2018/04/27 - 2018/04/27
31位(同エリア595件中)
キートンさん
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ヨルダンに来たほとんどの旅人が訪れる場所がある。
紀元前2世紀頃、遊牧民ナパタイ人が貿易・交通の要所に定住を始め、ナパタイ王国を建国した。
その首都として繁栄した当時を今に伝える広大な遺跡群。
ヨルダン観光初日、その目的地はヨルダン最大のみどころぺトラ遺跡です。
今日と明日の2日間にわたるぺトラ遺跡観光の始まりです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ロイヤルヨルダン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
朝5:30過ぎ、ヴィラ・ディア・ゲストハウスを出た。
昨日、宿のスタッフにタクシーを頼もうとしたが、早朝でも2ndサークルにタクシーが停まっているという。
2ndサークルまで行くと、確かに2~3台のタクシーが停まっているが、ドライバーは皆仮眠中だ。
まだ時間はあるので、3rdサークルへと歩いた。
3rdサークルにもタクシーが停まっていたので、7thサークル近くのジェットバスのオフィスに行きたいが、いくらか聞いてみた。
すると5JDという回答。
昨日のぼったくりタクシーの一件がなければ、ちょっと高いなと思うところだが、15JDに比べると1/3だし、早朝で1日1便のバスに乗り遅れることはできないので、そのタクシーを利用した。ヴィラ ディア ゲストハウス ホテル
-
6:00前、7thサークル近くのジェットバスのオフィスに到着した。
早過ぎてまだオフィスは開いていない。
このビルの左の方に小さなスーパーが開いていた。
朝食のパンを購入した。
パン1個が0.5JD。
物価は比較的安そうだ。 -
6:00過ぎ、ジェットバスのオフィスが開いた。
早速、日本出発前にメールでのやりとりを印刷したものを見せてチケットを購入した。
料金は、アンマン→ぺトラ片道11JD。 -
日本出発前にジェットバスのホームページでの予約のしかたがわからなかったが、メールでやりとりして、その頃はオンライン予約のシステムを再構築中で使えなかったということがわかった。
なお、5月末時点でホームページを見る限り、オンライン予約の画面が出るので、ネット予約は可能になっているようだ。 -
7:00過ぎにぺトラ行きのバスが到着した。
すでに何人もの乗客が乗っていた。
ホームページの時刻表ではアブダリ6:30発となっているが、メールでもらった時刻表には、インターコンチネンタル・アンマン・ホテル6:50、7thサークル・オフィス7:10にピックアップとあり、アブダリ発の記載はなかった。
しかし、この状況から考えて、通常通りアブダリが始発だったのかもしれない。 -
どこが始発であれ、1日1便のぺトラ行きジェットバスに乗ることが最重要だったので、良しとしよう。
アンマンのムジャンマ・ジャヌーブというバスターミナルからもぺトラ行きのマイクロバスが出ているが、今日金曜日はイスラム教で休日にあたり、バスが減便になるという情報もあった。
ということもあり、とりあえず一安心である。
バスはデザート・ハイウェイという高速道路を南下する。
砂漠の中を走り、時折小さな街を通過して行く。 -
8:50頃、小さなサービスエリアに休憩で停まった。
昨夕の大雨はアンマンだけでなく、このあたりでも結構降ったようだ。
大きな水溜りができるのは、降水量が少ない地域なので、排水施設が日本のように整備がいきとどいているというわけではないからだろう。
このサービスエリアの飲食品は割高だった。
いかにも観光客相手の価格設定だと感じた。 -
山がちなエリアに入ってしばらくした10:30前、バスは斜面地に広がる街を走っていた。
ぺトラ遺跡観光の起点となるワディ・ムーサである。
ジェットバスはこの街での停車はなく、遺跡の入口となるツーリストエリアまで行く。
山間部に入ってから、雲が垂れこめ、もやっているのが気になる。 -
10:30過ぎ、ぺトラのツーリストエリアに到着した。
ヨルダンを旅するにあたり、国内移動の大半がバス移動で、その中でもアンマンからぺトラの移動が最も懸念していた区間だったので、第一関門は突破した心境だ。 -
バスが到着した駐車場近くに、ちょっとした岩の高台があったので上ってみた。
ぺトラの岩山は、日本やヨーロッパでは見られないような、緑のない独特の様相である。
しいて言えば、アメリカのグランドサークルに少し似たような風景があるかもしれないが、やはりアラビアやシナイ半島特有の山容だと思われる。 -
今日と明日の2泊するのが、このラ・メゾン・ホテル。
ラ メゾン ホテル ホテル
-
まだチェックインできる時間ではないので、フロントで荷物を預ってもらった。
荷物に部屋番号のシールを貼って、他人の荷物と区別できるように管理している。
遺跡観光に持って行く荷物をまとめて、11:10頃ホテルを出た。 -
ツーリストエリアの小さなスーパーでミネラルウォーターと昼食を購入した。
このスーパーは、品ぞろえが少なかったが比較的安かった。
後にこの坂の下に、もう少し大きめのスーパーでも買い物をしたが、そこは割高に感じた。 -
ツーリストエリアの観光通り(「地球の歩き方」の地図にそう表記されている)を通って、ぺトラ遺跡のエントランスに向かう。
-
チケットオフィスで2日券を購入。
購入時に窓口でパスポートの提示が求められる。
1日券50JD、2日券55JD、3日券60JD。
これは外国人価格で、国内の旅行者はかなり安かったと記憶する。
外国人にとっては、1日券で8000円近くするという、世界の遺跡の中でも最も高いとも言われる入場料である。
ただ5JDで1日延長できることになるので、2日券、3日券はやや割高感が薄れる。 -
チケットオフィスの建物にはビジターセンターがあり、出土品が展示されている。
ぺトラにはB.C.1200年頃からエドム人という民族が居住していたとされる。
B.C.6世紀頃からエドム人を南へ追いやったナパタイ人が定住しはじめた。
ナパタイ人は、香辛料を中心とした貿易と、交易による関税で利益を得ていた。
また、騎馬隊を隊商路の防衛などにあたらせ、この地域を通るキャラバン隊に安全を保証していた。
ナパタイ文化は基本的にはアラビア文化の流れをくんでいたが、ギリシャ文化の影響も受けていた。 -
エドム人から引き継いだ技術を発展させ、美しく機能的なナパタイ土器を生みだした。
-
ぺトラはキャラバン貿易の隊商路の十字路という要所に位置する。
特にキャラバン隊が運んできた香辛料を、ガザの港からヨーロッパへ運ばれるまでの最後の滞在地だった。
A.C.1世紀頃になると、紅海を利用した海上ルートとペルシャ湾からパルミラ経由で地中海に抜けるルートが主流となり、ぺトラの商業都市としての重要性が低下していった。 -
ぺトラ遺跡の最もオーソドックスな見学ルートは、シーク→ファサード通り→柱廊通りを往復し、時間と体力に応じてその先のエド・ディルまで足を延ばす、スタンダードルートである。
サブルートとしては、犠牲祭壇からワディ・ファラサへのトレッキングルートがポピュラーである。
その他は、ウム・アル・ビヤラという岩山の往復コース、エル・ハズネを見下ろすポイントまで往復するジャバル・フブサなどのトレッキングコースがある。 -
ビジターセンターをさらっと見学したら、いよいよぺトラ遺跡へと向かう。
遺跡のエントランスを抜けると、しばらくは開けた道を進む。
やがて、ジン・ブロックスという直方体の墓が見えてくる。 -
3つの方形墓のうちの、ウッザー(左)とドゥシャラー(右)。
ジン・ブロックスのジンとは、アラビア語で聖霊を意味する。
神の下に位置する存在としての聖霊が宿り、それを祀る場所だったという。 -
左側にはオベリスクの墓(上)とバーブ・アッシーク・トリクリニウム(下)。
4つの尖塔がオベリスクと似ていることからオベリスクの墓と呼ばれているが、誰の墓なのかは不明だという。
バーブ・アッシークとは、遺跡入口からシークまでのエリアを意味し、トリクリニウムとは古代ローマ時代のダイニングルームのこと。 -
入場してから10分ちょっと歩くと、両側に岩が迫るシークへと入って行く。
-
シークとは狭い岩山の裂け目のことで、ほぼ垂直とも思われる両側の断崖は高さ60~100m。
ダイナミックな岩山の裂け目を通って遺跡へと向かうというのも、他の遺跡では経験できないぺトラならではの醍醐味だ。 -
砂漠気候で降水量の少ないこの地方で、水源は限られていたが、ナパタイ人は高度な水利システムを築いていた。
シークの右側に飲用水、左側に灌漑用の水路が通っていた。
現在もその跡が見られるが、崩壊している部分が多く、完全な形では残っていない。 -
シークは思っていたより長かった。
石畳の舗装が途切れた頃、ふいに立ち止まる人が多くなった。 -
行く先の両側の岩の隙間。
それはペトラ遺跡で最も緻密で美しいといわれるファサード。
とうとうその片鱗を現わし始めた。 -
シークが終わる残り数10m。
歩みを進めるたびに両側の岩の幕が少しずつ開いて、ペトラの主役ともいうべきファサードが姿を現わすシーンは、世界中の遺跡見学の中でも最も感動的なシーンのひとつに違いない。 -
イチオシ
シークを抜けるとエル・ハズネが現れる。
それはわかっていても、この登場のしかたはあまりにも出来過ぎたシーンである。 -
エル・ハズネ(宝物殿)。
ぺトラ遺跡を紹介する時、必ず登場する写真がこの建造物である。
エル・ハズネのイメージが強過ぎて、ぺトラ遺跡とはエル・ハズネのこと、それ以外はないといった錯覚を起こしかねないほどである。
ぺトラ遺跡が世界的に知られるきっかけとなった映画がある。
「インディー・ジョーンズ 最後の聖戦」(1989年)
https://www.youtube.com/watch?v=bGN0LuEXBYY -
ぺトラ遺跡の数ある建造物の中でも、緻密な彫刻が最もよく保存されている。
残念ながら今の時間帯は、エル・ハズネ全体を写すには逆光になるので、またの機会にじっくり見ることにする。 -
エル・ハズネから先は広めの谷となり、大きな墓が連なるファサード通りとなる。
幸い青空が広がってきた。
ギリシャが暑かったので、ヨルダンはもっと暑いかもと思っていたが、標高が高いせいか、むしろギリシャより涼しいくらいだ。 -
ファサード通りを抜け視界が広がると、前方に多くの岩窟群、その先にローマ円形劇場へと続いていく。
時刻が13:00前になっていたので、このあたりの日影を探して、ランチタイムにした。 -
イチオシ
ランチを済ますと、スタンダードルートではなく、左に折れて犠牲祭壇からワディ・ファラサへのトレッキングルートを行くことにした。
最初は上りで、振り返ると遠くの山々まで見通せるようになる。 -
狭い谷を上って行く。
まさにトレッキングの様相になってきた。 -
標高差100mくらい上っただろうか。
ルートは比較的整備されていて、迷うようなところはない。 -
所々で露店の土産屋があるのだが、たまに人が誰もいなかったりする。
ここは意外と平和らしい。 -
時計回りに回り込むと、石を積んだ遺構があり、さらに階段が続いている。
-
時々見かける家畜のヤギの群れ。
-
13:30過ぎ、頂上に到着した。
浅いプールのような広い岩は、犠牲祭壇と呼ばれる、生贄を捧げられた聖なる祭壇である。
プールのような窪みに雨水を貯めて、儀式の前に身を清めたという。 -
中央の低い台は、血を抜いた生贄を置いた場所。
階段の先の台が祭壇で、儀式の間、神の像が配置された。
当時の神聖な場所は、今や子供の遊び場と化している。 -
ヨルダンは国旗が好きなようである。
よく国旗を見かける。
頂上の先端からは、ぺトラ遺跡が一望できる。 -
ファサード通り(右)から柱廊通り(左)にかけての大パノラマが広がる。
足元真下にあるローマ円形劇場はここからは見えないが、対岸に王家の墓からファサード通りにかけての岩窟建築群が一望のもとである。 -
イチオシ
一番奥に王家の墓のひとつ壺の墓(左上)から手前にかけて、岩窟建築群が並ぶ光景は圧巻である。
これほどの建造物が並ぶ中で、「地球の歩き方」には壺の墓以外は個々の名称は記載されていない。
それは、これらを省略しても他の見どころが豊富にあることを意味している。 -
地図の位置からするとウナイシュの墓あたり。
ウナイシュの墓の解説は記載がないので、詳細がわからない。 -
西に見える台地状の岩山(左)は、標高1178mのウム・アル・ビヤラ。
ナパタイ人が来る前に定住していたエドム人の痕跡が見られるエリア。
エドム人と対立していたユダヤの王アマジアが1万人ものエドム人を崖から突き落としたという逸話が残っている。 -
北西方向には、スタンダードルート上にある、カルス・アル・ビントや大神殿が見える。
スタンダードルートは、カスル・アル・ビントまではほぼ平坦だが、その先のエド・ディルまではトレッキングルートとなる。 -
来た道を少し戻って反対側の丘に上ると2本のオベリスクが建っている。
高さは6mで、それぞれナパタイの神ドゥシャラーと女神ウッザー、あるいは女神の豊穣の角を表しているとする説がある。
この2本のオベリスクは建てたわけではなく、周りの岩を削って残った岩の部分なのだとか。 -
オベリスクから見た、犠牲祭壇のある丘。
-
そこからルートを下って行くと、ケルンが積んであるビューポイントがある。
-
これから下って行く方に、どうみても人為的に削ったとしか見えない、平らな台地が見下ろせる。
ぺトラの歴史から考えて、当然建設重機がある時代ではない。
人力か、もしくは家畜以外の動力源がないと思われる時代に、岩山をこの規模で削ることは容易なことではないはずだ。 -
イチオシ
遺跡観光とはいえ、この観光の半分はトレッキングとしての魅力が詰まっている。
山岳や海岸沿いのトレッキングをしてきた者にとっても、この乾燥地帯の荒涼とした岩山コースを歩くことは、新鮮に感じるはずだ。 -
遺跡や風景もさることながら、地質に関しても魅かれるものがある。
岩の表面の模様や造形は、芸術的でさえある。
もはや、自然が造り出したものか人工的なものかも判断できないことが多い。 -
眼下にいくつかの岩窟が見え始めた。
-
ライオンのモニュメントというのがルート上にあるが、残念ながら見逃してしまった。
そんなことには気がつかず、先に進む。 -
反時計回りに犠牲祭壇を目指すハイカーが、急な階段を上って行く。
-
下りてきた階段(右)から鋭角に折れた先に、2本の柱のある岩窟(左)が見える。
-
イチオシ
庭の墓という岩窟らしい。
-
庭の墓の前には四角い水槽のような深い窪みがある。
「地球の歩き方」にも解説がないので、庭の墓についての詳細はわからない。
ここは、内部でも露店が開かれている。
遺跡というより、半分土産売場化している。 -
そこから少し下ると、右側にカラード・トリクリニウムがある。
ファサードは、装飾的なものが残っていない。 -
このカラード・トリクリニウムは、ぺトラ遺跡の中で唯一、内部に手の込んだ装飾が施された建造物だということだ。
内部に壁と一体になった柱が彫られている。 -
向かいにはローマ兵士の墓があり、かつては同じ建物として、中庭でつながっていたという。
ローマ兵士の墓に埋葬された故人のために、このトリクリニウムで葬祭の儀式が行われた。 -
カラード・トリクリニウムの向かいにあるローマ兵士の墓。
ファサードにローマ兵士が彫られている。 -
A.C.1世紀にナパタイ人よって造られ、後にローマ属州時代に改修された。
天井や壁が黒いのはベドウィン族が火を使っていたからだという。
「世界の村で発見!こんなところに日本人」(2018年5月22日放送)での解説によると、1985年に世界遺産に登録されるまでは、岩窟内でベドウィン族が生活していたという。
遺跡価値の認識が低かった頃に遺跡内が生活の場であったとしても不思議ではない。 -
内部の壁の表面は、斜めの平行な溝が刻まれている。
一見機械的に施された削岩面に見えるが、ぺトラの歴史上それは考えられない。
どういう方法でこういう空間が造られたのかが気になるところだ。 -
さらに下ると右側にルネッサンスの墓。
-
内部には床に14の埋葬穴がある。
ぺトラ遺跡の中でこれほどたくさんの埋葬穴があるのは珍しい。
2003年の発掘調査で、ナパタイコイン、ナパタイ土器、人骨などが発見された。
ワディ・ファラサに点在する遺跡群は、近年発掘隊の調査が進み、新たな発見が相次いでるという。 -
キョウチクトウが咲く小路を行く。
-
名前もわからない岩窟がいくつもあるが、空模様が怪しくなってきたので先を急ぐことにした。
-
カスル・アル・ビントまで行って、そこからスタンダードルートを通って帰えるルートをとったが、カスル・アル・ビントまで行く間にみるみる暗雲が垂れこめてきた。
カスル・アル・ビントが見えてきた頃には、遠くで雷鳴が聞こえるようになった。 -
15:30頃、カスル・アル・ビントに到着した。
ここは写真を撮っただけで、すぐにスタンダードルートで戻ることにした。
しかし、すぐに雨が降り出し、大神殿前からは傘をささずにはいられなくなった。
ファサード通りあたりまで戻ってきた頃には、雷鳴が近くなり、観光客や露天商は大慌てで怒号が飛び交っていた。
もう、一刻も早くホテルにたどり着くことだけしか考えられなくなった。 -
エル・ハズネ前、シークへと入ろうとすると止められ、岩陰に避難するように指示があった。
この時頭をよぎったのは、落雷よりも鉄砲水のリスクがあるのでは?ということだった。
シークでそういうリスクがあるかどうかはわからないが、鉄砲水の事故があったアンテローブ・キャニオンと地形が少し似ていると思ったからだ。 -
観光客の多くはエル・ハズネに避難した。
通常ここは立入禁止のエリアである。
一般の観光客がこんなに間近でエル・ハズネを見ることはできない。
ましてやエル・ハズネに入ることなど、拘束されてもおかしくない行為である。
それが許されたこの緊急事態は、ある意味千載一遇のチャンスでもあった。
堂々とエル・ハズネの軒下で雨宿りすればよいものを、こんな端っこに甘んじた私は、よっぽど心の余裕がなかったのか、それとも単なる小心者なのか・・・エル ハズネ 史跡・遺跡
-
15分ほどすると、雷鳴は遠のき雨も少し弱まった。
やがてシークの通行止めが解除となり、シークを戻って行った。
シークは側溝が整備されていないので、雨水の流れを避けて歩かなければならなかった。
岩の割れ目から滝となって流れ落ちていたが、レンズに雨粒が落ちて上手く撮れなかった。 -
17:00頃、ラ・メゾン・ホテルに到着し、チェックインした。
フロントの接客は紳士的で好感のもてるものだった。
ここはブッキングコムで予約し、1泊朝食付きで26.1JDと約17%のサービス料&税(2泊で計61.43JD)だった。ラ メゾン ホテル ホテル
-
部屋も広さ清潔感ともに充分である。
窓が小さく眺望があまり良いとはいえないが、それはたいした問題ではない。
それより、濡れた衣服やリュックなどを乾かすのが先決だ。 -
紅茶、ミネラルウォーターのサービスあり。
-
テレビと冷蔵庫があるのは良いのだが、テレビは電源がつかなかった。
本体かリモコンか、どちらに問題があるのかわからないが、昨日に続いて今日もなので、どうなってるんだという感じ。 -
シャワー・トイレも清潔感があり問題はない。
-
洗面とアメニティー。
ぺトラ遺跡の1日目は、予定していたルートは歩けたものの、突然の雷雨で早めに切り上げることになった。
ぺトラ遺跡の印象として、予想以上に見どころが多く、見応えがあるということだ。
明日は丸1日ぺトラ観光の日。
完全燃焼といきたいところだ。
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環地中海・古代遺跡&絶景紀行 2018
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この旅行記へのコメント (4)
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- sweetshibakenさん 2019/02/06 13:05:44
- 全く同じ日に、同じ所に宿泊していました!
- キートンさん、はじめまして。
つい先ほど、ニコラさんの質問についてキートンさんがラ・メゾンホテルを推薦されていた書き込みをみて、ラ・メゾンの口コミ経由でこちらの旅行記に辿り着きました。
私も、あそこのスタッフのホスピタリティーの高さには、感服していました。2018年4月、私と同じ時期に同じ経験をされていた方がいて、とても嬉しくなりました。
そしてこちらの旅行記を拝読すると、宿泊日が全く同じである事が分かり大変驚きました。
そうですよね~ あの「ペトラで大雨」、大変だったけど貴重な経験でしたよね。
私はその時Monasteryのカフェに居ましたが、キートンさんの旅行記でTreasury辺りの様子が知れて、大変興味深かったです。
かなりの大雨でしたよね。
Siqへ立ち入らない様にロープを張っていたなんて、危機管理がちゃんとしていた様子、感動ものでした。
詳細な旅行記、有難うございました。
同日の私の旅行記を貼っておきます。もしご興味あれば、覗いてみて下さい。
https://4travel.jp/travelogue/11376405
- キートンさん からの返信 2019/02/06 20:23:40
- RE: 全く同じ日に、同じ所に宿泊していました!
- こんばんは、sweetshibakenさん。
書き込みありがとうございます。
あの大雨の時にエド・ディル前のレストランにいたのですね。
にわか雨だったので良かったけど、一番奥の方なので不安だったでしょうね。
その後、エル・ハズネの内部に入ったなんて凄すぎです。
そんなのあり?って感じです。
私はエル・ハズネで雨宿りしてちょっとラッキーと思ってましたが、それよりずっとラッキーですね。
ホテルも同じだったようですが、28日は私も午前中にエル・ハズネを見下ろすポイントに上ったので、絶対途中ですれ違ってますよね。
ハプニングも多々あったようですが、良い出会いもたくさんあって、印象深い旅になったようですね。
確かにジャック・スパロウみたいな青年がいたよな・・・って懐かしくなりました。パイレーツ・アラビアンか!って心の中で突っ込んでました。
ワディ・ラムやイスラエル編もまた拝見させていただきます。
では、また。
キートン
-
- ニコニコさん 2018/06/03 23:43:47
- アブダリオフィス
- キートンさん
4月に無事にペトラ遺跡に行かれたんですね。
オフィスの感じも私達が行ったときとは、変わっていますね。
今は、ネット予約ができるようで…。
バスは始発ではなかったんですね、
そういえば大勢の人が既に乗っていましたね~。
詳しくペトラ遺跡の歩かれた所を解説なさって、
流石だな~と、思いました。
突然の大雨で、エルハズネの真下に潜り込めるなんて^_^
懐かしかったです。
ニコニコ
- キートンさん からの返信 2018/06/04 21:50:44
- RE: アブダリオフィス
- こんばんは、ニコニコさん。
以前、Q&Aでアドバイス頂き、ありがとうございました。
結果的には予定通りジェットバスでペトラに行くことができましたが、
それまで結構いろいろとありました。
ネットの予約システムが機能していなかったものの、
メールでのやりとりができたので予約することができました。
でも、前日にインターコンチネンタル・アンマン・ホテルのオフィスでチケットを受け取るか、
それができなければ、当日早朝に7thサークルのオフィスに来るようにと指示を受けました。
そのメールの内容から、アブダリのオフィスはなくなったのかな?と思っていました。
結局アンマンに帰ってきた時、アブダリにジェットオフィスがあるのを知って、
どうしてアブダリではなく7thサークルのオフィスに来るよう指示があったのか、未だに謎です。
とはいえ、無事ペトラ遺跡を心ゆくまで楽しむことができたので良かったです。
アンマン到着日から2日連続で夕方にわか雨に合ったのも、
今となっては忘れがたい思い出です。
ペトラ遺跡観光2日目は、好天に恵まれ丸一日楽しむことができました。
また見ていただければ幸いです。
キートン
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