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<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅><br />ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅<br /><br />期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間<br /><br />10月16日(水);280km 、昨日と同じように曇り時々シャワー、10℃前後の一日。<br /><br />5時起床。資料整理して、朝食は8:00~8:20。朝食後旧市街を散歩。9:15にWaldeckをスタート。->L?・B253・450・A49・(Kassel)B3・(Hann. Muenden)-> B80・83 150km  Fuerstenberg ->L?・B83(Karlshafen-Helmarshausen)->L?・B83・L? 31km Trendelburg ->L? 12km Sababurg(Hofgeismar)->L?・B83・7(Calden)・(Ahntal)->L?・B251・L?(Wa-Netze)->L? 87km Waldeck・Schloss Waldeckに17:36に到着。 <br /><br />①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。<br />②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。<br />③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城<br /><br />写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯のロゴ

2013年秋のドイツ4:“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯、トレンデンブルグ城、ザバブルク城を巡る。

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2013/10/14 - 2013/10/28

92位(同エリア548件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

<2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅>
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅

期間 :2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間

10月16日(水);280km 、昨日と同じように曇り時々シャワー、10℃前後の一日。

5時起床。資料整理して、朝食は8:00~8:20。朝食後旧市街を散歩。9:15にWaldeckをスタート。->L?・B253・450・A49・(Kassel)B3・(Hann. Muenden)-> B80・83 150km  Fuerstenberg ->L?・B83(Karlshafen-Helmarshausen)->L?・B83・L? 31km Trendelburg ->L? 12km Sababurg(Hofgeismar)->L?・B83・7(Calden)・(Ahntal)->L?・B251・L?(Wa-Netze)->L? 87km Waldeck・Schloss Waldeckに17:36に到着。 

①2013年秋のドイツ1:無人となった古城ホテル ビューディンゲン城のお客は私共だけ。
②2013年秋のドイツ2:カエル戦争伝説の城を発ち、メルヘン街道を北に向かう。
③2013年秋のドイツ3:フリッツラーとヴィルドゥンゲンの木組みの家並み、山上のヴァルデック城

写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯のロゴ

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 今日も翌日もフリッツラーの周辺を走ったので、このチュッシェンの名を度々目にしたが、結局、訪ねる時間が無かった。残念!<br />(その事を覚えていたので、2019年9月の旅で1泊の予約をした)<br /><br />写真はSchloss Garvensburg古城ホテル ガルフェンスブルク城・Map

    今日も翌日もフリッツラーの周辺を走ったので、このチュッシェンの名を度々目にしたが、結局、訪ねる時間が無かった。残念!
    (その事を覚えていたので、2019年9月の旅で1泊の予約をした)

    写真はSchloss Garvensburg古城ホテル ガルフェンスブルク城・Map

  • 参考;<br />Schloss Garvensburg 古城ホテル ガルフェンスブルク城<br />D-34560 Fritzlar/Zueschen 、Obertor 13 .<br />Tel. : +49 (0) 5622-798230 、Fax : -798239<br />http://www.garvensburg.de/<br />     <br />フリッツラーの郊外、Zueschenチュッシェンにある形の良い古城ホテル。<br /><br />写真はSchloss Garvensburg古城ホテル ガルフェンスブルク城

    参考;
    Schloss Garvensburg 古城ホテル ガルフェンスブルク城
    D-34560 Fritzlar/Zueschen 、Obertor 13 .
    Tel. : +49 (0) 5622-798230 、Fax : -798239
    http://www.garvensburg.de/
        
    フリッツラーの郊外、Zueschenチュッシェンにある形の良い古城ホテル。

    写真はSchloss Garvensburg古城ホテル ガルフェンスブルク城

  • この城はかつて19世紀の初めまで、Herren von Meysenbug マイゼンブルクの騎士領主家が保有していた。<br />城の東側に見られるマイゼンブルク家の4つの紋章は1500~1600年代のものである。<br />1810年にこの家系が途絶えると、産業資本家のWilhelm Garvensヴィルヘルム・ガルフェンスが手に入れ、1894~1898年にかけて新しく改造されたものである。城の名も彼の名を付けたものだ。<br />1908年、英国風庭園を備えた狩猟館風なヴィラにした。<br />このガルフェンス家は1970年代まで、城主としてここに住んだ。<br /><br />その後、広告代理業およびコンサルティング会社が、この城を古城ホテル・レストランとして開業した。<br /><br />写真はSchloss Garvensburg古城ホテル ガルフェンスブルク城の夜景

    この城はかつて19世紀の初めまで、Herren von Meysenbug マイゼンブルクの騎士領主家が保有していた。
    城の東側に見られるマイゼンブルク家の4つの紋章は1500~1600年代のものである。
    1810年にこの家系が途絶えると、産業資本家のWilhelm Garvensヴィルヘルム・ガルフェンスが手に入れ、1894~1898年にかけて新しく改造されたものである。城の名も彼の名を付けたものだ。
    1908年、英国風庭園を備えた狩猟館風なヴィラにした。
    このガルフェンス家は1970年代まで、城主としてここに住んだ。

    その後、広告代理業およびコンサルティング会社が、この城を古城ホテル・レストランとして開業した。

    写真はSchloss Garvensburg古城ホテル ガルフェンスブルク城の夜景

  • さて、一泊した翌朝は5時と早い起床、いつものようにという事だが。ちょっと資料整理をして、朝食に出かけた。レストランにはまだ人影もない。<br /><br /><ヴァルデック城の歴史><br />この山城について歴史資料で初めて言及されたのは1120年であるが、ヴァルデック城は1178年にGrafen von Waldeckヴァルデック伯の居城として築城され、1650年までヴァルデック伯家が所有した。<br />その後は城主が交代する毎に度々改築・増築を繰り返した。ヴァルデック伯がその居城をBad Arolsenバート・アロルゼンに移した後、城は要塞となって、城塞司令官の居城となる。<br />更には1734~1868年の間、女性刑務所に使用された。<br />1906年、古城ホテルを開業。2009年に新装なった古城ホテルが再開した。<br /><br />写真はSchlos Waldeckヴァルデック城:湖上からはるか高い、湖面から425mの山上に立つ。

    さて、一泊した翌朝は5時と早い起床、いつものようにという事だが。ちょっと資料整理をして、朝食に出かけた。レストランにはまだ人影もない。

    <ヴァルデック城の歴史>
    この山城について歴史資料で初めて言及されたのは1120年であるが、ヴァルデック城は1178年にGrafen von Waldeckヴァルデック伯の居城として築城され、1650年までヴァルデック伯家が所有した。
    その後は城主が交代する毎に度々改築・増築を繰り返した。ヴァルデック伯がその居城をBad Arolsenバート・アロルゼンに移した後、城は要塞となって、城塞司令官の居城となる。
    更には1734~1868年の間、女性刑務所に使用された。
    1906年、古城ホテルを開業。2009年に新装なった古城ホテルが再開した。

    写真はSchlos Waldeckヴァルデック城:湖上からはるか高い、湖面から425mの山上に立つ。

    Hotel Schloss Waldeck ホテル

  • バート・アロルゼンに居城を移した後、1712年に皇帝カール6世により、ヴァルデック伯はFuerst von Waldeck-Pyrmontヴァルデック・ピルモント侯爵に叙任された。<br />1710~28年にかけてアロルゼンの城をヴェルサイユ風の宮殿に改築・増築した。Fuerstliches Residenzschloss Arolsenアロルゼン侯爵家の宮殿には侯爵家の子孫、ヴァルデック・ピルモント侯爵の未亡人の子供が、いまだに住んでいると云う。<br /><br />写真はBad Arolsenバート・アロルゼン:Residenzschlossレジデンツシュロス

    バート・アロルゼンに居城を移した後、1712年に皇帝カール6世により、ヴァルデック伯はFuerst von Waldeck-Pyrmontヴァルデック・ピルモント侯爵に叙任された。
    1710~28年にかけてアロルゼンの城をヴェルサイユ風の宮殿に改築・増築した。Fuerstliches Residenzschloss Arolsenアロルゼン侯爵家の宮殿には侯爵家の子孫、ヴァルデック・ピルモント侯爵の未亡人の子供が、いまだに住んでいると云う。

    写真はBad Arolsenバート・アロルゼン:Residenzschlossレジデンツシュロス

  • ≪Die Sage von der Gruendung der Burg Waldeck<br />ヴァルデック城の築城伝説≫<br /><br />何時のことだったやら、もうはっきりしない昔々のことです。<br />或る時、部下の騎士たちを引き連れて、ある伯爵がエーダー谷にやってきました。彼らは築城するに最も要害の地を探していたのでした。<br />丁度、現在のHemfurthヘムフルトの町の上手にある狭い道を騎行してくると、一人のSchaefer羊飼いに出会いました。彼は正午ごろの太陽を避けて、日陰で一休みしていたところでした。<br />伯爵達一行は彼に近づき、城を建設するのに相応しい土地は何処にあるか?と尋ねました。<br /><br />羊飼いは自分の足をあげ、その足で向こう側の山上の岩だらけの場所を差した。そして、“dort oben an der Waldeckeあの森の角にあたる岩の上だよ!”と言ったと云う。<br /><br />伯爵達一行は羊飼いの言葉に感謝し、途中、騎行するには厄介な道が続いていたが、言われた場所に向かった。<br />その場に着いて、そこから辺りを見渡してみると、広々とした視界が開け、羊飼いが最も良い場所を教えてくれたと、納得したのでした。<br />そして直ちに、その場所に城の建設を開始しました。この城の名前は羊飼いが言った言葉から、伯爵は&quot;Waldeckヴァルデック&quot;と命名したのでした。<br /><br />数年すると、このヴァルデック城はGrafen von Schwalenbergシュヴァレンベルク伯爵家の領地となり、その居城になりました。<br /><br />そして、ヴァルデック城の名前から、Graf zu Waldeckヴァルデック伯と称し、ヴァルデック家の一門が確立されて行きました。<br /><br />XXX<br />この伝説の面白い所は当時の階層意識も垣間見えることでしょう。<br />折角の一休みを邪魔された?!羊飼いのアドバイス(少々ぞんざいな感じの)をそのまま受けて、伯爵一行は前進し、その候補地の素晴しさに納得し、城を建て、しかも名前も羊飼いの言った言葉から命名するとか・・・その拘りの無いことは驚きである。<br /><br />旅の行程を走るという事は道すがらの町々の歴史を知ることでもあり、とりわけ地元に残る伝説・民話は当時の生きた人たちを知る上で欠かせない資料になる。<br />旅のやり方は人様々で、私も若い頃(30代の駐在中)は観光本にある名所旧跡を”見て”歩きましたが、観光地を訪ね、見た、食べただけだと、ちょっと物足らなくなりました。<br />背景にある歴史も後追いでも良いから、知りたいと思うようになったのです。<br />それで、定年後の旅は伝説・民話を調べて、訳して、旅に少々の濃淡を加えているのです。<br /><br />写真はSchlos Waldeckヴァルデック城:古色然とした1930年の城

    ≪Die Sage von der Gruendung der Burg Waldeck
    ヴァルデック城の築城伝説≫

    何時のことだったやら、もうはっきりしない昔々のことです。
    或る時、部下の騎士たちを引き連れて、ある伯爵がエーダー谷にやってきました。彼らは築城するに最も要害の地を探していたのでした。
    丁度、現在のHemfurthヘムフルトの町の上手にある狭い道を騎行してくると、一人のSchaefer羊飼いに出会いました。彼は正午ごろの太陽を避けて、日陰で一休みしていたところでした。
    伯爵達一行は彼に近づき、城を建設するのに相応しい土地は何処にあるか?と尋ねました。

    羊飼いは自分の足をあげ、その足で向こう側の山上の岩だらけの場所を差した。そして、“dort oben an der Waldeckeあの森の角にあたる岩の上だよ!”と言ったと云う。

    伯爵達一行は羊飼いの言葉に感謝し、途中、騎行するには厄介な道が続いていたが、言われた場所に向かった。
    その場に着いて、そこから辺りを見渡してみると、広々とした視界が開け、羊飼いが最も良い場所を教えてくれたと、納得したのでした。
    そして直ちに、その場所に城の建設を開始しました。この城の名前は羊飼いが言った言葉から、伯爵は"Waldeckヴァルデック"と命名したのでした。

    数年すると、このヴァルデック城はGrafen von Schwalenbergシュヴァレンベルク伯爵家の領地となり、その居城になりました。

    そして、ヴァルデック城の名前から、Graf zu Waldeckヴァルデック伯と称し、ヴァルデック家の一門が確立されて行きました。

    XXX
    この伝説の面白い所は当時の階層意識も垣間見えることでしょう。
    折角の一休みを邪魔された?!羊飼いのアドバイス(少々ぞんざいな感じの)をそのまま受けて、伯爵一行は前進し、その候補地の素晴しさに納得し、城を建て、しかも名前も羊飼いの言った言葉から命名するとか・・・その拘りの無いことは驚きである。

    旅の行程を走るという事は道すがらの町々の歴史を知ることでもあり、とりわけ地元に残る伝説・民話は当時の生きた人たちを知る上で欠かせない資料になる。
    旅のやり方は人様々で、私も若い頃(30代の駐在中)は観光本にある名所旧跡を”見て”歩きましたが、観光地を訪ね、見た、食べただけだと、ちょっと物足らなくなりました。
    背景にある歴史も後追いでも良いから、知りたいと思うようになったのです。
    それで、定年後の旅は伝説・民話を調べて、訳して、旅に少々の濃淡を加えているのです。

    写真はSchlos Waldeckヴァルデック城:古色然とした1930年の城

  • *朝食(8:00~8:20)後、ホテル周辺を散策し、写真も撮る。<br /><br />今日はWeserberglandヴェーザーベルクラントを走る。ヴェーザーベルクラントはドイツの中央部の北にあたり、なだらかな丘陵地帯である。<br />古くからWeserヴェーザー川に沿って発展した地域で、アルプス以北でルネサンスの建築物が多くみられる地域はここを置いてないと云われる。この地域で見られるよう様式を*ヴェーザー・ルネサンス様式と称している。<br /><br />写真は朝食・喫茶用のCafe &amp; Restaurant Altaneアルターネで

    *朝食(8:00~8:20)後、ホテル周辺を散策し、写真も撮る。

    今日はWeserberglandヴェーザーベルクラントを走る。ヴェーザーベルクラントはドイツの中央部の北にあたり、なだらかな丘陵地帯である。
    古くからWeserヴェーザー川に沿って発展した地域で、アルプス以北でルネサンスの建築物が多くみられる地域はここを置いてないと云われる。この地域で見られるよう様式を*ヴェーザー・ルネサンス様式と称している。

    写真は朝食・喫茶用のCafe & Restaurant Altaneアルターネで

  • 【*ヴェーザー・ルネサンス様式】<br />イタリヤ・ルネサンスから派生した一つのバリエーションで、北ドイツ特有の愛らしい建築様式。この独特のスタイルはハーメルンとその近郊に見られるが、切妻屋根部分にダイヤモンド風に仕上げた石の飾り、渦巻き模様、マスクや厄除けの獣面、紋章、文字の刻印などの豪華な装飾が施されているのが、特徴である。<br />また、張り出し部分の木彫りの装飾(キリスト、使徒、古代天体の神々など)も華やかで、建物全体をいろどる色彩は大変美しい。<br /><br />写真は古城ホテルの玄関回り<br /><br />家内は蔦が城壁に這って、まっ赤に紅葉した葉っぱを押し花にすると、拾い集めていた。<br />

    【*ヴェーザー・ルネサンス様式】
    イタリヤ・ルネサンスから派生した一つのバリエーションで、北ドイツ特有の愛らしい建築様式。この独特のスタイルはハーメルンとその近郊に見られるが、切妻屋根部分にダイヤモンド風に仕上げた石の飾り、渦巻き模様、マスクや厄除けの獣面、紋章、文字の刻印などの豪華な装飾が施されているのが、特徴である。
    また、張り出し部分の木彫りの装飾(キリスト、使徒、古代天体の神々など)も華やかで、建物全体をいろどる色彩は大変美しい。

    写真は古城ホテルの玄関回り

    家内は蔦が城壁に這って、まっ赤に紅葉した葉っぱを押し花にすると、拾い集めていた。

  • 9:15、まずカッセルに向かう。バート・ヴィルドゥンゲン経由、フリッツラーに向かう。<br />B253・450と順に走り、A49でカッセルに至り、市内の渋滞を何とか通り抜け、ハン・ミュンデンから、B80・83とヴェーザー川沿いの道Wersertal-strasseヴェーザー渓谷通りと称しているが、これを北上して行く。<br /><br />写真はヴェーザー川流域一帯の地図

    9:15、まずカッセルに向かう。バート・ヴィルドゥンゲン経由、フリッツラーに向かう。
    B253・450と順に走り、A49でカッセルに至り、市内の渋滞を何とか通り抜け、ハン・ミュンデンから、B80・83とヴェーザー川沿いの道Wersertal-strasseヴェーザー渓谷通りと称しているが、これを北上して行く。

    写真はヴェーザー川流域一帯の地図

  • 意外に国道を走る車の数は少ないので気軽になり、流域の黄葉を愛でながらの走行になった。<br /><br />Hoexterへクスターの町で*ヴェーザー川の向こう側に渡り、Schloss Fuerstenbergフュルステンベルグ城のある高台に12:09に到着。<br />休みなしで150km走った事になる。<br />本日も工事中の場所も多く、う回路経由となったので、往復とも苦労した。<br /><br />写真はFuerstenberg_weser_schlossフュルステンベルグ城(ヴェーザー)

    意外に国道を走る車の数は少ないので気軽になり、流域の黄葉を愛でながらの走行になった。

    Hoexterへクスターの町で*ヴェーザー川の向こう側に渡り、Schloss Fuerstenbergフュルステンベルグ城のある高台に12:09に到着。
    休みなしで150km走った事になる。
    本日も工事中の場所も多く、う回路経由となったので、往復とも苦労した。

    写真はFuerstenberg_weser_schlossフュルステンベルグ城(ヴェーザー)

  • 写真はフュルステンベルグ城(Merian作画)とWeserヴェーザー川<br /><br />*Weserヴェーザー川:<br />中部ドイツのThueringer Waldテューリンガーの森に源を発し、ドイツ的な楽しい観光街道・メルヘン街道沿いのハン・ミュンデンやハーメルンを経由し、ブレーメンに至り、50km先のブレーマーハーフェンで北海に流れ込みます。<br />ドイツでは有名なライン、ドナウ、エルベ川の3大河川と共に重要な河川であり、昔からハンザ商人が船による輸送=通商路としてきた河川の一つです。<br />全長440km。<br />(支流あるいは源流の一つWerraヴェラ川を含むと744km)<br />

    写真はフュルステンベルグ城(Merian作画)とWeserヴェーザー川

    *Weserヴェーザー川:
    中部ドイツのThueringer Waldテューリンガーの森に源を発し、ドイツ的な楽しい観光街道・メルヘン街道沿いのハン・ミュンデンやハーメルンを経由し、ブレーメンに至り、50km先のブレーマーハーフェンで北海に流れ込みます。
    ドイツでは有名なライン、ドナウ、エルベ川の3大河川と共に重要な河川であり、昔からハンザ商人が船による輸送=通商路としてきた河川の一つです。
    全長440km。
    (支流あるいは源流の一つWerraヴェラ川を含むと744km)

  • ヴェーザー川の右手高台にあるルネッサンス様式のフュルステンベルグ城は元々、13世紀に築城された狩猟用の城館でしたが、きれいに修復されて、現在は陶磁器博物館となっている。(10~17時)<br /><br />写真は18世紀のフュルステンベルグ城

    ヴェーザー川の右手高台にあるルネッサンス様式のフュルステンベルグ城は元々、13世紀に築城された狩猟用の城館でしたが、きれいに修復されて、現在は陶磁器博物館となっている。(10~17時)

    写真は18世紀のフュルステンベルグ城

  • <Schloss Fuerstenbergフュルステンベルグ城> <br />この旅4番目の城  12:09~13:45<br />D-37699 Fuerstenberg / Weser  、Meinbrexener Strasse 2<br /><br />Hoexterへクスターの傍を流れるヴェーザー川の対岸の山上に、この城館が立っている。2005年の春に一度訪れた事がある。<br /><br />“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯は1747年、ブラウンシュヴァイクのカール1世公爵によって設立されました。以来、ヨーロッパ最古の磁器工房の一つ(マイセン窯に次ぐ)として、数々の美しい磁器製品を生み出してきました。250余年の長い歴史と伝統を、裏印の品質の証であるブルーの「F」のマークとともに今に伝えるだけでなく、時代の変化の中で、常に新しい製品を生み出し続けています。<br /><br />写真はフュルステンベルグ城の城門が背後に見える。

    <Schloss Fuerstenbergフュルステンベルグ城> 
    この旅4番目の城  12:09~13:45
    D-37699 Fuerstenberg / Weser  、Meinbrexener Strasse 2

    Hoexterへクスターの傍を流れるヴェーザー川の対岸の山上に、この城館が立っている。2005年の春に一度訪れた事がある。

    “F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ窯は1747年、ブラウンシュヴァイクのカール1世公爵によって設立されました。以来、ヨーロッパ最古の磁器工房の一つ(マイセン窯に次ぐ)として、数々の美しい磁器製品を生み出してきました。250余年の長い歴史と伝統を、裏印の品質の証であるブルーの「F」のマークとともに今に伝えるだけでなく、時代の変化の中で、常に新しい製品を生み出し続けています。

    写真はフュルステンベルグ城の城門が背後に見える。

  • 18世紀後半、ドイツでの磁器窯隆盛の時代、「ドイツの七名窯」に挙げられた、歴史ある由緒ある名窯は《 第一にはヨーロッパの磁器の先駆けとなったMeissenマイセンであり、Hoechstヘキスト・Fuerstenbergフュルステンベルク・KPM Berlinベルリン・Nymphenburgニュンフェンブルグ・FrankenthalフランケンタールそしてLudwigsburgルードヴィクスブルグの7つ 》と数えられる。<br /><br />写真はフュルステンベルグ城の城門にあるロゴ・・・“F”に王冠の商標で知られるPorzellanmanufaktur_Fuerstenbergフュルステンベルグ製陶工場

    18世紀後半、ドイツでの磁器窯隆盛の時代、「ドイツの七名窯」に挙げられた、歴史ある由緒ある名窯は《 第一にはヨーロッパの磁器の先駆けとなったMeissenマイセンであり、Hoechstヘキスト・Fuerstenbergフュルステンベルク・KPM Berlinベルリン・Nymphenburgニュンフェンブルグ・FrankenthalフランケンタールそしてLudwigsburgルードヴィクスブルグの7つ 》と数えられる。

    写真はフュルステンベルグ城の城門にあるロゴ・・・“F”に王冠の商標で知られるPorzellanmanufaktur_Fuerstenbergフュルステンベルグ製陶工場

  • 2005年に博物館を見ている。陶磁器の歴史、製造工程を映像により説明し、フュルステンベルグの陶磁器を年代順に展示しているなど、興味もあって、たいへん面白かった。<br /><br />写真はMuseum_Fuerstenbergフュルステンベルグ城博物館

    2005年に博物館を見ている。陶磁器の歴史、製造工程を映像により説明し、フュルステンベルグの陶磁器を年代順に展示しているなど、興味もあって、たいへん面白かった。

    写真はMuseum_Fuerstenbergフュルステンベルグ城博物館

  • 写真はSchloss Fuerstenbergフュルステンベルグ城の構内:俯瞰

    写真はSchloss Fuerstenbergフュルステンベルグ城の構内:俯瞰

  • <昼食:Schloss Caf?・・Lottineシュロスカフェ・ロティーネ>  <br />12:00~13:00<br /><br />Schloss Fuerstenbergフュルステンベルグ城の中庭の一角にレストランとカフェがある。<br />センスが良いレストラン内に入ると、あちこちにフュルステンベルグの陶磁器が飾られている。  <br /><br />写真はフュルステンベルグ城・シュロスカフェ・ロティーネにて:カボチャのスープ

    <昼食:Schloss Caf?・・Lottineシュロスカフェ・ロティーネ>  
    12:00~13:00

    Schloss Fuerstenbergフュルステンベルグ城の中庭の一角にレストランとカフェがある。
    センスが良いレストラン内に入ると、あちこちにフュルステンベルグの陶磁器が飾られている。  

    写真はフュルステンベルグ城・シュロスカフェ・ロティーネにて:カボチャのスープ

  • 2005年の春にこのレストランで食べて美味しかった「お百姓さんの朝食」、ジャガイモのレープクーヘンを思い出して、聞いてみると、今はやっていないと云う。<br /><br />そんなわけで、結局。注文したのは以下のようなものになりました。<br />“カボチャのスープX2、*Flammkuchenフラムクーヘン(ベーコン・玉葱入り)、リンゴジュースX2” 簡単だが美味しい。<br />Euro22(2,255円)<br /><br />写真はフュルステンベルグ城・シュロスカフェ・ロティーネにて:フラムクーヘン

    2005年の春にこのレストランで食べて美味しかった「お百姓さんの朝食」、ジャガイモのレープクーヘンを思い出して、聞いてみると、今はやっていないと云う。

    そんなわけで、結局。注文したのは以下のようなものになりました。
    “カボチャのスープX2、*Flammkuchenフラムクーヘン(ベーコン・玉葱入り)、リンゴジュースX2” 簡単だが美味しい。
    Euro22(2,255円)

    写真はフュルステンベルグ城・シュロスカフェ・ロティーネにて:フラムクーヘン

  • *Flammkuchenはフランス・アルザスでは Flammekueche というそうです。<br />アルザスで食べた事がなかったが、今度、彼の地に行ったらぜひ食べてみたいものだ。<br />基本はロールパン生地に玉葱、ベーコンをのせてオーブンで焼きますが、様々なレシピがあるようだ。クーヘンと称しているが、甘いものではない。<br />小腹が空いた時とか、ビールのつまみ的な意味で食べる。ピザに似た食感です。<br /><br />写真はフュルステンベルグ城・シュロスカフェ・ロティーネにて:こんな飾りも

    イチオシ

    *Flammkuchenはフランス・アルザスでは Flammekueche というそうです。
    アルザスで食べた事がなかったが、今度、彼の地に行ったらぜひ食べてみたいものだ。
    基本はロールパン生地に玉葱、ベーコンをのせてオーブンで焼きますが、様々なレシピがあるようだ。クーヘンと称しているが、甘いものではない。
    小腹が空いた時とか、ビールのつまみ的な意味で食べる。ピザに似た食感です。

    写真はフュルステンベルグ城・シュロスカフェ・ロティーネにて:こんな飾りも

  • 今回は昼食後、城館の外を出て、左手に100mほど行った所にある販売所を訪れた。<br />もうクリスマスの製品が並び、特別セールの食器を若い新婚さん等が一式購入していた。<br /><br />2005年には小さな花瓶(Euro70)を購入したいる。<br />今年も荷物にならないような小さな、軽いお土産を購入した。<br />蝋燭の炎でくるくる回る金物細工品1、星や鹿がデザインされた蝋燭立12、クリスタルガラスの蝋燭立1、Fingerhut指抜き1個など:Euro79.3(8,128円)<br /><br />写真は“F”に王冠の商標で知られる陶磁器工房・フュルステンベルグの販売所

    今回は昼食後、城館の外を出て、左手に100mほど行った所にある販売所を訪れた。
    もうクリスマスの製品が並び、特別セールの食器を若い新婚さん等が一式購入していた。

    2005年には小さな花瓶(Euro70)を購入したいる。
    今年も荷物にならないような小さな、軽いお土産を購入した。
    蝋燭の炎でくるくる回る金物細工品1、星や鹿がデザインされた蝋燭立12、クリスタルガラスの蝋燭立1、Fingerhut指抜き1個など:Euro79.3(8,128円)

    写真は“F”に王冠の商標で知られる陶磁器工房・フュルステンベルグの販売所

  • 写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器博物館の作品

    写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器博物館の作品

  • 写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器博物館の作品

    写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器博物館の作品

  • 写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器博物館の作品

    写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器博物館の作品

  • 写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器博物館の作品:<br /><br />Portraets von Carl I. und seiner Gemahlin Philippine Charlotte<br />フュルステンベルグ窯を創始したカール1世 (ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公)と、<br />公妃フィリッピーネ・シャルロッテ・フォン・プロイセンの肖像画<br />が描かれている。二人は13子に恵まれた。

    写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器博物館の作品:

    Portraets von Carl I. und seiner Gemahlin Philippine Charlotte
    フュルステンベルグ窯を創始したカール1世 (ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公)と、
    公妃フィリッピーネ・シャルロッテ・フォン・プロイセンの肖像画
    が描かれている。二人は13子に恵まれた。

  • 写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器の販売所<br /><br />先に進んだバート・カールスハーフェンで、B80(ハン・ミュンデン方面)とB83(トレンデンブルグ城・ザバブルグ城方面)に分れる。<br />ここで迷ったが、木組みの家並みより、今回はB83のメルヘン街道の古城ホテルを選んだ。ラインハルトの森を通る道だが、ここには何度も来ている。<br /><br />森を抜けると、急に明るくなり、前方の丘陵地帯に茶色の高い塔が見えてくる。<br />グリム童話に名高い“ラプンツェルの塔”だ。<br />フュルステンベルグ城から31kmでトレンデンブルグ城に到着。<br />

    写真は“F”に王冠の商標で知られるフュルステンベルグ陶磁器の販売所

    先に進んだバート・カールスハーフェンで、B80(ハン・ミュンデン方面)とB83(トレンデンブルグ城・ザバブルグ城方面)に分れる。
    ここで迷ったが、木組みの家並みより、今回はB83のメルヘン街道の古城ホテルを選んだ。ラインハルトの森を通る道だが、ここには何度も来ている。

    森を抜けると、急に明るくなり、前方の丘陵地帯に茶色の高い塔が見えてくる。
    グリム童話に名高い“ラプンツェルの塔”だ。
    フュルステンベルグ城から31kmでトレンデンブルグ城に到着。

  • <Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデンブルグ城><br />この旅5番目の城 14:25~14:45<br />D-34388 Trendelburg 、 Steinweg.1<br /><br />4星・全22室。この城は1303年コンラッド3世伯爵が建てたのが始まりと云われている。大火災や戦乱に巻き込まれ、城は2度も炎上したものの、その都度修復され、その後も幾多の変遷をへて、1948年この城主の末裔によって、6室のみのホテルが開業された。<br />今は中世の雰囲気をもつ古城ホテルとして、メルヘン街道の目玉になっていて、世界中からやって来る観光客の人気も高い。<br /><br />写真はHotel Burg Trendelburg古城ホテル トレンデンブルグ城(2005年):ラインハルトの森にある古城ホテル

    <Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデンブルグ城>
    この旅5番目の城 14:25~14:45
    D-34388 Trendelburg 、 Steinweg.1

    4星・全22室。この城は1303年コンラッド3世伯爵が建てたのが始まりと云われている。大火災や戦乱に巻き込まれ、城は2度も炎上したものの、その都度修復され、その後も幾多の変遷をへて、1948年この城主の末裔によって、6室のみのホテルが開業された。
    今は中世の雰囲気をもつ古城ホテルとして、メルヘン街道の目玉になっていて、世界中からやって来る観光客の人気も高い。

    写真はHotel Burg Trendelburg古城ホテル トレンデンブルグ城(2005年):ラインハルトの森にある古城ホテル

    Hotel Burg Trendelburg ホテル

  • 写真は2005.4.21.~5.5.北ドイツ周遊:4.28古城ホテル・トレンデンブルグ・・・8年前に1泊した古城ホテルBurggeistお城の幽霊がおやすみなさいと御挨拶(右上)。

    写真は2005.4.21.~5.5.北ドイツ周遊:4.28古城ホテル・トレンデンブルグ・・・8年前に1泊した古城ホテルBurggeistお城の幽霊がおやすみなさいと御挨拶(右上)。

  • カスターニアン(とちの木)の大木、見張り塔が目に入ってくる。<br />城内に入ると、歴史の重みを感じさせる武具、アンチーックな家具、調度が見事である。 <br /><br />写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:前景

    カスターニアン(とちの木)の大木、見張り塔が目に入ってくる。
    城内に入ると、歴史の重みを感じさせる武具、アンチーックな家具、調度が見事である。 

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:前景

  • 今日はメルヘン街道を走ると云う事で、こちらを再訪問した。<br />古城前の駐車場に車をおき、橋を渡る。左手にラプンツェルの塔が立ち、ラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。<br /><br />写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:これがあの“ラプンツェルの塔” 

    イチオシ

    今日はメルヘン街道を走ると云う事で、こちらを再訪問した。
    古城前の駐車場に車をおき、橋を渡る。左手にラプンツェルの塔が立ち、ラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:これがあの“ラプンツェルの塔” 

  • 写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:“ラプンツェルの塔” にラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。以前はここまでやっていなかった記憶だが、ディズニー映画の影響もあるのだろう。

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:“ラプンツェルの塔” にラプンツェルの長い髪を模したロープが下がっていた。以前はここまでやっていなかった記憶だが、ディズニー映画の影響もあるのだろう。

  • <グリム童話・“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)><br />あるところに夫婦がいた。長年子供がなかった2人だが、ある時やっと子供を授かる。妊娠した妻は隣に住むゴーテルという魔女の庭のラプンツェル(妊婦が食べるのによいとされる野菜)を食べたくてたまらなくなる。食が細ってやつれた妻に「ラプンツェルが食べられなければ死んでしまう。」と懇願された夫は、妻と生まれる子のために魔女の敷地に忍び込むとラプンツェルを摘み取りにかかるが、魔女に見つかってしまう。<br />しかし夫から事情を聞いた魔女は、好きなだけラプンツェルを摘んでもいいが、子供が生まれたら自分に渡せと言う。<br /><br />やがて妻が生んだ女の子は、即座に魔女に連れて行かれる。ラプンツェルと名付けられた娘は、森の中に築かれた入り口のない高い塔に閉じ込められる。魔女はラプンツェルの見事な長い金髪をはしご代わりに、窓から出入りしていた。 <br />そんなある日、森の中を歩いていた王子が美しい歌声に引かれ、塔の中に閉じこめられたラプンツェルを発見し、魔女と同じ方法を使って塔に登る。魔女に隠れて夜ごと王子を部屋に招き入れて愛し合い、ラプンツェルは妊娠する。<br />その事実を知って、激怒した魔女はラプンツェルの髪を切り落とし、荒野へと放逐してしまう。 一方、何も知らずラプンツェルを訪ねてきた王子は、待ち受けていた魔女から罵られる中で全ての顛末を知って絶望し、塔から身を投げて失明する。<br />7年後、盲目のまま森をさまよっていた王子は、男女の双子と暮らしているラプンツェルとめぐり会う。うれし泣きするラプンツェルの涙が王子の目に落ち、王子は視力を回復する。王子はラプンツェルと子供たちを伴って国に帰り、皆で幸せに暮らしたそうだ。(Wik)<br /><br />写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:Rapunzelラプンツエルの切手(DDR)

    <グリム童話・“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)>
    あるところに夫婦がいた。長年子供がなかった2人だが、ある時やっと子供を授かる。妊娠した妻は隣に住むゴーテルという魔女の庭のラプンツェル(妊婦が食べるのによいとされる野菜)を食べたくてたまらなくなる。食が細ってやつれた妻に「ラプンツェルが食べられなければ死んでしまう。」と懇願された夫は、妻と生まれる子のために魔女の敷地に忍び込むとラプンツェルを摘み取りにかかるが、魔女に見つかってしまう。
    しかし夫から事情を聞いた魔女は、好きなだけラプンツェルを摘んでもいいが、子供が生まれたら自分に渡せと言う。

    やがて妻が生んだ女の子は、即座に魔女に連れて行かれる。ラプンツェルと名付けられた娘は、森の中に築かれた入り口のない高い塔に閉じ込められる。魔女はラプンツェルの見事な長い金髪をはしご代わりに、窓から出入りしていた。
    そんなある日、森の中を歩いていた王子が美しい歌声に引かれ、塔の中に閉じこめられたラプンツェルを発見し、魔女と同じ方法を使って塔に登る。魔女に隠れて夜ごと王子を部屋に招き入れて愛し合い、ラプンツェルは妊娠する。
    その事実を知って、激怒した魔女はラプンツェルの髪を切り落とし、荒野へと放逐してしまう。 一方、何も知らずラプンツェルを訪ねてきた王子は、待ち受けていた魔女から罵られる中で全ての顛末を知って絶望し、塔から身を投げて失明する。
    7年後、盲目のまま森をさまよっていた王子は、男女の双子と暮らしているラプンツェルとめぐり会う。うれし泣きするラプンツェルの涙が王子の目に落ち、王子は視力を回復する。王子はラプンツェルと子供たちを伴って国に帰り、皆で幸せに暮らしたそうだ。(Wik)

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:Rapunzelラプンツエルの切手(DDR)

  • 1977年5月のPfingstenフィングステン(聖霊降臨祭)の4日間の休みを利用した家族旅行(メルヘン街道)、1982年7月の日曜日に一日で700kmのドライブ旅行(カッセルからハーメルンまでのメルヘン街道)と二度、この古城ホテルを訪れているが、二度ともテラスレストランで、ティータイムを取っただけで、泊まりませんでしたが、漸く2005年の旅で1泊することができた。2013年は訪問のみだ。<br /><br />写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:城内の中庭の佇まい

    1977年5月のPfingstenフィングステン(聖霊降臨祭)の4日間の休みを利用した家族旅行(メルヘン街道)、1982年7月の日曜日に一日で700kmのドライブ旅行(カッセルからハーメルンまでのメルヘン街道)と二度、この古城ホテルを訪れているが、二度ともテラスレストランで、ティータイムを取っただけで、泊まりませんでしたが、漸く2005年の旅で1泊することができた。2013年は訪問のみだ。

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:城内の中庭の佇まい

  • 狭い城門をくぐり、中庭に入ると、秋真っ盛りの古城だった。やはり趣き良いもので、しばし散策をする。<br /><br />写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:城内の中庭の佇まい

    狭い城門をくぐり、中庭に入ると、秋真っ盛りの古城だった。やはり趣き良いもので、しばし散策をする。

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:城内の中庭の佇まい

  • 写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:古城の秋・城内と塔・・・ただ、一度も“ラプンツェルの塔” には登っていない。

    イチオシ

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:古城の秋・城内と塔・・・ただ、一度も“ラプンツェルの塔” には登っていない。

  • 塔には登る元気は無いので、古城ホテル トレンデンブルグ城の内部を見せてもらう。<br /><br />写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:城内談話室

    塔には登る元気は無いので、古城ホテル トレンデンブルグ城の内部を見せてもらう。

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:城内談話室

  • 近年に改装した様子で、Burgrestaurantブルクレストランもきれいになっていた。秋になると、鹿、猪、キジ、茸など、ラインハルトの森の恵みを受け、ホテル自慢の料理を提供するそうである。<br /><br />写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:メインレストラン

    近年に改装した様子で、Burgrestaurantブルクレストランもきれいになっていた。秋になると、鹿、猪、キジ、茸など、ラインハルトの森の恵みを受け、ホテル自慢の料理を提供するそうである。

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:メインレストラン

  • 親切な奥さんが私共の写真をかつての古城の絵や甲冑の前で撮ってくれた。<br />また、来てみたいなと、ツィ思ってしまう。(2019年の旅で再訪だ)<br /><br />写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:古城の絵の前で

    親切な奥さんが私共の写真をかつての古城の絵や甲冑の前で撮ってくれた。
    また、来てみたいなと、ツィ思ってしまう。(2019年の旅で再訪だ)

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:古城の絵の前で

  • 写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:甲冑と一緒に撮って頂いた

    イチオシ

    写真は古城ホテル トレンデンブルグ城:甲冑と一緒に撮って頂いた

  • トレンデンブルグ城から田舎道を12km走ると、森の中のザバブルグ城に至る。<br />巨人族・ザバの木像が門番の如く、悲しげな顔を向けて道端に立っている。<br /><br />写真はReinhardswaldラインハルトの森の中にあるSababurgザバブルグ城の絵

    トレンデンブルグ城から田舎道を12km走ると、森の中のザバブルグ城に至る。
    巨人族・ザバの木像が門番の如く、悲しげな顔を向けて道端に立っている。

    写真はReinhardswaldラインハルトの森の中にあるSababurgザバブルグ城の絵

  • <グリム童話・Dornroeschenschloss いばら姫(眠れる森の美女)><br />あるところに子どもを欲しがっている国王夫妻がいた。ようやく女の子を授かり、祝宴に一人を除き国中の12人の魔法使いが呼ばれた(13は不吉な数字であったためと見られる、またメインディッシュのため賓客に供する金の皿が12枚しかなかった為とも)。<br />魔法使いは一人ずつ、魔法を用いた贈り物をする。宴の途中に、一人だけ呼ばれなかった13人目の魔法使いが現れ、11人目の魔法使いが贈り物をした直後に“王女は紡錘が刺さって死ぬ”という呪いをかける。まだ魔法をかけていなかった12人目の魔法使いが、これを修正し「王女は紡錘が刺さり百年間眠りにつく」という呪いに変える。呪いを取り消さなかったのは修正以外不可能だったためである。<br /><br />写真はメルヘン街道:いばら姫の童話

    <グリム童話・Dornroeschenschloss いばら姫(眠れる森の美女)>
    あるところに子どもを欲しがっている国王夫妻がいた。ようやく女の子を授かり、祝宴に一人を除き国中の12人の魔法使いが呼ばれた(13は不吉な数字であったためと見られる、またメインディッシュのため賓客に供する金の皿が12枚しかなかった為とも)。
    魔法使いは一人ずつ、魔法を用いた贈り物をする。宴の途中に、一人だけ呼ばれなかった13人目の魔法使いが現れ、11人目の魔法使いが贈り物をした直後に“王女は紡錘が刺さって死ぬ”という呪いをかける。まだ魔法をかけていなかった12人目の魔法使いが、これを修正し「王女は紡錘が刺さり百年間眠りにつく」という呪いに変える。呪いを取り消さなかったのは修正以外不可能だったためである。

    写真はメルヘン街道:いばら姫の童話

  • 王女を心配した王は、国中の紡ぎ車を燃やさせてしまう。王女は順調に育っていくが、15歳の時に一人で城の中を歩いていて、城の塔の一番上で老婆が紡いでいた紡錘で手を刺し、眠りに落ちる。呪いは城中に波及し、そのうちに茨が繁茂して誰も入れなくなった。<br />侵入を試みた者もいたが、鉄条網のように絡み合った茨に阻まれ、入ったはいいが突破出来ずに皆落命した。<br /><br />100年後、近くの国の王子が噂を聞きつけ、城を訪れる。王女は目を覚まし、2人はその日のうちに結婚、幸せな生活を送った。(Wik)<br /><br />写真はドイツの童話切手シリーズ:いばら姫

    王女を心配した王は、国中の紡ぎ車を燃やさせてしまう。王女は順調に育っていくが、15歳の時に一人で城の中を歩いていて、城の塔の一番上で老婆が紡いでいた紡錘で手を刺し、眠りに落ちる。呪いは城中に波及し、そのうちに茨が繁茂して誰も入れなくなった。
    侵入を試みた者もいたが、鉄条網のように絡み合った茨に阻まれ、入ったはいいが突破出来ずに皆落命した。

    100年後、近くの国の王子が噂を聞きつけ、城を訪れる。王女は目を覚まし、2人はその日のうちに結婚、幸せな生活を送った。(Wik)

    写真はドイツの童話切手シリーズ:いばら姫

  • 【伝説:ザバの木像・巨人族の三姉妹】<br />昔、Reinhards-Waldラインハルトの森に古代ゲルマンの巨人族が住んでいて、巨人族の長はクルコと云い、ブラマ、ザバ、トレンドゥラの3人の娘がTrendelburgトレンデンブルグ城に住んでいました。<br />クルコが亡くなってから、ブラマ、ザバの二人はキリスト教に改宗したのですが、トレンドゥラは改宗しませんでした。<br /><br />古代ゲルマン神を信じるトレンドゥラが頑ななため、ブラマは泣き悲しむあまり失明し、二人は城を出て、ブラマは*Bramburgブランブルグ城を、ザバはSababurgザバブルグ城を建てて移り住みました。仲良しの二人を嫉んでか? 宗教上の争いか?!ある時、トレンドゥラが待伏せしてザバを殺してしまいます。<br />その後、トレンドゥラは城に篭って、姿をみせなくなりました。<br /><br />ある日、7日7晩の豪雨が降り続き、キリスト教に帰依していた村人は異教徒のトレンドゥラに対する神の怒りだと考え、トレンドゥラを生贄にしようと、森に連れて行きました。天から稲妻が光り、雷が彼女を貫き、大きな穴を開け、豪雨はたちまち止みました。<br />大きな穴はWolkenbruchヴォルケンブルッフ(突然の豪雨の意)と呼ばれ、今もトレンデンブルグの村外れに残っています。 <br />(この伝説はグリム童話の陰に隠れてしまい、私も初めて知りましたが、キリスト教の伝来と古代ゲルマン神の衰退の話として、大変、興味深いものです)<br /><br />XXX<br /><br />写真はザバブルグ城前に立つSabaザバの木像<br /><br />1994年に、古代ゲルマンの伝説、巨人族・三姉妹の木像が作られました。<br />古代の神木オークの一本彫りで、いずれも7mの大きなものです。<br />ブラマの像はヴェーザー川の向こうBramwaldブラムの森を見渡す場所に、トレンドゥラの像はトレンデンブルグ城の谷間を流れるディーメル川の岸辺に、ザバの像はザバブルグ城の麓に其々悲しげな顔を見せて立っています。<br />

    【伝説:ザバの木像・巨人族の三姉妹】
    昔、Reinhards-Waldラインハルトの森に古代ゲルマンの巨人族が住んでいて、巨人族の長はクルコと云い、ブラマ、ザバ、トレンドゥラの3人の娘がTrendelburgトレンデンブルグ城に住んでいました。
    クルコが亡くなってから、ブラマ、ザバの二人はキリスト教に改宗したのですが、トレンドゥラは改宗しませんでした。

    古代ゲルマン神を信じるトレンドゥラが頑ななため、ブラマは泣き悲しむあまり失明し、二人は城を出て、ブラマは*Bramburgブランブルグ城を、ザバはSababurgザバブルグ城を建てて移り住みました。仲良しの二人を嫉んでか? 宗教上の争いか?!ある時、トレンドゥラが待伏せしてザバを殺してしまいます。
    その後、トレンドゥラは城に篭って、姿をみせなくなりました。

    ある日、7日7晩の豪雨が降り続き、キリスト教に帰依していた村人は異教徒のトレンドゥラに対する神の怒りだと考え、トレンドゥラを生贄にしようと、森に連れて行きました。天から稲妻が光り、雷が彼女を貫き、大きな穴を開け、豪雨はたちまち止みました。
    大きな穴はWolkenbruchヴォルケンブルッフ(突然の豪雨の意)と呼ばれ、今もトレンデンブルグの村外れに残っています。
    (この伝説はグリム童話の陰に隠れてしまい、私も初めて知りましたが、キリスト教の伝来と古代ゲルマン神の衰退の話として、大変、興味深いものです)

    XXX

    写真はザバブルグ城前に立つSabaザバの木像

    1994年に、古代ゲルマンの伝説、巨人族・三姉妹の木像が作られました。
    古代の神木オークの一本彫りで、いずれも7mの大きなものです。
    ブラマの像はヴェーザー川の向こうBramwaldブラムの森を見渡す場所に、トレンドゥラの像はトレンデンブルグ城の谷間を流れるディーメル川の岸辺に、ザバの像はザバブルグ城の麓に其々悲しげな顔を見せて立っています。

  • <Die Sababurgザバブルグ城(Dornroeschenschlossいばら姫の城)><br />この旅6番目の城 15:05~15:45<br />D-34369 Hofgeismar (Sababurg) 、im Reinhardswald <br /><br />3星・全18室。古城ホテルは18部屋と少なく、人気も高いので、シーズンでは予約が難しいと聞いている。2005年に訪れたが、以前は取らなかった、城内・庭園の見学料(Euro2)を支払う事になっていた。<br />観光客が悪くしているのか?!ホテルの印象が悪かった。<br /><br />写真はReinhardswaldラインハルトの森の中にあるSababurgザバブルグ城

    <Die Sababurgザバブルグ城(Dornroeschenschlossいばら姫の城)>
    この旅6番目の城 15:05~15:45
    D-34369 Hofgeismar (Sababurg) 、im Reinhardswald

    3星・全18室。古城ホテルは18部屋と少なく、人気も高いので、シーズンでは予約が難しいと聞いている。2005年に訪れたが、以前は取らなかった、城内・庭園の見学料(Euro2)を支払う事になっていた。
    観光客が悪くしているのか?!ホテルの印象が悪かった。

    写真はReinhardswaldラインハルトの森の中にあるSababurgザバブルグ城

    サバブルク城 (古城ホテルレストラン) フレンチ

  • トレンデンブルグ城やザバブルグ城はReinhards-Waldラインハルトの森の中にある。グリム童話の赤頭巾ちゃんの話が生まれたラインハルトの森は、広大で緑濃い森である。童話のように、当時は狼がたくさん出没した事だろう。<br /><br />別名100年の眠りから覚めた“眠れる森の美女”であり、Dornroeschenschloss いばら姫の城と呼ばれている。<br /><br />写真はザバブルグ城への道(2005年)・・・この時見た、美しい忘れな草の群生(右下)は忘れられない。            

    イチオシ

    トレンデンブルグ城やザバブルグ城はReinhards-Waldラインハルトの森の中にある。グリム童話の赤頭巾ちゃんの話が生まれたラインハルトの森は、広大で緑濃い森である。童話のように、当時は狼がたくさん出没した事だろう。

    別名100年の眠りから覚めた“眠れる森の美女”であり、Dornroeschenschloss いばら姫の城と呼ばれている。

    写真はザバブルグ城への道(2005年)・・・この時見た、美しい忘れな草の群生(右下)は忘れられない。            

  • この城は13世紀にマインツ司教が支配地域の前哨基地として建てた。<br />1429年ヘッセン公国の所有となり、狩猟の館となるも、19世紀始め、公国の崩壊と共にうちすてられ、文字通り眠れる古城として長い間忘れられた存在になっていた。第二次大戦後、ホテル・レストランに改造され、周囲には自然動物園(1571年)も設けられている。<br /><br />写真はDie Sababurgザバブルグ城への道

    この城は13世紀にマインツ司教が支配地域の前哨基地として建てた。
    1429年ヘッセン公国の所有となり、狩猟の館となるも、19世紀始め、公国の崩壊と共にうちすてられ、文字通り眠れる古城として長い間忘れられた存在になっていた。第二次大戦後、ホテル・レストランに改造され、周囲には自然動物園(1571年)も設けられている。

    写真はDie Sababurgザバブルグ城への道

  • なだらかな坂道を城に向かう。2005年の春は坂道の斜面に“忘れな草”の群生が青いジュータンの様に咲きみだれ、美しい景色だった。<br />以前に比べると、全てに整備が行き届き、城内の廃墟跡では、夏季になるとコンサートや、野外劇が催されるという。<br /><br />坂道の斜面は春と違って、唯黄葉した落ち葉が斜面を飾っていた。小学生が野外授業で、先生や付き添いの母親とやって来ていた。ここには鹿やヤギなどの自然動物園があるので、古城だけではなく、そちらが主になっているのだろう。<br /><br />写真はDie Sababurgザバブルグ城の城門

    なだらかな坂道を城に向かう。2005年の春は坂道の斜面に“忘れな草”の群生が青いジュータンの様に咲きみだれ、美しい景色だった。
    以前に比べると、全てに整備が行き届き、城内の廃墟跡では、夏季になるとコンサートや、野外劇が催されるという。

    坂道の斜面は春と違って、唯黄葉した落ち葉が斜面を飾っていた。小学生が野外授業で、先生や付き添いの母親とやって来ていた。ここには鹿やヤギなどの自然動物園があるので、古城だけではなく、そちらが主になっているのだろう。

    写真はDie Sababurgザバブルグ城の城門

  • 古城ホテルの壁をつたう蔦が見事に紅葉して美しい。駐車している車はそこそこあったが、古城ホテル内のレストランに行ってみても4人ずれの家族が一組だけで、何処に行っているのか?<br /><br />ともあれ、今日の予定はここで昼食と考えていたが、時間がずれ込んでしまい、お茶にした。<br /><br />写真は古城ホテル Die Sababurgザバブルグ城のホテル棟

    古城ホテルの壁をつたう蔦が見事に紅葉して美しい。駐車している車はそこそこあったが、古城ホテル内のレストランに行ってみても4人ずれの家族が一組だけで、何処に行っているのか?

    ともあれ、今日の予定はここで昼食と考えていたが、時間がずれ込んでしまい、お茶にした。

    写真は古城ホテル Die Sababurgザバブルグ城のホテル棟

  • <お茶:Die Sababurgザバブルグ城のレストラン><br />15:05~15:45<br />愛想のよい小母さんが出迎えてくれて、コーヒーと紅茶をお願いした。<br />Euro6(615円)<br /><br />写真は古城ホテル ザバブルグ城のテストランで

    <お茶:Die Sababurgザバブルグ城のレストラン>
    15:05~15:45
    愛想のよい小母さんが出迎えてくれて、コーヒーと紅茶をお願いした。
    Euro6(615円)

    写真は古城ホテル ザバブルグ城のテストランで

  • 2019年9月の旅でここをまた訪れようと調べてみたら、なんと休業中の由、<br />さて何時、営業再開となるのか???<br /><br />写真は古城ホテル ザバブルグ城から見る自然動物園(1571年)だが、動物の姿はよく見えない。<br /><br />午後4時近くになり、暗くなってからの走行は嫌なのでヴァルデック城に直帰することにした。Caldenカルデンや、Ahntalアーンタルを経由し、B251に沿って走り、途中から南下し、Wa-Netzeヴァルデック・ネッツェの地区からヴァルデックに戻ろうとした。所がここでも工事中のう回路が出てきた。

    イチオシ

    2019年9月の旅でここをまた訪れようと調べてみたら、なんと休業中の由、
    さて何時、営業再開となるのか???

    写真は古城ホテル ザバブルグ城から見る自然動物園(1571年)だが、動物の姿はよく見えない。

    午後4時近くになり、暗くなってからの走行は嫌なのでヴァルデック城に直帰することにした。Caldenカルデンや、Ahntalアーンタルを経由し、B251に沿って走り、途中から南下し、Wa-Netzeヴァルデック・ネッツェの地区からヴァルデックに戻ろうとした。所がここでも工事中のう回路が出てきた。

  • 幸い5時を過ぎていた為、工事関係者は帰宅してしまい、工事中の立て看板を横目にしながら、舗装の無い道を何とか走った。87kmを走った計算だが、ヴァルデック城には夕闇の迫る17:36に到着した。<br /><br /><夕食:古城ホテル ヴァルデック城Alte Turmuhrアルテ・ツルムウーア(古い塔の時計)><br />19:20~21:30   <br />4品メニューの値段はEuro40X2+飲み物19=99(13,310円)<br /><br />飲み物は地ビールのKoenigspils 0.25LX2、Waldecker Gourmet水0.5L。<br /><br />写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて<br />最初にシェフのご挨拶、

    幸い5時を過ぎていた為、工事関係者は帰宅してしまい、工事中の立て看板を横目にしながら、舗装の無い道を何とか走った。87kmを走った計算だが、ヴァルデック城には夕闇の迫る17:36に到着した。

    <夕食:古城ホテル ヴァルデック城Alte Turmuhrアルテ・ツルムウーア(古い塔の時計)>
    19:20~21:30   
    4品メニューの値段はEuro40X2+飲み物19=99(13,310円)

    飲み物は地ビールのKoenigspils 0.25LX2、Waldecker Gourmet水0.5L。

    写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて
    最初にシェフのご挨拶、

    Hotel Schloss Waldeck ホテル

  • 予約していたが、少し時間をずらして行く。昨夜よりはお客は少ないものの、まずまずの入りである。<br /><br />今夜の夕食メニューも決まっている。レストランも同じアルテ・ツルムウーア(古い塔の時計)である。昨夜より1品多い、4品料理を食べた。<br /><br />写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて:<br />①前菜:鮭のマリネ、タルタルソース、

    予約していたが、少し時間をずらして行く。昨夜よりはお客は少ないものの、まずまずの入りである。

    今夜の夕食メニューも決まっている。レストランも同じアルテ・ツルムウーア(古い塔の時計)である。昨夜より1品多い、4品料理を食べた。

    写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて:
    ①前菜:鮭のマリネ、タルタルソース、

  • 最初にシェフのご挨拶が出て、<br />①前菜:鮭のマリネ、タルタルソース、<br />②スープ:カボチャのスープ・・・この時期は美味しいカボチャのスープが申し合わせたように出る。<br />③メイン:軽く炙ったツナのフィレ料理。グリーンアスパラとジャガイモ添え。<br />④デザート:チョコレート、自家製卵リキュールアイスのセット。<br />本日は満足した郷土料理だった。<br /><br />写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて<br />②スープ:カボチャのスープ、

    最初にシェフのご挨拶が出て、
    ①前菜:鮭のマリネ、タルタルソース、
    ②スープ:カボチャのスープ・・・この時期は美味しいカボチャのスープが申し合わせたように出る。
    ③メイン:軽く炙ったツナのフィレ料理。グリーンアスパラとジャガイモ添え。
    ④デザート:チョコレート、自家製卵リキュールアイスのセット。
    本日は満足した郷土料理だった。

    写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて
    ②スープ:カボチャのスープ、

  • 写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて<br />③メイン:軽く炙ったツナのフィレ料理にグリーンアスパラとジャガイモ添え、

    写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて
    ③メイン:軽く炙ったツナのフィレ料理にグリーンアスパラとジャガイモ添え、

  • 写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて<br />④デザート:チョコレート、自家製卵リキュールアイスのセット・・・お客個人用のメニューを頂ける。

    写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計にて
    ④デザート:チョコレート、自家製卵リキュールアイスのセット・・・お客個人用のメニューを頂ける。

  • 写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計で食事を終えて・・・談話室に。<br /><br />午後11時半に就寝。<br />明日は森林地帯のSauerlandザワーラントを走る。見どころも多い一帯だ。<br /><br />

    写真はヴァルデック城・レストラン古い塔の時計で食事を終えて・・・談話室に。

    午後11時半に就寝。
    明日は森林地帯のSauerlandザワーラントを走る。見どころも多い一帯だ。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • sanaboさん 2019/04/21 16:25:26
    やはり古城ホテルはいいですね。
    jijidarumaさん、こんにちは

    今年のドイツ旅行は9月にいらっしゃるのですね。
    6年待たれてようやくチュッシェン訪問を果たされるとのこと、
    楽しみですね。 トレンデンブルグ城の再訪も楽しみですね。
    そういえば先日、ヒルシュホルンのクチコミも懐かしく
    拝見させていただきました。(以前あのお部屋に泊まりましたので。笑)
    フュルステンベルグ城で召し上がったFlammkuchenのお写真を拝見し
    アルザスで食べたタルトフランベを思い出しました。
    アルザスでは Flammekueche と呼ぶそうですが、タルトフランベは
    仏語の呼び名なのでしょうね。
    ザバブルグ城は仕事でフランクフルト滞在中に同僚たちと1泊で
    出かけた懐かしい思い出があります。
    今は修復中なのでしょうか? 9月のご旅行で拝見できたら
    よかったのですが、残念です。
    ヴァルデック城はドイツ最古の古城ホテルだそうですね。
    かなりモダンに改装されたようですが、やはり私も
    内装は古き良き趣が残っている方が好みかもしれません。
    とはいえ、お食事もとても美味しそうでした☆彡

    sanabo

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2019/04/21 18:13:06
    Re: やはり古城ホテルはいいですね。
    sanaboさん、
    こんにちは。いつもありがとうございます。
    加えて、古城ホテルの口コミまでご投票いただき、深謝します。
    ヒルシュホルン城、ザバブルグ城と同窓会が開けそうです(笑)。
    ザバブルグ城も経営がうまくいかなかったのか、背景は分かりませんが、訪ねる頃は経営再開しているかもしれませんね。

    さて、ブレーメンの友人夫妻には2005年、2011年、2014年と訪ね、それ以来の御無沙汰になっていたから5年ぶりなのです。毎年もらうクリスマスカードに今度は何時来られるか?予定を言ってくれれば、日を開けて待っているということで、いよいよ腰を上げた所です。その間のつなぎに私の読み終わった小説、私の寄稿した同人誌などをブレーメン宛てに送っています(奥様はかつてのドイツ時代の日本人秘書で、元ブレーメン州最高裁の裁判官と結婚したのです。彼女は20代半ばから在独中で、70代になった彼女はやはり日本語が懐かしいようです)。

    目下、大学のクラス会の1年幹事を某高等検察庁検事長だった元検事殿と一緒にやっています。46名の内9名が亡くなり、7人が消息不明、残る30名の内、現在までにほぼ半数超えの出席回答を得てホッとしています。クラス全体の35%がまだ会に出られる体力・気力を持っているようです。
    6月初めの会の為、今年は春のドイツは諦め、9月にしたのですよ。
    ザックリした行程を決め、ホテルのみはキャンセル可つきで予約済みです。2連泊は前半・中間に4回、古城ホテルにはなんとか4城で5泊、ロマンチックホテル加盟ホテルに1泊、ドイツ伝統の木組み建築のホテルには4泊、City-Hotelに3泊といった構成です。
    手持ちの古城ホテルリストから見つけてみましたが、土地柄もあって、古城ホテルが普段よりは少ないのが残念です。
    ありがとうございました。
    jijidaruma

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