2016/01/12 - 2016/01/21
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norio2boさん
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写真はブリュッセルのベルギー王立美術館のブリューゲルルームで作品の前で先生の話を聞く子どもたちです。
ブリュッセルにあるベルギー王立美術館にブリューゲルをたずねました。
2005年に初めてブリューゲル作品に大きな魅力を感じ始めたのがこのベルギー王立美術館でした。
あの時2005年はJALの直行便が廃止になった頃で、ヒースロー空港で乗り継ぎしてやってきました。
2015年末にANAの成田~ブリュッセル便が飛ぶようになりました。一段落した1月のチケットを夫婦で取りました。
年末にパリでのテロ事件があり、犯人の潜伏先がブリュッセルだということで市内は警戒レベル4となり、交通機関も一時全部止まりました。
今回の旅行時期にはレベル3に引き下げられました。妻は安全を考え航空券をキャンセルしましたので急遽一人旅となりました。絵画旅行は絵画鑑賞が主な目的なので寒い時期に行くことにしています。今回のブリュッセルは観光客のキャンセルが続きどこもガラガラでした。ブリュッセルに8泊しましたが朝食の時のホテルの広いレストランで一人きりのことが2回ありました。
4Tのメンバーでヨーロッパ在住のiさんに「治安状況」について貴重なアドバイス頂きました。ありがとうございました。
あと、「たびレジ~外務省海外安全情」に登録しました。これに登録すると状況の変化があるとメールが貰えます。旅行先で何かあると日本の登録先に連絡が入ります。あと、海外旅行保険会社に確認しました。戦争は範囲外ですが、テロは補償範囲内です。
無事に戻って来ました。
パリやベルギーでのテロにあわれ亡くなられた方に哀悼の意を表すとともに、平和な世界に戻ることを祈るばかりです。
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1月12日
ANAのブリュッセル直行便は13日の11:15成田発なので前泊しました。
ANAクラウンプラザ成田です。
東京駅八重洲口から直行バスで1時間1000円です。(このバス最近人気がでたので予約しておいた方が安心です)ANAクラウンプラザホテル成田 宿・ホテル
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ホテルのレストランです。
東京駅八重洲口から1000円のバスで成田空港へ来て、空港からシャトルバスでホテルに来ます。
もう一つは、東京駅の八重洲口の通りを渡って所にあるバスで直接ホテルに来る方法があります。
どちらを選ぶかは時刻表との相談でしょうか? -
成田のANAのラウンジです。
star warsのゲームマシンがありました。
カウンターの女性がプラスチックのコインをくれました。映画を見ていてストーリーを知らないと勝ち進むのは難しいようです。
迫力あって、手に汗握りました。
もう一回いかがですかと言われましたが、ご遠慮しました。成田空港 国際線 ANAラウンジ (第4サテライト) 空港ラウンジ
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1月13日
ヤマト運輸で宅急便で送った荷物を取って搭乗手続きのあと、ラウンジで休憩しました。
10時50分搭乗し、15分遅れで離陸しました。
隣は空席でした。
折角直航便を始めたANAですが、ガラガラでした。
3時15分に少し遅れて着陸しました。
ブリュッセル空港での入国手続きは係員がカウンター越しに雑談していました。
質問は何もなくて、スタンプを押してくれました。
こちらは用心して、当初の予定通りタクシーでホテルへ、チップ入れて45ユーロでした。 -
到着して、ホテルのバルコニーから見た景色です。iPhoneの横パノラマです。
左の奥を進むとグランプラスです。
まだ明るい時間ですが、ご覧の通り人が少ないです。
ホテルの前の広場でギターの弾き語りをしていました。チップをあげてiPhoneで撮影させて貰いました。
http://youtu.be/JhFteDZouO4ノボテル ブリュッセル オフ グランド プレイス ホテル
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ホテルはノボテルブリュッセルオブグランプラスをアコーホテルサイトから予約しました。
写真は部屋です。広場に面した部屋で広場が見えるバルコニーがついています。
右のドアの中にバスタブとシャワールームと洗面台があります。
朝食付きの宿泊でした。
8泊で1000ユーロでしたノボテル ブリュッセル オフ グランド プレイス ホテル
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明日の予定はベルギー王立美術館です。
iPhoneのMAPで道順を確認しています。
ほとんど、真っ直ぐです。
画面にあるように700m徒歩10分と表示されています。 -
1月14日
朝起きたら大雨でした。
iPhoneの天気予報で午後からは晴れでした。
レストランで朝食をたらふく食べました。
傘をさして大雨の中をベルギー王立美術館へ向かいました。
ところが、休館でした。
この1日の市内観光記は下記にアップしています。
http://i.4travel.jp/travelogue/show/11094721ベルギー王立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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「1月14日は休館です」の表示です。
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1月14日
大雨の中ベルギー王立美術館にずぶ濡れで行ったら休館でした。
代わりに美術館の近辺を見学しました。
eB experience Brussels
Coudenberg
MIM
を回りました。
その後はMIMの10階のレストランで昼食をとりました。グランプラスで市庁舎博物館を見学しました。
写真はグランプラスのゴディバの隣にあるレース屋さん「Rubbrecht Frans」の白いレースのベビーワンピースです。
このレース屋さんで、2005年に来た時にテーブルセンターとか匂い袋とかレース製品を買いました。
その頃のおばさんは娘に店を譲りベルギーレースの後進の指導をしているそうです。昔話で盛り上がりました。
孫娘用にレースのワンピースを幾つか見せて貰いました。 -
グリーンの胸の部分がゴム編みみたいな仕上げになっているワンピースです。ピンクの襟とグリーンのヘアバンドとショートパンツがついています。
胸囲と身長が分かれば良いという事で3枚をメールでムスメに送りました。ムスメの第1希望はこれでした。 -
グリーンのステッチのついたワンピースです。
これも清潔な感じが良いですね。 -
1月15日 今日も雨です。
レストランで朝食しベルギー王立美術館へ出発しました。美術館のインスペクションは厳重で、手荷物は開けて中を目視検査し更にゲートを通過して人物の検査でした。
入場料は3館共通(古典美術館、19世紀美術館、マグリット美術館)のコンビチケットでシニアで9ユーロ+オーディオガイド4ユーロでした。ベルギー王立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ブリューゲルの作品たちとの再会が実現できて感激しました。
写真はロビーから階段を上がって来たところです。この彫刻の位置は前と同じようです。
2009年にマグリット美術館がオープンした影響で部屋の配置換えがあったようです。
ブリューゲルの部屋も右奥の突き当たりの少し小さい角部屋に移動しました。 -
写真では分かりにくいですが、アメリカのスペースシャトルを模した作品がぶる下がっています。
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美術館の右奥にブリューゲルの部屋は引っ越ししていました。
ここにアップした画像を動画にまとめました。
youtubeです
https://youtu.be/tcVgim6ugVs -
ブリューゲルの部屋を入って突き当たりの左側の展示です。
昔は壁面が赤れんが色でしたが、今は青いグレーになりました。
2005年のベルギー王立美術館訪問記です。
http://i.4travel.jp/travelogue/show/11085852 -
ブリューゲルに関心を持たれたら、このベルギー王立美術館(5枚)とウィーン美術史美術館(14枚収蔵)をご覧になることをオススメします。
いずれも、ブリューゲルの専用の部屋があります。
写真は
東方三博士の礼拝
The Adoration of the Kings 1556-1562
Tempera on canvas 121.5x168cm -
東方三博士の礼拝
画面の中央部分のアップです。
ブリューゲルはこの聖書の記述をテーマに3枚の作品を残しています。
ロンドンのナショナルギャラリーの作品の鮮やかな色彩(修復されていますが)とくらべると保存状態は悲惨です。
ナショナルギャラリーはキャンバスに油彩ですがブリュッセルのはキャンバスにテンペラです。 -
ロンドンの旅行記です。
東方三博士の礼拝の写真をアップしています。
http://i.4travel.jp/travelogue/show/11085870
油彩の東方三博士の礼拝の鮮やかさをご覧ください。 -
ベルギー王立美術館の「東方三博士の礼拝」の右上の部分のアップです。
テントの上には三博士のあとに並んで幼子イエスに礼拝しようとする人たちの行列が続いているのが見えます。
更にその奥にはラクダに乗った人や、象が描かれています。
テンペラ画は油彩より耐光性に優れ黄変、黒変がない技法ですが、油彩技法の発展とともに主役から姿を消して行きました。
テンペラで描かれた有名な作品には
レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」1498年 ミラノのサンタマリア教会
ボッチセリの「春」1477年、「ビーナスの誕生」1485年 フィレンツェのウッフィツィ美術館 などがあります。
「最後の晩餐」は漆喰の壁に描かれているため大掛かりな修復をされたものの残念な状態にあります。 -
同じく中央部分のアップです。
聖母マリアは左側をみせて座り、幼子イエスを膝に抱いています。
ほかの画家たちの描くこの主題は聖母マリアと幼子イエスを存在を強調して描いています。後頭部に金環を描いた画家もいます。
ブリューゲルの作品では聖人とその他の人たちが同列で描かれています。 -
同じく左上の部分の拡大です。
聖母マリアと幼子イエスに礼拝しようと並んでいる行列は左側が圧倒的におおおぜいいます。
1521年のマゼランの世界一周によりキリスト教の閉鎖的な社会の崩壊が始まります。マルチンルターによる宗教改革が進んで行きます。
ブリューゲルが住むアントワープは世界最大の海上通商の基点として興隆して行きます。イタリア人、フランス人、英国人そしてポルトガル人がアントワープに仕事を求め10万人もの人たちが住むヨーロッパでも最大の町の一つになっていました。
この絵の中に異なった国の人たちが描かれているのは、当時のアントワープの状況なのかも知れません。 -
次の絵です。
Landscape with the Fall of Icarus. 1558
Oil on canvas mounted on wood. 73.5x113cm
「イカロスの墜落のある風景」
2005年当時はブリューゲル父の作品として展示されていました。
その後、赤外線写真による調査でカルトンという1cmのマス目に穴を開けて転写し複製画を作る技法の痕跡が発見されました。
ブリューゲルの工房の誰かが複製した作品だと言われています。 -
「イカロスの墜落」の物語りは聖書ではなく、古代ローマの詩人オウディウスの著作である「変身物語」に書かれています。
Wikiによれば
『変身物語』(へんしんものがたり)は、古代ローマの詩人オウィディウスによるラテン文学の名作。神話原典のひとつである。『転身物語』(てんしんものがたり)や、原題(ラテン語)のまま『メタモルポーセース』(Metamorphoses )などとも呼ばれる。
15巻で構成されており、ギリシア・ローマ神話の登場人物たちが様々なもの(動物、植物、鉱物、更には星座や神など)に変身してゆくエピソードを集めた物語となっている。
中世文学やシェイクスピア、そしてグリム童話にも大きな影響を与えた。ナルシストの語源ともなった、ナルキッソスが呪いにより自己愛に目覚め、やがてスイセンになる話、そのナルキッソスを愛するエコーが木霊になる話、蝋で固めた翼で空を飛んだイカロスが墜落死する話、アポローンに愛されるもゼピュロスの嫉妬によりアポローンの投げた円盤に当たって死んでしまうヒュアキントスがヒヤシンスの花になる話
など、有名なエピソードも本作に収められている -
イカロスと父のダイダロスは鳥の羽を蝋で固め迷宮から脱出します。若いイカロスは高く飛びすぎて蝋が太陽熱で溶けて墜落してしまいます。
ブリューゲルはイカロスの足だけを描いています。白い上着と赤い帽子の男は釣りに夢中です。 -
イカロスの父のダイダロスはイカロスの名前を呼び空を飛び回ります。その声を聞いて羊飼いは飛び回るダイダロスを見上げます。
ブリューゲル父の描いた「イカロスの墜落」には、羊飼いの見上げる方向(画面の左上)にダイダロスが描かれていたと言われています。何が描かれていたのでしょうか?
ブリューゲル父は1569年に亡くなっています。統治者であるスペインに対し批判的な作品は家族に災いが起こるのを恐れ多くの作品を焼却処分させたという記録が残っています。 -
堕天使の墜落
The Fall of the Rebel Angels. 1562
Oil painting 117x162cm -
1562年の制作ということはブリューゲル父が37歳前後の作品です。当時の画家はギルドに登録しなければ作品を販売する事も出来ませんでした。1551年にアントワープの画家のギルドである聖ルカ組合に親方としてブリューゲルが登録されています。ギルド登録は25歳から可能でしたのでブリューゲルは1525年生まれとされています。
ブリューゲル父は1551年から3年間イタリアで当時の主流であったイタリアの絵画技法を学びます。その後ブリューゲル父が制作した絵は伝統的な西洋絵画とは異なったものですが、風景の部分の描写技法にイタリア的な造形があるように思います。 -
イタリアからアントワープに1551年に戻ったブリューゲル父はアントワープで暮らします。当時のアントワープは大航海時代の一大貿易港として栄えていました。人口は100000人でそのうち360人の画家がいたと言われています。
写真は「堕天使の墜落」の中央部分です。
旧約聖書のイザヤ書の14章12-15に堕天使について記述があります。
黎明の子よ、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたは心のうちに言った。「私は天にのぼり私の王座を高く神の星の上に置き、北の果てなる教会の山に坐し、雲の頂きにのぼりいと高き者のようになろう」しかしあなたは陰府に落とされアナの奥底に入れられる。 -
ブリューゲル父の作品はヒエロニムスボシュ(1450〜1515)の影響が強い作品があります。この「堕天使の墜落」ミュンヘンにある「怠け者の天国」アントワープにある「狂女フリート」などです。ブリューゲル父の誕生年は1525年と推定されています。ボシュが死んだのは1515年ですから直接的な接触はありませんでした。美術評論家の中にはボシュ的な絵画を注文する顧客がいたという見解を主張する人もいるようです。
ベルギー王立美術館にはボシュの作品がありますので比較するのも良いと思います。「キリスト磔刑」「聖アントニウスの誘惑」 -
写真は画面の右上の部分のアップです。大天使ミカエルを支えて闘う天使です。奥にはラッパを鳴らす二人の天使と怪物を斬りつける一人の天使が描かれています。
堕天使とは半逆天使とも呼ばれますが、天上界を追放された天使たちのことです。様々に理由、傲慢、嫉妬などから神へ半逆した為に天上界を追放され堕天された天使たちです。キリスト教では堕天使は悪魔、サタンと同じに見なされます。 -
画面の左下隅の部分です。
グロテスクな化け物と化した悪魔たちがうごめいています。
混沌のなかに天使(善)と堕天使(悪)が闘っています。
この「堕天使の追放」はブリューゲル父の1562年の制作です。同じ年に描かれた「死の勝利」マドリードプラド美術館蔵や「狂女フリート」アントワープマイヤーヴァンデンベルグ美術館蔵とのボシュ的な着想という共通点を指摘する美術評論家もいます。
1562年まではブリューゲル父はアントワープにいました。1563年にマリアクックと結婚し、ブリュッセルに転居しています。 -
左手の中央部のアップです。
中央部で赤い十字の盾を持った大天使ミカエルの左で剣を右手に持って戦っている天使が描かれています。 -
ラッパを吹き鳴らす4人の天使です。
中央部の天井には聖書に記述された「大きなしるし」が描かれています。 -
画面の右側の下の部分のアップです。
大天使ミカエルに戦いを挑んでいます。
堕天使のルシファー(明けの明星を示すラテン語)堕天使の長であるサタン悪魔の別名です。
ルシファーの周りには奇形な化け物たちがうごめいています。これらの化け物たちはヒエロニムスボシュの影響が強く認められます。 -
貸し出し中の表示です。
「鳥罠のある冬景色」ブリューゲル父作
Winter Landscape with a Birdtrap. 1565
Oil painting 38x56cm
フランス語、オランダ語、ドイツ語の表記だけで英語はありませんが、どうやらロッテルダムの美術館に貸し出し中とのことのようです。 -
次の絵は
「ベツレヘムの人口調査」
The Census at Bethlehem 1566
Wood panel. 115.5x164.5cm -
アントワープから1563年の結婚を機にブリュッセルに住まいを移したブリューゲル父は6
年後の1569年にブリュッセルで死去しています。
長男ブリューゲル(1565年生まれ)、次男ヤンブリューゲル(1568年生まれ)と女の子が生まれています。息子たちは二人共画家になりブリューゲル父の模写を制作しています。
ブリューゲル父家族の住んだ住居が「ブリューゲルの家」としてベルギー王立美術館から南西に800mのところ(Rue Haute 132)に残っています。
ブリュッセルでの6年間でブリューゲル父は結婚後の安定した暮らしの中で多くの傑作を残しています。社会情勢としてはスペインのアルバ公のフェルナンドがここら一帯を属領として占拠し同時にプロテスタント(新教徒)を撲滅すべく弾圧し多数の貴族と市民を数万人を処刑した。同時に重税を課し八十年戦争のキッカケとなった。という苦しい社会情勢でした。
死に当たって、ブリューゲル父は反体制、極端に風刺的な作品を焼却させたと伝えられています。残される妻や家族たちに被害が及ばないようにという配慮であったと言われています。 -
ブリューゲル父作「ベツレヘムの人口調査」の左下の部分です。
新約清書ルカの福音書第2章1-5の記述です。
そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。 -
画面の左の人口調査が行われている建物の部分のアップです。赤い帽子の男が外の様子を見ています。建物の外壁にはクリスマスのリースが飾られているのが見えます。
その奥には凍った池の上でソリ遊び、スケート遊びをする普通の人たちが描かれています。
絵の主題はイエスの生まれた時代とベツレヘムという場所ですが、描かれているのはブリューゲル父の時代とその当時のネーデルランドの風景です。
この様な時空を超えた構図はブリューゲル父の得意わざだと思います。スペインにお咎めを受けない為のブリューゲルの知恵だったのかもしれません。 -
「ベツレヘムの人口調査」ブリューゲル父作の画面の左上の部分です。
ブリューゲル長男の模写にはありませんが、沈んでゆく太陽が描きこまれています。
ブリューゲル長男作は下地に茶色の絵の具が使われている為に、経時変化で全体的に茶色になってしまっています。この太陽の有る無しも大きく印象が違う理由になっています。 -
画面の左下の部分です。
豚をさばいて長い取っ手のナベに豚の血を集めてソーセージを作ろうと作業しているようです。子どもたちはその作業に釘ずけになっています。 -
画面の中央部下の部分です。この大きな樽の中身はワインでしょうか?ビールでしょうか?
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人口調査の窓口に向かうマリアを載せたロバとそれを引くヨゼフです。
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画面の中央上部のアップです。
ブリューゲル父は驚くほどの細密画を描きます。
木の下の部分の空洞を利用した部屋には白い軒先きがつけられています。部屋には3人います。外には樽を利用したテーブルがあって左には給仕のエプロンをつけた女性がいます。その奥の赤いレンガの建物の手前では3つの焚き火があっておおぜいの人が暖を取っています。 -
画面の右手中央部のアップです。
氷の上でコマ回し、ソリ、舟型ソリなどで遊ぶ子どもたちが描かれています。アイススケート靴を足につけようとしている座った男も描かれています。
池に浮かんだ樽には雪が積もっています。その上には黒い鳥がいます。ブリューゲル父は自身の絵に鳥を多く登場させています。鳥は監視者や告げ口などの意味で登場しているようです。 -
この絵はブリューゲル父ではありません。ブリューゲル長男作です。
「劇と聖人行列のあるケルメス」
Kermesse with Theatre and Procession
Peter Brueghel the Yonger
Oil on oak panel. 111x162cm -
長男作
謝肉祭と四旬節の争い
The Fight between Carnival and Lent
Oil on wood panel. 121.3x171.5cm
ブリューゲル父の作品(オリジナル)はウィーンの美術史美術館にあります。 -
ブリューゲル長男(1564〜1638)作
「ベツレヘムの人口調査」1610年制作
1564生まれですから長男66歳の時の作品です。
「ベツレヘムの人口調査」は14枚の複製画があると言われていますが、このベルギーの美術館の作品がブリューゲル父の作品に対して正確に描かれています。
父親の作品たちは個人所有になっていたと思われ息子たちの画家、長男も次男も本物は見ることが出来ませんでした。父親が死んだ1569年には長男は5歳、次男は1歳でした。息子たちは父からデッサン、油彩技法或いはブリューゲル父の技法など教えられませんでした。
彼らはブリューゲル父のアトリエに残された習作や下絵や構図についての文章などなどから父の絵を再構築させたのです。
当時のブリューゲル父の作品はお金持ちの財産目録に載るような高い貨幣価値を持っていました。印刷技術の進歩した現代において、有名な画家の作品を我々が買うように、ブリューゲル父の直系の画家たちの描くブリューゲル父の模写にも高い貨幣価値があったようです。 -
父作では、左の木と右の赤いレンガの建物の間の向こうに沈む太陽がありますが、長男作はありません。
茶褐色に経時変化で変色してしまったことに加えて太陽がないので暗い印象になっています。 -
長男作の画面の左上の部分です。
父の作品に対しても丁寧に描きこまれています。13枚の存在が確認されている長男による複製画の中でも最高レベルの作品であり、それが同じブリューゲル父の部屋で鑑賞出来るのは素晴らしいことだ、と言うのがベルギー王立美術館のコメントにありました。
写真技術の歴史はあのヨハネスフェルメール(1632〜1675オランダデルフト)が構図の作成に利用した光学暗箱(カメラオブスクラ)が16世紀で本格的なカラー写真となると1884年のイーストマンコダックになるようです。また、印刷技術の歴史は1450年のヨハネスグーテンベルクの発明ですが、カラー印刷(網点スクリーン印刷方式)は1886年以降になるようです。
今では、デジタルで劣化のない画像が(情報が)早くて安く(或いは無料で)一般の人間でも利用出来る時代です。ありがたいことです。 -
ブリューゲルの部屋にあった彫刻です。
どんな関係で展示しているのか?
彫刻の作者はブリューゲルとどう言う関係なのか?
黒服の人に質問させて貰いました。
僕らはセキュリティーなのでわからないと言う返事でした。 -
全体像です。
場違いな作風ですが、何か理由があるはずと思っています。 -
鑑賞している人たちを鑑賞するのも「鑑賞」の一つだと思います。
鑑賞している様子で、その人にとってその作品が「何か」分かります。 -
ブリューゲル父の作品を鑑賞する人たちです。
今では、芸術家は自己表現として作品を制作し、鑑賞者は美術館を始めとする公共施設で鑑賞します。ブリューゲルの時代では祭壇画のような宗教画は教会(公共施設)で見ることが出来ました。教会で芸術作品に求められる機能は、信者が「聖書の啓示に触れ自己を悔い改め更に信仰を深める」ことに効果的である事でした。
1551年のアントワープの画家の組合「聖ルカ組合」の名簿にブリューゲルの名前が残っています。組合とはギルドの事で、中世から近世にかけて存在した職業別組合で封建制維持のための産物です。ギルド参加は親方資格を持つものと定められ徒弟制度、身分制度が明確化されました。品質規格、販売価格も決められギルドで親方資格を得なければ作品を販売する事は出来ませんでした。 -
床に寝転んで作業する小学生たち、先生も絵の解釈を説明するのではなく、それぞれの子どもが自分の意見を言わせるような授業をしていました。
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美術館の1階ロビーに展示されている現代芸術作品です。アメリカの衛星ロケットの最先端部分の宇宙飛行士が乗り込んでいる部分の装置が復元されて作品としての存在を主張しているようです。
2012年にロスアンジェルスでスペースミュージアムで本物を見たの思い出しました。 -
近代絵画とマグリットの方へ進む下のエスカレーターです。
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地下は近代美術館
印象派とベルギーの地元の作家の作品が並んでいます。
殆ど人がいません。
オーディオガイドは展示室にいる女性に切り替えして貰います。 -
近代絵画のコーナー
手前にロダンの彫像がある。 -
今日のベルギー王立美術館の鑑賞を終えました。
美術館を出て左折し王宮の前の広場を左折するとホテルに至る道です。
美術館を出て右折して途中右折するとブリューゲルが住んだと言われる家に到着します。
ベルギー王立美術館から歩いて10分くらいだったと思います。
中には入れないようでした。ブリューゲルの家を表示した金色のプレートが掲げられていました。
雨の中、iPhoneで撮影した動画です。
http://youtu.be/wMg7sU28b3g -
近年復元された通称「ブリューゲルの家」ブリュッセルホーホストラート132番地
ブリューゲルの家の前の道を反対側に渡って写真を撮ってみました。
横パノラマです。 -
ベルギー王立美術館のYouTubeサイトでも紹介されています。
音声はフランス語で英語の字幕付きです。
http://youtu.be/nuj8R7856KU -
1月16日はアントワープへ日帰り
youtubeです
https://youtu.be/QVR9nO-GQgI
1月17日はサンミシェル大聖堂、漫画博物館、オートワールド、水漏れで部屋を変わる
大聖堂youtubeです
https://youtu.be/8qe2ib5EKNE
オートワールドのyoutubeです(14分と長いですが車好きの方には必見です)
https://youtu.be/D5kMcoSkJ7g
エアーミュージアムyoutubeです
https://youtu.be/XsJrxDrAWGg
1月18日は市内観光
1月19日はブリュージュへ日帰り
youtubeです(4Tはまだアップ出来ていません)
https://youtu.be/76hpg3y9bhY
1月20日はシティサイトシーイングブリュッセルで市内近辺観光
youtubeです(1分半です)
https://youtu.be/JKxH3LV3_hM
今日は1月21日木曜日 晴れ
帰国日
ベルギー王立美術館へもう一度行きました。
この日のホテルのレストランの朝食はイタリアの団体客が大勢いて賑やかでした。やはり、食事は賑やかの方が楽しいです。
小学生たちの課外活動が来ていました。 -
ゴッホが1枚ありました。
このフロアは誰もいませんでした。
守衛の女性が二人大きな声で雑談していました。
ゴッホの絵は彼の存命中には一枚しか売れませんでした。 -
ポールゴーギャン(1848〜1903)
緑のキリスト 1889年制作
印象派の画家たちの多くはジャポニズムであり日本ファンでした。このゴーギャンの作品も日本の浮世絵の影響が強く出ています。 -
ルーベンスの特集をやっていました。
-
ピーターポールルーベンス作の
「東方三博士の礼拝」もベルギー王立美術館の収蔵作品です。
The Adoration of the Magi 1619
Peter Paul Rubens
Transferred from wood to canvas.
384x280cm
見上げないと全部が見えません。高さが4m近くもある大きな作品です。木からキャンバスに移されたということで気がつく人もいると思います。そうです、この絵はベルギーの南にあるカプシンフランチェスコ教会の祭壇を飾っていた絵でした。それをキャンバスに移したのです。
ルーベンスの歴史的瞬間を荘厳に描いたこの構図は、同じ主題を描いてもブリューゲルとはこれだけ違うのです。この場合は画家の技量の問題ではないと思います。スポンサー(絵の依頼主)の違いは大きいと思います。ルーベンスの依頼主の教会は「信徒たちがひれ伏し、自己を悔い改め、信仰心を更に深める」ような祭壇画を要求しました。
同じものを見る、同じものを聞く、同じインプットがあってもそれぞれの個人が受けるものは、更にそれぞれの個人がアウトプットするものは違います。 -
ブリューゲル父はルーベンスに大きな影響を与えています。ちなみにブリューゲル父は1525〜1569年でルーベンスは1577〜1640年です。つまりブリューゲル父の死去8年後にルーベンスは生まれています。
ブリューゲル父の作品「エジプトへの逃避のある風景」1563年 はロンドンのコートールド美術館に収蔵されていますが、ルーベンスのコレクションであった時期がありました。
また、ヤンブリューゲル(ブリューゲルの次男)はアントワープのルーベンス工房にいたこともありました。
アントワープのルーベンス工房訪問記です。
http://i.4travel.jp/travelogue/show/11102907 -
ルーベンスの「東方三博士の礼拝」の中央部分のアップ画像です。
右上の黒人のエチオピア王の横顔はルーベンスの「黒人の顔・四つの習作」から持ってきています。
これだけの大きな作品は足場を組んでの制作になります。ルーベンスの工房には優秀な弟子たちが大勢いました。彼らには得意分野があってそれは人物だったり、髪の毛だったり、動物だったりして、一つの絵を部分部分で分業したと言われています。幼子イエスの前に跪くギリシャ王の美しい黄金色のケープは一番弟子バンダイク(後に英国王室のお抱え画像となる)が担当したと言われています。 -
右隅の男の子の部分をアップしました。可愛い男の子の横顔です。
全体図で見ると分かりますが、構図の上からはこの子この部分にいる必然性はないような気がします。この子はルーベンスの長男であることがブタペストの国立美術館の「アルベルトルーベンスの肖像画」(ルーベンスの長男の肖像画)から証明されています。
写真はありませんが、このベルギー王立美術館のルーベンス収蔵作品に「ゴルゴダへの道行き」があります。数多くの画家たちが描いたキリスト教の主題です。ピラトに死刑宣告を受けたイエスが自ら自分が磔刑になる十字架を背負い処刑場の丘ゴルゴダへ向かう場面です。色々な構図で各々の画家が画家独自の創造をしています。「ゴルゴダの道行き」だけでも色々な作者の作品を見てまわるのは面白いかも知れません。
話は戻ってルーベンスの「ゴルゴダへの道行き」です。中央部に十字架の重さに耐えかねて、倒れこむイエスとイエスの汗を拭いているベロニカが描かれています。イエスの顔がルーベンスの自画像から引用されています。ベロニカはルーベンスの後妻へレンヌです。ルーベンスは当時の超スーパースター画家でした。それにしても教会の祭壇画のイエスの顔に自分の肖像を描かせるとは?と思います。この作品は1634年で亡くなる1640年の6年前ですリューマチで苦しんでいたルーベンスは自分を永遠に残したかったのでしょうか? -
ルーベンスの習作です。
「黒人の顔・四つの習作」
Four Studies of the Head of a Black Man
Translated from wood to canvas. 51x66cm
Peter Paul Rubens.
「東方三博士の礼拝」のエチオピア王の顔に採用されています。 -
上の段の中央の習作が使われています。
-
ジャックルイダヴィッド 1748パリ生まれ〜1825年ブリュッセルで死去
「マラーの死」The Death of Marat 1793
キャンバスに油彩 165x128cm -
パリにて1793年7月3日医師、ジャーナリスト、国民公会のジャコバン派議員であったジャンポールマラーは反対派の貴族の娘シャーロットコルディにより刺し殺されます。
画家のジャンルイダヴィッドはフランス革命の中に活躍した政治家でもありました。ナポレオンが失脚して王政復古になるとブリュッセルに亡命します。 -
フランス語は分かりません。暗殺者であるシャーロットの手紙を左手に持ち、右手には自由の象徴のペンを持っていると解説されています。
1793年7月3日マリーアンシャーロットコルディによりマラーは、、、というような事が書かれているように見えます。
革命側の士気を鼓舞する絵だったと思います。 -
ダヴィッドの作品で有名なのはナポレオンの戴冠式の絵です。正確には「皇帝ナポレオン一世と皇后ジョセフィーヌの戴冠式」です。幅10m高さ6mのとてつもなく大きな絵です。ルーブルとベルサイユに一枚づつあります。
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作品を鑑賞する人
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「マーラーの死」は特別の意味があるようです。
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ベルギー王立美術館のミュージアムカフェです。昼休みの時間でしたが閑散としていました。
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これでは商売になりません。
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ミュージアムカフェのオープンテラスです。誰もいませんでした。
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グランプラスの手前の通りのチョコレート屋さんLa Belgique Gourmandeです。イニシャル型とかボルトとナット型のチョコレートを土産にしました喜ばれました。
グランプラスのChoco-Storyチョコレート博物館で買ったコンテントの違うチョコレートも良いお土産になりました。 -
グランパスを出た通りにある立ち食いのワッフル屋さんで全部載せに挑戦しました。
帰国後の定期検診でHa1cが急上昇し担当の先生に叱られました。
奥に若い女性観光客が写っていますが、若い人向けのメニューです。
写真の多量なチョコレート下にワッフルがあり、その上には多量のイチゴとバナナがありました。
一応完食しました。 -
ホテルの前とグランプラスの手前の広場では今日もミュージカルパフォーマンスがありました。
http://youtu.be/PxGGOGgD0eY -
20:50発のANAの成田直行便で帰りました。
Brussels Airlineのラウンジです。
カウンターは明るい話好きのケニアの女性でした。休みを取ってケニアに帰ってきたと言っていました。
おかげさまで、無事に帰国が出来ました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
孫のレースのワンピースはムスメのリクエストのグリーンのを買って帰りました。タックスリファウンドもスムースでした。ムスメと孫にワンピースは大好評+大喜びでした。
あと、ブリュッセルのタックスリファウンドは
145.01ユーロ以上でした。孫のワンピースは145ユーロでしたが書類には145.01ユーロと記入してくれました。孫がワンピース着たところをiPhoneで動画に撮ってyoutubeで「Rubbrecht 」のお嬢さんに送りました、おばあさんも喜んでいたそうです。あなたの孫娘は将来はファッションモデルになれると言っていました。ブリュッセル空港 (BRU) 空港
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この旅行記へのコメント (2)
-
- karasukkoさん 2016/06/01 14:06:12
- ご無沙汰しております。旅行記への投票ありがとうございました。
- norio2boさん
遅ればせながら、旅行記への閲覧、投票ありがとうございました。
旅行後すぐ旅行記をアップされる方が多いのに、私ときたら、2,3か月は言うに及ばず、今回など半年以上もかかってしまいました。そんなのんびりな私ですから(?)投票をいただいたことも今気づいた、という有様です。
norio2boさんは、ブリューゲルがお好きなんですね。
私も、あの質感やスケールには圧倒された記憶があります。でも、もう美術館で見るのは、首が疲れて疲れて・・・、なんていったら叱られるでしょうか・・・?
ですから、旅行記で_写真を通してですが_コメント付きで鑑賞できてしまうのは、嬉しい限りです!!
でも、ベルギーも以前のようにのんびりと旅をできる国ではなくなってきたことに、寂しさを覚えます。
karasukko
- norio2boさん からの返信 2016/06/12 08:01:57
- Re: ご無沙汰しております。旅行記への投票ありがとうございました。
- メールありがとうございます。
ブリューゲルはアントワープにも2枚あります。ブリュッセルから日帰りで行って来ました。
今後ともよろしくお願いします。
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