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<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅><br />ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅<br /><br />期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間<br /><br />10月18日(金);216km 、14.5℃、旅行初めての晴れ、一日中快調の気分。<br /><br />*朝食(8:00~8:30)後、9:00にAttendorn をスタート。->L?・(Finnentrop)B236・L?(Ronkhausen~Plettenberg)・B236・ L? 71km Altena ->L?・(Iserlohn)(Hemer)・B7・515・233・(Unna)A1・B58・L? 90km  Luedinghausen ->L?・B58・L? 10km Nordkirchen ->L?・B58・(Wulfen) L? 45km Dorsten-Lembeck レンベック城に16:25到着。<br /><br />①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。<br />②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。<br />③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城<br />④2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を巡る。<br />⑤2013年秋のドイツ5:ザワーラント・フランケンベルク(エーダー)の市庁舎には独特の10の塔がある。<br /><br />写真は秋のBurg Altenaアルテナ城の俯瞰<br />

2013年秋のドイツ6:力強く、最も美しい山城の1つと称されているアルテナ城

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2013/10/14 - 2013/10/28

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jijidaruma

jijidarumaさん

<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅

期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

10月18日(金);216km 、14.5℃、旅行初めての晴れ、一日中快調の気分。

*朝食(8:00~8:30)後、9:00にAttendorn をスタート。->L?・(Finnentrop)B236・L?(Ronkhausen~Plettenberg)・B236・ L? 71km Altena ->L?・(Iserlohn)(Hemer)・B7・515・233・(Unna)A1・B58・L? 90km  Luedinghausen ->L?・B58・L? 10km Nordkirchen ->L?・B58・(Wulfen) L? 45km Dorsten-Lembeck レンベック城に16:25到着。

①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。
②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。
③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城
④2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を巡る。
⑤2013年秋のドイツ5:ザワーラント・フランケンベルク(エーダー)の市庁舎には独特の10の塔がある。

写真は秋のBurg Altenaアルテナ城の俯瞰

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • *5日目で通常の眠り、起床も遅くなり、普通のパターンになった。<br /><br />写真はシュネレンベルク城:朝食の間に向かう階段

    *5日目で通常の眠り、起床も遅くなり、普通のパターンになった。

    写真はシュネレンベルク城:朝食の間に向かう階段

  • シュネレンベルク城の朝食は広い、豪華な祝典の間に隣接した朝食の間で頂いた。外はまだ濃い霧だ。窓が汗をかいている。<br /><br />写真はシュネレンベルク城:朝食の間

    シュネレンベルク城の朝食は広い、豪華な祝典の間に隣接した朝食の間で頂いた。外はまだ濃い霧だ。窓が汗をかいている。

    写真はシュネレンベルク城:朝食の間

  • 朝食の様々なものが並んだ場所から少し離れた所は丁度、塔内にある私共の部屋の真下にあたる場所で、この席には誰も来ないので、気軽に食べられた。<br /><br />写真はシュネレンベルク城:朝食の間

    朝食の様々なものが並んだ場所から少し離れた所は丁度、塔内にある私共の部屋の真下にあたる場所で、この席には誰も来ないので、気軽に食べられた。

    写真はシュネレンベルク城:朝食の間

  • 写真はシュネレンベルク城:朝食・・・いつも冒険をしないで、同じパターンの朝食を食べる。<br /><br />古城ホテルのレセプションで道を尋ねたのが幸いして、スムースにスタートした。<br />Lenneレンネ川沿いに走り、Altenaアルテナ城に向かった。<br /><br />

    写真はシュネレンベルク城:朝食・・・いつも冒険をしないで、同じパターンの朝食を食べる。

    古城ホテルのレセプションで道を尋ねたのが幸いして、スムースにスタートした。
    Lenneレンネ川沿いに走り、Altenaアルテナ城に向かった。

  • 途中(Ronkhausenロンクハウゼン~Plettenbergプレッテンベルク間)で、う回路に出あい、大きく山なりに北の狭い村道をぐるりと走らされた。<br /><br />本来の8kmの距離を30kmぐらい走ったようだ。迂回路も1度だけで今日は総じて上手く走れた。<br />Havikbeckハヴィックベックの三つの水城の見学を翌日にした事もあって、結果的に予想した206kmに10km増えた走行になった。<br /><br />写真はWappen_Altenaアルテナの紋章<br />・・・ キリスト教の聖人で殉教者Katharina von Alexandriaアレクサンドリアの聖カタリナ(カテリーナ:287年~305年)が表現されている。<br />デザインに王冠、剣、車輪が見られる。 <br />

    途中(Ronkhausenロンクハウゼン~Plettenbergプレッテンベルク間)で、う回路に出あい、大きく山なりに北の狭い村道をぐるりと走らされた。

    本来の8kmの距離を30kmぐらい走ったようだ。迂回路も1度だけで今日は総じて上手く走れた。
    Havikbeckハヴィックベックの三つの水城の見学を翌日にした事もあって、結果的に予想した206kmに10km増えた走行になった。

    写真はWappen_Altenaアルテナの紋章
    ・・・ キリスト教の聖人で殉教者Katharina von Alexandriaアレクサンドリアの聖カタリナ(カテリーナ:287年~305年)が表現されている。
    デザインに王冠、剣、車輪が見られる。

  • レンネ川沿いに発展したアルテナはMaerkischer Kreis  in Nordrhein-Westfalenノルトライン・ヴェストファーレン州(州都はデュッセルドルフ)のメルキッシャー地方の小都市で、人口は17千人である。 <br />俯瞰の写真を見ると、川に沿って両側に細長くできた町である。<br /><br />71km走って町に入ると、アルテナ城への案内板が分かりやすく表示され、徐々に細い坂道を登ると、駐車場があった。殆ど車がないのは早い所為のようだ。<br /><br />写真は秋のBurg Altenaアルテナ城の俯瞰・・・中央右の駐車場まで車が登れる。<br /><br />Die Sage um die Entstehung der Burg Altenaアルテナ城の築城伝説<br />http://www.youtube.com/watch?v=xH_JJEp9LSs<br />

    イチオシ

    レンネ川沿いに発展したアルテナはMaerkischer Kreis in Nordrhein-Westfalenノルトライン・ヴェストファーレン州(州都はデュッセルドルフ)のメルキッシャー地方の小都市で、人口は17千人である。
    俯瞰の写真を見ると、川に沿って両側に細長くできた町である。

    71km走って町に入ると、アルテナ城への案内板が分かりやすく表示され、徐々に細い坂道を登ると、駐車場があった。殆ど車がないのは早い所為のようだ。

    写真は秋のBurg Altenaアルテナ城の俯瞰・・・中央右の駐車場まで車が登れる。

    Die Sage um die Entstehung der Burg Altenaアルテナ城の築城伝説
    http://www.youtube.com/watch?v=xH_JJEp9LSs

  • <Burg Altenaアルテナ城><br />この旅、8番目の城。<br />10:20~11:50 入館料Euro10(1,025円<br />D-58762 Altena 、Fritz-Thom?・e-Strasse 80<br /><br />現在は博物館とYHになっている。開館;火~金 9:30~17:00 <br />http://www.altena.de/<br /><br />Rheinische Schiefergebirgeライン・シーファー山地に位置し、Lenneレンネ川(全長128 km・ルール川の支流)に沿って発展したアルテナの旧市街の上に、この見事な中世の城は立っている。<br /><br />ドイツでも力強い、最も美しい山城の1つと称されている。<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城の縄張り図・・・山の背に築城されたアルテナ城は縄張りを見ても細長い城郭になっている。

    <Burg Altenaアルテナ城>
    この旅、8番目の城。
    10:20~11:50 入館料Euro10(1,025円
    D-58762 Altena 、Fritz-Thom?・e-Strasse 80

    現在は博物館とYHになっている。開館;火~金 9:30~17:00 
    http://www.altena.de/

    Rheinische Schiefergebirgeライン・シーファー山地に位置し、Lenneレンネ川(全長128 km・ルール川の支流)に沿って発展したアルテナの旧市街の上に、この見事な中世の城は立っている。

    ドイツでも力強い、最も美しい山城の1つと称されている。

    写真はBurg Altenaアルテナ城の縄張り図・・・山の背に築城されたアルテナ城は縄張りを見ても細長い城郭になっている。

  • この城についてはドイツ駐在の頃から、一度訪れてみたい城と思っていた。<br />今はもう使い古してボロボロになったAral-Auto-Buchアラル・オート観光案内書(1974年版)に写真と説明が載っていて、見た目にも古城らしく、一度訪れたいと思っていた。<br />行程を決めるにあたり、やはり目に付いたこの城を外すわけにはいかなかった。<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城:見上げると中央に天守閣が見える。

    この城についてはドイツ駐在の頃から、一度訪れてみたい城と思っていた。
    今はもう使い古してボロボロになったAral-Auto-Buchアラル・オート観光案内書(1974年版)に写真と説明が載っていて、見た目にも古城らしく、一度訪れたいと思っていた。
    行程を決めるにあたり、やはり目に付いたこの城を外すわけにはいかなかった。

    写真はBurg Altenaアルテナ城:見上げると中央に天守閣が見える。

  • 最初に門をくぐると、右手に現在のユースホステルの建物がある。<br /><br />更に進むと城塞司令官の建物に付属する城門があり、ここで入場料を払い、司令官の家と称する建物内に入る。リュックサックは持ち込みが禁じられていて、ここにロッカーがあり、預けた。<br /><br />鍾乳洞内で太古の時代の動物(ホラアナグマ等)が発見され、それらの骨格標本や、鉱石物が陳列されていた。<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城:司令官の家と称する建物内

    最初に門をくぐると、右手に現在のユースホステルの建物がある。

    更に進むと城塞司令官の建物に付属する城門があり、ここで入場料を払い、司令官の家と称する建物内に入る。リュックサックは持ち込みが禁じられていて、ここにロッカーがあり、預けた。

    鍾乳洞内で太古の時代の動物(ホラアナグマ等)が発見され、それらの骨格標本や、鉱石物が陳列されていた。

    写真はBurg Altenaアルテナ城:司令官の家と称する建物内

  • そして左に高々と天守閣が出迎える。天守閣と火薬塔の二つの塔が目立つ城郭は丘の峰にあたる部分に長細い形で築城されている。<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城:火薬塔(中央)と中庭

    そして左に高々と天守閣が出迎える。天守閣と火薬塔の二つの塔が目立つ城郭は丘の峰にあたる部分に長細い形で築城されている。

    写真はBurg Altenaアルテナ城:火薬塔(中央)と中庭

  • 大雑把に言うと左に旧パレス、奥に礼拝堂、右手に新パレスが配置されている。<br />番号順に自由見学ができ、新パレスの地下から見学を始めた。<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城:天守閣(左)、新パレス(右)

    大雑把に言うと左に旧パレス、奥に礼拝堂、右手に新パレスが配置されている。
    番号順に自由見学ができ、新パレスの地下から見学を始めた。

    写真はBurg Altenaアルテナ城:天守閣(左)、新パレス(右)

  • ①古い時代に鉄鉱石から鉄器・武器を作る様子。<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内

    ①古い時代に鉄鉱石から鉄器・武器を作る様子。

    写真はBurg Altenaアルテナ城内

  • ②かつてのユースホステルの台所、蚕棚が並んだようなベッド、食事の間兼教場、かつてのヒトラーの演説をTVで繰り返していた。<br /><br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:ヒトラーの演説をTVで

    ②かつてのユースホステルの台所、蚕棚が並んだようなベッド、食事の間兼教場、かつてのヒトラーの演説をTVで繰り返していた。


    写真はBurg Altenaアルテナ城内:ヒトラーの演説をTVで

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城内:かつてのYH食事の間兼教場の様子<br />

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:かつてのYH食事の間兼教場の様子

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城:かつてのYHの日常活動の様子<br />

    写真はBurg Altenaアルテナ城:かつてのYHの日常活動の様子

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城のYH:かつてのユースホステルの蚕棚が並んだようなベッド

    写真はBurg Altenaアルテナ城のYH:かつてのユースホステルの蚕棚が並んだようなベッド

  • この方は知らなかったが、ドイツの小学校教師だったRichard Schirrmannリヒャルト・シルマン(1874~1961年)が、1912年にアルテナ城内に世界で最初のユースホステルを創った。<br /><br />今日もJugendherberge Burg Altenaユーゲントヘルベルゲアルテナ城として利用されている。<br /><br />写真はアルテナ城のYHユースホステルの創設者:Richard-Schirrmann-Denkmalリヒャルト・シルマンの記念像

    この方は知らなかったが、ドイツの小学校教師だったRichard Schirrmannリヒャルト・シルマン(1874~1961年)が、1912年にアルテナ城内に世界で最初のユースホステルを創った。

    今日もJugendherberge Burg Altenaユーゲントヘルベルゲアルテナ城として利用されている。

    写真はアルテナ城のYHユースホステルの創設者:Richard-Schirrmann-Denkmalリヒャルト・シルマンの記念像

  • キリスト教の聖人で殉教者Katharina von Alexandriaアレクサンドリアの聖カタリナ(カテリーナ:287年~305年)の像が、城内の一間に照明を当てられて置かれていた。聖人の象徴は車輪、剣、王冠である。 アルテナ城の守護聖人であり、アルテナの町の紋章にも使用されている。<br />また、ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人。祝日は11月25日。<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城の守護聖人Katharina von Alexandriaアレクサンドリアの聖カタリナ

    イチオシ

    キリスト教の聖人で殉教者Katharina von Alexandriaアレクサンドリアの聖カタリナ(カテリーナ:287年~305年)の像が、城内の一間に照明を当てられて置かれていた。聖人の象徴は車輪、剣、王冠である。 アルテナ城の守護聖人であり、アルテナの町の紋章にも使用されている。
    また、ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人。祝日は11月25日。

    写真はBurg Altenaアルテナ城の守護聖人Katharina von Alexandriaアレクサンドリアの聖カタリナ

  • ③暖炉の間、<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:暖炉の間<br />

    ③暖炉の間、

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:暖炉の間

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城内:城主の住居内・16世紀の絵画

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:城主の住居内・16世紀の絵画

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城内:支配地と思しき紋章のステンドグラス<br />

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:支配地と思しき紋章のステンドグラス

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城内:珍しい暖炉<br />

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:珍しい暖炉

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城内:Wandmalerei_Festsaal祝典の間の馬上試合の壁絵<br /><br />

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:Wandmalerei_Festsaal祝典の間の馬上試合の壁絵

  • ④アルテナ城の変遷の模型、<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の変遷

    ④アルテナ城の変遷の模型、

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の変遷

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の変遷

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の変遷

  • ⑤特別展として1830年~1950年の人形展が展示されていた。<br />とりわけ、80もの人形の家ブースは、ドイツの古い人形が大好きな私共には楽しく、時間をかけてみる事が出来た。<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:特別展人形の家ブース・ミニチュア人形セット

    ⑤特別展として1830年~1950年の人形展が展示されていた。
    とりわけ、80もの人形の家ブースは、ドイツの古い人形が大好きな私共には楽しく、時間をかけてみる事が出来た。

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:特別展人形の家ブース・ミニチュア人形セット

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城内:特別展・ミニチュア人形セット2

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:特別展・ミニチュア人形セット2

  • 写真はBurg Altenaアルテナ城内:特別展・ミニチュア人形セット3

    イチオシ

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:特別展・ミニチュア人形セット3

  • ⑥城内礼拝堂・13世紀の洗礼台、<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:城内礼拝堂・聖壇<br /><br /><アルテナ城の歴史><br />1108年に、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の兄弟であったAdolf und Everhard von Bergベルク家のアドルフとエベルハルト兄弟がザワーラントの西部Maerkischerメルキッシャーに支配地を得て、アルテナ城を築いた。<br />ベルク家がHammハムに居城を移すまで、この地に居住した。<br />

    ⑥城内礼拝堂・13世紀の洗礼台、

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:城内礼拝堂・聖壇

    <アルテナ城の歴史>
    1108年に、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の兄弟であったAdolf und Everhard von Bergベルク家のアドルフとエベルハルト兄弟がザワーラントの西部Maerkischerメルキッシャーに支配地を得て、アルテナ城を築いた。
    ベルク家がHammハムに居城を移すまで、この地に居住した。

  • ⑦城主の生活の場・寝室・食事、<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:城主の住居内・寝室

    ⑦城主の生活の場・寝室・食事、

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:城主の住居内・寝室

  • ⑧狩猟の間、<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の狩猟の間

    ⑧狩猟の間、

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の狩猟の間

  • ⑨甲冑の間、<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の甲冑の間

    ⑨甲冑の間、

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の甲冑の間

  • その他に⑩宝物館、⑪火薬塔の展示、⑫手工業の間、⑬ザワーラントの産業人、<br />といった展示を見た。<br /><br />中世から郷土の産業までを含めた博物館なので、展示は多岐にわたり、個々の価値はともかくとして面白かった。<br /><br />さて、アルテナ城見学を終えて、次の目的地にと城外に出ようとして、リュックサックを預けてきた事を思い出した。<br />慌てて戻って取り戻した。危ない危ない!<br /><br />写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の甲冑の間

    その他に⑩宝物館、⑪火薬塔の展示、⑫手工業の間、⑬ザワーラントの産業人、
    といった展示を見た。

    中世から郷土の産業までを含めた博物館なので、展示は多岐にわたり、個々の価値はともかくとして面白かった。

    さて、アルテナ城見学を終えて、次の目的地にと城外に出ようとして、リュックサックを預けてきた事を思い出した。
    慌てて戻って取り戻した。危ない危ない!

    写真はBurg Altenaアルテナ城内:アルテナ城の甲冑の間

  • ≪ミュンスター地方の水城群について≫<br /><br />ノルトライン・ヴェストファーレン州は大きく分けると、西部がノルトライン地方、東部がヴェストファーレン地方であるが、ヴェストファーレンに属するミュンスター地方の中心がMuensterミュンスターで、Duesseldorfデュッセルドルフから北東へ120km、Dortmundドルトムントから北へ60kmほど離れている。<br /><br />ミュンスターの町の半径70km周辺は美しい緑豊かな平野が広がり、この一帯をミュンスターラントと呼んでいる。<br />概略、その南はライン川の支流Lippeリッペ川(全長 220 km)が流れ、北はドイツ北西部のオランダとの国境付近を流れる川であるEmsエムス川(全長371km)一帯のエムスラント、東は遠い昔の紀元9年、ローマ軍団とドイツ人の祖ゲルマンの部族が三日間にわたり、壮絶な戦いをした場所で、ローマ軍団がゲルマンの英雄ヘルマンに殲滅された“Teutoburger Waldトイトブルクの森”がある。<br />西にはオランダとの国境の地域で、水濠に囲まれた典型的な水城が点在している事が知られている。<br /><br />起伏のない平地が広がるこの田園地帯に、壕をめぐらす古城が無数に点在し、ミュンスターの観光協会から157の水城が観光用に選定されている。それらはSchlossシュロス(ここでは宮殿風な城)、Burgブルク(城砦)、あるいはHausハウス(城館)といった名前で登場し、大小様々な水城を見る事が出来る。<br /><br />中世、この地に水城が発達した理由は、ミュンスターラントが全くの平地で、ライン川の両岸のように城砦を作るのにふさわしい自然的地形に恵まれなかった為である。防衛面から2重3重の堀を作って川から水を引き、その中に城門や城が建てられた。<br />それが今日、水に映る美しい城として観光的な価値を高めているのである。<br />水城の起源は12世紀ころで、財産と領地を守ろうとする騎士領主間の絶え間のない抗争が背景にあり、防衛のために壕をめぐらす城が作られていった。<br /><br />写真はMuensterland_karteミュンスター地方の地図・・・訪れた古城群の一部を赤丸で表示した。

    ≪ミュンスター地方の水城群について≫

    ノルトライン・ヴェストファーレン州は大きく分けると、西部がノルトライン地方、東部がヴェストファーレン地方であるが、ヴェストファーレンに属するミュンスター地方の中心がMuensterミュンスターで、Duesseldorfデュッセルドルフから北東へ120km、Dortmundドルトムントから北へ60kmほど離れている。

    ミュンスターの町の半径70km周辺は美しい緑豊かな平野が広がり、この一帯をミュンスターラントと呼んでいる。
    概略、その南はライン川の支流Lippeリッペ川(全長 220 km)が流れ、北はドイツ北西部のオランダとの国境付近を流れる川であるEmsエムス川(全長371km)一帯のエムスラント、東は遠い昔の紀元9年、ローマ軍団とドイツ人の祖ゲルマンの部族が三日間にわたり、壮絶な戦いをした場所で、ローマ軍団がゲルマンの英雄ヘルマンに殲滅された“Teutoburger Waldトイトブルクの森”がある。
    西にはオランダとの国境の地域で、水濠に囲まれた典型的な水城が点在している事が知られている。

    起伏のない平地が広がるこの田園地帯に、壕をめぐらす古城が無数に点在し、ミュンスターの観光協会から157の水城が観光用に選定されている。それらはSchlossシュロス(ここでは宮殿風な城)、Burgブルク(城砦)、あるいはHausハウス(城館)といった名前で登場し、大小様々な水城を見る事が出来る。

    中世、この地に水城が発達した理由は、ミュンスターラントが全くの平地で、ライン川の両岸のように城砦を作るのにふさわしい自然的地形に恵まれなかった為である。防衛面から2重3重の堀を作って川から水を引き、その中に城門や城が建てられた。
    それが今日、水に映る美しい城として観光的な価値を高めているのである。
    水城の起源は12世紀ころで、財産と領地を守ろうとする騎士領主間の絶え間のない抗争が背景にあり、防衛のために壕をめぐらす城が作られていった。

    写真はMuensterland_karteミュンスター地方の地図・・・訪れた古城群の一部を赤丸で表示した。

  • 16世紀に入ると、鉄砲の発明によって水壕による防御は役に立たなくなり、次第により複雑堅固な設備に移り変わっていった。<br />壕に囲まれて2つの島の上に防備の固い城塞を築き、2島間を橋でつなぐという形を取ることが多くなった。手前にVorburgフォアブルク(一の丸)と称した食糧庫や別館があり、Hauptburgハウプトブルク(本丸)には城主たちの居住用建物が配置されていた。<br /><br />1600年代は争いもなくなり、特に新旧キリスト教徒の宗教戦争であった30年戦争以後は、美しい庭園に囲まれた宮殿や城館が主流となっていった。<br /><br />XXX<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:典型的な水城の俯瞰

    16世紀に入ると、鉄砲の発明によって水壕による防御は役に立たなくなり、次第により複雑堅固な設備に移り変わっていった。
    壕に囲まれて2つの島の上に防備の固い城塞を築き、2島間を橋でつなぐという形を取ることが多くなった。手前にVorburgフォアブルク(一の丸)と称した食糧庫や別館があり、Hauptburgハウプトブルク(本丸)には城主たちの居住用建物が配置されていた。

    1600年代は争いもなくなり、特に新旧キリスト教徒の宗教戦争であった30年戦争以後は、美しい庭園に囲まれた宮殿や城館が主流となっていった。

    XXX

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:典型的な水城の俯瞰

  • 次の目的地はミュンスターラント(先の地図を参照)である。<br />来た道を戻ろうとすると、一方通行の表示があって、違う坂道を下りる事になった。下の町に下りると、左か、右に走るかで迷った。<br /><br />結果的に失敗で、右に行ってみると延々と工業地帯が続き、どんどんアルテナの町から離れて行くようだった。今さら戻るのも癪で、地図を見ながらこのまま北上することにした。<br />村々をつなぐ県道が続き、Iserlohnイーザーローンに入った。この町はザワーラントの北西部に位置し、人口9万5000人の地域最大の都市である。19世紀には金属生産・加工業で栄えたそうで、今もその名残がある。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城への道

    次の目的地はミュンスターラント(先の地図を参照)である。
    来た道を戻ろうとすると、一方通行の表示があって、違う坂道を下りる事になった。下の町に下りると、左か、右に走るかで迷った。

    結果的に失敗で、右に行ってみると延々と工業地帯が続き、どんどんアルテナの町から離れて行くようだった。今さら戻るのも癪で、地図を見ながらこのまま北上することにした。
    村々をつなぐ県道が続き、Iserlohnイーザーローンに入った。この町はザワーラントの北西部に位置し、人口9万5000人の地域最大の都市である。19世紀には金属生産・加工業で栄えたそうで、今もその名残がある。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城への道

  • この町に入る時にチョンボをした。80kmぐらいで走行してきたが、町に入る標識で普段はギュッとブレーキを踏み、一気に時速50kmに落とすのだが、この時は踏み込みが甘く、70kmで表示を過ぎ、過ぎた時に何かピカッと光り、“貴方の車は時速70kmです。”と、電光掲示板に表示された。やってしまったかと思ったが、このまま旅を続けた。<br /><br />この結果はしっかり、レンタカー会社のAvis経由で、スピード違反の罰金請求(実際は罰金ではなく、違反の通知事務費であり、軽微な違反だった為、罰金はそれ以降、追徴は無かった)があった。“2013年10月18日9時47分にWI-FR 1089はスピード超過していた。”と、11月12日付けでEuro29.75(凡そ3,000円)を追徴されたのである。<br /><br />昨年はフランクフルト近郊の町、Neu-Isenburgノイ・イーゼンブルクで同じ事をしている。今年は無違反と思ったが、また気が緩んだようだ。<br />尤も9時47分という時間はアルテナ城に向かっていた時刻であり、書かれた時間は不一致なのだが・・・。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:水城の一の丸(中央)・本丸(右手)縄張り図

    この町に入る時にチョンボをした。80kmぐらいで走行してきたが、町に入る標識で普段はギュッとブレーキを踏み、一気に時速50kmに落とすのだが、この時は踏み込みが甘く、70kmで表示を過ぎ、過ぎた時に何かピカッと光り、“貴方の車は時速70kmです。”と、電光掲示板に表示された。やってしまったかと思ったが、このまま旅を続けた。

    この結果はしっかり、レンタカー会社のAvis経由で、スピード違反の罰金請求(実際は罰金ではなく、違反の通知事務費であり、軽微な違反だった為、罰金はそれ以降、追徴は無かった)があった。“2013年10月18日9時47分にWI-FR 1089はスピード超過していた。”と、11月12日付けでEuro29.75(凡そ3,000円)を追徴されたのである。

    昨年はフランクフルト近郊の町、Neu-Isenburgノイ・イーゼンブルクで同じ事をしている。今年は無違反と思ったが、また気が緩んだようだ。
    尤も9時47分という時間はアルテナ城に向かっていた時刻であり、書かれた時間は不一致なのだが・・・。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:水城の一の丸(中央)・本丸(右手)縄張り図

  • 最初の予定はノルトキルヒェン宮殿に行くつもりであったが、ヴィッシェリンク城に先行した。90kmの距離だが、途中アウトバーンを走ったので、先行の方が行き易かったのだ。<br />ヴィッシェリンク城に2時間で到着した。町中の水城は直ぐに分かった。<br /><br />車を駐車場に置いて、黄葉の道を歩いて、跳ね橋を渡り、城門をくぐる。そこには小さな水城がある。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:一の丸の城門    

    最初の予定はノルトキルヒェン宮殿に行くつもりであったが、ヴィッシェリンク城に先行した。90kmの距離だが、途中アウトバーンを走ったので、先行の方が行き易かったのだ。
    ヴィッシェリンク城に2時間で到着した。町中の水城は直ぐに分かった。

    車を駐車場に置いて、黄葉の道を歩いて、跳ね橋を渡り、城門をくぐる。そこには小さな水城がある。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:一の丸の城門    

  • 築城当時のままの姿はなかなかなもので、ヨーロッパ随一と云うだけの良さがある。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

    築城当時のままの姿はなかなかなもので、ヨーロッパ随一と云うだけの良さがある。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

  • とりあえずは空腹を満たそうとカフェに行く。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:切手

    とりあえずは空腹を満たそうとカフェに行く。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:切手

  • <お茶:ヴィッシェリンク城のCafe Reitstallカフェ・ライツシュタール><br />13:55~14:15   Euro11(1,127円)<br /><br />チーズケーキとチョコレートケーキ。コーヒーと紅茶をお願いした。<br />どんなお店でもケーキは当たりはずれが無いのが、嬉しいし、またすごい。<br /><br />写真はヴィッシェリンク城のカフェ:チーズケーキとチョコレートケーキ。コーヒーと紅茶。

    <お茶:ヴィッシェリンク城のCafe Reitstallカフェ・ライツシュタール>
    13:55~14:15 Euro11(1,127円)

    チーズケーキとチョコレートケーキ。コーヒーと紅茶をお願いした。
    どんなお店でもケーキは当たりはずれが無いのが、嬉しいし、またすごい。

    写真はヴィッシェリンク城のカフェ:チーズケーキとチョコレートケーキ。コーヒーと紅茶。

  • <Burg Vischeringヴィッシェリンク城><br />この旅9番目の城<br />13:45~14:45 入場料Euro5(512円)<br />D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1<br />http://www.burg-vischering.de/<br /><br />木造の橋を渡り、城内に入る。入場券を購入し、小母さんに聞いてみると写真撮影は禁止と言われた。<br />アルテナ城は全く問題なかったが、ここは駄目なので、がっかり。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:木橋の先に本丸入口が見える。

    <Burg Vischeringヴィッシェリンク城>
    この旅9番目の城
    13:45~14:45 入場料Euro5(512円)
    D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1
    http://www.burg-vischering.de/

    木造の橋を渡り、城内に入る。入場券を購入し、小母さんに聞いてみると写真撮影は禁止と言われた。
    アルテナ城は全く問題なかったが、ここは駄目なので、がっかり。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:木橋の先に本丸入口が見える。

  • ミュンスターの南30km、ノルトキルヒェン宮殿から北西8kmのリューディングハウゼンにあるヨーロッパ随一と云われる素晴しい水城である。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:中庭と塔を城壁から撮る。

    ミュンスターの南30km、ノルトキルヒェン宮殿から北西8kmのリューディングハウゼンにあるヨーロッパ随一と云われる素晴しい水城である。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:中庭と塔を城壁から撮る。

  • 自由見学はOKなので、その点はありがたい。<br />ただ、城内のミュンスター地方博物館はあまり見るものが無く、入場券の安い事に納得した。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:木橋の先に古城が

    自由見学はOKなので、その点はありがたい。
    ただ、城内のミュンスター地方博物館はあまり見るものが無く、入場券の安い事に納得した。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:木橋の先に古城が

  • ここではお爺さんが窯で焼いたパンを販売していた。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:一の丸内にはパン屋やビール製造所もある。

    ここではお爺さんが窯で焼いたパンを販売していた。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:一の丸内にはパン屋やビール製造所もある。

  • やはり、水城の外観が素晴しく、絵になる水城が一番のようだ。<br />城の周辺を回ったが、小さいので直ぐに一周できる。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

    イチオシ

    やはり、水城の外観が素晴しく、絵になる水城が一番のようだ。
    城の周辺を回ったが、小さいので直ぐに一周できる。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

  • 写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

  • 写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

  • 写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

  • 写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:木橋の先に古城が<br /><br />大きなドングリの実を拾いながら、ヴィシェリンク城の駐車場に戻る。<br />ノルトキルヒェン宮殿はここから近い。

    イチオシ

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城:木橋の先に古城が

    大きなドングリの実を拾いながら、ヴィシェリンク城の駐車場に戻る。
    ノルトキルヒェン宮殿はここから近い。

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