2018/05/02 - 2018/05/02
41位(同エリア518件中)
キートンさん
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神々の道のトレッキングという最大のミッションを無事終了し、その後の行動を思案した結果、ポンペイ遺跡を見学することにした。
A.C.79年8月24日、ヴェスヴィオ山の噴火の火砕流によって埋もれた街ポンペイ。
長年封印されていた古代都市は、1700年代に発掘され、高度な文明都市の姿が明らかになったという。
あまり予備知識なしで訪れたポンペイ。
しかしそこは、今まで訪れた遺跡とはかなり事情が違っていた・・・
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ポジターノからソレント行きのバスに乗り、なんとか16:37発のナポリ行き列車に間に合った。
ナポリ~ソレント間を結ぶ私鉄ヴェスヴィオ周遊鉄道の車両は落書きだらけだ。
それには改めて驚くことではなかったが、車内の雰囲気は衝撃的であった。
たまたま乗った車両に地元客がたくさん乗ってきたせいかもしれないが、車内の喧騒は凄まじいものだった。
車内をうろうろして遊び回る子供たち。
それを叱る母親の声、大人たちの話声の音量もさることながら、よくそれだけ話すことがあるなと感心するほど話し続けていた。
子供の中には裸足の子もいるし・・・
ナポリ~サレルノ間で乗った2等車両とは明らかに違う客層と混み具合だ。
ポンペイの駅(ヴィラ・ディ・ミステリ)までの30分ちょっとの間、あまりのアウェー感に席の隅で小さくなって過ごすしかなかった。 -
ポンペイ遺跡の入場料は15ユーロ。
チケットを購入したのはいいが、遺跡内の地図をもらうのを忘れていた。
それが後に重大な影響を及ぼすことになるとは、この時は知るよしもなかった。 -
17:20前、遺跡に入場。
遺跡は19:30に閉まるので、見学は最大2時間ちょっととなってしまった。 -
入場すると、まずマリーナ門へと向かう。
前方に見えるマリーナ門はふたつのアーチ門があり、左の小さい方が歩行者用、右の大きい方が馬車用だったようだ。
港に到着した荷物は、ほとんどこの門を通って市内に運び込まれたという。 -
マリーナ門を抜けると、右側にバジリカがある。
延べ面積1500㎡に及ぶバジリカは、フォロの区域で最大の建物で、、裁判や商取引に使われていた。バジリカ 史跡・遺跡
-
バジリカから東を向くと、フォロ(公共広場)の建築物が見える。
-
フォロ(公共広場)の建築物。
フォロは142m×38mの広場で、政治・経済・宗教の中心だった。 -
この時期、ポンペイ遺跡内は花の季節でもあるようだ。
遺跡の地図をもらうのを忘れていたうえに、ガイドブックのポンペイのページのコピーをホテルに置いたままだった。
ぺトラ遺跡は事前にガイドブックを見て、どのコースを歩こうかと構想をたてていたが、ポンペイ遺跡は行けばなんとかなるだろうと思っていた。
なので、どこを優先して見るべきかも全く検討していなかった。 -
バジリカの南にあるシャンピオネの家。
円柱で仕切られたアトリウムと幾何学模様の床装飾が見られる邸宅。 -
イチオシ
スクオーレ通り。
その先にはポンペイの街を消滅させたヴェスヴィオ山が見える。 -
スクオーレ通り沿いにある幾何学模様のモザイクの家。
部屋数60以上でポンペイ全体でも最大級の住宅だったという。 -
幾何学模様のモザイクの家は、白黒のモノクロームで描かれた、迷宮模様やチェスボード模様の床装飾が見られる。
-
東へ進むと三角のフォロに着いた。
三角のフォロは、ポンペイで最も古いB.C.6世紀頃の聖域だったという。
柱廊にはB.C.2世紀に建てられたドリス式の円柱が見られる。 -
三角のフォロに東に隣接する剣闘士の兵舎。
兵舎の上の階には、剣闘士たちのショーの興業主の住まいがあったと思われる。 -
剣闘士の兵舎の列柱。
-
小劇場(オデオン)。
B.C.79年に建設され、演劇や音楽会に利用された。オデオン座 劇場・ホール・ショー
-
大劇場。
中心で少女が歌を披露していた。大劇場 史跡・遺跡
-
イチオシ
大劇場は、B.C.2世紀に建設さた約5000人収容の野外劇場である。
-
今でも夏の夜にはオペラやバレエが催されるという。
-
花咲く野原と廃墟の街。
このあたりから、ポンペイ遺跡の想像以上の規模の大きさを感じ始めた。
世界的に知られる遺跡の大半は、巨大な墓や宗教的なモニュメントであったり、競技場や劇場や水道橋など個々の建造物かそれらが点在するものが多い。
点在する場合でも、目立っていたりコースをたどれば見どころに行き着くことが多い。
しかしポンペイ遺跡は街が丸ごと遺跡になっているので、面的に建物が密集し、重要な見どころが目立たないのだ。
しかも想定外だったのは、遺跡内に案内図が設置されていないことだ。 -
整然とした街区をどういうルートで進むかは、もはや自分の勘を頼るしかなかった。
勘を信じて、大劇場の北の通りを東へ進む。 -
少年よ、何を想う。
「大志を抱いてるんだ!」by 少年。 -
メナンドロの家。
アテネの喜劇作家メナンドロに由来しているという、身分の高い一族の住居。メナンドロの家 史跡・遺跡
-
アトリウムには、イリアスとオデッセイアの場面が描かれているということだが、どれのことやらわからず・・・
-
レンガ調の円柱と床装飾が見られる、もうひとつのアトリウム。
-
メナンドロの家に展示されていた人骨。
-
イチオシ
ヴェトゥティウス・プラキドゥスの家とテルモポリウム。
カウンターに大きなかめが埋め込まれていて、中に保存された温かい食べ物や飲み物を提供していた。 -
ステファノの洗濯屋。
紡いだ糸の油抜きや汚れた衣類や布の洗濯をする作業場として使われた。
織物は当時の主産業だった。 -
ステファノの洗濯屋の奥にあった調理場らしき部屋。
-
アッボンダンツァ通りとスタビアナ通りの交差点の飛び石。
時はすでに18:40前。
見学可能な時間は50分残っていたが、正直結構疲れていた。 -
街を東西に貫くアッボンダンツァ通り。
右側にはスタビアーネ浴場がある。
スタビアーネ浴場は、B.C.2世紀に建設された公共浴場で、ポンペイにあった3つの浴場のうち最大で最も保存状態の良いもの。
美しい内部装飾が残され、ポンペイ遺跡有数の見どころだが、そんなこととはつゆ知らず、完全スルーしてしまった。 -
スタビアナ通りのマルコ・ルクレツィオの家。
ふたつの住宅であったものをひとつにまとめたもの。
アトリウムより一段高い位置に小さな庭園が造られている。 -
ファウノの家はポンペイ最大の豪邸。
列柱に囲まれた大きな中庭がある。 -
雨水を貯める水盤の中央に、ファノウの像があるが、この像はレプリカである。
ポンペイ遺跡のモザイクやブロンズ像は多くがレプリカで、実物はナポリの考古学博物館に展示されているという。 -
18:50過ぎ、フォロ(公共広場)に戻ってきた。
-
フォロの列柱。
-
19:00前なので、あと30分の見学が可能だった。
しかしここから出口とは逆方向に向かって観光を続ける気力と体力は残っていなかった。
この時は、ポンペイ遺跡の主要な見どころをどの程度網羅できたのか、把握できていなかった。 -
不本意ながら19:00頃、ポンペイ遺跡のゲートを出た。
結果的には1時間40分ほどの見学だった。
なお参考に、ポンペイ文化財保護局の遺跡ガイド(日本語)がガイドブックに載っていない見どころの解説がある。
http://pompeiisites.org/allegati/Pompeii_JA.pdf -
ポンペイの駅(ヴィラ・ディ・ミステリ)にあったポンペイ遺跡の案内図。
これに、今回見学したポイント(赤丸)と見学できなかった主要な見どころ(青四角)をマークしてみた。
見学したポイント
○バジリカ
○フォロ(公共広場)
○シャンピオネの家
○幾何学模様のモザイクの家
○三角のフォロ
○剣闘士の宿舎
○小劇場(オデオン)
○大劇場
○メナンドロの家
○ヴェトゥティウス・プラキドゥスの家とテルモポリウム
○ステファノの洗濯屋
○マルコ・ルクレツィオの家
○ファウノの家
見学できなかった主要な見どころ
□秘儀荘
□ジュピター神殿
□フォロの浴場
□悲劇詩人の家
□ヴェッティの家
□娼館
□スタビアーネ浴場
□ヴィーナスの家
□円形闘技場
見学したポイントのうち半分はスルーしても差し支えなかったと思えば、主要な見どころの半分も見学できていないことが帰国してから判明した。
近年稀に見る完全敗北だった。
ポンペイ遺跡を完全になめていた結果ではあるが、ポンペイ遺跡の規模の大きさと見どころの多さを実感する結果でもあった。
エリアの満足度は星3.5としたが、3時間程度効率よく見学できていれば少なくとも星4.5はいっていたと思われる。
個人的には観光地を再訪することは極めて稀だが、ポンペイ遺跡はいつかリベンジすべきだと改めて思った。 -
幸運にも天気はもってくれたが、身体は疲労困憊だった。
ナポリまでの列車は騒がしかったとはいえ、観光客も多かったのでソレントからの列車のような喧騒ではなかった。
夕食はワディ・ラムで会ったイタリア人に教えてもらったSORBILLOというピザレストランに行こうとほぼ決めていたが、ホテルからは距離があったのでその気力がなかった。
結局昨日行ったホテルのすぐ近くのチキン・ハットでケバブを食べた。
明日は雨が降りそうな予報だ。
カプリ島の青の洞窟は、ほぼ絶望的と思われた。
それに代わる見どころはナポリ周辺にはまだあるが、あまり天気が悪いようなら早めにローマに移動して、ローマ観光を優先することもありうる。
この旅も残り2日間。
まだまだ波乱がありそうだ。
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