2017/10/14 - 2017/10/14
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毛利慎太朗さん
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平成29年10月に日帰りで行ってきた一人旅です。
大物忌神社の御朱印が見開きだったので、見開きでいただける鹽竈神社と、榴岡天満宮の御朱印が3連だったら見事だなあと思い、決行した次第です。
今撮りためた写真を振り返りますと、歴史的建造物や著名な方にまつわる物を見て回った、近場に行った割には旅行記にする甲斐のある旅でした。
8:00 一ノ関 発
↓普通 仙台行き
9:15 塩釜 着
鹽竈神社→えびだんごや→鹽竈神社博物館→御釜神社
13:54 本塩釜 発
↓普通 あおば通行き
14:20 榴ヶ岡 着
榴岡天満宮→陸奥国分寺
薬師堂駅から地下鉄仙台駅まで東西線で移動。
酒蔵大沼で一杯やる。
18:58 仙台 発
↓普通 小牛田行き
19:42 小牛田 着
19:54 小牛田 発
↓ワンマン 一ノ関行き
20:41 一ノ関 着
※平成30年9月公開、令和4年5月、令和7年9月修正
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅の始まりは一ノ関駅。
8時丁度の仙台行きに乗り込むとしますか。
昨日までこのスジは719系が担当しておりましたが、ダイヤ改正で見事にE721系に置き換わりました。
なんとこの日の運用は1000番台ではございませんか。一ノ関駅 駅
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こ線橋の上からパシャリ!
一ノ関駅 駅
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横からも。
整った4両編成ですこと。一ノ関駅 駅
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酒田へ出向いた時もやりましたが、鏡で歪んだお姿もパシャリ!
719系よりも鏡では歪んでないな(笑)一ノ関駅 駅
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発車するちょっと前に金太郎も撮っておきましょう。
本当に発車するギリギリなので、乗り遅れる方はマネしないように。
出来は酒田に行った時より今一つですが。一ノ関駅 駅
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さて、塩釜につきました。
塩釜駅から鹽竈神社まで表参道経由で二十五分。
陸奥國一宮(むつのくにいちのみや)の額を見上げれば、格の重みを感じさせてくれます。鹽竈神社 寺・神社・教会
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階段は二〇二段あります。
見返すと足がすくみそうです。
仙台駅で乗り換えて当神社を訪れる際は、仙石線本塩釜駅で降りて、なだらかな東参道を通ることをお勧めします。鹽竈神社 寺・神社・教会
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階段を登ったところに楼門(随身門)があります。
御本殿以下十四棟の建物と石鳥居一基は宝永元年(1704)に竣工されたもので、国の重要文化財に指定されております。
なお、宝永の頃より二十年に一度、式年遷宮の制度が設けられ現在に至っております。鹽竈神社 寺・神社・教会
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◎左大神(さだいじん)
豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)と申し上げます。
鹽竈神社の正門である、楼門に右大神とともに鎮座し、善男善女の参拝を見守っております。
くれぐれも「左大臣」と間違わないように。
楼門の向かって右手に御鎮座しておられましたが、本殿から見れば左手なので「左大神」なんでしょうね。
狛犬と同じく向かって右手なので、口が開いております。鹽竈神社 寺・神社・教会
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◎右大神(うだいじん)
奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)と申し上げます。
こちらはお若い姿の神様で、口を閉じて睨みを利かしております。鹽竈神社 寺・神社・教会
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楼門を手水舎の後ろ側から撮ってみました。
枝垂桜が柳にみえ、なかなか風流な感じです。鹽竈神社 寺・神社・教会
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神明社や稲荷社など末社が並ぶ一角の向かいにある樹齢八百年の御神木(杉)です。
天に向かって真っすぐ伸びており、生命力を感じさせてくれます。鹽竈神社 寺・神社・教会
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平成十九年に来日された中華民国(台湾)第四代総統、李登輝閣下が植樹された「メグスリノキ」です。
台湾と日本の深い絆を感じる樹木ですねえ。鹽竈神社 寺・神社・教会
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「唐門」です。
平成二十八年十一月に訪れたときは白い幕で覆われて修復中でしたが、全貌が露わになってきました。鹽竈神社 寺・神社・教会
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修復直後とあって漆の光沢が眩いです。
鹽竈神社 寺・神社・教会
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唐門右手、阿形の狛犬
延享四年(1747)の作
普通阿形に角はないのですが、こちらは違うみたいですね。鹽竈神社 寺・神社・教会
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唐門左手、吽形の狛犬
こちらはウルトラマンみたいですね。鹽竈神社 寺・神社・教会
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さて、お詣りしましょうか。
鹽竈神社は、武運長久、塩づくりや漁業の守護、家内安全、延命長寿、交通安全、厄除け、安産守護の神様として崇敬されております。
写真は右宮と左宮の拝殿です。
奥に檜皮葺(ひわだぶき・ひのきの皮で屋根をふいたもの)の御本殿が二棟鎮座しております。
左宮(この位置から向かって右側)の御祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)、鹿島神宮の神様です。
右宮(向かって左側)の御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)、香取神宮の神様です。
両方の神様は陸奥国の平定にご功績のあった神様です。鹽竈神社 寺・神社・教会
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写真は別宮の拝殿です。
別宮の御祭神は鹽土老翁神(しほつちおぢのかみ)、陸奥国平定の際、道案内をなされ、そののち当地に留まって塩づくりの技を人々にお広めになった神様です。
こちらの御本殿も檜皮葺となっております。鹽竈神社 寺・神社・教会
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文治の燈籠(ぶんじのとうろう)
源平合戦の英雄である、源義経公
兄・頼朝(征夷大将軍)に許可を得ず、官位を受けたがために都を追われ、過去に保護を受けた藤原秀衡公を頼って奥州平泉へ落ち延びます。
しかし、文治三年(1187)には秀衡公が身罷られます。
父上の御遺訓を守って義経公を主とし、支えてゆこうと血のにじむ決意をした和泉三郎・忠衡公が奉納した燈籠です。
でも、その甲斐むなしく文治五年、頼朝に屈した忠衡公の兄、泰衡によって義経公は討たれ、忠衡公も誅殺されてしまいます。
場所は違えど、「夏草や兵どもが夢のあと」といった光景を垣間見ることができます。
平泉は住まいの隣町なので、あまり「夏草やー」とは感じがたい気がするので、ここでリアルに感じておきましょう。
ちなみに、俳聖・松尾芭蕉翁は元禄二年(1689)にこちらの燈籠をご覧になり、そのことを「奥の細道」に綴っております。鹽竈神社 寺・神社・教会
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解説文にある通り「文治三年七月十日和泉三郎忠衡敬白」とあります。
鹽竈神社 寺・神社・教会
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◎文化の燈籠(ぶんかのとうろう)
文化6年(1809)仙台藩主・伊達周宗公の寄進。
製作には仙台のほか、田茂山(岩手県奥州市)の鋳物師も関わったんだとか。
奥州市というより、水沢、江刺、岩谷堂といったほうが私にはまだなじみ深い地名ではありますが、あのらへんも盛岡と同じく鋳物づくりが盛んな地域ではありますね。
はたしてあのらへんでつくられた鋳物を南部鉄器といっていいものか?
一応、岩谷堂も水沢も仙台藩の領地なんですがね。鹽竈神社 寺・神社・教会
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燈籠には麒麟、獏、象などの飾りがありました。撮った当時は鵺(ぬえ)だと思っていたのですが、鵺は顔が猿で、体が狸、脚が虎、尻尾が蛇だと言うことを思い出しました。
これだと、顔が人間で、体が馬、なんだかケンタウルスみたいですね。
麒麟とも違うような?
次行った時、ガイドさんに聞いてみようと。
→後に「白澤(はくたく)」と判明。鹽竈神社 寺・神社・教会
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さて、御朱印を頂く間、左宮と右宮の拝殿の向かって左手にある、御待殿を見学。
明治十四年(1881)御巡幸の際、供奉(ぐぶ=おとも)されていた有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)殿下が御染筆(揮毫)された「東北鎮護」の額です。
昭和初期まで神門に掲げられていたそうで。
熾仁親王殿下といえば、和宮さまのご婚約者として識られており、公武合体において、一番被害を被られた方なんじゃないかなあと思います。
1950年代、増上寺の発掘調査の際に出てきた烏帽子に直垂姿の、人物の写真は御主人である徳川家茂公なのか、熾仁親王殿下だったのかは歴史をかじってる者にとって大変浪漫をくすぐられる話ですね。
(その写真は日光にあたったためかすぐ消えてしまったそうな)
戊辰戦争では、まるで公武合体のお恨みを晴らすがごとく、東征大総督(いわば徳川慶喜追討軍のトップ)を務められました。
御一新ののち、左大臣・陸軍参謀総長の要職を務められました。
大帝陛下のご信任も篤く、御名代として明治十五年にロシア皇帝・アレクサンドル3世の即位式に御臨席されました。
明治期における、皇族の第一人者と呼ぶに相応しいお方でした。鹽竈神社 寺・神社・教会
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作品の題は忘れてしまいましたが、鹽竈神社の御祭神を描いた絵画です。
昭和六十一年(1985)木下翔逅(きのしたしょうこう)画伯によるもの
左手、白い髭の神様が、鹽土老翁神
白い服の神様で、矛を持っておられる神様が、武甕槌神
青い服の神様が、経津主神鹽竈神社 寺・神社・教会
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この一帯(志波彦神社の前)は明治九年(1876)御巡幸の際、明治大帝陛下より「またとない景色だ」とおほめ頂き、「またなのおか」と呼ばれているそうです。
手前に見えますのは国歌「君が代」にうたわれております、さざれ石です。
大物忌神社で拝見してから二週間後にまた拝見できるとはありがたや。
大物忌神社の項でうまく説明できませんでしたが、学名は石灰質角礫岩といわれ、風雨によって、小石から炭酸カルシウムなどの成分が溶け出し、周囲の小石とくっついてやがて大きく巌(岩)となっていく様子から「さざれ石の巌となりて」となるわけです。 -
当日は薄曇りでした。
うっすらと見える山並みは金華山です。
ここには写ってませんが、七ヶ浜の火力発電所の煙突なんかも見えますよ。 -
※参考までに平成二十八年六月にスマートフォンで撮った写真です。
画質がイマイチですが、一応参考記録として。 -
さて、志波彦神社をお詣りしましょうか。
鹽竈神社に負けじ劣らじ、立派な神門です。
さすが、延喜式内社の名神大社です。
延喜式内社とは、ざっくりいえば延喜式という平安時の法典にのってる神社のことです。
延喜五年(905)醍醐天皇の命により編纂が開始されたので、延喜式と申します。志波彦神社 寺・神社・教会
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◎志波彦神社の御祭神
鹽竈の神様に御協力されたと伝えられている・志波彦神(しはひこのかみ)をお祀りしております。
◎志波彦神社の御神徳
農業守護、国土開発、殖産の神
◎志波彦神社の御由緒
もとは東山道より多賀城に入る交通の要所、宮城郡岩切村、冠川(現在、仙台市宮城野区岩切の七北田川)の畔に鎮座しておりました。
延喜式内社で名神大社に名を連ねた社もいつの間にか衰退し、延宝三年(1675)の再建時には横六尺あまりの小さなお社になってしまいました。
鹽竈神社より七年も早く、明治四年(1871)国幣中社に列されました。
明治大帝陛下の御思召しにより、明治七年(1874)鹽竈神社の別宮本殿に祀られました。
昭和九年(1934)に現在の御社殿が竣工し、昭和十三年(1938)御遷座なされました。
昭和三十八年(1963)神門を含む御社殿は塩釜市の文化財に指定されました。
※写真は志波彦神社の拝殿、こちらの御本殿も檜皮葺です。志波彦神社 寺・神社・教会
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昭和二十六年(1951)学習院高等科の修学旅行で塩釜に御行啓なされた皇太子殿下がお手植えになられた五葉松です。
三笠宮殿下や常陸宮殿下がお手植えになられた五葉松もあり、皇室との縁の強さが感じられます。志波彦神社 寺・神社・教会
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◎鹽竈神社・志和彦神社の御朱印について
この日は鹽竈神社御待殿脇、プレハブの御朱印所でいただきましたが、平成三十年四月にお詣りしたときは左宮と右宮の拝殿の向かいにある御朱印所でいただきました。
初穂料は鹽竈神社・志和彦神社両社分、見開きで五百円でした。 -
時刻は11時をまわり、お腹が空いてきました。
鹽竈神社博物館前にある「えびだんごや」で休憩しましょうか。
午後に行くと三色だんごが売り切れという事が多いので、参拝記念に食べていきましょう。
※改装され、店名も「茶屋 鹽竈」となりました。 -
これが、三色団子(五六〇円)です。
団子は五粒ずつあります。
この中では、胡麻が好みの味です。
理由は、擦りたての胡麻の香ばしい香りがしたので。
団子にしては観光地価格という感じもしますが、レトロな店の雰囲気と美味しい団子を食べられるので、プライスレスです。 -
このあと鹽竈神社博物館を見学予定だったので、食べられるときに食べておかないとと思って、もう一つの名物であるみそおでん(四二〇円)も食べていくことに。
具はこんにゃく五切れと笹かま三切れです。
味噌は結構甘めで、お茶請けに程よいです。 -
さて、腹ごしらえも済んだので、博物館を見学しましょう。
◎展示物について
一階はみなと祭りなどで運行される神輿、国包(くにがん)など奉納された太刀、延喜式・吾妻鏡・伊達忠宗公の黒印状といった歴史書や古文書など。
二階は七月の藻塩焼神事のビデオ解説、海洋生物・漁業・塩づくりに関わる展示でした。
一番気になった展示は、江戸時代、鹽竈神社に奉職していた禰宜「藤塚式部」に関する展示。
寛政年間(1789~1801)に当神社の神仏分離を訴えた人物で、「海国兵談」を著した林子平などとも交流がありました。鹽竈神社博物館 美術館・博物館
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次は、藻塩焼神事で識られる御釜神社をお詣りしていきましょう。
御釜神社は鹽竈神社の境外末社です。
御祭神は鹽竈神社の別宮と同じく鹽土老翁神です。
◎藻塩焼神事(もしおやきしんじ)とは
毎年七月に斎行される御釜神社の神事です。
三つの神事からなり、古代の塩づくりの技術を伝える神事として昭和五十四年(1979)宮城県無形民俗文化財に指定されております。
※藻刈神事(もかりしんじ・七月四日)
七ヶ浜町花渕沖に船を出し、ホンダワラという海藻を刈り取ります。
※水替神事(みずかえしんじ・七月五日)
松島湾釜ヶ淵より満潮の塩水を汲み、神釜(しんかま)の水を入れ替えます。
※藻塩焼神事(もしおやきしんじ・七月六日)
境内の石竈に鉄製の平釜(神釜と同じような造り)をのせ、その上に竹の棚を設けます。
棚の上にホンダワラを広げて、海水を注ぐことによって濃度の高い海水ができます。
これを火打石でおこした忌火(神聖な火)で煮詰めていきます。
出来上がった藻塩はまず御釜神社の例祭で供えられ、七月十日の鹽竈神社の例祭にも供えられます。御釜神社 寺・神社・教会
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四口の神釜(よんくのしんかま)について
古来、鹽土老翁神が塩づくりに用いたとされる四つの釜がこの中に安置されております。(初穂料百円で拝観可能・撮影禁止)
「塩釜」という地名の由来になったところでもあります。
かつては七つあったそうですが、「赤眉」という盗賊が三つ盗んでしまったそうです。
そのうちの一つが水替神事の時に塩水をくむ、釜ヶ淵の海の底に沈んでいるそうです。
この神釜には
「釜の水があふれない、干上がらない」
「変事の前には釜の水の色が変わる」
といった言い伝えがあり、伊達政宗公が身罷られたときや、東日本大震災のときに釜の水の色が変わったとされております。
兵庫県の石の宝殿(いしのほうでん)、鹿児島県の天逆鉾(あまのさかほこ)とともに「日本三奇」の一つに数えられております。御釜神社 寺・神社・教会
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◎御釜神社の末社、牛石藤鞭社(うしいしふじむちしゃ)
この神社の伝説が結構好きなエピソードだったりします。
むかし、和賀佐彦(わかさひこ)という神が「七歳」の姿となって牛に塩の荷物を引かせます。
その牛が石になって境内の池に沈んでおり、一年に一度、水替神事の際にその姿をみることができるそうです。
また神様が鞭に使った藤の枝は、たてかけておいたところ、枝葉が茂り、瞬く間に大木になったそうです。
某ニコニコ動画投稿者に「永遠の七歳」を自称する方(牟田口詐欺、トルーマン詐欺、黒歴史といったらわかるかな)がおられますが、ひょっとしてこの説が有力なんじゃないかwと、心くすぐられることもあります。御釜神社 寺・神社・教会
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そろそろ榴ヶ岡方面に向かうとしましょう。
写真は13時54分発あおば通行き、これに乗り込みます。
下の余白が多い写真ですが、カーブの感じが撮れてるからいいかな(笑)本塩釜駅 駅
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さて、榴岡天満宮にやってまいりました。
唐門の前、「撫で牛」が鎮座しております。
菅原道真公(天神さま)と丑(牛)のつながりは強く、丑年にお生まれになり、お亡くなりになられたとき、轜車(じしゃ・棺を乗せた車)を牛にひかせ、大宰府の丑寅(北東)の方向を墓所とされました。
ですから、天神さまの御使いとされており、この撫で牛は天神さまと参拝者を繋ぐ重要な役割を果たしております。
鹽竈神社にも撫で牛はありますが、こちらは商売繁盛に御利益があります。
(牛のよだれのように細く長くという意味が込められております。)榴岡天満宮 寺・神社・教会
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唐門は仙台市の有形文化財。
榴岡へ遷座したときの面影を残す唯一の建造物。
小さいながらも、雅な造りです。榴岡天満宮 寺・神社・教会
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◎榴岡天満宮の御由緒
天延二年(974)、山城国(現在の京都府)に御創建。
のちに平将春が陸奥国宇多郡(福島県)へ御勧進。
柴田郡川内村(宮城県柴田郡川崎町)、小俵玉手崎(仙台市青葉区)、仙台東照宮の境内地東側を経て、寛政七年(1667)現在地へ御遷座。
元禄二年(1689)松尾芭蕉翁も「奥のほそ道」でここを訪れている。
寛政七年(1795)落雷により、唐門を残して御社殿が焼失、現在の御社殿はその頃の再建。
明治九年(1876)明治大帝陛下の御参拝を賜る。
平成二十三年三月十一日の東日本大震災で被災し、二年半にも及ぶ修復工事を行った。榴岡天満宮 寺・神社・教会
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御本殿はこんな感じです。
総欅づくりの立派な御社殿、「照星閣」と呼ばれております。榴岡天満宮 寺・神社・教会
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さて、授与所脇の玄関を上がった先が御朱印所になります。
平成30年7月には、授与所で頂きました。
その日によって、違うのかな?
御朱印帳を預けると、それほどの大きさがある木札が渡されます。
番号札みたいに紛失しないところはいいと思います。榴岡天満宮 寺・神社・教会
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初穂料は三百円。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
道真公が大宰府へ下られる際に、愛されていた庭の梅の木に送った歌です。
たとえ都から離れようとも、春になればその梅の香りを大宰府に届けておくれという歌で、「飛梅伝説」の由来になった歌です。
私の好きな和歌の一つでもあります。
平成二十八年十一月にいただいた時よりも筆遣いが力強く、梅の枝のお印も加わって、華やかな印象です。 -
こちらが平成二十八年に頂いたもの。
筆遣いが流暢すぎて、読めないですが、それがまた風流な感じを醸し出しています。 -
歩いて陸奥国分寺のガイダンス施設までやってまいりました。
時刻は午後3時半。
見切れてますが、右手が「天平回廊」の一部です。
無料で見学できますが、御朱印頂ける時間の都合もあるので、見学はサラッとです。
国分寺の分布図とか、多賀城みたいに「第1期」とか「第2期」とかいう用語がありましたが、短い時間だったので内容は消化できませんでした。
奈良・平安時代の国分寺の解説がメインなので、鎌倉以降の解説と、七重の塔の解説がもう少しあれば楽しめたなあと思いました。
まあ、無料なので欲はいえませんが。
仮に有料にするのであれば、東北歴史博物館や仙台市博物館から、模型と焼け落ちた相輪(七重の塔のてっぺん)をこっちに移してもらって、入館料100円といったところかな。 -
◎陸奥国分寺 仁王門
奈良時代における陸奥国分寺の南大門跡。
慶長十二年(1607)建立と伝わります。
宮城県指定有形文化財。
薬師堂が瓦葺の堅固で荘厳な感じに対して、茅葺でどこか懐かしみをおぼえる素朴な造り。
裏には福島のわらじ祭で使われるようなでっかいわらじが奉納されていました。 -
仁王門の額には「護國山」と記されております。
正式名称は「護國山医王院国分寺」、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら・全国にある国分寺の正式名称)と申します。
現在の宗派は真言宗智山派。
天平時代(西暦740年頃)聖武天皇の発願(ほつがん)により建立。
平安時代まで陸奥国府(多賀城)の支援を受け隆盛を極めるも、室町時代になるころには衰退。
慶長十二年(1607)伊達政宗公により薬師堂と、仁王門が建立。
以後伊達氏の庇護を受け、薬師堂をはじめとして二十五坊の伽藍を誇るも、明治の廃仏毀釈のあおりをうけ、現在は薬師堂・仁王門・鐘楼・準胎観音堂(じゅんていかんのんどう)・本坊を残すのみとなる。
なお、国分寺とともに建立された陸奥国分尼寺(現在は尼寺ではなく、曹洞宗の寺院)も現存し、仙台三十三観音の第二十四番札所であり、御朱印も頂ける。 -
さて、薬師堂にやってまいりました。
奈良時代における国分寺の講堂跡。
国の重要文化財に指定されております。
本尊の薬師如来は毎年二月十一日の七日堂修正会で御開帳されます。陸奥国分寺跡陸奥国分寺薬師堂 寺・神社・教会
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奥行きもけっこうありますね。
東西南北ともに14.93メートルの規模を誇ります。陸奥国分寺跡陸奥国分寺薬師堂 寺・神社・教会
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薬師堂前の狛犬。
右側の阿形、先ほどに比べ、大きくて厳つい感じがします。陸奥国分寺跡陸奥国分寺薬師堂 寺・神社・教会
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対して、左側の吽形。
大阪のおっちゃんなみに、
「ワレなめとんのか」
と言わんばかりに睨みを利かしております。
なお、奥にちらっと見えるのが授与所です。陸奥国分寺跡陸奥国分寺薬師堂 寺・神社・教会
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◎準胎観音堂
仙台三十三観音の第二十五番札所。
延享二年(1745)仙台藩主伊達宗村公により再建。
薬師堂や仁王門の素朴な造りに対し、朱塗りの鮮やかさが目を引く。
仙台市登録有形文化財。 -
準胎観音堂を見学している間に、授与所のお坊さんが薬師堂の扉を閉める作業を始めたので、終わるのを見計らって授与所を再び訪れてみることに。
それまで、薬師堂の東にある木ノ下白山神社をお詣り。
御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、菊理媛尊(くくりひめのみこと)
菊理媛尊は、全国の白山神社の総本宮にあたる、石川県白山市の白山比咩神社(はくさんひめじんじゃ)の神様として識られております。
かつては陸奥国分寺の守護神と位置付けられ、その僧侶が祭礼を執り行い、神仏習合の色が濃い神社でした。
写真の御本殿は寛永十七年(1640)仙台藩主伊達忠宗公の建立。
宮城県の有形文化財。
杮葺(こけらぶき・薄い木材で屋根を葺く工法)の小さな御本殿ですが、独立した造りになっていて、全貌を伺い知ることができ、いにしへの神社建築をじっくり鑑賞することができます。 -
右側が薬師如来の御朱印で、お志は三百円です。
左側が仙台三十三観音の御朱印で、お志は二百円です。 -
帰り際に七重の塔の跡でも見学していきましょうか。
かつて高さ五十七メートルの巨大な塔がここにそびえておりました。
しかし、承平四年(934)雷により焼失。
相輪が地中深くに突き刺さるほどの威力だったといわれます。
さて寺社仏閣巡りはここで打ち止め、地下鉄に乗り込むとしますか。 -
最後にやってきたのは「酒蔵大沼」
「ちだや」無き今となっては駅前でサクッと飲める立ち呑み。
だけど、たまに土曜休みがあるのでそれが痛い。
食券で酒とつまみを選ぶ、立ち食いソバスタイル。
※「酒蔵大沼」は現在閉店しております。酒蔵大沼 グルメ・レストラン
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まずはモルツ(380円)で乾杯、五臓六腑に染みわたる。
酒蔵大沼 グルメ・レストラン
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純鶏網焼き(360円)
焼き鳥食べるよりボリューミーだと思って、今回も注文。
親鶏のこりっとした歯ごたえが、ビールのあてにもってこい!
手前の柚子胡椒をつけてたべてもよし。酒蔵大沼 グルメ・レストラン
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知多ハイボール(400円)
草原をかけるがごとく爽快感のある風味。
これには入ってないけど「スダチがあう」
スダチのかわりに柚子胡椒をつけた純鶏網焼きをあてとするか。酒蔵大沼 グルメ・レストラン
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串揚げ(260円)
注文は2本単位。
右が豚ヒレ、左が蓮根。
薄い衣で食べやすい。酒蔵大沼 グルメ・レストラン
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山崎ハイボール(500円)
知多が草原ならば、こちらは森林かな。
貴重なため、400円から値上げ。
2018年3月に行ったときはメニューから姿を消した模様。
やっぱ最近のウイスキーブームは恐るべし、マッサンの影響が今も続いてるんだなあ。酒蔵大沼 グルメ・レストラン
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ガーリックもやし(360円)
ガーリックと一味のピリ辛でパンチのきいた味。
胃袋に心地よいパンチを食らったのでここら辺で〆といたそう。
モヤシ炒めで360円は、一口ギョウザの310円に比べれば高いような気もするが、そんな細けえこたあ気にしたら負けよ(笑)
なにはともあれ満足のうちに今回の旅を〆ることができました。酒蔵大沼 グルメ・レストラン
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