2018/11/27 - 2018/11/28
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norio2boさん
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ブリュッセルにあるノートルダムドラシャペル聖堂はブリューゲル(父1525~69)が1563年に結婚式を挙げ、6年後の1569年の突然の死のあとに埋葬された教会です。
ブリューゲル(父)は当時でも人気のある画家でした。1569年の9月9日にブリュッセルで亡くなった~と月日まで特定されているのですが、死因についての記録は少ししかありません。
油彩作品は45枚前後が残されています。
1556年の「東方三博士の礼拝」(ベルギー王立美術館蔵)から始まり亡くなる前の年の1568年に制作した油彩は7枚が残されています。
画家としての名声、人気を得て、家庭は1564年長男、1566年長女、1568年次男と生まれて幸せをつかみ、作品もあぶらがのって来て順調に制作を続けていました。1569年に突然死んでいます。
生前に、病床からブリューゲル(父)は残された家族に迷惑がかからないように体制側から追及される危険性のある「ヤバイ作品」の焼却を妻に指示したと伝えられています。
この美術家の記述で推測すると死因は突然死や事故死ではないようです。
皆さまもご存知のブリューゲル(長男)、ヤンブリューゲル(次男)をはじめとする「ブリューゲル画家一族 」の偉大な画家の家系です。
その初代のブリューゲル(父)の死の経緯について記録がなく、調査や考証されないのは何故だろうかと疑問に思っています。
今年はブリューゲル(父)の没後450年です。
ブリューゲルが埋葬されているブリュッセル市内にあるノートルダムドラシャペル聖堂に450回忌のお参りに行ってきました。
このノートルダムドラシャペル聖堂は1403年完成というブリュッセルで一番古い教会です。
ロマネスクとゴシック様式が混在している美しい聖堂です。
ブリューゲル(父)は1563年にここで結婚式を行い、わずか6年後の1569年には死去しここに埋葬されています。
「ブリューゲルをたずねる旅」ですが、今回はブリューゲルの作品は出て来ません。
美しいステンドグラスのある素晴らしい大聖堂でした。
隣にブリューゲルという名前のユースホステルがありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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11月28日水曜 雨
宿泊ホテルのノヴォテルブリュッセルオフグランパレスの僕の部屋からの写真です。
ノートルダムドラシャペル聖堂へは左の細い道を進みます。
ブリュッセル市内の裏道はくねっているので迷います。
スマホのナヴィゲーションが助けになります。
実は、昨日(火曜)もノートルダムドラシャペル聖堂へ行きました。
火曜日はクローズで入れなかったのです。ノボテル ブリュッセル オフ グランド プレイス ホテル
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ノートルダムドラシャペル聖堂まで700m
徒歩で11分です。
ブリュッセル市内の裏道は入り組んでいるのでスマホのナヴィゲーションは助かります。地図でお分かり頂けると思いますが一本間違えて進むと修正が面倒になります。
昨日と同じ道なんですがね。 -
あと半分のところまで来ました。
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ノートルダムドラシャペル大聖堂に到着です。
入り口は聖堂に沿って歩いて左に曲がったところです。ノートル ダム ド ラ シャペル教会 寺院・教会
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正面の入り口です。
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正面からの写真です。
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ノートルダムドラシャペル聖堂の入り口を入るとこんな案内看板がありました。
アントワープの マイヤーヴァンデンブルグ美術館蔵の「狂女フリード」のフリードの絵柄を使った案内看板です。
看板の写真の右下に英文が見えます。
こちらですよ~(Follow me, this way)とフリードが持った剣で右の入り口を指しています。
(作品では左を向いています、左右逆像に加工しています)
今年は没後450年ということで来訪者が多いのでしょう。 -
入場料は無料です。
写真は守衛のおじさんから買ったノートルダムドラシャペル聖堂の解説本(英文 Our Lady of the Chapel Brussels)です。
1134年から始まるこの大聖堂の歴史が書かれています。
ブリューゲルについての記述は数行がところどころにありました。
3ユーロの価値がありました。 -
これは無料でお取りくださいと積み置されていたリフレットの写真です。
「Flemish Masters 2018~2020」というアートによる観光誘致活動組織の制作物です。
ルーベンス、ブリューゲルとヴァンダイクの3人の画家を縦軸に横軸に観光情報各種を提供しています。
(Flemish Masters 2018~2020で検索すると出てきますのでブリュッセル、アントワープのフランドル地方の旅行を計画中の方の有益な参考情報が得られそうです)
このリフレット「ブリューゲルの大脱走」はブリューゲルの有名な6枚の作品から抜け出たキャラクターをどの絵に戻すかというパズルです。 -
ノートルダムドラシャペル聖堂です。
奥に祭壇(Altar)を見ています。
解説本によると手前の礼拝者用のエリアは身廊(nave)と呼ぶそうです。 -
少し近ずいて見ました。
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振り返ると2階にステンドグラスの左右にオルガンが置かれています。
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見事なシャンデリアです。
-
祭壇の奥の内陣(Chancel)の写真です。
-
ブリューゲル(父)の青銅のレリーフ銘板はすぐ見つかります。
上にブリューゲル(父)の横顔のレリーフがあります。
(このレリーフのもととなった原画はブリュッセルにあるベルギー国立図書館にあります)
その下には献辞の横長のプレートがあります。
プレートの文字は2カ国語で書かれていますが両方とも読めないです。
Bruegelとhなしで書かれています。ブリューゲル(父)だけはBruegelとhなしで綴ます。
献辞の文章の後にFelix Timmermans 1934と書かれています。
(フェリックス ティメルマンス(1886~1947)はベルギーで人気の小説家,画家です。
フランドル生まれ。ノーベル文学賞に3回もノミネートされている人気作家です。ブリューゲルについての著作が1934年にあるようです。
ノートルダムドラシャペル聖堂の解説本によると
1569年にこのRosary Chapel(ノートルダムドラシャペル聖堂内のこのコーナー)にブリューゲル(父)は埋葬されたと書かれています。1563年の結婚式についても記述されていました。
青銅のレリーフ銘板は1924年にフェリックス ティメルマンスは友人2人とブリューゲル(父)に偉業を讃える式典を行っており、その時の記念だと書かれていました。 -
ブリューゲルの死因についての学術的な調査や考証は行われていません。
農民の生活を熟知していることから
「股の間から景色を覗いて、農民の生活をスケッチすることがあり、その姿勢で発作を起こして死んだ」という伝承もあります。
先ほどの、死ぬ前に病床から妻に「体制側から糾弾される危険性のある」作品を焼却するよう命じたという記録とは噛み合わない伝承です。
死亡が1569年9月9日と記録されているにしては死因について細目がないのは不思議です。
同世代の人物に日本人の千利休(1522~1591)がいます。利休が太閤秀吉の怒りを買い切腹に至る経緯は日本人一般に知られています。
生誕年と場所が正確には特定できていないのはまだ無名だったからということで納得できます。当時、著名な画家であったブリューゲル(父)の死について記録がないのは何故でしょうか?
ブリューゲル(父)は1563年7月25日にアントワープで婚約の登録を行い、このブリュッセルに引っ越して、このノートルダムドラシャペル聖堂でマリアクック(絵を教わった先生ピーテルクック(1502~1550)の娘)と結婚式をあげています。
同じように、葬儀と埋葬は違う場所で行われたのでしょうか? -
レリーフを左側から撮影して見ました。
没後450年の今年2018年には多くのブリューゲルファンがここに来ていると思いました。
450年前の人気画家ブリューゲルの葬儀、埋葬にも多くの友人たちが参列したと思います。
6枚の月齢画を注文したニコラスヨンゲリンクはじめアントワープやブリュッセルのブリューゲルファンが集まったと思います。 -
このコーナーはChapel of Rosaryと呼ばれています。
ここにTombstone of P.Bruegel the Elderがあります。(写真の懺悔室の上のプレートです)
先ほど、写真を3枚アップした青銅のレリーフ銘板が左の壁の下の方にある緑色小さな長方形です。 -
ノートルダムドラシャペル聖堂の解説本の記述によれば、、、、
この絵のタイトルは「天国への鍵を受ける聖ペテロ(聖ペテロへの天国の鍵の授与)」です。
そもそもはルーベンス(1640~1702)の作品が飾られていました。ルーベンスの工房で働いていた次男ヤンブリューゲルの口ききでルーベンスの作品が飾られていたのです。
1735年に残念ながらアムステルダム美術館に売却されています。(その後ベルリンのナショナルミュージアムに転売されている)
今飾られているこの絵はアントワープ在住の画家ヤンピータータサール(1651~1725)による模写だそうです。
下にある「メモリアル銘板」は、ピーターブリューゲル(父)とその妻マリアクックに捧げられています。 -
「メモリアル銘板」の拡大写真です。
最初の行にPETRO BREVGELの文字が見えました。 -
「メモリアル銘板」の下の文字板です。
写真のアーチの下は懺悔室です。 -
Chapel of Rosaryのブリューゲル(父)の銘板の反対側にはこの聖母マリア像があります。
15世紀の制作の彫刻です。 -
ノートルダムドラシャペル聖堂のミニチュア模型が飾ってありました。
-
ノートルダムドラシャペル聖堂の側廊には他の教会でも見られるように、ゴルゴダへ向かうイエスキリストの道行き(ヴィアドロローサ)の絵が飾られている。
第3ステーション(留)で十字架の重さに堪え兼ね倒れるイエス。
下に解説が書かれています。 -
第4ステーション(留)で聖母マリアと出会うイエス。
-
第5ステーション(留)シモンがイエスキリストを助ける。
ビアードロローサ(悲しみの道)はエルサレムに残されています。
14ステーション(留)からなるイエスキリストの悲しみの道の出来事はこの教会のように側廊に描かれていることが多いです。
1ピラトに裁かれる死刑判決を受ける
2 鞭で打たれ十字架を背負歩き出す
3 十字架の重みで最初につまずく
4 聖母マリアと会う
5 シモンがイエスに代わって十字架を背負う
6 ベロニカがイエスの顔を拭う
7 2度目につまずく
8 女性たちに泣くなという
9 3度目につまずく
聖墳墓教会の中で
10 衣を脱がされる
11 十字架につけられる
12 息をひきとる
13 十字架から降ろされる
14 墓に納める
ヴィアドロローサの2014年の旅行記は
https://4travel.jp/travelogue/10870820 -
「東方三博士の礼拝」がありました。
これについては解説本に記述がありました。
作者はHendrick de Clerck(1560~1630)です。
ブリュッセルを中心に活躍した画家です。
ルーベンスの影響を受けた画家です。
1599年の作品といいますから39歳の時の作品です。
聖書の記述に沿って描かれており、教会で信者に見せるに相応しい模範的な絵と言えると思います。
ブリューゲル(父)の描いた3枚の「東方三博士の礼拝」と比較してみて下さい。
ブリューゲル(父)の作品は余りに内省的すぎて教会を飾るには相応しくなかったと思います。
画家としてブリューゲル(父)は教会での採用を考えた作品は1枚も描いていません。 -
祭壇の左奥にあるChapel of the Sacraments(秘跡の教会)です。
-
ノートルダムドラシャペル聖堂の身廊(nave)の信者用の椅子の下には墓標が並んでいます。
-
ここにも墓標です。
-
2時間ほどお参りと見学もして出てきました。
写真では分かりませんが強い雨でした。
お参りの時に、
ブリューゲル(父)の葬儀もこの教会だったのだろうか?とか疑問がありました。
結婚の時はアントワープで登録だけしてブリュッセルに引っ越して来てここで式を挙げています。
同じようにここでは埋葬だけなのでしょうか?
埋葬されたということは葬儀もあったと思います。
葬儀、埋葬にはブリューゲル(父)の幅広い交友関係、アントワープやブリュッセルの知識層、セレブとの交流を考えるとそれなりの参列者(存命している)があったと考えて良いと思います。
ニコラスヨンゲリンク(あの有名な月齢画を注文した大パトロン)は1517~70で存命してました。ニコラスの弟のヤコブ(ブリューゲルの親友、彫刻家)は1530~1606で存命。
アントワーヌグランベル(ブリュッセルの枢機卿でブリューゲルの大コレクター)は1517~86で存命です。
多くのブリューゲル(父)と彼の作品を評価し賛美した知人たちは葬儀と埋葬に「参列」しなかったのでしょうか?
個人的な推測ですが、「参列」はなかったのだと思います。
どの知人たちに「参列」の記録はないようです。
葬儀か埋葬、あるいは埋葬に「参列」がなかったのでしょうか?
この疑問は一応の作品をたずね歩き見終わった今になって、大きく広がっています。 -
亡くなった年の1569年の作品が1枚も無いことは「秘密を解く鍵のひとつ」かも知れません。
(前年の1568年の作品は7枚が残されています)
1569年9月9日に亡くなっています。
何枚か描いていても良いと思います。
何枚か残されていても良いと思います。
考えられるのは、、、
亡くなる年(1569年)の年初以前から、自分の病気で絵筆を握れない状況にあった。
何らかの外からの力で絵筆を握る事が物理的に不可能な状況にあった。
のいずれかだと思います。
その頃、ブリュッセルのグランプラスは異端審問の公開処刑場として使われていました。
マルティンルターの宗教改革が1517年です。
1545年(ブリューゲル20歳)にはカール5世がネーデルランド各地に異端審問官を置きプロテスタントを弾圧し始めます。
体制維持を図るカソリックの弾圧で何が起きてもおかしくない時代でした。
1567年にはスペインのアルバ公がネーデルランド執政の就任しブリュッセルのプロテスタントを異端審問にかけ次々と処刑してゆきます。
長男の生まれた1564年末の冬はネーデルランドは大寒波で大飢饉が発生しています。
そんな事を考えたりしました。
ノートルダムドラシャペル聖堂の外周をぐるっと歩いて見ました。 -
奥の道も見て見ました。
左にバス停があります。
ブリューゲル(父)と同世代というか近い世代の画家たちの死亡の経過の記録は残っています。
レオナルドダヴィンチ(1452~1519)フランスのフランソワ1世に看取られ腕の中で死去、遺産相続についても記録がのこされています。
ミケランジェロ(1475~1564)ヴァチカンのサンピエトロ寺院の改修を死ぬ直前までやっていたと伝えられています。88歳で老衰で亡くなっています。
エルグレコ (1541~1614)亡くなる2年前の1612年に墓碑として「羊飼いたちの礼拝」を描いています。相続の遺言を残しトレドに埋葬。 -
南側からの写真です。
ブリューゲルの銘板は右から3番目のステンドグラス窓のところです。
ブリューゲル(父)の
油彩の制作期間は1556年から1568年の12年間
結婚期間は1563年から1569年の6年間
残された油彩画は45枚です。
短期間で名声と人気を得た天才画家でした。 -
ノートルダムドラシャペル聖堂を北東から見たところです。
教会の構造がよく分かります。
空の様子で雨だったとお分かりになれるでしょうか?
この後は、歩いてグランプラスに戻りました。
チョコレート博物館のミュージアムショップでタブレット型のチョコレートを全種類(6種類を)買いました。(それぞれ美味しいガトーショコラが作れます)30ユーロ(カード支払)
ホテルに戻って荷物を置いて遅い昼食に出かけました。ノートル ダム ド ラ シャペル教会 寺院・教会
-
初めてブリュッセルに来た時に気に入った店です。
2度目の時はテロ事件の影響で観光客がいなくて店は閉まっていました。
今回は2時すぎていたのでどうかと思いましたが入れました。
客は僕(1人)を入れて3組だけです。
大勢でワイワイやるのがおススメの店なんですが。
お酒はひとり旅なので封印しています。
炭酸水です。
炭酸水のボトルの左にあるのが自家製のパン3種とバターの入って籠です。
メニューを読むのがは面倒なのでランチが残っているというのでそれにしました。
写真は撮っていません。
牛肉の煮込みとサラダとデザートだったと思います。
それにしても4Tで「Vincent」が「バンサン」で登録されいるとは思いませんでした。
4Tのブリュッセルのグルメランキングで「バンサン」は133件中88位となっています。バンサン 地元の料理
-
テーブルをくっ付けてセットして貰えれば大勢で騒げます。
左の客の奥の左にトイレがあります。
ウエイターも暇そうです。
テーブルのセットアップに良い店であることが感じられますね。
美味しかったです。
パンが美味しい店は何を注文しても間違いのない店だと思います。
昼食代34ユーロ+6ユーロで40ユーロでした。
現金で払いました。
明日はアントワープへ日帰り遠足です。
雨が止むと良いのですが、、、、、
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