2018/04/28 - 2018/04/28
37位(同エリア603件中)
キートンさん
この旅行記スケジュールを元に
2日間にわたるぺトラ遺跡観光も残り半日。
昨日に犠牲祭壇からワディ・ファラサへのトレッキングルート、今日午前中にジャバル・フブサのトレッキングルートと、どちらかというとサブ的なコースを攻めた。
そして最後の半日は、スタンダードルートから最奥のエド・ディルへと至るメインルートを巡ります。
ペトラ遺跡もいいいよラストスパート、がんばりましょか。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ロイヤルヨルダン航空
-
午前中に王家の墓の主な見どころ見学した後、柱廊通りを奥へと歩く。
左側に大神殿が近付いた頃、右側に有翼ライオンの神殿の解説板があったのだが、ちょっと粋な工夫がされている。
有翼ライオンの神殿は建物の土台部分しか残っていないが、建物の予想図が描かれた透明のアクリル板越しに、現地形を合成できるのだ。
有翼ライオンはナバタイの女神ウッザーのシンボルのひとつで、この神殿は女神ウッザーを祀るためのものだと考えられている。 -
大神殿前を通る。
大神殿は復路に見学するとして、ここはスルー。 -
キョウチクトウが咲く柱廊通りを進む。
凱旋門の前にいかつい兵士が2人いるのは無視して、先を急ごう。 -
カスル・アル・ビントを左に見ながら先を急ぐ。
このへんはスルーしっぱなし。 -
柱廊通りの突きあたりにはレストランがいくつかある。
ちょうど昼食時だが、ちょっと我慢して右のコースを進む。 -
ここからはトレッキングルートとなる。
アンマンからの日帰り観光客でも歩く人が多い人気のルートである。 -
午前中に続き、今日2度目の長い上りである。
-
イチオシ
ただ、こちらのコースは一気に上るというより、緩急がある上りである。
-
土産屋が多いコースである。
相変わらず、店員はいたりいなかったり。 -
良い天気だが、乾燥しているせいかそれほど暑くない。
これならギリシャの方がよっぽど暑かった。
こういう体力を使う観光は、気候によって疲れ方が違ってくるのだ。
例えばアンコール遺跡群を見学した時は、1月でもむし暑かったので、結構体力を消耗した。 -
体力的にきつければドンキー(ロバ)を利用する手もある。
いや、手というより足だな。
カスル・アル・ビントまでなら馬車やキャメル(ラクダ)という足もあるが、トレッキングルートに入ると、ドンキーしか選択肢はない。 -
12:35頃、前方にレストハウスと小高い丘が現れた。
ということは・・・ -
ぺトラ遺跡の最奥にあるエド・ディルである。
前面が開けているせいか、圧迫感が少なく開放的な雰囲気だ。 -
エド・ディルを見ながら岩陰でピクニックランチにする。
ランチといってもスーパーで買い込んだパンとかスナックだが、こういうのはロケーションが重要である。
そういう意味ではここは遺跡内でも最高の場所かもしれない。 -
エド・ディルは、エル・ハズネに比べれば装飾はシンプルだが、高さ45m、幅50mでエル・ハズネより大きい。
ファサードの様式はヘレニズム様式。
エド・ディルが墓なのか神殿なのか、はっきりはしていない。
最も有力な説は、ナバタイ最後の王ラベル2世が、神としてあがめられた先王オボダス2世を祀るために造られたというもの。 -
ランチを終えひと息ついたら、エド・ディル前の丘に上ってみた。
その丘の上の方にも岩窟があったが、あまり歴史的なものには感じられなかった。 -
イチオシ
丘の上からのエド・ディルは、見下ろすというほどの高さではなかったが、距離感やアングルはいい感じだ。
他の岩窟建築に比べれば、山頂に近い位置に造られていて、山容と建築物、自然と人工物のバランスが絶妙である。 -
エド・ディルの内部は一間の広い部屋があり、正面に階段の付いた祭壇のようなものがある。
壁に十字架が彫られていて、修道院(モナストリー)とも呼ばれている。 -
エド・ディル前とその周辺は、意外と広々している。
エド・ディル前の広場はかつて列柱に囲まれ、オボダスをたたえるために多くの人々が集まった。
その後、ビザンチン時代には教会として利用され、修道僧が住むようになった。
この丘の麓に建物の基礎の跡のようなものがあるが、修道僧の住居などがあったのかもしれない。 -
石窟もたくさん見られる。
-
エド・ディルより右の方(南方向)には、ゴツゴツした岩山の風景。
右側の岩山との間には、ワディ・シヤーグという深い谷となっている。 -
丘の上にレストハウスがあったが、寄らずにエド・ディル周辺を散策しようと思った。
エド・ディルの左側に階段が見えるが、上れるのかな?
人影が見えないので、たぶん立入禁止の雰囲気だが・・・ -
上り口を探してみたが、よくわからない。
まあ無理せず、普通に見学しよう。 -
ファサードの上部。
エル・ハズネに比べれば装飾はシンプルとはいえ、保存状態はかなり良い。
エル・ハズネは上にひさしの代わりになる岩があるが、エド・ディルにはそれがない。
それを考えると、これだけ浸食や損傷が少ないのは驚くべきことのように思える。 -
上部に岩が残っているエル・ハズネは、最頂部の壺に日光が当たりにくく見えにくいが、エド・ディルの壺は明るくてよく見えるうえに、青空をバックにできる。
-
イチオシ
正面から見上げるアングルも青空をバックに、中央のトロスの円形構造やブロークン・ぺディメント(左右に分かれた切妻屋根)の切れ込みがよくわかる。
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1時間少々エド・ディル周辺で過ごし、13:40頃に下山することにした。
-
土産屋が並ぶトレイルを下って行く。
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壺の墓で出会った日本人に調べてもらった天気予報では、今日は雨の心配はなさそうなので、復路はのんびりと歩いて帰れる。
冬は多少降水量があるようだが、この時期に雨が降る方がレアなケースだ。 -
岩山の間から、午前中に歩いたジャバル・フブサが見える。
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宮殿の墓、コリント式の墓、シルクの墓などが遠望できる。
ジャバル・フブサの山の向こうに建物が見えるのは、ワディ・ムーサの街だろう。 -
きょうのわんこ。
気持ちよさげにお昼寝中。 -
きょうのにゃんこ。
水分補給中。 -
緑豊かな日本に暮らす人間にとって、まるで異星にいるかのような風景の中を歩くのが楽しい。
-
乾燥した大地にピンクの花を咲かせるキョウチクトウ。
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エド・ディルへのトレッキングルートの途中で、少し横道に入るとライオンのトリクリニウム(ライオンの墓)がある。
いくつか岩窟があるが、一番奥がそれっぽい。 -
A.C.1世紀に造られたトリクリニウム(ローマ時代のダイニングルーム)だというが、入口への階段も何もないので、これ以上接近できない。
入口前の岩が崩壊したのか、土砂か何かがなくなったのか定かではない。 -
入口の両側にライオンが彫られているが、左はすでに顔の部分がなく、右はなんとかライオンとわかる程度。
-
14:35頃、トレッキングルートの入口付近まで戻って来た。
木に咲く紫の花は、ジャカランダかな?
この近くにあるはずのぺトラ博物館を見学したかったが、それらしき建物を見つけることができなかった。
2016年8月時点で閉鎖中だったので、現在も引き続き閉鎖中だったかもしれない。 -
ここからは2度もスルーしてきた柱廊通り沿いを見学していく。
カスル・アル・ビントは、B.C.30年にオボダス3世により建てられた。
ナパタイの神ドゥシャラーを祀った神殿、女神ウッザーを祀った神殿など諸説あるものの、はっきりしていないようだ。
ローマ時代には改修され教会として使用され、その後は馬小屋として使用されていたという。
カスル・アル・ビントには入場できないので、周りから見るだけしかできない。 -
大神殿近くまで来ると、凱旋門を通る。
-
大神殿に西側入口階段から入場。
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西地下回廊。
地下回廊というからにはここには天井があったと思われる。 -
ビザンチン時代の浴場跡。
浴場は四角い部屋に円形のドーム、中東でよく見られるハンマームの形状をしている。
金網に囲まれて中には入れない。 -
下部のテメノスに並ぶ円柱。
ほとんどの円柱は、この半分の高さも残っていない。
テメノスとは、神や王などにささげられる場所で聖域とされる。 -
上部のテメノスには、テアトロン(劇場)の施設を持つ神殿があったエリアである。
-
テアトロンは、A.C.1世紀に造られた600人収容の小規模なものだが、比較的よく原型をとどめている。
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テアトロンからは、下部のテメノスと柱廊通り越しに有翼ライオンの神殿跡が望める。
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テアトロンの背後には、部屋と階段が左右対称に配置されていたようだ。
どうでもいいけど、このあたりの観光客は、やたら高いところに上るのが好きらしい。 -
イチオシ
大神殿はB.C.1世紀にナバタイ人の主要な神殿として建造され、A.C.4世紀の大地震で多大な被害を被りながらも、修復。拡張工事を経てビザンチン時代まで使用された。
-
崩れっぱなしの円柱。
石材が残っているなら、復元すればよいものを・・・ -
下部テメノスは、六角形の床石が敷き詰められている。
-
下部テメノスの両側には、円柱が3列に並んで建っていたようだが、現在3列残っているのは東側だけである。
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乾燥地なので、野性の草花は多くはない。
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柱廊通りを戻って行く。
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左側に名前もわからない岩窟建築が並んでいる。
このあたりが、ウナイシュの墓なのかもしれない。 -
15:30頃、ローマ円形劇場に到着。
客席などの損傷が激しいせいか、内部への立入りはできない。 -
B.C.1世紀頃、最盛期の王アレタス4世によって建設された、グレコローマン様式の劇場。
A.C.106年以降のローマ時代に客席が拡張され、45段の客席は8500人が収容できた。
建設当時は、エンターテインメント用ではなく、アレタス4世が自身の葬儀場として建設されたという。
背後の岩壁にはロクリと呼ばれる、遺体を保存する洞窟がある。 -
この劇場は、背後に岩壁があることによって、抜群の音響効果があるのだという。
いくら音響効果がいいからとといっても、さっきまでそこでわけのわからん歌を合唱していた団体には引いてしまった。
その団体が東洋人だったのは困った話だが、青や赤の派手な帽子をかぶっていたから、幸い私がその一味だと勘違いされることはなさそうだ。 -
ローマ円形劇場の内部に入れなかったのは、ちょっと期待はずれだった。
-
この時間、ローマ円形劇場はかなりの逆光となっていたので、遠くから望遠で撮る方がよさそうだった。
余談だが、派手な帽子の団体は中国人ではなかったことを付け加えておく。
もちろん日本人でもない。 -
イチオシ
ファサード通りの岩窟建築は、調べても個々の名前がわからないものが多い。
それは、ガイドブックに載せきれないほど見どころが多いということを意味する。
しかし驚くべきことに、2014年時点でぺトラ遺跡の85%が未発掘であるという。
発掘できていても観光客の立入が規制されている遺跡もあるとすると、観光可能なのは多くても15%に満たないということだ。
ぺトラ遺跡のスケールの大きさには、驚くばかりである。 -
16:00前、エル・ハズネまで戻ってきた。
全体的に日影になっていて、コントラストは弱くなっている。エル ハズネ 史跡・遺跡
-
その反面、白飛び・黒つぶれが減るので、全体的にディテールがきれいに表現できた画像が撮れる時間帯でもある。
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上部のトロスや壺の部分も、直射日光が当っていた朝より、今の方がディテールがわかりやすい。
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エル・ハズネから見たシークの方向は、岩壁が傾きかけた日に照らされている。
-
オベリスクの墓(上)とバーブ・アッシーク・トリクリニウム(下)も、太陽の位置が変わり朝とは違う表情となっている。
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16:30頃、ジン・ブロックスまで戻ってきて、ぺトラ遺跡の観光は終わった。
2日間にわたって、予定していたルートを歩いてぺトラ遺跡を見学できた。
これでぺトラ遺跡を充分満喫できた、とこの時は思っていた。
しかし、あとから考えてみると、見落としていたポイントもあった。
特に、柱廊通りから少しはずれていたぺトラ(ビザンチン)教会を見学しなかったのは悔いが残った。
ぺトラ教会には、保存状態の良いモザイクが残されている。
ぺトラ遺跡内でモザイクは見なかったので、ここを見逃したのは残念だ。
それから、ファサード通りからウナイシュの墓付近にかけての岩窟建築もちゃんと見ておけばよかったと思った。
広い遺跡なので、欲を言えばきりがないことなのだが・・・ -
ところで、ビジターセンターと観光バスの駐車場の間にぺトラ・ミュージアムが建設中である。
注目すべきは、日本政府の無償資金協力だということ。
2017年1月~2018年4月という期間が記載されているが、まだ工事中である。
プロジェクトの簡単な紹介
https://www.jica.go.jp/oda/project/1360900/index.html -
どう見ても、工事は当分かかりそうな雰囲気だ。
カスル・アル・ビント近くにあるはずのぺトラ博物館がここに移転するということなのかもしれない。 -
今日の夕食は、ラ・メゾン・ホテルのレストランですることにした。
料金は10JDで、ビュッフェスタイルである。 -
種類もなかなか豊富。
-
デザート・スイーツとか・・・
-
今日の夕食。
飲み物は別料金になるので、オーダーしなかった。 -
とはいえ、飲み物が高いってわけではない。
むしろ良心的価格かと・・・
食後に、明日の朝ワディ・ラムに行く段取りをするため、ホテルのフロントに行った。
この時のホテルのスタッフの接客が良かった。
ワディ・ラムへのバスは、このツーリストエリアからではなく、2km程度離れたワディ・ムーサから出るという情報があった。
フロントでワディ・ムーサの地図をもらい、ワディ・ラム行きのバス乗り場を聞こうとした。
すると、地図はないがワディ・ラム行きバスがこのホテルに寄ってピックアップしてくれるように連絡をとってくれた。
ワディ・ラムまでの料金は8JDだという。
おそらくワディ・ムーサから乗るより1~2JD割高かと思われるが、それは問題ない。
早朝6:00頃にピックアップするということなので、朝食のランチボックスを用意してくれるという。
早朝チェックアウトになるので朝食はあきらめていたが、これはうれしい誤算だった。
念のため、時間や料金などのメモが欲しいと言うと、サイン入りでメモを書いてくれた。
このホテルは料金がリーズナブルな割に、立地や食事が満足いくものだったが、フロントスタッフの対応が何より印象に残った。
ヨルダン最大の見どころぺトラ遺跡観光は今日で終了したが、明日は個人的に期待度が大きいワディ・ラム観光だ。
ワディ・ラム行きの段取りも整い、明日への期待がふくらむ。
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