“今夜はこちらの席(中央奥窓際)をご用意していますよ。”と教えてくれた。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:催し用レストラン

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:催し用レストラン

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:中庭のリンゴの木

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:中庭のリンゴの木

  • <夕食:古城ホテル シュネレンベルク城の丸天井レストラン><br />19:00~21:00<br />古城の丸天井レストランには歴史を感じさせる黒光りした柱、狩猟の獲物、甲冑、大きな食器用家具などが、古城に相応しい雰囲気を作っている。<br /><br />今宵のレストランのお客は私共と、隣席に座った2人、それに個室の団体客10名ほどでした。<br />窓辺の二人席で、アレンジメント・“Ritter fuer 1 Tag騎士の一日”であらかじめ決まっている Schlossmenuシュロスメニュー・4 Gaenge(4品料理)を頂いた。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストランでの夕食

    <夕食:古城ホテル シュネレンベルク城の丸天井レストラン>
    19:00~21:00
    古城の丸天井レストランには歴史を感じさせる黒光りした柱、狩猟の獲物、甲冑、大きな食器用家具などが、古城に相応しい雰囲気を作っている。

    今宵のレストランのお客は私共と、隣席に座った2人、それに個室の団体客10名ほどでした。
    窓辺の二人席で、アレンジメント・“Ritter fuer 1 Tag騎士の一日”であらかじめ決まっている Schlossmenuシュロスメニュー・4 Gaenge(4品料理)を頂いた。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストランでの夕食

  • 飲み物は辛口のシェリー、水0.75L、Baden・Ihringen・Kaiserstuhlバーデン・イーリンゲンの白ワイン・Dr.Heger 2011 Grauburgunder 0.75L Spaetlese Trocken<br />飲み物代Euro52.5を含んだ、4品料理のお値段はEuro165(22,337円)である。<br /><br />4品料理は<br />①前菜:アボカド、パパイア、小エビのカクテルと甘酸っぱいチリソースをかけたフェルトサラダ。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

    飲み物は辛口のシェリー、水0.75L、Baden・Ihringen・Kaiserstuhlバーデン・イーリンゲンの白ワイン・Dr.Heger 2011 Grauburgunder 0.75L Spaetlese Trocken
    飲み物代Euro52.5を含んだ、4品料理のお値段はEuro165(22,337円)である。

    4品料理は
    ①前菜:アボカド、パパイア、小エビのカクテルと甘酸っぱいチリソースをかけたフェルトサラダ。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

  • 中学の恩師に頂いたバックを持参した家内、先生のご厚意を受けてドイツの旅に持参したバックですが、その証拠写真です(笑)。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

    中学の恩師に頂いたバックを持参した家内、先生のご厚意を受けてドイツの旅に持参したバックですが、その証拠写真です(笑)。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

  • ②スープ:ヤシとカレー風味のクリームスープ、燻製の鮭、レモンの串入り。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

    ②スープ:ヤシとカレー風味のクリームスープ、燻製の鮭、レモンの串入り。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

  • ③メイン:ウサギの背肉とカモの胸肉のルラード(巻き肉)にカボチャのペーストとポルチーニ(ヤマドリダケ)のラビオリ添え。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

    ③メイン:ウサギの背肉とカモの胸肉のルラード(巻き肉)にカボチャのペーストとポルチーニ(ヤマドリダケ)のラビオリ添え。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

  • ④デザート:生姜とチョコレートムース、砂糖をまぶした果実添え。<br /><br />ザワーラント地方料理は少々繊細さや上品さは無いが、美味しかった。<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

    ④デザート:生姜とチョコレートムース、砂糖をまぶした果実添え。

    ザワーラント地方料理は少々繊細さや上品さは無いが、美味しかった。

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:メインレストラン・丸天井レストラン

  • 写真は古城ホテル シュネレンベルク城:食後、メインレストラン前で<br /><br /><Die Sage des Raubritters Heinrich von Schellenberg・<br />シュネレンベルク城の盗賊騎士ハインリヒ伝説><br />     <br />昔々、シュネレンベルクの騎士ハインリヒは野蛮で、教養が無く、日ごろの行動も自らの意のままにしていたので、その領地で大変嫌われ、恐れられていました。その領地はWolkenstein und Scharfenstein ヴォルケンシュタインとシャーヘンシュタインからシュネレンベルクまで、しかもボヘミア(現チェコ)との国境にまで、彼の支配は及んでいたそうです。<br /><br />シュネレンベルク城の野蛮なハインリヒに、実際にはばったり出会う事はない。多分、Altzellaアルトゼラの修道士にも、盗賊騎士とか、追剥騎士と云う風に見なされていたハインリヒにとってもお互いが出会う事はあり得ないことだった。<br />所がハインリヒの悪い噂を聞いて、これを懲らしめようと、アルトゼラの修道士はしっかりとハインリヒを待ち伏せしたのである。<br /><br />ハインリヒが領地の村に来た際に、修道士はその行く手をわざと邪魔をして、ハインリヒにぶつかったのだ。その時、修道士はハインリヒのたくましい腕に当たったのだ。だからといって、ハインリヒは修道士の意図も知らず、彼を過小評価して、油断していた。<br /><br />修道士は最初に意図していた如く、ハインリヒを“地域の平穏を破る者”であること、“追剥”であること、とりわけ“教会を冒涜(修道士を痛めつけた!)”する罪は重大であると、皇帝に訴え出たのでした。<br /><br />皇帝はハインリヒを召喚し、彼を軽蔑し、嘲笑したのでした。<br />そして、ハインリヒのシュネレンベルク城には神を愛し、信心深い者を新たに城主にするべしと宣言した。 <br />皇帝は直ちに近隣の騎士軍をシュネレンベルク城に向かわせ、武力でもって城を制圧してしまった。<br />

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城:食後、メインレストラン前で

    <Die Sage des Raubritters Heinrich von Schellenberg・
    シュネレンベルク城の盗賊騎士ハインリヒ伝説>
        
    昔々、シュネレンベルクの騎士ハインリヒは野蛮で、教養が無く、日ごろの行動も自らの意のままにしていたので、その領地で大変嫌われ、恐れられていました。その領地はWolkenstein und Scharfenstein ヴォルケンシュタインとシャーヘンシュタインからシュネレンベルクまで、しかもボヘミア(現チェコ)との国境にまで、彼の支配は及んでいたそうです。

    シュネレンベルク城の野蛮なハインリヒに、実際にはばったり出会う事はない。多分、Altzellaアルトゼラの修道士にも、盗賊騎士とか、追剥騎士と云う風に見なされていたハインリヒにとってもお互いが出会う事はあり得ないことだった。
    所がハインリヒの悪い噂を聞いて、これを懲らしめようと、アルトゼラの修道士はしっかりとハインリヒを待ち伏せしたのである。

    ハインリヒが領地の村に来た際に、修道士はその行く手をわざと邪魔をして、ハインリヒにぶつかったのだ。その時、修道士はハインリヒのたくましい腕に当たったのだ。だからといって、ハインリヒは修道士の意図も知らず、彼を過小評価して、油断していた。

    修道士は最初に意図していた如く、ハインリヒを“地域の平穏を破る者”であること、“追剥”であること、とりわけ“教会を冒涜(修道士を痛めつけた!)”する罪は重大であると、皇帝に訴え出たのでした。

    皇帝はハインリヒを召喚し、彼を軽蔑し、嘲笑したのでした。
    そして、ハインリヒのシュネレンベルク城には神を愛し、信心深い者を新たに城主にするべしと宣言した。
    皇帝は直ちに近隣の騎士軍をシュネレンベルク城に向かわせ、武力でもって城を制圧してしまった。

  • 野蛮なハインリヒも、ついに支配下のBurg Liebensteinリーベンシュタイン城で捕らえられてしまった。そして、反対側に立っていた同様のKatzenstein猫城も騎士軍によって破壊されて、跡かたも無くなってしまったと云う。<br /><br />盗賊騎士Heinrichハインリヒは領地も、信用?も、最後の城も全て失ったそうです。<br />             <br />             (2013.10.09.訳・編集)<br /><br />写真は古城ホテル シュネレンベルク城の夜景:夜9時過ぎ、城はこんな様子になってしまう。<br /><br />明日はMunsterlander Wasserburgenミュンスターラントの水城を巡る。

    野蛮なハインリヒも、ついに支配下のBurg Liebensteinリーベンシュタイン城で捕らえられてしまった。そして、反対側に立っていた同様のKatzenstein猫城も騎士軍によって破壊されて、跡かたも無くなってしまったと云う。

    盗賊騎士Heinrichハインリヒは領地も、信用?も、最後の城も全て失ったそうです。
                 
                 (2013.10.09.訳・編集)

    写真は古城ホテル シュネレンベルク城の夜景:夜9時過ぎ、城はこんな様子になってしまう。

    明日はMunsterlander Wasserburgenミュンスターラントの水城を巡る。

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